■□■━━━━━━━━━━━━━■□■新刊 『奇蹟の日本史』ねずさんが描く庶民をこんなに幸せにした日本というシステムhttps://amzn.to/3eeXDcohttps://good-books.co.jp/books/2967/■□■━━━━━━━━━━━━━■□■みなさんが英国首相、つまりこの時代のチャーチルの立場なら、ナチスドイツによって英国が追い詰められたとき、どのような選択をされるでしょうか。 また、みなさんが日本の作戦参謀なら、元オランダ領インドシナの石油を確保するに際し、フィリピンにある米国軍をどのように扱うでしょうか。 また、真珠湾への攻撃を選択されるでしょうか。 そしてもし、日本が開戦時に真珠湾とフィリピンの米軍基地への攻撃をしなかった場合、その後の歴史はどのように変わっていったでしょうか。 これを考えるのが「歴史を学ぶ」ということです。 過去の歴史は変えられませんが、より良い未来のために、歴史から「学ぶ」ことはできるのです。 それが教育というものではないでしょうか。 |
着底し傾いたアリゾナ

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!!12月8日は、真珠湾攻撃が行われた日です。
そこで今回は、真珠湾攻撃がもたらした意味について考えてみたいと思います。
昭和16(1941)年、ハワイの現地時間では12月7日7時10分、日本時間では12月8日午前2時40分に、日本がハワイオアフ島にある米軍基地に対して、航空攻撃ならびに潜航艇によって攻撃を行いました。
この真珠湾攻撃は、日本国内においては、戦後長く旧大日本帝国の輝かしい戦績として語られ、映画化もされたりしてきた一方で、米国で作られた映画等では、日本が行った野蛮な行為として語られ続けてきたものです。
また、旧陸軍関係者の間では、「日本が負けたのは海軍が真珠湾攻撃などという余計なことを行ったせいだ」という声が、ずっとくすぶり続けていました。
その一方で、まったく報道はされませんが、米国内では日本の真珠湾攻撃が黒人たちの間で、きわめて高い高評価を得ていたという事実もあります。
そもそも歴史は評価するものではなく、なぜそうなったのかを事実に基づいて時系列にストーリー化する学問です。
そして歴史を学ぶとは、そうしてストーリー化された歴史の中で、もし自分ならどうするかを考え、またその場合、その後の様子はどのようになったのかを考えることです。
第二次世界大戦は、昭和14年9月のナチスドイツによるポーランド侵攻に始まりました。
ナチスドイツの勢いは強く、ヨーロッパのほぼ全域がドイツによって占領され、ドイツはついに海を渡ってイギリスへの空爆を開始していました。
そのままでは英国もドイツの軍門に下ることが明確になり、英国議会もドイツに降伏することを決議しようとしていたときに、断固としてドイツと戦い続けると孤軍奮闘していたのが、英国首相のチャーチルです。
けれどチャーチルがどれだけ英国を護るのだと声を荒げても、もはや英国軍がドイツに敗れるのは時間の問題となっていたとき、チャーチルが起死回生の作として選んだのが、中立を守っていた米国を参戦させることでした。
ここで中立について補足しますが、中立国というのは、どちらか一方の軍が自国の領内を通過することさえ認めてはならないものです。
たとえばスイスは中立国ですが、その代わり中立国である以上、ドイツ軍も、他国の軍も、一切スイス領内への侵入も通過も許さない。もし許せば、それはどちらか一方の軍に味方したことになり、中立は破れ、戦争参加国になってしまうのです。
ですから、戦後の日本が中立国であって戦争をしなかったというのは大きな間違いで、日本に米軍基地がある以上、日本は朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも、イラク戦争にも参加していた戦争当時国なのです。
ちなみにもうひとつ付言すると、それは日本の意思ではなく、日本に米軍基地があることによってもたらされた結果です。
多くの日本人は、日本が独立国であると思い込まされていますが、そうではないのです。
事実は、いまだに米国に占領された米国の占領統治下に日本はあるのです。
戦争の終結は、武装解除して白旗を揚げただけの状態は、武闘が停止しているだけで、戦争は終わっていません。
そこで終戦条約の締結となるのですが、この条約によって勝敗が決定し、敗戦国は占領統治されることになります。
その占領統治後、あらためて平和条約を締結して、ある程度主権が回復しても、敵国基地が置かれている状態は、いまだ占領状態が継続していることを意味します。
日本にはいまだに米軍基地がありますが、それは日本が、いまだ占領統治化にある、ことを意味するのです。
ということは、米国が戦争をしているときは、日本もまた被占領国として、その戦争に加担していることになるのです。
ベトナム戦争や朝鮮戦争のときに、日本が空爆を受けなかったのは、それは戦前の日本があまりに強かったためで、それがなければ、米国に加担した日本は、戦後、空爆やミサイル攻撃にさらされることになっていた危険が十二分にあったのです。
さて、チャーチルが米国を参戦させるには、どうすればよいか。
ナチスドイツは、無傷の米国がヨーロッパ戦線に参加することを回避するために、大西洋における米国船への攻撃を控えています。
ナチスドイツがもし米国と戦争をするとなれば、それは英国が陥落し、ヨーロッパ全域の占領が完成した後のこととなります。
そうであれば、英国は、もはや滅ぶしかない。
英国としては、何が何でも米国の中立を破らなければなりません。
ではそのためにどうするのかといえば、幸いなことに日独は同盟関係にあります。
日本は、当時支那事変を戦っており、その支那事変を米英は背後から補助しています。
そうであれば、日本に米国の中立を破らせる。
つまり日米が戦争になれば、米国は中立が破れ、戦争当事国になるのです。
そうなれば、米国は日本と同盟関係にあるドイツとも戦わざるを得ない。
そこに勝機を見たチャーチルは、支那事変を利用して、米国とともに日本に対しABCD包囲網を仕掛け、米国の日本への石油の輸出を禁止させるよう図ります。
さいわいなことに、人種差別撤廃、人種の平等を国是とする日本は、植民地経営を行う米英欧の資本家たちにとっての敵です。
そしていまも昔も米国政府は、資本家たちの傀儡にすぎません。
禁油処置を受けた日本は、オランダ領インドシナ(いまのインドネシア)の油田を得ざるをえなくなります。
なぜならすでにナチスドイツによってオランダ国は消滅しており、元オランダ領インドシナは、いまや無主地となっているからです。
日本は当然、ドイツと図り、元オランダ領インドシナの石油を奪いに行くことになる。
そして日本がその油田から石油を掘削するようになると、得た石油は、南シナ海を通って日本まで運ばれることになります。
そこには、米国領のフィリピンがあります。
日本が石油を運ぶシーレーンを確保するためには、フィリピンの米軍を叩かざるを得ない。
そして日本がフィリピンにある米軍を叩けば、米国の中立はその瞬間に破れ、米国はドイツとも戦争を開始しなければならなくなるのです。
こうして昭和16年12月8日、日本と米英、そして元オランダ領のインドシナ(インドネシア)との戦争が開始されました。
日本は果敢に戦い、最終的に世界の植民地支配を終わらせることに成功しましたが、その後の日本は、いまだに米国に占領されたままになっています。
ちなみに日米開戦に際して、これを最も喜んだのは、もちろんチャーチルであったことは事実ですが、もうひとつ、米国の黒人社会も、この開戦を諸手を挙げて称賛しています。
もちろん称賛の対象は日本です。
こんな話があります。
真珠湾攻撃の第一波空中攻撃隊を指揮したのが淵田美津雄海軍中佐(当時)は終戦後も生き残るのですが、終戦直後のある日、3人の大柄な黒人兵が淵田大佐のもとにやってきて、いきなりジープに乗せられました。
淵田海軍大佐は、30分ほどジープにゆられ、丸の内の郵船ビルの裏手に連行されるのです。
そのころ郵船ビルは、米軍将校たちの宿舎に充てられていました。
ビル内には、米軍の白人将校向けのバーもありました。
淵田大佐を連行したのは、そのバーで働かされている米国の黒人兵です。
バーの楽屋裏に連れ込まれるとき、淵田元海軍大佐は、
「もはやこれまで」と観念したそうですが、ドアが空けられた途端、そこに集まった大勢の米軍黒人兵たちから大歓迎を受けました。
食いねえ、飲みねえ、と、それはそれはたいそうな歓迎だったといいます。
彼らが異口同音に言うには、
「真珠湾攻撃を誰が一番喜んだと思う?」
「それは、われわれ黒人だよ」
パラオ、アンガウル島の玉砕戦を生き残った舩坂弘さんが書いておられるのだけれど、米軍の攻め方というのは、はじめ艦砲射撃やら航空機からの爆弾投下で、徹底的な爆弾による破壊を試みたあと、上陸して日本軍の弾の当たるところに出てくるのは、いつも決まって「黒人歩兵部隊」でした。
戦争ですから、先頭にたつ歩兵は撃たれます。
そして先頭の部隊が撃たれることで、敵の居場所がわかる。
わかったら、そこを艦砲射撃で攻撃するのです。
そして日本軍の弾が飛んでこなくなる頃になってやっと、白人の掃討部隊が前線に出て来る。
要するに黒人は、人として扱われていなかったのです。
テレビや映画などでは、実際のこういう姿は、まず出てきません。
白人の兵隊が勇敢に銃を撃ち、日本軍と戦っているというようなシーンしか放映しない。
けれど、実際の戦闘では、常に敵弾の届く危険なところには、黒人兵が狩り出されています。
W・E・B・デュボイス(William Edward Burghardt DuBois)という人は、米国黒人として最初の博士号をハーバード大学でとった人で、米国の黒人公民権運動指導者、汎アフリカ主義、ブラック・ナショナリズムの先駆者、全米黒人地位向上協会の創立者といわれる人です。
そのデュボイスが「ピッツバーグ・クリア」紙に書いた文です。
「黒人兵の間では、やりきれない気持ちからの次のようなジョークがある。
墓石にはこう刻んでくれ。
白人を守ろうと、黄色人種と戦って命を落とした黒人ここに眠る”と」
さてみなさんが英国首相、つまりこの時代のチャーチルの立場なら、ナチスドイツによって英国が追い詰められたとき、どのような選択をされるでしょうか。
また、みなさんが日本の作戦参謀なら、元オランダ領インドシナの石油を確保するに際し、フィリピンにある米国軍をどのように扱うでしょうか。
また、真珠湾への攻撃を選択されるでしょうか。
そしてもし、日本が開戦時に真珠湾とフィリピンの米軍基地への攻撃をしなかった場合、その後の歴史はどのように変わっていったでしょうか。
これを考えるのが「歴史を学ぶ」ということです。
過去の歴史は変えられませんが、より良い未来のために、歴史から「学ぶ」ことはできるのです。
それが教育というものではないでしょうか。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
千早
当時のドイツは「ナチス」という名称など、一切使っていませんでした。
ホロ話も、WGIP(War Guilt Information Program)で施された「日本が邪悪だった」という洗脳同様、南京話や731部隊のお話同様、真っ赤な嘘だったのをご存知ない?
まずは、ここに紹介した動画をご覧ください。
↓
【嘘八百!のこの世界】目覚めよ日本人!!「600万」が大好きなイルミナティ
https://ameblo.jp/aus911truth/entry-12758804696.html
そして是が非でも、米国海軍の兵士だったロバート・スティネットが
17年以上も、公開された機密文書を調べ上げて書いた
“Day of Deceit”
『真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々』を読んでください。
2022/12/14 URL 編集
はっちょもん
戦争の歴史は繰り返してはいけない。
今の「ウクライナ侵攻」と似ていますね。
ロシアは何度も交渉の末にウクライナに侵攻しましたが、ウクライナの対応が悪かったので侵攻を開始した。
ウクライナはEUの軍隊であるNATOの支援を受けたい為にロシアとの交渉を拒否していた。
ジェレンスキーは中立の立場をとおせば良かったと考える。
(単なる意地っ張り)
岸田首相は直ぐに防弾チョッキをウクライナに送り、支援したことでロシアに対して「参戦」したことになる。
結果、ロシアとの国交に影響してガスの輸入高騰など国内物価高騰、経済の悪化になっている。
このままでロシアとの外交を修復しないでいると、日本も第3次世界大戦に巻き込まれることになりかねない。
2022/12/09 URL 編集