世界政府構想への懸念と国会議事堂



世界政府構想は、現実には、武力か疫病でしか達成できるものではありません。
このことを、我が国の国会議事堂が、完成までに17年もかかったという事実をもとに考えてみたいと思います。

20180601 国会議事堂
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国会議事堂の建設が始まったのは大正9年(1920)1月30日です。
完成は昭和11年(1936)11月7日です。
着工から完成までに、なんと16年11ヶ月という、ありえないほどの長い期間がかかりました。
どうして、そんなに長い年月がかかったのでしょうか。
また国会議事堂が出来上がるまでは、国会はどこで開催されていたのでしょうか。

明治天皇から国会開設の詔(みことのり)が発せられたのが、明治14年(1881)10月のことです。
最初の議会(第一回帝国議会)は、明治23年(1890)11月29日に開催されています。
つまり国会議事堂ができあがるよりも46年も前から、国会が開催されていたわけです。

第一回の帝国議会は、いま経済産業省があるあたり(千代田区霞が関一丁目)で行われました。
そこに木造の「第一次仮議事堂」が建てられ、開催されました。
どうして「仮議事堂」という名前になっているかというと、もともと明治20年(1887)4月の閣議で、いまの国会議事堂がある千代田区永田町一丁目に、正式な国会議事堂が建てられることが決まっていたからです。

第一次国会(仮)議事堂(明治23年)
第一次国会(仮)議事堂(明治23年)


ところが本格的な、諸外国に恥ずかしくない立派な国会議事堂を建てようとすると、たいへんなお金がかかります。
なにせまだ西南戦争が終わって、たった3年しか経っていなかった頃のことです。
資金繰りに苦しい明治政府は、やむなく霞ヶ関に「仮」の議事堂を建設することにしたのです。

それでもこの「仮議事堂」建設には、わざわざドイツから建築家アドルフ・ステヒミューラーを招いて、それなりに立派な建物にしたのですが、第一回帝国議会の会期中の明治24年(1891)1月20日、漏電によって出火し、あえなく全焼してしまいました。

それでどうしたのかというと貴族院(現・参議院)をいまの帝国ホテル(当時は鹿鳴館)で、永田町にあった御用邸の雲州屋敷で衆議院をそれぞれ開催しています。

第一回帝国議会は、3月に閉会するのですが、次の第二回帝国議会は、同じ歳の11月に招集です。
そこで昼夜兼行の突貫工事で、わずか7ヶ月で焼け跡に二度目の木造国会「仮」議事堂が再建されました。
この二度目の「仮議事堂」で、明治24年の第二回から、明治27年春の第六回特別国会までが開催されたのですが、この年の7月には日清戦争が勃発しています。

この戦争の遂行にあたり、天皇の御在所となる大本営が(より戦場に近い)広島に移されました。
これは当時、第5師団と軍港である宇品港が広島にあったこと、当時の山陽本線の西の端が広島駅であったことによります。

陛下の御在所が広島に移ったのです。
ですから国会も広島に移ってきました。
国会議事堂は、いまの広島市中区基町の「リーガロイヤルホテル」のあたりに建てられました。
当時は、いまの広島球場から中央図書館、ひろしま美術館、平和記念公園、そごう、リーガロイヤルホテルのあたり一帯が練兵場として、広大な広場だったのです。

広島に置かれた国会「仮」議事堂
広島臨時仮議事堂


広島での帝国議会は、第7回臨時国会だけです。
次の第八回通常国会(明治27年12月〜翌年3月)は、もとの東京にある国会「仮」議事堂での開催となりました。

国会議事堂が「仮」庁舎ではなく、ちゃんとした議事堂にしようという話は、その間もずっと続くのですが、これがようやく実現する運びとなったのが大正8年(1919)9月、つまり国会の開催が決まってから38年経ってからでした。
翌大正9(1920)年1月30日に、現永田町の国会議事堂建設予定地で、ようやく地鎮祭が開催されています。

この大正9年というのは、国際連盟が結成された年です。
日本は世界の強国として、国際連盟発足時の安全保障理事国でした。
いいかえれば、それだけの世界の大国でありながら、国会議事堂がいつまでも「仮庁舎」のままでは、あまりにもみっともない、ということになったのです。

ところが建設は始まったものの、なかなか完成に至らない。
このことは、それまでの仮議事堂が、わずか数ヶ月で建設されていることと比べたら、完成までに17年弱というのは、あまりにも異常です。

なぜこのように建設工事が遅れたかというと、当時の日本は、Koreaや台湾、満州、樺太に立派な建物の総督府を作ったり、学校を建設したり、道路や橋を架けたり、日本が統治をすることになった周辺の外地のインフラの整備に、毎年莫大な予算を計上していたからです。

たとえばKorea総督府の建物は、昭和元年(1926)の完成ですが、大理石で作られた、実に立派で堅牢な建物でした。
ハルピンや大連や奉天や、ソウルなど、大陸の様々なターミナル駅は、いまでもそのまま使われているくらい、立派な駅庁舎です。
日本は、新しく日本となった地域や、日本の同盟国となった地域の都市インフラを優先し、自国のことは最後の最後の後回しにしていたのです。

その結果、日本の国権の最高機関である国会議事堂は、完成までに17年もかかってしまったのです。
自分のことよりも、周囲のことに気を使う。
日本ならではことではないかと思います。

どこぞの国は、「ウリたちは日本に植民地支配された」と言い張りますが、もし日本がウシハク植民地支配者であったなら、Koreaや満州のインフラ整備などは後回しとなったことでしょう。
なにより自国の権威の発露として、自国の総理府や国会議事堂の建設完成を優先します。
世界中どこの国でも、それが常識です。

しかし日本は違ったのです。
まわりを優先し、自分のことは後回しにしたのです。

けれど、そのことのもつありがたさとか、感謝とかいった気持ちをコリアに求めるのもまた筋が違います。
彼らに感謝の文化はありません。
その場その場で自分さえ良ければよいのです。
「おかげさま」という文化は、日本の文化であって、コリアの文化ではありません。

近年、世界政府という言葉が、あちこちで聞かれるようになりました。
世界がひとつになる。
それは、一見するととても良いことのように見えますが、このことが意味することは、価値観や文化を一元化するという側面もあります。

だらしなくて、家中を散らかし放題でゴミ屋敷のようにしてしまう人と、きれい好きで片付け上手、清潔な暮らしが好きな人が同居すると、どうなるでしょうか。
子供なら、だらしないなら、無理矢理「片付けなさい」と強制することもできるでしょう。
けれど、相手が大人であったら。一国であったら。
強制するには、武力をもって脅かしつけるしかありません。
教えたところで、守らない。それは文化だからです。
きれい好きな人に、だらしなくして家中ゴミだらけにしなさいと強要しても、無理でしょう。
それと同じです。

要するに異なる文化、異なる傾向性というのは、一緒になることは短期的には不可能なのです。
一緒になるためには、最低でも千年、完全に一体化するためには、1万年の歳月が必要です。
それを短兵急に実現するには、結局のところ、軍事に頼るほかない。
片付けなければぶん殴るぞ、といって脅かすしかないし、それでも言うことをきかなければ、殴るしかない。
すると戦争になります。

世界の中で、他の民族に侵されずに歴史を刻むことができたのは、日本と、西ヨーロッパだけだといわれています。
西ヨーロッパの場合、ゲルマン民族の大移動以降、「内部で争うことはあっても、よそから制圧されて文化や社会が断絶するようなことがなかった。それによって内部の順調な発展があった」とは、フランスの歴史学者のマ ルク・ブロック(Marc Léopold Benjamin Bloch、1886 年 7 月 6 日〜1944 年 6 月 16 日)の言葉です( 『封建社会』(みすず書房刊))

ゲルマン民族の大移動があったのは、4〜8世紀です。
8世紀からで考えても、1300年が経過しています。
それだけの期間があり、かつ、ほぼ似たような言語、習慣を持っていても、いまでも西ヨーロッパは、多数の国に分かれています。
そして国境を持ち、出入りを厳しく管理しています。

これが何を意味しているのかと言うと、「隣の家と自分の家は違う」ということです。
それを無理矢理ひとつにしようとすれば、危機を演出して、避難所で共同生活を営んでもらうか、拒否する者を見せしめに殺すほかありません。
世界政府構想は、結果として、武力か疫病でしか達成できないのです。

世界の多くの国々は、そしておそらく圧倒的多数の人々は、誰もが「豊かに安全に安心して暮らせる」ことを求めていると思います。
世界政府が、果たしてそうした「豊かに安全に安心して暮らし」を、人類にもたらすものなのか。

私たちは、我が国の国会議事堂が、完成までに17年もかかったという事実を前に、もういちど、しっかりと考えてみる必要があるのではないでしょうか。


※この記事は2022年6月の記事の再掲です。
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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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