蝿は金冠を選ばず・・・木村長門守重成物語



このお話は、昭和天皇がたいへんに愛された物語です。
史実であったかどうかということより、物語が伝えようとしている人の心を学びたいものです。

20230524 蝿に金冠
画像出所=https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=265251396
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木村重成(しげなり)は、慶長二十年《一六一五年》五月の大坂夏の陣で、豊臣方の主力として東大阪市南部方面に進出し、藤堂高虎の軍を打ち破ったものの、井伊直孝との激戦に敗れ、22歳で戦死した武将です。

この木村重成が大阪城詰めの頃のことです。
若い武将ですから、まだ戦場での実践経験がない。
人柄が立派で、美男子、だけれども実戦経験がないということで、中には妬(ねた)む者もいました。
要するに嫉妬です。
世の中に「男の嫉妬と女の恨みほど恐ろしいものはない」と、これは昔からよく言われることです。

大坂城にいた、山添良寛(やまぞえりょうかん)という茶坊主もそのひとりでした。
茶坊主といっても、良寛は腕っ節が強く五人力の力自慢です。
常々から
「まだ初陣の経験もない
 優男(やさおとこ)の木村重成なんぞ、
 ワシの手にかかれば一発でのしてやる」
と、はばかることなく公言していました。

ある日、たまたま大坂城内の廊下で木村重成に出会った良寛は、わざと手にしたお茶を木村重成のハカマにひっかけました。
「気をつけろい!」
良寛が重成をにらみつけました。
良寛にしてみれば、それで喧嘩になればしめたもの。
人気者の木村重成を殴り倒せば、自分にハクがつくとでも考えたのでしょう。
この手の身勝手な自己顕示欲を持つ者は、いつの時代にもいるものです。

ところが木村重成、少しも慌てず、
「これはこれは。
 大切なお茶を運ぼうとしているところを
 失礼いたしましました。
 お詫びいたします」と頭をさげました。

そんな重成の様子に、嵩(かさ)にかかった良寛、
「そんな態度では謝ったことになりませぬ。
 土下座して謝っていただこう!」と迫ります。
要するに怒らせて手を出させればしめたもので、そこを反対にやっつけてやろうというわけです。
加えて城内での喧嘩刃傷沙汰はご法度(はっと)です。
武士である木村重成は、身分を失って失脚して大坂城を追われるだけでなく、場合によっては切腹になります。
かたや地位ある武将、かたや地位などない茶坊主です。
失脚すれば「ざまあみやがれ!」というわけです。

こうした心理もまた、いつの時代にもあるものです。
現代政治家など、著名人や有名人、あるいは人気のある人物をネットなどでこき下ろす。
現代のネットの場合は、匿名であったりする分、この茶坊主良寛より卑劣さはもっと深刻かもしれません。
いつの時代においても健全な批判は必要です。
けれどニーチェが言っています。
「悪とは相手の名誉を奪うことである」
つまり、個々の問題点に関する指摘や意見は大事であっても、相手の名誉を損ねる発言や行動は、実はそれ自体が悪でしかない。

木村重成は、初陣経験のない大坂城勤務とはいえ、一国の大名です。
しかも豊臣秀頼の側近です。
相手はただの茶坊主です。
しかもこれは言いがかり。
武将である木村重成の土下座などあり得ないことです。

ところが木村重成、
「それは気がつきませなんだ」
と言うと、膝を折り、床に膝をついて、深々と頭を下げて
「申し訳ございませんでした。」

すっかり気をよくした良寛、勝ち誇った気になって、
「木村重成など喧嘩もできない腰抜けだ。
 ワシに土下座までして謝った。
 だいたい能もないのに、
 日頃から偉そうなんだ」
と、言いたい放題。

日頃人気のある重成です。
誰に対してもやさしいし、剣の腕は超一流、見た目も凛として、武将としてもたくましい風情がある。
この頃の木村重成は、大阪城内の若い女性たちの人気の的であったともいわれています。

それだけに、日頃抱(いだ)いていたイメージと、まったく違うことが流布(るふ)されると、人々はびっくりして、耳がダンボになってしまうのです。
これを「認知不協和」といいます。
良寛のまき散らしたウワサは、たちまち大阪城内に広がりました。
なまじ日頃から評判の良いしっかり者の重成だけに、茶坊主に土下座したという噂は、木村重成の貫禄のたらなさとなって、まさに大坂城内の笑い者、語り草になっていったのです。

この時代、まだ戦国の世の中です。大阪の豊臣方と徳川家の確執が、いつ大きな戦になるかわからない。
まして戦国武将といえば、常に武威(ぶい)を張(は)らなければ、敵からも味方からも舐(な)められてしまいます。
舐められるということは、武将としての一分(いちぶん)にかかわることです。

噂というものは、必ず本人の耳にも入るものです。
当然、重成の耳にもはいってきました。
登城すれば、周囲からは冷たい視線が重成に刺さります。
心配した周囲の人が、
「よからぬウワサが立っていますよ」
と重成に忠告もしてくれました。
しかし重成は、笑って取り合いませんでした。

そんなウワサが重成の妻の父親の耳にも入りました。
実はこの父親、とんでもない大物です。
大野定長(さだなが)といって、豊臣秀頼の側近中の側近の大野治長(はるなが)の父親であり、戦国の世で数々の武功を立てた猛者(もさ)でもあります。
その娘で、重成の妻の青柳(あおやぎ)は、たいへんな美人で、大野定長からしたら目に入れても痛くないほど可愛がっていた娘です。
その娘の旦那が「腰抜け」呼ばわりされているとあっては、大野の家名にも傷がつく。
「よし、ワシが重成のもとに行き、
 直接詮議をしてくれよう。
 ことと次第によっては、
 その場で重成を斬り捨てるか、
 嫁にやった青柳に荷物をまとめさせて、
 そのまま家に連れて帰って来てやるわ!」
と、カンカンに怒って重成の家を尋ねました。

定長「重成殿、かくかくしかじかのウワサが立っているが、
 茶坊主風情に馬鹿にされるとは何事か。
 なぜその場で斬って捨てなかった。
 貴殿が腕に自身がなくて斬れないというのなら、
 ワシが代わりに斬り捨ててくれる。
 何があったか説明されよ。
 さもなくば今日この限り、
 娘の青柳は連れ帰る!」

重成「お義父様(とうさま)、
 ご心配をおかけして申し訳ありませぬ。
 ただ、お言葉を返すわけではありませぬが、
 剣の腕なら私にもいささか自信がございます。
 けれどお義父様、
 たかが茶坊主の不始末に
 城内を血で穢(けが)したとあっては
 私もただでは済みますまい。
 場合によっては腹を斬らねばなりませぬ。
 いやいや、腹を斬るくらい、
 いつでもその覚悟はできておりますが、
 仮にも私は千人の兵を預かる武将にございます。
 ひとつしかない命、
 どうせ死ぬなら、秀頼様のため、
 戦場でこの命、散らせとうございます」
そして続けて、
「父君、
 『蠅(はえ)は金冠(きんかん)を選ばず』と申します。
 蠅には、金冠の値打ちなどわかりませぬ。
 たかが城内の蠅一匹、
 打ち捨てておいてかまわぬものと心得まする」
と申し上げました。

これを聞いた大野定長、
「うん!なるほど!」と膝を打ちました。
蠅はクサイものにたかります。
クサイものにたかる蠅には、糞便も金冠も区別がつきません。
そのような蠅など、うるさいだけで、相手にする価値さえない。

たいそう気を良くした大野定長、帰宅すると、周囲の者に、
「ウチの娘の旦那はたいしたものじゃ。
 『蠅は金冠を選ばず』と言うての、
 たかが茶坊主の蠅一匹、
 相手にするまでもないものじゃわい」
と婿(むこ)自慢をはじめました。

日頃から生意気で嫌われ者の茶坊主の良寛(りょうかん)です。
これを聞いた定長の近習が、あちこちでこの話をしたものだから、あっという間に「蠅坊主」の名が大坂城内に広まりました。
挙げ句の果てが、武将や城内の侍たちから良寛は、
「オイッ!そこな蠅坊主、
 いやいや、良寛、お主のことじゃ!
 そういえばお主の顔、蠅にも見えるのお。
 蠅じゃ蠅じゃ、蠅坊主!わはははは」
と、さんざんからかわれる始末です。

ただでさえ、実力がないのに、自己顕示欲と自尊心だけは一人前の山添良寛です。
「蠅坊主」などと茶化されて黙っていられるわけもありません。
「かくなるうえは俺様の腕っ節で、
 あの生意気な重成殿を、
 皆の見ている前でたたきのめしてやろう」
と機会をうかがいました。

機会はすぐにやってきました。
ある日、大坂城の大浴場の湯けむりの中で、良寛は、体を洗っている重成を見つけたのです。
いかに裸で、背中を洗っている最中とはいえ、相手は武将です。
正面切っての戦いを挑むほどの度胸もない。
良寛は、後ろからこっそりと近づくと、重成の頭をポカリと殴りつけました。
なにせ五人力の怪力です。
殴った拳の威力は大き・・・かったはずでした。

ところが。。。。
「イテテテテ」と後頭部を押さえ込んだ男の声が違う。
重成ではありません。
頭を押さえていたのは、なんと天下の豪傑、後藤又兵衛でした。
体を洗い終えた木村重成は、とうに洗い場から出て、先に湯につかっていたのです。

いきなり後ろから殴られた後藤又兵衛、真っ赤に怒って脱衣場に大股で歩いて行くと、大刀をスラリと抜き放ち、
「いま殴ったのは誰じゃ!
 出て来い!タタッ斬ってやる!」
と、ものすごい剣幕です。
風呂場にいた人たちは、みんな湯船からあがり、様子を固唾を飲んで見守りました。
そこに残ったのは、洗い場の隅で震えている良寛がひとり。

「さては先ほど、ワシの隣に木村殿がおったが・・・
 そこな良寛!
 おぬし、人違えでワシを殴ったな! 
 ナニ、返事もできぬとな。
 ならばいたしかたあるまい。
 ワシも武士、斬り捨てだけは勘弁してやろう。
 じゃがワシはあいにく木村殿ほど人間ができておらぬ。
 拳には拳でお返しするが、
 良いか良寛、そこになおれ!」
と、拳をグッと握りしめました。

戦国武者で豪腕豪勇で名を馳せた後藤又兵衛です。
腕は丸太のように太く、握った拳は、まるで「つけもの石」です。
その大きな拳を振り上げると、良寛めがけて、ポカリと一発。
又兵衛にしてみれば、かなり手加減(てかげん)したつもりだけれど、殴られた良寛は、一発で気を失ってしまいました。

又兵衛も去り、他の者たちも去ったあとの湯船の中、ひとり残ってその様子を見ていた木村重成は、浴槽からあがると、倒れている良寛のもとへ行き、
「あわれな奴。
 せっかくの自慢の五人力が泣くであろうに」
と、ひとことつぶやくと、「エイッ」と良寛に活(かつ)を入れ、そのまま去って行きました。

さて、気がついた良寛、痛む頬を押さえながら、
「イテテテて。
 後藤又兵衛様では相手が悪かった。
 次には必ず木村殿を仕留めてやる!」

そのとき、そばにいた同僚の茶坊主が言いました。
「良寛殿、
 あなたに活を入れて起こしてくださったのは、
 その木村重成様ですぞ」

これを聞いた良寛、はじめのうちは、なぜ自分のことを重成が助けてくれたのかわかりません。
ただの弱虫と思っていたのに、ワシを助けてくれた?なぜじゃ?
そのときハタと気付いたのです。
重成殿はワシに十分に勝てるだけの腕を持ちながら、城内という場所柄を考え、自分にも、重成殿にも火の粉が架からないよう、アノ場でやさしく配慮をしてくれたのだ。
「そうか。俺は間違っていた。
 木村殿の心のわからなかった。
 ワシが馬鹿だった」
良寛は後日、木村重成のもとに行き、一連の不心得を深く詫びると、木村重成のもとで生涯働くと忠誠を誓いました。

この年、大坂夏の陣のとき、初陣でありながら、敵中深くまで押し入って大奮戦した木村重成のもとで、良寛は最後まで死力を尽くして戦い、重成とともに討死しています。

このお話は、「蠅に金冠」という題目で、神田家の講談話として、昔はたいへんによく知られた物語だったものです。昔、私がまだ高校生くらいだった頃に、この物語を講談で聞いて、大感動した遠い記憶があるのですが、実は、八年ほど前に講談師の神田山緑(かんださんりょく)師匠の口演で、この講談を久しぶりに聴く機会に恵まれました。
高校生の頃に聴いたときとは、ある程度の人生経験を経てから聴くのとでは、感じるものにも違いがあります。
久しぶりに聞いた「蝿に金冠」は、たいへん感銘を受ける物語でした。

この物語は、実は、神田山緑さんのお師匠さんが、生前に、昭和天皇の前で口演された演目であり、また昭和天皇がたいへん愛されたお話でもあります。

人の上に立つ人、ある程度世間で目立つ人、そして金冠を持つ人は、必ず世間の一部の人から酷評され、あることないこと、言われている本人も知らないようなことまで、言われたり、馬鹿にされたりします。
このことは世の常で、万人受けする人というのは、まずありえないものです。
信長を好きだという人が千人いれば、信長だけは大嫌いという人が千人いる。
世の中というのはそういうものです。

逆に言えば、嫌いだという人の声が聞こえてこない、好きだ、お気に入りだという声ばかりなら、それは世の中で目立っていないということか、あるいは世間から相手にされていないということです。
youtubeなら、たとえばブルーノマーズの『Uptown Funk』というミュージック動画は、再生回数が40億回という化け物のような動画ですが、そのような人気動画でも、イイネが1535万件、良くないねは90万件あります。
世界的に大人気の歌手の動画でも、すくなくとも90万人は、よろしくないのボタンを押下したわけです。

情報の発信者となった側の人は、どうしても、否定的な意見が気になるものです。
なぜならそこに、自らを成長させる鍵があると思うからです。
けれど否定者の中には、心無い意見どころか、心を折ろうとするような意見を寄せる者もいます。
それどころか、身の危険を及ぼしかねないような、ひどいことを述べる者も、残念なことですが、世の中にはいます。

そういうときに思い出すのが、この「蠅は金冠を選ばず」です。
正しいことをしようとするとき、真面目に何かをしようとするとき、蠅たちは言いたい放題です。
まして影響力があり、責任がある者は、言いたいことの半分も言えないものです。
一方、攻撃する側は、無責任で、何の影響力もないから、言いたい放題です。

ウワサは、良いウワサばかりではありませんし、あからさまな中傷や非難、あるいは名誉を毀損する振る舞いは、言われる側にときに重大な影響を及ぼすこともあります。
昨今の若者の自殺問題も、その裏側にはかなりの部分、ネットでの匿名による中傷があるという話もあります。
被害を受ける当事者にしてみれば、蠅どころではないかもしれない。
もちろん、清らかで正しいコメントをいただくことで、自らの襟を正すこともできるわけですから、必ずしも否定的なご意見のすべてが悪いとか、否定すべきということでもありません。
要するに大切なことは、自分が正しく生きる、いろいろなことをしながら、魂の生長を続けていくということなのではないかと思います。

昭和天皇は、本当に偉大な天皇であられたと思います。
昭和天皇の大御心は、もったいなくも私どもには到底図りかねることです。
ただ、陛下がこの「蝿は金冠を選ばず」の物語を愛されたということは、お察しするに、昭和天皇にとっても心が洗われるお話であられたのであろうと思います。

また、戦地で勇敢に戦い、散って英霊となられた帝国軍人の皆様も、戦後は、すでにお亡くなりになられていることをいいことに、あらん限りの中傷を浴び続けました。
やれ赤ん坊を放り投げて銃剣で刺し殺しただの、女性を性奴隷にしただの、本人たちに聞いたら、目をまるくして驚きそうな野蛮人に仕立てられました。
まるで思いも着かないような蛮行の犯人に仕立て上げられ、馬鹿にされ、中傷され続けていたわけです。
しかも、すでにお亡くなりになられていて、一切反論もできない。

それでも「蠅は金冠を選ばず」です。
誰も見ていなくても、お天道様が見てらっしゃるからと、誠実に生きる。
他人に悪口を言われたからといって、同じように悪口で返したとしても、相手が変わることはありません。
上にご紹介した物語の茶坊主の山添良寛は、最後には改心して木村重成のために忠誠を誓っていますが、それは当時の人々の民度が高く、名誉を重んじて行動してた日本人社会であったればの出来事です。
現代社会では、山添良寛のような改心など、のぞめるはずもありません。
むしろ蠅を相手にしたら、自分も蠅の仲間入りすることになるだけです。

日本人はもともと「対立と闘争」の国の住人ではありません。
全体の中で、自らの分をわきまえて行動し、すこしでも全体のために役立てるよう、ひとりひとりが努力をし続ける。それが日本人です。
対立と闘争、支配と蹂躙という大陸型の土俵で勝負しよと思っても、日本人は、もともとそういう概念自体が乏しいのですから、同じ土俵では勝ち目はありません。
むしろ日本人なら、日本的な・・それはひたすら努力を重ねて魂をみがく・・・価値観を大切にしていくことではないかと思います。

木村重成が、良寛の真似をして、殿中で刃傷沙汰を起こしてしまっていたら、いったいどうなっていたでしょう。
そうそう、木村重成は、戦(いくさ)のとき、兜(かぶと)に香を薫(た)きしめて、戦場に赴いたそうです。
戦いに破れ、首を刎ねられたとき、その首が汗臭いのでは、相手の武将に申し訳ないという心がけだったそうです。

木村重成が討死(うちじに)したとき、敵将の徳川家康は、「大切な国の宝を失った」と涙をこぼしたと伝えられています。
蠅にわからなかった金冠の値打ちも、敵将の家康にはちゃんと伝わった。
ちゃんとわかった。
世の中、そんなものだと思います。

わかる人にはわかる。わからない人には、永遠にわからない。
わからなくても、きっと明日は晴れるし、きっとお天道様がまたのぼってくださるのです。
それを信じて生きてきたのが、日本人です。


※この記事は『子供たちに伝えたい美しき日本人たち』からの引用です。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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