※次回の倭塾は5月21日(土)13時半から富岡八幡宮・婚儀殿2Fです。 https://www.facebook.com/events/1562897727462643男女とも、互いに相手を背負う。 子が生まれれば、子も背負う。 孫が生まれれば、孫も背負う。 そして背負った荷物が大きい人ほど、人間は成長することができる。
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画像出所=https://www.irasutoya.com/2015/05/blog-post_2.html
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! お能に「高砂(たかさご)」という演目があります。
このお能で謡(うた)われる謡曲の中の一節は、かつては婚礼の儀に際しての定番曲となっていました。
以下のものです。
高砂や
この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
月もろともに出(い)で汐(しほ)の
波の淡路(あはぢ)の島影(しまかげ)や
遠く鳴尾(なるを)の沖(おき)すぎて
はや住の江に着(つ)きにけり
はや住の江に着(つ)きにけりお能の「高砂」は、お能の代表的な結婚式の披露宴で唄われる祝言曲でした。
樹齢千年を保つ常緑の松を通じて、夫婦の末長い愛と、草木をはじめとした万物すべてに心があることを讃えた、たいへんおめでたい曲だからです。
舞台は9世紀の醍醐天皇の治世に播磨国(いまの兵庫県)の高砂の浦に立ち寄った神主(かんぬし)のもとに、一組の老夫婦が現れるところからはじまります。
老夫婦に神主が、
「高砂の松とは、いずれの木を申し候(さふら)ふぞ」
とたずねます。老人は、
「ただいま木陰を清(きよ)め候(さふら)ふこそ、高砂の松にて候(さふら)へ」
と答える。
神主が続けて
「住之江(大阪市住之江区)の松に相生(あいおひ)の名あり。
当所と住吉とは国を隔(へだ)てたるに、
なにとて相生の松とは申し候ふぞ」
と問うと、いろいろとやりとりの末、
「うたての仰せ候や。
山海万里(さんかいばんり)を隔(へだ)つれど、
たがいに通う心の遣い、
妹背(いもせ)の道は遠からず」
と老人が答えます。
「妹背(いもせ)の道」というのは、現代語で「夫婦の道」と訳されますが、実はもう少し深い意味があります。
妹は配偶者のことをいい、夫婦が互いに相方を背負っての生きることを言います。
これは西洋風の恋愛至上主義とは意味が違います。
恋愛は、出会いから結ばれるまでを最高の瞬間として讃えます。
このことはなるほど一理あって、若い男女は出会って最初の半年くらいは、互いに脳内に大量の恋愛ホルモンが分泌され、心臓はドキドキするし、相手を独占したいと願うし、恋煩いで食事も喉を通らないのに、肌艶が良くなったりします。
けれど半年以上経過すると、そんなホルモンの分泌もなくなって冷静になり、
「どうしてこんな奴とつきあっちゃったんだろう?」なんて思い出して、信じられないような大げんかをしてみたり、セパレート(別れること)したりもするわけです。
それが良いか悪いかは、個人差もありますし、なんともいえないことですが、なんだかんだといって結ばれてしまえば、それから共に白髪が生えるまでが30年、爺さん婆さんになって、狭い我が家で老後の暮らしをともにするのが30年。都合60年ないし70年、以後の人生を一緒に過ごすわけです。
子供がいれば、離婚というわけにも行かないし、日本の場合だと、離婚すれば仲人さんに迷惑をかけることにもなる。
そこで日本では、恋愛のアツアツよりも、その後の人生を、夫婦で「築く」ことを大切にするという文化を育みました。
それが「背子」であり、そのための道が「妹背の道」です。
男女とも、互いに相手を背負うのです。
子が生まれれば、子も背負う。
孫が生まれれば、孫も背負う。
そして背負った荷物が大きい人ほど、人間が成長すると考えられてきたのです。
西洋では、もともと女性は「ゼウスが男性を堕落させるために造られたもの」という原理があります。
また旧約聖書では、「女性は夫から支配されることが原罪」とされています。
男女関係は、どこまでも男が上、女が下という上下関係を原則とします。
日本人にとっては信じられないようなことですが、ひとむかしまえまでの西洋社会では、夫が妻を殴るのは、ごくあたりまえの常識でしたし、女の子は、叩いて育てるということが、これまた常識でもありました。
これに対し日本の文化は、イザナギ、イザナミの時代から、もとより男女は対等な関係です。
夫婦の間にとって大切なことは、「共計曰(ともにはかりていわくには)」と、あくまで互いに話し合って決めることが大事とされてきました。
愛とは「いとしく、めでるような気持ちで、相手をおもふ」ことであり、その思いを生涯かけて大切にしていくことが、その人の社会的信用をも形成しました。
たとえアツアツの恋愛期間がなくても、その後に何十年と続く結婚後の仕合せな生活をたいせつにしたのです。
なぜなら、夫婦の愛は、燃えるものではなくて、育むものだからです。
燃える炎はいつかは消えますが、育む愛は永遠に育み続けることができるものだからです。
お能の「高砂」は、いくつかの名言が謡曲に含まれています。
「それ草木、
心なしとは申せども、
花実の時をたがえずに
陽春の、徳をそなえて南枝(なんし)花、
これはじめてひらくなり」
四季がめぐれば、必ず冷たい冬がやってくる。
その冷たい冬を乗り越えた先に、春が来る。
「言の葉の露の玉、
心をみがく種なりて」
こうした言葉の数々が、実は心を磨く種なのだ。
「草木土砂、風声水音、
万物こもる心あり。
春の林の東風(こち)動き、
秋の虫たち北露(ほくろ)に鳴くも
これ皆和歌の、姿なり」
要するに自然界の生きとし生けるものは、草木土砂や風の動きや水の音にまで、すべて私たち人間と同じ「心」が宿っているのだ、と。
だから、自然界のもたらす四季の流れにさからうことなく、自然体で生きることが、千年の松のような、夫婦の末長い愛をもたらすのだと。
お能の世界というのは、単に「侘び寂び幽玄の世界」ではありません。
人としての大事を、演劇を通じて説いているのがお能の世界です。
だからこそ足利幕府も、織豊政権も、徳川政権も、武家の常識としてお能を大切にしたし、殿様ならば、能楽のひとつも自分で舞うことができるのが、あたりまえの常識とされてきたのです。
日本をかっこよく!
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