7月17日は江戸が東京と改称された日



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次回の倭塾開催は7月17日(日)13時半から。場所は富岡八幡宮・婚儀殿2Fです。
テーマは「我が国のアイデンティティと日本の政治」です。

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対立よりも和。
それが戦争と平和とか、強国と弱国とか、金持ちと貧乏人、あるいは男と女など、何もかもを「対立」で捉えようとする西洋文化と、我が国古来の固有の文化の大きな違いです。

20160716 東京



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小名木善行です。

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慶応4年7月17日(西暦1868年9月3日)、江戸の名称が東京と改められました。
提案したのは大久保利通で、明治天皇から詔勅が発せられました。

このときの詔書が「江戸ヲ東京ト稱ス詔書」です。
次のように書かれています。

******
江戶ヲ稱シテ東京ト爲スノ詔書
明治元年七月十七日 法令全書第五百五十七
 詔書
朕今萬機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス
江戶ハ東國第一ノ大鎭四方輻湊ノ地
宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ
因テ自今江戶ヲ稱シテ東京トセン
是朕ノ海內一家東西同視スル所以ナリ
衆庶此意ヲ體セヨ

(現代語訳)
朕はいますべてを親裁することで、
億兆の人々の安寧を図ろうとしている。
江戸は東国第一の大鎮であり、四方から人や物が集まる場所である。
そこでよろしく親臨をもってその政をみるべきである。
よって以後、江戸を称して東京とする。
これは朕が国内をひとつの家族として東西を同一視するためである。
衆庶はこの意を体にきざみなさい。
*******

「是朕ノ海內一家東西同視スル(国内をひとつの家族として東西を同一視する)」と述べているのは、戊辰戦争で国が二つに割れた(官軍と幕軍)ことを重要視した言葉です。
敵味方に別れて戦った幕軍も、いまは全員、朕のもとにありますよ、国内はひとつですよ、とあらためて述べられた文になっています。

さて、この東京という呼称変更を、大久保利通がではなぜ提案し、実行に写したのでしょうか。
実は、理由が2つあります。

ひとつは、江戸が「えど」であるという理由です。

江戸を開闢したのは徳川家康ですが、家康はもともと駿河に拠点を構えていたものを、秀吉とともに小田原の北条攻めを行ったときに、秀吉から、「そこで連れションをしよう」と誘われて、陣幕の外に出て、二人並んで連れしょんべんをしました。
このとき、秀吉が「あんた、関東にはいらんかね」と言われて、家康は断れずに「わかりました」と答え、拠点を江戸に移してそこに江戸城を建設したという逸話があります。
これが有名な「関東の連れしょんべん」で、男たちの最重要な話は一緒に小便をした仲で行われる、みたいな楽しい話として、いまに伝わっています。

こうして江戸に入った家康ですが、もともとこの辺り一帯は鎌倉時代には「江戸氏」という一族が城を築いていたところで、その後室町時代には、太田道灌が入植して、江戸氏の居城跡に、江戸城を築いたという歴史があります。

その地に新たに入植した家康は、特段、江戸を名乗る必要はなかったわけですけれど、江戸の地名を用いたのは、京に都があり、自分は天子様(天皇)から任命された征夷大将軍として、政務を司る立場であることを強く意識したためであるといわれています。
政治は、ある意味、穢れの世界でもあるわけです。
ですから京の都が、天に通じる聖域なら、江戸は汚れた政務をみる穢土の拠点だというわけです。

ところが戊辰戦争のあと、その穢土(江戸)に、明治天皇が奠都(てんと)して来られることになったのです。
天皇がおわす場所となれば、それは、聖域です。
聖域が「穢土」では話になりません。
そこで明治天皇の御即位前に、穢土を「東京」と名称変更することになりました。(9月3日)
そのうえで、10月23日に、明治天皇の御即位が行われたのです。

 *

ふたつめの理由は、江戸時代後期の国学者、佐藤信淵(のぶひろ)の『宇内混同秘策』によるものです。
これは、明治維新の45年前の文政6(1823)年に書かれた書で、日本の守りを強固にするために三都制にすべしという建言をしている書です。
三都というのは、江戸、大阪、京都の三箇所で、これにともない名称も江戸を東京、大阪を西京、京の都を京都と、江戸、大阪の改称も、ここで提案しています。

ちなみにこの『宇内混同秘策』は、とってもおもしろくて、冒頭に
「皇大御国は大地の最初に成れる国にして
 世界万国の根本なり。
 故に能く根本を経緯するときは、
 則ち全世界悉く郡県と為すべく、
 万国の君長皆臣僕と為すべし」
とあります。
何を言っているのかというと、満州、朝鮮、台湾、フィリピン、南洋諸島を領有せよと述べているのです。
つまり大東亜共栄圏構想を、なんとその100年前(明治維新の30年前)に提唱しているわけです。

佐藤信淵は、出自が明らかでないことから、どうみても武士の出ではなく、おそらくは農家もしくはそれ以下の出であろうと言われていますが、その論説の是非はともかくとして、欧米列強の覇権主義に抗するための具体的国家安全保障のための構想を、気宇壮大に大胆に説いている点は、いかに江戸日本に言論の自由、学問の自由が認められていたかのひとつの象徴であろうと思います。

ちなみに佐藤信淵は経世家としても知られています。そしてこの『宇内混同秘策』は、経世家として書いた書でもあります。
その経世家というのは、いまで言ったら、経済学者です。
つまり、大東亜構想も、大阪都構想も、経済の発展と、大東亜の安全保障の両面をカバーする構想として述べているわけです。
いまでも大阪都構想を主張する人たちはいますけれど、それを大東亜の経済の発展と安全保障という壮大な計画として語る人も語れる人もいないかのようです。
昔、なにかのドラマで、「小さくまとまるなよ」というセリフがありましたが、どうも近年の日本人は、あまりに小さくなってしまっているように思います。


こうしたことが背景になって、東京に皇居が置かれるようになるのですが、その東京への都の移設は、
「遷都」ではなくて、
「奠都(てんと)」です。

いまでも、京都に「都(みやこ)」という字が付いたままになっていて、東京も「東京都」で、都がついています。
なぜ京都と東京と、都(みやこ)という字が二箇所で使われているかというと、実は京都も東京都も、どちらも「都」だからです。
今風の言い方をすれば、どちらも「首都」です。
なぜなら東京は「都」を移し替える「遷都」ではなく「奠都」をしたところだからです。

「奠都」というのは、新しく都の場所を定めることです。
移し替えることを意味する「遷都」とは違います。
ですから京の都も、東の都も、どちらも「都」です。


もうひとつ。
冒頭で「戊辰戦争で国が二つに割れた(官軍と幕軍)ことを重要視した」と述べました。
また以前に「戦争」と言う言葉は国家間の戦いを言うと述べました。
このとき、「戊辰戦争」は内戦じゃないかというご意見をいただきましたので、すこし詳しくお話しておきます。

日本は、神代の昔から天皇のシラス国です。
ですから江戸の将軍は、天皇からその地位を親任された武家政治の総責任者です。
ところが、明治維新において、将軍は、その大政権を奉還したのですが、一部の者たちが、これを不服として天皇に刃を向けました。
つまり朝敵となりました。
朝敵となった者は、すでにその時点で、天皇のシラス国の臣民ではありません。
臣民ではなく賊軍だから、官軍によって討たれるのです。
すくなくとも理論上はそうなります。

すると日本国が、日本民でない人たちと戦うわけですから、これは国家が行う戦争だということになります。
戊辰の役に、国際戦争をあらわす「戦争」という用語が用いられているのは、そういう理由です。

このため靖国神社に戊辰戦争の際の幕臣たちは一切祀られていません。

実はこの「朝敵とされた」ということが、昭和から平成期に至ってもなお、根強い不服として旧幕臣たちの心の傷となっていて、そういうことが靖国参拝への密かな感情的反発になっていたという側面もあります。
どういうことかというと、旧幕臣の家や幕軍の人たちが、戦没者の慰霊であっても、あえて靖国には行かず、地元の護国神社や、菩提寺、あるいは別に自分たちで築いた慰霊塔などの前で行ってきました。

東京をはじめ、全国各所に慰霊施設があることには、実はそういう事情があります。
もちろん幕府側の全員ではありません。
ただ、一部の(というか本当は大半の)頑固者たちは、そのようにしてきました。

私なども若いころ、取引先とトラブルがあったとき、若気の至りで
「出るところに出ますよ」と言ったら、
相手の方(ご高齢の社長さん)は、が、
「勝手にしろ!ワシは薩長の裁判所なんか信用せん!」
とおっしゃられて、びっくりしたことがありました。

戊辰戦争といっても、たった150年前の出来事なのです。

ただ、ようやくといいますか、この数年、かつての幕臣の家の方々も、靖国参拝を行うようになりました。
日本が壊れそうだという危機感から、いつまでも過去を引きずるわけにはいかないという思いが強くなってきたからです。
けれどその一方で、全国にある別な追悼施設が閑散とし、その維持管理が難しくなってきているという状況も生まれています。

歴史は、複雑に絡み合います。
けれど、どんなに複雑な感情も、日本という国は、それを長い年月のうちに、風化させ、同化させ、ついにはすべてを一体化させてきました。

対立よりも和。
それが、日本の中心となる心です。
それがあるから、一体化が可能になります。

そしてこの点が、戦争と平和とか、強国と弱国とか、金持ちと貧乏人、あるいは男と女など、何もかもを「対立」で捉えようとする西洋文化と、我が国古来の固有の文化の大きな違いです。


※この記事は2016年7月の記事の再掲です。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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