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10月23日13:30より富岡八幡宮婚儀殿で第95回倭塾を開催します。 詳細は↓で。
https://www.facebook.com/events/1041364216516794■□■━━━━━━━━━━━━━■□■
どのような未来に来てもらうかは、いまを生きる我々の希望が決めることです。 常に前向きに、常にポジティブに。 それを生涯貫くことで、私たちはようやく次のステップに行くことができる。 そういうものだと思っています。 それが日本神話の知恵です。
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!! 「人は霊(ひ)の乗り物である」というのが、日本の古来からの考え方です。
だから「ヒト」と言います。
「ヒ」とは霊(ひ)のことであり、「ト」は停めることや止めることを意味します。
つまり「ヒト」とは、身(体)に霊(ひ)を留めた存在だから、「ヒト」という日本語ができています。
母親の胎内にいる間が、生まれてくるための、いわば準備期間であるのと同様、我々の人生は、次のステップ、つまり霊(ひ)となるための準備期間といえます。
胎児の生活圏が、母親の子宮の中だけにとどまるのに対し、生まれたあとの自由度は高くなります。
同様に、死んで肉体という縛りがなくなって霊(ひ)が自由になれば、その行動範囲は時空間を超越します。
生きていたときよりも、自由度が高くなるわけです。
これを神となることだと考えたのが、日本の縄文文明です。
この精神は、神話にストーリー仕立てで詳しく書かれています。
我々は、生まれた後に母親の胎内に戻れないのと同様、死んで肉体が滅んだあとに、再び同じ肉体に戻ることはできません。
その必要もありません。
霊(ひ)の状態にあれば、なんでも思いどおりになりますが、ふれあいがないし、悩みもない。
しかも霊(ひ)の寿命は、おそらく生者の100倍です。
というのは、人が母親の胎内にいる期間は、およそ310日です。
生まれてから死ぬまでの寿命が85年とすれば、生きている日数は31,000日です。
つまり100倍の期間、生きることになります。
そうであれば、霊(ひ)の寿命は、そのまた100倍の310万日、これはおよそ8500年です。
そんなにも長い間を、喧嘩ばかりしてすごすのでしょうか。
争ってばかりいてすごすのでしょうか。
毎日問題を抱えて悩みながら過ごすのでしょうか。
仮に8500年生きるなら、周囲の人々との笑顔や思いやりとともに生きるのでなければ、やりきれないのではないでしょうか。
だからそのために、我々は今生で、現世で、さまざまな重圧を受けながら、それを乗り越え、そしてみんなの笑顔とともにある人生を得るために、日々努力を続けます。
それは、人が母親の胎内にあって、日々成長するのと同じことです。
現世において、我々の霊(ひ)は、決して自由ではありません。
肉体に縛り付けられ、地面に縛られ、様々な社会的制約に縛られています。
人間関係の苦労もあれば、経済的な心労もある。
日々安閑としていられる日など、実際のところほとんどありません。
よく言われる天国や極楽浄土。
そこは美しい音楽が流れ、良い香りがして、人々はやさしく、男子はイケメン、女子は美女ばかりで、誰もが性格が良く、食べ物も豊富で、何の争いも苦労もないところだと言われています。
けれどそんなところにいたら、ほとんどの人は三日と持たない。
退屈で仕方がないからです。
おそらくはじめのうちは、天国にやってきて、「やったぜ!、俺は天国だぁ!」と小躍りして喜んでいるでしょうけれど、三日もすると、
「スマホ、誰か持ってね?」
「ゲームして〜〜」
「映画とかないの?ネットフリックス映らないの?」
「Youtube見るにはどうしたら良いの?」
などなど、きっとなにやらムラムラとしてくるに違いありません。
要するに、肉体を持った今生であれ、霊(ひ)の存在となるあちらの世界であれ、人は、日々悩みを抱えながら、これでもかというくらいの苦労を、乗り越え乗り越えしながら、地べたを這いずり回って、クタクタに疲れて、それでも頑張ってという葛藤の日々を過ごしながら、なんとか頑張り抜いて、生活を維持していく。人々と楽しみを共有する。
そういうことが、戦乱のない、平和な世の中で実現できていたら・・・。
そして病気も、ほんの100年前までは、人々の平均寿命は40歳前後でした。
幼児はよく死んだし、大人になっても栄養も医療もよくなくて、40歳を迎えることができる人自体が、まれであったのです。
ところが日本は、これは魏志倭人伝に書かれていますけれど、倭人たちの平均寿命は百年もしくは八九十年とあります。
他の国と比べると、日本人は倍以上の寿命を持っていました。
だから日本は、不老長寿の国と呼ばれ、日本のことは蓬莱山とか扶桑の国などと呼ばれていたわけです。
そこは人々が豊かに暮らし、争いもなく、人々は嘘を言わず、騒擾もない。
要するに、浄土とか極楽というのは、実は、日本のことであったのです。
極楽も天国も、そこは決して、ただ平穏なだけではありません。
平穏になればなったで、人間関係やら、様々な悩みや問題を抱えるようになるのです。
けれど実は、そんな悩みを悩みと思うことができる、それが極楽浄土であり、天国であり、日本という国が古来目指してきた日本の姿でもあるのです。
我々は、そんな日本の、しかも高度成長できた日本の、平和で豊かな日本に生まれ、生きて、それを、ありがたいことともなんとも思わずに、ただ破壊して死んでいくのでしょうか。
さきほど書きましたように、霊(ひ)となって8500年生きるとき、恨みつらみの8500年では、あまりにも疲れてしまいます。
8500年も破壊行動を続けたら、もはや壊すものが何もなくなってしまいます。
愛と喜びと感謝と幸せ、協調と協和と協同、思いやり、成長、美しさ、感動、涙、抱擁、そして建設と創造のよろこび。
そういったポジティブな行動が肉体という容器から開放されたとき、霊(ひ)は、時空を越えて大宇宙を自由に駆けめぐり、様々な星を探検するようになる。
そうしたら、8500年なんて、あっという間です。
宝鏡奉斎の神勅というものがあります。
「吾(あ)が兒(みこ)、
此(こ)の寶鏡(たからのかがみ)を視(み)まさむこと、
當(まさ)に吾(あ)を視るがごとくすべし。
與(よ)に床を同じくし、
殿(との)を共にして、
斎鏡(いはいのかかみ)と為(な)す可(べ)し」
とあります。
鏡に写った自分の姿を、天照大御神と思いなさいというのです。
けれど、どうみても、鏡にうつるのは、しょぼい自分の姿でしかありません。
とてもじゃないけれど、天照大御神なんておそれ多い。
では何を言っているのかといえば、そこに写った自分の姿のなかに、神聖を見出しなさいということです。
誰もがその神聖を持っているのです。
自分にもそんな神聖があるのなら、人にも同様に、誰にも神聖が備わっています。
それを尊重する。
さらに自分の持つ神聖に、みがきをかける。
人はそうやって生きるものだと、これが宝鏡奉斎の神勅です。
日本はもうおしまいだ、という人がいます。
お先真っ暗という人もいます。
そうではないのです。
どのような未来に来てもらうかは、いまを生きる我々の希望が決めることです。
常に前向きに、常にポジティブに。
それを生涯貫くことで、私たちはようやく次のステップに行くことができる。
そういうものだと思っています。
それが日本神話の知恵です。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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第97回倭塾 2023/1/21(土)13:30〜16:00 タワーホール船堀401室
第98回倭塾 2023/2/18(土)13:30〜16:00 タワーホール船堀401室
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