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『家康の築いた江戸社会』■□■━━━━━━━━━━━━━■□■問題が起きるということは、生きている証(あかし)であり、物事が動いている証(あかし)です。生きていれば、必ず、次から次へと問題が起きます。 時折、職場などで、「あいつは問題児だ」とか、「問題を起こすとんでもない奴だ」などという人がいます。 「わかってないなあ」と思います。何も問題を起こさない人というのは、何も仕事をしていない人だからです。
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画像出所=https://ameblo.jp/yaoyorozu-ukiyoe/entry-12634246873.html
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日本を豊かに小名木善行です。
!!最新刊!! トップの絵は、持田大輔画伯の描いたヤマタノオロチです。
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それにしても、すごい迫力のオロチですね。
古事記で古来人気の神様が、スサノヲのミコトです。
スサノヲのミコトは、幼い頃は母に会いたいと泣いてばかりいて、父大神から与えられた海を護る仕事を放り出していたとされます。
このため父によって海原を追い出されてしまいます。
そこで姉を頼って高天原に行くのですが、いろいろあって八百万の神々からの処罰によって、ついには神としての霊力を奪われ、手足の爪を抜かれ、さらに千の車に乗るだけの罰金刑まで与えられて地上に放逐されました。
まさに試練を与えられたのです。
けれどスサノヲは、降りた地上で困っている人たちを見て立ち上がり、ついにはヤマタノオロチを退治して、玉鋼(たまはがね)で造った名刀、草那芸之大刀(くさなぎのたち)を得て、これを高天原に献上しています。
この大刀が、いまも続く三種の神器のひとつです。
そしてスサノヲは、愛する妻とともに須佐に都を開いて幸せに暮らします。
それはまるで、痛快で破天荒な主人公が困難な試練に立ち向かい、最後にはすべてに打ち勝って美女を手に入れて祝福のハッピーエンドを迎えるといった、ハリウッドの英雄物語のフルカラーの映画を観ているかのような物語です。
それだけに、まだ映像技術がなかった時代に、どれだけ多くの子らが、スサノヲの物語に勇気づけられ、また大人になってからも苦難に打ち勝つ強い精神性を手に入れていたか。
このように考えますと、我が国におけるスサノヲ人気が、なるほどと納得できる気がします。
特に男性の場合、ある程度、歳を重ねて人生を振り返ると、世間で人生の成功者と言われる人であっても、本人自身の正直ベースでは恥ずかしこと、呪わしいこと、反省することばかりです。
イーロン・マスクのような世間的に大成功をおさめた超人であっても、自分では失敗の連続であったといいます。
意外と現実はそんなものなのだと思います。
人は誰もが七転八倒しながら生きているのです。
現代では、財貨の獲得ばかりがあたかも人生の成功を意味するかのように言われています。
けれど財貨はあの世には持っていけないし、そうであれば人が人として生まれ、生きる目的は、必ずしも財貨の取得ばかりにあるのではないと気付きます。
また、上辺は「自分は過去からずっと立派だった」と立派な人を装っていても、そういう人ほど閻魔様の前では、裁かれる事柄が多かったりします。
富の有無に関わらず、どのように生きたのか。
そこが問題なら、人それぞれに、人生を通じて解決すべき課題は別々です。
そして人は必ず、常に目の前に様々な問題を抱えるものです。
生きているのですから、問題は、あってあたりまえです。
なぜなら、そのために人間は生きているからです。
問題が起きるということは、生きている証(あかし)であり、物事が動いている証(あかし)です。
生きていれば、必ず、次から次へと問題が起きます。
時折、職場などで、「あいつは問題児だ」とか、「問題を起こすとんでもない奴だ」などという人がいます。
「わかってないなあ」と思います。
何も問題を起こさない人というのは、何も仕事をしていない人だからです。
問題が次々に起きるということは、それだけ仕事をし、その人が物事を動かしている証(あかし)です。
そういうときこそ、みんなが一体となって、勇気を持って問題に立ち向かうときです。
だから「問題がある」ということは、とても良いことです。
なぜなら「乗り越えるべき課題」が明らかになっているからです。
何が問題なのかがわからないよりは、はるかにマシな状態です。
人は、魂が本体、肉体はその乗り物だというのが、日本古来の考え方です。
これこそが縄文以来の我が国の伝統的価値観であり、この世の真実です。
魂は、この世に生まれてくるとき、あらかじめ自分の人生の設計図を描いて生まれてくるのだそうです。
それは今生の人生を通じて、何を為すか、という設計図です。
これを古い言葉で「願兼於業(がんけんおごう)」と言います。
魂だけの状態(肉体を持たない状態)では、何でもできるけれど、そこにあるのは過去の反省と現状維持だけです。
とりわけ前世での失敗は、強い反省となり、その魂にとっての後悔となります。
この後悔を伴う失敗の経験を「業(ごう)」といいます。
輪廻転生を何度繰り返しても、同じ失敗をする。
同じ過ちをおかしてしまう。
そのたびに、つらく悲しい思いをするのだけれど、でもまたやってしまう。
それが「業(ごう)」です。
だからその「業(ごう)」を、こんどこそ断ち切って、より良い魂に成長しよう。
そのために、こんな苦労をしていこう・・・というのが、「願兼於業」です。
だから「業」は、本人が自分自身で願っていただく、試練です。
辛いことや、乗り越えられないと思えるような人生の試練は、実は起こるべくして起こっていことです。
そして、それは必ず「乗り越えることができる試練」です。
なぜなら、最初からそれは、乗り越えるために与えられた試練なのだから、乗り越えられないはずがないのです。
ある程度、様々なことを乗り越えた魂は、今度は何らかの強い制限を持って生まれてくることがあります。
特定の能力に、制限がかかっているのです。
それは身障者のような物理的な制限の場合もあれば(この場合は、次には高貴な神様になるひとつまえの段階のものすごく高貴な魂です)、心や特定の能力に、強烈な制限がかかっている場合もあります。
それはちょうど、日本国内で販売される国産車が、最高速度180キロ/hに制限が課せられているようなものです。
人によっては、その制限が時速4キロ以下だったりもする。
特定の能力に、こうして制限がかかるということは、その制限のもとで、人生の勝利を飾ろうという願兼於業の結果であるといわれています。
これは、たとえばサッカーをするときには、「両手でボールを操作してはいけない」といった、制限です。
制限があるから、ゲームになるのです。
そして制限があるから、勝利の喜びがあるのです。
これが、魂が肉体を持ったときのよろこびであり、成長です。
魂のままでは制限がないので、これができない。
先日あるところで、
「最強の敵が自分をつくる。
敵があるから成長できる」
というお話をさせていただきました。
そしてその最強の敵というのは、本当は自分自身の中にある、ということもお話させていただきました。
ヤマタノオロチは、スサノヲが強ければ、それだけ強くなります。
仮にスサノヲが弱ければ、ヤマタノオロチも、弱い怪物でしかなかったかもしれません。
つまり最強の敵は、常に自分自身が作り出しているのです。
そしてその敵と戦うときは、いよいよ人生の本番、これを乗り越えることが、人生を次のステップや次の次元に上昇させる、ビッグチャンスである、ということです。
相手が自分にとっての最強の敵なら、当然、負けることもあります。
負けて良いのです。
人生には、敗れてはじめて学ぶことというのはたくさんあります。
大事なことは、そこで恨みの感情のような暗黒面に堕ちないことです。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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