マサダ砦のユダヤ人



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イスラエルには徴兵があります。徴兵された新兵たちはマサダ砦の遺跡に行き、右手に自動小銃、左手に旧約聖書を持って、
「マサダは二度と陥ちない」と誓います。
マサダ砦には、どのような逸話が遺されているのでしょうか。

マサダ砦
20200912 マサダ砦



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日本に希望の火を灯す!

イスラエルは、戦後、昭和23(1948)年に建国された新しい国です。
別な国があり、別な民族が住んでいたところに、ユダヤ人を自認する人たちが自分たちの国を築きました。
日本は周囲を海に囲まれていますが、イスラエルの場合、そんな建国の経緯から、周囲の全部が敵国です。
ですから国は、つねに臨戦状態にあります。

そしてイスラエルは、この70年の間に、7つの戦争を勝ちぬいて、自分たちの国の独立と繁栄を保っています。
イスラエルには徴兵制があり、男女の別なく徴兵されます。
そしてイスラエル国軍の兵士であることに、ものすごく誇りとよろこびを持っています。

そのイスラエル軍では、新兵の入隊式が、全員、マサダで行なわれます。
マサダというのは、死海のほとりにあって、2千年前にそこに砦(とりで)があり、いまは砦跡の廃墟となっているところです。

そのマサダで、彼ら新兵は、右手に自動小銃、左手に旧約聖書を持って、
「マサダは二度と陥ちない」と誓うのです。

マサダ砦は、古代イスラエル国がローマ帝国によって滅ぼされたとき、最後まで頑強な抵抗をした砦です。
それは世界のユダヤ族の神語りであり、誇りです。

古代ユダヤ王国が誕生したのは、いまから3000年前、紀元前11世紀頃のことです。
その古代ユダヤ王国は、他国に干渉されて紀元前922年に、内乱が起こって南北に分裂します。
北が、イスラエル王国、
南が、ユダ王国です。

およそ古来、敵を倒すには、敵を分断し、バラバラにして各個撃破するというのは世界の歴史の常套手段です。
そして同じ民族であっても、そうした工作によって国が分裂してしまうことはあり得るのだということは、日本人も肝に命じるべきことですし、学校の世界史などでしっかりと教えるべきことです。

分断されると国力は弱まります。
紀元前721年には、北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされ、紀元前612年には、南のユダ王国も新バビロニアに滅ぼされてしまうのです。
そしてイスラエルの民衆(ユダヤ人たち)は、自分たちの国家を失ってしまい、流浪の民となるのです。

この流浪の民のことを「ディアスポラ(διασπορά、英:Diaspora, diaspora)」といいます。
ディアスポラとは、植物の種などの「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、「難民(refugee)」とは異なります。
難民は、元の居住地に帰還する可能性を含んでいますが、
ディアスポラには帰るべき国がないからです。

要するに、イスラエルの民は、第二次ユダヤ戦争のあと、約二千年にわたって、ディアスポラとなりました。
そしてマサダ砦の戦いも、いつしか根拠のない伝説とされていきました。

マサダの跡地が発見され、神話が証明されたのは、なんと1838年になってからのことです。
ドイツ人研究者によって発見され、伝説の戦いが実際に起こったものであることが立証されました。
マサダの山頂の発掘から、この籤で選ばれた十人が、それぞれ自らの名を署名した陶片が見つかったのです。

ユダヤ人たちは、二千年前に国を失いディアスポラとなりました。
けれど彼らは奴隷となる道は選びませんでした。
流浪の民となっても「俺達は人の奴隷にはならない」という誇りが彼らの主体性を保ち続けたのです。
実はここに神話や伝承の持つ凄味があります。
神話は民族のアイデンティティとなるのです。

みなさんは、ユダヤ人というと、どのような人々を想像するでしょうか。
長いあごひげを生やした白人種の男性などの顔立ちをイメージするのではないでしょうか。
けれども古代イスラエル王国の頃のユダヤ人は、東洋系の民族であったと言われています。
それが国を失い、2千年の流浪の後、ようやく世界中に散ったユダヤの民衆が集まって国を築いてみたら、肌の色も髪の色も長さも、みんな違っていたのです。

歓迎レセプションで、イスラエルの小学生たちがイスラエルの国歌を歌ってくれました。
おどろきました。
子供たちは、白、黄色、黒と肌の色はまちまち、髪の色も目の色も実に様々です。
そしてその肌の色や髪の色の違うすべての人達が、2千年前には、同じ肌、同じ髪の色を持った人たちだったと伺いました。
ディアスポラとなって2000年間のうちに、様々な国の様々な人達と血が混じり、いまの姿になりました。

我々はユダヤ人と聞くと、男性ならトム・クルーズのような顔立ちの人、女性ならナタリー・ポートマンや、ガル・ガドットのような顔立ちを想像しがちです。
けれどイスラエルでいうユダヤ人とは、ユダヤ教を信仰する人のことを言い、肌の色やDNAは問わないのです。

イスラエルの人たちは、ですから2千年前に自分たちが国を失ったときのことを知っています。
国を失ったとき、彼らは親兄弟や友人を殺され、生き残った者も、先祖を祀る墓地も私有財産も、家族までも奪われて奴隷として売られました。
そのことを、イスラエルのユダヤ人たちは知っています。
だからイスラエルは、あらゆる分野の科学技術や、軍事力に総力をあげて、世界で最も豊かな国を目指しています。
歴史に学ぶことで、優秀なイスラエル人となり、イスラエルの豊かさが築かれているのです。

日本人はどうでしょうか。
昔あった満洲国もなくなりました。
満州国の通貨であった紙幣は、ただの紙屑となり、シベリアに抑留された兵隊さんたちは、そのもとは紙幣だった紙を、紙が支給されないのでトイレットペーパー代わり使ったという逸話があります。
いま何十億円という資産があったとしても、その土地も財産も、実は日本という国があってのものです。
国がなくなったら、預金はパア、お札は紙切れです。
そういう実際に我々日本人が経験したことを、日本は子供たちに教えているでしょうか。

2000年前のイスラエルの民衆も、ただ滅ぼされたわけではありません。
民族の国家を取り戻したいと、紀元前143年には、大規模な独立運動を行いました。
それはただの運動といった生易しいものではなくて、戦争です。
これを「マカバイ戦争」といいます。

この戦争に勝利したユダヤ人たちは、イスラエル国を建国しようとするのですが、内紛につけこまれて、政治的にローマ帝国の属州にされてしまいます。

これを不服としたユダヤ人が再度立ち上がったのが、100年後の西暦66年で、これが「第一次ユダヤ戦争」です。
彼らはなんとか独立を勝ち取るのですが、これを不快に思ったローマ帝国は、軍を派遣して、西暦70年に首都エルサレムを陥落させました。

このとき、最後まで抵抗したのが、エルアザル・ベン・ヤイル率いるユダヤ人の男女967人です。
彼らは「マサダ砦」に立てこもり、その「マサダ砦」を、ローマは1万5千の大軍で包囲しました。
マサダ砦の967人は、勇敢に戦い、なんと3年近くもこの砦を守り通すのですが、衆寡敵せず、西暦73年に砦は落とされます。

砦の陥落直前、砦の人たちは、投降してローマの奴隷となるよりは死をと、2人の女性と5人の子供を残して、全員で集団自決しました。
自決に際して、エルアザル・ベン・ヤイルが述べた言葉が、ヨセフスの『ユダヤ戦記』に残されています。

「高邁なる友よ。
 我々はずっと以前から、
 人類の唯一なる真にして
 義である主なる神以外には、
 ローマ人であれ何人であれ、
 奴隷にならないと決意してきた。
 その決意を実行に移して
 眞なるものとすべき時が、
 いま、到来した。

 我々が自由な状態で
 勇敢に死ねることは、
 神が我々に与えたもうた
 恵であると私は思わずにいれない。

 我々はまだ、
 最愛なる同志とともに
 栄光(はえ)ある死を
 選ぶことができる。

 我々の妻たちが辱めを受ける前に、
 子供たちが奴隷を経験する前に、
 死なせてあげようではないか。
 自由を保持して行こうではないか。

 糧食のほかは何も残さずにおこう。
 何故なら我々が死んだときの証として、
 我々が制圧されたのは
 必需品が不足していたからではなく、
 最初からの決意に従って
 我々が奴隷よりも死を選んだことを
 示してくれるだろうから。」


男たちは自らの手で最愛の者達(妻と子)を殺しました。
そして男たちの中から籤(くじ)で十人を選び、残りの者達は首を差し出しました。
ともに三年間、苦しい中を戦い続けた同士でした。
けれど選ばれた十人は、恐れることなく使命を果たしたそうです。
そしてその10人だけが残ったとき、再び籤で一人を選び、殺されていきました。
最後に残った一人は宮殿に火を付け、自らの剣を体に刺し貫きました。

マサダ砦は、この戦いのあと、ローマ軍によって徹底して破壊されました。
この破壊は徹底していて、ただ建物を壊したり火を付けたりというだけのものではありません。
周辺の土地の木々は全て伐採され、焼かれました。

そもそもローマがイスラエルの土地を欲したのは、もともとそこが緑豊かな樹々の茂る豊かな森であったからです。
だからそこに住んでいる人たちを殺し、国を陥落させたのです。
なぜならその時代の資源エネルギーは、木を燃やして得る火力だったからです。

いま、マサダ砦跡に行くと、辺り一帯、見渡す限り、草木一本ない岩山です。
しかし、草木一本もないようなところにある砦では、補給を受けることができない967人もの男女が3年間も生き残ることはできません。
なぜなら人は、水と食べ物がなければ死んでしまうからです。

つまり2千年前のマサダは、水が湧き、肥沃な土があり、砦内で畑を営むことができる場所であったのです。
そうでなければ3年間もそこにこもって戦うことはできない。
そして水が湧くためには、周囲に土と森が必要です。

マサダが陥(お)ちた後、あるいはすでに包囲戦をしているときから、ローマは木を次々と伐り倒し、緑を奪っていきました。
すると砦には水が出なくなり、肥沃な土は雨が降る度に流れ出してしまい、あとに残るのは、岩山だけになります。
そしていま、マサダは砦の中も外も、ゴツゴツした岩だけが露出する荒れ地になっています。

マサダの戦いの60年後の西暦132年、ユダヤ人バル・コクバが、ローマに対してふたたび独立戦争を挑みました。
これが「第二次ユダヤ戦争」です。
バル・コクバは、一時イスラエルを奪還するのですが、翌135年にはローマ帝国に滅ぼされています。

こうしてイスラエルの民は、各地に離散し、現代イスラエル国が誕生するまで長いディアスポラとなりました。

ディアスポラという用語は、最近では混乱によって国外に亡命したツチ族ルワンダ人や、ソマリアを逃れたソマリ人集団などについても用いられることがあります。
しかし、いまだに日本語の翻訳語がありません。
日本語に言葉がないということは、これまで日本人は幸運なことにもディアスポラを経験することがなかったということです。
これは私達が祖先に感謝すべきことです。

イスラエルの民は、第二次ユダヤ戦争のあと、約二千年にわたってディアスポラとなり、ローマは、イスラエルの抵抗を防ぐために、徹底してイスラエルを破壊しつくしました。
このためマサダ砦のあった場所すらもわからなくなっていました。
つまりマサダは、ディアスポラとなったユダヤの人々の神話となったのです。

イスラエルは、昭和23(1948)年に、ふたたび独立を果たしました。
いま、世界の最先端の軍事技術のほとんどは、イスラエル生まれです。
またイスラエルは、国土の緑化のために、岩山となった土地に長いホースを伸ばしてコンピューター管理で放水を行い、土地に緑を取り戻そうとしています。

そして瓦礫の山しかなかったイスラエルは、いまや農業生産物の輸出国です。
さらにイスラエルの人々は、国民の誰もがよろこびと楽しさを感じることができるようにと、非常に真面目な暮らしをしています。

いま、イスラエルは、国際的にみても、たいへんに豊かな国です。
そして強力なイスラエル軍は、国民に明確な安全を与え、完全管理された自国産の新鮮な野菜や果物は、防腐剤や病気などの心配のない、安心な作物として、人々の食生活に寄与しています。

日本はどうなのでしょうか。
日本は、いつまで、祖先が大切にしてきた国土を、ただ消費するだけの状態を続けるのでしょうか。


※この記事は2009年6月の記事のリニューアルです。
日本をかっこよく!

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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