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8月14日(日)に靖国神社でみなさまとご一緒に昇殿参拝を行います。
事前申込は特に必要ありません。
是非、ご一緒に英霊に感謝を捧げ、護国への決意を新たにしていきたいと思います。
詳しい内容は↓コチラ↓
https://nezu3344.com/blog-entry-5295.html ───────────────
どんなに大金持ちになっても、それだけでは「共にある楽しさ」を手に入れることはできません。 もちろん支配者側に立てば、自分は楽しいかもしれないけれど、周囲ははなはだおもしろくない。 それでは「共にある楽しさ」にはなりません。 「いまだけ、カネだけ、自分だけ」から、 「共にある楽しさ」へのパラダイムシフト。 その鍵を握るのは日本です。 そしてその答えは、日本神話の中にあります。
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画像出所=https://mag.japaaan.com/archives/133123
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 現代日本人は、神話といえば、荒唐無稽なおとぎ話か、幼児向けの童話くらいにしか思っていません。
けれど、考えてみていただきたいのです。
日本は万年の単位で続く国です。
そしてかつては地域ごとが「クニ」とされ、方言が強くて、クニが変われば言葉も通じないほどの状況がありました。
そしてそれぞれのクニごとに、そのクニに根ざした神話が何千年もの時間の中で形成されていきました。
このことは日本書紀を読んでもあきらかで、同じ神話の物語でも、「一書曰(あるふみにいわく)」として、本編とは異なる異説をいくつも紹介しています。
また、日本書紀が世に出された直後には、全国各地に風土記を作成するようにとのお触れも出されています。
おそらくこれは、日本書紀が中央朝廷によって編纂されたけれど、「オラがクニでは、ちょっと物語が違うよ」といった異論が全国各地から出され、「では、それぞれの地域ごとにある神話を、それぞれの地域ごとで編纂してくださいな」という話になったものであろうと言われています。
古代大和朝廷の時代の日本は、まだまだ地方豪族たちのゆるやかな集合体であり、そうした地方豪族ごとに、「俺たちはこうしてクニを築いてきたのだ」という神話があった、ということを示しています。
同様に、カタカムナやホツマ文書などにしても、それぞれの地域ごとに存在した史書であり神話の書であったと考えれば、中央朝廷が編纂した日本書紀と、物語のストーリーが微妙に違っていても、さもありなんと思われます。
ただ、そのいずれもが、国常立神や、天照大御神が登場するところをみると、日本書紀や風土記が世に出された8世紀よりも、はるか何百年、あるいは何千年という古くには、もともとそれらは、ひとつの物語であったとも考えられます。
あるいはもしかすると、別な神さまであったり、まったく別な物語であったものが、時代とともに徐々に統合されて、記紀や風土記のような形になったのかもしれません。
そうしたものを、7世紀の後半に、中央朝廷でひとつにまとめようとなったのは何故かを考えてみると、これは理由はあまりにも明らかです。
白村江のだまし討ちによる敗戦があり、唐の国が日本占領をうかがう。
そうした中にあって、我が国は独立自存を維持するために、それまでの「豪族たちのゆるやかな集合体」という形から、中央集権的なひとつの国になっていく必要があったからです。
ですからいまある神話(つまり記紀)は、日本をひとつの国にまとめるためという、明らかな目的をもって編纂されたものであるということができるわけです。
あたりまえのことですが、中央朝廷が、全国をひとつにまとめるために編纂した史書ならば、そこに描かれた神話もまた、ただの子供向け童話ということではありえません。
どこまでも、「日本をひとつの統一国家にしていくため」という目的を持って描かれたものである、ということを、我々は自覚すべきです。
したがって現代日本人の、特におとなが学ぶ日本神話は、単に童話や寓話としての物語を学ぶのではなく、古代の人たちが築き上げようとし、それが1300年以上にわたって継承されてきた日本のあるべき姿、あるいは日本国家が理想とする日本や日本人の姿を学ぶというのが、おとなが学ぶ神話の意義ということになります。
現代の世界は、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」という世界です。
これは個人の欲望が最優先される社会と言い換えることができます。
そして欲望社会であるならば、既に利権やカネを持っている者が有利であり、そのなかでもとりわけ欲望の強い者の天下になります。
そして世界は、ごくひとにぎりの大金持ちが、世界のすべてを取り仕切る、そのような世界へと向かっているといわれています。
このことが何を意味しているかというと、そうした大金持ち以外は、全員、奴隷だということです。
この仕組は、いまに始まったものではありません。
古代ギリシャの時代、古代エジプトの時代、中世のヨーロッパ、近世から近代にかけての植民地支配、現代の世界、いずれも、1%の富裕層と、99%の奴隷たちによって構成されてきた社会です。
これは西洋において、4000年以上もの歴史を持つ統治体制です。
日本は先の大戦まで、欧米人の奴隷になることを拒否しようとしてきましたが、現代はほぼ完全に彼らの奴隷と化しています。
すでに日本は、奴隷国家となっているといっても、決して過言ではないのです。
ところがその日本は、万年の単位で、奴隷を作らず、誰もが豊に安全に安心して暮らせる社会を築いてきたという歴史を持ちます。
そしてそのことを、理論化し、体系化したものが、実は日本神話なのです。
もちろん、その理論化、体系化は、現代風の論文形式は踏んでいません。
現代の論文は、学者でなければ読めないような難解な文書ですが、日本のすごいところは、そうした難解な体系化された理論を、幼い子供でもわかるように平準化し、わかりやすくした点にあります。
それが、日本神話なのです。
ですから日本神話は、子供でもわかる平易さを持っています。
けれど同時に、一生かかっても、まだ読み切れないほどの深みを合わせ持っています。
そしてこの神話の中に、私達が、いわゆるグローバリズムに勝利する鍵があります。
「いまだけ、カネだけ、自分だけ」というグローバリズムに、欲望や金銭欲で対抗しようとしても、勝ち目はありません。むしろ飲み込まれるだけです。
勝利の要諦は、むしろパラダイムの転換にあります。
パラダイムというのは、認識の枠組みのことをいいます。
「いまだけ、カネだけ、自分だけ」という認識の枠組みに変わる、まったく新たな根本となる枠組みに、まさに勝利の要諦があるのです。
それは、ひらたくいえば、「共にある楽しさ」ということです。
西洋の王侯貴族の食事は、食卓の上に豪華絢爛な食事がならび、それを王侯貴族が独り占めする、ということに代表されます。
ところが日本では、みんなで一緒に食べるご飯が美味しい、という文化が育成されました。
このことは自動車も同じで、欧米の超人気車は、高級車であり、高級スポーツカーです。
ところが日本では、大衆車の1.5ボックスカーが人気です。
なぜなら家族みんなで楽しく移動できるからです。
どんなに大金持ちになっても、それだけでは「共にある楽しさ」を手に入れることはできません。
もちろん支配者側に立てば、自分は楽しいかもしれないけれど、周囲ははなはだおもしろくない。
それでは「共にある楽しさ」にはなりません。
「いまだけ、カネだけ、自分だけ」から、
「共にある楽しさ」へのパラダイムシフト。
その鍵を握るのは日本です。
そしてその答えは、日本神話の中にあります。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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