5月3日 済南事件



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5月の倭塾は、5月14日(日)13時半から、場所は富岡八幡宮の婚儀殿です。テーマは「徳川家康と未来の日本」です。参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。皆様のふるってのご参加をお待ちしています。
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「済南事件(さいなんじけん)」は、忘れてはならない事件です。
昭和3(1928)年の出来事です。

済南事件
20220503 済南事件1


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日本をかっこよく!

大正6(1917)年にロシア革命が起きました。
この後、世界を共産主義支配下に置こうとするいわゆる世界共産主義革命が開始されました。
共産主義は、社会の対立を煽り正当化します。
この時代のChinaは、社会環境が劣悪でしたから、民衆の社会への不満が高まっていました。

当時のChinaは、明治44(1912)年に清王朝が倒れたばかりです。
同年1月1日に、南京で孫文(そんぶん)が中華民国臨時政府を樹立し、臨時大総統職に就任するのだけれど、軍事力の弱い孫文は、China内部にある武闘派を掌握しきることができずにいました。

Chinaは伝統的に、青白きインテリよりも、武闘派が影響力を持つ国です。
日本に留学して知恵と知識を得た孫文は、Chinaで多くの人々の信頼を勝ち得ましたが、一方で、伝統的な武闘派の掌握ができずにいたのです。

この結果、北京軍閥の長である袁世凱(えんせいがい)に、今日ご紹介する済南事件の2年後の大正4(1915)年には大統領職を譲っています。
袁世凱は「中華帝国」初代皇帝に即位しました。

ここは大切なところです。
孫文の「中華民国」の成立は1912年(明治44年)ですけれど、
その「中華民国」は、1915年(大正4年)末に、「中華帝国」になっています。

がその「中華帝国」も、翌1916年(大正5年)3月には、帝政取り消し声明が出されて消滅し、China国内は軍閥が割拠する時代へと進んでいます。
近年、いまある中華人民共和国が、1911年の辛亥革命に依るなどという、おかしな人達がいますが、同国の成立は1949年(昭和24年)です。

下の図は、たった1年で消滅した中華帝国の国旗です。
20170504 中華帝国

こうした不穏な空気の中で、大正9(1920)年に起こったのが「尼港事件(にこうじけん)」です。
「尼港事件」は、ロシアのトリャピーチン率いる、ロシア人、Korean、Chinese約四千のならず者たちが、共産パルチザンを名乗って、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(現・ニコライエフスク)を襲った事件です。

この事件では、石田領事を含む約700名の日本人居留民が虐殺されました。
もともとの標的は白系ロシア人たちでした。
ニコライエフスクにいた日本人は、眼の前で白系ロシア人たちが虐殺(というよりも大量屠殺に近い)される様子を見て、これに抗議し、抗議することでやや巻き添えを食う形で、虐殺されています。

そして尼港事件で味をしめた共産パルチザンは、満州や北支方面でのゲリラ活動を激化させ、そこらじゅうで乱暴狼藉を働きました。

昭和2年頃になると、日本国内では大正デモクラシーの影響で、日本の思想界、言論界、政界、財界、メディアとも、極端な平和主義と反軍主義になりました。
これには、日本が安全保障理事国を務めた国際連盟の平和思想や、欧米列強の軍縮の呼びかけなどの影響もあったものと思いますし、日本に強くなってもらいたくない外国の工作活動もあったことでしょう。

この時代の日本は、まるで戦後のどこかの国と同じで、日本の軍隊の存在自体を悪だと決めつけるような風潮にありました。
「日本の軍傭を縮少し、Chinaや欧米に対して、萎縮外交をせよ」
「内需経済にこそ、歳費を注ぐべきだ」
という新聞見出しが踊ったのです。

そして同じ時期、Chinaで、日本に対する露骨な排日侮日運動が行われはじめました。

当時の日本には、軍がありましたし、また政治においては政友会や一部の新聞においても、満蒙の邦人擁護のために日本は軍事力を行使すべし、という主張がありました。
しかし現実は、平和外交では解決しないし、当時は力なき正義が悪徳でしかなかった時代でした。

この時代の日本は二大政党制でした。
二大政党制というのは、ひどい政治で、たとえば、
政友会が主張することであれば、民政党はすべて否定です。
民政党が主張することであれば、政友会はすべて否定です。

当時の鉄道は、政友会系の人が鉄道大臣のときには駅名が全部右書き、民政党系に政権交代すると、それが全部左書きに変えられました。
全国に交番が各地に二つずつあったのもこの時代です。
交番に民政党系交番と、政友会系交番があったのです。

議会がこのような状況にありますから、議員たちの関心は、もっぱら国内にあります。
海の向こうの大陸で何があろうが、知ったことではない。
それによって、当地に住む日本人がどうなろうが、選挙に関係なければ、関心の外だったのです。

そんな中で起きたのが、昭和3(1928)年5月3日の「済南事件」でした。

済南というのは、山東省にある商業都市で、当時、日本人をはじめ、多くの外国人が居住していたところです。
その斉南で、「Chinaの軍閥同士の大規模な衝突」が起こったのです。

日本は居留民保護のために、同年4月下旬には済南に派兵しました。
きわめて少数の派兵であり、目的は居留邦人保護です。
ですから派遣軍は、済南城の外にある商埠地にバリケードを築いて、戦いが及ばないようにしていました。

総司令の蒋介石は、
「治安は国民党軍が確実に確保する。
 日本は(バリケードを)撤去して欲しい」
と要請しました。

治安が崩壊しているから、日本が派兵しているのです。
そんな中で、バリケードを取り去るなどということは、あり得ないことです。
当然現場では、その受入を拒否しました。
ところが日本国内にある日本政府は、蒋介石と波風を立てないように、これを撤去せよと命令しました。
このため、5月2日に、バリケードが撤去されました。

そして事件が起こりました。

5月3日、蒋介石の国民党軍の兵士が、満州日報の取次販売店を襲撃して掠奪を働きはじめました。
アチラの人の掠奪というのは、実際に通州事件の際にそれを見た人の記録がありますが、とにかく動くものなら、なんでも持っていってしまうというすさまじいもので、その「持っていってしまう人」というのは、向こうの警察官から役所の職員まで全部です。
いざ暴動となると、日頃の職等は一切関係なくなるのです。

ここでひとつ注意したいのは、Chinaにおいては、「暴徒とヤクザと軍隊は同じものである」ということです。
つまり、「蒋介石の国民党軍の兵士が、満州日報の取次販売店を襲撃して掠奪を働きはじめた」ということは、単に武器を持った群衆が暴れ始めたということであって、こうなると軍の統制も、政治関与もなにもあったものではありません。
ひとたび火がつけば、そこにいるすべてのChineseが暴徒に早変わりするのです。
それがChinaです。

暴徒たちは、駆けつけた日本人の巡査にも、多数で暴行を加えました。
知らせを受けた日本陸軍は、急きょ救援部隊を現場に急行させました。
するとChina兵たちは、たちまち遁走し、国民党の兵舎に隠れて、銃撃を加えてきたのです。

やむなく日本軍はこれに応戦しました。
すると今度は、市内のあちこちで乱射や掠奪、暴行がはじまりました。

日本側は、全体の治安維持のために、冷静に国民党軍に停戦を呼びかけました。
ここに、実は事態の履き違えがあります。
いったん暴徒となったら、兵も民もない、それはただの暴徒です。
ところが、制服を着ている者は兵です。
その兵は、国民党軍の兵です。

その国民党の総裁の蒋介石が、「責任を持つ」と約束しているのです。
その約束に基いて、日本側はバリケードを撤去しているのです。
いったん約束したら、それを最後までちゃんと守ろうとするのが日本人です。
けれど、Chinaでは、どんな約束も、相手を全員殺してしまえば、守る必要がないのです。
そして、軍人であっても、いったん暴動が起きたら、それはただの暴徒であって、一切の統制が働かなくなるというのも、これまたChinaの特徴です。

ですからChina兵は、白旗を掲げて停戦を呼びかける日本軍の軍使にさえ、China兵は銃撃を加えてこれを射殺しました。
戦時国際法も何もあったものではありません。
市内全域はたちまちのうちに修羅場と化し、各所で多数の日本人居留民の男女が、暴兵の手で惨殺されたのです。

この事件で、日本人女性が両腕を帯で後手に縛られたうえ、顔面、胸部、乳房に刺創、助骨折損、陰部には棒をさしこまれ惨殺されていた写真などが現在でも残っています。下のものです。

斉南事件の被害者(24歳の女性)
斉南事件の被害者24歳の女性


この事件で被害にあった男性は両手を縛られ地上を引きずられたうえ、
頭骨破砕、小脳露出、眼球突出して殺害されていた者、
顔面破砕され、両眼を摘出して石をつめられて殺害された者、
頭および顔の皮をはがれたうえ、眼球摘出、内臓露出、陰茎切除して殺害されるなど、
およそ人間のすることとは到底思えないような残酷さで12名が凄惨な殺され方をし、その他約四百余名が暴行、強姦、掠奪によって重軽傷を負う被害を受けています。

当時の外務省公電にある公式文書です。
=======
腹部内臓全部露出せるもの、
女の陰部に割木を挿し込みたるもの、
顔面上部を切り落としたるもの、
右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、
全身腐乱し居れるもの各一、
陰茎を切り落とし・・・(以下略)
======

現場を視察した南京駐在武官佐々木到一中佐の手記です。
======
予は病院において偶然其の死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の極だった。
手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、或いは滅多切りとなし、
婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
或る者は焼 かれて半ば骸骨となってゐた。
焼残りの白足袋で日本婦人たる事がわかったやうな始末である。
我が軍の激昂は其の極に達した。
======

ちなみに上にある女性の写真は、間違いなく済南事件のときの新聞報道写真であり、被害者の女性も日本人、横に立っている男性も間違いなく日本人医師なのですが、いまの中共政府はこの写真を「日本陸軍七三一部隊による人体実験の犠牲者の写真」として流用し、さらに同じ写真を南京事件のChinese被害者として流用し、展示しています。

Chinaの歴史教科書にも掲載(翻訳版)
中国の歴史教科書のねつ造記事

731部隊記念館では蝋人形になって展示
731部隊記念館に使われたウソ


この尼港事件から斉南事件までの流れについて、
「もし当時の日本が早期に徹底した武力を用いてChinaの反日勢力に対して徹底的な弾圧と報復を行っていたら、事態はここまで深刻にならずに済んでいたのではないか」
という議論があります。

なぜそういえるのかというと、同じ時期、英米仏蘭独伊などは、Chineseに襲われていないからです。
なぜなら彼らは、たったひとりでも自国民にケガ人が出ようものなら、徹底的な反撃と打撃をChineseたちに与える。だからさしものChineseたちも怖くて手が出せなかったというわけです。

もちろん、それもあろうかと思います。
ただ日本だけが標的にされたのには、もうひとつの裏の事情があります。

清王朝の時代に、最下層の野蛮人としてこき使われていた朝鮮族が、この当時、「ウリたちは日本人だ。世界最強だ。お前たち漢族よりも偉いんだ」と言って、Chineseを襲撃し、財物を奪い、女性に対して次々と強姦をはたらき、証拠隠滅のために殺人を犯すという事件が多発していました。
もちろん、そのようなことをするのは、ごく一部の不逞Koreanでしかありませんし、大多数のKoreanたちは、まじめに普通に暮らそうとしていました。

しかし、国際社会では、たったひとりでも、おかしな行動をすれば、「○○人は」と言われてしまうものです。
まして、そのおかしな行動が、強姦や殺人などの凶悪犯であればなおのことです。

漢族たちも、こうした犯罪に対して、手をこまねいていたわけではありません。
彼らは、徒党を組んで犯人のあぶりだしをしました。
ところが、悪事が露見して、ヤバイと感じた不逞Koreanは、その度ごとに、「ウリは日本人ある。Chineseに襲われて危険ある」といって、日本の軍隊に保護を求めてきました。

日本軍としては、形式上は彼らは「日本人」ですから、保護せざるを得ません。
そしてChineseたちの言い分も聞くのだけれど、KoreanとChineseでは、言っている言い分がまるで違っている。
日本軍としては、とりあえずKoreanの身柄を保護し、Chineseたちに引きさがってもらうしかありませんでした。

しかし、犯罪による被害にあったという事実は、決して曖昧にはならないものです。
実際、自分の妻や娘が殺されたとあっては、絶対に許せないと思うのは、これまた万国共通の人間としての本能です。そして恨みはますますつのる。
そしてそういう対立が生まれているところに、さらに対立をあおり、火に油を注いで事態を混乱させるのは、まさに共産主義者の常套手段です。

対立をあおられた被害者らは、共産主義パルチザンとなって、徒党を組み日本軍を襲撃し、満鉄への破壊工作を繰り返しました。
そしてそうした行動は、だんだん大きな戦略的な動きとなり、そしてついに大惨事を招くことになったのが、尼港事件であり、この済南事件であり、その後に起こる通州事件であったわけです。

ベトナム戦争でも、韓国軍は出動し、軍事的にはほとんど貢献しなかった一方で、銃を突きつけて村人たちを皆殺しにしたり、女性を陵辱しました。
ベトナム戦争は、北ベトナムという資本力も乏しく、国土も狭く、しかも大陸内の陸続きの国が、南ベトナムと世界最強の名高い米軍等を相手に、ついに勝利した戦いです。

世界中、共産軍というのは、相手が強ければすぐに逃げ出す弱兵なのに、なぜ、北ベトナムだけがそこまで強かったのかといえば、自分の女房や子供を、敵兵によって陵辱され殺されたなら、男なら誰だって命の限り戦います。たとえ両手両足がなくなっても、噛み付いてでも戦い抜く。

韓国人との混血児であるベトナムのライダハンは、釜山日報によれば3万人とのことですが、強姦され妊娠、出産する確立が10分の1と考えると、他にも陵辱され殺害された女性たちが数多くいたことを考えれば、いったいどれだけの数の女性たちが犠牲になったのか、想像を絶するものがあります。

だから北ベトナムの男たちは戦いました。
枯れ葉剤を巻かれて、息ができなくても、どんなに苦しくても戦い続けました。
思想の問題ではないのです。悲しみが結果としてどこまでも戦うという道を選び、そして北ベトナムに勝利を招いたのです。
その意味では、米国も敗戦の憂き目を見ましたが、ある意味、朝鮮族の被害者であったということができます。
米国のペンタゴンは、いまも韓国人をたいへんに嫌っているといいますが、さもありなんと思います。

韓国民の全て、あるいは朝鮮族の全てがこのような悪党とはいいません。
けれども、そういう悪事をはたらく者が、ひとりでもいれば、そこに恨みが残り、その恨みは増殖するのです。

済南事件においても、通州事件においても、その原因をたどれば、不逞Koreanに行き当たります。
そしてそのことが、結果として、彼ら朝鮮族を庇護した日本軍への怨嗟となり、漢族の日本人への恨みとなって、Chinaに派兵していた11カ国の中で、日本だけが標的になるという事態を招いたという事実もあるのです。

済南事件は、日本人が、忘れてはならない事件だと思います。


※この記事は2014年から毎年この時期にリニューアルしながら再掲しているものです。  
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コメント

にせん

決して忘れてはならない、とんでもない事件ですね。人種でここまで思想が違うのか...?とびっくりしました。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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