この事実は、米軍の間に、衝撃とともに伝えられました。 そして米軍の間に、「日本剣道は、失うにはあまりにももったいない」という機運をもたらしました。 そしてそのことが、後年、日本武道の復活となって、いまの剣道の存続につながります。
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国井善弥

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 戦後の一時期、GHQは、柔道や剣道、弓道などを全面的に禁止しました。
理由は、それらが日本精神を形づくるものだから、です。
この政策は、「3R,5D,3S」というGHQの基本方針に依拠しました。
「3R」=Revenge, Reform, Revive
「5D」=Disarmament, Demilitalization, Decentralization, Democracy, Deindustrialization.
「3S」=Sports, Sex, Screen
つまり、
「3R」
復讐(Revenge)の念をもって
日本を改造(Reform)し、
日本を米国の属国として復活(Revive)させる。
「5D」
武装解除(Disarmament)させ、
以後武装させず(Demilitalization)、
財閥を解体し(Decentralization)、
民主化を促進し(Democracy)
非工業化(Deindustrialization)を促進する。
そして民衆の抵抗を削ぐため、
「3S」
スポーツ(Sports)を奨励し、
セックス(Sex)を解放してみだらな風潮を促進し、
映画(Screen)を振興する。
要するにしっかり者の日本を解体し、スポーツ観戦に熱狂し、セックスに耽って、テレビばかりみていて親子の対話のない日本にしちまえ!という、政策ですから無茶な話です。
武道は、英語ではマーシャル・アーツ(Martial Arts)です。
当然GHQの武装解除項目に当てはまる。だから、終戦から3カ月目には廃止命令が出されています。
ちょっと脱線しますが、ちなみに「非工業化」については、朝鮮戦争の勃発で、物資の補給のために日本の工業力の再生が必要となったため軌道修正されました。
でも当時の日本の輸出用工業製品には、いまのような Made in Japan の刻印はありません。
代わりに Made in Occupied Japan(占領された日本製)と刻印されていました。
終戦の年の昭和20(1945)年11月6日には、GHQは学校の剣道を禁止し、翌年には、社会体育の剣道も禁止し、剣道関係者1300余名も公職追放されました。
町道場ですら、剣道を教えているとGHQにひっぱられました。
ひとりでこっそり稽古していても、GHQに見つかると、逮捕されました。
いくら No. No !! It is not military training , but it is Japanese culture !! などと言っても受け付けてもらえません。
やむをえず剣道界は、防具をフェンシングの防具そっくりに改良(?)し、竹刀も竹を細く細かく割ったものを用いて、フェンシングルールに、面、胴、小手を加えて、しない競技(撓協議)というスポーツを考案します。
竹刀も、いまのような竹を縦に4つに割ったものではありません。
8つに割った。
するとどうなるかというと、当たってもぜんぜん痛くない。
そのかわり、竹刀がすぐにバラバラになってしまうので、剣の部分に柔らかい白い布を巻きました。
試合では、打ち込みの鋭さなどはいっさい問題にしません。
制限時間内に、小手や面に、竹刀が何回当たったかの回数で、勝負が決まる。
それは、ほんとに苦肉の生き残り策でした。
それでも、練習や試合中に、打ちこみで声を出すことは禁止されました。
声を出すのは、日本兵の突撃をイメージするからなのだそうです。
だから終始、無言で稽古しました。
そんな中で、なんとかして剣道を復活させようとしてGHQと交渉を重ねた国会議員がいました。
笹森順造といいます。
笹森順造は、青森県弘前藩士の出のキリスト教徒で、青学の学長も勤めた人です。
戦後の片山内閣では、復員庁総裁、賠償庁長官などを歴任し、ソ連抑留者の早期返還に努力しています。
そして自身、小野派一刀流剣術宗家の剣の使い手です。
彼は、幾度となくGHQに掛け合いました。
なんとしても剣道の復活を期そうとしたのです。
「剣道は相手に怪我をさせるとか殺すための武道ではない。
一瞬にして相手に最小限のダメージを与え、
しかも自分が悪かったと悟らせる。
それが、剣道です」と笹森は主張しました。
「そんなことはない。武道は闘いに勝つためのものだ。
Martial Arts(軍事武道)だ。
危険なものだ。」とGHQは反論しました。
「それは違う! 断じて違う」
では、なにが違うのか、証明して見せろ!ということになりました。
単に勝つだけではない。相手を懲らしめ、悔い改めさせるものだ。神の教えにも通じるそんなことが現実にできるのか証明してみせろ、というわけです。
相手には、米海兵隊にいる、めちゃくちゃ強い銃剣術の先生が選ばれました。
かつてその先生に、誰も勝てた者はいない。
その者と、実際に日本の剣道家を戦わせ、いかにして悔い改めさせようと言うのか、実践してみせろ、となったのです。
ただし条件があります。
米海兵隊の教官は、本物の剣を用いた銃剣を使います。
もちろん対戦相手の日本人は、殺して構わない。
日本側は、上にご紹介した竹刀競技用の柔らかな竹にやさしく布を巻いたものを使う。
防具は着けさせない。
「それでも良いか?」というGHQに、笹森は、もちろんOKだと答えます。
日本側が負けたら、もはや剣道復活の見込みはありません。
試合は、日本武道の誇りと名誉がかかった一戦です。
絶対に勝たなければならない。
相手の米海兵隊銃剣術教官は、銃、銃剣、徒手での格闘のすべてに通じた、海兵隊最強の男です。
ガタイも大きい。
喧嘩でも試合でも、これまで負けたことは一度もないという猛者です。
当然、対戦する日本側も、剣術だけでなく、徒手でも強いことが求められます。
この勝負、受けて立つに、誰かいるか・・・
真剣になって考えた笹森の頭の中に、ひとりの武道家が浮かびます。
それが、國井善弥師範でした。
國井善弥は、鹿島神流(かしましんりゅう)の使い手です。
鹿島神流とは、茨城県鹿嶋市にある鹿島神社に古くから伝わる「鹿島の太刀」を元とした古武術流派で、剣術と柔術を中心に、抜刀術、薙刀術、棒術、杖術、槍術、手裏剣術を扱います。
防御と攻撃は常に同時に行なわれ、剣は振りかぶらず一挙動に打つという特徴があります。
國井善弥は、その宗家18代目で、実戦の大家です。
これまでに、たくさんの腕に覚えのある武道家から他流試合を求められ、一度たりとも負けたことがない。
武器を持たない柔道家や空手家、鎖鎌、大薙刀、棒術等の達人から、相手が望む通りの条件で試合を受け、全部勝っていました。
世間は、その圧倒的な実力から「今武蔵」(昭和の宮本武蔵という意味)と呼んでいました。
笹森は、國井善弥に、GHQ海兵隊教官との試合を依頼します。
負ければ、國井はその場で命を失います。
そして日本武道も、完全に破壊される。
これはたいへんな仕事です。
しかし、依頼を受けた國井は、二つ返事でこの試合を請けました。
いよいよ試合当日がやってきました。
國井が試合場にやってきます。
なんの緊張感もありません。
まるっきり普段通りです。
衣服は、白の練習着です。
米国の教官が、本物の銃剣を手にしました。
國井が、やわらかな竹刀を手にしました。
そして両者が、中央に歩み出ました。
相手の海兵隊教官は、大柄です。
手にしている銃剣も、通常のものより長くて大きい。
試合場は緊張に包まれました。
二人は、約3mの間合いをとって、相対しました。
國井が、礼をして、竹刀を中段に構えようとした、そのとき、米教官は、銃剣を國井ののど元に向かって鋭く突きだしてきました。
國井は、半歩さがってこの攻撃をかわしました。
米教官は、そのまま突進を続けながら、銃剣を回転させて、國井の即頭部めがけて銃底を打ちつけようとしました。
普通ならこれはかわせない攻撃です。
カタイ銃底での即頭部殴打です。
当たれば即死です。
ところがその瞬間、國井は半歩前進して銃底をかわしながら、米教官の後頭部にやわらかく竹刀を当てると、そのまま教官の突進する力を利用して、教官を床に倒しました。
教官が四つん這いになって床に手をつきます。
國井は、そのまま教官の後頭部を、竹刀で押さえました。
四つん這いになって、上から頭を体の内側に押さえつけられると、人間は身動きができません。
「勝負あった!」
すべてが一瞬の出来事でした。
米教官は、素直に負けを認めました。
國井は、いっさい相手と剣先を合わすことなく、敵を見事に制しました。
それは、圧倒的な実力差でした。
そして、剣道は、相手に怪我をさせたり殺害したりするものでなく、相手を制するものであるということも、立派に証明して見せたのです。
しかも國井は、相手と一太刀も合わせていない。
この事実は、米軍の間に、衝撃とともに伝えられました。
そして米軍の間に、「日本剣道は、失うにはあまりにももったいない」という機運をもたらしました。
そしてそのことが、後年、日本武道の復活となって、いまの剣道の存続につながります。
ちなみに國井善弥は、道場に入門したての頃、先生からよく
「ナニを持って来い、ナニもついでに」と指示されたそうです。
「ナニ」と言われても、それが何かはわかりません。
しかしこれは「相手の思っているところを察知する心眼獲得のための修業」だったのだそうです。
先生の指示は、次第に「ナニをナニして、ナニをナニナニ」と、まさに暗号のようなものになっていったそうですが、國井は、かなりの確率で師の意思を掴むことができるようになったといいます。
そしてこの修業が、立会いで相手の動きを事前に読みきる能力に活かされたといいます。
この試合でも、國井は、相手の銃剣の先生の動きを事前に読んで、体の動きを捌き、相手を制しています。
こういう動きは、長年の鍛錬の賜物です。
おもしろいもので、日本古来の武道の、上級の練達者に倒されると、倒された側は、まったくと言ってよいほど、痛みを感じません。
むしろ、倒れて抑え込まれていても、
「あれ?俺はどうして倒れているのだろう?
あれ?俺はどうして身動きができないのだろう?」
と、キョトンとした状態になります。
まさに柔よく剛を制すですが、相手が力が強く、攻撃の勢いが強ければ強いほど、簡単に相手が倒されてしまいます。
まさに日本武道、恐るべしです。
國井善弥のこの試合は、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いになぞらえて、昭和の巌流島と呼ばれました。
これも、忘れてはならない日本の歴史のヒトコマだと思います。
GHQから武道を守った男⁉︎ 昭和の武蔵 国井善弥
※この記事は2010年2月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
Toshiro Akizuki
2022/02/07 URL 編集
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2022/02/05 編集