二宮金次郎に始まる豊かな国



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上がいくら優秀でも、下にいる部下たちが腰抜けでは、戦いに勝利することはできません。
同様に、上が少々ダメでも、下にいる部下たちが優秀なら、その組織は勝利の可能性が高まるといえます。
そして、上も優秀、下の部下たちもとびきり優秀なら、まさに向かうところ敵なしです。当然です。

20180904 二宮金次郎



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小名木善行です。

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拙著の『庶民の日本史』を知っていただくために、この本の中から二宮金次郎について触れた文をご紹介したいと思います。

************

『庶民の日本史』
第四章 江戸時代の庶民の姿
  五 二宮金次郎に始まる豊国

▼いまの日本を世界標準にすると


有名な小噺に、「タイガー・ウッズが帽子をかぶって得るスポンサー料は、一日あたり5万5000ドル。その帽子をつくる工場労働者の年収の38年分」という話があります。
同様に、現代の世界は、
 世界で3人に1人は戦時下に暮らし、
 世界の人口の70パーセント以上は電話を使ったことがなく、
 世界の5人に一人は1日百円未満で生活しています。
果たして世界は豊かになったのでしょうか。

世界標準というのなら、世界の家計の年間所得は、日本円で60万円未満です。
日本にいて、世界をグローバル化したいという人たちがいますが、彼らは日本人の平均世帯所得を、世界標準にしたいのでしょうか。

日本国内が、それに近い状態になったことが、かつてありました。いまから200年ほど前の江戸時代の文化文政年間のことです。

当時の日本の人口は2500万人。
そして江戸の人口が250万人でした。
つまり人口の十分の一が、江戸に集中していました。

当時の江戸は、経済的にもたいへん恵まれたところで、当時の日本のGDPのおよそ五割が江戸に集中していたといわれています。このため農村部の疲弊ははなはだしく、農地は次々と担保に取られていきました。

食べていかれないから、農地を質入れしてお金を得るのです。
けれど一時的にお金を得ても、すぐに失われ、結果、農地さえも手放すことになってしまう。
質流れで農地を失った農家、あるいは、もう食べていかれないからと、逃散といって農地を捨てて別の土地に移ってしまう者たちが、世の中にあふれるようになりました。
江戸の庶民が好景気を満喫する一方で、農村部には深刻な貧困が襲ったのです。

この状況下で、14歳で両親を失ってしまった少年がいました。名を二宮金次郎と言います。
金次郎少年は、一生懸命勉強に励むと同時に、残った猫の額ほどの土地を一生懸命に耕し、22歳までに、親が失った農地を全部買い戻してしまいました。
このことを高く評価した小田原のお殿様の大久保忠真が彼を表彰し、さらに名主待遇を彼に与えて、大久保家の分家の下野国芳賀郡桜町(いまの栃木県真岡市)に向かわせました。

桜町は水害に襲われて、村が壊滅状態だったのです。藩は、そんな村人たちに生活保護のための禄を与えていましたが、農地を失い気力の失せた村人たちは、せっかくの禄を博打に使ってしまうような有り様でした。


▼金次郎の挫折

そんな気力の失せた村に、二宮金次郎は、復興支援のために派遣されました。
ところが、 当時の日本人の平均身長は、男が150センチ、女が140センチです。
これに対し金次郎の身長は180センチ、体重が94キロもありました。
つまり、いまの時代でいうなら、気力の失せた小学生のもとに、髭面で巨漢の、プロレスラーみたいな先生がやって来たというわけです。

先生はやる気満々です。
だから、村人たちに次々に適格な指示を与えました。
そんな熱血先生のもとで村人たちが一念奮起して......と、現実は映画やドラマのようにはいきません。
地元の農家の人々からすれば、ひどく暑苦しい人物がいきなりやって来て、次々と命令をするのです。
いいかげんうるさいし、面倒くさい。
結果、村人たちは、誰も金次郎の話を聞かず、命令も無視されます。

一方、金次郎にとっては、村の復興こそが藩命です。
急ぐ金次郎は、他の村から人手を集めてきて農地の復興を図ろうとしました。
これには村人たちがびっくりしました。
そしてますます村人たちの気持ちが金次郎から離れていきました。

水害で崩壊した田畑をもと に戻すのは、ひとりでできる仕事ではありません。
そこにはどうしても村人たちの一致協 力が必要です。
けれど、いちど離れてしまった気持ちは、そう簡単に戻るものではありま せん。


金次郎は困りました。
殿様には900石だった桜町を2000石にすると明言してしまっているのです。
けれど村人たちは動かない。
困り果てた金次郎がどうしたかというと、逃げ出しました。

逃げたというと聞こえは悪いですが、成田山に修行に入るのです。
はじめは水行などの荒行に挑戦しました。
けれど迷いが晴れない。
そこでついに金次郎は、三週間の断食行を行いました。
初めての断食で、いきなり三週間というのは、強烈にキツイものです。
断食も三週間になると、二つ向こうの部屋の話し声がわかるようになるし、鳥や虫たちの会話が聞き取れるようになる。
つまり、それだけ激しい修行なのです。
けれどこの断食行で、金次郎は、あるひとつの事柄に気づきます。


▼村人たちの心がひとつに

金次郎は、再び桜町に戻りました。
そこであらためて村人たちに集まってもらいました。
今度は村人たちの前で土下座をして、なんとしても一緒に田畑を取り戻し、みんなで豊か
な生活を築きたいのだと、切々と訴えました。
村人たちも、げっそりやつれた金次郎のその必死の姿に、ひとり、またひとりと、
「わかっただ。
 オラたち、やるだ」
と納得してく れました。

納得の輪は、その日から広がりました。
そして桜町の村人たちは変わりました。
みんなで一致協力、力を合わせて村の復興を行うようになったのです。
そして数年後には、石高は、なんと3000石にまで成長しました。

こうなると、村は豊かですから、米の買付商人が来ても強気です。
いままでは、お金もお米もないから、言いなりに値切られてきましたが、いまではもう、すっかり生活に余裕がある。
そうなると、気に入らなければ米を売らなければよい。
一方、商人たちは、是が非でも米を買い付けなければ、商売になりません。
こうして商人と農民たちの力関係が変わり、高値で米を売れるようになった村はものすごく豊かになりました。

桜町の復興支援に成功した金次郎は、その後、日本中引っ張りだこで、農業の指導をしてまわることになりました。
幕府はそんな金次郎に、「尊徳」という名前を与えました。
こうして二宮尊徳の名は、全国にとどろくほどになりました。


▼日本を支えた豊かな農村と大家族

さて、この話には続きがあります。
金次郎の指導は、ひとことでいえば「積小為大」というものです。
小さなことの積み重ねが、積もり積もって偉大な事業を為すという思想です。
二宮金次郎の報徳思想とも呼ばれています。
そしてこの思想のもとに、日々の農業に精を出すことによって、実は、日本中の農家が、このあと、とても豊かになっていくのです。

幕末戊辰戦争は、我が国の歴史上初めて、農民兵が専業武士団をしのいだ戦いです。
その背景には、豊かになった農村の若者たちの、新たに編成された陸軍兵としての大活躍があります。
これは、幕府軍、新政府軍、どちらにも共通していえることです。

そして明治以降になると、日清日露戦争で活躍した陸海軍を支えたのは、やはり勇敢で教養のある農民兵たちでした。
大東亜戦争は、日本の敗戦となりましたが、日本陸軍630万の兵力のうち、南方の島嶼防衛に当たったのは、このうちのたった27万人です。
その27万人を米軍の主力の110万人が攻め落としたわけですが、終戦時点で我が国には、 まだ600万の農民兵によって構成された陸軍兵力が温存されていました。

この陸軍兵たちは、外地から帰ると、村に戻り、そこで日本復興の柱となる食料の生産に精を出しました。
また都会に残った者たちは、焼け野原となった町並みの復興を率先して行いました。
結果、我が国は、終戦後、わずか数年で、見事に町並みを復興させています。

さらに町並みの復興のあとは、経済力の強化です。
そのために農村部の若者たちが、集団就職列車に乗って都会へと向かい、そこで工場の働き手となりました。
こうして日本は経済的に自立し、復興していくことになります。

つまりそれらの背景には、「大家族を養うことができる豊かな農村」の存在があった。
このことが、きわめて重要なファクターになっていたのです。

このように申し上げると、「いやいや農村はみんな貧乏だったのだ」という人、思う人がきっと多いと思います。たしかに農村部の生活は、一年365日、昼夜を問わぬ忙しさで、実際に子供時代、そんな農村で暮らした経験のある方なら、その大変さは肌でお感じになっているものと思います。
土にまみれ、泥だらけになって働く姿は、都市部のこざっぱりと垢抜けした人々から見たら、3Kと思われるかもしれません。

けれど、ほんのちょっとだけ考えていただきたいのです。
諸外国において、農民は、なるほど最低の生活をする農奴たちです。
その様子は、着るものもなく、食事もままならぬ、眠るに布団さえもない、まさに貧困そのものの姿です。
人の生活を支える食料を生産する、いちばん大切な生産者の姿は、悲惨な姿のものでした。
しかし、日本の農村部は、だれひとり「自分たちは豊かだ」と思っている人はいないけれど、世界の標準から見たら、豪農と呼んだほうがよいくらい、豊かな生活を実現しています。

こうした日本人の勤勉性、働くことへの前向きな姿勢、集団への帰属意識、倹約の精神こそ、日本の底力となるものです。

残念なことに、戦後、GHQが行った農地解放によって、日本の積年の実績ある農家は、事実上の解体を余儀なくされました。
そして農地は細分化され、農家も核家族化が進行し、いまではお年寄りばかりが細々と農業を続けている、そんな状況に至っています。

もちろん、この先、農業のあり方が大きく変化していくことは、ありえることだと思っています。
工場で大豆を生産し、その大豆を加工して擬似お肉や、疑似野菜を作り出す。
そうすることで、まるでドッグフードやキャットフードのような人間用完全食をつくりだし、それによって人々は食に困ることのない新たな世界を築きだすという人もいます。

しかし食には、もうひとつ、楽しく、美味しくいただく、という側面があります。
ただ必要な栄養がとれさえすればよい、というものではないのです。
そして日本は、神話の昔から、人々の「よろこびあふれる楽しい国」を希求し続けてきた国です。
そういう意味で、日本人にとっての農業は、ただ食料を生産しさえすればよいという以上に、実はもっと重要な意味をもっているということができます。

ともあれ、両親も、田畑さえも失った14歳の二宮金次郎が、たったひとりで猫の額ほどの小さな畑を耕して、菜種を採っていた、その小さな努力が、気がつけば世界最強の軍をつくり、また日本の高度成長を支える原資となった、ということは、あらためて、現代を生きる私たちが考えてみる必要があるように思います。

目の前にある小さなことの積み重ねが、世界を変えるのです。
このことは、おそらくAIが進歩した未来社会においても、きっと変わることのない真実であろうと思います。


▼民を愛した天皇と天皇を愛した庶民の絆

「御所千度参り」という事件があります。
天明七年(1787年)6月7日から起きたことで、はじめ数人が京都御所の周囲をぐ るぐると回りだしたのでが、その人数が徐々に増えていき、なんと6月10日にはその人 数が3万人になり、18日には7万人に達したという事件です。
このため京の都は人であふれ、後桜町上皇から三万個のリンゴが配られ、また有栖川宮や一条家などが茶を出し、九条家や鷹司家からは握り飯が配られました。

なぜこのようなことが起きたのかというと、この時代、天明の大飢饉によって、餓死者が続出するという事態に至っていたのです。
職もない、食べるものもなくなった庶民が、最後に頼ったのが天朝様、つまり天皇であったのです。

本来、幕府の仕事は、庶民が豊かに安全に安心して暮らせるようにすることです。
天然の災害の多発する日本では、神武創業の昔から、いざというときのために、二年分のお米を備蓄するという習慣がありました。
人が食べるのは三年目になった古々米からです。
ですから値段も古々米よりも新米のほうが安くなっていました。
なぜなら新米が市場に出回るということは、よほど困って換金されたものであるからです。
要するに新米のほうが安く仕入れられたのです。

ところが天明の飢饉は天明二年(1782年)から同七年まで、なんと五年続きの凶作でした。
このため幕府のお蔵米も底をつき、もはや飢えた庶民を救うことさえ困難な状況になってしまっていたのです。
でした。このため幕府のお蔵米も底をつき、もはや飢えた庶民を救うことさえ困難な状況
になってしまっていたのです。

事態を憂慮された光格天皇は、京都所司代を通じて幕府に、「飢饉に苦しむ庶民の救済」を要求しました。
これは幕府の政策について口出しをしてはいけないという 「禁中並公家諸法度」に違反する行為でした。
しかし違反をしてでも庶民を助けようとされた光格天皇に、幕府はなんとか1500俵の米をかき集めて、光格天皇に送り、天皇はそのお米を他の貴族たちとともに炊いて、御所周辺に集まった庶民に提供したのです。
そしてこのことが、こののち、尊王論の興隆の一因となっていくのです。

私たちの祖先は、こうして日本という国を育んでくれました。

明治に入って必死に不平等条約の是正のための努力をしたのも、昭和初期の激しい戦いも、子孫が他国の奴隷にされたり私有を奪われたり飢えたり狼藉を受けたりすることのない国を後世に遺したいと、その時代での最大限の努力を重ねてきてくれたおかげです。
今度は私たちが子孫のために誇りある国を日本に遺す番です。

************

ご一読いただいて、趣旨はご理解いただけたと思います。
ここに書いた、二宮金次郎によって豊かになった農村部の人たちが下支えとなって、明治以降の戦争や、先の大戦が戦われ、戦後の復興も、実は背景に豊かな農村があったからだ、という見方は、おそらくこれまでには提唱されることがなかったものです。

けれど、それが真実です。

上がいくら優秀でも、下にいる部下たちが腰抜けでは、戦いに勝利することはできません。
同様に、上が少々ダメでも、下にいる部下たちが優秀なら、その組織は勝利の可能性が高まるといえます。
そして、上も優秀、下の部下たちもとびきり優秀なら、まさに向かうところ敵なしです。当然です。

日清日露の戦いから先の大戦まで、およそ日本の戦いは、
 勝つまで戦う
 勝つまで戦い続ける
というものでした。
その結果には、当然のことながら勝利しかありません。

その意味で、先の大戦の敗戦は、むしろ日本側が自主的に戦いを終わらせたものであって、だから敗戦ではなく、終戦と呼ばれます。

現代は飽食の時代と言われますが、防腐剤や合成剤たっぷりの食事は、果たして人間の食べ物といえるのか。
食の見直しが提唱されているいま、二宮金次郎の思想は、そういう意味においても、いま見直されるべきものではないかと思います。

そして、
「小さなことの積み重ねが偉大なことを成す」
のです。
いちばん大事なことだと思います。

日本をかっこよく!
お読みいただき、ありがとうございました。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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