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ゆめゆめ、光か闇かの善悪二元論に陥ることのないように。 人々が、どのような心を持つかで、私達が受け取ることができる未来が変わります。
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画像出所=https://www.goodnalife.com/entry/2020/03/10/210434
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 光と闇の対立とか、善と悪の対立など、近年流行っている二項対立的のお話をしてみようと思います。
ちょっとむつかしいお話です。
近年、光と闇の対立とか、善と悪の対立などといった言葉が流行っています。
闇の時代が終わり、これから光の時代になる、といった具合です。
しかし、このような論では、決して明かされることがない事実があります。
それは、どこまでが闇で、どこまでが光なのか。
あるいは、どこまでが善で、どこからが悪なのかという線引です。
なるほど、誰がどうみても悪いものというのはあります。絶対悪と呼んでもいい。
あるいは、光り輝くものもあります。絶対光とでもいうのかもしれない。
けれど、ではどこまでが光の世界で、どこからが闇の世界なのかとなると、その境界線は曖昧です。
明快に線引することなど、誰にもできることではありません。
なぜならこのような二元論というのは、必ず物事を直線的な一次元でしか捉えようとしていないからです。
一本の直線があり、その片端が光か善、その片端に闇や悪があります。
中間点が「0ポイント」で。光や善が「+」、闇や悪が「ー」です。
しかし、その「0ポイント」がどこにあるかは明らかにされません。
これは、明らかにされないというより、できない、のです。
どこまで伸びているかわからない直線の中間点の位置など、誰にもわからないことです。たぶん神様にだってわからない。
つまり、そもそも+やーに分けることができないものを、あたかも分けることができるかのように述べているのが、善悪二元論だということです。
要するに、それらはすべて、詭弁でしかない、ということです。
実際には、物事は、分布によって測られます。
悪から善へ、闇から光へ。その直線となる「x軸」に、分布を示す「y軸」が加わることで、中央値や平均値が定まります。
そして平均値がわかれば、分布の状態が、多くの場合、正規分布に従うことになります。
光闇も善悪も分布なら、中央値あたりにいる人たちが最も多人数です。
極端な光や、極端な闇、あるいは極端な善、極端な悪は、ごく少数です。
テストの偏差値と同じです。
偏差値50のあたりの生徒さんたちは、勉強ができるともいえるし、できないともいえる。そしてそんな子が、数の上では一番多くなります。
逆に偏差値20以下や、80以上になると、その構成比は全体のわずか0.13%です。比率で言ったら740人にひとりの割合でしか発生しません。
偏差値90になると、0.00317%、31500に1人の割合です。
さらに偏差値99になると、その構成割合は 0.00000479183%です。
何十万、何百万にひとりの割合にしかいないし、あるいは何十万、何百万の中には、必ず極右や極左が存在することになります。
そうした、ごく一握りの人たちの意見に振り回されて、多くの人々の豊かで安全で安心できる暮らしが反故にされるなど、もってのほかです。
さらにそうした極の人たちによって、多くの人々が二元論的に立て分けられることは、どうみてもおかしなことです。
もっというと、この世は、二次元の平面の世界ではなく、平面に高さを加えた三次元世界です。
三次元になると、分布に高さが加わりますから、中央の山に四辺が生まれます。
これはたとえば、光の側にいるけれど性格の悪いやつ、悪の側にいるけれど性格の良いやつ、みたいなものが実際には存在してくるわけです。
そして立体図形の分布(トップの図)は、どこで切るかによって、平面図形にしたときの分布図が変わってきます。
つまり、平面図形での分布だけでは、明らかに物事を捉えるには不十分だということがわかります。
実際の世の中には、これに時間軸(t軸)が加わります。
時間は、明治以降、西洋文明に侵されて、いまでは多くの日本人が、
「時間は過去から未来に向かって流れていくものである」と考えています。
けれど、日本語を考えたらわかります。
未来は「これからやって来る」のです。
過去は「過ぎ去った昔」です。
つまり、日本語の概念では、
「時間は、未来から過去に向かって流れている」のです。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」です。
時間は川に例えられますが、川の水は、上流から下流に向かって流れます。
同様に、時間も、未来という川上から、過去という川下に向かって流れます。
ですから、現在というポイントにいて、どのような未来を受け止めるかは、その人やその集団が、どのような未来を求めるかによって変わります。
過去は、「過ぎ去った」のですから、いつまで拘っていても仕方がないのです。
だから「水に流して」、より良い未来を受け止めることができるように、禊払いし、努力して顔晴るのです。
それが日本の古くからの思想です。
やってくる未来は、意思を持って築くことができるのです。
ゆめゆめ、光か闇かの善悪二元論に陥ることのないように。
人々が、どのような心を持つかで、私達が受け取ることができる未来が変わるのですから。
日本をかっこよく!
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
いつも勝手にお世話になっております
光と影の現在の世間のイメージでは、光は良くて陰は悪いとなっているようには感じます。(勝手な思い込みかも知れませんが)
光を陽と捉え、影を陰と考えて、、、話のを進めますと。陰陽ですね。
陽がなければもちろん人は生きて行けません。植物も育ちませんし、寒いだろうし、と言うか生き物自体が存在出来るかどうかの次元です。
その為、陽は良いものであると感じてしまいます。
しかし、現状私たちは陽を避けて生きています。
屋根を作り陰の下で多くの時間を過ごします。
いくら陽が大切でもあの夏の炎天下だけで生きて行くというのは考えただけでも、ゾッとします。屋根・家が無ければ干からびてしまいます。
陰のある事に有り難さを感じます。
要するにどちらも大切なもので、と言うより一対となってますね。
少し飛躍して考えると、陽は自然の力・天の恵みであり、陰は人の力・知恵と考える事も出来そうです。人の世界とは、この天の恵みの中で、人知の及ぶ範囲で生きているという事なのでしょう。
物事を大きく二つに分け考えるのは特別に悪い事では無いのは、誰もが周知の通りです。
しかし、差別的というか・片方を侮蔑したような目線で方向性を持たせてしまう事が事実多いように感じてしまいます。
実は一つの対となるという考え方は、日本的な感じ方なのかな? とふと思った次第であります。
以上、失礼いたしました。
2022/04/17 URL 編集