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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!!12月24日発売の新刊『ねずさんの今こそ知っておくべき徳川家康』(
https://amzn.to/3P0Vi3h)から、また本文の一部をご紹介してみようと思います。
歴史小説は数多いですが、戦後に書かれた小説の多くは、基本、反日のためという目的を持ったものであったり、あるいは極力人物描写を排除して淡々と歴史を小説化したりするものが目立ったように思います。
これが近年になると、人物描写そのものが軽薄で、物事の上辺だけしかみないものであったり、あるいは単純に敵味方、あるいは善悪二元論で人を捉えたりするものが多いようです。
新春よりスタートする「どうする家康」も、家康を単なる娯楽ものとして描くものだと言われています。
歴史上の人物を娯楽として描くのは、それはそれで良いのであろうと思いますが、江戸時代という未曾有の泰平の世を築いた家康という人物をみるとき、(これは家康に限らずですが)やはりそこには我が国の歴史を築いた人物への尊敬と敬意が不可欠だと思うのです。
さりとて、ただ家康を崇めるだけというのも、いただけません。
すごい人物であることは間違いないことですが、問題は「ではどうして家康はあれだけの偉業を成すことができたのか」であって、そこを家康の生涯を振り返りながら考え、学ばせていただくことで、はじめて家康の人生が、現代を生きる我々にとっての鏡となるのではないかと思います。
極端な話、たとえば少年期の信長は「尾張の大うつけ」と呼ばれていました。
町中を栗や柿や瓜をがりがりと食べながら歩くし、
その姿といえば浴衣を袖脱ぎにして半袴をはき、腰に火打石やら何やらガチャガチャとたくさんのものをぶら下げ、髪は月代(さかやき)を伸ばした、いまでいうポニーテールのような茶筅髷であり、
その髷(まげ)を女物の紅や萌黄色の糸で巻き上げるという派手な姿です。
しかも腰に朱鞘の太刀を佩き、一緒に行動する部下たちにも朱色の武具を持たせて街を闊歩していました。
なるほどその姿はどうみても「大うつけ」です。
ですから織田の家臣一同、街の人たちまでも、「親父殿は立派な人なのに、息子の信長様は、うつけ者じゃ、大うつけじゃ。信長様の世になったら、織田家もおしまいだなも」と言い合ったと伝えられています。
だから「少年期に不良であっても、将来は天下人になれるのだ」は、違うと思います。
不良では天下人になることはできないし、多くの人々から「信長様のためならば」という尊敬や敬意を得ることはできません。何より民衆が付いてきません。
だから不良なのです。
つまり不良のままでは、大成などできようはずもないし、不良だったと解釈するのなら、その不良がどうして改心して人々を魅了する男になれたのかをしっかり考察しなければ、歴史に学ばせていただいたことにはならないと思うのです。
家康もまたしかりです。
ただの真面目人間なら、世の中にはいくらでもいます。
では、家康が天下人になれたのは、ただ運が良かったからなのでしょうか。
これも違うように思います。
もちろん運もあったでしょうけれど、家康が筋を重んじ、誰からも公正な人物であるとみなされたからこそ、人々の信頼が家康に集まったのです。
では、その家康の公正さは、どこから生まれたものであったのか。
そういうことをちゃんと描写しなければ、家康を描いたことにならないと思うのです。
本書は、そうした疑問に答える本として描き下ろしたものです。
お読みになられた方は、きっと「下手な小説よりはるかに面白かった」と思っていただけると思います。
目からウロコの家康です。
ぜひ、チェックしてみていただければと思います。
現在予約受付中です。
発売は2022年12月24日です。
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《本文の一部をランダムに抜粋》
『ねずさんの今こそ知っておくべき徳川家康』p121より
武田信玄の家督を継いだのが息子の武田勝頼です。
その勝頼との間に人脈を持っていたのが、家康の正妻の築山御前でした。
そして家康は築山殿を息子の信康を殺害しています。
長男の信康は、このときまだ二十一歳でした。
この事件がもたらした衝撃は、家康のその後の人生に大きな影響を与えました。
家康がなぜ妻と子を殺さなければならなくなったのか。
それは家康自身の「読みの甘さ」と、「公正さの追求」にありました。
妻の築山御前の 気持ちを事前に察してやることができず、妻の両親の死という現実から家康自身が逃げて しまっていたこと、そして尾張織田家との同盟関係の前に、あまりにも家康自身が公正であろうとしたことが、結果としてこの悲劇を招いたのです。
だからこの事件のあと、家康は深謀遠慮の人となることを心がけました。
今入手できるあらゆる情報を入手し、先の先まで読んで、次の一手を構築する。そして極端な公正を求めない。
後年の家康は「狸爺い」と呼ばれるようになりました。
目先のことで動くので はない。
いま正しいことをするのでもない。
あらゆる手を用いて事態を事前に動かし、公 正よりも被害を最小限に留めることを重視する。
正しいということと、善ことは違います。
その時点で筋道が通っていても長い眼でみれば、それが最善とは言い難いということもあります。
それは江戸時代を通じて我が国の治世の肝になったことです。
事態が起きてからでは遅いのです。
起きる前に手を打つ。
そして安全を重視する。
こうした江戸時代の思考は、江戸時代の武家政権の時代にあって、明治以降の近現代の日本に失われたことです。
そして現代日本がもっとも再構築しなければならない政治理論であろうと思います。 ***
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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