■□■━━━━━━━━━━━━━■□■8月12日午前11時より毎年恒例の
靖國神社正式参拝を行います。
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ノモンハンに向かう兵士たち

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日本に希望の火を灯す!ノモンハン事件は、大東亜戦争の開戦に先立つ2年前の1939年5月から9月にかけて、満洲国とモンゴルの国境線をめぐって発生した日ソ両軍の国境紛争事件です。
このノモンハン事件について、近年の学校の教科書や副読本、あるいは各種書籍は、
「旧式な装備しか持たなかった日本の関東軍が、
ソ連軍の機械化部隊によって
完膚なきまでに叩きのめされ完敗した」
「1万7000人もの犠牲を払い
大敗を喫するという汚点を残しながら、
日本陸軍はついに陸戦装備を
近代化しなかったという愚行を犯した」
などと書いています。
要するに、ソ連の近代的機械化部隊に完膚なきまでに叩きのめされながら、その後も日本陸軍は精神論に傾倒し、ついに陸戦装備を近代化することはなかった・・・つまり、なんと日本軍はバカなんだろうという論調で書かれているわけです。
けれど、仮にそうであるならば、つまりソ連軍がその自慢の機械化部隊で日本軍に圧勝していたのなら、どうして大東亜戦争の末期になって参戦したソ連が、わずかな手勢しかいなかった満州、樺太に120万もの大軍を出動させたのかということの説明がつかなくなります。
歴史も科学なのです。
科学は、様々な証拠を用いて、それら証拠がちゃんと論理的につながるように説明できるようにするのが科学です。
ですから科学と意見や思い込みは異なりますし、まして歴史はファンタジーではありません。
実際、歴史を科学するなら、ソ連がノモンハンで大勝利したというなら、どうしてノモンハン後、ソ連が大戦末期まで満州攻略を停止していたのか。
ソ連が大勝利したというなら、どうして事件後の停戦協定の際、戦闘前の国境で停戦としたのか。
こうしたことにも明確な答えがなければならないのです。
実際ソ連は、ノモンハン以前からシベリアから満州、朝鮮半島、樺太、北海道へと、その勢力範囲を伸ばそうと、種々の画策をしています。
そんなシベリアのことを、いまではロシアとなった国の一部であると何の疑問もなく思っておいでの日本人が多いですが、シベリアというのは、もともとロシアではありません。
現代において地球上に残された最大の植民地なのです。
そもそもノモンハンでソ連が「勝った」という説の根拠になっているのは、ソ連側の発表による日ソ双方の死傷者数が原因といわれています。
そのソ連発表によると、
ソ連の損害 9,284名
日本の損害 52,000~55,000名
です。なるほどこの数字だけなら、ソ連の大勝利、日本完敗です。
ところがソ連崩壊後に、あきらかにされた旧ソ連の内部文書には、
ソ連の損害 25,565名
日本の損害 17,405名
と書かれていることが判明しています。
さらに、ソ連の「近代的機械化部隊」などというのも大ウソで、当時のソ連製戦車は、走行射撃ができない水準であり、戦車戦では日本側の速射砲のえじきになって、ソ連戦車は、約800台が破壊されていたことが記録されているのです。
ちなみに日本側の戦車の損害は、わずか29台です。
また航空戦でも、ソ連のイ15、16は、一部は、布張り飛行機で、日本の九七式戦闘機に全く太刀打ちできず、ソ連は、なんと1,673機もの大損害を出しています。
対する日本側の損害は10分の1の179機です。
そうはいっても、日本側の死傷者の戦死8,440名、戦傷8,965名、合計17,405名は、大きな損害です。
しかし、この戦いでは、わずか3万の日本陸軍に対し、ソ連側は30万の大軍を投入しているのです。
日本陸軍は、10倍の敵を相手に果敢に戦い、これを打ち破っていることが、ソ連側の資料に明確なのです。
これって、どうみても日本側の大勝利と思うのですが、皆様はいかがでしょうか。
捕獲したソ連戦車を前に万歳をする日本兵

そして日本は、ソ連のあまりの兵力の大きさに戦力の逐次増強を行い、最終的に約6万の援軍をノモンハンに送っています。
一方、30万の機甲化軍団を、またたくまにわずか3万の兵力で粉砕されたことを知ったスターリンは、慌ててリッペントロップを通じ、当時日本と同盟関係にあったヒットラーに、日本との停戦の仲介を頼み込んでいます。
そして不拡大方針をとる日本政府と軍中央は、一方的に国境侵犯攻撃をしてきたソ連軍の非をとがめること無く、この停戦協定に応じた、というのが歴史の事実です。
こういう事実があるから、終戦直前に、対日宣戦に参戦したソ連は、すでに装備も武器もほとんどない関東軍の攻略のために、120万もの大軍を派遣したのです。
それだけスターリンは、日本陸軍の強さを畏れていたということです。
ちなみにノモンハンでは、増援部隊の集結を得て、反撃を期していた兵士は停戦命令に激怒しています。
あたりまえです。
10倍の敵を相手に血を流して戦い、やっとのことで敵を打ち破ったのです。
それを何の賠償もなく、ただ停戦しろというのは、現場からしたら日本政府の弱腰にしかみえません。
当時ホロンバイル地区でソ連・モンゴル連合軍と戦った23師団は、熊本に司令部がありました。
戦後、熊本日日新聞社が発行した『熊本兵団戦史』(昭和40年発行)によると、
「(ノモンハンでは)生き残った者の大多数が敗戦意識を抱いていない」と書いてあります。
昭和40年には、まだ戦時中に戦った方が生き残っていたのです。
インタビュー記事も遺っています。
「ソ連軍には友軍同士の横のつながりがまったくない。
隣の隊がどんなに困っていても、
上から命令がなければ決して協力しない」
「(ソ連軍は)友軍機のおちるのがあっても、
それを友軍機と思わぬ。
おちるのは皆敵機と信じ込んでしまっている」
「野砲兵中隊はのちのちまで
敵戦車の数が多ければ多いほど
エモノは多いと勇み立って、
すこしも戦車を恐れなかった」
「ソ連兵が負傷すると大声で泣きわめくので
なんだ弱虫と笑った。
格闘となれば(中略)1対1なら絶対勝つと確信していた。
わが死傷者も多かったが、
敵の死傷はさらに多かった」
そして、辻政信参謀など関東軍作戦課の面々は、作戦中止の命令を聞いて怒り心頭だったともいいます。
そして、この戦いで、さらにもっと重要なことは、この戦いの2年前の1937年、外モンゴルでモンゴル人による大規模な反乱があったことです。
この事件で、モンゴルでは、モンゴルの前首相・参謀総長を含む2万8千人が処刑されました。
当時のモンゴルの人口は80万です。
この事件で人口の4%近くが、ソ連によって殺されたのです。
これは、いまの日本の人口比でいったら、なんと500万人が虐殺されたのと同じことです。
そしてモンゴルでは、それまでの粛清を加えたら、なんと総人口の6%がソビエト共産党員によって、粛正=虐殺されているのです。
こうしたソ連の横暴に対し、モンゴルではノモンハン事件の年にも約千人が参加した反革命蜂起が起こっていたのです。
当時のソ連は、そうしたモンゴルでの粛清の仕上げとして、モンゴル人を楯にして満州に攻め込みました。
つまり、モンゴルを征圧した旧ソ連が、次に満洲国を刈り取ろうとして、断固たる決意のもとに30万の兵力を送り込んだのが、ノモンハンであったのです。
さて、歴史を学ぶということが始まるのは、ここからです。
「もし・・・」と考えるのです。
この戦いで、日本軍が途中で譲歩して停戦せず、ソ連軍を完膚なまでに叩きのめしていたら、その後の歴史はどうなっていたでしょうか。
こうしたことを論理的に考えていくことが、実は「歴史を学ぶ」ということです。
ただ歴史上の史実を覚えるだけなら、いまどきはネットでいくらでもググれます。
学ぶということは、頭を使うということです。
ひとつはっきりといえそうなことは、もしノモンハンで日本政府が弱腰の停戦などしていなければ、その後のモンゴルは、モンゴル、内蒙古・満州内蒙古と分断されることなく、ひとつのモンゴル国としてたいへんな親日政権が誕生していた可能性が高いといえます。
そしてこのことは、社会主義国となった旧ソ連に対して、たいへんな圧力となり、その後の世界史は大きく変わっていったといえるのではないでしょうか。
いつの時代も、共産主義はウソばかりです。
そんな共産主義思想のもたらずウソを真に受けて、日本軍はバカだったとか、負けてもいない戦いで、負けた負けたと宣伝する日本人は、もっとバカです。
そもそも大勇気をもって10倍もの兵力を持った敵に対し、勇猛果敢に戦い、大切な命を捧げられた英霊達に対し、こうした売国反日屋というのは、人の道や人倫を外れた、外道です。
そんな外道の失礼千万な言行、そして彼らの行う情報操作は、世界の平和と安全を求めるすべての人々への無礼な悪行であると申し上げたいと思います。
※この記事は2009年8月の記事のリニューアルです。
日本をかっこよく!お読みいただき、ありがとうございました。
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