■□■━━━━━━━━━━━━━■□■4月の
倭塾は、
本日4月23日(日)13時半から開催です。場所は
富岡八幡宮の婚儀殿です。テーマは「いま世界で起きていること、日本で起きていること、そして日本精神の源流」です。参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。皆様のふるってのご参加をお待ちしています。
詳細 →
https://www.facebook.com/events/458686826358362■□■━━━━━━━━━━━━━■□■書かれたものというのは、何らかの目的を持って書かれているのである、ということは、いまさらいうまでもなく、常識としてご理解いただけることと思います。 古事記も書かれたものです。 その古事記では、須佐之男命(すさのをのみこと)がヤマタノオロチを退治したあとに大国主神話が続いています。 日本書紀にはない大国主の出雲神話が、なぜ古事記では手厚く書かれているのか。 そこで何を伝えようとしたのか。 古典には「八通りの読み方がある」のです。 生涯を通じて繰り返し読むことにより、そこからさまざまな学びを私達は得ることができます。 そんな素晴らしいものが、我が国には大昔からあるのに、このことを学校では教えない。 日本は、教育を根本から建て直さなければならないときに来ている。 そのように思います。
|

画像出所=https://ameblo.jp/yaoyorozu-ukiyoe/entry-12634246873.html
素晴らしい絵です。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
人気ブログランキング応援クリックは
←こちらから。いつもありがとうございます。
日本をかっこよく!基本的に書かれたものというのは、何らかの目的を持って書かれているのである、ということは、いまさらいうまでもなく、常識としてご理解いただけることと思います。
古事記も書かれたものです。
その古事記では、須佐之男命(すさのをのみこと)がヤマタノオロチを退治したあとに大国主神話が続いています。
日本書紀にはない大国主の出雲神話が、なぜ古事記では手厚く書かれているのか。
そこで何を伝えようとしたのか。
古事記などの古い書物、とりわけ神の書とも言われるような書物は、古来八通りの読み方があると言われています。
古代において「八」という数字は「たくさんの」という意味を持ちましたから、数詞として8通りの読み方があるという意味ではなくて、これは「たくさんの読み解きがある」という意味の言葉です。
そしておもしろいのは、ヤマタノオロチは古事記では「八俣遠呂智」で、「八」があります。
さらにヤマタノオロチを退治したあとに須佐之男命は、奥出雲近くの須佐(すさ)の地に引っ越して、
「私はこの地に来て、心がとても須賀須賀斯(すがすがし)い」と述べて、その地に宮を作ります。
そして次の歌を詠んでいます。これが我が国最古の和歌です。
やくもたつ 八雲立つ
いづもやえがき 出雲八重垣
つまこみに 妻籠みに
やへかきつくる 八重垣つくる
そのやへかきを その八重垣を
そして足名鉄神(あしなつちのかみ)をお召しになり、
「あなたを我が宮の首(おびと)に任じます」と告げて、彼を稲田の宮の主の須賀の八耳神(やみみのかみ)と名付けています。
ここまでの短い文章に、なんと「八」が「六」つも出てきます。
「六」という数字も面白い数字で、六道輪廻(りくどうりんね)という言葉があります。
これは、「地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界」の六つの世界を表す言葉で、この六つの世界は輪のようになっていて、人の心や魂はこの輪の中をぐるぐると回るという意味の言葉です。
つまりループしているわけで、そのループの輪が「八」ある。
つまりたくさんあるわけです。
ちなみにその間にある「七」というのは、西洋では「完全」とか「全て」といった意味に用いられていて、人類の罪は7つ(高慢、物欲、嫉妬、怒り、色欲、貪食、怠惰)であり、人類の持つ徳もまた7つ(知恵、勇気、節制、信仰、希望、愛)とされ、世界は七大陸と七つの海によって形成され、世界には7つの不思議があるなどとされています。
東洋では「七」の意味は違っていて、初七日や、七×七で四十九日、極楽浄土を荘厳するのは「七宝(金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう))」、幸せをもたらすのが七福神(恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天)と、要するに「七」は「ひとつの物事の完結」を意味する言葉として用いられています。
つまり、
「六」=ループ(六道輪廻)
「七」=完結
「八」=たくさん
というわけで、六道輪廻が、七でひとつのまとまりになり、その六道輪廻の織りなす世界が無限にたくさんある、ということが数詞として示されているわけです。
こうした理解のもとに古事記を読むと、八俣遠呂智(やまたのおろち)から須佐之男命(すさのをのみこと)の歌、そして足名椎神(あしなつちかみ)の新しい名の八耳神(やみみのかみ)までに、「八」という漢字が「六」回も使われているということは、そこに何らかの意味があると考えなければならなくなるわけです。
なぜなら漢字で書かれた文章は、基本的に同じ漢字の繰り返しを嫌うからです。
ですから、二度同じ漢字が使われていれば、それは重要語ということになるし、三度使われていれば、それは最重要語とされます。
それが六回も用いられているとなれば、やはりそこには何らかの意味を考えずにはいられないわけです。
そのように読むとき、ヤマタノオロチに代表される天災ともよべる艱難辛苦は、まさに我々人類にとって(あるいは日本民族にとって、数限りなく起こる災難です。
そうした災難を、須佐之男命の名は、本来「建速須佐之男命(たけはやのすさのをのみこと)」で、素速く建てる、つまりあらゆる災難から、建設によって素早く建て直すという名になっています。
そして災難から素早く建て直すことで復活を果たすと、そこにあるのは「清々(すがすが)しさ」です。
これを須佐之男命は
「私はこの地に来て、心がとても須賀須賀斯(すがすがし)い」と述べたとされています。
その場所が須賀(すが)です。
そこで須佐之男命は結婚しています。
つまり、子をなし、子孫を繁栄させていくわけです。
さらに続く和歌の中で「八」を4回も繰り返して用いているわけです。
つまりそこには、
「どんな災難がやってきたって、何度でも建て直すさ。
そして俺たちはその都度、清々しい国を築くんだ。
そうして子々孫々にいたるまで、
俺たちはずっと清々しく暮らしていくんだぜ」
といった意味が、ここに隠されているというようにも、読めるわけです。
ところが、そんな希望を持った須佐之男命の七代あとに生まれた大国主神は、周囲から凄まじいイジメを受けることになるのです。
災害からの復興は、人々の意思で行うことができます。
けれどその人々の意思は、ときに醜くゆがみ、人へのイジメにつながることがあるのです。
私達の祖先は、日本という国を築くに際して、こうしてハードの面だけではなく、人々の心というソフトの面も、これまた克服し、解決していかなければならないものであることを、神話を通じて伝えているのだと考えることができるのです。
繰り返しになりますが、古典には「八通りの読み方がある」のです。
生涯を通じて繰り返し読むことにより、そこからさまざまな学びを私達は得ることができます。
そんな素晴らしいものが、我が国には大昔からあるのに、このことを学校では教えない。
日本は、教育を根本から建て直さなければならないときに来ている。
そのように思います。
日本をまもろう!お読みいただき、ありがとうございました。
YOUTUBE
日本の心をつたえる会チャンネルむすび大学チャンネル
人気ブログランキング↑ ↑
いつも応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、メールでお申し出ください。info@musubi-ac.com『ねずさんのひとりごとメールマガジン』 登録会員募集中 ¥864(税込)/月 初月無料! |
【次回以降の倭塾】第100回倭塾 2023/4/23(日)13:30〜16:30 富岡八幡宮 婚儀殿2F
第101回倭塾 2023/5/14(日)13:30〜16:30 富岡八幡宮 婚儀殿2F
第102回倭塾 2023/6/25(日)13:30〜16:30 富岡八幡宮 婚儀殿2F
第103回倭塾 2023/7/22(土)13:30〜16:30 富岡八幡宮 婚儀殿2F
コメント
にせん
できて楽しく、また実用的な書であるように
感じます。
自己啓発本ブームですが、今こそ
古事記の本を読んでほしいと思います。
特に日本人ならば!
2023/04/23 URL 編集