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画像出所=https://note.com/kamihitoe_note/n/nb774acd108fb
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!!歴史のことを英語で「ヒストリー」と言います。
これはもともとが「ヒズ・ストーリー(His Story)」から来た言葉で、直訳すれば「彼の物語」。
つまり歴史というのは、過去の出来事を時系列に沿ってストーリー化したもののことを言います。
戦後の日本では、いったんGHQによって歴史教育が禁止され、その後、国会議員らの活躍によってようやく社会科の授業の一部として歴史教育が復活するのですが、そこでの歴史は、単に事件名、人物名と年号を子どもたちに紹介するだけ(暗記するだけ)の科目としてのみ認められたのであって、それらの事実がどのようにつながるのかという、歴史(ヒストリー)は完全に無視されることで現在に至っています。
単に年号や事件名人物名を丸暗記するのは、これは分野でいえば最も近いのが年号学であって、それは本来の歴史ではありません。
いわばクイズの答えを求めるだけであって、なぜそのような出来事が起こったのかをストーリー化するものではないからです。
歴史をストーリーと考えれば、戦後の歴史教育が、単に暗記科目の域を出ない、かなりいびつなものであることを確認することができます。
ちなみに、歴史と歴史学は、また異なります。
歴史は事実に基づくストーリーですが、過去に起きた出来事は事実ですけれど、それをどのようなストーリーにするかは、実は、研究者によって千差万別となります。
もちろんその中で、もっとも再現性が高く論理的なものが、最終的に歴史として認知されるのですが、そうやって認知された歴史(ストーリー)も、何かの考古学上の発見ひとつで、根底からくつがえされるといったことも、よく起きるのです。
ここが歴史のおもしろいところです。
これが歴史学になると、また意味合いが違ってきます。
歴史はストーリーですが、そのストーリーの中で、自分が歴史の当事者となって「自分ならどうするか」を考えるのが、歴史学になります。
たとえば「源頼朝が鎌倉に幕府を作った」のであれば、その鎌倉にもし自分がいたなら、新たな幕府づくりのために、自分ならどのように貢献するか。
それは、建物の建築のお手伝いであるかもしれないし、街の街路の設計かもしれないし、働く人々の食事の手当かもしれない。
あるいは自分が光秀なら、秀吉が大返しでやってきたときに、山崎の戦いを仕掛けるのか、後日を期して兵を引くのか、このように「自分ならどうする」を考えたり、「もし光秀が秀吉を倒していたら」を考えるのが歴史学です。
かつて戦前戦中までの日本の歴史教育は、まさにこの「歴史」と「歴史学」をしっかりと行ったもので、ある意味世界の最先端の学問となっていました。
ところがGHQによる制限後、日本人は歴史をただの暗記科目にされた一方で、日本人がなぜここまで強いのかを研究した世界は、米英を筆頭に、自国の歴史教育に、日本の歴史教育の手法を全面的に取り入れています。
つまり、歴史を、教師がただストーリーを教えるという教科から、生徒たちが自ら歴史の当事者となって考える授業へと進化させたのです。
これは、諸外国でものすごく大きな教育上の成果をあげた一方で、日本人は、歴史を、意味のない丸暗記のままで現代に至っているわけです。
もったいない話です。
「歴史にIFはない」という言葉も、日本と諸外国では、その意味するところがまったく異なります。
諸外国において「歴史にIFはない」という言葉は、あくまで歴史は「事実をもとに考えるもの」という意味で用いられます。
「源頼朝が鎌倉に幕府を作った」という事実があれば、では頼朝はどうして幕府を鎌倉に作ったのか、どうして京の都に作らなかったのかといったことを、あくまで「事実をもとに考える」。
これを「もかしたら宇宙人に指示されたのかも」と考えるのは自由ですが、そこで宇宙人を持ち出すなら、その時代に宇宙人と頼朝が実際に会話したという記録をもって証明しなければならないのです。
そうでなければ、歴史がただのファンタジーになってしまいます。
諸外国では、そういう意味で「歴史にIFはない」というのです。
これに対し、戦後の日本で言われる「歴史にIFはない」は、まったく意味が異なるものです。
たとえば「もし頼朝が京の都に幕府を開いていたら、その後の歴史はどのように変わったであろうか」といった歴史を考えること自体をタブー視するための用語として「歴史にIFはない」と説かれています。
これは、歴史をただの年号と人物名事件名の丸暗記科目とするためには必要なことであったであろうといえますが、それでは歴史を学んだことにはなりません。
どこまでも歴史は事実に基づくストーリーであり、歴史学はそのストーリーが別なストーリーであった場合を「考える」ことによって、いまを生きる学びを得るものであるからです。
もし、頼朝が鎌倉ではなく、京の都に上って、義経とともに新しい源氏政権を開いていたら、その後の歴史はどうなっていたでしょうか。
義経がモンゴルに移住することもなく、そうであれば元の大帝国の出現もなく、日本に元寇は起こらず、西洋社会は中世のままに置かれ、元の大帝国が始めた紙の通貨という仕組みも世界に生まれることはなく、世界は21世紀となったこんにちにおいても、いまだに剣と槍の騒擾の世界のままであったかもしれません。
このように頼朝が鎌倉に幕府を開いたことのもたらした世界的影響を俯瞰するとき、現代においても日本の選択がもたらす世界に与える影響の大きさが理解できるし、そこから世界と日本との違いの根幹とは何かといった考察も生まれます。これが歴史学のおもしろさです。
少し前まで、テレビの番組に「早押しクイズ王」みたいな番組がありましたが、そこで優勝した東大生が、新たな日本のリーダーや、世界のリーダーとなったという話は、まったくありません。
また、いまどきは、年号も人物名も事件名も、学者や優秀な生徒の記憶よりも、スマホでちょいと調べた方が、はるかに正確な情報を、素早く手に入れることができます。
そうであるなら、ただの暗記科目としての現代日本の歴史教育は、根本的に教える意味がなく、また生徒が学ぶ価値もない、ということになります。
そんな価値のないことのために、大切な幼年期や青年期の時間を費やすのは、社会的な無駄でしかありません。
私たちは、日本の教育をいま根底から見直すべきときにきています。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
竹内和彦
習ったことがあります。
ヘロドトスの「歴史」はヒストリアイ(複数形)で
探求という意味だそうですが、
如何でしょうか。
2022/12/08 URL 編集