日本の神と世界の神



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テーマは「日本の神と世界の神」です。

20220926 神
画像出所=https://sfumart.com/column/10minart_26/
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日本の神と世界の神

 欧米では神(God)は、人類と異なる存在であり、人類の創造主です。そこから誰かが人類を造ったに違いないという発想が有り生まれ、そのことが近年の「人類は宇宙人が造った」などといった説にも至っています。

 欧米では神は人類のオーナーですから、人類に対して「生殺与奪の権」を持ちます。そこから同じ人間であっても、偉い人は下にいる一般の民衆に対し、自分の富のためなら彼らに対する生殺与奪の権を持つのはあたりまえ、といった考え方も生まれています。かように神話というのは、その国の文化の根幹になる大切なものとなります。

 日本の神話は、神々は人類の始祖という考え方をしています。我々は神々の子孫であり、死ねば神々の仲間入りをすることになると考えられてきました。そこから「生存中は、恥ずかしくないしっかりとした生き方をしなければならない」という思想が生まれています。

 さらにいうと、最古の神々はこの宇宙の存在そのものであり、天であり、地であり、山川草木であり、自然そのものです。ですから自然にあるすべてのものと、我々は共に親戚であり、そこから自然への畏敬と感謝の念を持ちます。

 西洋では神は唯一絶対の存在です。
 英語圏では「ゴッド(God)」と呼びます。「God」の語源はゲルマン語の「ゴッツ(Gott)」です。これが古インド語で「ディーバ(deva)」となり、ギリシャ語では「ゼウス(Zeus)」、ラテン語では「デウス(deus)」、フランス語では「デュー(Dieu)」、イタリア語では「ディオ(Dio)」、ポルトガル語では「ディウス(Deus)」などになっています。要するにゴッドとゼウスは、同じ神だ、ということです。そしてその「God(ゴッド)」が、天地の創造主であり、人類は「God(ゴッド)」が泥をこねて造ったとされます。

 ここにおもしろさがあります。ゴッドやゼウスの原型であるゲルマン語の「ゴッツ(Gott)」は、「お供えをして呼ぶこと」を意味する語なのです。祭壇を作って神に降りてきていただくのです。
 とてつもなく偉い唯一絶対神を人の都合で呼び出すというのは、神に対してちょっとばかり失礼です。そこから、初期の頃の神は、西洋圏においても、かならずしも強大でおそろしい唯一絶対神ではなく、人々にもっと近い存在であったであろうことが推測できます。

 日本の縄文時代の遺跡を見ると、集落の真ん中に墓地があります。これは生者と死者が共存していたことを表します。この習慣は日本の縄文時代に限らず、南洋の島々や、南米とも共通の文化です。とりわけ熱帯地方では、その真中の墓地にバナナの木を植え、村同士の戦いなどがあるときには、戦士たちがそのバナナを食します。これは、ご先祖の勇気を、墓地で稔るバナナをいただくことで、戦死の体内に取り込むためとされます。

 日本の縄文時代の集落内の墓地に、そのように木が植えられていたかどうかは、いまではわかりませんが、集落と墓地の形状から、おそらくは似たような習慣があったのではないかという考古学者もいます。

 このことが意味していることはひとつです。つまりお亡くなりになった方は、家の守り神となり、村の守り神となり、クニの守り神となられているということです。だから勇気を分けてもらえるのです。

 ところが、数えてみれば、ご祖先の数は莫大な数にのぼります。人が生まれてくるためには父と母の2名が必要、父母が生まれるためには祖父母が4人必要、その祖父母が生まれるためには8人の曾祖父母が必要です。このように計算してみると、縄文初期の日本の人口はおよそ10〜12万人と言われていますが、16代も遡ったら、いま生きている人は、全員親戚です。16代ということは、たった400年です。現代日本で言ったら、関ケ原の戦いくらいのできごとです。いまでも少し古い家になりますと、「我が家は関が原の合戦でカクカクシカジカの軍功を挙げ・・」などといった伝承が残ったりしていますが、400年の歳月というのは、爺さんが孫に、そのまた爺さんから聴いた話を伝承すれば、わずか4度、それが繰り返されるだけで、400年が経過します。日本の歴史は400年どころか、その百倍の、およそ4万年もの昔までさかのぼりますが、こうなるとお亡くなりに成られた(自分と直接血のつながった)ご祖先の数は途方も無い数になります。いま生きている日本人は、過去において先祖が何十回もかぶったことのある、つまり日本人は全員、親戚です。
 そしてお亡くなりになられたすべての方が神となられています。だからこれを「八百万(やおよろず)の神々」と言います。

 西洋の「ゴッド(GOD)」は唯一絶対の創造神。我が国の神々は人々の共通のご先祖。この違いがわからずに、英語圏の人に、「日本のGODは八百万人います(8 Million Gods)」などと言ったら、彼らはびっくりしてしまいます。そこはむしろ「たくさんのご先祖を、我々は神と呼んでいます(We call many of our ancestors gods.)」とでも説明したほうが、わかりやすいといえるかもしれません。

 さて、日本でもいまでは神様は神社にご鎮座あそばされていますが、1万年前にできた初の神社である弊立神宮が生まれるより前には、まだ神社というものはなく、必要に応じてその都度、祭壇をつくり、お神酒(みき)を捧げて、神様に降りてきていただいていたとされます。このことは、なんと、ゲルマン語の「Gott(お供えをして神様を)呼んでいた」と、同じ行動です。

 こうなると、日本の文化が特殊なのではなくて、もしかすると日本の文化が、世界の文化の土台になっていた、という可能性も出てくるわけです。これは、日本が文明の発祥だというのではありません。日本を含む環太平洋で、海を中心に暮らしていた海洋族に共通する文化が、万年の昔に世界に広がり、それが現代の東西の文明の基礎を形成したと考えられる、ということです。

 ところがクニに権力者なるものが誕生するようになると、権力者は、自己の権力を権威付けるために、「神は俺とともにある」といった考え方を持つようになります。このとき神が唯一絶対神であれば、その神の御加護を得た権力者もまた、唯一絶対の存在となります。そうなると権力者に刃向かう者は、同時に神に刃向かう者ということになり、反権力=絶対悪といった思考が生まれます。その絶対悪のことを悪魔と呼びますが、悪魔は絶対悪なのですから、悪魔はなぜか悪事以外は働かないことになっています。つまり絶対善を提唱すれば、これに対抗する絶対悪を作らなければならなくなるわけです。こうして二項対立型の思考が生まれます。ところが世の中は不思議です。現実には権力者の方が悪であったりするわけです。

 一方、日本神話は、神々であっても失敗することがあるとします。神でも失敗するのですから、まして人間が失敗をしないことなどありえません。ここから「失敗しても、またやり直そうぜ」という文化が生まれます。人であれば誰しも失敗する。後悔もする。そうやって人は成長していくと考える文化が生まれるわけです。これは二項対立ではなく、中庸を重んじる文化といえると思います。

 このことは、偏差値で考えるとわかりやすいかもしれません。大学受験で偏差値80以上の神のような秀才と、20以下の残念な反秀才重んじて対立するのが西洋的二項対立の文化です。これに対し日本の文化は、偏差値40〜60までの間にある圧倒的多数の人々が、テストでバッテンをたくさんもらいながら、日々成長していくことを大切にします。この世に絶対善もなければ、絶対悪もない。その両方のゆらぎの中で葛藤しながらも、強く生きていくことこそが大事だとしてきたのです。

 西洋における妖精信仰は、いわゆる多神教に分類されます。
 けれど気をつけなければならないことがあります。それは西洋における妖精信仰を土台とした多神教と、日本における八百万の神々では、その考え方が根底から異なるということです。
 何が違うのかは、たいへんわかりやすいです。西洋における妖精は、花の妖精、木の妖精など、すべて「人類とは別な存在」です。日本では、花の神、木の神であっても、それらは神々の親戚であり、人類の親戚です。つまりすべては繋がっていると考るのです。
 日本にも、人と異なる物怪(もののけ)や妖怪(ようかい)がありますが、これらは、人の怨念が凝り固まったもので、もともとは人や動物や道具類であったものが、この世への恨みが嵩じて、異形の姿になった、哀れな悲しい人たちとされます。
 その意味で、日本の八百万の神々を、西洋の妖精信仰と同じと捉えて「日本が多神教の国」と、簡単に定義してしまうのは、間違いのもとです。多神教とはいっても、日本は妖怪や物怪を信仰している国ではありません。

 こうした神に関する概念の違いは、男女の違いについても、西洋と日本で大きな差異を生んでいます。
 たとえばギリシャ神話では、最高神であるゼウスのもとに、ゼウスの妻のヘラ、娘のアテナ、愛と美と性の女神のアフロディーテ、狩猟と貞操の女神のアルテミス、穀物の女神のデメテル、炉の女神のヘスティアなどが登場しますが、それらはあくまで神々の中にのみ存在し、初期の人類には男性しかいなかったとされています。

 では、人類初の女性は誰かと言うと、これが有名なパンドラです。そう、パンドラの箱の、あのパンドラです。
 もともとオリンポスの神々よりも以前には、ティーターンと呼ばれる巨人の神族が栄えていました。ゼウスが人と神とを区別しようとして、人類から火を取り上げたとき、巨神のプロメテウスは、火のない人類を哀れに思い、人類に火を渡します。ところが火を得た人類は、武器を作って互いに戦争をするようになるのです。

 事態を重く見たゼウスは、プロメテウスを磔(はりつけ)にするのですが、不死身の身体を持つプロメテウスは死なず、3万年の後にヘラクレスによって助け出されます。
 一方、プロメテウスの弟のエピメテウスも、兄の罪によってオリンポスを追放され、地上で人類の一員となって暮らすことになりました。

 ゼウスは人類が火を用いるようになったこと、そしてエピメテウスという巨神が人類に仲間入りすることで、人類の力が強大になって神々に近づくことをおそれます。そして何でも作れる鍛冶屋の神のヘパイストスに命じて泥から女性のパンドラを造らせると、そのパンドラに命を吹き込むとときに、「美しさ、歌と音楽、賢(かしこ)さと狡(ずる)さと好奇心」を与えます。さらにアテナから機織や女のすべき仕事の能力、アプロディーテから男を苦悩させる魅力を、ヘルメスからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えさせました。

 そしてゼウスは、
「これは人間にとっての災(わざわ)いだ」と述べると、パンドラに鍵のかかった箱を持たせて、「この箱は決して開けてはいけない」と言い含めて彼女を人類のいる地上に送り込みます。

 パンドラをひと目見たエピメテウスは、兄のプロメテウスから「ゼウスからの贈り物は決して受け取ってはならない」と言われていたにもかかわらず、一目惚れしてパンドラと結婚する。二人は幸せに暮らすのですが、ある日、どうしても箱の中身が気になってしかたのないパンドラは、禁を破って、ついに箱を開けてしまいます。

 するとその箱から、夜の女神ニクスの子供たちが飛び出します。その子供たちというのが「老い、病気、痛み、嘘、憎しみ、破滅」です。次には争いの女神のエリスが高笑いとともに箱から飛び出していきます。そして箱の中に最後に残ったものが、ギリシャ語で心を意味する「エルピス(ελπις)」であったとされます。「エルピス(ελπις)」が英語圏では「希望(hope)」と訳されています。ちなみに「エルピス(ελπις)」は、スペイン語では「エスペランサ(esperanza)」、フランス語では「エスポワール(espoir)」と訛(なま)ります。

 要するにギリシャ神話は女性を「美しくて歌や音楽が上手で賢(かしこ)いけれど、「狡(ずる)くて、好奇心旺盛で、男を苦悩させ、恥知らずで、機織りをする者」と規定しているわけです。しかも女性は、もともと人類を破滅させるために神が造られたものであり、世界は女性によって老いと病気、痛み、嘘、憎しみ、破滅、争いがもたらされたのだ、というのがギリシャ神話の考え方であるわけです。
 現代女性が見たら卒倒してしまいそうな話ですが、これは本当のことです。

 このことは旧約聖書も同じです。イブの好奇心によって、アダムとイブがリンゴを食べて智慧を付け、神からそのことをとがめられたイブは、「神が造られたヘビに騙(だま)されたのです」と、自分の罪を神とヘビに責任転嫁します。怒った神は、イブに「子を産む苦しみと、夫から支配されなければならない」という罰を与えます。これが人類の女性が持つ原罪(original sin)です。

 英国文学で有名なハーベイの『テス』という小説があります。
大好きな小説で、英国文学で最高の小説をひとつあげろと言われたら、迷わず『テス』をお勧めしているくらいですが、主人公の女性のテスは、たいへんに魅力的な女性ですが、やはり何を考えているのかよくわからない存在として描かれています。これは日本人の感覚からするとハテナ・マークがいっぱい付いてしまいそうな捉え方ですが、ギリシャ神話を読むと、それが西洋社会における女性の定義なのだとわかります。

 西洋社会では、ジェンダーフリーとか、女性の人権云々といった議論が盛んですが、西洋の政治運動を闇雲に日本に導入するのではなく、西洋と日本との文化の成り立ちの違いを、まず先にしっかりと学ぶ必要があります。

 ちなみに人類男性の始祖であるアダムは、「神が造られたイブにそそのかされました」と、やはり神とイブに責任を押し付けます。怒った神はアダムに「生涯、労働をする苦しみ」を与えたとされます。そこから労働は罪人が行うものであり、高貴な人は働かないことがただしい事といった概念が生まれています。

 では日本ではどうだったのでしょうか。
 日本の最高神は天照大御神であり女性神です。そしてその最高神と直接会話を交わすことができるのは、やはり女性神である天宇受売神(あめのうずめ)です。男性の神々は、天照大御神に何事かを奏上するときも、あるいは天照大御神からのご下命をいただくときも、常に女性神である天宇受売神を通してでなければならないとされています。

 これは縄文以来の日本人の伝統的思考で、子を産むことができる、つまり命を産むことができる女性は、もっとも神に近い存在であるとされてきことに由来します。ですからいまでも神社で御神楽(おかぐら)が奉納されるとき、神様に捧げる舞を踊るのは女性の巫女(みこ)さんの役割です。神様と対話できるのは女性だけの特権だからです。男性もお神楽を舞いますが、その舞は、あくまで聴衆に、当該神社の御祭神を説明するための舞、つまり聴衆に向けられた舞となっています。

 また男女の始祖であるイザナギとイザナミは、あくまで「共(とも)に計(はか)りて」、つまり両者で相談して、一緒にオノゴロ島を築き、そこに降り立って国生みや神生みをされたと記述されています。つまり男女は、役割の違いこそあれ、対等な存在であり、さまざまな葛藤や誤解があっても、力を合わせることで未来をひらくというのが、日本の神話です。

 こうしたことは、現代の一般庶民においても、外で働く男性にとって、家にいる女性は神様だから、東日本では、親しみを込めて「カミさん」と呼ぶ習慣になっています。西日本では「よめ」ですが、近年不思議なことに「よめ」が、差別用語だと言い出すおかしな人が出てきました。「よめ」は「良(よ)い女(め)」を意味する言葉です。
なにしろ我が国の神話では、神々と直接対話ができるのは女性だけに与えられた特権です。家にいる妻をないがしろにしようものなら、殿方は神々から見放されてしまいます。だから毎日、どこにあってもウチの女房殿を「良い女」=「ヨメ」と呼んでいるわけです。

 こうした文化がどこからきたのかというと、はるか縄文以前から、日本は海で魚を採って暮らす海洋民族として生活してきたことによります。だから縄文時代の遺跡には、すべて貝塚があります。貝塚からは釣り針も出土しますが、釣り針があるということは、魚を獲って暮らしていたということです。では釣り針に使う「釣り糸」はどうしていたのかというと、これには女性の髪の毛が用いられました。男性の髪と異なり、女性の髪は細くしなやかで丈夫です。このことが長い歳月の間に「髪は女の命」とまで言われるようになりました。
 男たちがどんなに器用に丁寧に素晴らしい釣り針を作っても、髪の長い女性がいなければ、釣り針を使うことができないのです。だから女性の髪は神であり、そこから女性そのものが神とされ、このことがいまでも「カミさん」という日常語として遺っているわけです。ちなみに西日本では「ヨメ」と言いますが、これは「良い女(め)」という意味で、カミさんと同じ考え方に基づきます。

 江戸時代まで、日本では旦那が働いた給料は、その家に支給されるものというのが、古来のしきたりでした。すべてが世帯を単位に考えられ、夫の小遣いを含めて、世帯の中の一切のやりくりを見るのは、女性である妻の役割とされてきました。武士も同じで、旦那の俸禄は、お殿様からいただいているというより、現実的には妻からもらっているようなものであり、何事も世帯全体で責任を持って行うというのが、日本における常識であったわけです。
 近年の日本では、西洋的個人主義が礼賛されていますが、給料が世帯を単位に支払われ、すべての家計の実験を奥方が握り、家族の誰かが悪いことをすれば、世帯全員が処罰の対象となり、重罪であれば、親族にまでその影響が及ぶという社会構造からは、犯罪行為も自粛されます。

 日本にあった長くて古い文化は、もしかすると古代において世界に影響をあたえたものかもしれません。そしてもしかするとこれからの世界を、個人主義から、世帯単位の家族主義に変えていく、大きな役割を担っているのかもしれません。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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