極東共和国構想と戦略家・政治家の育成について



日本には、戦略家が必要です。そしてそ戦略家を使いこなせる力量を持った政治家も必要です。
そしてその両方とも、いま私たちは、新たに育てなければならないのです。

20210702 極東共和国



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日本をかっこよく!

満洲国ができる(1932年)よりも少し前、わが国がシベリア出兵(1918年)していたことは、皆様御存知の通りと思います。
この出兵は、いまでは、第一次世界大戦における勝利国である英米仏伊加と、日本が、当時ソ連に生まれた共産革命軍によって強制的に囚われたチェコ軍を救出するための共同出兵と言われています。

ただ、早々に主役となるべき帝政ロシア軍が共産党軍によって滅ぼされてしまったために、英米仏伊加軍が、もはや護る意味無しとして、あとは、いちばん近くにある日本に、よろしく頼むと、早々に退散してしまった。
結果、日本陸軍だけがシベリアに取り残されて、シベリアの治安を護ることになる。

その一方で、第一次世界大戦後のパリ講和会議で、日本が人種の平等を高らかに主張したことで、日本は欧米諸国の、植民地に権利を持つVIPたちを敵にまわしていた。
そのことから、シベリアに残された日本は、孤軍状態におかれ、厳しい戦いを強いられることになったわけです。

このすこし前のことです。
対ロシア対策を指揮していたのが、オトポールでユダヤ人たちを救った樋口季一郎陸軍中将ですが、樋口中将はハバロフスクで、源氏笹の紋章に、漢文で何やら文書の書かれた石碑を発見しています。

当時のシベリアには多数のイエローが住んでいましたが、その上層部にごく少数のロシア人たちがいて、シベリアを勝手に領有しようとしていました。
そして共産パルチザンが、それらロシア人たちを狙い、また有色人種のイエローの民衆たちを強襲していました。

このため樋口中将は、共産パルチザンたちに書簡を送り、シベリアの地はもともとイエローの土地であること。
そして800年前に源義経一行が、北海道から樺太を経由してシベリアに入り、蒙古(猛虎)の将官を名乗って、辺り一帯を領有していた事実があること。
そのため、実際に石碑が残されていることなどを、書き送りました。
つまり「君たちには、この土地を領有する権原がない」ということを手紙にしたためて送ったわけです。

すると何が起きたかということ、その歴史的遺産である石碑に、真っ黒にコールタールが塗られてしまった。
そこでふたたび樋口中将が抗議の手紙を送ると、今度は石碑そのものが、いつのまにか取り壊されてしまったということが、樋口中将の回顧録に書かれています。

そしてこの当時の日本陸軍の考え方として、シベリアに現地の人達による「極東共和国」をつくる。
その領地は、バイカル湖から、北極海に注ぐ大河であるレナ川以東とする。
この「極東共和国」は、シベリアに住むイエロー達による自治国であり、同時に満洲あたりには、やはり満人、および当時急速に人口を増加させていた漢人たちによる、満洲国を、やはり自治国としてつくる。
また、モンゴル族の住むエリアにも、やはり日本が援助してモンゴル共和国をつくる。

そして日韓併合によって日本領となっていた朝鮮半島も、その地に住む人々による自治国をつくり、日本軍は、日本に撤収する・・・といった作戦が建てられていたといいます。

つまり、モスクワを中心とする共産主義の日本への南下を防ぎ、同時に東亜の平和を実現するために、
シベリアには「極東共和国」
満洲には、「満洲国」
モンゴルには「モンゴル共和国」
を、それぞれ地元の人たちによる自治国を、日本の支援によって築く。
さらに、朝鮮半島を緩衝地帯とするため、半島はコリアンたちで自治を行う国とし、日本軍は日本に撤収し、日本の平和と安定を期する、というのが、陸軍の考え方であったというわけです。

それぞれの自治国は、それぞれの国の特産品を交易品とし、日本との交易をすることによって、富を築き、人々の繁栄を期するというわけです。

この構想は、日本の政府が、まるで及び腰で、あまりに場当たり的であったために実現せず、やむなく満洲国だけが成立することになったのですが、そうなれば、あたりまえのことですが、満洲だけが共産パルチザンからの直接の攻撃対象になり、また、そのすぐ後背地には日本の一部であった半島があるわけです。
これでは国防にならない。

そういう意味で、シベリアを極東共和国にするという案は、たいへんに理に適っているわけですが、この案は、実は突然降って湧いたものではなくて、実は先例があったのです。

それは紀元前2〜1世紀ごろのことです。
当時のチャイナは、三国時代で、まさに戦乱に明け暮れていました。
戦乱に明け暮れ、命がいくつあっても足りないチャイナからは、敗残兵や脱走兵などが、半島を経由して倭国にまでやってきて悪行三昧を働いていたのです。

そこで倭国は、いまの北朝鮮のあたりに高句麗、韓国の慶尚北道のあたりに新羅、忠清道のあたりに百済の三国を、倭国の肝いりで自治国家として形成しました。
そうすることで、チャイナからの悪人たちの流入を、
まずは高句麗で防ぎ(高句麗の人々は、自分の国の平和と安定のために、そうするしかない)、
半島の東側を新羅、
西側に百済が、
やはり自国のために悪人の流入を防ぎ、
さらに半島南部の慶尚南道、全羅道のあたりを「伽耶国」として、倭国の直轄地として、兵を駐屯させ、半島の南側から百済、新羅、高句麗を支えていく、という方針が採られたわけです。

これは大成功となり、おかげで現代に至るまで、日本は一度もチャイナによって征服されることなく、年月を過ごすことができています。

これと同じ戦略を、極東共和国、満洲国、モンゴル共和国、そして朝鮮半島に朝鮮自治国を築くことで、今度は西からの共産主義の南下を防ごうとしたわけです。

もし、この陸軍案が成功していれば、世界の歴史は大きく変わった。
というより、いまからでも遅くないから、シベリアのバイカル湖からレナ川より東の一帯を、独立国とすべきではないかと思います。
同時に、チャイナの、いま東北省と呼ばれている満洲も独立、モンゴルも、内モンゴルを独立させ、新疆ウイグル自治区も、独立国とする。
そんなことが実現したら、世界の形は大きく変わるのではないかと思います。

それにしても戦前の日本人は、すごいことを考えたものです。
ちなみに、この構想は、もともと大アジア主義思想に基づきます。

最後にひとつ、少し厄介なことを書いておきます。
戦略のことです。

今回お話したような、防共ラインとしての日本陸軍の極東共和国構想は、結果、実現しませんでした。
陸軍は、しっかりとした情報を持ち、その情報に基づいて大戦略を構築していたわけです。
にもかかわらずそれが実現できなかったのは、日本の政治の腐敗でした。
二大政党制のもと、完全に党利党略だけの衆愚政治に陥っていた日本の政治は、すでに何も決められない、何もできない政府になってしまっていたのです。

国家戦略の大切さは、おそらく誰も否定する人はいないと思います。
企業でもそうです。
企業には勝ち残り、生き残るための戦略は不可欠であり、そのためには戦略が必要です。

ただ、こうした戦略というものは、ある意味、たいへんに汚いものでもあります。
たとえば防共戦略であれば、場合によっては狂さん主義者たちを寄せ付けないどころか、彼らの命を奪わなければならない事態も想定内にしなければならないのです。
けれど、平時に於いて、それを認めることができる人は、まずいない。世の中は、その意味では綺麗事でお化粧されているのが実態なのです。

従って、戦略家というのは、ともすれば組織から除外されがちです。
敬遠される、といったほうがわかりやすいかもしれない。

けれど、現実には戦略家がいなければ、戦いに勝利することはできないのです。

たとえば、諸葛孔明といえば、有名な戦略家です。
しかし諸葛孔明の作戦は、敵をひとり残らず殲滅します。つまり万単位で人の命を奪うものです。
通常の神経の多くの人達からみたら、彼の考えは、いわば狂人です。

ですから諸葛孔明を用いるためには、彼に全幅の信頼をおき、彼を信じぬき、彼を疑わず、果敢に諸葛孔明の作戦を受け入れ、なおかつ絶対に生涯諸葛孔明を裏切らないだけの胆力を備えた上司が必要になります。
つまり、戦略家には、その戦略家を引き上げてくれる上司が、必ず必要なのです。

戦略家自身がトップになればよいのではとお考えになられる方もおいでかと思いますが、これは不可能です。
戦略家の持つ、ある意味エゲツナサに付いてこられる部下というのも、そうそうはいないからです。

簡単に言えば、戦略家と狂人は、いわば紙一重なのです。
戦略というのは、そういう性格を持ちます。

古代において、我が国が大戦略を打ち立て、それを実現することができたのは、それができるだけの国家体制があったからです。
戦前においてできなかったのは、その国家体制が、なまじ遅れた西洋の体制を模倣したために、日本的思考と西洋型組織が日本国内で正面衝突していたためです。要するに政治が機能不全に陥っていたからです。
これでは安定して戦略家が戦略立案することも、それを実現することも不可能です。
できることは、せいぜい、局面における戦術止まりになります。

ひるがえって現代日本はどうでしょうか。
戦略家の必要は誰もが疑いません。
けれど、その戦略家を懐刀として、安定的に用いる政治は、あるのでしょうか。
いまの政治の枠組みで、それはおそらく不可能です。

一方、国際的にコ○ナ騒動を仕掛けている人たちがいます。
あるいはLGBTや露ウ戦争なども同じです。
これらの問題は、一定の国際戦略のもとで行われ、日本国内にもその仕掛けが行われることで、表面化しているものです。
世の中には、政治や社会の裏の裏の裏の裏まで読み切って時代を動かしている人たちがいるのです。
そうしたものに対して、現代日本は、あまりに無防備です。

一方、戦前には、たとえば日本陸軍は優秀なシンクタンクをつくり、大東亜の戦い必勝の作戦計画を練っていました。
もしその通りに実行されていれば、おそらく日本は第二次世界大戦を勝ち抜いたことと思います。
しかしこれは実現しませんでした。
政治の力が働いたためです。
結果として日本は、戦争に米国を招き入れ、このことが戦局を厳しいものにしてしまいました。
どんなに優れた戦略家がいても、それを活用できる上がいなければ、戦略は水泡に帰すのです。

また戦略化を実に有効に活用したのが、蒋介石です。
彼は、青山 和夫という日本人の戦略家を深く信頼していました。
その青山和夫は、生まれが1907年で、お亡くなりになったのが1997年ですから、戦後も堂々と生き抜いた人です。
この人は、戦前、戦中の共産主義者、無政府主義者、政治運動家で、本名は黒田 善次(くろだ ぜんじ)と言います。
ペンネームには他に、佐久達雄、根津君夫、根津哲夫、佐久達雄、服部智治、林秀夫などがあります。

この人がどういう人かというと、蒋介石の重慶政府国際宣伝処の対日工作顧問でです。
コミンテルンの指令で対日工作に従事したといわれていますが、この人が日本の政情を分析し、いかにして日本を戦争に巻き込むか、その日本が10万の兵力をチャイナに送っても、初戦で優秀な将兵を失わせれば、あとは戦争を泥沼化するだけで、追加の将兵は二流三流の兵でしかない。
それでも日本の将兵は真面目だからチャイナの民衆を助けようとするけれど、その苦労を日本本国の政府はまったく評価せず、国内の政争に明け暮れるであろうから、日本兵に対していくら残酷なことをしても、それによって日本国政府が本気を示すことはない。
また戦いは、海岸線から始め、次第に内陸部に誘い込むようにすれば、日本の戦線は必ず泥沼化する等々の戦略を蒋介石に授けた人です。
蒋介石は、まったくこの青山和夫の、いわば言いなりに動くことで、見事、最終的には勝者の側に立っています。

この青山和夫のために、どれだけ多くの日本の将兵が犠牲になったのかを考えると、はなはだ許せない所業ですが、これが戦略家の恐ろしさです。
たったひとりの戦略家によって、大局が左右されるのです。

日本はこれから、戦略化を養成する必要があります。
そして同時に、戦略家をちゃんと使うことができる国体を築く必要があります。
よく「保守同士の対立がよくない」という人は多いです。
けれど戦略家の発想は、対立があるなら、それをうまく利用し活用することで時代を動かすという発想になります。

世界は石油の時代から、すでに電力の時代に入っています。
そうした大局の中にあって、日本を豊かに安全に安心して過ごせる国にしていく。
国際政治の場においても、日本の国富をしっかりと守ることができる国にしていく。
米国との関係も、支配関係ではなく、これを対等な関係に持っていく。

そのためには、これを実現するための戦略家が必要です。
そしてそ戦略家を使いこなせる力量を持った政治家が必要です。
そしてその両方とも、いま私たちは、新たに育てなければならないときに来ています。


※この記事は2021年7月の記事に大幅に加筆したものです。
日本をおもしろく!

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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