エスニック(民族)とネイション(国)の違いを学ぶ



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「琉球」は「流求」と書かれていました。
これは7世紀に書かれた『隋書巻81列伝第46東夷伝』が初出です。
ところが十四世紀後半の明の時代に、琉球三山時代に沖縄にあった3つの王朝(流求國山北王、流求國中山王、流求國山南王)の冊封を明が認めたときに、明への冊封国の証として「王偏」が付けられて「琉球」と表記されるようになって、今に至っています。
では、隋書が書いた「流求」とは何かというと、チャイナの王朝は周辺国を蛮族とみなして、ろくでもない字を当てるのが常でした。
つまり、音は「りゅうぐう」なのだけれど、それを意図して異なる漢字にしたのが「流求」であったわけです。
そして我々日本人が「りゅうぐう」と聞けば、それはどう考えても「竜宮」です。
つまり古代の人たちにとって、沖縄はまさに海神(わたつみのかみ)が暮らす龍宮城のある場所であったわけです。
竜宮城と日本人は、古代以前の神話の時代から深いつながりがあります。
そもそも海幸彦の妻であった豊玉姫も、子を生んだ玉依姫も、竜宮城の出身です。
つまり竜宮は、古代や神代から、我が国ご皇室と深いつながりがあった場所なのです。
竜宮、すなわち琉球は、まさに上古の昔から倭国の文化圏にあった倭国の一部そのものなのです。

20220202 梅
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沖縄の琉球民族だとか、アイヌが先住民族だとか、やたらに「民族」という言葉を口にする人たちがいます。
「民族」を辞書で引くと、
「人種的・地域的起源が同一または同一であると信じ、
 言語・宗教などの文化的伝統と、
 歴史的な運命を共有する人間の集団」
と書かれています。

ところが実はこの「民族」という思想こそが、きわめて危険な思想なのです。
なぜなら「民族」は、線引ができないからです。

血族なら、誰が親なのか証明が可能です。
昔はこれを「姓」と言ったわけで、「姓」というのは女性から生まれたという字です。
同じ女性から生まれた血縁集団が「姓」です。

氏族も、同じ素性を持った人たちですから、これまた証明が可能です。
甲斐の武田家の家臣団であれば、誰と誰と特定ができます。

ところが民族になると、沖縄知事みたいな人が、わざわざ国連にまで出向いて「琉球民族は日本民族とは異なる」などと発言したりしましたが、では、その琉球民族とは誰のことなのか、というと、その特定ができません。

沖縄県出身者という意味で言っているなら、東京にも大阪にも札幌にも福岡にも、沖縄県出身者はいます。
いま沖縄に住んでいる人という意味なら、本土から移り住んだ人や、選挙工作やデモのためにアルバイトで入り込んでいる左翼の工作員たちも、みな琉球民族です。
先祖代々の沖縄に住む人が琉球民族であると言っても、ではそういう方が本土の人と結婚したら、生まれた子供は琉球民族なのでしょうか、それとも大和民族になるのでしょうか。

ちなみに、この「琉球」という用語を用いることに抵抗を示される方もおいでになりますが、古くは「琉球」は「流求」と書かれていました。
これは7世紀に書かれた『隋書巻81列伝第46東夷伝』が初出です。

ところが十四世紀後半の明の時代に、琉球三山時代に沖縄にあった3つの王朝(流求國山北王、流求國中山王、流求國山南王)の冊封を明が認めたときに、明への冊封国の証として「王偏」が付けられて「琉球」と表記されるようになって、今に至っています。

では、隋書が書いた「流求」とは何かというと、チャイナの王朝は周辺国を蛮族とみなして、ろくでもない字を当てるのが常でした。
つまり、音は「りゅうぐう」なのだけれど、それを意図して異なる漢字にしたのが「流求」であったわけです。
そして我々日本人が「りゅうぐう」と聞けば、それはどう考えても「竜宮」です。
つまり古代の人たちにとって、沖縄はまさに海神(わたつみのかみ)が暮らす龍宮城のある場所であったわけです。
竜宮城と日本人は、古代以前の神話の時代から深いつながりがあります。
そもそも海幸彦の妻であった豊玉姫も、子を生んだ玉依姫も、竜宮城の出身です。
つまり竜宮は、古代や神代から、我が国ご皇室と深いつながりがあった場所なのです。
竜宮、すなわち琉球は、まさに上古の昔から倭国の文化圏にあった倭国の一部そのものなのです。

さらに現代の沖縄では、琉球と呼ぶことに反対する人たちが「沖縄と呼べ」とおっしゃいます。
では「沖縄」という表記が歴史上、いつ書かれたものかというと、1719年に新井白石が、『南島誌』の中で『平家物語』に登場する「おきなわ」を「沖縄」と記したのがはじまりです。

では「おきなわ」という呼称そのものがいつのものかというと、これが8世紀です。
淡海三船(おうみのみふね)が記した鑑真の伝記の『唐大和上東征伝』(779年)にあります。
鑑真らが、島民に
「ここは何処か」
との問うたところ、島民が
「阿児奈波(あこなは)」
と答えたというのです。
つまり、「あこなは」というのは、方言で「吾子の名は」、つまり「私の名前は○○」と答えたわけで、○○のところには、太郎とか花子という名が入っていたのかも知れないものを、はじめの「私の名は」のところが、名前なのだと鑑真の通訳が勘違いしたことにはじまる名称ということになります。

というわけで、歴史的にみれば、そこは琉球でも沖縄でもなく、竜宮なのです。
沖縄の歴史はとんでもなく古いのです。
そもそも沖縄には、天照大御神が沖縄におわしたという神話がありますし、天の岩戸もあるのです。
このことは現代の沖縄県民の方も誇りに思って良いことだと思います。

いずれにしましても、民族(エスニック)という概念は、血は交じるものですから、どこからどこまでがその民族にあたるのかという特定が、きわめて困難です。
つまり、特定できないものを、あたかも「民族(エスニック)」という特定できるものであるかのようにことさらに主張するのは、実は、自己の利益や欲得のために人心を惑わす、とんでもなく悪質な行為ということになります。

さらにやっかいなことには、日本語の「民族」と、西欧における「エスニック(Ethnic)」がまた、意味が全然異なります。
もともと西洋社会はたいへんに暴力がさかんで、常に上か下かの競争と殺し合いが日常的、恒常的に発生し、一般の民衆が常に身の危険に晒されていたという歴史があります。
このため中世ヨーロッパの平均寿命は、24〜5歳です。

こうした厳しい環境の中にあって、自分たちの身を守るために、すすんで強い王の庇護下にはいる。
王は民衆を守る義務があり、民衆はその見返りとして税を払う。
これが、王の主権のはじまりです。

王の庇護下にある領土領民を守るために、王は進んで主権者として他国と交戦するし、領土を広げ、あるいは植民地をなし、他国から金品を奪って自国の繁栄を図ります。
いいとか悪いとかではなくて、そうせざるを得なかった事情が、西欧社会の歴史にはあったのです。

こういう次第ですから、強い王の下には、いろいろな言語を話し、様々な血縁共同体があり、またときには宗教さえも、同じキリスト教徒とはいっても、カトリックとプロテスタントでは、まるっきり教義が異なるのですけれど、そうした宗教の壁さえも越えて、自分たちの安全をはかるために、様々な地域の様々な人たちがひとつの王のもとに集いました。

たとえばフランスの場合であれば、もともとフランス語を話したのはフランス北部に発生したフランク族だけです。
英語で「フランク(Frank)」といえば、率直といった意味いなりますが、映画『指輪物語』に出てくるエルフ族のように髪の毛をロングヘアに伸ばし、他の者は後ろ髪を刈り上げるといった特徴のある格好をした一族がフランク族です。(もっとも耳は長くありませんが)

映画の中のエルフ族は、美しくて平和を愛する優しい種族ですが、現実のフランク族は、これは民族ではなくて、複数の血族が集まった過激な武闘派集団でした。
強いから次第に勢力を伸ばして、オック語やピカルディ語、ブレイス語、アルザス語、フラマン語など、77種類もの異なる言語を話す人々の住むエリアを次々併合し、ブルボン王朝のルイ14世の時代に最大版図となったエリアが、いまのフランスです。
要するにフランスというのは、民族でもエスニックでもなく、「国家(Nation)」なのです。

これに対して、フランス国内にもともとあった77種類もの異なる言語を話す、それぞれの種族が「エスニック(Ethnic)」です。
日本語だと「民族」と訳されます。
けれどエスニックは、きわめて曖昧なもので、早い話が日本人でフランスに住み、フランス語を流暢に話す人は、日本エスニックなのか、それともフランス・エスニックなのか。
あるいは深く日本を愛し、日本語を日本人以上に流暢に話し、日本文化への造詣が深く、日本国籍を持っているフランス人は、日本エスニックなのか、それともフランス・エスニックなのか。
境界線がまったくありません。

フランスに住んで、フランス国籍を持っていれば、フランス語を話せなくてもフランス人だというのは、ネイション(Nation)の考え方です。
フランスに住んでいて、フランス語を話しても、日本人は日本人だというのなら、それはエスニック(Ethnic)の考え方です。
しかし、そのエスニックが、当該国の内外で、独立運動や民族運動などと言い出したら、これはもう収拾がつきません。

日本語の「民族」になると、もっと定義が曖昧です。
満州国人(ネイション)という意味でも「民族」という語が使われるし、満洲国民であるモンゴル人(エスニック)という場合でも「民族」の語が使われます。
日本語における「民族」という語は、同族意識を持ち、同種の文化・伝統・慣習を有する人間集団として用いられる用語でしかなく、概念として、あまりにも曖昧なのです。

従って、上に述べたように、沖縄知事が、わざわざ国連にまで出かけて行って、
「沖縄民族(沖縄エスニック)は、大和民族(大和エスニック)によって、意思に反して無理やり併呑されたのだ」などと述べるた場合、日本語で聞くと、さももっともらしいご高説に聞こえますが、これを英語圏などの西欧諸国の人が聞くと「?」マークが点滅します。
沖縄知事が言うように、エスニックの単位で独立しなければならないというのなら、フランスなどは、それこそ77カ国に分割しなければならなくなるからです。
アメリカ合州国のように、そもそも多民族共同体としてスタートした国家も、存在すらできなくなり、英国もまた、複数の種族が混ざり合う国です。

21世紀となる現代に於いて、純粋にひとつのエスニックで国家(ネイション)が形成されている国など、そもそも存在しないのです。

このことは、いま世界に国連非加盟国を含めておよそ220の国がありますけれど、言語は、およそ7千種の言語があります。
ネパールのような小さな国でも、120以上の言語が存在しているのです。
日本語も、東北弁と沖縄弁では、まったく通じないといって良いほど、言語が異なりますが、それは方言のうちであって、すべておなじひとつの日本語として分類されます。
そういう視点(関西弁も関東弁も東北弁も沖縄弁もすべて日本語のうち)で、世界にはおよそ7千の言語があるのです。

仮に「異なる言語を話すなら、異なるエスニックだ。そしてエスニックは独立する必要がある」などという沖縄知事の論を世界が採用するなら、世界中の国々は大流血騒動になりかねない。
つまり、世界の人々が沖縄知事の発言を聞いたらどう思うかというと、
「He's a terrorist!」
(彼はテロリストだ!)

まさに彼は、世界に個人の恥を晒しに行ったようなものですが、世界がやっかいなのは、そういうお馬鹿で、かつ一定の社会的地位を持つ人がいると、それを「カネにしてやろう」と、良からぬ考えを持つ人が、世界にはたくさんいる、ということです。
そのことは、結果として、沖縄県民にとっても、日本にとっても、決して得にはならない。
不幸な結果を生むだけにしかならないのです。

日本国内には、会津人、鹿児島人、上州人、関西人、関東人など、それぞれに微妙に異なる文化・伝統・慣習を持っていますが、それらを異なる「エスニック」と考えるなら、それぞれが民族自決のための独立運動の対象となります。
もっといえば、武家と農家、商家では、文化・伝統・慣習が異なります。
さらに言うなら、お隣のお宅と、自分の家では、文化・伝統・慣習が異なります。
親子兄弟姉妹においても、それぞれに個性があって違いがあります。
つまり「ethnic」を言い出すということは、単に対立をあおり、最後にはひとりひとりがみんな独立国とならなければならないという、馬鹿げた議論にしかなりません。
きりがないのです。

きりがないということは、「琉球 ethnic」が、国家として独立主権や排他性を持とうとするということは、そもそも、どっからどこまでが「琉球 ethnic」を示すのかという定義さえも曖昧なわけですから、こうなると、もはや殺し合いと暴力によって、上下と支配を打ち立てるしかなくなります。
翁長知事のいう「琉球民族自決」というのは、実は、たいへんに暴力的で危険な思想でもあるのです。

「民族」が「血族」を示す言葉であれば、「何親等までを血族とする」という線引も可能です。
あるいは氏族であれば、「◯◯家の人々」として特定できます。
けれど「ethnic」は、文化・伝統・慣習を同一にする人々という意味であって、特定ができないのです。
まして日本語の「民族」になると、もはやお手上げです。

半島人を民族とする見方も同じです。
半島人は、歴史的にかなり血の密度が濃い人々であって、血族性の高い人たちであると言われますが、では、どこからどこまでがコリアン・エスニックなのかというと、これまた曖昧です。

そもそもコリアンは、単一民族ではありません。
語族そのものが6種に別れ、民族的にも扶余系、濊族系、高句麗系、百済系、新羅系、済洲系と、まるでエスニックが異なる人々でした。
新羅や李氏朝鮮王朝などもありましたが、これはたとえてみれば、アフリカにアフリカ王国を自称する暴力団がひとつあったという程度のもので、国内が言語的文化的共同体となっていたわけではありません。
それを、ひとつの語族、ひとつの文化にまとめたのは、実は日本の統治です。
日韓併合後、日本は半島における標準語と標準文字を確立し、ハングルを復活させ、学校をつくり、服飾文化や住居文化、あるいは食文化なども、築いていきました。
これによって、はじめてコリアンというエスニックが誕生したのです。

もっというと、それまでの半島の王朝は、むしろ半島内のエスニック相互の交流を分断することによって、政権の安定を保っています。
これを日本は、彼らにコリアンとしての誇りをもてるように、朝鮮半島の歴史が始まって以来はじめて、コリアンという文化意識を彼らに植えつけたわけです。

要するにもともと朝鮮半島では、李氏というひとつの「エスニック」が、朝鮮半島内にある「他の5つのエスニック」を束ねて王朝「ネイション」を築いていたわけです。
その半島を併合した日本は、李氏朝鮮王朝を正統な「ネイション」として扱い、朝鮮半島にある異なる「エスニック」もまとめてひとつの「エスニック」として統合しようとしたわけです。
朝鮮半島がネイションではなく、日本ネイションの一部となったわけですから、日本はそのようにしたわけです。

その意味で、これは私見ですが、日本の半島統治は失敗したと思っています。
チャイナも同じですが、放っておけばよかったのです。

多くの日本人は、このエスニックとネイションの区別がついていません。
「民族」という便利な用語で、エスニックとネイションの両方をひとまとめにしてしまっていることに安住し、エスニックの独立という言葉の持つ恐ろしさに気付いていません。

それどころか、「国家(Nation)は民族(ethnic)ごとに独立しなければならない」などと、まったく意味不明の論理のパラドックスの中に入り込んでいます。
この理屈は、戦前の朝鮮独立派の不逞コリアンのバカ者どもとまったく同じ発想です。

同じ会社で働くA君とB君が、それぞれエスニックを言い出したら会社組織は成立しません。
「お前とは生まれや出身や信仰や生活習慣が違うから、一緒に仕事ができない」などという、そんな主張を真に受けていたら、まともな経済活動など成り立たなくなります。
同様に、同じひとつのネイション(国家)の中にあって、互いにエスニックが異なるから一緒にやっていくことはできないなどと言い出したら、これまた国家など成立しえません。

日本語の「民族」には、ネイションという意味と、エスニックという意味の両方が内包されています。
このことを明確にしないで、ただ「民族」を言い出すのは、国家解体を唱えているのと同じことなのです。

ちなみに平安時代の初頭、我が国の人口構成は、なんと人口の3分の1が渡来してきた帰化人でした。
渡来先は半島やチャイナだけでなく、タイやインドもあれば、中東やアフリカ、南北アメリカ大陸からまでもあったようです。
当時の日本は、海洋国家であり、東亜の超大国だったのです。

けれど平安時代は、みなさま御存知の通り、我が国の文化が爛熟期を向えた時代です。
こんなに外国人が多いのに、どうしてそのようことをなし得たかといえば、平安時代の日本が「国家(=ネイション)を営んだからです。
そして国家としての軸になる記紀や、万葉集などの高い文化性をその前の時代に定着させ、さらに広大な農地開拓によって、食料事情に余裕を持っていた。
このことが、どんなに外国人が多く入り込んでも、国内に一点の乱れも生まない強靭な国家を形成する元になっています。

日本が誇れる国家となっていれば、どれだけ外国人が増えても、本当は大丈夫です。
実際、平安時代初期には3分の1の豪族が帰化系の人たちでしたけれど、日本は文化花咲く平和な国を実現しています。

いま、ごくわずかな数百万人程度の外国人によって日本が壟断されるのは、日本人が日本人としての自覚と誇りを失っているからに他なりません。
そしてその自覚は、どこぞの半島人のように、民族(エスニック)としてではなく、国家(ネイション)としての自覚である必要があります。

つまりどのような日本を築くのか。
日本人の意思が、日本をつくるのです。


※この記事は2016年1月の記事のリニューアルです。
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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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