■□■━━━━━━━━━━━━━■□■ 4月の
倭塾は、4月23日(日)13時半から、場所は
富岡八幡宮の婚儀殿です。テーマは「いま世界で起きていること、日本で起きていること、そして日本精神の源流」です。参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。皆様のふるってのご参加をお待ちしています。詳細 →
https://www.facebook.com/events/458686826358362 なお倭塾終了後に、
倭塾100回記念懇親会を計画しています。懇親会は、料理の都合上、
事前申込みが必要です。参加希望の方は、以下から申請をお願いします。懇親会参加希望の方 →
https://bit.ly/3UgErvS■□■━━━━━━━━━━━━━■□■1 飛蝗(ひこう)を食料として売ろうとしている人達がいる(これは事実です) 2 我々は、昔ながらの美味しいご飯を食べたい。(これも事実です) 3 1と2から、我々はコオロギを食べなくてもよいように農業生産高を上げていこう(これがアブダクションです)
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画像出所=https://stage.st/articles/drmbA
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日本をかっこよく!飛行機(たとえば羽田から沖縄に飛ぶ飛行機)には、一定の航路があります。
けれど実は、航路通りに飛ぶ飛行機はないのだそうです。
なぜなら、その日その時間ごとに、上空の気流が毎度、違うからです。
その違いの中を飛ぶから、飛行機に操縦士がいる、というわけです。
自動車の運転も同じです。
高速道路を目的地に向かって走行する場合でも、路面の微妙な変化によって、クルマは走行中、左右にぶれます。
だからドライバーは、ハンドルを微妙に操作して、走行車両が車線からはみ出さないようにクルマを微妙に操作します。
さて、何かを成そうとするとき、一定の目標や目的に向けて、物事が予定通り順調に進むことは、まずありません。
順風満帆に見えることであっても、途中に必ず問題が発生します。
この問題ですが、たいせつなことが2つあります。
まず、問題というのは、何かを行っているから発生するのです。
何もしていなければ、なんの問題も発生しない。
つまり、問題が起きるということは、「仕事をして、物事が動いている」ことを意味します。
「あいつのすることは問題だらけだ」
という言葉は、しばしば悪い意味に使われますが、「問題だらけだ」ということは、その人が一生懸命、人より多くの仕事をこなしていることを意味します。
そこをちゃんと見ないと、優秀な人材を失います。
またどんな困難な課題であっても、問題は最大で3500と決まっているのだそうです。
その3500の問題点をクリアすれば、必ず成功する。
このことがわかっていれば、問題が起きたときにオタオタする必要がなくなります。
そうした問題を解決しようとするとき、よく言われることが「計画性」です。
物事には計画が必要であり、計画通りに物事を進めることが大切だ、と言われます。
けれど、子供の頃に作った「夏休みの計画帳」、明治時代に学制が施かれて以来、その「夏休みの計画帳」の通りに夏休みを過ごせた子供は、おそらく誰もいません。
つまり、誰ひとり、計画通りに物事を進めることができる人は、いない、ということです。
かつて旧ソ連は、「経済五カ年計画」なるものを作成し、これによって経済の大成功をおさめたと、ずいぶんと宣伝されました。
多くの企業が、中長期の経営計画書を作成するようになったのも、この頃のソ連の影響です。
なかには金融機関が企業に、そうした経営計画書の作成を求める場合もあります。
あるいは567で国から補助金をもらおうとするとき、経営計画書の提出が求められたりします。
けれど、時間と労力と経費をかけて立派な計画書を作っても、そのとおりに計画を実現できた会社は、これまた世の中にひとつもありません。
ちなみに金融機関が貸付先の企業に経営計画書の提出を求めるのは、多くの場合、あとになって「計画通りになっていないではないか」といって、貸し渋りや貸し剥がしがいつでもできるようにしておく準備なのだという話もあります。
そもそも計画通りに物事が進むことなど、よほどの幸運に恵まれない限り、まずありえないのです。
計画がまったく不要と申し上げているわけではありません。
ある程度の計画は、目的地にたどり着くために必要ですし、計画達成という目標のもとに、さまざまな準備や、達成のための活動が必要になることもまた事実です。
けれど、物事は「計画通りには進まない」ということを申し上げています。
ここにブリコラージュ(Bricolage)という概念が生まれます。
ブリコラージュ(Bricolage)というのは、フランス語の動詞 「bricoler」に由来する言葉で、その場にあるものを寄せ集めて、試行錯誤しながら盛り付けることを言う言葉です。
ゴッホの有名な絵に「ひまわり」がありますが、ゴッホは、あらかじめああいう絵を描こうとしてキャンパスに向かったわけではなく、美しい花を描きたいと思って、キャンパスに向かって、絵の具を塗り重ねていったら、結果としてあの「ひまわり」ができあがったと言われています。
これが「ブリコラージュ」です。
計画が結果を作るのではなく、瞬間瞬間の最善手の積み重ねが、良い結果を招くのです。
渋沢栄一は、個人的にはまったく好きな人物ではありませんが、ただ、彼が大成功をおさめた背景には、農家だったお父さんが、我が子の栄一くんに、武士以上の教育を与えようと、忙しい農作業の合間を縫って、直接教育を施し、武芸は神道無念流を学ばせ、結果、優秀な若者となった栄一くんが、我が国では当時めずらしかったフランス語を習得することで、人生を開きました。
渋沢栄一という人物の好悪や善悪評価は別として、彼はその生涯を通じてたいへん勉強熱心であったと伝えられています。
その勉強の積み重ねが、結果として、日本経済の父と呼ばれ、現代に続く500社以上の企業や大学の創業に関わるという偉業を為したわけです。
それは決して「計画された人生」というものではなくて、瞬間瞬間に積み重ねた手が、結果として最善手となった。このことが彼の人生を成功に結びつけています。
「計画(plan)」は必要ですが、成功は計画からは生まれません。
「美しい絵を書きたい」という思いと、それを実際に絵を描くという行動と、そして瞬間瞬間に最善手を打ち続けるブリコラージュによって、良い結果がもたらされます。
たとえばその国の農業を崩壊させ、コオロギを売りつける。
それは、陰謀とかそういうものではなくて、特定の世界的活動をする大手企業が、自社の製品を売るために、彼らなりに必死で「計画」したプランです。
けれど、プランを実行しようとすれば、様々な障害が発生します。
その障害を、ひとつひとつ多額のカネを使ってクリアし続けているから、彼らの目論見は半ば成功しつつあります。
つまり彼らは彼らなりに日々、ブリコラージュをしているのです。
では、その目論見を潰すためにはどうすればよいかといえば、潰すという目標があり、その目標の実現のために、これまた日々、ブリコラージュを重ねていくことになります。
そちらの側には、巨額の資金があるわけではありませんから、人々の心に訴え、日々、反対のためのブリコラージュを積み重ねていくことになります。
ここに、もうひとつの重要なファクターがあります。
それがアブダクション(abduction)です。
アブダクション(abduction)の単語の意味は「誘拐」とか「拉致」です。
ですから最近ではUFOに拉致されたことをアブダクションと呼んだりもされています。
なぜアブダクションが「誘拐」とか「拉致」になるかというと、その語彙が「別な側に転じる」というものだからです。
そこからアブダクションは、論理学において、「いくつかの事実に基づいて、それらに共通する仮説を得る」こと、すなわち「仮定的推論」の意味で用いられます。
論理学上の推論法として、我が国では演繹法(デデュケーション・Deduction)と帰納法(インデュケーション・Induction)ばかりが強調され教えられています。
あたかもそれ以外の論理的手段は「ない」かのように教育されています。
しかし実は、世の中において、もっとも役に立つのはむしろアブダクション(Abduction)です。
演繹法というのは、簡単に言えば三段論法のことです。
たとえば「人は考える。私は考える。ゆえに私は人である」みたいなものです。
しかし、猫だって考えます。そうであれば、私は猫であるのかもしれない。
そうなってくると、思考が混乱してきますから、どんどん思考が複雑化してきて、永遠に結論がでないということになってしまいます。
これでは、いかなる場合にも結論を求める実社会では、およそ役に立ちません。
帰納法は、一般化、法則化する手法で、A君は勉強家である、B君も勉強家である、A君もB君も日本人である。したがって日本人は勉強家である、と一般化するという論理手法です。
けれど、勉強が苦手な日本人だっているわけです。
つまり帰納法は、むしろ結論が誤誘導されやすいという欠陥を持つ論理手法です。
そういう次第ですから、演繹法も帰納法も、やや極端な言い方をするなら、実社会ではおよそ役に立ちません。
そして日本人に対して、その役に立たない論理手法しか世の中に存在していないことにしておけば、日本人を愚民化し、あるいは日本人を誤った方向に洗脳し、誘導することができます。
つまり日本人を、強制的にアホにするためには、日本人にとっての論理的思考方法を、演繹法または帰納法に縛り付けておけばよいのです。
まあ、戦後の日本人は、まさにこれに完全にハメられてしまったわけです。
早い話、「神話がなんの役に立つのか?」という問いに対して、演繹的、機能法的にそれを証明することはできません。
演繹法なら、「神話は役に立つ。なぜならば・・・」となりますが、そもそも役に立たないといっているわけですから、これでは頭から対立と闘争の世界、つまり共産主義の世界に誘導されてしまいます。ということは演繹法では証明できないわけです。
帰納法でも同じです。
帰納法的展開なら、神話が役に立つことを、具体的な事例を神話の中に探し求めることになります。
大国主神がウサギを助けたことが、いかにして今の世の中に役立つのか、という論理展開になれば、これを否定するのは、たやすいことです。
つまり、演繹法でも帰納法でも、「神話が役に立つ」ことを論理的に証明することは不可能なのです。
しかし神話が役に立つのは事実です。
ではどういうときに役立つのかといえば、神話に書かれていることと、いま自分たちが直面している現実とをクロスさせて、そこから新たな知見を得ようとするときにこそ、神話は価値判断の物差しとして機能します。
これがアブダクション(Abduction)です。
アブダクションでは、どのようにアプローチされるかというと、先程の例なら、
事象1「人は考える」
事象2「日本人は勤勉な人が多い」
という2点から、
「日本人に考えることを中心に置いた、新たな勉強を提案してみたらどうか」
といった、新たな仮定的推論を導くのです。
仮定的推論ですから、他にも別な推論が成り立つかもしれない。
大国主神は、困っているウサギを助けた。
これはやさしさが大切であることを伝える神話だ。
いまコロナで大勢の人たちが困っている。
その困っている人たちを助けるには、正しい情報が必要であるに違いない。
そしてそこには、ウサギを助けた大国主神のようなやさしさが必要であるに違いない・・・などと、神話と現代の問題をクロスさせながら、論理的に新たな視点を得る。
それがアブダクションです。
歴史、古典も、ただ記憶力を試すテストで良い点をとるためだけの勉強なら、社会人にとっては不要なものです。
では、昔の人が、どうしてそんな歴史や古典にこだわったのか。あるいは社会人になってからも、そうした学問を重ねていこうとしたのか。
その答えが、歴史や神話や古典だからこそ可能な、アブダクションが可能だからです。
現代の問題のことを時事問題と言いますが、問題というのは、その問題が発生したときと同じレベルの思考で解決できることは、絶対にありません。
そうであれば、時事問題を現代の問題として思考している限り、そこに解決の糸口は見つからない、ということです。
歴史や神話や古典を学び、それらと現代の問題をクロスさせて、そこから解決の糸口を得る。つまり仮定的推論を得る。
そこに問題解決の緒口があります。
だから昔の人は、古典を、神話を學んだのです。
つまり、瞬間瞬間の問題解決をブリコラージュしていくと同時に、いま抱えている問題と、神話や古典や歴史などをクロスオーバーさせながら、アブダクションする。
そうすることで、たいていの問題は、解決の糸口が見つかります。
先程のコオロギ食でいえば、
1 世界的な人口増加により、これからの世界では深刻な食糧不足が予想されている(これは事実です)
2 その食料を先に食べてしまう飛蝗(ひこう)の大群(コオロギの大群)がいる(これも事実です)
3 だからそのコオロギを大量に捕まえて食べてしまおう(これが結論です)
機能法では、これが結論になります。
アブダクションですと、違った結論になります。
1 飛蝗(ひこう)を食料として売ろうとしている人達がいる(これは事実です)
2 我々は、昔ながらの美味しいご飯を食べたい。(これも事実です)
3 1と2から、我々はコオロギを食べなくてもよいように農業生産高を上げていこう(これがアブダクションです)
そしてその結論を実現するために、日々ブリコラージュしていくことになります。
※この記事は2021年4月の記事のリニューアルです。
日本をまもろう!お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
にせん
新たな仮説をもとに、考えまくる。
僕の通ってる整体院の院長はまさに
体現通りの方で、あたらしい人体の不思議を
解明して、どんどん楽しい世界を形成してます。
私も負けじと頑張ります!
古事記もさらに学んで実生活と照らし合わせて
考えていきます!
2023/04/22 URL 編集