我が国が「天皇によって、すべての民を大御宝とする」という概念が打ち出されていたことは、我々国民にとって、とってもありがたいことです。なぜなら、それは究極の民主主義のひとつの完成形であるからです。 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は、そうした日本の本質がわからないような政治権力者は、「心あてに折ってしまえ(追放してしまえ)」と詠んでいます。こうした厳しさは、民衆の生活に責任を持つ政治においては、絶対に必要なことです。
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日本をかっこよく!百人一首の29番に凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌があります。
心あてに折らばや折らむ
初霜の置きまどはせる白菊の花 (こころあてに おらはやおらむ はつしもの
おきまとはせる しらきくのはな)歌を現代語訳すると、
あてずっぽうにでも、折れるなら折ってしまおう。
初霜が降りているのと見惑わせる白菊の花
となります。
凡河内躬恒は、身分は決して高くなかった人ですが、後年、藤原公任(ふじわらの きんとう)によって、三十六歌仙のひとりに選ばれました。
紀貫之(きの つらゆき)とも親交のあった和歌の世界のエリートです。
そしてこの凡河内躬恒は、たいへんに思慮深い、深みのある歌を多く詠む大歌人(詠み口深く思入りたる方は、又類なき者なり)と言われた人でもあります。
ところがこの歌を正岡子規は、
「初霜が降りたくらいで
白菊が見えなくなるわけがないじゃないか」
と酷評しています。
このため多くの訳も「霜の降る寒い朝に、白菊の花を折ろうと思っても、霜か白菊か区別がつかないよ。仕方がないから、あてずっぽうに折ってしまおう」といった、あくまでも霜と白菊に限定した解釈しかなされていいないようです。
正岡子規が指摘しているように、いくら霜が白いといっても、菊の花と霜の区別くらい、誰だって簡単に見分けがつくことです。
では、そんな歌のどこが名歌といえるのでしょうか。
実はこの歌を読み解く最大のキーワードは「白菊」です。
菊の御紋は、いったいどういう人たちが用いるものでしょうか。
わたしたちがよく知る「錦の御旗」に代表される菊の御紋は、皇室の御紋で、正式名称は「十六八重表菊」といいます。
戦前までは、皇族になると同じ「菊の御紋」であっても花びらの数が違っていて「十四一重裏菊」の御紋になります。
また、有栖川宮様、高松宮様、三笠宮様、常陸宮様、高円宮様、桂宮様、秋篠宮様なども、それぞれ菊の御紋をお使いになっておいでになりますが、それぞれ図案はご皇室の「十六八重表菊」とはデザインが異なるものになっています。
ご興味のある方は、ネットなどでお調べいただいたら良いですが、要するに菊の花というのは、そのままご皇室を暗示させる用語になります。
そして「霜(しも)」は、同じ音が「下(しも)」です。
つまり凡河内躬恒は、たとえご皇族であったとしても、下との境目の見分けがつかないなら、手折ってしまえ!と言っているのです。
凡河内躬恒は、日頃はとてもおだやかな人であったと伝えられています。
けれどその穏やかな人が、この歌では実はものすごく過激な発言をしているのです。
所有を前提とする社会では、上の人は下の人を所有(私有)しますから、下の人が上の人を批判したり、「手折ってしまえ」などと過激な発言をしたら、その時点で殺されても仕方がないことになります。
ところが、歌がうまいとはいっても、身分は下級役人でしかない凡河内躬恒が、このような過激な発言をしても、まったく罪に問われることはない。
つまり、この歌は、ひとつには凡河内躬恒が生きた9世紀の後半から10世紀の前半にかけての日本、つまり千年前の日本に、ちゃんと言論の自由があったことを証明しています。
この歌の意味は、詠み手の凡河内躬恒が「白菊と霜の見分けがつかない阿呆」なのではありません。
菊の御紋は、一般の民衆を「おほみたから」としているのです。
ですから権力者が統治する下々の人々は、権力者から見たときに、それを「おほみたから」とするご皇室の方々と同じ位置にあるのです。
そういうことがわからないなら、それがたとえ御皇族の方であったとしても、「手折ってしまえ」と凡河内躬恒は詠んでいるのです。
初霜と白菊は、同じようにみえるものであっても、その本質がまるで異なるものです。
そして民衆は「支配するもの」ではなくて、
民衆は、天皇の「おほみたから」です。
ところが、権力を得ようとする人や、権力に安住する人、あるいは権力を行使する人は、ややもすれば、自分よりも下の人を、自分の所有物と履き違えます。
その区別は、実はとてもむつかしい・・つまり両者はとても似ているのです。
言葉にすれば「シラス」と「ウシハク」の違いです。
けれど、その違いは、権力に目がくらむと、まったく見えないものになります。
なぜなら「シラス」も「ウシハク」も、どちらも統治の基本姿勢のことであり、「統治」という意味においては、白菊と霜の白い色のように、同じ色をしているからです。
政治のことを、昔の人は「色物(いろもの)」と言いました。
虹を見たらわかります。
虹は七色と言われ、虹を見ると赤から黄色、青の色があるのがわかりますが、ではどこまでが赤で、どこから黄色になり、青になるのか、その境界線はきわめて曖昧です。
しかし境界は曖昧でも、やっぱり赤は赤、青は青です。
だからこそ我が国は、古来から「シラス」を統治の根本としてきました。
けれど、いつの時代にも「ウシハク」人はいるのです。
その違いがわからないなら、「心あてに折らばや折らむ」、
つまり当てずっぽうでも良いから折ってしまえ(放逐してしまえ!)と凡河内躬恒は詠んでいます。
これを我が国の高位高官の人が言ったというのなら、いささか傲慢さを感じてしまうのですけれど、身分の低い凡河内躬恒が、うたいあげたところに、この歌の凄みがあります。
こうした文化を土台にして織りなされてきたのが、我が国の歴史です。
そしてここでいう「我が国」というのは、神武創業以来の、あるいは縄文以来の日本という「ネイション(Nation)」のことをいいます。
「ネイション」とは、文化的、言語的、民族的な結びつきを持つ人々の集団のことをいいます。
一方で、昭和22年の日本国憲法によって形成された現代の日本国は「ステイト(State)」です。
「ステイト」とは、国家、政府、行政組織などの政治的組織のことです。
ですから、徳川政権であった江戸時代は、日本というネイションの下に、徳川幕府というステイトがあった時代ですし、
明治日本は、日本というネイションの下に、大日本帝国政府というステイトが置かれた時代です。
そして戦後の日本もまた、日本というネイションの下に、日本国政府というステイトが置かれた時代です。
こうした構造の中にあって、我が国が「天皇によって、すべての民を大御宝とする」という概念が打ち出されていたことは、我々国民にとって、とってもありがたいことです。
なぜなら、それは究極の民主主義のひとつの完成形であるからです。
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は、そうした日本の本質がわからないような政治権力者は、「心あてに手折(たお)ってしまえ(追放してしまえ)」と詠んでいます。
こうした厳しさは、民衆の生活に責任を持つ政治においては、絶対に必要なことです。
(出典:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』)
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