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我欲に走る国や人々もいます。 けれど日本は、みんなの笑顔を日々大切にしようと考える、つまり、みんなの幸せが我が幸せと考えてきた国です。 未来は、今を生きる我々が築くものです。 なぜなら、未来は、「未だ、やって来ていない」からです。 どのような未来にするのかは、我々自身の選択にかかっています。
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源平枝垂れ桃

画像出所=https://www.jalan.net/kankou/spt_29385ac2102079391/
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 桜の季節が終わると、ちょっと桜に似ているけれど、紅白の花を付けた木を見かけることがあります。
それが「源平桃」です。
白=源氏、紅(赤)=平家が戦った「源平合戦」になぞらえてこの名が付いています。
この花、咲き方は土壌やその年の気候によって、同じ木でも、白やピンクの花のつきかたが毎年違います。
去年は薄桃色に白の組み合わせだったなあと思っていると、今年は緋色に桃色の組み合わせだったりします。
とてもおもしろい花木です。
この源平桃は、江戸時代に開発改良された花桃です。
残念なことに近年では、桃の木そのものまでもが、あたかもChina原産であるかのように書いているサイトなどをネットで見かけますが、実は、桃が単に温帯性の植物であるというだけで、桃自体に国境があるわけではありません。
桃は、もともと日本からChinaにかけて広く分布していました。
「桃の木は江戸時代の初め頃に日本に渡来した」などと書いてあるサイトも見かけますが、おそらくそれはどこかの大学の先生の意見に依ったものであろうと思います。
けれど、それは不勉強というものです。
古事記を読めばわかります。
古事記の神話に、ちゃんと桃の実が出てきます。
桃は古くから日本にあったのです。
実は桃の木は、木に虫がつきやすくて、やや育てにくい品種です。
これを、虫がつきにくくて、観賞や果実栽培などの品種に改良したのが、江戸時代の日本です。
おかげで、いま日本国内で育っている桃の木は、花桃、実桃に限らず、かなり育てやすくなっています。
江戸期の品種改良のおかげです。
トップの写真にある源平桃も、そうして江戸時代に改良された花木です。
花は桜より長持ちし、しかも美しい花が咲き、しかも毎年咲く花の色合いが異なる。
よくもすばらしい品種を造ったものです。
名前も良いです。
単に「紅白桃」としても良いところを、源平合戦になぞらえて「源平桃」と名付けているわけです。
このあたりにも、江戸時代の庶民の教育の高さが伺えます。
源平桃が咲く4月上旬から4月下旬は、壇ノ浦の戦いがあった月です。
壇ノ浦の戦いは、旧暦ですと寿永4年3月24日、西暦ですと1185年4月25日に行われた戦いだからです。
実は、破れた平家一門ですが、平家は水軍重視の一門であっただけに、実はたいへんに海の神様を崇敬していました。
実際、厳島神社を建造しています。
その厳島神社に、「平家納経」といって、一門の主だった人たちが、自らの手で美しく彩色された絵巻物に丁寧に写経して納経しています。
消しゴムのなかった時代です。
美しく絵が描かれた絵巻物に、あとから経文を書き加えるのです。
一文字で誤字脱字や漢字の書き間違いがあったら、すべてがパアです。
どれだけ真剣に納経の絵巻物にお経を書いたか、ということです。
その厳島神社の御祭神は、海神の宗像三女神です。
ところがよく考えてみますと、それだけ真剣に、かつまじめに三女神を信仰した平家が、壇ノ浦で滅んでいるわけです。
これだけ見たら「神も仏もないものか」と思ってしまいます。(ご不敬ご容赦)
ところが、その壇ノ浦に沈んだ平家の一門は、宗像三神のもとで海の守り軍となり、元寇の際には、元の大軍が下関海峡を越えて、若狭湾の方にまで押し寄せることを、断固防いでくれたのかもしれないのです。
このことは、日本時地図を見たら、アホでもわかることです。
仮にも元の軍隊を指揮する立場であるのなら、兵力に余裕があり、しかも水軍となっている元軍は、博多湾に攻めかかると見せかけて、その本体を若狭湾に送って、そこから一気に日本の都を攻め落とす、
あるいは、本隊に壇ノ浦を通過させて、そのまま瀬戸内を上って京の都に至る、という選択もできたはずです。
それくらい、素人でもわかることです。
ところがなぜか元の大軍は、二度とも博多湾だけを日本上陸のターゲットとし、それよりも東には進出していないのです。
これはもしかすると、信仰篤(あつ)い平家の一門を、ネクロマンサー(死者の軍)にして鍛え、外国軍の進撃を、宗像大社沖津宮から、宗像神社を結ぶ線よりも東に一切、向かわせなかった・・・・のかもしれません。
そういう意味では、壇ノ浦に沈んだ平家の一門は、死後も宗像三女神のもとで、護国の守り神として、しっかりと戦ってくださった、といえるわけです。
というか、それが真実だったのではないか。
このように考えますと、大東亜戦争で護国のために激しく戦い、散っていかれた247万の英霊もまた、ご皇室を尊崇され、また神仏への崇敬の深い方々でした。
思うに、戦後77年、日本が先進諸国のなかで唯一、戦争をしない平和な国でやってくることができたことも、そしてまた、誰がどう見ても「腰抜け、腑抜け」になってしまった日本でありながら、それでも日本がいまだに直接的な他国からの侵略に遭わずに済んでいるのも、(もちろん自衛隊の皆様のご活躍もあるし、米軍の協力もあるのだけれど)、もしかすると、英霊の方々が、断固我が国を護るために、我が子や孫たちを護るためにと、両手を張って、頑張ってくださっているおかげなのだと、素直に自然に思えてきます。
あるいは、源平合戦から元寇までの流れと同様、もしかすると、これから日本には、再び外寇(外国からの侵略)があるのかもしれない。
そのとき、太平洋の島々で散華された英霊たち、そして日本から台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナムからマレー、シンガポールまでのASEAN諸国が再び自称超大国からの侵略に立ち上がるとき、おおいなる太平洋の壁となって、自称超大国の侵略を断固防ぐネクロマンサーとなられるのかもしれません。
ただし、それには条件があります。
日本が断固戦うという姿勢を見せることです。
冥界の戦いだけではないのです。
現実世界で日本が堂々と立ち上がらなければ、それを防ぐことはできないのです。
そして、ASEAN諸国や台湾、フィリピンが、最も期待しているのが、日本が立ち上がることです。
戦争をしたいとか、そういうことではありません。
軍事力というのは、用いないことが最良なのです。
そして同時に、なくてはならないものです。
そして、現実世界の我々日本人が世界最強の武力を持つとき、はじめて東亜世界から戦いがなくなるのです。
我々日本人は、もともとは、太平洋の一大海洋民族です。
そして万年の昔にも、そしてちょっと前の戦前にも、我が国は太平洋最強の民族だったのです。
けれどそれは、過去形にしてはいけないことです。
源平桃は、過去の私たちの先輩たちが「つくって」くださったものです。
そのときを生きた過去の先輩たちは、美しい花を愛でる未来のために、源平桃を開発したのです。
私たちもまた、未来のために日々を積み上げています。
その未来を、どのような未来にするかは、私たちの「今」次第です。
パラレルワールドは、並行する様々な別世界のことを云うとされますが、未来は、いまの私たちの選択次第で、どのような未来にも成り得ます。
そうであれば、すこしでも良い未来を築くために努力したい。
我欲に走る国や人々もいます。
けれど日本は、みんなの笑顔を日々大切にしようと考える、つまり、みんなの幸せが我が幸せと考えてきた国です。
未来は、今を生きる我々が築くものです。
なぜなら、未来は、「未だ、やって来ていない」からです。
どのような未来にするのかは、我々自身の選択にかかっています。
日本をかっこよく!
お読みいただき、ありがとうございました。
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