■□■━━━━━━━━━━━━━■□■9月10日(土)13時半から
倭塾を開催します。
今回のテーマは「政治と宗教を考える」です。
場所や参加方法などの詳細は↓こちら↓
https://www.facebook.com/events/588469902181665/■□■━━━━━━━━━━━━━■□■いくら欧米化したところで、日本人は日本人です。 その日本が世界最古の国家であることには理由があります。その理由を取り戻して常識化し、そこから新たな未来を創造していく。そこにこそ日本が未来を拓【ひら】く鍵があるのだろうと思います。
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画像出所=https://www.sanpaolo.jp/13443
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
10月7日に、拙著新刊の『奇蹟の日本史』という本が出版になります。
サブタイトルは『ねずさんが描く庶民をこんなに幸せにした日本というシステム』です。
9月8日予約開始なのですが、この本の「まえがき」を抜粋してお届けしようと思います。
はじめに『ザビエルの見た日本』
フランシスコ・ザビエルといえば、天文十八(一五四九)年八月に、日本に初めてキリスト教を伝えた人として有名です。
そのザビエルが日本に滞在したのは、同年から天文二十一(一五五二)年十一月までの三年三ヵ月です。その間にザビエルは鹿児島、山口、京都をめぐって布教活動を行いました。
そんなザビエルが日本の様子について書き記し、イエズス会に送った書簡があります。
***
この国の人々は、今までに発見された国民の中で最高であり、
日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられない。
彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がない。
驚くほど名誉心の強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじる。
大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も貧しいことを不名誉と思わない。
***
ザビエルがこんな評価をしたのは、日本が平和で文化が円熟した江戸時代ではありません。戦国時代の日本です。一五四九年といえば、信長がまだ藤原信長と名乗り、徳川家康がまだ松平竹千代という名の少年だった時代です。
この年、竹千代は駿府【すんぷ】の今川義元【いまがわよしもと】に人質【ひとじち】として送られました。一五五〇年には前田利家が十四歳で信長に仕え、信長の守役【もりやく】だった平手政秀【ひらてまさひで】が、うつけ者と呼ばれた信長を諌【いさ】めようとして切腹【せっぷく】しています。要するにザビエルの見た日本は、まさに戦国まっただ中の日本です。
ところがそんな日本をザビエルは、「親しみやすく善良」と讃【たた】えました。しかも「今までに発見された国民の中で最高」だというのです。
みなさんは「戦国時代」と聞くと、どのような時代を思い浮かべるでしょうか?
おそらく学校で教わり、テレビや小説の時代劇で知った戦国時代は、戦国大名が戦【いくさ】ばかりやっていて、荒っぽい武者が民衆を殺し、部下が上司を殺す下克上【げこくじょう】の時代で、あらゆる権威が崩れ、次々と起こる戦に、田畑は荒され、野山は荒野となり、民衆は飢え、国は荒れ、野武士集団が跋扈【ばっこ】して、民衆や農民から強盗や強姦【ごうかん】を繰り返していた時代、そんなイメージを鮮烈に焼き付けられているのではないかと思います。
ところが実際にその時代を自分の足で歩き見聞したザビエルは、その戦国期の日本を、まったく違う姿にとらえています。
ザビエルは文←書簡の中で「異教徒」という言葉を用いています。この時代の西洋人にとって「異教徒」は蛮族【ばんぞく】でありヒトモドキです。映画に出てくるバンパイヤ(吸血鬼)や、リカント(狼男)と同じで、蛮族とは人の姿をした獣【けもの】であって、人として認識されていません。ところがそんな異教徒の日本人をザビエルは、「今まで見た国民の中で最高」と述べているわけです。
いってみれば猿の社会を、彼は「人間の社会より優れた国、美しい国、美しい国民」と評価したようなものです。
異教徒でありながら、実に優れた文化を持った国。ザビエルは日本をそのように評価しました。その評価が与えられた日本はなんと、日本人の常識からしたら、最も世が荒れた戦国の時代であったわけです。
みなさんにはぜひ、このことの意味するところをお考えいただきたいのです。もし、みなさんがザビエルの立場にある宣教師だったとしたならば、今の日本を見たとき、果たしてザビエルと同等の評価をされるでしょうか? もし「しない」のであれば、それは世が荒れたと言われる戦国時代よりも、今の日本のほうが、よほど民心が荒【すさ】んでいることになります。
実際には、最近発見された戦国時代の日記などの記録をみると、後世の我々が「戦国時代」と名付けた時代も江戸時代も、日本人の心はまるで変わっていないことに驚かされます。つまり日本人は、戦国期においても、文化が円熟したとされる江戸期においても、等しく勤勉で真面目で、人を大事にし、一人ひとりが自らの成長に励み、人々が互いに助け合い、たとえ貧しくても立派に生きることを選択する民度の高い国民であったのです。
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エドワード・モースは、明治十(一八七七)年から明治十五(一八八二)年にかけて、三度にわたって来日したアメリカの教授です。日本の大森貝塚の発見や、ダーウィンの進化論を日本に伝えた人でもあります。そのモースが、日本での体験談を『JAPAN DAY BY DAY』(邦訳は石川欣一訳『日本 その日その日』平凡社・東洋文庫)という本にしています。明治十年頃の日本の姿を、紀行文として著したものです。すこし引用してみます。
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外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少く、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。
而(しか)も世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如【し】くものはない。爾(なんじ)の父と母とを敬愛せよ・・これは日本人に深く浸み込んだ特性である。
日本人の綺麗(きれい)好きなことは、常に外国人が口にしている。日本人は家に入るのに足袋【たび】以外は履いていない。木製の履物【はきもの】なり藁(わら)の草履【ぞうり】なりを、文字通り踏み外してから入る。最下層の子供達は家の前で遊ぶが、それにしても地面で直(じか)に遊ぶことはせず、大人が筵(むしろ)を敷いてやる。
世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。
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モースは、明治十九年にも『Japanese Homes and their Surroundings』(邦訳は『明治・日本人の住まいと暮らし』●邦訳が出ていますので、入れてみました。という本を書いています。そこには、次の記述があります。
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レインをはじめ文筆家たちは「日本の住居にはプライバシーが欠けている」と述べている。
しかし彼らは、プライバシーは野蛮で不作法な人々の間でのみ必要なことを忘れている。
日本人は、こういった野蛮な人々の非常に少ない国民である。
***
冒頭に戦国時代のザビエルを引用しました。それよりももっと古い時代、奈良時代の終わり頃の七五六年に建てられた国宝を保存する正倉院には、これまた有名な話ですが、鍵がありません。あるのは、紙でできたお札だけです。それでいて泥棒が入らない。一般の民家でさえ、一昔前までは家に鍵などなかったし、玄関の戸はいつも開け放たれたままでした。開けっ放しでも、鍵などかけなくても、そもそも泥棒が入る心配などまったくなかったからです。
なぜそのようなことが可能だったのでしょうか?
以前、いつもお世話になっている市内のある神社の宮司がおっしゃいました。
「日本という国は、陛下のもとにみんなが共同体として生活していたのです」
戦国時代の日本も、やはり同じ、共同体だったのです。
日本はもういちど、日本の心を取り戻すための勉強、つまり日本人としてのアイデンティティを本気で取り戻すことをしっかりと考えていかなければならないのではないでしょうか。
会社も同じです。
会社は資本家である株主のものというのが西洋の常識です。カネを出しているのだから、言うことを聞いて当たり前だというわけです。
けれど古くからの日本では、会社は経営者や社員たちのものでした。会社にいる全員の共同財産であり、みんなで力を合わせて業績をあげ、お客様にも仕入先にもよろこんでいただく。
そういうコミュニティでした。
だからこそ誰もが人生を賭けて一生懸命働いたし、その結果は終身雇用になったり、あるいは暖簾分【のれんわ】けしてもらって、終生その商売をして暮らすためのものでした。
だからこそ世界の創業二百年以上の企業のおよそ五六〇〇社のうち、半数以上の約三一〇〇社が日本に集中し、また世界に十二社しか存在しない創業千年超え企業のうち、九社が日本の会社だったりするわけです。
また、社会全体が共同体となっている日本においては、自分の会社の悪口や同業他社の足を引っ張ることは、けっして良いこととされることはありませんでした。あたりまえです。そのようなことを百年続けても、自社の業績が良くなることはけっしてないからです。自分の所属する会社やコミュニティを良くしたいなら、率先して努力し、みんなの力を結集していくことです。それ以外に業績が好転することはけっしてありません。
あるいは同業他社に自社の悪口を言われたからといって、同じようにその会社の悪口を並べ立てたところで、自社の業績が上向くようにはなりません。それどころか他者の悪口ばかりで疑心暗鬼に陥【おちい】れば、自分の会社の中さえも、互いに信じ合うことができない荒【すさ】んだ会社になってしまいます。
けれど欧米では逆です。選挙では対立候補の悪口を並べ立てて相手の足を引っ張ることが常識です。ビジネスにおいても、同業他社の欠陥をあげつらって訴訟問題にまで仕立てることで、自社のシェアを伸ばそうとします。さらに国単位の話になると、戦後の日本においても、なぜか政治の悪口、他国の悪口、自国の悪口ばかりです。
国というものは、生活者である国民にとっての最大のコミュニティです。コミュニティが発展し、良くなれば、そこに参加している人々みんなの暮らしが良くなります。反対にコミュニティ自体の業績が下がれば、ごく一部には、下げることで利益を上げる人もありますが、コミュニティを構成する人々の暮らしを減衰させます。
日本の近くには、日本の悪口を言うことが国家的アイデンティティとなっている国もあります。けれど彼らが残酷【ざんこく】で自分勝手なことは、今に始まったことではありません。千年前も二千年前も変わらないことです。おそらくあと千年経っても変わらない。
それよりも我が国が、世界中の誰からも認められる、本当に良い国、素晴らしい国になることを、あらためて学び、考え、行動すべきであろうと思います。
私達は日本を取り戻そうとしています。なぜなら、日本がいくら欧米化したところで、日本人は日本人だからです。日本が世界最古の国家であることには理由があります。その理由を取り戻して常識化し、そこから新たな未来を創造していく。そこにこそ日本が未来を拓【ひら】く鍵があるのだろうと思います。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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