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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行です。
!!最新刊!!堀秀政(ほりひでまさ)は、豊臣秀吉にたいへん可愛がられた武将です。
堀秀政が福井県の北の庄の城主だったとき、城の門前に一本の札が立てられました。
内容は、堀秀政への批判でした。
秀政の部下たちは怒りました。
「犯人を捜し出し厳重に処分すべし!」
という議論もありました。
秀政は言いました。
「やめろ。その札を持って来い」
そして大広間に家臣を集めると、
「お前たちに聞く。
ここに書かれたことは
偽りや虚言か、それとも真実か」
部下たちは真剣に検討をはじめました。
「これは書き手の勘違いだ」
「これは言われる通りだ。城が悪い」
一条ごとに率直な意見が交されました。
すべての項目についての議論が終わったとき、それまで黙っていた秀政が言いました。
「今の討論の結果を
新しい立て札に書いて
門の前に立てよ。
書き手がどのような反応をするか見たい」
一夜明けたとき秀政が立てさせた札の前に、一枚の紙が貼ってありました。
そこには、こう書かれていました。
「おそれいりました。
堀様は御名君です。
どうぞいまのままの
御政道をお続けください」
これは堀秀政の美談として有名な話です。
このような話が成立した背景にあるのは、秀政にしても、また秀政の前で忌憚(きたん)のない議論を戦わせた家臣たちにしても、それを立て札にした書き役にしても、そしてまたご政道に対する批判を書いた書き手にしても、全員のなかに、
「相手の話をちゃんと聞き、
その真意を受け止め、
それぞれが互いに
率直かつ誠実であった」
ということです。
すこしまとめると次のようになります。
1 お互いに自己主張だけを繰り返すのではなく、
相手の話をちゃんと聞いて真意を受け止めようとした。
2 身分の上下に関わりなく、
互いに率直かつ誠実に対応した。
3 お互いに自分の意見に固執するのではなく、
国を想う心という共通項を見出していた。
4 何が良いことで何が悪いことなのか、
互いに価値観を共有していた。
5 同じ言語を用いていた。
5の同じ言語ということには、もうひとつ、日本語の特殊性も理由のひとつとして加えられるかもしれません。
日本語は、「朝起きたら眠かった(あるいは)眠くなかった)」というように、相手の話を最後までちゃんと聞かないと、意思がどっちにあるのかわからない構造をしています。
ですから自然と、相手の話を最後までちゃんと聞く姿勢が備わります。
このことは実は日本の文化の基礎といえることです。
欧米やChinaの言語では、結論が先にきて、あとから理由が来ます。
この場合、理由の前に結論だけが先行しますから、相手の話を最後まで聞かずに、結論に対して反応的になります。
するとパブロフの犬と同じになります。
結論を言われる、反応する、です。
その反応は、ときに対立を生み、闘争を生みます。
最後まで話を聞けば、なんてことないことなのに、先に思い込みで対立してしまうのです。
ですからどうしても最後まで話を聞かせようとするときには「威嚇」が必要だったりします。
もともとは言語の語順は、かなりいい加減なものだったと言われています。
いまでも厳密にいえば、書き言葉と話し言葉は違います。
中国語には統一された文法があると、いまの日本人は誰もが思い込んでいますが、これは日本が明治維新後に近代化を成し遂げて日清戦争に勝ってから、Chineseの留学生たちがやってきて日本語の統一的な文法を学び、それに感銘を受けて、中国語にもこれを応用してはじまったものです。
先日も書きましたが、杜甫の有名な歌の「国破山河在 城春草木深」は、韻を踏むためにこの語順になっていますが、当時の言語的には「破国在山河、春城深草木」でもぜんぜんOKだったわけです。
ところが日本では、11世紀には、源氏物語や方丈記に代表されるように文学が生まれ、また鎌倉時代頃になると琵琶法師による平曲「平家物語」に代表されるような「語り」の文化が発達します。
さらにこれが江戸時代には、落語、浪曲、講談のように、語りそのものが「話芸(わげい)」として発達しています。
この根底にあるのは、話を最後まで聞かせるための工夫、つまり結論はなんだろうと思わせて、最後の最後まで話を引っ張る工夫です。
この、「話を最後までちゃんと聞く」という言語作法は、実はとても大切なことといえます。
ワクワクさせて、ひっぱってひっぱって、最後にオチがつく。
こうした芸能は、実は諸外国に、あまり例がありません。
たとえは良くないかもしれませんが、以前、ホワイトシェパードのブリーダーをやっている人のことを、このブログでご紹介したことがあります。
アメリカで生まれ育ったホワイトシェパードは、とても気の荒い犬です。
ところがそのホワイトシェパードを日本に連れて来ると、しばらくすると、飼い主の言うことをちゃんと聞き、他の犬たちにも思いやりをもって接するように変わるのだそうです。
相手の言うことをちゃんと聞いて、互いに納得して前に進む。
それは身分の上下や、権力者と被権力者という枠組みを超えて、互いに相手を尊重するという日本的文化に根ざしているのです。
昨今の日本国内での国政の議論や、身近なところでは様々なサイトにおける中韓工作員や売国左翼の執拗な粘着の書き込みや議論を見ていると、そこに相手に対する尊敬の念もなければ、互譲の精神もありません。
ただいたずらに、自分たちの欲望や目的のために、嫌がらせとしかいえないような議論のための議論を粘着して仕掛けます。
日本国内でのネット言論においても、信じられないような低レベルな議論がまかり通っています。
しかしその多くは、ネット言論支配のためのスパイ工作によるものだといわれています。
いわゆるIT系企業の社長なる人が、法外なお金を得て芸能人と結婚したりしていますが、それらの多くは、外国による日本国内の政治工作のための工作機関だともいわれています。
いわゆる左翼系と呼ばれるそれら工作機関のIT企業は、互いに株式の持ち合いをしたり、子会社群をたくさん作ったりしていて、国内に数千社あるといわれています。
そしてネット工作に携わる人達は、当然のことながら、議論は共通言語として日本語を用いているものの、最初から結論在りきの議論しかしようとしません。
彼らには自己主張の繰り返ししかないし、そもそも相手の話をちゃんと聞いて真意を受け止めようとする姿勢もありません。
相手に対する誠実さのカケラもなく、ただただ自分の意見に固執しているだけで、しかもそこには、みんなの共同体としての国を良くしたいという思いもない。
加えて共通すべき善悪の価値観さえもズレています。
つまり、ひとことでいえば、相手を揶揄しているだけで、そこに何の建設性もない。
そもそも相手の話を聞こうとする姿勢そのものがない。
日本人にとって、日本語による議論は、互いが学ぶためにあります。
ですから相手の話をちゃんと聞きます。
話というのは、理由や根拠です。
それを先ず聞こうとするわけです。
ですから韓国がおかしなことを言い出すと日本人は、
「どうして彼らはそのようなことを言い出すのだろう」といぶかしく思い、相手の言い分をまずはちゃんと聞いてあげようとします。
ところが異なる文化圏にいる彼らは、日本人がこうして聞く姿勢を見せると、日本人が理解したのだと勝手に思いこみます。
そして日本が非を認めたと思い込む。
すると、こんどは「非を認めたのだから賠償しろ、カネを出せ」と本音が出てきます。
日本人が、相手の話をちゃんと聞くのは、あくまで相手の言い分をちゃんと聞いて、そこから何かを学びとり、より建設的な結論を求めようとするからです。
よくよく話を聞いて、何も学ぶことなどありはしないと気付けば、聞いた話はただの「たわごと」と判断するだけのことです。
ここに文化的ギャップがあります。
話を最後まで聞いてから判断しようとする文化と、
話の結論だけを先取りして、反応するだけの文化の違いです。
米国で働くある方から、おもしろい話を聞いたことがあります。
会議に遅刻したとき、日本人(日系人を含む)は、
「I'm Sorry!」とまず謝るのだそうです。
ところが海外の人たちには、それが不思議でならない。
「会議に遅刻して不利益を被ったのは遅刻した人自身であって、周囲の人達はその分、トクをしているのに、どうして謝らなければならないのか?」
と、本気で心配して言うのだそうです。
つまり判断の物差しが、「自分にとって損か得か」というところにしかないのです。
これに対し日本人は、その会議の目的達成のために、遅刻して他の人に遅れを取れば、周囲の人に迷惑をかけ、ひいては会議の目的達成の障害になってしまうのでは、と考えるわけです。
ここに文化的ギャップがあります。
日本人だけの社会であれば、日本文化を共有していますから、説明は要りません。
しかし、いまの日本のように、日本人のような顔をして日本人名を名乗るけれど日本人ではない人たちが混じっていたり、外国人を含めた会議やプロジェクトを遂行しようとするときには、なぜ我々日本人は、そのような行動や発言をするのかについて、日本人自身が、はっきりと明確にその理由を、相手にわかるように説明できなければなりません。
つまり日本人の行動に関する説明責任は、日本人自身にあるのです。
ということは、日本人が日本人の行動を、それを単に「あたりまえのこと」や「昔からそうだから」というだけではなしに、ちゃんと理由や意味を説明できるようにならなければならないということです。
男系天皇にしても、「昔からそうだから」とか、「伝統だから」、あるいは単に「Y遺伝子が」という説明では、周囲は納得もしないし、理解も得られないのです。
時代は資本の時代から、戦士の時代へと変わろうとしています。
戦士の時代は、資本よりも、個人の情報発信が、世の中を変える大きな力になる時代です。
ということは、何より個人個人の資質の向上が求められる時代になったということです。
個人の資質のことを、昔は器(うつわ)と言いました。
そして器の大きさが、その人の度量の大きさであり、実力とされました。
果たして現代日本ではどうでしょう。
早い話、政治家に器が求められているのでしょうか。
いまの世は、器の大きさよりも、工業生産品風の画一性、マニュアル的適合性しか求められていないような気がします。
しかし時代が大きく変化しようとしているときに、画一性もマニュアル適合性も、実は時代をひらくリーダーにはほとんど役に立たないのではないでしょうか。
※この記事は2020年12月の記事の再掲です。
日本をかっこよく!
お読みいただき、ありがとうございました。
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