■□■━━━━━━━━━━━━━■□■新刊 『奇蹟の日本史』ねずさんが描く庶民をこんなに幸せにした日本というシステムhttps://amzn.to/3eeXDcohttps://good-books.co.jp/books/2967/■□■━━━━━━━━━━━━━■□■自虐史観なんて、学んだところで何も得るものなどありません。人がどんどんと孤独になるばかりです。 自虐の反対語は「自愛」です。 ならば、これからは「自愛史観」で行くべきです。
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画像出所=https://juken-geography.com/systematic/alluvial-plain/
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!!学校教育で、自国の昔の歴史がダメな歴史で、むしろ他所の国の方が素晴らしいとなったのは、戦後のことです。
日本はダメな国だとされ、日本的なものには、どんなことにつけても何の価値もなく、西洋やチャイナやコリアの方が、日本よりもはるかに素晴らしい歴史伝統文化を持っているのだという、ある種の虚構の上に築かれてきたのが、戦後の歴史教育です。
その代表的なもののひとつに、貧農史観があります。
江戸時代まで、農民は搾取され、貧困のどん底暮らしをしていたのだ、という仮定に基づく歴史観です。
江戸時代の農民は、四公六民とか五公五民と言われ、収入の半分を税で持っていかれていたという。
だから江戸時代の農民は貧しかったのだ、というわけです。
ところがその見方は、その背後に大きな嘘があります。
昔の税はお米でしたが、我が国では、つい最近(昭和44年)まで、そもそも今年できたお米は100%備蓄に回っていました。
要するに、100%税だったのです。
どういうことかというと、例えば五公五民の場合、50%は、農家の備蓄となりますが、農家は、自分の家で備蓄するのではなく、村全部で、氏神様のところに、今年できたお米を備蓄していました。
今年できたお米だけではありません。
去年のお米も、100%備蓄です。
年貢(税)として取られたお米も、お上はそのお米を使いません。
100%備蓄です。
去年のお米(古米)も備蓄です。
そうして社会全体で、今年できた新米と、去年できた古米を全部備蓄していたのです。
食べるのは、一昨年できた古々米から。
これが日本が2千年以上前から続けてきた、日本の形です。
なぜそのようなことをしていたのかって、当然です。
日本は天然の災害が多い国だからです。
台風は毎年やってくるし、そのたびごとに大水が出て洪水や、土石流によって田畑が被害を被る。
そうでなくても、旱魃【かんばつ】もあれば、稲の病気もある。
何十年かに一度は、大震災が起きる。
そのときには大津波もやってくる。
だいたい日本の平野部は、海に面したところはすべて、河川の氾濫によってできた扇状地であり、沖積平野です。
山間部の盆地も、やはり河川の氾濫によって生まれた堆積平野です。
そして稲作は、そんな平野部で営まれるものです。
そうした環境下で、いつ災害が起こるかわからない。
村で備蓄したお米だって、いつ流されてしまうかわからない。
2年分のお米を備蓄していたって、旱魃や大水が数年間続くことだってあるのです。
そうしたら、食べるお米がなくなってしまう。
だから万一のときのために、みんなでお米をとっておいたのです。
村では、備蓄米は山の上の神社に蓄えました。
山の上なら、洪水がやってきても大丈夫だからです。
そしてそのお米を誰に守ってもらうのが一番良いかといえば、神様です。
だからその山上の高床式の米庫が奥の院とされ、その手前に神社が築かれました。
その神社が、いつしか氏神様と呼ばれるようになっています。
けれど、数年続きの災害となると、村の備蓄米だけでは足りなくなります。
幸い日本列島は縦に長い。
災害を受ける地域もあれば、その年、災害を受けない地域もあります。
だから、日本全国がひとつ屋根の下に暮らす家族となって、みんなで蓄えたお米を融通しあって、なんとかこの災害列島の中で生き延びようとしてきたのです。
その、全国的に融通するためのお米は、お上が備蓄しました。
国ごとに大名が。
天下においては、幕府や朝廷が、その備蓄を行いました。
そしていざ災害となれば、大名や幕府が、被災地へのお米の支援を行いました。
考えてみてください。
そんなとき、被災地に届けられるお米は、半分が新米です。
普段は古々米を食べているのです。
そこに新米が届けられる。
なんだかんだ言って、やっぱり古々米より、新米の方が美味いです。
家も田畑も流され、どうしたらいいのか途方に暮れているところに、美味しいご飯が届けられるのです。
食べれば美味い。
美味い飯は力が沸きます。
「ようし!、負けるもんか。おいっ!復興するぞ。みんな、やろうや!」
と、復興のための元気がわきます。
わたしたちの祖先は、そうやって災害を乗り越え乗り越えして、暮らしてきたのです。
だから、いま、私たちが、この日本列島で生きています。
祖先の中の誰かひとりが、もし、災害後の貧困と餓えで死んでいたら、いまを生きている私たちの命はないのです。
江戸時代の農家は貧しかった。
なるほどそのとおりです。
けれどそれを言うなら、武家はもっと貧しかった。
あまりに災害が多いから、武家は被災地復興のために、誰もが借金まみれになっていました。
それでも愚痴を言わず、社会のため、みんなのために日頃から品行を正していたのが武士です。
そんな武士の借用証には、「期日にお返しできなかったときは、人前でお笑いくだされたく候」と書かれていました。
いまどきの借用証は、「何%の損害金を払え」と書かれていますが、昔の借用証は、ただ「笑ってくだされ」です。
それだけ武士は名誉を大切にしたのです。
こうした気高い文化性は、お隣のコリアにも、チャイナにも、もちろん西洋にもまったくなかったものです。
自虐史観は、別名「朝○史観」とも言うのだそうですが、彼らの国では、まさに貧農は、貧農そのものでしたが、日本は違います。
貧しいというなら、全国民が、いまよりずっと貧しかった。
けれど、決して貧困ではなかった、というのが日本の歴史です。
そもそも歴史を何のために学ぶのかといえば、自国を愛し、地域を愛し、人を愛することができるようになるためです。
国を愛するということは、その国を構成しているのは、私達自身なのですから、周囲の人を愛することであり、自分を愛することでもあるのです。
それが自虐史観となり、国を虐め、歴史を虐め、祖先を虐め、周囲を虐めることを教育する。
教育現場に虐めがはびこっているといいますが、その虐めの原因は、なんと戦後教育そのものが作り出しているものに他なりません。
「自虐」の反対語は「自愛」です。
歴史は、むしろ「自愛史観」でいくべきなのです。
「じあい」は、慈愛でもあります。
慈悲の心が、歴史を通じて学ばれるなんて、想像しただけで、心が暖かくなります。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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