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英文で書かれた日本文化論として有名なのは、新渡戸稲造著「武士道」、内村鑑三著「代表的日本人」などなのですが、もうひとつ、忘れてならないのが、
杉本鉞子(すぎもと えつこ)著
「武士の娘」 ちくま文庫

「武士の娘」は、1925年にアメリカ・ニューヨークで
“A Daughter of the Samurai”
の書名で出版されました。
当時、この本を読むと日本のことがわかるといわれ、全米で大ベストセラーになり、後に欧米8か国で出版されています。
著者の杉本鉞子は、明治6年、代々長岡藩で家老職を務めた稲垣家に生まれました。
長岡藩は幕末から維新にかけて、幕府側に立ち、官軍と戦った藩で、長岡藩の武家たちは時代の激動を強烈に体験していたといえます。
著者である杉本鉞子氏がものごころつく頃には、長岡は落ち着きを取り戻していたろうけれど、長岡は江戸から遠かったので、近代化の波は届いていなかった。
そして家老の娘である杉本鉞子は、厳格な武士道の教育を受けて育ちます。
ちなみに、鉞子の「鉞(えつ)」は“まさかり”という意味です。
女性でありながら、“まさかり”と名付けられた鉞子には、強い精神を持った武家の娘として育ってほしいという親の願いが込められていたのだとか。
なにやら最近の教育現場では、封建社会の女性は、身分も地位も低かったかのような印象操作が行われているようですが、この名前をみただけでも、いかに女性が日本で社会的に“強い”存在であったかが知れようというものです。
鉞子への教育は、6歳から始まったそうです。
完全に武家としての教育が行われた。
その内容は、もっぱら儒教の古典の素読(声を出して読む)だった。
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当時、女の子が漢籍を学ぶということは、ごく稀れなことでありましたので、私が勉強したものは男の子むきのものばかりでした。
最初に学んだものは四書-即ち大学、中庸、論語、孟子でした。(p.31)
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学習中は、畳の上に正坐。手と口を動かす以外は、微動すら許されない。
鉞子が、いちどだけ、ほんのすこし体を傾けたことがあったといいます。
それをみた師匠は、驚き、次のように言ったという。
「お嬢様、そんな気持ちでは勉強はできません。
お部屋に引き取ってお考えになられた方がよいと思います。」
鉞子は、「恥ずかしさのあまり、私の小さな胸はつぶれるばかりでした」と書いています。
おそらくいまなら、微動どころか授業中に私語する、さわぐがあたりまえ。
それを教師がとがめると、子どもは言うことを聞くどころが、なぜ叱られたかすらまるでわからない。挙句の果てが親が出てきて、「どうしてウチの子ばかり叱るんですかっ!」
教師と生徒が“階級闘争社会”に汚染された現代教育。
これに対し、鉞子の時代には、教師(師匠)と生徒の間には、相互の信頼関係があった。
彼女は、師匠の叱責に、「恥ずかしさ」を感じた。
なぜ恥ずかしさを感じたかといえば、それは師匠の要求に答えられない自分を恥じたから。
そして自分を制御できなかったことにも、恥じたから。
そしてなにより、師匠が、自分を鍛えるために「教え」を説いてくれているということを、幼い彼女自身が、ちゃんとわきまえていたから、なのではないかと思う。
こうして制御の精神を身につけて育った彼女たち武家の娘には、穏やかな中にも、自然と威厳が備わっていたといいます。
当時、武士と庶民では挨拶の仕方から、歩き方まで違った。
だから風呂屋で裸になっても、どの階級に属するのか、一目でわかったといいます。
そんな彼女が12歳になると、親族会議によって縁談が決まります。
婚約者は、アメリカに渡米している兄の友人。
そこで鉞子は、東京で英語を勉強し、24歳で渡米する。
米国の女性について、彼女がとても驚いたと書いていることがあります。
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婦人が自由で優勢な、このアメリカで、威厳も教養もあり、一家の主婦であり、母である婦人が、夫に金銭をねだったり、恥しい立場にまで身を置くということは、信じられそうもないことであります。
私がこちらへ参ります頃は、日本はまだ大方、古い習慣に従って、女は一度嫁しますと、夫にはもちろん、家族全体の幸福に責任を持つように教育されておりました。
夫は家族の頭であり、妻は家の主婦として、自ら判断して一家の支出を司っていました。
家の諸がかりや、食物、子供の衣服、教育費を賄い、又、社交や、慈善事業のための支出を受持ち、自分の衣類は、夫の地位に適わせるよう心がけておりました。(p.216)
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日本の武士夫婦は、夫が外回りをし、妻が家計を切り盛りしていた。
収入を妻が管理する。これは現代日本とまるで同じです。
ところが米国では、財布の紐は男性が管理しており、妻はわずかのお金も自由にできない。
女性の社会的地位向上だとか、女性差別の撤廃だとか、ジェンダーフリーだとか、米国発の女性人権論議がさかんだけれど、日本では、昔から、男女がきちんと役割分担をしていた。
そして男が外で働き、妻が家計のすべてを預かった。
男は、自分が外で働いて稼いだカネを全額、女房に渡す。全幅の信頼です。
そして女房は、その信頼に応えて、家計をやりくりする。
互いに強固な信頼関係がなせる技です。
夫婦の間でも、親子の間でも、師弟の間でも、上下関係でも、すべてにおいて、信頼を第一とした。
一番たいせつなことは、仕組みや社会構造や法的ルールではなく、互いの信頼関係にこそある、ということを、昔の日本人は、普通に行っていた。
いつのころからか、そうした社会的相互信頼の原則が崩れ、すべての関係が、階級闘争の場となった。
恋人同士は、えっちはするけれど、デートの他の時間は、互いにそっぽを向いて、それぞれがそれぞれの携帯で、ゲームやメールに興じている・・・って、なんじゃそりゃぁ!@@;
男性は女性を支配しょうとし、女性はその支配に抵抗するために男性を批判する?
で、批判されたくないから、相互にコミュニケーションなどとらない?
たがいに口も利かない。
で、携帯をいじくっている。
それが個人主義? それが正しい男女交際の姿?
ええかげんにせいっ!
こんな世の中に誰がしたっ!(笑)
でも、そういうのって、ねずきちには、最低にしか思えないのです。
男性と女性の関係も、階級闘争。
夫と妻の関係も、階級闘争。
親子の関係も、階級闘争。
教師と生徒の関係も、階級闘争。
上司と部下の関係も、階級闘争。
そして、
政治と報道の関係も、階級闘争。
互いに相手を非難し、批判し、とどまるところを知らない。
メディアに至っては、批判することが正義だと勘違いしている。
そして教育の現場では、人として何がただしいのか、という人間が生きる上で必要な正義や、忠義、道徳をまるで教えない。
最近の中年(30代、40代)は、若く見えるといいます。
それは栄養状態が良くなったからだと、簡単に説明されている。
だけど、ねずきちは思うのです。
ほんとうにそうなのだろうか?
もしかしたら、それって、日本人が、人として生きる上に必要な、道義や堅固な志操、国体護持に精華する気質、日本人としての美質を失った結果なのじゃないか?
人として社会人として自然に備わる威厳が失われているだけなのではないか?
こんなことで、日本は、そして日本人は、ほんとうに良いのか?
そんなことを思うのです。
話が脱線しました。
杉本鉞子は、明治という時代背景の中で、代々続いた武家の伝統と教養を学び、結婚し、渡米し、子を産み育て、帰国し、また渡米する。
後年彼女は米国コロンビア大学の講師を勤め、彼女が住んだシンシナティの人々は、彼女亡きあとも、彼女を「グレート・レディ」として敬愛したといいます。
そうした著者の人生経験の中から、紹介された「武家の娘」は、静かで品位を失わない文章と、志操の高さ、謙譲と忍耐の精神と毅然とした姿勢が描かれ、現在に至るも世界で大絶賛されている。
いまでも日本に来る欧米の留学生の多くは、来日前に福澤諭吉の「福翁自伝」と、この「武家の娘」を必読の書としているといいます。
興味を持たれた方は、是非ご一読を^^♪
日本人は道義心と志操、精華する気質と美質を取り戻せ!と思う方
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新渡戸稲造 『武士道』 要約
コメント
名無し
2012/09/09 URL 編集
TTM
「なぜ、このような思想や道徳的習慣が日本で行き渡っているのですか?」
西洋人のこの質問に愕然とし、即答できなかった新渡戸稲造。
「なぜなら、私が子供の頃に学んだ人の倫(みち)たる道徳の教えは、学校で習ったものではなかったからである。そこで、私に善悪や正義の観念を形成している様々な要素を分析してみて初めて、そのような観念を吹き込んだものは武士道だったことに気付いたのである。」
江戸時代が長い太平の世でなく、戦乱に明け暮れていたとしたら、武士道といった洗練された高度な道徳規範は誕生しなかっただろう。
武士が支配者として特権を享受し堕落することなく、逆に禁欲や自己犠牲を自らに課す「高き身分の者に伴う義務」を主眼に、知行一致の行動規範に昇華させたのは奇跡と言っていいかも知れない。
聖書にせよコーランにせよ論語にせよ、傑出した一人物が教示した道徳規範である。
武士道を体系的に一書に記したのは、新渡戸が初めてだったそうだ(1899年)。しかも、日本人にではなく西洋人に説明する為にだ。
何が言いたいかというと、「聖典の命令」に従う道徳(隷従的道徳)ではなく、美意識を持って・名も無き数多の武士たちが、日々の生活の中で血肉化していった道徳(創造的道徳)を庶民までが見習い、いつの間にか武士道を日本国の道徳としていたと言う事です。
仁義・礼節・勇気・誠実・名誉・忠義・孝行・・・・堕落したはずの私(たち)でも、武士道の徳目を見ただけで一応の内容は理解している。
人に親切にしなさい・正直に生きなさい・約束は守りなさい・弱い者いじめはするな・卑怯なことはするな・・・・ずいぶん崩れたとはいえ、日本人には常識、お隣さんには非常識=誠意の通じるお国柄ではありません。
2009/07/28 URL 編集
葵
久々に、最後まで読んじゃいましたw
女は信頼する方を、黙って後ろから支えるものだと思う。
出しゃばらず、つつましく・・・
愛するものを支えるのが女だと、私は思う。
過去も未来も、その心はずっと続いていくべきだと思う。
2009/07/27 URL 編集
椿
明治の女性の躾・育てられ方は、もう本当に同じ日本人なのか?と思うほど、現在の日本人とは全く違いますね。何故、明治生まれの祖母が、あのように礼儀正しく、女らしかったのか、今更ながら、よく理解できました。
本当に明治の時代の日本人は、どこに出しても恥ずかしくない『躾』と『教養』を身につけていたのですね。感服です。
2009/07/27 URL 編集
surnviers
2009/07/27 URL 編集
サンダーロード
けれど8月30日はもう諦めの境地です、創価や特アの人々は自分たちの利益の為に日本を貶めているのだろ
うが、その嘘を真に受けている人々はどういう心理なのだろうか?・・・・少し考えてみました
ハウンゼン症候群の中に自分や子供をわざと傷つけたり、詐病で自分に注目を集めたり良い気分になっている
人がいるのですが、左翼陣営の人は自分達の先祖に濡れ衣を着せて、ただ自分が気持ちよくなりたいだけなの
ではと思うのですが・・・・こんな病気あるのか?
2009/07/27 URL 編集
グリーンまめ
これ、何とかならないものでしょうか。
http://www.nikaidou.com/2009/07/post_3145.php
これじゃ毎日変態記事の駄目押しです。
2009/07/27 URL 編集
愛信
拡散推奨。民主党の支持母体が日教組、同和、民団、年金破壊の自治労であることすら知らない!インターネットと無縁な民主党支持の方々にもぜひ。
【動画ニュース掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュースタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
情報戦争が激戦が繰り広げられています。
8月30日の衆院選が敗戦記念日にしてはなりません。
PS:
長文を書いて論点をあらぬ方向にひっぱている者は、
敵見方の振りをしてブログを荒らす反日売国努でる。
ブログ主
これらの不毛の投稿は一括削除することを望みま~す。
2009/07/27 URL 編集
プク
2009/07/27 URL 編集
bb
突然ですが、ホステス文化(お酌をする)があるのは、日本独特だとか。何故でしょう。ご飯は誰がよそいますか?御汁は?みんなお母さんですよね。日本の主婦には分配権があるのです。欧米ではあるじが肉を切り分けます。分配権は家長である男性にあります。これは相当大きな違いです。(これがお給料に変わっても同じです。すずめの涙ほどの、お給料をありがたく頂き、やりくりする。結構楽しいけど。)だから嫁いでのち、一定期間たって姑から家計を任されることを、「ヘラ渡し」といいます。ヘラを渡した姑は隠居です。日本女性の地位が低いなどというのは、大きな間違いです。役割分担がはっきりしていたのだと思います。その役割をまじめに果たしていくことで、お互い安心して暮らせる。信頼が生まれる。
お正月、神楽、祭りなど神祀りは男性の役割。神奈川県のある地域では、正月の雑煮つくりは家長の役目です。女性は手を出しません。雑煮は神にお供えするものですし、三が日はご先祖様が帰ってきていますから、神祀りの期間です。今でも続いている風習です。
武家には武家の教育、商人には商人の教育、農家には農家。いずれも、続いていくということが前提で行われてきました。残念ながらかなり失われてしまいました。でも家という概念はまだ意識されていると思います。民主の言う夫婦別姓などとんでもないと思います。残っている家の概念まで潰そうとしているとしか思えません。
戦後あらゆることで、欧米を手本にするという雰囲気がありました。でもそんなに簡単にDNAは途絶えない。私は日本人の底流に流れる精神を、まだまだ信じています。こうして、危機感を抱く人が増えてきているのは、皆が何かを取り戻そうともがき始めているように思います。まだまだ大丈夫。
と少しく能天気なお母さんではあります。
2009/07/27 URL 編集
プク
昭和21年年頭の詔書に「朕と汝ら国民の紐帯は、終始「相互の信頼」と敬愛とにより結ばれ、単なる神話と伝説よりて生ぜるものにあらず。」とあります。昭和天皇陛下が国体の本義をお述べでした。
無私で国民の安寧を祈る神聖君主を永く戴くが故、国難に当り、武士階級も無私に倣うことができたのです。
2009/07/27 URL 編集
猪
2009/07/27 URL 編集
かぐやひめ
いぜん「話の聞けない男地図の読めない女」という本が、「ジェンダー」を見事に表していたので、問い合わせたところ、やはり一冊もおいていませんでした。
「武士の娘」は、タイトルからしてジェンダーフリーに真っ向から反対しています。
うちの都市は左翼系だから、左翼系の書物しかおいていないのです。
2009/07/27 URL 編集
かぐやひめ
礼をもって始まり、礼をもって終わる武道です。
高度経済成長期・・・「形なんかどうでも、当たれば勝てる」という品の無い選手も結構いました。
しかし、一番落胆したのは「大会」の時、模範演技の序列で教師同士がもめることでした。
「なんで、私が二番なんだ!」という争いを、見ていると「武道とは」という日ごろのあんたの講釈はどこにいったの?と、思わずにいられませんでした。
家元制度といい、日本精神を支えたシステムは、昭和40年すでに破綻しかかっていました。
しかし、関西の大会でどんなに強くても関東にはいちころで負けました。「坂東武者」とは言うけど、関西に匹敵する言葉はないなあ・・・と、思いました。
今も、坂東にこそ武士は残っていそうに思います。
関西は、なんといっても商人の町、商人道はあっても、なかなか武士道は・・・またも負けたか8連隊(大阪の連帯)と、はやされたそうじゃないですか。
すぐれた精神をささえたシステムが、やがて時代の使用に耐えられなくなり制度疲労を起こしたのは、あちこちで見られます。
江戸時代の循環型社会は高度に完成されていたと言われます。
でも、愛の絶頂期の恋人たちじゃないけど「このまま、あなたと死にたい」というわけには、いかず、ながらえていくうちには、花の色も移ろう。
昔を懐かしむだけでなく、今の時代に武士道の香りを残す努力が望まれます。
ほんとうに、今の日本の団塊の世代の女性は幸せです。「主人は本当にかわいそう。私は女に生まれて本当に得をしました」と、大概の人が言います。
でも、その幸福感を私達は、次世代に残してやれませんでした。
今の若い世代は、男女とも、ひどいことになっていると思います。
規律も教えず、しつけもせずに「自分で判断しなさい」と、丸投げして「女性も自立」「女性も男性と同じ仕事を」と、はやされて、結局どっちつかずになり、結婚もできず、個性豊かな職にもつけず(だいたい個性を生かせる職場なんてあるはずもないのに)行きくれている30代は、私が思うより多いと思います。
昔の人は、立派でした。そして幸せでした。
なにより為政者が、立派でした。天皇陛下にたいする責任感に貫かれていたからでしょう。
2009/07/27 URL 編集
ポケチュー
共感する私の内にも階級闘争意識が存在いたします。
いつからこんなにも自分を守らなければならなくなったのか・・・
世のシステムの問題ではなく個々の意識の構築(武士道のような)が必要な時代ですね。
2009/07/27 URL 編集
nn
財布は主婦が握っている事、平日に自由に奥様同士で集まって高価なホテルで会食をしていること、、、
フランスなど欧米は、日本では女性の地位が低いと必死に宣伝しています。だからそうだと思って来日してびっくり、、、
この女性も小さな子どもがいる主婦です。、日本の女性が羨ましいと語っていました。フランスの女性が聞いたらみんな羨ましがるだろうとも。
2009/07/27 URL 編集
うさもも
なんと、既に20件予約が入っていました。
これって、全てねずきちさんのブログを読んでの予約ですかね?
新刊でもないのにこれだけの予約が入っているのは驚きです。
2009/07/27 URL 編集