他人様がどうのこうのではない。 自分で自分を律して、生涯をまっとうする。 それしかできないのだから、そのように生きる。 それが、霊(ひ)に正直に生きるということです。
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 昔からよく言われる言葉に、
「体斜めなら、影斜めなり」
という言葉があります。
これはとても重要な言葉で、自分ではまっすぐのつもりでいても、知らず識らずのうちに曲がり、ゆがんでしまっているということは、よくあるものです。
先日、ある方から聞いたのですが、新入社員の面接をした際に、やってきた若者に前職を訊ねると、
「はい。オレオレ詐欺やってました」と、実にあっけらかんと答えたのだとか。
本人は、儲かりさえすれば何をやっても良いくらいに思っていたようだけれど、それが実は間違ったことなのだということが、わかっていない。だからなんの罪悪感もない。
現代刑法というのは、責任性といって、本人に罪の意識がない場合、その責任を追求できない仕組みになっています。
責任の自覚がないのです。
ならば、罪に問うことさえもできない。
そうなると、なまじ責任感など持たない方が、人生を有利に過ごすことができるようになるわけで、そういうこと自体が、明治以降に日本に入ってきた西洋的法理論の大欠陥といえるのですが、それはそれで深い話になるので、また別の機会に。
日本では、霊(ひ)が本体であって、肉体は乗り物にすぎないわけですから、その霊(ひ)が真っ直ぐに生きているかどうか。歪みがないかどうか。
そこらへんは、子供なら、親がしっかり監督してくれるのかもしれないけれど、社会人になったら、自分で自分を律する以外にありません。
やっかいなのは、ゆがんでいるかどうかは、なかなか本人に自覚できないこと。
あたりまえです。
自覚できるくらいなら、とっくに直している。
ということは、人生におけるひとつの課題が、
「どうすれば自分を常にまっすぐにしておくことができるか」
ということにある、ということです。
自分では歪みを自覚できない。
いい歳をした大人であれば、周囲が、「ゆがんでまっせ」と教えてくれることもない。
自分でいつも意識しているのが、ここで、だから自分に歪みがあるかどうかのバロメーターを、世間の目に置くようにしています。
つまり、やっていることが正しい方向なら、たとえば動画の再生回数は自然とあがるし、間違っているなら、さがってくる。
ただしいことをしていれば、自然と、出会うべき人に出会えるし、目の前に道が開けてくる。
間違っていれば、自然と世間が狭くなる。
この活動をはじめて、14年になりますが、だから自分ではこれまで、「自分から売り込む」ということをいっさいやらずにやってきました。
なぜなら、自分から売り込んだら、自分の行動の歪みが欲にかられて見えなくなるからです。
変な話ですが、おかげさまで、まるで仙人みたいになってきてしまったような自覚があります。
要は、他人様がどうのこうのではない。
自分で自分を律して、生涯をまっとうする。
それしかできないのだから、そのように生きる。
それが、霊(ひ)に正直に生きるということなのではないかという気がします。
お読みいただき、ありがとうございました。
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