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8月14日(日)に靖国神社でみなさまとご一緒に昇殿参拝を行います。
事前申込は特に必要ありません。
是非、ご一緒に英霊に感謝を捧げ、護国への決意を新たにしていきたいと思います。
詳しい内容は↓コチラ↓
https://nezu3344.com/blog-entry-5295.html ───────────────
昔は男も女も、強くなければ生きていくことができなかったのです。 その強さを、現代日本人も持ちたい。 理不尽な暴力には反対ですが、強さはいつの時代にも必要です。 現代日本人もまた、夫婦で強くなるべきときがきていると思います。 そうでなければ、ここまで荒れた日本を取り戻すことなどできない。 そのように思います。
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画像出所=https://www.irasutoya.com/2019/09/blog-post_665.html
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! このブログでは、度々「日本では昔は世帯が最小単位だった」ということを書かせていただいています。
そのことが、戸籍における「本籍地」という中で、現代でも生きています。
これを理解しないと、日本の国柄もわからないし、日本の文化の形成もわかりません。
そもそも、ただ奪うだけの文化なら、個人が単位、それも男優先社会で良いのです。
欲しい物があったら奪う。
奪うことは、武器があればひとりでもできるし、それが集団化したり、国王そのものが奪う存在であれば、人を使って奪わせることも可能です。
そしてこの場合は、奪わせる役の男性を、上の人が自由に使役できること、
男性優先社会であること、
女性は、単なる戦利品と考えるほうが、より合理的になるし、闘争が常態化した中にあって、国が強くなる仕組みになります。
これらが完成したのが、西洋社会であり、チャイナ社会です。
ですからこれらは大陸型文化ともいえるし、陸上型文化と呼んでも良い。
陸上社会では、暴力集団から逃げ切ることは難しく、結局は支配者に支配されなければ生きていくことができないからです。
日本は、もともとは万年の昔から海洋文化を持つ国です。
このことは、縄文時代の遺跡が、海沿いの暮らしであったことを示す貝塚からも明確にわかるし、旧石器時代に外洋公開していたことを示す黒曜石の分布等の遺物資料からも明確です。
そして海洋文化では、いくら上の人(支配者)が威張っても、下の人たちの暮らしは海にあるわけですから、支配が十分に行き届くことはありません。
その一方で、同じ船に乗る人達は、異常なほど強い結束を持ち、有機的に結ばれます。
なにしろ、船長の言うことを聞かない船員は、海に放り出されるし、嵐が来れば、日頃仲が悪いとか言ってられません。
乗組員全員が、いざというときには一致協力、それぞれがそれぞれのポジションで、自分にできる最善を尽くさなければ、船もろとも沈んでしまうのです。
西洋で、海洋文明で栄えたのは、ノルウェーやスエーデンなどのスカンジナビア半島の人々です。
彼らは比較的波の静かなバルト海で海洋文明を咲かせ、そこから北海に出るようになりました。
地球全体が寒冷化するなかで、食料不足になった彼らは、北海でさかんに海賊行為を働くようになり、さらに海沿いの国々に上陸して、そこに王国を築きました。
これが西洋の王朝のルーツになります。
ですから西洋の王族は、国が違えど、皆親戚です。
それぞれの国では、王族や貴族たちと地元民は、民族も言語も習慣もまったく異なりました。
言葉も通じない異民族は、およそ人とも認識されないし、女たちは結局、戦利品という扱いになっていきました。
そうした社会では、当然のことながら、家族よりも個人、個人も女性より男性が優先する社会が営まれることになります。
一方日本では、もともと男たちは海で魚を獲ってくるのが仕事です。
女たちは陸にいて、田畑を営み、また山菜を採り、料理をし、子を育てるのが役割でした。
また男女とも、歳をとって老人になると、村にいて子どもたちの教育を行うようになりました。
日本が、海洋族から、完全に陸上族へと国の形を変えたのは、唐の国に責められそうになった7世紀のことです。
それまでの日本は、広大な太平洋を駆ける海洋族として、東は北米、南米大陸から、西はインド、アフリカにまで自在に進出していました。
ところが唐の脅威の前に、国をひとつにまとめなければならなくなったときに、日本は国防のために、日本の範囲を、本州、四国、九州と、これに近い諸島に絞る必要が生じ、この範囲において、戸籍をつくって国の形をはっきりさせるということを行うようになりました。
そしてこのことが、日本の領域を確定することになっています。
けれど、そうした中にあっても、日本が万年の単位で培ってきた文化性は失われず、夫が外で稼ぎ、妻が陸にいてすべての家計の面倒を見るという国の形はそのままに維持されました。
多くの人が誤解していることですが、日本では、もともと所得は「世帯」が単位となっていました。
このことは武士の時代も同様で、俸禄は、城で働く武士個人に支払われるのではなく、その武士が、たとえば佐藤家の出であれば、俸禄は、佐藤家に支払われていました。
このことは仕事を受ける場合も同じで、たとえば父さんが命令を受けても、その実行は息子が行うといったことも普通に行われました。
なぜなら、命令は家にくだされたものであり、父子の別なく、それは世帯全員が負う連帯債務になったからです。
そしてこの世帯の財産管理をしたのが、奥方、つまり奥様である女性です。
つまり旦那は、城勤めをしていていても、小遣いや経費は妻からもらっていたわけです。
たいていの家では、旦那が40歳の半ばにもなると、家督をセガレに譲って、旦那は隠居していました。
そのセガレが結婚すると、家督の管理、つまり世帯の財産管理も、セガレの嫁に全権が移りました。
住まいも、母屋はセガレ夫妻に明け渡し、隠居した両親は離れに住むようにもなりました。
このとき、セガレの嫁がとんでもない女性で、家の財産を役者かなんかに入れ込んで遣ってしまったようなときは、(そのようなことはめったにありませんが)、嫁の実家がその損害賠償の責任を被ることになりました。
ですから、婚姻は家格の釣り合いのとれる先でなければ認められなかったし、結婚すれば両家が親戚づきあいになるというのも、こうした嫁の保証人という意味を考えれば、当然のこととなったわけです。
考えてみれば、人間にとっていちばん大切なことは、人類を生存させること。
つまり、子を生み育てることといえます。
このことは、戦(いくさ)などより、もっと大事なことです。
なにしろ戦は、人を殺して奪うだけですが、産み育てることは、未来を築くことに繋がるからです。
そして子を産むことができるのは、女性だけですから、その女性を大事にしない社会など、まったく考えられなかったのが、日本の社会の仕組みであったわけです。
昨日のブログで『夫婦善哉』のお話を書きましたが、この小説では、家のカネを持ち出して遊郭で散財する旦那の柳吉に、内縁の妻の蝶子が、旦那に馬乗りになってたびたび殴る蹴るの暴行を行うシーンが描かれています。
現代なら、内縁の妻からのDVのように扱われてしまいそうなシーンですが、昔は相手が旦那であれ妻であれ、間違いをすれば、ある程度叱られるのはあたりまえだったし、妻が旦那をホウキではたきだすようなシーンは、落語にもよく描かれています。
女性が強かったのです。
というより、男も女も、強くなければ生きていくことができなかったのです。
その強さを、現代日本人も持ちたい。
理不尽な暴力には反対ですが、強さはいつの時代にも必要です。
現代日本人もまた、夫婦で強くなるべきときがきていると思います。
そうでなければ、ここまで荒れた日本を取り戻すことなどできない。
そのように思います。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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