◯次回の倭塾は3月13日(日)13時半から富岡八幡宮・婚儀殿2Fです。 https://www.facebook.com/events/639471680664806治(し)らす社会の中で、高度な文化を歩んできた日本人が、気がつけば身なりが良いだけの「のっぺらぼう」になってしまっているのではないか。 「狢」の物語は、そんな日本人への警鐘であったのではないかと思います。
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画像出所=https://www.kinnohoshi.co.jp/search/info.php?isbn=9784323072647
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 小泉八雲の「むじな」
小泉八雲といえば、有名なのが「耳なし芳一」「むじな」「ろくろ首」「雪女」等々の作品があります。
これらのお話は、「怪談」という本にまとめられ、流暢な文章に載せて全世界に紹介されました。
小泉八雲は、ギリシャ生まれのアイルランド人作家です。
彼は、深く日本を愛し、日本人の持つ深い精神性を持った民話を、英文の小説にまとめて、ついには日本に帰化して日本人となった方です。
その小泉八雲の「狢(むじな)(むじな)」は、顔のない「のっぺらぼう」が人を驚かす怪談です。
青空文庫から引用してみたいと思います。
短編で、1600字ほどです。
***
■青空文庫「狢(むじな)」https://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/42928_15332.html東京の、赤坂への道に紀国坂という坂道がある・・・これは紀伊の国の坂という意である。
何故それが紀伊の国の坂と呼ばれているのか、それは私の知らない事である。
この坂の一方の側には昔からの深い極わめて広い濠ほりがあって、それに添って高い緑の堤が高く立ち、その上が庭地になっている・・・道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている。
街灯、人力車の時代以前にあっては、その辺は夜暗くなると非常に寂しかった。
ためにおそく通る徒歩者は、日没後に、ひとりでこの紀国坂を登るよりは、むしろ幾里も回り道をしたものである。
これは皆、その辺をよく歩いた狢(むじな)のためである。
狢(むじな)を見た最後の人は、約三十年前に死んだ京橋方面の、年とった商人であった。
当人の語った話というのはこうである・・・
この商人がある晩おそく紀国坂を急いで登って行くと、ただひとり濠(ほり)の縁)ふち)にかがんで、ひどく泣いている女を見た。
身を投げるのではないかと心配して、商人は足をとどめ、自分の力に及ぶだけの助力、もしくは慰藉(いしゃ)を与えようとした。
女は華奢な上品な人らしく、服装みなりも綺麗であったし、それから髪は良家の若い娘のそれのように結ばれていた。
「お女中」と商人は女に近寄って声をかけた。
「お女中、そんなにお泣きなさるな!
何がお困りなのか私に仰しゃい。
その上でお助けをする道があれば、
喜んでお助け申しましょう」
実際、男は自分の云った通りの事をする積りであった。何となれば、この人は非常に深切な人であったから。
しかし女は泣き続けていた。
その長い一方の袖を以て商人に顔を隠して。
「お女中」とできる限りやさしく商人は再び云った。
「どうぞ、どうぞ、私の言葉を聴いて下さい!
ここは夜、若い御婦人などの居るべき場所ではありません!
御頼み申すからお泣きなさるな!
どうしたら少しでもお助けをする事が出来るのか、
それを云って下さい!」
徐(おもむ)ろに女は起ち上ったが、商人には背中を向けていた。
そしてその袖(そで)のうしろで呻(うめ)き咽(むせ)びつづけていた。
商人はその手を軽く女の肩の上に置いて説き立てた。
『お女中!お女中!お女中!
私の言葉をお聴きなさい。
ただちょっとでいいから!
お女中!お女中!」
するとそのお女中なるものは向きかえった。
そしてその袖を下に落し、手で自分の顔を撫でた。
見ると目も鼻も口もない。
きゃッと声をあげて商人は逃げ出した。
一目散に紀国坂をかけ登った。
自分の前はすべて真暗で何もない空虚であった。
振り返ってみる勇気もなくて、ただひた走りに走りつづけた挙句(あげく)、ようよう遥(はる)か遠くに、蛍火(ほたるび)の光っているように見える提灯(ちょうちん)を見つけて、その方に向って行った。
それは道側(みちばた)に屋台を下(おろ)していた、売り歩く蕎麦屋(そばや)の提灯に過ぎないことが解(わか)った。
しかしどんな明かりでも、どんな人間の仲間でも、以上のような事に遇(あ)った後には結構であった。
商人は蕎麦売りの足下(あしもと)に身を投げ倒して声をあげた。
「ああ!ああ!!ああ!!!」
「これ!これ!」と蕎麦屋はあらあらしく叫んだ。
「これ、どうしたんだ?
誰れかにやられたのか?」
「否(いや)、誰れにもやられたのではない」と相手は息を切らしながら云った。
「ただ・・・、ああ!ああ!』
「ただおどかされたのか?」と蕎麦売りはすげなく問うた『盗賊(どろぼう)にか?」
「盗賊(どろぼう)ではない。
盗賊(どろぼう)ではない」とおじけた男は喘(あえ)ぎながら云った。
「私は見たのだ。
女を見たのだ。
濠(ほり)の縁(ふち)で。
その女が私に見せたのだ。
ああ!
何を見せたって、そりゃ云えない」
「へえ!
その見せたものはこんなものだったか?」と蕎麦屋は自分の顔を撫(な)でながら云った。
それと共に、蕎麦売りの顔は卵(たまご)のようになった。
そして同時に灯火は消えてしまった。*******
以上が、小泉八雲の「狢(むじな)」です。
「狢」とは「のっぺらぼう」のことです。
「狢(むじな)」という漢字は、けもの偏に各と書きます。
「豸」は、獣(けもの)が背中をまるめて、まさにいまこの瞬間に獲物に襲いかかろうとしている象形です。
「各」は、「夂」が足を引きずっている様子で、「口」が祈(いの)りの言葉を入れる器「口(サイ)」です。
そこから「祈りを下げる人々」という意味になり「おのおの」という大和言葉に、この字が当てられるようになりました。
つまり「狢(むじな)」という漢字には、祈りを捧げる人々を襲うケモノ、という意味があります。
大和言葉で「むじな」を読むと、
「む」=無
「し」=示し
「な」=菜(食べ物)
となり、食べるための「口」がなくて、お腹が空いても食べることができない者を意味します。
つまり「むじな」は、貧しくてお腹を空かせても、口がなくて食べることができなくなった妖怪、つまり「人でなし」です。
つまり経済的苦境におちいって人ですらないケモノになった人と言うこともできます。
一方、物語中で襲われたのが、昔ながらの経済活動を営んでいる年配の商人です。
その「商人」が、「のっぺらぼう」に同じ夜に二度に渡って脅かされています。
小泉八雲が、この「のっぺらぼう」の物語をなぜ書いたのかはわかりません。
その理由を書いた記録もありません。
ただ、同じ小泉八雲の「耳なし芳一」や「飴を買う幽霊」「ろくろ首」「雪女」などの作品に比べ、どうもこの物語には、何らかの比喩(ひゆ)が込められているように思えてならない。
小泉八雲は、この物語で何を伝えたかったのでしょうか。
それは、ただ人を驚かす妖怪の物語だけだったのでしょうか。
何か、違うように感じるのです。
のっぺらぼうは、身なりの良いお女中として登場します。
つまり、もともとは、しっかりした、お屋敷か、商家に勤めるちゃんとした人であったわけです。
それがケモノのような人を襲う妖怪となった。
もちろん、物語の中では妖怪がお女中に化けたように描かれていますが、どうもそれは反対の比喩であるように思えるのです。
小泉八雲は、ギリシャ生まれのアイルランド人です。
アイルランドは英国領ですが、いまでも独立運動があるくらいで、ケルト系民族で多神教で妖精信仰を持つ人達です。
そしてそんなアイルランド系英国人(ケルト人)が、ヨーロッパの歴史の街であるギリシャで生まれ育っています。
つまり、いまなお滅びきっていないケルトの人が、ヨーロッパ文明のあけぼのの都であるギリシャで育っているわけです。
そんな小泉八雲ですから、日本にやってきたとき、やさしさにあふれる伝統文化を持つ日本が、そして日本人が、まさにケルトのアイルランドが滅ぼされたときと同じように、日本の文明を失おうとしている。
そんな明治期に、彼は日本に帰化して日本人になっています。
そしてこの「のっぺらぼう」の物語に触れたとき、小泉八雲は、そこに、文化を失い、顔がのっぺらぼうのようになってしまったアイルランド人、そして日本人の危機を感じて、この物語を書いたのではないでしょうか。
しっかりした文化を持っていたけれど、欲に目がくらんで、いつの間にか顔から、ものを見る目も、息をして、悪いものの匂いを識別する鼻も、食べる口さえも失ってしまって、日々飢えていながら、食べることさえもままならず(口がないのです)、もはや人を驚かすくらいしかない。
身なりだけは、ちゃんとした人です。
働く人である、お蕎麦屋さんの真似もできます。
けれど、食べることができない。
目も見えず、善悪の区別もできない。
感じることができるのは、人がそのツルリとした顔を見て、恐怖に声を上げる、その叫び声だけです。
自分がどうなってしまうのか、気が狂うほどの恐怖にさいなまれても、すでにのっぺらぼうとなってしまった狢(むじな)には、その恐怖の叫び声をあげるための口さえも、なくなっているのです。
つまり小泉八雲は、この物語の「むじな」の中に、アイルランド人としての文化も伝統も誇りさえも失ったアイルランド人と、悠久の歴史を持ちながら、日本人としての文化を失いつつあるつ日本人の姿を見たのではないかと思うのです。
明治以降、日本は、日本の文化を捨て去り、ひたすら西洋化することに、国をあげて心血を注いできました。
それでも明治から昭和初期までは、江戸時代までの日本を、日本的文化性を失わずに多くの人々が生きていた。
けれど先の大戦後の日本は、そんな日本的文化の片鱗さえも、「古い衣は脱ぎ捨てて」という標語のもとに、ことごとく捨て続けてきました。
つまり日本は、明治維新と先の大戦の終戦の二度に渡り、日本文化を捨てることに、国をあげて努力し続けてきたわけです。
もちろんそれは、悪いことばかりではありません。
すくなくとも、物質文明に関する点において、あるいは西洋型の医療の面において、また経済面においても、日本は西洋文明の恩恵に多大にさずかっていたということができます。
なにしろ、もし明治維新がなければ、もしかすると21世紀になったいまでも、日本は鎖国し、主な交通手段は駕籠屋に頼り、東京〜大阪の往来は、片道歩いて14日という生活をしていたのかもしれない。
そう考えれば、日本がたくさんの西洋文明の恩恵を受けてきたことは、事実としか言いようがないです。
けれど、そのために日本は、本来失ってはならない、天皇の知らす国という概念さえも曖昧なものにしてしまいました。
シラス(知らす、Shirasu)は、日本の古代に完成した、民衆が国家最高権威の「おほみたから」とされるという、いわば究極の民主主義を実現した社会制度であり、おそらく人類社会の理想的統治です。
治(し)らす社会の中で、高度な文化を歩んできた日本人が、気がつけば身なりが良いだけの「のっぺらぼう」になってしまっているのではないか。
「狢」の物語は、そんな日本人への警鐘であったのではないかと思います。
そんなふうに思えるのです。
日本をかっこよく!
お読みいただき、ありがとうございました。
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