青葉慈蔵尊の慰霊祭の日



6月21日は、埼玉県さいたま市大宮区にある青葉園で「青葉慈蔵尊の慰霊祭」がある日です。
国家が崩壊して失くなった満洲において、日本人看護婦が受けた受難の歴史と、亡くなられた看護婦さんたちの御魂を靖んじるための慰霊祭です。
この満洲従軍看護婦受難の物語については、昨日の記事にしています。
 満州従軍看護婦哀歌(1)
 満州従軍看護婦哀歌(2)
 満州従軍看護婦哀歌(3)
この物語に関連して、いくつか申し上げたいことがありますので、今日はそちらを書いてみたいと思います。

天に向かって凛と咲くタチアオイ
20180620 天に向かって凛と咲くタチアオイ
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小名木善行です。

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1 従軍看護婦

従軍看護婦(じゅうぐんかんごふ)というのは、軍に随伴して野戦病院などに勤務して医療活動を行う女性看護婦人のことをいいます。
西欧では、1854年のクリミア戦争で、英国のシドニー・ハーバート戦時大臣が、女性看護婦教育にあたっていたナイチンゲールに、戦地での看護を依頼したことがはじまりとされます。
このときナイチンゲールは、38名の女性看護婦らを率いて前線に向かい、たいへんな成果をあげています。

それ以前にも18世紀の後半から、米国では世界に先駆けて女性看護婦が活躍してきた歴史を持つなどといった記述をしているものもありますが、女性が戦地で看護婦を行うことは、もともとは文化の進んだ国では行われていなかったことでした。

平時の市中における医療施設で女性が看護にあたったり、あるいは医療を行ったりということは、ごく普通にありましたし、たとえば古い時代の英国では、医療は女性が行うものとされていました。
その女性は、遠目にもわかるように、黒い衣装に、先の尖った山高帽子をかぶりましたが、それが後年、英国を征服したキリスト教徒によって、魔女とされたりしています。

ただ、女性が医療や看護を行うのは、あくまで平時、もしくは市中の医療施設であって、戦場やその前線における医療は、古い時代には男性医師と男性の補助者だけがこれにあたるとされていました。
生物学的には、男は戦って死ぬために生きているのであり、女は子を産むことで子孫を絶やさないために生きているとされているのだそうですが、その男たちの戦いの戦場に女性が入り込めば、危険極まりないわけです。

戦場は、死ぬ人もいれば、ケガや病気で倒れる人もいます。
ですから医療も看護も不可欠です。
そのこと自体は、たとえば日本の戦国時代の戦でも変わりはありません。

では戦国時代の戦での医療はどうなっていたのでしょうか。
これは戦国時代も、その後の戊辰戦争の時代も同じですが、医師も看護助手も随伴するのが、常でした。
ただし、医師も看護助手も、全員、男性です。
女性は同行させることはありませんでした。

理由は簡単で、戦場で名誉の戦いをしようという武士たちが、戦地において女性問題を起こせば、故郷(クニ)にいる親兄弟や親戚一同に、「女にだらしのない男」として大恥をかかせることになるし、そんなことで勇敢に戦った武士の名誉が削がれるようなことがあってはならないからです。

好きな男性に声をかけられたり触れられたりすれば嬉しいけれど、嫌いな男性に声をかけられたり触れられたりするのは、蕁麻疹が出るほど嫌だという女性心理は、今も昔も変わりません。
ややこしいのは、好きな男性であっても、触れられたことにびっくりすれば、思わず泣き出してしまうというのも古来変わらぬ女心ですし、交際していた男性であっても、ある瞬間から嫌いになったら声が聞こえるだけで蕁麻疹が出る(笑)というのも、これまた古来変わらぬ女心です。
そういう微妙な心理の変化は、男性には理解不能ですし、そんなことで困惑して肝心の戦に身が入らないのでは、困ったことでは済まされない大事となります。
それならば、いっそ戦場には女性は伴わない方がはるかに安全というわけで、医療も看護も、戦場ではそれらはすべて男性の役割となっていたのです。

ちなみに嘘のような本当の話ですが、昔のお侍さんは、戦場で刀傷を受けても気合で流血を止めることができたのだそうで、これを応用したのが有名な筑波のガマの油売りだそうです。
ほんとうに「エイッ」と気合を入れると、傷口がふさがり出血も止まるのだそうで、そのうえであとから傷口を縫い合わせたのだそうです。
それも自分でできるところは、自分で縫ったといいますから、たいしたものです。

明治に入って、洋式軍隊ができたときも、これは同じで、ですから日本軍では、軍医も軍医の助手も、全員がもともとは男性でした。
ところが日清戦争の折に、洋式にならって、日本赤十字から陸軍に女性看護婦が派遣されました。

それでもこの当時はまだ女性看護婦たちは危険の大きな大陸には派遣されず、大本営のあった広島に設置された軍病院(主に大陸で伝染病に罹患した患者が収容された)だけでの看護をしています。
そこには主に大陸で感染症に罹患した患者が収容されていたのですが、それでも4名の伝染病罹患による殉職者を出しています。
このときのひとりが岩崎ゆきで、わずか17歳の乙女の覚悟と死が高く評価されるに至ることになります。
岩崎ゆきと従軍看護婦のはじまり
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3545.html

また、このときの日赤の従軍看護婦たちが叙勲され、これら一連のことを当時のメディアが従軍看護婦の「壮挙」として讃えたことから女性従軍看護婦の積極的登用が行われるようになり、続く日露戦争では、2160名もの女性看護婦が従軍するようになりました。
しかしこの段階でも、まだ女性看護婦は内地勤務であって、国外に出ることはなかったのですが、それでも大陸からの感染症に罹患して39名が病死しています。

ちなみに感染症罹患は、大陸での戦いでは本当に酷いもので、とにかく内地と違って水が汚い。
当時の大陸では、農民が城塞都市内の糞尿を桶に入れてもらってきて農業をしたのですが、日本のように、それを発酵させて肥料に用いるということをしない。
そのまま畑に撒いて、女性が裸足でそれを土に混ぜるというのが普通で、出来上がった作物を都市部に運ぶ際の桶は、糞尿を運んだ際に用いた桶をそのまま洗わずに(水がないから洗えない)用いるのがあたりまえでした。

また城塞都市内で糞尿を壺に入れる(壺に糞尿をする)のは、限られた一部の金持ちだけで、城塞内に住む一般庶民は、路上で下の用をするのが普通で、これを犬が食べて、その犬をまた人間が食べるといったことが普通に行われていました(ラルフ・タウンゼント著『暗黒大陸中国の真実』)。

そのような劣悪な衛生環境でしたから、どこもかしこも、何もかもバイ菌だらけであったわけで、日清日露以来、我軍が大陸に出兵することは、要するに兵を劣悪な環境下に置くことにもなったわけですから、感染症に罹患する兵が極めて多かったし、内地に運んでそれを治療しても、その治療中に大切な女性看護婦がやはり感染症に罹患して死亡するという悲しい出来事も多々発生したわけです。

日本は、日露戦争、第一次世界大戦以降、シベリア出兵、日華事変と、大陸への出兵を余儀なくされましたが、こうなると細菌性の感染症対策が極めて重要になるわけで、そのために置かれたのが「関東軍防疫給水部本部」です。
人は水を飲まなければ死んでしまいますが、その水の衛生をいかに保つか、感染症からいかに兵や住民を護るかは、当時にあっては、死活問題ともいえる重大事だったわけです。

「関東軍防疫給水部本部」は、当時にあって世界最大かつ最新の防疫研究機関です。
年間の研究費予算は、当時世界屈指の名門大学であった東京大学(いまでは世界的には二流大学に落ちていると言われています)とほぼ同じ年間200万円(昭和17年度)の研究費が与えられていました。
そして3千人をこえる職員が日夜研究に励み、世界的な特許もいくつも取得する研究成果をあげていたのです。
そしてその研究成果は、終戦時にGHQに摂取され、この成果によって、大躍進したのが、いま世界的な大手薬品メーカーとなっている米国製薬会社です。
そして研究成果をすべて奪われた「関東軍防疫給水部本部」の通称名が「満州第731部隊」です。

まさに悪の権化のように言われている「関東軍防疫給水部」ですが、罹患者を内地に運んで厳格な衛生管理を施していながら、女性看護婦が次々と感染して死んだのです。
大陸へは国際条約(北京議定書)によって出兵はしなければならない。
けれど感染症罹患は極力防ぎたい。
そのあたりまえのことに、真剣に取り組んだかつての日本と、その機関が、あたかも悪魔の部隊のように声高に言われて続けてきたというのが、戦後の日本のある種の狂気であったといえると思います。

さて従軍看護婦ですが、昭和12年に日華事変が勃発すると、外地における医局の看護師の数が重大な不足という事態を迎えるようになりました。
そこで苦肉の策として、内地から女性看護婦を大陸に送り出すようになります。

そしてこの結果、終戦までの8年の間に、延べ3万5千名もの女性看護婦が従軍して外地に赴任するようになるわけです。
そしてこのうちの1120名が戦没して、いま靖国神社に祀られています。

なかでも戦況の厳しくなってきた南方戦線では、軍とともにジャングルの中を逃げ回り、食べるものさえないなか、最後には自決してお亡くなりになった看護婦も大勢います。
また、戦争終結後には、北満において、ソ連軍やChina兵によって酷い目に遭わされた看護婦も多く、やっとのことで、内地に向けて帰還しようとしているところを、半島で強姦や生殺しなど、およそ鬼畜さえも目をそむけたくなるような酷い目に遭わされた看護婦も大勢いると聞いています。
またこのことは、軍の看護婦のみならず、産婦人科等のためにと大陸に渡った産婆さんや、その助手、あるいは女医たちまでも、酷い仕打ちを受けることになりました。

日本人の感覚からすれば、ひどいことをしたから、力関係が変わったときに酷い目に遭わされた、つまり事前に日本人の側が大陸や半島の人々にひどいことをしたのではないかなどと、つい勘ぐってしまいがちなのですが、事実はまったく異なります。
力関係において鬼畜が上位に立てば、鬼畜はそれまでの恩義をすべて仇で返します。
あたりまえのことです。
鬼畜に恩義という概念はないのです。
それが世界の現実であること、すくなくとも、そんな事実が、ほんの6〜70年前に実際に起こっていたのだということを、私達現代日本人は、子や孫のために自覚する必要があります。

2 青葉慈蔵尊の物語について、

私の書いた満洲従軍看護婦哀歌の物語について、いまなお、アップするたびに、私を糾弾する文章を書く人がいると聞いています。
読む気もしないし、誰がどのような考え方をしようが自由なので、放置していますが、ただひとつ、批判も感想のうちですので、それ自体は良いのですが、内容ではなく私個人への人格攻撃になっているのは、残念なことです。
どんなに正しいと信じることであったとしても、「正しいことをするなら何をしても許される」と考えるのは、左翼思考です。

世の中には、◯か☓かの二種類しかないのではなくて、0と100の間には1〜99までの多様な考えや思考があるのです。
これを正しい正しくないでいうならば、88の正しさを持つ人でも12は間違っていることになりますし、98間違っている人であっても、ひとつくらいは正しいこともあったりするということです。
要は、世の中には完璧などないのですから、0や100しか求めないのであれば、世間を狭くするしかなくなることは、誰でも知っている常識です。

逆にいえば、自分がどんなに正しくありたいと願ったとしても、必ず間違いはどこかにあるし、どんなにすごい先生であっても、やはりたくさんの間違いがあるのです。
したがって我々凡人は、世の中に正しいことを10しか持たない人もいれば、80ある人もあるという前提の中で、それぞれの先生方からすこしでも良いところを吸収して、自分が成長していくしかない。
その先生の間違いの部分をあげつらって、責め立てたところでなんの益にもならないし、そういうことをする人を、多くの世間の常識人は信用しない。

不思議なことに、保守を自称する人の中の一部には、このような簡単な常識さえ持たず、やたらに他の同じ保守系の人を攻め立てる人がいるようです。
しかし、そういうことでは、自分が偉くなったように錯覚することはできるかもしれませんが、世間の多くの人は、むしろそれを粘着性の性格異常者としかみなしません。
日本を取り戻そうという闘士が、粘着性の性格異常では、世間はついてきません。

またさらに我が国では古来、正しいことをするためならどんな非道をしても許されるという思考はありません。
武士が非道をただし、正しい行いを通すためにと刃傷に及べば、たとえどんな理由や正論があったとしても、みずから腹を斬らなければならないとされてきたのが日本です。

そして、多くの人に目覚めてもらうことが日本を取り戻すということであるならば、そこにおける行動は、正義を振りかざしながら何の責任も負わない無責任な正義ではなく、むしろ0と100の人以外の、1〜99の人々にとって、愛と喜びと幸せと美しさを及ぼすものでなければならないと私は思います。

言いたいことは以上です。

最後に、青葉慈蔵尊に祀られた従軍看護婦の皆様、また従軍看護婦として散華された皆様のご冥福を心からお祈り申し上げたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント

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> 埼玉県さいたま市大宮区にある青葉園

たぶん、西区です。「水と緑と花のまち」らしいです。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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