男は、女性や子らが飢えることがないように、日頃から公に身を捧げ、汗を流してしっかりと働き、家の財を増やし、「一旦緩󠄁急󠄁あれば義勇󠄁公󠄁に奉し、もって天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂」し、生命を賭して国を護り、郷里を護り、家を護り、家族を護り、子を護り、妻を護り、そのために、常に裸一貫、命も惜しまない。 それが日本男児です。 素っ裸のふんどし一本で大あぐらをかき太刀の小柄をドンと突いている。これこそが日本男児の戦慄的姿です。
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画像出所=https://hokkaidofan.com/201501misogi/
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日本をかっこよく!!!最新刊!! 男と女について考えてみたいと思います。
旧約聖書によれば、最初の女性であるイブは、エデンのリンゴを食べた際に神の前で、リンゴを食べたのは
「神が造られた蛇に勧められたから」
と答えました。
リンゴを食べたことを神と蛇のせいにしたわけです。
これに怒った神は、イブに、未来永劫
「出産の苦しみと、夫から支配されること」
という罰を与えました。
これが人類女性の原罪です。
同じときアダムは、
「蛇とイブに進められたのです」
と、自分の行為を蛇とイブの「せい」にしました。
神はお怒りになられ、アダムには
「生涯労働をしなければならない罪」と「死んだら土になる」という罪を与えました。
これが旧約聖書に言う人類男性の原罪です。
ルネッサンス運動の原点となったギリシャ神話での人類初の女性はパンドラです。
パンドラは、もともと男しかいなかった人類を「堕落させるために」ゼウスが鍛冶屋の神のヘパイストスに命じて造らせたとされます。
ゼウスはできあがったパンドラに命を吹き込むとともに、「美しさ、歌と音楽、賢(かしこ)さと狡(ずる)さと好奇心」を与えました。さらに、
アテナから、機織などの女のすべき仕事の能力を、
アプロディーテから、男を苦悩させる魅力を、
ヘルメスから、犬のように恥知らずで狡猾な心を与えさせました。
そしてゼウスは、パンドラを地上に派遣するとき、
「パンドラは人間にとっての災(わざわい)だ」と独り言すると、「絶対開けるな」と言ってパンドラに箱を渡しました。これが有名なパンドラの箱です。
地上に降りた美しく魅力的で働き者のパンドラは、エピメテウスと結婚しました。
幸せな日々を送るパンドラですが、強い好奇心を与えられているパンドラは、どうしても箱の中身が気になってしかたがありません。
パンドラは、禁を破って、ついに箱を開けてしまいます。
するとその箱から、夜の女神ニクスの子供たちである、老い、病気、痛み、嘘、憎しみ、破滅たちが飛び出していきました。
次に争いの女神のエリスが高笑いとともに箱から飛び出していきました。
こうして世界は、嘘と苦しみに満ちて争いの絶えない混沌に至りました。
けれど、箱の中に、たったひとつ「エルピス(ελπις)」が残りました。
「エルピス(ελπις)」とは、ギリシャ語で「心」を意味する単語です。
その「エルピス(ελπις)」が訛って、英語圏では「希望(hope)」と呼ばれるようになりました。
要するにギリシャ神話では、人類が男たちばかりしかいなかった時代には平和が永く続いていたけれど、そこに女性が出現したことによって、人類社会に災いが生じたというわけです。
男たちばかりになったら平和だというのも、いかがなものかと思いますが(むしろそっちの方が争いばかりになりそう)、人類の女性は、見た目はオリンポスの女神のように美しいけれど、その実態はゼウスに与えられた「災(わざわい)」だと説いているわけです。
極端に言えば、戦争の原因さえも、常に女性が原因だというがギリシャ神話の世界で、だからトロイア戦争の原因も、美女ヘレネにあったとしています。
こうした旧約聖書やギリシャ神話の立場により、中世における西洋では、女性は魔女とされました。
拷問され、一方的に断罪されて殺されました。
研究者によれば、魔女狩りでは11万人が裁判にかけられ、4万~6万人が処刑されたといいますからひどい話です。
最近はだいぶ良くなったと言われていますあ、ほんの20〜30年前までは、ヨーロッパの女性たちは、少女時代に、たいてい親兄弟から、日常的に「ビット(beat)」されて育った人が多かったものです。
「ビット(beat)」というのは、意訳すれば、殴るとか、叩かれることを言います。
男性と比べて、一般的に女性は力が弱く、また皮膚の厚さが男性よりも薄いものです。
つまり、殴られたときの衝撃が、男性よりもはるかに大きいのです。
力の強い男性が、まして「少女を」殴るなどというのは、これまたいかがなものかと思いますが、神が人類である男性を支配し、その男性が暴力によって女性を支配することが、欧米では古代からの常識となっていたし、それがすくなくともつい最近まで、ずっと続いていたわけです。
近年になって、そうした女性への暴力がだいぶ減ったのは、まさに女性の権利運動の成果です。
欧米における女性の権利運動は、あまりにも行き過ぎた面が多々ありますが、良い成果をあげたといえる部分もあったのです。
物事には、何でも裏表があるものです。
では日本ではどうかというと、最初の女性の神様であるイザナミは、登場した最初から男性神であるイザナギと対等な関係です。
最高神であられる天照大御神さまも女性です。
その天照大御神さまと八百万の神々(つまり男性諸氏)は直接対話することはできず、常に女性神であるアメノウズメが、その間に立って相互の伝達をする役割を担います。
このことから日本では昔から「神々と直接対話ができるのは女性にのみ与えられた特権」とされてきました。
神社におけるお神楽もそうです。
お神楽には、男性が舞う男舞と、女性の巫女さんが舞う女舞があります。
女舞は人々が神々に捧げる舞、男舞は、その神社の神様がどういう神様かを聴衆に向かって説明する舞です。
ここでも、神々と直接つながることができる役割は、女性だけに与えられた特権とされているわけです。
雛飾りは、宮中の階層を模した飾り付けをします。
最も高い場所には天皇皇后両陛下、その下の段には三人官女、つまり女性が配置されています。
その下が五人囃子で童子たち。
その下になって、ようやく政治権力者として最も地位の高い左大臣、右大臣、つまり男性が配置です。
男性は、女性や子どもたちの、さらに下に位置づけられるのです。
要するに我が国では、子を産む・・・つまり新しい生命を生むことができるのは、創生の神々が女性だけにのみ与えた特権であり、それは神々と直接つながることであり、それができるのは女性たちだけだとされてきたのです。
このことは我が国の近代まで、かなり徹底していました。
現代日本では、西洋の様式にならって、働くのは個人であるという考え方から、旦那の給料は旦那の口座に振り込まれます。
けれど、ほんの数十年前までは、外で働く旦那の給料の管理は、すべて全額、家計を預かる主婦の仕事でした。
江戸時代まで、武士の俸禄は、あくまで家(世帯)に払われるものだったし、家計の一切は妻の仕事でした。
男は外で働き、戦い、散っていく存在であって、家を護り、家計を支えるのは、どこまでも女性の役割だったのです。
そんな江戸時代までの日本では、多くの場合、旦那は40歳内外で隠居して家禄をセガレに譲りました。
その世帯主となったセガレが結婚すると、家禄の管理、つまり家計の一切の管理責任者は、セガレの嫁が行いました。
つまり世帯のすべての財産の管理処分権の一切を、嫁が管理したのです。
だから結婚に際しては、どこの馬の骨かわからない女性と恋愛結婚するのではなく、身元のきちんとしている同程度の家禄の家の娘を見合いで結婚させていたのです。
これは当然のことで、家計の一切を任せた女性が逐電したら、その女性の親許がその責任を取ったからです。
当然のなりゆきだと思います。
ですから女性は、家のカミさんでした。
亭主から見たら、女性は神様みたいに尊くて怖い存在だったし、子たちからみたら、母はまさに女神そのものであったわけです。
つまり日本の女性は、男性と対等どころか、
女性は、
神と直接つながる偉大な存在であり、
世帯におけるすべての財産資産の管理責任者であり、
新しい生命を生む貴重な存在であり、
老いては子を支え、
孫に行儀作法を教える偉大な存在
とされてきたのです。
だから、カミさんと呼ばれたのです。
男は、外に出て働きます。
そこでは、いつ命が失われるかわからない。
必要があれば、いつでも死ぬ覚悟を持って、家の女性や子らが飢えることがないように日頃から公に身を捧げ、汗を流して働き、家格を上げ、「一旦緩󠄁急󠄁あれば義勇󠄁公󠄁に奉し、もって天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂」し、生命を賭して国を護り、郷里を護り、家を護り、家族を護り、子を護り、妻を護るのが男とされてきました。
おそらくこのことは、縄文時代やそれ以前から永く日本民族が海洋民族であったことに由来すると思われます。
男たちは船に乗って外洋に出て漁をする。
船は、板子一枚下は地獄の底です。
そんななかで、命も惜しまずに漁をして家族を支える。
一方女性たちは村にいて、山菜を採ったり、料理をしたりしながら幼子を育て、しっかりと村を、家族を守っていく。
そういう女性たちや老人や子どもたちが飢えることがないように、しっかりと働くのが男の役割です。
だから、いつ死んでも良いように、男は常に裸一貫、余計な物は持たず、命さえも惜しまない。
それが万年の歴史を経て、日本男児のDNAとなったのです。
死屍累々と横たわる事態になっても、男子たるものは、どこまでも生命を惜しまず、名誉のためによろこんで死んでいく。
そうすることで、妻や子を、そして郷里を、国を護る。
そういう意味において、我が国では、男の命は、枯れ葉一枚ほどの重さもない。
それが正しい理解です。
なぜなら、男はそのための生き物だからです。
そうは言っても現実には、男だって命は惜しい。
だから、そういう事態にならないように、必死で努力を重ねていくのもまた、男の役目です。
そういう男たちがいるからこそ、女性たちは、
初春(はつはる)の令(よ)き月(つき)の
気が淑(よ)くて風和(やはら)かで
梅が鏡の前の粉(おしろいこ)を披(ひら)き
蘭(らん)の花が珮(ほう・匂い袋のこと)の後ろに香(かおり)を薫(くゆ)らせる女たちとなり、
男たちは、そんな女性たちを護るために、命をかけて防人(さきもり)となったのです。
司馬遼太郎は、日本男児の姿を次のように描写しています。
そしてこの描写は、いまもなお、日本男児の魂の根幹に根付いているものです。
素っ裸のふんどし一本で大あぐらをかき、
太刀の小柄をドンと突いている。
これこそが日本男児の戦慄的姿。
自分もそのようでありたいと思っています。
※この記事は2022年4月の記事のリニューアルです。
日本をまもろう!お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
にせん
私も男として、切磋琢磨していきます。
いつも
ありがとうございます!!
2023/04/05 URL 編集