国境を越えた愛・・・艱難辛苦を乗り越えて



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愛心覚羅溥傑と嵯峨浩
愛心覚羅溥傑と嵯峨浩


かつて、国境を越えて結ばれた皇族いました。

ときは戦時中。

今日は、国家さえも崩壊する激動の時代に、愛を貫き通したお二人のお話です。


愛新覚羅溥儀といえば、映画ラスト・エンペラーでも紹介された満州皇帝として有名です。

映画ラスト・エンペラーに、わずか4歳の幼子が清朝第12代皇帝として、紫禁城で数万の兵士と謁見するシーンが出てきます。

これが、愛新覚羅溥儀です。

しかし、清王朝は1911年、孫文が起こした辛亥革命によって滅びます。

翌1912年、孫文は、清王朝にかわる新たな国家として“中華民国”を打ち立てる。

ところが、清王朝崩壊後も大清皇帝として紫禁城で暮らす愛新覚羅溥儀に不満を抱く中国の軍閥の長“袁世凱”は、自らが皇帝になるよう奔走し、1915年12月、中国内に“中華帝国”を打ち立てます。

ところがこの袁世凱も、各方面の軍閥の抵抗にあい、翌1916年3月には滅んでします。
袁世凱は、同年6月に死去します。

翌1917年になると、この政治的空白を利用して政権を獲ろうと画策した張勲によって、7月に溥儀がふたたび皇帝に復職。

ところが内紛によって張勲は紫禁城を追われ、溥儀の皇帝復職は、わずか13日間で挫折。

そして中国は、この後、長い内乱期に入り込んでいきます。

簡単にいったら、この後の中国には、政府がなかったのです。

いまでいったら、海賊や盗賊が略奪と暴行をほしいままにし、一般庶民は飢えに苦しむ無政府状態のソマリアと同じです。

そして当時の欧米列強は、すでに政府が崩壊している中国を、好き放題に切り取り、自国の植民地にしていた。

ほっておけば、中国の内乱と欧米列強による植民地支配の波は、早晩、日本へと波及してしまったでしょう。

とりわけ、ロシア革命によって新政権となったソ連は、太平洋側への領土ならびに植民地支配の拡大を目論んでいた。

このままでは、大陸だけでなく、韓半島、そして日本が危ない。

満州国


そう考えた日本は、愛新覚羅溥儀を招き、1935年、満州に満州国を建国し、溥儀を初代満州国皇帝とします。

中国にあった清王朝は、もともと満州地方に住む女真族です。いまから400年前に、ヌルハチがあらわれて、女真族を統一。そのまま中国に攻め入って中国皇帝となった。
それが“清王朝”です。

愛新覚羅溥儀は、ヌルハチから数えて12代目の清皇帝であり、その溥儀を迎えてもともとの女真族の本拠地である満州に新国家を建設し、せめて、満州国内の治安維持によって、満州国の政治的安定と、満州国民の生活の安定を図った。

それが満州国です。

満州国皇帝の愛新覚羅溥儀には、弟がいた。

弟の名前は、愛心覚羅溥傑(ふけつ)です。

この愛心覚羅溥傑と、彼の妻の嵯峨浩が、今日のお題です。


弟・溥傑は、1907年の生まれです。

1929年に日本の学習院大学に留学し、1933年には、陸軍士官学校に入学。
陸士当時の愛心覚羅溥傑を知る人は、一様に、彼を頭の切れる秀才、部下思いで優しい男、スケールの大きい立派な人と評しています。

彼には、立命館大学名誉法学博士なんて肩書もあります。

それとね、彼は書家としても有名です。独特の流水のような書は、流麗で人気が高いです。
ネットで画像検索したら出てくるけど、なんか濡れたような色気のある字を書く。
書は人を表すといいます。なにかわかるような気がします。

溥傑の書
溥傑の書


この愛心覚羅溥傑のもとに、1937年、嵯峨侯爵家のご令嬢で天皇家の親戚にあたる嵯峨浩(さが・ひろ)さまが嫁ぎます。

当時のことですから、もちろんお見合い結婚です。

嵯峨家というのは、浩の祖母の叔母が、明治天皇の生母という名門の公爵華族。

明治初期、欧米風の爵位が日本でも用いられていた時期があった。爵位は、公・侯・伯・子爵・男の順番。だから公爵家のご令嬢という浩は、当時の我が国最高の姫君でもあらせられた。ようするに深窓の令嬢であり、すごい姫君です!!

えっと、お名前、“浩”と書くと、なんとなく(ひろし)って、男性名みたいな感じがするかもしれないけれど、呼び方は、(こう)です。れっきとした華族の女性です。


さて、その嵯峨浩、当時22歳。

お相手の愛心覚羅溥傑は、29歳。

お見合いのお席で、はじめて溥傑に会った浩は、

「軍服姿の気高い、ちょっと普通じゃお見かけできない立派な方だと思いました」
と第一印象を述べています。

そして、ご交際を通じて、溥傑の人柄にすっかり惹かれてしまう。


お二人の結婚式は、1937年4月3日、東京九段にある、軍人会館(いまの九段会館)で行われました。

愛心覚羅溥傑と嵯峨浩2


この年の10月には、お二人で満州国へ帰国。

翌1938年には、長女慧生が誕生。

溥傑は、産まれた我が子のそばを離れたらがらず、溥儀皇帝から苦情のお言葉をちょうだいまでしたそうです。娘さんがよほど愛しかったんでしょうね。

愛心覚羅溥傑と嵯峨浩3


1940年には、次女嫮生(こせい)も誕生。

夫の溥傑は、満州と日本を行ったりきたりではあったけれど、子煩悩の夫と、愛娘に囲まれたこの時期を、浩は、「幸福の絶頂期であった」と述懐しています。


日本の敗戦が濃厚となった1945年8月9日、突如ソ連軍が日ソ不可侵条約を破り、満州国に侵攻します。

一刻の猶予もありません。

溥傑、浩のご一家は、皇帝一行とともに特別列車に乗って、新京を脱出。
小さなお子様を抱いて、長白山中にある大栗子まで逃げのびます。

国を失った彼らに残された選択は、日本への亡命しかありません。
一行は奉天(いまの瀋陽)飛行場から、2陣に分かれて飛び立つことにした。

第一陣は、皇帝溥儀と、夫の溥傑、それとわずかなお供の者。
第二陣が、皇后と浩などの女・子供。

第二陣は、第一陣の到着の報を受けて出発することになっていた。

ところが、溥儀ら第一陣の一行は、出発直前、奉天飛行場でソ連兵に捕縛されてしまいます。

溥儀も、溥傑も、そのまま連行され、ハバロフスクの収容所に入れられてしまう。
残されたのは、女・子供ばかりです。

そして彼女らの逃避行が始まります。

満州に安全なところはどこにもない。
シナ人や、朝鮮人たちによる日本人への略奪や集団暴行、殺人、強姦などの被害が出始めている。

女性は、全員髪を切り、顔に泥を塗りつけ、男装しての逃避行がはじまった。
幼子を抱え、徒歩で大陸をさまよう旅です。どんなにかおつらかったことでしょう。

5ヶ月後の1946年1月、浩ら一行は、ようやく朝鮮との国境に近い通化(吉林省)に到着します。

ところがここで、八路軍(中国共産党)に捕縛された。
そして彼女らは、八路軍公安局のビルの2階の一室に幽閉されてしまいます。

当時の通化には、もともと1万4千人の日本人居留民、10万人以上の他の地域からの避難民がいた。

そして武装解除された日本兵が次々とシベリアへ送られていく。

日本軍が持っていた武器を、ソ連兵はその場で八路軍(共産軍)に渡し武装させていた。

武装して支配者となった八路軍と、八路軍から武器を分けられた朝鮮義勇軍たちは、武器を持たない日本人難民に対し、掠奪、暴行、拉致、殺戮の地獄を繰り広げた。

そして2月3日に起ったのが世にいう「通化事件」です。

通化事件


略奪や暴行を加える者たちの中には、延安からやって来た筋金入りの日本人共産党員もいた。
その日本共産党員が組織した「日本解放工作委員会」は、あるいは「清算運動だ」、あるいは「集団訓練だ」といって、居留民の財産没収、自由拘束、不服従者の人民裁判など弾圧を繰り広げた。

戦時中、共産主義に走り、日本を捨てて延安に行った彼らは、戦時中は“売国奴”として同邦の日本人にののしられた。
その日本共産党員たちは、日本が戦争に負けると、こんどは逆に英雄気取りとなり、
「避難民が乞食同然の生活苦に追いやられている時、彼ら工作員は立派な服を着て街を闊歩しており、罪なき日本人を売って得意となっていた。

そして彼ら日本共産党員は、一部の日本人が国民党と組んで八路軍(共産軍)を攻撃したという嘘をでっちあげ、理由で、大規模な日本人狩りを行なう。

そしてこの日、3千人とも4千人ともつかない日本人が、零下30度の寒さの中で、
両手を上げさせられて八路軍(共産軍)に銃剣で追い立てられた。

男性は、16歳から60歳まで、先頭から氷の上で射殺され、川に投げ込まれた。

途中で方向転換した列は、旧通運会社の小屋に100人近くが押し込まれた。
身動きできず酸欠で口をパクパクしている日本人たちを、八路軍は、窓からライフルで撃ち、足元が血の海になったが死体を外に出すことも許されなかった。

一週間にわたる拷問と銃殺、あるいは凍死によって軍とは何のかかわりもない民間の2千人近く殺された。

女性や子供たちがどうなったかは、記録がないのでわからない。
でも、それは“記録できないほど惨たらしいものであった”ことが容易に想像できる。


中国共産党の本拠地である延安から若い裁判官がやってきて人民裁判が始まった。

台の上に日本人が立たされる。

裁判員が、満州時代の罪状を民衆に問う。

黒山の野次馬の中から「俺達を酷使した」、「俺達を殴った」というデタラメな罵声が上がる。

裁判長が「どうする」と問うと、「打死!打死!(殺せ殺せ)」と民衆が叫ぶ。裁判は終わり、その日本人は背中に「南無阿弥陀仏」と書かれ、馬に乗せられて市内引き回しの上、河原に連れて行かれて次々と銃殺された。

この裁判によって、居留民会長であった寺田氏を始め、通化在住の実業家、著名人約180人は、こうして共産党の人民裁判により、罪状をねつ造され、処刑された。


そうした騒然とした通化の中で、旧日本軍人の一行が、浩たち一行の救出のため、決死隊を組んで公安局に乗り込んだ。

このため、逆に八路軍公安局の建物が、八路軍によって猛攻撃された。

機関銃の一斉射撃で窓ガラスが吹っ飛ぶ。
砲弾が落下する。

耳をつんざく轟音。

浩は、娘を抱きしめ、息を殺して祈るばかりだった。

浩の目の前で、校庭の老乳母が砲弾の破片で手首を吹き飛ばされた。
「痛い、痛い」と泣き叫びながら、絶命。

溥儀の皇后はあまりの恐怖のために、気が触れてしまった。

そして日本人義勇隊は、全員が絶命。


阿鼻叫喚の地獄絵図を目の当たりにしながら、浩たち一行は、なにもできないまま、4月、八路軍によって、長州(満州国時代の新京)に移送され、さらに、吉林・延吉・佳木斯へと身柄を移され、同年7月に佳木斯で釈放される。

釈放後、浩は、同年9月に葫芦島に至り、そこで日本への引揚船を待った。
しかし、こんどは同地で国民党軍に身柄を拘束されてしまう。
そして、北京を経由し、同年12月に、上海へと移される。

たまたま、上海には、旧日本軍元大尉、田中徹雄氏(のちの山梨県副知事)がいた。
彼の勇気ある行動によって浩たちは救出され、上海発の“最後の”引揚船に乗船することができた。間一髪のできごとだった。

翌1947年1月、浩たち一行は、ようやく日本に帰国する。

流転の日々、浩は帰国までの間、ずっと次女の嫮生を伴っていた。

そして、日吉(神奈川県横浜市港北区)に移転していた嵯峨家の実家で、長女の彗生と、涙の再開をはたした。彗生は、日本の小学校にはいるために、日本の実家の嵯峨家に引き取られていたのである。

浩は、父の経営する町田学園で書道教師をして生計を立てながら、娘たちとの生活を始める。

そんなある日、母や妹の苦労を仄聞し、行方知れずの父の身を案じる心優しい長女の彗生は、1954年(昭和29年)周恩来に「父に会いたい」という中国語で書いた手紙を出す。

周恩来はその手紙に感動し、浩と2人の娘と、夫との文通を認めた。

昭和32年(1957年)12月10日、学習院大学在学中だった慧生を、突然の悲劇が襲います。

交際していた同級生とピストル心中したのです(天城山心中)。

一緒に死んだ青年は、青森県出身の同級生だった。

生きる望みを失っていた青年に、心優しい彗生が、同情し、行動を伴にしたものだと伝えられています。


この事件で、浩は、すっかり打ちのめされてしまいます。

自宅の床に伏し、起きあがれなくなった。

中国撫順の収容所にいた溥傑は、手紙でこの事実を知ります。

「なんという悲しみであろう。清朝の子として、薄幸であることは宿命なのか。将来の夢のすべてを彗生と嫮生に託し、楽しい夢を描きながら苦しみに耐えてきたのに、なんということであろう。誰にも罪はない。もしあるとすれば、すべては私の罪だ」

溥傑は、清朝の血を背負う自らを責め、浩は娘を守れなかった自分の非力を責めた。


1960年12月、溥儀と、溥傑は、特赦になり、釈放されて北京に帰った。

浩は、夫のいる中国に渡る準備を始めた。


中国共産党に遠慮する兄の溥儀は、「日本人の義妹の顔など見たくない」と言って、浩の帰国に猛反対したといいます。

しかし、溥傑は、きっぱりと言った。

「私も妻も、お互い、信じ、愛し合っています。
娘もいます。
たとえ、民族や国が違っていても、夫婦親子一緒に暮らすことだけを願って、いままで私は耐えて生きてきました。
一家団欒の楽しみを、取り戻すのです」


1965年5月、溥傑は、広州駅のプラットホームで、香港経由で中国入りする浩と、嫮生を待っていた。

人混みの中に、夫の姿を見つけた浩は、たくさん用意していた言葉も出ず、ただ黙って頭を下げることしかできなかった。

溥傑も、黙ってうなずくばかりで、言葉にならない。

二人は、人眼をはばかることなく、肩を寄せ合って、泣いた。

それは、16年・・・16年の長かった別離が終わりを告げた瞬間だった。

浩は、大切に抱いてきた彗生の遺骨を差し出した。
そして、「申し訳ございません。。。。」と言って泣いた。

溥傑は、何も語らず、両腕に彗生の遺骨をしっかりと抱きしめた。
彼は遺骨を、ホテルに着くまで離そうとしなかった。

部屋に着くと、花を飾った机の上に遺骨を置き、「申し訳なかった・・・」とひとこともらしたあと、その場に泣き崩れてしまったといいます。


それから27年後の1978年、日中平和友好条約が締結された時期のこと、浩は、慢性腎不全を患い、人工透析を受けるようになった。

その頃、妻を看病しながら、「もし浩が死ねア、私も生きておれない」という溥傑のつぶやきを周りが聞いています。


そして1987年6月20日、夫・溥傑に見守られながら、浩は静かに息を引き取ります。享年73歳。

溥傑は、浩の遺体の枕もとに立って、ポロポロと流れる涙を拭おうともしないで、葬儀の参列者に丁寧に挨拶をしていた。

娘の嫮生は、溥傑が、浩の亡骸に取りすがって「浩さん、浩さん」と慟哭する姿を見たといいます。

後年嫮生は、
「母は、こんなにも父に愛され、惜しまれながら亡くなったのだから、幸せだったとつくづく思います」と述懐しています。


清王朝の皇帝の実弟として生まれた溥傑。
日本の華族の家に生まれた浩。

お二人の遺骨は、長女彗生の遺骨とともに、半分が日本の山口県下関市の中山神社(祭神は浩の曾祖父中山忠光)境内に建立された摂社愛新覚羅社に納骨されています。

浩・慧生の残る半分の遺骨は溥傑の死後、溥傑の遺骨の半分と共に中国妙峰山上空より散骨されたそうです。

次女嫮生(こせい)は日本に留まって日本人と結婚して5人の子をもうけ、2008年現在、兵庫県西宮市在住。


ねずきちには、お二人の数々の苦難を乗り越えた愛が、なにか、ものすごく大切なことを伝えてくれている気がします。

夫である愛心覚羅溥傑と、義兄の愛心覚羅溥儀の二人は、中国に抑留され強制収容所に入れられていた16年の間、両名とも中共によって徹底的な洗脳教育を受けているであろうことは想像に難くないです。

ときの中国は文化大革命まっさかり。

文化大革命という名前こそ立派だけれど、その中身は中国共産党幹部以外のあらゆる権威・・・学校の先生やお医者さん、商店主、政治家、宗教化等々を、ことごとく階級闘争の名のもとに弾圧し、追放し、殺害し、再教育と称して収容所で過酷な思想教育を施した、というものです。

とりわけ溥儀や溥傑は、日本との結びつきが強い皇帝とその弟であり、中共の反日プロパガンタのために、彼ら両名には、およそ人間の知恵で考えられるありとあらゆる弾圧と拷問による思想教育が施されている。

実際、釈放後の溥儀は、反日のための中共のカードとして、利用され続けた。

しかし、と、ねずきちは思うのです。

どんなに過酷な思想的弾圧と思想教育、拷問を施しても、溥傑の妻や子に対する愛までを、中共は奪うことはできなかった。

中国共産党に恐怖するする兄の溥儀は、「日本人の義妹の顔など見たくない」と言って、浩の帰国に猛反対したというけれど、それさえも、溥傑の愛を奪うことはできなかった。

溥傑も、浩も、日本の古い相互信頼主義の教育を受けて育っています。

浩は、溥傑に会って、彗生の遺骨を差し出したとき、「申し訳ございません。。。。」と言って泣いた。

それは、夫に託された子の命を守れなかった。愛する夫の信頼に答えられなかった自分を恥じての言葉であったろうとご推察されます。

そして溥傑も、、「申し訳なかった・・・」と泣き崩れた。

この言葉は、階級闘争主義じゃないです。子を持つ親として子を守ってやることができなかった、子の信頼に答えられなかった自分を恥じての言葉ということができます。

どんなに、どんなに中共が階級闘争主義をあおっても、人の心にある相互信頼の心は、この世が人と人との世の中である限り、絶対に変えることができない真実なのだと、ボクは思う。

なぜなら、相互信頼の心は、一家団欒の心、愛の心でもあるからです。

昨今、日本社会には階級闘争主義がまん延し、部下は上司を、民は官を批判し、批難するばかりで、自らを省みて恥じるということがない、そんな社会へと変貌しつつあります。一家団欒なんてない。

信頼より強圧、信頼より批判、信頼より中傷・・・それが正義と勘違いするヤカラが、ものすごい勢いで増殖しつつある。

それはまるで、映画バイオハザードに出てくるゾンビのようだ。

しかし、そういう批難と中傷と強圧による階級闘争主義というものは、どんなに正義ぶっても、どんなに理論武装(?)しようとも、所詮は、人間を社会を崩壊に導くものでしかない。

人にとってたいせつなことは、愛であり、一家団欒であり、相互信頼であると、今日ご紹介した物語を通じて、ねずきちは強く思うのです。

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満州国皇帝愛新覚羅溥儀の弟溥傑と妻浩の夫婦愛3/5
「知ってるつもり」で放送された映像です。
かなり偏向した内容もあるのだけれど、
お二人のお写真等が豊富です。1~5まであります。
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コメント

Nao

溥儀皇帝と昭和天皇
戦争の後、様々な方々が罪に問われる危険が在りました。
日本国内では、上層部の方々の安全確保の為、民間人に視線逸らしをして安全を確保する方法も採られました。
私の父もその一人で、父は知りませんが私が関連者の方から打ち明けられました。その上に、面白がって日本人に悪巧み謀略を掛けていた人達も絡んでいましたので、私の人生は大変なものが在ります。
昔、溥儀皇帝と昭和天皇が似ているとの設定で近衛文麿公なども込みの、謀略と同時に安全確保が図られました。御二方が似ていると言っても、「黒縁の眼鏡を掛けているどちらかと言えば面長な皇帝」とのポイントだけですが。
戦後責任が問われそうな中、変な騒ぎに乗りそうな人達の視線をこちらに逸していた程度ですが、御二方の安全確保、との事だったとか。(他の工作員謀略の方は、劇場型愉快犯タイプです。)
溥儀皇帝御兄弟は、中華人民共和国に引取られた後は、満州の再興に乗り出されない様にと、動向が解るように北京で暮らされ、浩さんも元満州の国民達と、戦後、御連絡が取れたかどうだか…。本当だったら、元国民の方々の動向を伺う事が出来て、御声を掛けられれば良かったですが、中華が動向を気にしている環境ではままならなかったかもしれませんね。

今日、11月3日は明治天皇の御生誕日とされていますね。(旧暦でいうと違うとの説も在りますが…)検索中、通りがかりました。

『五箇条の御誓文』が刻まれている『誓之御柱〔ちかいのみはしら〕』が幾つか在るのを御存知でしょうか?
・秋田県男鹿半島
・滋賀県琵琶湖の多景島
・愛知県半田市の乙川白山公園(先日行って参りました)
・三重県四日市の諏訪公園
等、「誓の御柱」で画像検索したら出て来ました。

明治天皇の御崩御100年目で、沖縄に明治天皇の像が作られたとの噂です。
千島列島・樺太からずっと沖縄諸島に至る迄の日本列島全体は「締縄〔主連縄しめなわ〕」状になっております。そして、日本列島の南側と北側に連なっている諸島が、注連縄からつながる紐状のもので象徴的に示されています。沖縄は「沖に在る縄」等の意味とも…。沖縄言葉は大和言葉とも、つながりが在りますね。

メルマガ<宮崎正弘の国際ニュース・早読み>の10月30日第3800号の「読者の声(その2)「琉球雑考」」に、琉球と鹿児島と中華との関係が書かれていて、私も大変勉強になりました。よろしれけばどうぞ<(_ _)>。

やま

No title
嵯峨家というのは、浩の祖母の叔母が、明治天皇の生母という名門の公爵華族とありますが、キミ公爵ではなくソウロウ侯爵の方です。嵯峨家は昭和天皇とは父親同士が母系のまたいとこ同士ですね。

日本共産党のような連中には、スターリンがやった粛清とおんなじ目に逢わせるのが、私が得た教訓です。私は高校時代から武道の鍛錬がてら共産党員狩りをよくしましたが、彼らはすんなり、アジトの場所、協力者、スパイなど自白しますよ。アジトにも襲撃に行ったもんです。彼らとの力の衝突は、彼らには信念がないので、簡単にボコボコニ出来ます。私が共産党、反日左翼にこういう事をするかと言うと、彼らには、事実なんてどうでもいいんですし、彼らも暴力の信奉者。ならばと言うことで、ヤンキーの喧嘩見たくやるんです。彼らは弱いですから、あんまり話にはなりませんが

takohati

彗生の死について
昔、浩さんの書いた本を読みました。
彗生さんの死については心中ではなく無理心中と考えていたようです。新聞は美談にしたがりますが、母親からみてそれはないと。

雪翁

兄弟での人格の違い
溥儀、最低の男。まぁ、顔を見れば、品性下劣なことは明白である。そもそも「皇帝」の威厳もない。東京裁判での、あの髪振り乱しての自己弁護、共産党に強要されていたとは言え、人情に薄い男だったことは明らかです。
同じ兄弟でも、溥傑氏は見かけも立派です。

Takeshi

大変、感動させられました。
溥傑さんと浩さん。
私は歴史に疎く、このような愛を貫いたお二人を始めて知りました。
ねずきちさんのお話を読んで、愛で一杯になる想いでした。
ありがとうございました。
上手く、伝えきれませんが、政略結婚だったけれども、それをも超越していたのだと、私も思いました。
中国の方も、このような愛の精神が溢れればもっと良くなるのになと思わされました。
本当に良いお話、ありがとうございました。感動、感激しました。

あきちゃ

No title
浩さまが帰国後長女と再開された場所が私の住んでいる
処だということを初めて知りました(´∀`*)
いいお話ですね。
自分もこんな関係を築けたらいいなぁ、、、

太郎の嫁

愛と友愛は違う!
得体の知れない友愛という中共・韓国・北朝鮮が主語の鳩山語が流布しています。
ねずきち氏の素晴らしい文に、このようなアホらしい鳩山語を記することをお許し下さい。

かぐやひめ

英雄さん 本当にそのとおりです
日本の歴史を振り返ると、今と同じぐらい困難だった時期もあったと思うのです。
戦国時代と言われるときーあの時も、バテレンの暗躍がありました。
当時は、国を閉じるという物理的な手段が可能だったけど、今は、現実には不可能だと思います。
また、すべてのものごとには二面性があり、「外のものがすべて悪い」わけでもなければ「外国人との接触が、すべて悪い」わけでもありません。
異質なものが出会うことで発展があるのは、普遍的な真理です。男性性と女性性が出会い、新しい命を生み出すことは、まさにその根源といえます。
異質なものとの出会いなしでは発展もまたありえない。だから、今さら、日本が国を閉じ、国粋主義に陥ることは決して望むところではありません。
だれでも、身近に善良な誠実な外国人の知人のひとりやふたりはあるでしょう?

そういう形に現れたことではなく、「精神」「魂」の問題を高く掲げたいと思います。
敗戦によって、捨ててしまったもの、捨てさせられたものを、とりかえす作業を、ようやくできる時期になったと考えたいです。押し寄せるものを押し返して、力強く、その作業をするべき時期にきた、と。

かつて、倫理宏生会とか、モラロジーなど「道徳」を標榜するものが多々ありました。「倫理」が、やられたのは男女共同参画社会のためでしょう。「~らしく」の撲滅運動が参画社会構想です。
その都度「?」と首をかしげながら「時代についていかなきゃ」と考えた。そして、時代にうまくついてこれたことが、日本独特の強さでした。
すべては両刃の剣。
これからは、復古運動をしなければと思います。つまり、国を物理的に閉じる代わりに「精神文化」の部分を閉じます。
今ある理念のすべてを疑え!マスコミを信じるな!

英雄

No title
米国の自由と言うのが、本当は道理と言う意味なら、我々は根本から考えなおさないといけませんね。

ただね現実の民主主義なるものは裏で操られてるから、本当は存在しないという事実がありますから、防衛策として我々庶民は、言論の自由と言うのと平行して嘘をつくな、日本古来の共同体の道徳を守れ、と言うことを言う必要がありますよね。何でも言っても良いわけではない。嘘をつかず、道徳をまもり、良心に従い、思想に偏らずにものを言う事。

思ってみれば自由と民主主義ではなくて道理と民主主義。言論の自由ではなくて言論の道理ということになりますよね。
戦後のGHQにより、日本の弱体化の為に道理ではなくて自由だと嘘の意味を洗脳されてきたのでしょうか。道徳を壊され、支配層と大衆が相互信頼が無くなり永久に合い争うように階級闘争史観を刷り込まれたのでしょうかね。

これでは米国の思いどうり日本は亡国になりますよね。日本人は明治以来の白人の思想や文明に対して言いたいことをいう時期にきたと思います。自分でものを考えるのですよね。工作員が滅茶苦茶言ってきたら、嘘を言うなと言う。金のために魂を売るなと言う。親と子を大事にしろと言う。

愛信

総選挙に向かって、この国を思う人々が立ち上がっています
前の都議選で政治に関心の無い、選挙にも行ったことが無い人々が、投票率54%と10%も
多いい104万人の人々が立ち上がってくれました。
この人たちは民主党の支持母体が日教組、同和、民団、年金破壊の自治労であることすら知
らない!
投票は共産党をはずし、創価学会公明党の推薦候補を排除して残った選択肢民主党に投票する
という過ちを犯しています。 
政治に無関心、選挙に行ったことも無い人は本来反日売国政党には投票しません。

投票日前から、幣サイトに(都議会議員、愛国度)の条件で検索する人が急増しました。政治に無関心で選挙に行ったことがない人たちが投票する愛国議員を探している事が分かりました。
前回総選挙の郵政選挙で小泉ー竹中が、この人達をB層と呼んだのですが、次期総選挙で再び
騙されることが無いように正しい情報を伝えなければ成りません。
テレビの報道偽装の壁を突破する為にチラシの手渡し、置きビラが有効と考えます。
本日発見です、協力者不詳ですが、置きビラ(携帯版)なども出てきました。
http://i2ch.net/y/http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsjb.cgi

インターネットと無縁な方々にはこちらの置きビラを見てもらって下さい。残り少ない活動です知人、友人の覚醒を促し、自民党愛国派と保守勢力の連携で日本人のための政権交代を実現しましょう。
【置きビラの掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsjb.cgi

ひのまる

No title
石原莞爾いいですねー。ねずきちさんの語り口でぜひ石原莞爾お願いします!!
『流転の王妃』は自分も昔読んだのですよ。しかしどうも中共的臭味があって、違和感を覚えました。今回のねずきちサンのエントリーでは、その中共臭味を取り除いてくれているので、なんというか、こう、すんなりはいったような気がします。ありがとうございました。

石原莞爾氏
満州事件はから「満州国」建設まで「半年」で出来て居ます、又満州事件前のこの地域は張作霖・張学良の北京争奪の夢をかなえる為の「圧政」と「日本軍」への中国人や満州人の信頼が作らせたもので「暴走」とは一言で処理できるものでも有りません。

日本が「満州国」として独立を目指す事が出来たのは全シナ大陸で関東軍の治安維持能力が長けて居た事も歴史の事実です。満州国皇帝が天皇陛下を裏切らず本当の事をしゃべり、且つ「石原莞爾氏」が東京裁判の被告席に立ち「持論」を述べれば歴史も変わったで有ろうとも考えて居ます。歴史とは勝者が作り何とでも言える。

戦乱のシナ大陸で唯一の安定した地域を作り上げて居た事について現在の日本人が検証するなら、よくぞこれだけの国を短期間に作れた。安全だから僅か12年の間に三千万の人口が五千万にまで膨れ上がった事を考えれば石原莞爾が目指した小さな戦略の事より、余程大きな仕事と考えても良いと個人的には評価しています。

明るく歴史を見ようではないですか?関東軍のしでかした事が敗戦で「悪」になり、当時の為政者の無能は問われないなら、軍人なんかはやってられないでしょう。
不正をやった訳でもない日本国家の為に満州国の為に東京駅まで満州皇帝が来られ、迎えられた天皇を裏切った人に腹を立てるのが普通だと思います。

tamago

推薦図書
ねずきち様
いつも楽しく拝読させて頂いています
今後のご活躍を期待します

ねずきち様の推薦図書(大東亜戦争)を紹介してください m(_ _)m

私の推薦図書
1 散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道 / 梯 久美子
2 台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい / 蔡 焜燦
3 パール判事の日本無罪論 / 田中 正明
4 新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (全3) / 小林 よしのり
5 驕れる白人と闘うための日本近代史 / 松原 久子

椿

真実の愛
嵯峨元侯爵令嬢、嵯峨浩さんの著書『流転の王妃』を読んだことがあります。

確かに、ねずきちさんのおっしゃるように、お二人の深い夫婦愛や子を思う親の愛情、親を思う子の想いには、深く感動させられました。

しかし、八瀬さんが仰るように「関東軍の横暴」や「日本軍人が威張り散らしていて安心して生活できなかった」等という表現には、“中共の工作”を感じてしまいます。

彼女が北京に戻った頃は、文化大革命や大躍進で、シナの国民はかなり大量に殺され、洗脳され、中共の弾圧がまだまだ激しい時だったと思われますので、溥傑・浩夫妻の生活は監視の連続だったのではないか?と推察されます。しかし、コレから援助を引き出す日本への配慮もあり、ある程度の自由と生活への配慮はなされていたとは、思いますが…。

ですが、素晴らしい夫婦愛であった事には、大変感動しております。

それから、これ↓も日露間で起こった“悲劇の愛の物語”ですが、もし良かったら、みなさまご覧ください。本当に感動です。

クラウディア「最後の手紙」
http://www.bookjapan.jp/recommend/user_review_page.html?br=UR45

クラウディア「奇跡の愛」
http://www.nichirobusiness.com/oroshia/shohyou/muraoyasuko.htm

>>歴史の波に引き裂かれた壮絶な愛の物語がある。
それはロシアと日本という国境を越え、50年という時代を超えた究極のラブストーリー。
愛を信じて極寒の地獄を生き抜いた男。
愛するがゆえに待ち続けた女と、愛するがゆえに別れを選んだ女。
あなたは信じることができるだろうか?
2004年2月、『奇跡体験!アンビリバボー』にて放送(視聴率16.2%)し、日本中が涙した"一人の男"と"二人の女"の奇跡的な愛の実話<<

悲劇の中にあっても、『真実の愛』は、一条の光のように、人々を照らし、癒しますね。神仏に再び感謝です



ねずきち

けんぶつさんのコメントについて
これまでこのブログに投稿された“けんぶつ”さんの投稿について、調査しましたところ、その投稿のすべてが、ひとつひとつの投稿が、全部、異なるIPアドレスで行われていることが判明しました。

本来、IPアドレスは、パソコンそれぞれに割り当てられる固有のアドレスです。

コメントをくださる方が、複数のパソコンを用いていたり、ネットカフェを転々としながら投稿される場合にも、もちろんIPアドレスは、コメント毎に異なることになりますが、この場合は、IPアドレスの末尾にあるプロバイダの固有記号が、違う業者のものになるのだそうです。

ところが、”けんぶつ”さんの投稿は、同一のプロパイダから、IP部分だけを数字であからさまに改ざんしたアドレスが用いられています。

これは、以前あった、大阪のおっさんさんと同じく、故意になんらかのソフトを用いて、IPアドレスを詐称して、投稿をしていないかぎり、起こりえないものです。

このブログでは、自由な言論、自由な意見を尊重するものですが、不正ソフトを用いる者まで、受け入れるつもりは毛頭ありません。投稿の内容や趣旨以前の問題です。

したがいまして、当面、以下の措置をとらせていただきます。

(1) みなさまは、“けんぶつ”と称する者からのコメントには、いっさいお答えの必要はありません。

(2) ”けんぶつ”さんの用いているIPは、投稿禁止措置をとらせていただきます。


“けんぶつ”氏がコメントで用いているIPは、九州のBBIQという光ブロードバンド事業者のものが、大半を占めます。他にもいくつかの事業者のものをご利用されているようです。

今回、BBIQ経由のコメントを禁止措置としましたので、“けんぶつ”以外の一般の読者の方で、BBIQを利用されている方まで、コメントの書き込みができなくなります。

たいへんご迷惑をおかけして申し訳ないのですが、不正者排除のため、当面、この措置を継続させていただきます。

以上よろしくお願いします。

bb

あのね~
けんぶつさん

放っておこうと思ったのですが、ねずきちさんが折角、別の見方もあるよと切々と語ってくれているのに。いいですよ、内容に反論するのは自由だから何も言いません。でもね、満州国時代が一番幸せだったと言ったのは、溥儀じゃなくて、溥傑。

> さもなくば、満州時代こそ幸せであったという溥儀の家族愛賛美は、すべてを美化、正当化し、北朝鮮の金独裁体制さえ援護しかねない論理構成になりかねませんね。 <

家族愛賛美の何処がいけないの?貴方は自分の家族の幸せも否定するの?北の将軍様の家族が幸せかどうか知ってるの?ねずきちさんは仮面の幸福を言っているのではありません。人間として本質的な家族愛のことを言っているのです。

そこんとこ宜しく。

-

No title
☆☆☆ご協力のお願い☆☆☆
7月17日のTBS「みのもんたの朝ズバッ!」で、

視聴者を民主党への投票に誘導する偏向報道があったので、

『偏向報道にはスポンサー問合せ』にてスポンサー情報を更新いたしました。

TBS系朝400~昼1200
http://www23.atwiki.jp/inquiry_003/pages/24.html

スポンサー問合せにご協力ください。

けんぶつ

No title
 満州建国は政府が戦略を策定してその結果に行われたのですか?

 溥儀の幸せが仮に満州時代にあったとしても、国家戦略として企図した建国ではなく、関東軍による暴走の後付け、追認としてあったのではないですか?
 溥儀の満州時代の幸せが時の政府の無策・無戦略・場当たり主義・いけいけドンドンの軍国主義国民への大衆迎合主義・日本型民主主義そして政略・戦略を統合する機関が無かった明治憲法の重大な欠陥の免罪符にはなりません。

 さもなくば、満州時代こそ幸せであったという溥儀の家族愛賛美は、すべてを美化、正当化し、北朝鮮の金独裁体制さえ援護しかねない論理構成になりかねませんね。

 足し算引き算レベルで考えてもわかりますよ。

勉強家ですね
ホントに良く勉強されているのですね。何時も感心するばかり、「古き故郷」に帰られた清国皇帝の末路は哀れなもので最後は「中共」に利用され悲惨な末路でした。

東京裁判では兄弟が相争い日本軍閥の「傀儡」で有ったと言う兄と「互恵関係」と言う弟との確執も有り、弟さんの日本での生活も大変で有ったでしょう。

私も山口県に在任して居た時に訪ねた事が有りました。中共での皇帝の扱いはどんなものでしうかね?

八潮

日食
上にあるかぐやひめさんの「太陽の死と再生」というお話は、22日の日食のことですね。

日食は、太陽が一度死んで、生まれ変わる、だから世の中もなにかが清算されて、新しい時代がやってくることを象徴するという古い言い伝えがあります。

思うのですけれど、階級闘争主義者による日本社会の破滅計画・・・は、いまや完全に日本社会を牛耳り、乗っ取ったかのように見えます。

だけど、そういう闇が、ある日を境に、別な方向に向かう。
日本人が日本人としての相互信頼主義という心を取り戻す、なんらかの動きが、始まろうとしている。

さいきんのねずきちさんのエントリーを読んでいると、なにやら、そんな気がしてくるのは、私だけでしょうか?

八潮

歴史の闇
今回ねずきちさんが紹介された愛心覚羅一族の物語は、これまでにもいろいろなところで紹介されていますが、実は、どれを読んでも、おかしな印象操作の文章がちりばめられているのです。

ですからたぶん、そうした中共寄りのおかしな印象操作抜きでの、この歴史の紹介は、ねずきちさんの今回のエントリーが、日本ではじめてのことじゃないかと、思います。

たとえば、これまで紹介されたお二人の物語には、かならずといっていいほど、
「溥傑と浩さんがご結婚されて満州にいくと、そこで待っていたのは、関東軍の横暴と、粗末な住居だった」
「満州では日本の軍人が威張り散らしていて安心して生活できなかった」等々、とにもかくにも日本軍が横暴だったというような文章が、あちこちにちりばめられている。

だけど浩さんは、語っています。
本文でもねずきちさんが紹介されているように、「あの満州での日々が、人生でもっとも幸せな日々だった」

考えてみると、日本人の習性として皇族・・・しかも浩さんにいたっては公爵嵯峨家のご令嬢です・・に対して、ご不敬など考えられません。当然、浩さんを含む愛心覚羅ご一族には最大級の敬意を払って接していた。

むろん、紫禁城とくらべれば満州国の宮殿は粗末なものだったかもしれないけれど、それでも貧乏な日本としては当時最大の尊敬をもって、当時の日本人高官などより、よほど立派な住居を用意したし、溥傑さんご一家が幸せに暮らせるような住居を用意したし、尊敬の念をもって接していたというのが事実なのではないか。

こういうところでも、報道は、酷い偏向というか、歴史に対する印象操作が日本にはびこっていると思うのです。

溥儀、溥傑のお二人がソ連に拉致されたあと、本によっては、女子達は八路軍によって手厚く保護され、通化に護送されたと書いている。
しかし、それならなぜ通化まで移動するのに、4か月もかかったのかが、意味不明です。
実際には、相当ご苦労されて、ご一家が他の日本人たちと徒歩での逃避行をされていた、当然八路軍による保護などなかった、というのが、ほんとうのことなのではないでしょうか。

通化で、八路軍の兵舎に幽閉された御一行を、旧日本軍の将兵約100名が、奪還しようとして、全員殺された。
けれど考えてみれば彼ら旧日本兵は、この時点で武器など持っていないはずです。全部取り上げられてる。
彼らが持っていたのは、棍棒に包丁、火器はせいぜい数丁の拳銃くらいではなかったのか。
それでも彼らは、おそらく全員妻子もあったろうに、御一行を救うために命をかけて、ご一家の奪還を試みた。

これに対し、中共も認めている通り、八路軍は、迫撃砲や機関砲を用いて爆撃までして兵舎を奪還している。
そんなものを用いれば、御一行に怪我人がでるかもしれない。全員死んでしまうかもしれない。あたりまえですよ。

保護する気があるなら、迫撃砲なんて用いません。

だけど、八路軍は、砲撃をした。保護しているのに?? おかしいじゃないですか。砲撃したということは、御一行も含めて、全員皆殺しにするつもりだったということです。

ここでお亡くなりになった約100名の日本人義勇兵、もはやお名前すらも歴史の闇に消えているけれど、そうした命がけの行動は、日本軍がハナから溥儀や溥傑らを日本軍がバカにしていたというのが本当なら、絶対に起こりえない。

彼らには、御一行を玉のように大切に思う気持ちがあるから、自然発生的に義勇軍ができ、武器もないのに奪回作戦が行われたというのが歴史の真実ではなかったのか。

そして100名の義勇隊は全滅したけれど、御一行の命は助かった。これにしたって、おそらくは、奪回作戦の失敗を悟った義勇兵達が、自分たちの命と引き換えに、彼女らの命を守った、というが、本当のことなのだろうと思うのです。

溥傑と浩さんの再開の物語や、浩さんの死、溥傑の妻への愛は涙をさそいます。私も、読んでて涙がとまらない。
けれど、それ以上に、通化での奪回などに命を賭けられた旧日本軍の人々に、頭が下がる。涙が出る。

ねずきちさんは、通化事件で、日本共産党員が謀った横暴の一部を本文で紹介してくれているけれど、あれだって、八路軍側が、日本人共産党員をむしろ利用したというのが本当のところでしょう。

ちなみにこのとき、横暴の限りを尽くした日本共産党員の名前は、伝わっていないし、彼らの一部または全部が無事日本に帰国したという話もない。

通化の日本共産党員は、おおかた八路軍によってさんざん利用されたあと、全員酷く殺害されたというのが、実際のところではないか。自業自得です。

おそらく、今回のねずきちさんのエントリーは、日本ではじめて、日本軍ないし関東軍=悪という印象操作なしで語られたエントリーではないかと思います。

そういう意味でも、今回のお話は、とっても貴重なお話でした。
ありがとうございました。

bb

ねずきちさん、おはようございます。
溥傑さん(なんてお呼びするのは、不遜ですが)ご夫妻の困難に満ちた来し方は、涙無しでは語れませんね。

またまた田母神さんの講演から引用ですが、浩さんと、朝鮮に嫁いだ方子さんのことを語っていました。西欧の植民地政策とわが国の統治との差を示す例としてです。浩さんも方子さんもわが国の貴族と皇族です。田母神さんは、イギリスが王室のプリンセスを植民地の支配者と結婚させるようなことは、絶対無かったといいます。本当にそうです。日本の大切な、りっぱなお嬢さんを嫁がせたのです。これほどの信頼はありません。政略結婚などという軽い言葉は、ご自分の一生を掛けた方に大変失礼だと思います。
救いは両ご夫妻とも仲むつましく過ごされたことですね。

ねずきちさん、相互信頼ですよね。でもこの頃見ていると、表に現れる現象は何処を切り取ってみても、闘争にしか見えないのです。せめて我が家はと思い、温かく、明るく、面白い家庭を心がけできました(特に面白いことに心血を注ぎました)。振り返るのはまだ早いけど、今まではまあOK。これからですね。子育ては3番目の就職が内定したので、一応終わり。これからは、孫たちの世代に、私が享受した幸せを繋げるために行動していきたいと思っています。私に出来ることなどゴマメより小さい。でも小さいことの寄せ集めが大きなことに繋がると信じて。

 「さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

kimio kadota

No title
ねずきち様。

小生も歴史オタクです。ねずきちさんの文、いつも楽しく拝読させて頂いています。
特に、西郷さんと大山さんの裏話を知って「ヘエー、そんなことがあったのか」と驚きました。

また、愛新覚羅溥儀一家の逸話も、誰にでも解かり易く簡潔に述べられていました。

今後のご活躍を期待します。

暑さ厳しい折、ご自愛のほど。

敬具。

かぐやひめ

メールのつづき(何度もすみません)
昨夜のメールには続きがありました。
ー古いカルマを、脱するためにしなければならないことは「許すこと」「受け入れること」「対立感情をもたないこと」なぜなら「相手も自分も同じだから」。そのやわらかい心で22日の午前を迎えてください。-

メールは転送されていて、最初の発信が誰だか私にはわかりません。あやしいと、思っています。

でも、書かれていることは、結局、ねずきちさんの主張と同じなのだと気がつきました。
人と人とが対立し、疑い、攻撃しあうのではなく、愛し合い、信じあい、尊敬しあう=信頼主義。
信頼主義に立ち返って、太陽の死と再生に立ち会いましょうというメールであったようです。
そうして、新しい太陽の時代を招きましょう・・・

正直言うと、私の心の中は民主党やら、マスコミやら、はては白人の陰謀やら、中国人の残虐さへの憎しみでいっぱいです。いくら、「日食でしょう?」と言われても。

でも、「信頼主義を共に掲げる私達までが」ただ、相手を憎む、同じ土俵で同じ顔つきをしたら、それは負けですよね。そう、考えるのが日本人らしい考えですよね。
だから、せめて21日から22日の午前までは、鎮めて清めて・・・
太陽が再生したら=22日の午後から激しく立ち上がりたいと思います。

かぐやひめ

知ってるつもりー見ました
嫮生さんが、ステージで紹介されるのに接したこともあります。
彼女を紹介した中国人の女性は、完全に共産党の教育を受けていて「日本軍が悪いから、嫮生さんのような、悲しい境遇ができた」という姿勢でした。

日本軍によって一番利益をえたはずのラストエンペラーの”裏切り”は、かえって、弟・溥傑氏の立派さを際立たせます。
慧星さんの天城山心中は、あの頃、ものすごい騒ぎでした。週刊誌のはしりみたいなのが、さかんに取り上げたのを、子供心に覚えています。慧星さんと東大生には肉体的な関係はなかったとも、盛んに言われていました。清潔で純真な愛に、みな感動していました。
もしも、慧星さんの悲劇がなかったら、愛心覚羅溥傑一家のことは、一般大衆から忘れられたと思うのです。

この世の中は、不思議なものです。
必ずしも「義」は「まこと」は、安泰な生涯を送らない。
山中鹿之助が「我に艱難辛苦を与えよ」と祈ったように、優れた魂は、この世の生において悲惨な境遇を甘受するーそんな気がします。
その艱難辛苦に磨かれ、輝きを増すのです。
そして凡庸な人々の目を覚まさせるのです。
だから、私達は、彼らを「語り伝え」なければなりません。
ねずきちさんが、今されていることは、真に尊いお仕事だと思います。

愛信

この100万人の人たちは一生懸命なのです
次期衆院選には都議選の経験を生かしてください

投票率10%上昇は前回の選挙にいかなかった人が104万人が立ち上がった
のです。
この人たちは何を頼りに投票したのでしょうか。
そのヒントを示唆する選挙結果を見てみましょう。
1.共産党議席激減8議席
2.自民党候補で公明
党推薦の大量落選(いわゆる1人区)
3.民主党候補で国民新党推薦の大躍進。
投票率の上昇で組織票の共産党などが壊滅的大打撃を受けた。
自民党候補で公明党創価学会の推薦を受けた候補の1人区が全滅。
出口調査によると、自民党支持者の3人に1人(33.3%)が民主党に投票した
そうです。
互角の戦いで10対10のものを、7対13にしては勝てる訳がない。
この100万人の人たちは共産党をはずし、公明党の推薦を排除して一生懸命なのです。

【民主党政権では、日本が滅びますの掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj2.cgi
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
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