権力者による私的支配を拒否し続けてきた自由の民とは



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ねずさんが描く庶民をこんなに幸せにした日本というシステム

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タイトルの答えは、日本人です。
民族が皆殺しの憂き目に遭う危険が伴う世界では、民族が国家としてまとまることで外敵を打ち払うために、国家の中心に権力を置くという社会形態が常識化しました。
だから世界には国家ができたし、王国が生まれたし、同盟や朝貢なども行われました。
ところが権力には腐敗が付き物だし、権力者だけが贅をつくして民衆が貧困にあえいだり、ときにはその権力が兵力を持つことで自国民を虐殺したりという出来事が度々起こりました。
それは何も太古の昔に限ったことではなくて、お隣の半島で、つい60年前にも、大統領による自国民への大量虐殺事件が起きているし、ほんの28年前にはその向こうにある自称大国で、自国の学生たちを戦車で大量に轢き殺すという蛮行も行われています。
ところが世界でただ一国、権力からの自由を得ながら、なおかつ平和で豊かな国を築いてきた大国があります
それが日本です。

20170928 シラス統治



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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。

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人類史を考えたとき、人々がまだムラの小さな家族共同体を営んでいた時代から、現代のような大規模国家を形成する時代まで、少なくみつもっても2万年、長いスパンで考えるなら20万年の歳月がそこにあります。
その長い人類の歴史の中で、人々は村落共同体を徐々に発展させて、豪族集団を形成し、その豪族集団を束ねる豪族が現れることで、国家を形成するようになりました。
そしてこの課程のなかで、人々の社会には、世界中どこでも「支配する者」と「支配される者」が生まれたということは、およそ定説といって良いことであろうと思います。

数の上から言ったら、いつの世も支配される側が圧倒的多数です。
問題は、その支配する側です。

China史では、その支配する側の頂点に立つ皇帝は、最初に天命を受けた皇帝は人情の人であり、人望があり、優れた資質を備えていて、人々の理想とする国家の建設に向けて、ときに戦いながら善政を施し、国をまとめたとあります。
ところが代を重ねるごとに、その皇帝に傲慢が現れ、我侭(わがまま)と身勝手が強くなり、支配される民衆の生活は破壊され、国家は貧窮のどん底に叩き落され、ついには天帝がその天命を別な者に与えることで、国が革(あらた)まる、というのがChina史であり、東洋史の基本的な流れです。

西洋史も似たところがあります。
強大な悪の敵が現れ、その敵によって多くの民衆が殺され、奪われ、生活を破壊され、ついには国家まで崩壊に至る。
ところがそこに英雄が現れて、民衆とともに力を合わせてその強大な敵に立ち向かい、ついにはその敵をやっつけて、平和な理想の国家を形成する。
するとまたそこに強大な敵が現れて、国が滅ぼされ・・・というサイクルの連続が、ヘロドトスに始まる西洋史学の基本構造です。

ただ実際には、China史においては、初代皇帝だけが仁徳の人で、その後におかしくなっていったというわけではなくて、おそらく最初から冷徹な殺人鬼があらゆる権謀術数や武力を用いて自らの栄達を図ったのであろうし、それによって出来上がった新国家(王国)も、民衆にとっては、不条理を押し付けるだけのただの収奪マシンでしかなかったし、民衆の幸せなど、ほとんど省みられることすらなかったというのが、実態であろうと思います。

西洋史もまた、英雄は権力者となり、結果として民衆が望むものは、いつの時代においても常に「権力からの自由」であり続けたというのが実情です。
ですから彼らにとって、自由であることは、まさに見果てぬ夢であり、坂の上にある手の届かない雲であり続けたわけです。

このことは、19世紀以降に中心をなした民主主義においても実は同じです。
国家は民衆が形成するものであり、民衆こそが国家を担う者だから、その民衆の選挙によって国家の代表を選べば、民衆に自由と幸せがやってくるに違いない。
そのことを理想として、自由や博愛精神や市民の平等を高らかに民衆の権利として謳(うた)い上げて形成したのが、いわゆる近代国家です。

ところがその近代国家は、政治権力と、これに結びついた商業資本によって操られ、気がつけば、かつての王国の時代では考えられなかったような市民への大量殺戮が公然と行われるようになり、富は偏在し、気がつけば選挙には利害がうごめき、政治権力者と商業資本家は、その富と権力を寡占し、結果として末端にある民衆は飢餓と病と殺戮による地獄のような生活を余儀なくされてしまっているというのが実情です。

日本人は、そうした近代国家をこそ最高の政治形態であると学校で教わり、西洋社会やあるいは日本での生活が、それなりに豊かなものであることから、すっかり忘れてしまっていますが、いまもなお、アジアやアフリカの諸国、とりわけ近代社会に欠かせない資源を持つ国においては、豊かと言われる西側国家の収奪によって、貧困と病と暴力が圧倒的に国民を支配し続けているというのが、世界の現実です。

こうした中にあって、いったいいつの時代にはじまったのかさえもわからないはるか神語の昔から、我が国では、国家最高の存在を「権威」とし、その権威によって末端の国民が「おほみたから」とされる国作りが行われてきました。
政治権力者にとって、自らの権力の下にある民衆は、自分よりも上位にある国家最高権威の「たから」なのです。
つまり、国も国民も、領土も領民も、いずれも「俺のもの」ではなくて、国家最高権威のものとしてきたのです。

そしてこのことが示すことは、ただひとつです。
それは、民衆は国家最高権威によって、権力からの自由を与えられてきた、ということです。
日本人は、太古の昔から、まさに自由の民なのです。

仁徳天皇の物語に、仁徳天皇の減税によって、人々の生活が豊かになったときの逸話が書かれています。
豊かになった人々は、仁徳天皇という国家最高権威によって、自分たちが豊かさを取り戻すことができたことに感謝し、荒れ果ててしまっていた皇居の整備に、こぞって馳せ参じたという記述が日本書紀にあります。

また、平安中期の伊勢神宮の斎主であり、神祇大副であった大中臣能宣(おほなかとみのよしのぶ)は、
 御垣守 衛士の焚く火は
 夜は燃え、昼はきえつつ、ものをこそ思へ
と歌を遺しました。
歌の意味は、皇居の門番を、無給であるにも関わらず、進んで買って出てくれている民衆が、一晩中不寝番で篝火(かがりび)を絶やさず、また日中は篝火は消すけれど、その不動の姿勢を崩さない。
民は、自分たちが豊かに暮らせる(都までの旅費も宿泊費も食費も全部自前)ことが、天皇の存在のありがたさによって、自分たちが権力からの自由を得、またそれによって豊かに安心して安全に暮らすことができることへの感謝を、こうした門番を含む勤労奉仕で捧げてくれている。
その民の気持を、思いを、我々政治を担う貴族はしっかりと受け止めていこうではないか。
という意味です。

思うに、一部の貴族や豪族、あるいは政治権力者や富者・長者といえる人たちだけが富や権力を独占し、寡占し、結果として民は絞られるだけ搾り取られるという搾取社会と、天皇という国家最高権威によって、末端の民こそが「おほみたから」とされる社会では、雲泥の差が出るのではないか。

いまでも多くの日本人は、道や電車で財布を拾えば、黙ってそのまま警察に遺失物として届け出をします。
一昔前の日本人なら、たとえば明治時代に日本にやってきたイザベラ・バードは、旅館に大切なものを置き忘れたとき、それを黙って日本人の馬子が届けてくれて、謝礼を渡そうとしたけれど、馬子が決して謝礼を受け取ろうとしなかったことに、たいへんな驚きをもって、その事実を手記に遺しています。

誰もが安心して食べられる社会が営まれていたからこそ、人々は個人の利益よりも、正直であることや、魂に恥じないことを大切にする社会を営むことができたのです。
外出するときに、家に鍵などかける必要など、毛ほども感じなかった時代は、ほんの半世紀前まで、日本ではあたりまえだったことです。

英国のチャーチルは、
「民主主義は最悪の政治である。
 これまで試みられてきた、
 民主主義以外の
 全ての政治体制を除けばだが」
という有名な言葉を遺しました。

なにも学校で習った民主主義だけが、最高の政治形態ではないのです。
そのことは世界に先駆けて民主主義を実現したとされる英国の首相が、そのとおりに語っている。

日本には、上古の昔から続く、究極の民主主義があります。
それは、民をこそおほみたからとする、シラス統治です。
私は、小手先の憲法改正論以前に、私たち日本人が、もともと日本が持っていたこの究極の民主主義についての理解を、国民的常識にしていくことの必要性を強く感じます。

そしてそれこそが、神々の望む日本の姿です。


※この記事は2017年9月の記事の再掲です。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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