大義のために戦った日本



沖縄戦

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沖縄では、米軍の本土上陸前に、実に凄惨な戦いが行われました。

戦いは1945年(昭和20年)3月26日から始まり、組織的な戦闘は6月23日で終了した。
実に3ケ月にわたる戦闘でした。

使用された銃弾の数は、米軍側だけで2,716,691発。
このほか、砲弾6万18発、手榴弾392,304発、ロケット砲弾20,359発、機関銃弾約3,000万発弱が発射され、さらに地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われました。

沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は18万8136人。そのうち9万千人が民間人の犠牲者です。

この沖縄戦に対するイメージは、6月23日に自決して果てられた沖縄守備軍司令官牛島満中将の最後の言葉、

「…爾後各部隊は各局地ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ』

この言葉が、なぜか「最後の一兵まで戦え」という言葉に置き換えられ、これによって、多くの民間人が巻き込まれ、戦場が凄惨を極め、死傷者が拡大したかのごときイメージが伝えられている。大嘘です。

すでに沖縄方面海軍部隊司令官の大田実少将さえも、海軍次官宛に有名な
『…沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』
という訣別電報を打ち、豊見城の海軍司令部壕内で6月13日頃に自決していた。

牛島中将の「最後マデ敢闘シ」の言葉が発せられた時点というのは、すでに司令部も壊滅し、指揮系統は混乱を極め、軍の統制はなく、通信環境も壊滅している状況だった。

沖縄本土の9割以上がすでに米軍に抑えられていた。

それでもなお戦闘が継続したのは、なぜだったのか、というのが今日のテーマです。

軍の将校たちが自決して果て、それでも個々の部隊や兵士達が自分の判断で戦闘を継続し、多くの民間人も、劣勢となってなお軍人さんに庇護を求め続けた。そして多くの犠牲者を出した。

牛島中将の最後言葉は、「最後の一兵まで戦え」という趣旨だったのだという「翻訳」ばかりが強調されているけれど、原文を読めば、まるで意図が違います。

爾後各部隊は、
各局地における生存者の上級者がこれを指揮し、
最後まで敢闘し、悠久の大義に生きるべし

まさに、この「大義」があったからこそ、沖縄の日本兵は最後の一兵卒まで戦いに戦い死んでいった。
そしてこのことを縦糸とするなら、もうひとつの横糸が、戦争の野蛮さというものであったろうと思うのです。

沖縄戦が始まる8か月前、サイパン島が陥落しました。
ここでも、民間人を含め、多くの人々がなくなった。

このときの様子を、サイパン戦に参加した陸軍大尉田中徳裕氏が、手記を残されています。

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凄絶極めたサイパン 米兵、婦女子らに残虐行為

昭和19年7月9日

三方から追い込まれた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。
婦女子が全員、素っ裸にされた。
そして、無理やりトラックに積み込まれた。
婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。

婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。
ガソリンがまかれ、火がつけられた。
飛び出してくる老人子供たち。
その悲鳴……。
米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。
あの投降勧告は一体なんだったのか。
常夏の大空をこがさんばかりに燃え上る焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。

残虐な行為は凄絶をきわめた。
火から逃がれ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。
かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴(け)り飛ばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。

二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。
「ギャッー!」という悲鳴。
人間がまるで蛙のようにまたさきにされ殺されていく……。
彼らは、それをやっては大声で笑った。無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。


7月11日

東の空が白むころ、追いまくられた住民がマッピ岬にむかって死の行進をはじめた。
数百、いや数千人はいたろうか。
もう、だれの制止もきかない。
魔術にでもかかったように、怒濤岩をかむマッピ岬に立った。老人が先頭をきった。

「天皇陛下萬歳、皇后陛下萬歳!」

と叫んだかと思うと、海中めがけて飛び込んだ。
我々が潜んでいる洞窟のすぐななめ上である。投身自決は、次々とおこなわれた。

後から後から、子供も、婦人も、押されるようにして飛び込んでいく。
その海中に、群れをなしたサメが泳ぎまわっている。
海はたちまちまっ赤に染まり、飛び込んだ人たちは次々と食いちぎられて沈んでいく。
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マッピ岬とは、のちに「バンザイクリフ」と呼ばれるようになるサイパン島の最北端の岬です。田中徳裕氏の手記には、ほかにも青竹に串刺しにされて死んでいる婦人の姿など、凄絶な場面が綴られています。

ここで忘れてならないのは、このような場面を目撃した日本人の中で一番多かったのが、ほかならぬ沖縄の人たちであったということ。

生き残った彼らが、サイパン島での玉砕の様子をさまざまな形で、故郷の親戚や縁者に怒りと悲しみをもって伝えていた。

つまり、米軍上陸の前から、沖縄をはじめ日本人は敵軍の「鬼畜行為」におびえていた。

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マックス・ヘイスティングス(イギリスの歴史作家)著
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
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沖縄本島には、千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。先の本から引用しよう。
「一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。とくに沖縄戦がそうだった。

(アメリカ軍兵士の)クリス・ドナーは、こう記録している。

地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、何回にもわたって強姦されていた。
日本兵の仕業であるはずがなかった。

しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。

その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」と、叫んだ。

兵がいっせいに射撃した。女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。

アメリカ兵は日本人を人間だと思わなかった。
故国への土産(スブニール)として、日本人の頭蓋骨を蒐集したが、ヨーロッパ戦線においてドイツ兵については、頭蓋骨をそのように扱うことはなかった。日本人の頭蓋骨を飾り物として、珍重したのだった。

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もうひとつ紹介します。
 「翼よ、あれがパリの灯だ!」
という映画で、世界的に有名になったチャールズ・リンドバーグ氏の手記です。

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出典、『孤高の鷲 リンドバーグ第二次大戦参戦記 』上下 学研M文庫
著者/訳者名 チャールズ・リンドバーグ/〔著〕 新庄哲夫/訳
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1944年6月21日(水)

偵察隊の一人が日本兵”捕虜”に煙草と火を与えた。
煙草を吸い始めた途端に 日本兵”捕虜”の頭部に腕が巻きつき喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで 切り裂かれた。

1944年6月26日(月)

ニューギニア戦線で2000人の日本人捕虜を飛行場に連れて行き 機関銃を乱射して殺害した。

1944年7月24日(月)

そこには1人の日本軍将校と十人~12人の日本兵の死体が、切り刻まれた人体だけが見せるような身の毛もよだつ姿勢で四肢を伸ばしたまま 横たわっていた。
頭蓋骨を覆う僅かな肉片だけが残っている。

1944年8月6日(日)

「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に 送らねばならなくなった時のことを知っているかね? 」

あるパイロットなど 僕にこう言ったものだ・・・。
「捕虜を機上から山中に突き落とし ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」(或る読者より)

日本兵の死体に金歯があると、靴で踏み付けたり、棒でつついてその歯を取り出して集めて、小さい袋にため込んでいる兵士が何人もいる。

砲弾で出来た穴の中に日本兵の死体を投げ込む。
その上をゴミ捨て場にする例もある。
死体処理はブルドーザーでなされ、墓標がたてられることは、けっしてない。

ちょうどそのころ、日本軍は泰緬鉄道の捕虜犠牲者のために、四メートルの大理石の慰霊碑を立てていたことを考え合わせてみよ。

わが軍の兵士たちは日本兵の捕虜や投降しようとしている者を射殺することを何とも思っていない。
彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱い、それらの行為がほとんどみんなから大目に見られている。

ジャップの病院を占領した時には、病院に生存者をひとりも残さなかった。

捕虜として投降してきた者は即座に射殺、そのため日本人は、投降もままならず、ジャングルの中で飢えに苦しみ抜いて死んでいった。

日本人の死体は切り刻まれた。
金歯を抜き取る者、おもしろ半分に耳や鼻を切り取り、乾燥させて本国に持ち帰る者、大腿骨を持ち帰り、それでペンホルダーやペーパーナイフを作る者さえいた。

ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人に対して行ったことを、われわれアメリカ人は太平洋で日本人に対して行っている。

負傷兵であろうと手を上げようと、みな射殺してしまう。それが残虐な日本兵にたいする報復だとし、自らの残虐行為を正当化した。
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一昨日から大東亜戦争について書いていますが、グアムにしてもサイパンにしても、パラオやインドネシア、ラバウル、マレーシアにしても、フィリピンにしても、樺太、満州、いずれの地でも、日本兵が劣勢になったときに、住民や民間人の婦女を暴行し、殺害し、逃げちゃったなんて記録はまったくありません。

なぜかといえば、日本兵には、冒頭述べた牛島中将のいう「悠久の大義」があった。

ではその「大義」とは何かといえば、「人種差別撤廃」です。

黄色人種は“黄色い猿”ではない。我々も立派な人間なんだ。だからこそ、死の瞬間のそのときまで、立派に戦って死のう。そういう誇りと矜持が、当時の日本兵全員の胸に深く刻まれていた。

だから帝国軍人は、戦局が不利になったからといって、民間人を殺害したり、強姦したり、財産を奪ったりという行為は一切しなかった。

これだけサヨクが沖縄戦の不条理を訴えながら、現在に至るまで、日本の軍人が沖縄戦で戦局不利になるやいなや、民間人を殺害し、強姦致傷したなどというケースを、ただの1件も見出していない。
すべての戦地、みな同様です。

(シナでは、国民党や共産党兵士が、戦地から逃げ出すとき、あるいは占領したとき、強姦、暴行、殺害、窃盗、ありとあらゆる暴行を働いていますよね?)

紳士的と伝えられる米軍にても、実態は、リンドバーグの手記にある通りです。

このことは戦場だから・・・などという“戦場の狂気”論で片付けれる問題ではない。

イエローは、人間とすら認識されなかった人種差別に対し、日本は、誇りを持って敢然と立ち向かった。

米兵にとっては、戦いの場においてもなお、日本兵は“猿”だった、ということなのではないか。。。。

だからといって、この項で、米軍の批判をしようという意図はまったくありません。

なぜなら、銃弾の飛び交う戦場で、明日をもしれない戦いをしていれば、まして男ばかりの集団に長くいれば、現地の民間人であれ敵国の看護婦であれ、女とみれば見境なく犯し、殺しするという事態が起こるのが、むしろ普通だとおもうからです。
米軍の行為等は、決して褒めた話ではないけれど、戦場ではある意味、それが“あたりまえ”のことといえるのかもしれない。

だからこそ、日本の帝国軍人の、戦闘末期においてすら一切の暴行を働かず、略奪をせず、どんなに自分たちが飢えに苦しんでも、民間人の畑を襲い、略奪し、殺害する等の行為をはたらかず、戦闘末期の玉砕間近の状況におかれてすら、「悠久の大儀」を唱え切った姿というのは、世界史上、刮目してみなければならない、誉れある姿といえるのではないか。

そういう祖父を持った日本人というのは、もっと誇りをもって良いのではないか、と思うのです。

ビルマのインパール作戦では、 日本の将兵は豪雨の中、傷つき疲れ果て、飢えと病に苦しみながら、泥濘に覆われた山道を歩いて退却した。
退却路には日本兵の死体が累々と横たわり、その有様は後年「白骨街道」と呼ばれている。ここでは日本は、参加兵力約85,600名のうち30,000名を戦死・戦病死で失い、20,000名の戦病者を後送している。

この撤退路にも、ビルマの町や村があった。(お暇な方は地図で見てください)
そこにはビルマ人が住み、食料もあった。
それでも日本の将兵は誰一人、糧食を奪わず、盗まず、暴行も働いていない。

その誇りや矜持はどこからきたのか。

そう考えれば、これはもう、ひとりひとりの日本の将兵の胸中に、

「自分たちは大義のために戦っているのだ」

という明確な思念があったということが、誰の目にも明らかなのではないか。

ついでに言うと、南京城攻防戦では、日本が当時の国民党の本拠地(首都)である南京城を取り囲んだとき、シナ側の兵士たちは、後ろから国民党の兵士に銃を突き付けられ、仕方なく抵抗戦を戦っていた。自分たちが、なんのために誰と戦っているかすら知らされていなかった。

そして、市民兵に後ろから銃を突き付けていた国民党の軍司令官は、戦っている民兵と20万の市民を尻目にさっさと逃げてしまった。

最後の一兵にいたるまで市民を守り抜いて戦った日本の将兵と、市民に銃を突きつけ、戦いが始まると略奪の限りを尽くしてさっさと逃げてしまったシナ兵。。。。

ボクはね、戦争を礼賛する気はまったくありません。

あってはならないことだと思っている。
そしてその思いは、当時の日本の将兵だってまったく同じだったと思うのです。

でも、戦争は起こってしまった。

その起った現実に対し、私たちは、それがなぜ起こったのかという理由と、なぜあそこまで必死になって日本は戦い抜いたのかという訳については、しっかりと冷静に検証してみる必要があると思うのです。

なぜなら、あのとき戦ったのは、私たちひとりひとりと血の繋がった同じ日本人なのですから。

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祖先が目指したもの

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コメント

愴意

誇り高く生きてほしい
これを読んで(大変遅い出会いでありますが)色々と思うところがあり書かせて頂いてます。
まず、皆さんは素晴らしいですね!ということです。こんなにも真剣に考える人がいて、自分だけでないことを誇りに思います。
色々と賛否両論あって本来難しい問題になりがちな戦争。そして、戦争にはいい悪いではなく、経済的なものが大きく関与されていた背景。これらからいうと、悪などどこにもいなく生存競争と生存の為が主軸となっていました。
しかし、戦後の自虐史観の教育、政府の立ち位置、アメリカの介入によって我々日本人のみが悪とされた。
さらに、大敗した日本軍の捕虜に対しての連合国の鬼畜の諸行。
この事実は、憤りと悲しみ、憎悪さえ感じるものがあります。
死や苦しみ、虐げ、その苦しみの中、戦い抜いた日本国の人々に今の日本は会わせる顔がない。
欧米諸国、今の政府、
教育へなんらかの一矢報いたいという気持ちさえある。
しかし、私以外にこのような気持ちがある人がいたら一言言いたい。
その気持ちはわかるけれども、その怨みにとらわれないでほしいということです。
日本は、日本のために生きた人々は、私たちに欧米諸国を怨ませるために死んだのではなく、欧米諸国の
脅威、侵略から日本を守り、大切な人、そこから紡ぎ出される命のために死んだという事実を受け止めてほしい。
だから、悔しくても、それをこらへ、過去の歴史を大切に思うみなさんが今の日本や、日本に住む大切な人、そして、日本の魂を受け継ぎ、守り抜くことこそ真に日本の歴史を受け止めた人の使命だと私は思います。
だから、悔しいからとか、怨めしいからなどではなく、古より大切にされた大義、恩、人情、愛、誇り、魂を胸に刻んで日本のために生き抜いて生き抜いて見事な死に様を見せるぐらいになってほしい。
上記で書いた一矢報いいる時の心持ちを怨みではなく日本が為という気持ちで行ってほしい。
そうしなければ、必死に戦った英霊に私たちは顔向けできないと思います。
だからもしこれを読む機会があったなら、悔しさよりも誇らしさを持って生き抜いてください。それこそ、日本のすべての事柄のためになることだと思います。


愛国日本!反日撲滅!

No title
コメント投稿したあとに気付きましたが、3年以上前のコメントにコメントしていました・・・。

時期的に反日または売国工作員の可能性も有りますが、そうではなく左翼思想に陥っておられる方であったのならば、もう既に目を覚まされている事を願います。

愛国日本!反日撲滅!

No title
沖縄出身者さん

当時の日本兵が、貴方の言う戦争体験者の方が言うような事を行っていたのであれば、何かしらの処罰を受けている事と思われます。

貴方のそのコメントだけでは、その戦争体験者の方の素性も解りませんし、具体的にどこでどういう風にどうやって暴行を行い、仮にそれが真実であったとすれば、その後の処罰の有無まで調べなければ、当時の日本兵は暴行もした=日本兵は悪、の様な印象操作と取られても仕方のないことかと思いますよ。

また事実と真実は違います。仮に貴方の例に挙げておられる戦争体験者の方が、当時の日本兵が住民に対して暴行行為等を行っていた、と言ったのが事実だとしても、それが真実だとは限らないと言うことです。

仮に当時の日本兵が住民に対して暴行行為等を行ったと言うのが真実だとしても、戦争時でのそのような行いは、日本では厳格に処罰されていたそうですし、それほど厳格な処罰を行っていたのは日本だけだった様です。軍人も人です。人は未熟なほど過ちを犯します。だから厳格に規律を定め対応する。この度の特定秘密保護法やNSCも、人であり未熟な者も居るからこそ定める必要のある法案であるかと思います。

そして最後に、貴方の言う、軍人への教育指導?とはどのようなものを想像されておられるのでしょうか。?が付いているという事は、良く分からないで教育指導が洗脳だと仰っていることになるかと思いますよ。

中谷直樹

日本人を誇りに思う
じっちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん あの戦争を体験した祖先を誇りに思うし、今こうして自分が生きていられるのも先祖が一生懸命に日本を守ってくれたおかげだとヒシヒシと感じています。
日本人はどんな苦難に出会っても決して人間としての誇りを一番に大切にした民族です。

沖縄出身者

沖縄戦において、日本兵も住民に対して暴行行為等を行っていたと戦争体験者から聞いています。逆に米兵に親切にされ命を救われた人達もいます。米兵だからすべてが残虐行為を行ったとは限らないし、日本兵だからすべてが善良な人だったとは言えないと思います。
誤解されると困るので言っときますが別に米兵を弁護しようとは思ってません。むしろ現在色々な事件を起こすので腹立たしいくらいです。軍人への教育指導(?)で洗脳されて暴力的になってるんですかねぇ?

なんくるないがやぁ?

おきなわ
私は沖縄出身だが,
左翼化された沖縄の現状に希望を見出すことができない。

正しい情報を伝えない沖縄のマスコミ。
自虐史観を生徒に押し付ける教師たち。
限られた,あるいは歪められた情報しか与えられず,
判断能力を奪われた県民。

最近の沖縄の教師が伝える戦争体験談は,明らかに,
私が沖縄で教育を受けた20年前よりはるかにエスカレートしている。

沖縄の若者たちには,特定の人間の主観的な情報を鵜呑みにするのではなく,客観的な情報に基づいて沖縄のこれからを考えてもらいたい。

沖縄の正しい未来は,あなた方が築くのです。

自由・至高・普遍

洗脳
そうですね。
歴史では見えない部分が問題。
官禍なのか白禍だったのか。
敵が外だったのか身内だったのか。
これからは「臣民」などと煽てられて利用されないようにしなければネ。

つくつくほうし

No title
でも中華が侵略されるのは、しかたないです。
中華文明に由来する公務員厚遇の「カイより始めよ!」
それを目当てに3流人材集結→科挙選抜でエリート風に脚色→無政治(官僚主権)→利権や搾取のための体制作り→国民負担が重くなって国家のモチベーションが低下→政治家や貴族が舵取りの欧米に負ける→「眠れる豚」と世界から揶揄される→侵略される。
日本も地域経済低迷の背景に公務員厚遇ありで元凶ぶりを裏付けている。

夜空

軍官僚の政治家排除
本サイトは、ウソばかり。
内容は日本軍の中華に対する残虐行為に酷似。
単に連合軍の所業として転用している。

そもそも、サイパン島攻防戦では、大半の民間日本人が米軍に保護されている。
「軍と運命を共にした」などというのは大本営発表。

また、沖縄戦では米軍に保護されていた住民を襲って配給食料を横取りしたりしていた。
他の飢餓戦線でも日本兵が食料の奪い合いで同士討ちする事例もあった。

そもそも、元凶は日本官僚!
皇軍なる亡国の徒は昭和大恐慌からの軍縮(行政リストラ)に反発して政治家を暗殺(5.15&2.26)。
既に時代遅れの帝国主義に着手。
恐慌克服のために朝鮮に続いて満州国なる植民地経営に乗り出す。
これが咎められて対米戦に発展するが、保身のために大陸から手を引けなくなっていた。
そうだろう、犬養や高橋など世界に通用する見識を殺して「俺たちに舵取りさせろ」と殺したんだから。
日本が奈落の底へ落ちる過程を昭和維新と言う。

うっかり者

しかし
滑稽だねー

粕谷真人

困ったことだが、今のサヨクが一番アメリカを手助けしている。
あえて、サヨクのホームページの一部を紹介。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/sitenlog/news050710.html
まあ、連中の視点は日本のことばかりで、アメリカ側の問題点は触れない。
米ソ冷戦中に、日本でサヨクがそれなりに支持されていたのは、日本がアメリカ側についていたため、保守はアメリカ批判は難しかったが、サヨクが代わりにアメリカ批判をやっている面があった。冷戦がアメリカの勝利に終わったので、サヨクは反日アジア(特定アジア)に存在意義を移したので、反日一辺倒になり、例をあげれば「沖縄の集団自決は軍令」というアホな主張もしている。これでは、日本人から見捨てられるわけである。最近の、右傾化の一因でもある。

あと、アメリカはまともな国なんですかね?あの国は、一言で言えば、「先住民族を虐殺してでっち上げた国」である。日本人に対する人種差別を公に認めれば、彼らの過去も追求されるので、アメリカは崩壊するだろう。

りょうこ

ありがとうございます。
夫に、是非読んで欲しくて読んでもらいました。他にもいっぱいありますが・・・

「日本人に対して、悔しくてどうしようもなかったんだろうね」と一言です。面持ちはつらそうでした。

その後の東京裁判とGHQですね。
結果は、今の売国議員と立て続けての売国法案、TV、マスコミとNHKと日教組などです。
先人様に対して、恥ずかしい思いです。

ねずきち様、御身手をお大事にして下さい。

おれんじ

何と言う残虐行為!
アメリカ人の残酷さ、その偽善さに激しい怒りを感じました。

彼らのレイシズム、残虐行為は完全に封印されている。そして日本軍は自国の市民を利用し残酷に戦わせたとされている。

私があの時サイパンにいたら、ためらうことなく崖から飛び込んだでしょう。

私達は真実を語り続けなければいけません。沖縄で最期まで戦ってくださった民間人のためにも。


硫黄島で最期まで戦ってくださった兵隊さんのためにも。

残酷な仕打ちで命を落とされた日本人捕虜の皆さんのためにも。

アメリカ人の行為はベトナム戦争でも全く変わっていません。恐ろしいと思いませんか?

貴重な資料の紹介、本当に有難うございました。

凄惨な事実、でも目をそむけてはいけませんね。

aq

南蛮人の意味は今も生きている。
貴重な記録の掲示に感謝!

折角の記録、気持ちが爆発しそうで今は途中までしか読めません。
「日付のある紙片」といい、白人達の偽善と横暴はまだまだ現在も続いてると実感。昔日の人々が、白人どもを南蛮人と呼んだのは、真に当意を得てると今更ながら思う。

no more NHK

日本人としての誇り
日本人としての誇り

ttp://blogs.yahoo.co.jp/xx_leon_xx77/47860708.html

素晴らしいフラッシュです。
少しでも多くの人に見てもらえるように願っています

愛信

あの鳩山さんのドッキリ発言第2弾
米国に核兵器の先制不使用を求める次期衆院選マニフェスト(政権公約)

戦争で攻撃は最大の防御である、その防御を禁止する反日売国政党の民主党政権公約
(マニフェスト)は日本列島は日本人だけの所有物でないと主張する
鳩山新代表と共に日本人社会の破戒と日本崩壊を企む危険なもの。

【新党勝手連の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr_ind.cgi

OOIDOYA

野口健氏の遺骨収集
http://www.noguchi-ken.com/message/b_num/2009/0331.html
「ヒマラヤで想った先の大戦」

 《私はこれまで登山家として世界各地の山々に登ってきた。1997年、世界最高峰エベレストに初めて挑戦した際に、登山隊が捨てていったごみが大量に捨てられていることを知った。1999年、3度目の挑戦でエベレストの登頂に成功して以来、2000年からはエベレストや富士山の清掃活動を主なフィールドワークとしてきた。ひょつとすれば今は登山家というよりも環境活動家というイメージの方が強いかも知れない。その私が今年から新たな活動を始めた。それは先の大戦でお亡くなりになられた方々のご遺骨を日本に送還するというものである。
まず初めに私がこの活動に携わるまでの経緯を記したい。》(長くなるので続きは直接読んでください)
 アルピニストの野口健氏のブログです。英霊のことを思って活動している人がいます。
 日本が常に勝者であったとしても、日露戦争や太平洋戦争は常に死闘でした。もし、あの時代の英霊達の骨を拾うという行為が日本人の再生につながるのなら幸いです。麻生閣下は確か硫黄島の遺骨を収集する予定ですよ。

椿

もしかして、スパイに妨害されてるの?
故か、何度も下の部分だけが文字化けしています。
これが、その文字化けしている部分の意味です。

●インドのパール博士が、戦後広島の原爆慰霊碑を訪れて、「過ちは犯しません」という碑文を見て、

●『これはアメリカのホワイトハウスに建てるべきだ。被害者がいくら平和を誓っても平和は来ない。加害者が反省しなければ、意味がない』と述べた話は有名ですが、

●もう一度、私達日本人は、このパール博士の言葉を振り返り、あの戦争で亡くなった(殺された?)、先人の尊い遺志を受け継いでいくべきでは?と思いました




椿

あまりにも文字化けをしてるので、もう一度・・・
くって、最後まで読めませんでした!
無念の極み”です。

日本国のみが、白人覇権の侵略に、
真正面から立ち向かったが為に、
白禍の猛威をモロに受け、戦後もとどまるところなく、あの手この手を使われて、日本の経済・金融・を骨抜きにし、文化侵略を図られています。

そして、白人の復讐の最たるものは、白人がアジア・アフリカで行ってきた“三悪”=「侵略国家」、「植民地支配」、「残虐性」を全て、戦後の日本に責任転嫁し、
それを歴史的事実として定着させたことです
!!

そのマインドコントロールの凄まじさは、オウムの麻原彰晃の比ではないです。

特にアメリカは、1989年に米植民地下のフィリピンに与えた憲法をそっくりそのまま、日本の憲法第九条に反映させています。
[太字]①戦争は一切禁止
②主人の米国には自衛の為の反逆も許さない


さらに“悪辣”なのが、
この憲法を日本国政府が“自ら作ったこと”にして、受け入れなければ、
これ以外に『天皇陛下の存在を許す方法はない』と脅しています。

いまや、大方の植民地国家が独立を果たした中にあって、いまだ完全独立を果たせない国が一つあります。それが『日本』です

日本が“最も強く白禍の禍を受けている事実”を認識し、アベコベの歴史観=(被害者=日本人、加害者=白人)事実に気づかない限り、未来永劫、侵略国家として『謝罪・賠償外交』をし続けねばならないでしょう。

私はそれが口惜しく、無念でなりません!!ご先祖様に対してひたすら申し訳なく、情けないです!

「侵略国家」という“汚名”を被せられただけでなく、あれだけの虐待・虐殺を受けてなお、日本を愛し、日本を守り、アジアの過酷な植民地支配と人種差別を撲滅しようと戦った、英霊方までも貶められている。

この汚名を晴らさないで、私は死んでも死にきれ!

インド博士が、戦後広島の霊碑を訪れて0000FF]過ちは犯しません[/色]」という碑文を見て、『これはアメリカのホワイトハウスに建てるべきだ。被害くら平和を誓っても平和は来ない。加害者が反省しなければ、意味がない[/色]』と述べた話は有名ですが、

度、私達日本人は、このパール博士の言葉を振り返り、あの戦争で亡くなった(殺され、先人の尊い遺志を受け継いでいくべきでは?と思
た[/[/色]



椿

『白禍の猛威』を満身創痍の日本が受けとめた!
、最後まで読めませんでした!
無念の極み”です。

日本国のみが、白人覇権の侵略に、
真正面から立ち向かったが為に、
白禍の猛威をモロに受け、戦後もとどまるところなく、あの手この手を使われて、日本の経済・金融・を骨抜きにし、文化侵略を図られています。

そして、白人の復讐の最たるものは、白人がアジア・アフリカで行ってきた“三悪”=「侵略国家」、「植民地支配」、「残虐性」を全て、戦後の日本に責任転嫁し、
それを歴史的事実として定着させたことです
!!

そのマインドコントロールの凄まじさは、オウムの麻原彰晃の比ではないです。

特にアメリカは、1989年に米植民地下のフィリピンに与えた憲法をそっくりそのまま、日本の憲法第九条に反映させています。
[太字]①戦争は一切禁止
②主人の米国には自衛の為の反逆も許さない


さらに“悪辣”なのが、
この憲法を日本国政府が“自ら作ったこと”にして、受け入れなければ、
これ以外に『天皇陛下の存在を許す方法はない』と脅しています。

いまや、大方の植民地国家が独立を果たした中にあって、いまだ完全独立を果たせない国が一つあります。それが『日本』です

日本が“最も強く白禍の禍を受けている事実”を認識し、アベコベの歴史観=(被害者=日本人、加害者=白人)事実に気づかない限り、未来永劫、侵略国家として『謝罪・賠償外交』をし続けねばならないでしょう。

私はそれが口惜しく、無念でなりません!!ご先祖様に対してひたすら申し訳なく、情けないです!

「侵略国家」という“字]”を被せられただけでなく、あれだけの虐待・虐殺を受けてなお、日本を愛し、日本を守り、アジアの過酷な植民地支配と人種差別を撲滅しようと戦った、英霊方までも貶められている。この汚名を晴らさないで、私は死ねませ

のパが、戦後広島の霊碑を訪れ:0000FF]過ちは犯しません[/色]」という碑文を見て、『00]これはアメリカのホワイトハウスに建て。被害者がいくら平和を誓っても平和は来ない。加害者が反省しなければ、意味がない[/色]』と述べた話は有名ですが度、私達日本人は、このパール博士の言葉を振り返り、あの戦争で亡くなされた?)、先人の尊い遺志を受け継いでいくべきでは?とた。[/色]


スピードスター

別の話ですいません!
圧倒的な人口に対して致命的に水資源が不足しているシナ(チャイナ)の企業が、水源を森林ごと買収しようと物色してまわっている動きについでみなさん、どう思われますか?どうしたら阻止できますか?

いの

No title


銃弾が飛び交かい、
時には銃剣での白兵戦となる戦場では、
戦場での心理になります。

日常ではない心理です。

ましては、相手は、サムライの国。
誇り高き戦士の国。
幕末の開国時の騒動で、
手違いで失態のあった当時の役人達が、切腹を粛々とする
する光景を見て、騒いでいた外国船乗り組みの名うての荒くれ水平たちが、
真っ青になって震えた話は、明治大正と語り継がれていったことでしょう。

ハラキリ…
サムライ ショウグン

片言の日本語が、畏怖とともに、語り継がれ、
外国の言語にいまも残っています。

そして、清という大国と戦って勝ったばかりか
最強と目される陸軍国のロシアと、
正面きって戦って撃破した国が日本です。

しかも奉天会戦は
1905年3月1日から3月10日にかけて行われた
日露戦争最後の会戦。奉天は、現在の東北区(満州)のシェンヤン(瀋陽)。

双方あわせて60万に及ぶ将兵が
18日間に渡って満州の荒野で激闘を繰り広げ、

 世界史上でも希に見る大規模な会戦 となった。
(wiki)

史上、最強のロシア陸軍の、
それも何十万単位で兵士と正面から戦って、
制したのが日本です。

世界史上でも希に見る大規模なこの会戦の戦闘で
実証されたことは、
日本兵が、史上、最強ということです。
最精鋭。
世界から畏怖される、伝説の存在となりました。

加えて、白人が主体のロシアを破ったのは、
アジアの黄色人種の国です。

そして、キリスト教徒主体のロシアに対して、
神道という聞いたこともない(未開の)宗教の国です。
(仏教は、廃仏毀釈により明治以降、押さえられていました)


サムライ…

ロシアを破った屈強な兵士たち。
(ナポレオンですらロシアに敗れています)

そして、黄色人種で、非キリスト教徒…。

大戦中の、日本兵の持つイメージは、
どれだけ、畏怖されていたか…

しかも、その日本兵が、
いま、目の前のジャングルに潜み、
時には地面に穴を掘って潜んでいるのです。

見えないところから、
襲い掛かられるかもしれないという恐怖。


ただでさえ、戦場は、怖ろしいところです。
前線では、目をおおう光景が繰り広げられ、そこいらに
手や足や指や血や内蔵が散っているかもしれません。
戦友の…。

そして、相手が伝説の日本兵。

戦場心理は、異様なものですが
日本兵に合い対する、アメリカ兵の心理は極度なものだったことでしょう。

しかし、恐怖に打ち負かされるごく一部の兵を除いて
戦意を奮い起こし、恐怖を押し殺します。
大きな恐怖や畏怖を相殺するには
異様に高まった戦意が必要です。

アメリカ兵が、
どれほど異様な戦意を持っていたことは、
クリント・イーストウッドにより映画化されましたが、
アメリカ兵側の硫黄島の戦いの作品の
「硫黄島の星条旗」(文春文庫)を見ると伝わってきます。

小隊に投げ込まれた手榴弾。
とっさに、手榴弾の上に覆いかぶさって
戦友を守ろうとした兵士が出てきます。
即死のはずが、
手足と内蔵の一部を失いながらも
後方に運ばれ、手術を受けて奇跡的に命をとりとめ、
勲章を受章していますが、
助けられた小隊の他の仲間達は、
その後の日本兵との戦闘でほとんどが命を落として行きます。

硫黄島の戦闘は、
アメリカ軍にとって悪夢のような戦闘でした。
6821名の戦死。
2万1865名の負傷。

計2万8686名の損害を受けた。
太平洋戦争後期の島嶼での戦闘において、
アメリカ軍地上部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が、
日本軍を上回った稀有な戦い。
(wiki)

上陸後わずか3日間にて 
当時のD-デイを含むアメリカ軍の各戦場での戦死傷者数を上回った。
2月23日に星条旗を摺鉢山に掲げた6名の海兵隊員のうち、
生きて故国の地を踏むことが出来たのは3名のみであった。
第3、第4、第5海兵師団は、
硫黄島の戦いで受けた痛手のために沖縄戦には参加できなかった。(wiki)


沖縄戦の前の戦場が、硫黄島でした。

硫黄島の戦闘の様子をを見たり、聞いたりした、
沖縄戦参加の、
沖縄に上陸するアメリカ兵たちは、
どういう心理状態になったでしょうか。


奮い起こされた異様に高い戦意は、異常行動を生みます。

 捕虜への残虐な行為。

 非戦闘員への残虐な行為。

そして、時には、遺体を毀損し、
金歯を抜き、記念に骨の一部や頭蓋骨を収集し故国に持ち帰る。
(映画プレデターの異星人に似てます)

戦後、何年もたって、感情が納まったあと、
それらの戦利品がどのように見えてでしょうか。
また、現在、当時の兵士は寿命を終えて、
遺産として相続された子供たちは、その収集品を受け継いで、
どう感じているでしょうか。

凄惨な沖縄戦の前に、
同じように凄惨な硫黄島戦がありました。
上陸後わずか3日間にて
当時のD-デイを含むアメリカ軍の各戦場での戦死傷者数を上回ったような
猛烈で過酷な激戦です。

相手は、伝説の日本兵。
硫黄島での戦いで、やはり日本兵は伝説どおりだったとなったことでしょう。
そして新たな伝説、
カミカゼ攻撃。
硫黄島では、航空機の体当たり攻撃で、
護衛空母が沈み、正規空母のサトラガが大破しています。
上陸しなくても、危ないのです。


多くの散華なされた、島々守備の日本兵たちと、
島民の沖縄などの人々のことを思うと、胸が熱くなります。
本州九州四国北海道の本土では、陸上戦はありませんでした。

また、それと同時に、
高校卒業、大学卒業のアメリカの若者たちが
故郷を離れ、太平洋の島々に立てこもる伝説の日本兵と
戦うために上陸し、海岸線の砂地に伏せ、
ジャングルの中に進出し、地表の穴という穴に注意を
払いながら、銃弾や白兵戦の中を
進んでいかねばならない部隊に配属されていたなら、
その心理は…と、お気の毒に思います。

まだ、ライオンやトラが相手で
ジャングルの闇を進むほうがましです。
相手は、史上最強と評判の、日本兵で、
日本兵の精強さは、硫黄島の戦いで、実証済みです。
一年前のノルマンディー上陸作戦 「D-DAY」でのドイツ兵よりも
はるかに怖ろしい相手と再確認できたのです。


アメリカ兵の戦場での残虐行為は、間違いなく、恥ずかしい行為です。

ただ、アメリカ兵の相手は、世界最強の戦士たち 日本兵でした。
そのときのアメリカ兵の恐怖の裏返しの
異様なまでの戦意、戦場心理を思うと・・・。
アメリカから出たことがない、
高校でたての20代の、童顔の者も混じる若者たち。


「硫黄島上で戦った人の間で、類稀な勇気は共通の美徳だった。」
  - チェスター・W・ニミッツ海軍大将
 (wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


ねずきちさんの記事に逆らう気持ちはありません。
「戦場での心理はただでさえ異常なものです。しかも相手が…」
と添えたかっただけです。




書いていて、憤慨しているのが
日本政府が、その後、島々で敢闘した日本兵に与えた名誉です。


まだ、硫黄島には、地中に、遺骨が何千、1万と眠っているそうです。
予算をかけて、硫黄島をすべて掘り返して、
遺骨を収集することを検討してほしいと思います。
他国の地雷を掘り返す 国際協力する日本なら
硫黄島で掘り返すべきと思います。
(広大な沖縄に比べて、硫黄島は狭いし、住民がいません)
それをしないなら、
大きな寺院を硫黄島に建立して、
仏教や神道など希望する宗派の僧侶であれば誰もが
供養できる場を作り、
年一回は、供養のために、各宗教から僧侶や神官や神父を出してもらって、
公的に、合同供養を追善してはどうかと思います。
硫黄島以外の南方や北方の島々に散った人々にも供養したらいいと思います。


敢闘した戦士たちへの敬意は、
忘れないでいることでしか、表せません。
人々の思いのなかに、生き続けることです。

その点で、日本政府は、
かなり、冷淡ではないかと憤慨した次第です。




アメリカのことは私は好きではありません。

しかし、アメリカという国が、
戦った兵士たち、亡くなった兵士たちに捧げる敬意と
戦士たちを忘れないで、
思いの中に生かしていこうとする取り組みは、
えらいと思います。

第二次世界大戦中にアメリカ海兵隊に与えられた
名誉勲章の4分の1以上が硫黄島侵攻部隊のために与えられた。

アメリカ海軍はいくつかの艦船に「イオー・ジマ」と命名している。

また、第二次世界大戦後に創設されたアメリカ海兵隊記念日は
擂鉢山に星条旗を立てた日であった。

アーリントン国立墓地の近くに位置するアメリカ海兵隊戦争記念碑は、
硫黄島の戦いで掲げられた星条旗をかたどったものである。
 
(いずれもwikiより)


戦闘が終わったあと、
敢闘した兵士たちに捧げ続ける敬意は、
人間の尊厳を尊重する文明国の証しと思います。

日本政府は、
沖縄とともに、硫黄島その他の守備で
救援や増援や撤退経路なく、勇敢に戦て散った兵士たちに
定例で、なにかしら、
行事なり、工夫なりを組むべきではないかと思います。

「靖国」などは当然です。
もっと、篤く、考えるべきと思います。

海上自衛隊の艦艇の命名には
気象や古来の国名や地形名がつく伝統なのでしょうが、
1艦や2艦、
先の大戦での敢闘を讃えて
(供養する気持ちを込めて)
「硫黄島」とか「沖縄」と命名するような発想があって
よいかもしれないです。

ネット世界では、リンクとかタグの語句が機能しますが、
日常空間でも、どこかたとえば行事名や艦艇名に、
たとえば「硫黄島」というタグを埋め込んでおいて、
(「沖縄」では反対もあるでしょうから)
後世の日本の子孫が忘れ去らないようにするといいなぁ
と思ったりしました。

ちなみに、中学生の歴史の教科書に、
硫黄島の記述は1行や数語でも、言及があるのでしょうか。
中間テストには、「硫黄島」の名前が出題されたり
地図中から、位置を選ぶ問題が出たりするのでしょうか。
どうなのでしょうか。
 「忘れまい」という、
敬意の発露が持ち続けられるような
努力や取り組みが、日本ではなされているのでしょうか。
これからの課題かと、思います。

「靖国」は、当然であって、最低限のことです。
もう一歩、もう二歩、踏み込んだ発想や取り組みが必要な時期が
来ているのではないでしょうか。

遺骨収集団や、慰霊団のかたがたは、
もう高齢のかたがたばかりとなり、
数もぐっと減ってきています。
もう10年もしたら、ほぼ全員、帰天されておられることと思います。

敬意の伝承、供養する気持ちの伝承を後代にするには
もう10年ぐらいしか、時間は残されていないと思いました。


クリント・イーストウッドが2006年に
日本側から『硫黄島からの手紙』を、
また、アメリカ側から 『父親たちの星条旗』を映画化しました。

我が家では、小学生高学年になった息子たちを、
『硫黄島からの手紙』を見るために、映画館に連れて行きました。
息子たちは、よくわからなかったと言っていました。(笑)

それでいいと思っています。
大人になってから、思い出すかもしれない、タグを
埋め込んだのです。
これが、ささやかながら、我が家での後代への伝承です。 
何かの折に関心が湧いて硫黄島を調べれば、大戦全体を調べることに
つながるかもしれないと期待しています。


ねずきちさん
素晴らしい記事、
いつもありがとうございます。

読ませていただいて、つい発奮して
長いコメントになってしまいました。

かぐやひめ

祖先に恥じないようでありたい
戦さが、あまりにも凄惨だったから、
沖縄に限らず、町や村でも民間人が一晩で何万人も殺され、すべてが焼き尽くされたから
目撃した人々は、わめきたてるかわりに胸の内に収めた。

それは、阪神淡路大震災でがれきになった町でおびただしい「死」と取り返しのつかない「人生の破たん」を、目撃した人々が、15年たった今でも「震災の話をしない」のに似ている。

それと、大義のための戦であればこそ、「本来禁じられている殺生」を、せざるをえなかったことへの自責・・・敵は1000悪くて、こちらは10悪いにせよ、こちらにも「悪」があったことへの悼みを感じる日本民族だから、

語らないできた祖先たち。自分たちにとっては語るまでもない周知のことだからと、油断している間に、日教組が、まったく違う物語りを作り孫たちを洗脳していた。

沖縄は、そのうえ、長らくアメリカ領だった・・・沖縄生まれの友人は日教組に招かれ語り部として「日本軍の悪行」を、得意になって学童相手に話している。

しかし、戦後10年もして生まれた彼女が真実を知っているだろうか・・・沖縄の悲劇は、「戦そのもの」と、戦後の「嘘偽情報」の二本立てだ。

さらに、大義によって敗北した「悪」は、完膚なきまでに日本をたたきつぶそうと、決してその手をゆるめていない。

日本の強さ、日本の大義、それらを、培った社会土壌、文化のすべてを、破壊するために、マスコミを使い、政治社会制度すべての分野で作業を続けている。

もちろん日本を最強ならしめた「官僚制度=645年の大化の改新から続いている律令制度の継続」を破壊すべく1000年以上続いた「大蔵省」という名前を消滅させた。
10年ばかり前から、「ノーパンシャブシャブ」など、一連のマスコミによる省庁叩きがあったが、まさか、あれを偶然だなどと・・・思いませんよね?

社会のシステムへの破壊は、第一に「個人情報保護法」なるもので、お互いの連絡がとりにくくなるという「人と人との連帯の破壊」がすすんでいる。

「個の尊重」「個性重視」という一見美しい掛け声で、どれだけ社会が崩されてきたかわからない。
これは、また「常識」「共通認識」を、破壊し、「自分が殺したいから殺した」という幼い殺人者を止める理念をさえ失わせた。

かつて、日本社会にあたりまえとしてあった「年長者を敬う」「伝統を守る」姿勢が、崩れた。その原因には就労形態、転勤、住居の形態など社会基盤が変化したこともあげられる。

しかし、もっともっと大きな背景の中に「おそるべし日本」を破壊しようとする意図が潜んでいる気がしてならない。

もちろんウーマンリブに始まる「男女共同参画社会」にも、何世紀も続いた家族の在り方を破壊させ、文化の最初の一歩である男と女(陽と陰)のバランスの破壊がある。

現代社会の落ち着きのなさの原因は「陰陽」が、そのところを得ない、陰陽のバランスの悪さにあると思う。

日本社会の見えない文化に、教義化されない「人の道」としての神道、罪と罰を律する「仏教」、そして、さらに見えない「陰陽道」がある・・・なぜ、襖は左側が前になるのか・・・日常に浸透しきった文化だ。

私たち自身が認識していない文化の姿を、「悪」は研究しつくし破壊させようと、時間をかけて、波のようにくりかえし襲いかかっている。

裁判員制度など「自ら省みれば、他を裁くことはできない」という奥ゆかしい日本を破壊し、なんでもかんでも訴訟に訴え争わそうとする不快なたくらみにしか思えない。

それが、あらゆるところにまき散らされている。

それでも、私は知っている。「自虐史観」が一番はなばなしく教えられていたころの中学生が「特攻服」を着て、木刀に難しい漢字を彫りならべ、バイクで走り回ったことを。

なお、私は知っている「新しい歴史教科書をつくる会」の集まりには高齢者より、若い世代の方が多いことを。

歴史は「善と悪との戦い」であり続けたし、これから先も、どちらかだけが勝つことはありえない。
人は、目の前に繰り広げられる戦いで、自分はどちらに味方するのかと、問われ続けて一生を終える。

今、これほどの勢いで悪が燃え盛っている時代だから、
私は、なおさら、祖先に恥じないようでありたい。

一隅を照らし、一隅を守る。

「さすが、私の孫。よくがんばった!」
孫が多すぎて、私の名前さえ覚えきれなかった祖父だけれど、いつも、尊敬する祖父。
くじけそうになる時、いつも、思い出す。
あの世に行く時には「よくがんばった」と、祖父に抱きとめられたい。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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