外国かぶれ



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 どんなに素晴らしい兵法であったとしても、自分の国の国情や民意に沿ったものでなければ、実際には使えない。単に外国かぶれしただけの理論では、実際の経営には何の役にも立たないことは、戦後に導入された様々な経営学が、実際にそれを証明しています。
 日本の社会は、万年の単位で熟成された日本人としての文化の上に成り立っています。その日本人としての文化を考えず、まったく根底にある流れの異なる外国の手段方法を、そのまま日本に適用しようとしたところで、うまくいくはずはないのです。
 そういうことを、昔の人は「付け焼き刃」と言いました。「付け焼き刃」は、もろいのです。すぐに壊れて使い物にならなくなる。
 あるいは「外国かぶれ」と言いました。「外国かぶれ」するとどういう人物になるかは、ある程度の年齢の方なら、『おそ松くん』に出てくるイヤミです。「シェー」です。お若い方なら『鬼滅の刃』の鬼たちがそれです。
 『鬼滅』に出てくる鬼たちは、いろいろな事情があったとはいえ、結果として自分の欲望だけに忠実になってしまった究極の個人主義者たちです。ところがそんな究極の個人主義を実現した鬼たちは、同時に鬼舞辻󠄀無惨(きぶつじむざん)なる、より強力な鬼に完全に支配されています。結局、個人主義を突き詰めれば、自分が他人に迷惑を掛ける鬼になるだけでなく、より強力な鬼によって自分が支配されてしまうのです。
 日本人は、自由です。自由だから互いを思いやる心が生まれ、育まれるのです。

20180122 林羅山
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「かぶれ」というのは、接触皮膚炎のことです。
接触した部分の皮膚に、激しいかゆみ、赤み、水ぶくれ、腫れなどの症状が現れます。
悪化すると症状の範囲が広がり、周りの肌にまで影響を及ぼします。
治療はとても時間がかかり、だいたい接触してから治療を開始するまでの期間と、治療を開始してから完治するまでの期間が同じだと言われています。
それでも、治療後には色素沈着などの痕(あと)が残ります。

「外国かぶれ」という言葉があります。
疾病の「かぶれ」と同様に、外国の文化などに接触することで、なんでもかんでも外国のものが素晴らしいと思い込み、悪化すると、それにのめりこみ、周囲にまで影響を及ぼします。
これまた治療にはたいへんな時間がかかりますが、完治後も、その影響が残ります。

疾病の「かぶれ」も、「外国かぶれ」も、人に害をなすものです。
どんなに素晴らしい兵法であったとしても、自分の国の国情や民意に沿ったものでなければ、実際には使えないものです。

経営も同じで、単に外国かぶれしただけの猿真似理論では、実際の経営には何の役にも立たないことは、戦後に導入された様々な経営学が、これを証明しています。
優秀な大学を出たエリートが、外国の経営学を学び、それが素晴らしいと履き違えて、そのまま日本や自社に導入しようとする。
結果は、たいてい失敗します。
それが経営トップであったりすると、会社自体が傾きます。

某大手有名企業は、完全日本型経営によって、親父さんひとりで、町の小さな家具屋さんから、一部上場の大企業に発展した会社です。
お金持ちになった親父さんは、かわいい我が子を米国に留学させ、米国式の経営哲学をガッチリと学ばせました。
そしてその子を、会社のトップに据えました。
ところがその結果がどうなったかは、皆様御存知の通りです。

その子の資質の問題ではないのです。
根本のところで、「外国かぶれ」という病に感染してしまっていたのです。
米国式経営は、米国の歴史伝統文化の中で、米国人的思考回路に基づく米国民にとって都合が良いように発展してきたものです。
我が国とは、国の成り立ちも、民衆の思考回路も異なるのです。

これは、アメリカンフットボールのルールと選手強化法を用いて、柔道を学ばせるようなものです。
柔道の試合で、もしかするとタックルは有効かもしれませんが、柔道の原則に反します。
なぜなら柔道は、相手を投げたり倒したりする際に、相手に怪我をさせないように、相手の頭部を保護するように投げるし、身体も怪我がないように、ちゃんと受け身を身につけるのです。
アメリカンフットボールは大好きなスポーツですが、アメリカンフットボールのルールや練習に、そんな頭部保護や受け身はありません。
その頭部保護や受け身の代わりに、防具を付けて行うのがアメリカンフットボールです。

要するに、アメリカンフットボールが素晴らしいからといって、日本の柔道や剣道に、そのルールを適用しようとしても、うまく行かなくて当然なのです。
強引に適用したとしても、それは付け焼き刃にしかなりません。

近年、夫婦別姓などといった議論が盛んですが、単にアメリカやフランスやドイツ、イギリスがそうだから、日本も、という、きわめてくだらない議論です。
我が国の歴史伝統文化、そしてこれからの未来の日本の庶民を、どのような人々にしていこうとするのか、そういった根本概念がなくて、ただ、表面的な猿真似をしようとする。
それはただの「かぶれ」であって、良い結果を生むことはないし、必ず後に禍根を残すことになります。

昌平黌(しょうへいこう)といえば、江戸時代の東大の前身校ですが、その昌平黌で幕末頃に塾長を勤めたのが佐藤一斎(さとういっさい)です。
この佐藤一斎が、後半生の四十余年にわたり記した随想録に「言志四録(げんししろく)」という書があります。
幕末頃に指導者のための指針書とされた本で、西郷隆盛の終生の愛読書にもなった本であり、また2001年(平成13年)5月に時の総理であった小泉純一郎氏が、衆議院「教育関連法案」審議中に、言志四録からの言葉を引用したことでも有名になりました。

このとき引用された言葉が次のものです。

 少くして學べば、則ち壮にして為すことあり
 壮にして學べば、則ち老いて衰えず
 老いて學べば、則ち死して朽ちず

そのまま現代語に訳すと、
 青少年が學べば、壮年になって為すことが見えてくる
 壮年が學べば、老年になって気力が衰えなくなる
 老年が學べば、死んでもその魂が生きる。

このようになるのですが、ここに「學ぶ」という字が出てきます。
このブログで再三述べているように、「學」という字の現代人の語感と、当時の語感は異なります。
「學」という字は、当用漢字では「学」と書きますが、実は「學」と「学」では、まなぶ主体が逆転してしまうのです。

過去記事の繰り返しになりますが、旧字の「學」は、複数の大人たちがひとりの子供を一人前にするために引き上げることの象形文字です。
つまり教える側の大人たちが主体であって、教わる子供達は客体になります。
別な言い方をするなら、大人たちが能動的に働きかける側で、子供はそれを受ける受動体です。

ところが戦後教育では「学」と教えます。
「學」が「学」になると、子供がまなぶところ、という意味になります。
あくまで子供が主体ですから、教える側は、これを受けるだけです。
従って、教わる子供が主体、教える大人が客体です。
別な言い方なら、子供が能動的に学ぶのであって、大人たちはその子供達の意向を受け入れる受動体になります。

つまり「學」と「学」では主客転倒してしまうのです。
ですから「学」なら、いくら大人たちが子供に勉強させたくても、子供にその気がなければ、その時点で学校教育は成り立ちません。
このことは、そのまま現代敎育が抱える問題点となっています。

こうしたことを、しっかりと踏まえて歴史を見ないと、履き違えが起こります。
これは、「現代かぶれ」とでも言えるものかもしれません。
すべてを現代の価値観で捉えようとすると、必ず解釈を間違えます。

ここに述べられているのは、本当は、次のような意味なのです。
あくまで教える側が主体です。

 青少年時代を大人たちがしっかりと鍛え上げれば、
 その青少年たちは、
 壮年に達したときに
 為すべきことをしっかりと為すことができるようになる。

 壮年を老壮たちがしっかりと鍛え上げれば、
 その壮年は老いても尚衰えることはない。

そして、老境に至った者を學ばせるのは、すなわち神々ですから、
 老境に至った者を神々がしっかり鍛え上げれば、
 その老人の魂は、死んでも朽ちることがない。

と、このような意味になるわけです。
もっといえば、老境に至れば、神々の御威光御意志をしっかりと受け止めていく努力をすることが大切だというのです。

ここでいう神々というのは、偉大なご先祖たちといった語感もあるのですが、要するに、年をとってまだ俗世にまみれて銭勘定ばかりしているようでは、駄目だというのです。
自分の人生を振り返り、世のため人のために人生最後のお勤めをいかに果たしていくか。
それは、先祖代々の仏様や、それよりもずっと昔の神々の築いた哲学をしっかりと魂に刻んでいく。
そうすることではじめて、人の魂は朽ちることなく永遠の存在になるのだと、説いているのです。

これは、年をとっても勉強したら(学んだら)、死んでも朽ちない財が残るという意味とは、まったく異なるものなのです。

その佐藤一斎は、一般には儒者であると言われています。
ところが昌平黌で教える儒学は、単なるChina産の儒教とは、実はまったく異なるものです。

なぜそのように言えるかといえば、昌平黌の創業者が林羅山(はやしらざん)だからです。
林羅山は、儒者は儒者でも、国学と儒学の合一を図った人物です。
もっというなら、国学を語るに際して儒学を用いた人物です。
林羅山が生きた当時、国内にいわゆる儒者は数え切れないほどいましたが、わずか23歳の林羅山が、これから國造りをしようとする家康に気に入られて、幕府御用達の学者として5000坪の土地を与えられて塾をひらくだけの援助を受けることができたのは、まさに、羅山の説く學問が、日本そのものを儒教を借りて説くものであったからです。
繰り返しますが、ただの儒者なら、他にいくらでもいたのです。

林羅山同様、国学と儒学を結びつけた学者に山崎闇斎(やまざきあんさい)がいます。
山崎闇斎も、儒教と神道を重ねた学者ですが、この闇斎がある日、弟子達を前に問いを投げかけています。
「方々、今、Chinaが孔子をもって大将とし、
 孟子を副将となして数万騎を率いて
 我が国に攻め込んできたら、
 我が党の孔孟の教えを学ぶ者は、
 これをいかにするか」

日頃から孔子や孟子を聖人としてその教えを學ぶ弟子たちは答えられません。
ついに、「願わくば、その答えを教えてください」と言いました。

すると闇斎は、
「不幸にして、
 もしかくのごとき厄災に遭ったなら、
 すなわち我が党は、
 身に鎧をまとい、
 手に槍刀を持って
 彼らと一戦し、
 孔孟を捕らえて
 国恩に報ぜん。
 これこそがすなわり孔孟の道である」

要するに、學ぶということは、ただ教えをそのまま受け止めるだけでは、ならないというのです。
何のために學ぶのか。
それは国を護る人を育てるためなのです。
表面だけを見ていたら、そこがわからなくなる。

ですから羅山や闇斎が、国学を儒学の基盤に置いたのは、ある意味、当然のことであったといえます。
言葉の意味を取り違えると、往々にしてそれがわからない。
ただ単に外国のものにかぶれてしまう。
それは決して良い結果を生みません。

そうそう。最後に。
先日「昌平黌が正式名称」と書いたときに、「江戸時代の生徒たちの書簡を見ると、昌平坂学問所と書いてある。だから昌平黌というのは間違っているのではないか」という人がいました。
あのね、どんなに偉い人でも、自分のことを拙者というでしょう?
自分で書いた原稿なら拙稿です。
拙(つたない、まずい)者、拙(つたない、まずい)原稿って意味です。
自分に自信があったとしても、自己を誇らないというのが、日本人の普通の意識です。

前にも書きましたが、昌平黌というのは、「光り輝く太陽の光を公平に注がせるために金の卵といえる優秀な人材を育てる學校」という意味です。
「黌」は、金の卵といえる優秀な若者という意味です。
自分の通う學校を、「昌平黌」だなんて、普通の神経をしていたら言えるものではないです。
だから遠慮して「学問所」って書いているです。
日本人として、日本人らしい常識を持っていただきたいと思います。


※この記事は2018年1月の記事を大幅にリニューアルしたものです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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