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人は成長することができる生き物です。同様に人種も国家も成長することができるものと思います。民族の誇りというものは、差別されたの強制連行されたの創氏改名を強要されたのと、ありもしないでっちあげで相手を非難したり中傷したりしたら生まれるというものではありません。立派に生きた先人たちに学び、自らも立派に生きようと努力するところに、本当の誇りが芽生え、育まれるのです。
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洪思翊陸軍中将

画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E6%80%9D%E7%BF%8A
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 帝国陸軍の中将というのは、並みの努力でなれる役職ではありません。陸軍士官学校をとびきり優秀な成績で卒業し、限りない軍功を立て、人物、識見ともに誰からも尊敬を集めるだけのものがなければ、なれる役職ではない。単なる年功序列でなれるような甘い役職ではないのです。そしてその中将となられた方に、洪思翊(こうしよく)という人がいます。朝鮮半島の出身者です。
洪思翊中将は、李王家の縁戚でも、かつての朝鮮貴族であるヤンバンの出身でもありません。朝鮮半島の極貧の家庭に生まれ、努力して体力、知力とも優秀な成績を修め、当時の日本の陸軍士官学校を優秀な成績で卒業した人です。彼は軍人として、古今の戦史、戦術に深く通じるだけでなく、四書五経から英語にまで精通し、相撲も武道も強い人でした。
洪中将は、新しい部隊に赴任すると、居並ぶ日本兵の前での初訓示で、毎回、次のように語ったそうです。
「自分は朝鮮人の洪思翊である。
唯今より天皇陛下の御命令により指揮をとる。
異義のあるものは申し出よ」
実に堂々とした態度です。
彼は、当時、多くの同国人から、
「洪さん、あなたも日本人名に改名したらどうか」と勧められそうです。しかし頑として朝鮮名を名乗り通しました。彼にとって、それはあたりまえのことだったのです。自分が生を受けた自国の名を捨てるということは、自らの郷里や父祖を否定し捨てることになる。朝鮮人である自分は、日本人より遥かに立派に生きてみせる。それが誇りある男の態度というものです。
彼がまだ大尉だったころ、彼の息子の洪国善が、近所の悪童から「チョーセン、チョーセン」とからかわれたのだそうです。どこにでも悪童はいるものです。そのとき洪思翊は息子に、大英帝国に虐げられても誇りを失わないアイルランド人の例をひき、
「どんなときでも必ず『私は朝鮮人の洪国善です』とはっきり言いなさい。
決して『朝鮮人の』を略してはいけない」と諭したそうです。
洪中将は、終戦時、南方軍総司令部の兵站総監を勤めていました。そしてB級戦犯として、捕虜虐待の罪を着せられ、フィリピンで刑死されました。洪中将が捕虜を虐待したという事実はまったくありません。要するに単なる結論ありきの、戦勝国による復讐裁判です。しかしその茶番裁判に、洪中将は判決のあと、周りの人に笑って答えたそうです。「絞首合格だったよ」と。
絞首の「こうしゅ」を、徴兵検査の「甲種合格」にかけたのです。そして平然として処刑台に向かわれました。
辞世の句は、
昔より 冤死せしもの あまたあり
われもまたこれに 加わらんのみ
当時の朝鮮人の中には、洪中将の他にも、日本人部隊を率いて抜群の武勲を立てて、軍人としての最高の名誉褒章である金鵄勲章を授与された金錫源陸軍大佐、陸軍士官学校を抜群の成績で卒業し、終戦時は満洲国軍の中尉となり、後に韓国大統領となった朴正熙、朝鮮出身者でありながら特攻兵に志願し、沖縄の空に散った金尚弼ら14人の航空隊員、戦後に日本軍人らと共にインドネシア独立軍に身を投じ、同国の独立のために最後まで戦った梁七星、その他、報復裁判で戦争犯罪人として処刑された軍人、軍属147名など、多数の人たちがいます。
昭和18年に行われた朝鮮志願兵の募集(それまで支那事変や大東亜戦争を戦いながら、日本は朝鮮半島での志願兵募集をしていません)には、6300人の募集枠に対し、なんと30万人以上の青年の応募が殺到しています。合格倍率は、なんと48倍です。血書による嘆願も、数百人にのぼり、採用されず、自殺までした青年も現れて、当時の朝鮮総督府を困らせました。
大東亜戦争に、自ら進んで軍人、軍属として出征したKoreanの青年は合計24万人です。そのうち2万1000人余りが戦死し、いまも靖国神社に祀られています。東京裁判で、A級戦犯として禁錮20年の判決を受け、獄死した東郷茂徳外務大臣も朝鮮人です。
人は成長することができる生き物です。同様に人種も国家も成長することができるものと思います。民族の誇りというものは、差別されたの強制連行されたの創氏改名を強要されたのと、ありもしないでっちあげで相手を非難したり中傷したりしたら生まれるというものではありません。立派に生きた先人たちに学び、自らも立派に生きようと努力するところに、本当の誇りが芽生え、育まれるのです。
一部の方々は、筆者を差別主義者だとレッテルを貼って嫌います。
筆者が、拒否しているのは、韓国や在日コリアン活動方針の反日活動です。
それは、空想を宣伝し、自分たちを空想で正当化し、自分たちだけの利益を図ろうとし、人々の生活を奪う身勝手な行動だからです。
まっとうに生きる個々の人ではありません。
真面目に一生懸命生きようとしているすべての人が、「おほみたから」です。
それぞれが本分をわきまえ、しっかりと生きていくところに、人にも国家にも幸福があります。
したがって、これを自己の利益のために破壊する者は、人体のがん細胞と同じです。
癌細胞は、好きも嫌いもなく、退治しなければなりません。
けれど、がん細胞を拒否することと、人体そのものを拒否することとは、まったく別次元の問題です。
洪思翊中将のように、民族として真の誇りがあるのなら、正々堂々と真実を受け入れ、嘘と虚構を排除することです。
日本をかっこよく!
お読みいただき、ありがとうございました。
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