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我々日本人は、たいへんに古くて長い歴史を持ちます。 そして日本は、さまざまなものを、統合し、融合させて、日本文化を築いています。 それが何のためかと言えば、これからやってくるであろう未来を、極力、平和で豊かで安心して安全に暮らせる未来にしたいという明確な意思があったからです。
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)お葬式のお話をします。
仏式と神式では、葬儀のあり方がまったく異なるというお話です。
仏式では、亡くなられた方の御魂は極楽浄土に旅立たれます。
ですから葬儀は、お別れの儀式となり、別れを告げる式ですから「告別式」です。
告別式に際しては、死者には三途の川の渡し賃として六文銭と、極楽浄土までたどり着くためのお守り刀、そして旅装束として経帷子(きょうかたびら)を着せ、わらじを履かせます。
ちなみにこのとき経帷子を男女とも左前に着せるのは、極楽浄土では、何もかもがこの世と反対という仏教の思想からきた習俗です。
こうして仏式では、死者の肉体は埋葬され、魂は極楽浄土へと旅立ちます。
旅立つということは、もう、そこにはいないわけです。
ところが日本では、何故か極楽浄土に行ってしまったはずの死者の魂が、家の仏壇のお位牌(いはい)の中にもおいでになられます。
位牌の中に、死者の御魂が備わっていると言うのです。
極楽浄土に旅立ってしまったはずの御魂が、お位牌にもあるのです。
これはまったく矛盾した話です。
どうみても仏式の極楽浄土に逝くという思想と、かけはなれています。
どうしてこのようなことになったのかというと、もともと江戸時代以前まで、神式で葬儀を行っていた多くの人々にとって、いきなり死者が極楽浄土に旅立ってしまって、家にいないということが、どうにも納得できないことであったからだと言われています。
ではもともとの神式の葬儀とはどのようなものなのかというと、お亡くなりになった方の御魂(みたま)は、肉体から離れて、イエやムラ、あるいは護国の守護神、つまりカミになられます。
つまり死者は、いよいよ肉体を離れてカミさまになられる。
カミになられたということですから、葬儀はお祝いの儀式です。
だから葬儀のことを神式では神葬祭(しんそうさい)といいます。
亡くなった方は、護国の守り神や家の守り神として、子孫をずっと見守っていてくださることになっています。
つまり・・・死者と生者は、この世界で共存します。
死んだじいちゃんや、ばあちゃんは、死んであの世に逝ってしまったのではなくて、イエの、ムラの、クニの、守り神として、私達を、ちゃんと見守っていてくださるのです。
自分が死んで、肉体という重みを抜け出して、いよいよ自由になるとしても、だからといって、愛する子や孫をほったからして、自分だけが、素晴らしい世界である極楽浄土で楽してたのしく暮らすなど、思いも寄らないのが日本人の庶民感情であったのかもしれません。
行ってしまったら、もはや永遠のお別れで、自分だけ幸せな世界の極楽浄土に逝くのです。
そんな贅沢よりも、子や孫たちが豊かに安全に安心して幸せに生きていけれるように、ずっと守っていてあげたい。
死者を送る側も、「ああ、やっと居なくなってくれた」などと不謹慎なことを思うのではなく、「ずっと近くにいてね」と自然と思える。
というか、生き残る子や孫たちに、そう思い続けてもらえるような、じいちゃん、ばあちゃんになっていきたい、あるいはそう思ってもらえるような自分になれるよう、日頃から努力をし続ける。
そういう心のふれあいが、我が国の神葬祭です。
このような次第ですから、不祝儀袋も
仏式なら葬儀は御霊前、四十九日以降は御仏前です。
神式は御霊前、御神前、御玉串料です。
もともと日本では、葬儀は神式が多かったと思われますが、江戸幕府が寺請制度といって、いまでいう住民基本台帳の管理をお寺さんに委ねたことから、どの家も、とくに神社関係者でもない限り、葬儀は仏式で行われることが一般的になりました。
今では神式で葬儀を行われるお宅は、ほとんどなくなっていますが、それでも仏壇にお位牌が置かれるわけです。
これが神仏習合の名残りです。
神道と仏教は、もともとはまるで違う教えです。
けれど日本では、この両者が見事に融合しています。
このようなことがなぜできるのかというと、日本が二項対立と闘争の国でなく、結びや和を大切にする国だからです。
「和魂(にぎたま)」というように、「和」と書いて「にぎ」と読みますが、もともとは大和言葉の「にぎ」が先にあって、その意味に近い漢字が、後から当てられています。
「に」という訓読みを持つ漢字には、似煮熟燗などがありますが、ひとことでいえば雑煮のように、いろいろなものをごった煮するような、つまりみんな混ぜてしまうことをいいます。
「き」には、気木生黄などがありますが、外に出て広がるものをいいます。
つまり外にある様々なものを、みんなまとめてひとつにする。
それが「にぎ」です。
だから漢字では「和」になります。
別な宗教が統合されるということは、世界ではありえないことです。
日本では普通に神仏習合と言いますが、たとえばチャイナで、道教と仏教が融合して道仏融合などという概念は生まれません。
なぜなら、基本となる文化が対立にあるからです。
我々日本人は、たいへんに古くて長い歴史を持ちます。
そして日本は、さまざまなものを、統合し、融合させて、日本文化を築いています。
それが何のためかと言えば、これからやってくるであろう未来を、極力、平和で豊かで安心して安全に暮らせる未来にしたいという明確な意思があったからです。
日本をかっこよく!
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
キャラウェイ
「告別式」は宗教性を排したお別れ会として誕生したはずです。言葉自体も明治以降のもので、それが宗教的葬儀と混濁していくのは戦後のようです。
日本の古い葬礼としては「殯(もがり)」があると思います。ご遺体をすぐに埋葬せずに一定期間、殯屋などに仮安置して礼を尽くして手厚く祀るというもの。この一定期間(陵墓ができるまでという説もあります)が次第に短くなり、通夜(一晩)からさらに近年は半通夜になったのではないかと。
葬儀と告別式は同一視されたり、兼ねる形で営まれることが多いですが、通夜/通夜祭は今でも独立して実施されるのは何か示唆的です。
2022/04/13 URL 編集