紫禁城の黄昏



人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

ジョンストン(左)と婉容(前)
ジョンストンと婉容


「日本が、満州に満州国を建国した。
 だから日本はシナを侵略したのだ」
・・・というのが、中共政府の主張であり、日本にいる売国左翼の主張です。

事実はどうだったのでしょうか。

レジナルド・フレミング・ジョンストン(SirReginaldFlemingJohnston,1874年-1938年)という人がいます。
彼はイギリスの中国学者で、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀の家庭教師を勤めた人です。
のちには、香港大学の教授、ロンドン大学の東方研究所所長にもなった人です。
つまり、当時の第一級のChina通の学者です。

彼は、清朝にずっと仕えていたので、清の内部事情に精通していたのです。
満洲国建国の経緯や溥儀自身の意思も、彼はよく知っています。
そして彼自身の目で見、肌で感じた体験を綴ったのが『紫禁城の黄昏』という本です。

この本は東京裁判のときに、日本の弁護団が証拠として使おうと証拠物件申請したのですが、却下されています。
理由は簡単です。
証拠採用してしまえば、東京裁判自体が成り立たないからです。

そのようなこともあって、『紫禁城の黄昏』は、戦後長らく世界で再出版さずにいました。
ところが映画「ラスト・エンペラー」が世界的な大ヒットとなります。

そこで、おそらくは「売れる」と思ったのでしょう。
岩波書店が岩波文庫として刊行しました。
ところが、岩波書店は、清王朝の様子を説明した1章から10章までを、まるごと削除しました。
しかも序文の満洲国建国に関係ある人物に関する記述を、まるで虫が喰ったように削除しています。

ちなみに岩波文庫版で、削除されている部分は、次の通りです。

 第1章 1898年の変法運動
 第2章 変法運動の挫折
 第3章 反動と義和団運動
 第4章 光緒帝の晩年
 第5章 西太后
 第6章 1911年の革命
 第7章 大清皇帝の退位条件
 第8章 大清と洪憲朝
 第9章 張勲と王政復古(復辞)
 第10章 松樹老人(張勲)の自伝
 第16章 王政復古派の希望と夢

ざっと目次をみただけでも、義和団、西太后、1911革命、張勲などなど、まさにこれこそが、以後の歴史を決定づけた重要な節であるとわかります。

あまりの偏向ぶりに、渡辺昇一さんが怒って、多くの訳者に参加してもらい、新たに出版したのが、『紫禁城の黄昏―完訳』(祥伝社)です。

http://blog-imgs-35.fc2.com/n/e/z/nezu621/20091003095208a70.jpg" target="_blank">紫禁城の黄昏


この本の帯と前書きの抜粋です。

~~~~~~~~~~~~~~~~
「東京裁判」と「岩波文庫」が
封殺した歴史の真実!

清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の
イギリス人家庭教師による歴史の証言。
映画「ラストエンペラー」の原作にして、
戦前のChinaと満洲、
そして日本との関係を知る
第一級資料、待望の完全訳。

上巻では、原著全26章のうち、
第一章から第十四章までを収録。
うち第一章から第十章までの邦訳は
岩波文庫版未収録。

近代化を唱える康有為(こうゆうい)の運動が失敗に終わり、
西太后が実権を掌握すると改革派の光緒帝を幽閉し、
反動政策を推し進める。
だが、ついに革命を誘発し清朝は滅亡。
即位して間もない少年皇帝・溥儀は、
曖昧な条件の下、
そのまま紫禁城に住み続けることになった。
そんな中「帝師」の要請を受けた著者は、
日々皇帝に接し、
唯一の外国人として
紫禁城の内側を
つぶさに見聞する機会を得る。

清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の家庭教師として、
皇帝の人となり、
紫禁城の内幕、
満洲問題と日本との関係
を、内側からつぶさに観察した
イギリス人による
貴重この上ない歴史の証言。
原著は1934年刊行。

「紫禁城の黄昏が、
極東軍事裁判に証拠書類として採用されていたら、
あのような裁判は成立しなかったであろう。
こういうだけで、本書の価値を知るには十分である。

もちろん、何が何でも日本を悪者に
仕立て上げたかった東京裁判所は、
本書を証拠資料として採用せず、
却下した」(渡辺昇一)
~~~~~~~~~~~~~~~~

ではその『紫禁城の黄昏―完訳』(祥伝社)には、何が書いてあるのか。
簡単に要約してみたいと思います。

事実だから文章がとても生きいきしている。
生の歴史が、ここにあります。

----------------------------------

1 清朝近代化の挫折と日露戦争

清国は西洋諸国に領土を蚕食されていた。
溥儀の先代にあたる光緒帝は、日本に倣って近代化路線をとり、国勢回復を目指した。
叔母にあたる西太后がその試みを絶ち、光緒帝を監禁してしまう。
清国は再び無気力な状態に戻ってしまう。

1989年当時、満洲に住んでいた英国の商人たちは、「まさに現実のものとなっていくロシアの実質的な満洲併合」について語っている。
英国の宣教師の指導者も
「私のみならず、私のもとで働くどの宣教師も口をそろえ、満洲とは名前だけで、ことごとくロシアのものと思われると明言していた」。
これは、眼前にある今の満洲問題の背景を理解しようとする者なら、絶対に忘れてはならない事実である。

Chinaの人々は、満洲の領土からロシア勢力を駆逐するために、いかなる種類の行動をも、まったく取ろうとはしなかった。
もし日本が、1904年から1905年にかけての日露戦争で、ロシア軍と戦い、これを打ち破らなかったならば、遼東半島のみならず、満洲全土も、そしてその名前までも、今日、ロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地のない事実である。

満洲がソ連のものとなったら、次は朝鮮であり、そして日本の独立も風前の灯火となる。
日本は生き残りをかけてロシアに決死の戦いを挑んだ。

日本は、1904年から1905年、満洲本土を戦場とした日露戦争で勝利した後、その戦争でロシアから勝ち取った権益や特権は保持したものの、(それらの権益や特権に従属する)満洲の東三省は、その領土をロシアにもぎとられた政府の手に返してやったのである。

その政府とは、いうまでもなく満洲王朝の政府である。

2.辛亥革命

1908年8月、光緒帝の弟である醇親王の子で、3歳にもならない溥儀が第12代皇帝として即位した。
同年11月14日に光緒帝が亡くなり、翌日、西太后も没した。
死期を悟った西太后が、光緒帝を毒殺したという説もある。
父親の醇親王が摂政となったが、無知無力な人物であり、再び、政治的停滞の時代が続いた。

1911年、辛亥革命が起こった。
翌年、中華民国が成立して、孫文が臨時大統領に就任した。

しかし、皇帝は一切の政治的権力は剥奪されたものの、その地位は保全され、宮廷は維持された。
少年皇帝はそのまま紫禁城での生活を続けたのである。
王政を倒し、国王を殺害したフランス革命やロシア革命と比べれば、奇妙な妥協に見えるが、それは漢民族の間でも共和国政府よりも皇帝への忠誠心がはるかに高かった、という実態を踏まえたものである。

清朝は漢民族を異民族支配したが、それは圧政とはほど遠かった。
宮廷の無気力と官吏の腐敗は甚だしかったが、過去3百年間に渡って、民衆は自由に暮らしていた。
西洋諸国や日本の外圧がなければ、革命などは必要なかったのである。

アメリカ人学者ウェルズ・ウィリアムズ博士は、著書『中国総論』の中で次のように述べている。
シナ人は個人的に不公平な課税に反抗したり、互いに結託して不当に厳しい役人を殺害、放逐したりするが、その一方で、彼らの皇帝への計り知れない畏敬の念ほど、シナの政治で注目に値するものはない。

3.溥儀の家庭教師

共和制が始まっても、国内抗争は止まなかった。
1913(大正2)年には第2革命が起こり、袁世凱が大総統となり、孫文は日本に亡命した。
1915年には袁世凱は皇帝になろうとしたが、第3革命が勃発し、翌年死去。
1917年には帝政復古を図るクーデターが起こったが失敗。
軍閥間の抗争が激しくなった。
ジョンストンが少年皇帝の「帝師(皇帝の家庭教師)」となったのは1919年だった。

溥儀は13歳。
この時点での大総統は、袁世凱の友人で、学者や官僚としての立派な経歴を持つ徐世昌だった。
徐世昌は、共和制が失敗して民衆が旧体制を支持した場合には、溥儀を皇帝とする立憲君主制をとることを考えていた。
そしてその際には、溥儀が立憲君主にふさわしい役割を演じられるよう教育したいと考え、英語と初等の西洋の学問の師としてジョンストンを招いた。

教え子の皇帝と私との関係は、当初から友好的で仲睦まじいものであった。
時が経つにつれ、ますますその関係も深まっていった。

紫禁城の黄昏02


溥儀が最も興味を持ったのは、世界の時事問題(ヴェルサイユ条約前後のヨーロッパの出来事も含まれる)、地理と旅行、初歩的な物理科学(天文学も含む)、政治学、英国憲政史、そして自国シナの政治の舞台で日々繰り広げられる劇的な諸事件だった。
私たちは、これといった手順を踏むわけでなく、このような話題についてシナ語で自由に話をする。したがって当然のこと、あれこれと話をしているうちに時間がとられ、英語の学習時間も削られることになる。
紫禁城に閉じ込められた少年皇帝の目は、中国国内の動乱と世界の情勢に向けられていた。

4.張作霖

この間にも、中国の国内情勢は混乱の度を増していった。
一般大衆の意見はというと、当時のシナの多くの地域で人々が共和国に幻滅しきっていたことは間違いない。
共和国はよいことを山ほど約束しておきながら、貧苦以外は、ほとんど何ももたらさなかったからだ。
ジョンストンはこう述べて、証拠の一つに中国で発行されている欧州人による新聞の次のような記事を紹介している。

「増税したことと官吏が腐敗したことにより、国民は満洲朝廷の復帰を望むようになっている。
満洲朝廷も悪かったけれども、共和国はその十倍も悪いと人々は思っている。
満洲王朝を恋しがる声は人里離れた辺鄙なところで聞こえるだけでなく、他の地方でも満洲朝廷を未だに望んでいるのである。」

満洲王朝を望む声は、当然ながら、満洲および蒙古(モンゴル)では一層強かった。
蒙古族は、満洲族がシナ本土を征服する際に協力し、その後、清国に属して、清朝皇帝に忠誠を誓ってきた。
だから、漢民族が独立して共和国を作っても、それに従う理由はさらさらなかった。
外蒙古はすでに1912年、中華民国が成立した際に独立を宣言している。
同時に、日本の後ろ盾を得て、満洲を独立させようという動きも、ジョンストンの耳に届いていた。

同年(1919年)の7月20日、私は個人的な情報筋から次のような報告を受けた。
「張作霖は君主制を復古しようと企んでいるが、その意図は翌年の秋に奉天で若い皇帝を帝位につかせ、同時に日本の保護下で満洲を独立国として宣言することだ」というものだった。

日露戦争でロシアを駆逐して、満洲を返してくれた日本の力を借りようという考えは、ごく自然なものだったろう。

5.日本政府による溥儀の保護

1924年11月5日、大規模な内乱の中で、反乱軍の一部が紫禁城に乱入した。
反乱軍は、溥儀に3時間以内の退去を命じた。
溥儀はごくわずかの身のまわりの物をまとめ、父・醇親王の邸宅に身を寄せた。
ここも反乱軍の監視下にあったため、私は危険だと考えて、皇帝を連れだし、受け入れ先を捜した。
私はまず日本公使館に向かった。

そうしたのは、すべての外国公使の中で、日本の公使だけが、皇帝を受け入れてくれるだけでなく、皇帝に実質的な保護を与えてくれることもでき、それも喜んでやってくれそうな(私はそう望むのだが)人物だったからだ。
ジョンストンは日本の芳沢公使に皇帝を保護して欲しいと懇願した。公使はしばらく考えてた後、その懇願を受け入れた。

溥儀は数カ月間、日本公使館で保護された後、天津の日本租界に移り、同地で7年もの亡命生活を送った。
この間、日本政府は溥儀を利用しようという素振りすら見せなかった。

それどころか、日本や、日本の租借地である満洲の関東洲に皇帝がいては、日本政府が「ひどく困惑する」ことになるという旨を、私を通して、間接的に皇帝に伝えたほどである。
日本政府にとって、溥儀は招かれざる客であった。

6.満州国の建国

1930(昭和5)年、私は溥儀と別れ、イギリスに戻った。
翌1931年9月、満洲事変が勃発。

ちょうどその直前に、私はイギリスの外交関係の任務を得て、中国を再度、訪問し、天津で溥儀とも再会していた。
11月13日、上海に戻ってみると、私的な電報で皇帝が天津を去り、満洲に向かったことを知った。

シナ人は、日本人が皇帝を誘拐し、その意思に反して連れ去ったように見せかけようと躍起になっていた。
その誘拐説はヨーロッパ人の間でも広く流布していて、それを信じる者も大勢いた。
だが、それは真っ赤な嘘である。
皇帝が誘惑されて満洲に連れ去られる危険から逃れたいと思えば、自分の足で歩いて英国汽船に乗り込めばよいだけの話なのだ。

1932年、関東軍(大日本帝国陸軍)は満洲国を設立し、溥儀を「執政(最高行政官)」として招請した。
皇帝が北へ向かうと、彼の乗った特別列車はあちこちの地点で停車し、地方官吏やその他の役人たちが主君のところへ来て敬意を表するのを許した。
龍は古き故郷に帰って来たのである。

その後、溥儀は満州国の皇帝となった。満州国は関東軍の庇護のもとで、五族協和(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)のスローガンを掲げ、平和な国土作りに邁進した。
戦乱の続くシナ大陸から毎年100万人以上の民衆が万里の長城を超えて、豊かで平和な満洲国になだれ込んでいった。

---------------------------------

満洲族は、漢族とは言葉も文字も習俗もまるで違います。
そして満州は、万里の長城の北にある土地です。
そもそも、万里の長城から北は、Chinese(漢族)の土地ではありません。
だからこそ万里の長城も築かれたのです。

満洲国は、満洲という土地に、満洲族(女真族)一番の直系の王族が戻ってきて建てた国です。
満洲が中国の一部だというのは、チベットや新彊が中国だというのと同じ発想で、シナの侵略思想でしかないのです。
満洲のことを中国東北部と称すること自体が、中国政府の侵略史観です。

満洲国というのは、満州から出てシナの覇権を握っていた清朝政府が、本来の自分たちの土地に満洲民族の帝国を復活させたい、わば満人の満人による満人のための国家です。
その満州人国家をつくるに際して、世界は一家、人類はみな平等という八紘一宇の精神を持つ日本が、建国のための指導をした。巷間言われる「支配」と、「指導」では、その意味合いはまるで異なるのです。

日本が当時行ったのは、あくまでも「指導」です。
なぜなら国家は、その国に住むその国の人々のものだからです。
実際、大臣はすべて満洲人か、清朝の遺臣でした。
首相だった張景恵などは、戦後もずっと日本にたいして友好的な態度をとっていました。

満洲の老人たちは、いまでも「われわれにも自分たちの国があったんだ」涙を流すといいます。
しかしもう戻れない。
満洲国の血筋自体が消されてしまった。
これこそ民族浄化そのものです。

歴史は繰り返すといいます。
争いを好まず、規則規律を大事にし、道端にはチリひとつなく、イザベラ・バードをして“この世のユートピア”と言わしめた日本は、いまや崩壊の危機に陥っています。

このままいけば、日本は、ウイグルや満州のようになってしまいかねません。
韓国だって同じです。
調子に乗って日本叩きに邁進していると、イの一番に吸収され、粛正されるのは、韓国です。
在日コリアンにしても、自分たちの利権ばかりを主張し、日本を貶めることばかりしていたら、結果、シナに呑みこまれ、すべてを失う。

終戦直後、台湾に「日本という犬が去って、Chinaという同胞がやってくる」と、狂喜して国民党兵士を迎えた人々がいました。
彼らは爆竹を鳴らし、拍手で迎えました。
ところが、船から降りてきた国民党兵士を見て、彼らは驚きました。

兵士といえば、日本兵のようにやさしくて、規律正しく、服装もきちんとしている人たちというイメージしかなかった台湾の人々の前に現れたのは、
服装もデタラメ。靴さえ履いていない者がいる。
体中に、鍋や釜、貴金属やらの財産をくくりつけ、中には血のついたピアスを胸にぶら下げている者もいた。ついさっきどこかの女性の耳からひきちぎってきたものに違いありません。
そして拍手をもって迎え入れたシナ人たちは、台湾の町中で略奪の限りを尽くし、女とみれば手当たり次第強姦しましたた。

台湾の市民は、10万人規模のデモを起こすのだけれど、時すでに遅し。
国民党は、台北の市庁舎の屋上に機関銃を据え付けると、これを乱射して市民約3万人をその場で虐殺しています。

満州も同じです。
下の動画を見ていただくとわかるけれど、満州国時代の新京は、実に清潔で平和で文化的な街だった。是非、動画をご覧いただきたい。

そこに戦後、Chineseが乱入しました。
日本人の共産党員が手引きして、日本人女性や親日満人に対し、強姦・殺害を繰り返しました。
街も文化も、人々の生活にも、破壊の限りを尽くしたのです。

日本という国は、世界の良心です。
その日本を守るのは、そして子や孫の時代に、素晴らしい日本を残すのは、私たちの世代に課せられた最大の課題です。

日本を守れ!と思う方
↓クリックを↓
人気ブログランキング

The capital of Manchuria 1/2 満州国国都、新京


この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんのひとりごとの最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

にゃんきち

No title
中国は、毛沢東(ロシアの赤)になりさがったので、日露戦争の努力に裏切られたけれど、満州国の動画で驚いたのは、どれだけ日本が投資して、今より理想的な道路、町並みで、上海のような大都市が作られたら、市民は喜んだはずです。

今考えるとあの資本は国内に使ってほしかったと、歴史がわかった今だから思えるのかもしれません。
今歴史がわかったとしても、中国は認めることはこの先永遠にないだろうし、事実はかくさなければ、成り立たない国とは、ビジネスでも、国との交流はありえない。

そんな国が経済大国になり、すぐに2位になる。
それは、彼等の目標だから、かまわないことだけれど・・・
日本の昭和初期には今の基礎は、つくられたのに、それから、そんなに町並みなどかわってないともいえますが、
変わったのは、精神、笑顔が大きく中国に変えられてしまって、一番大事なものが、失なわれてしまいました。

福沢諭吉も言ってました。「日本の不幸は隣に朝鮮(中国)があったこと」と

父笑

英雄さん・ふくちゃん・姫姐さんへ。
英雄さん。
“♪初恋”のカミングアウト以来、日々若返っていますね♂。
英雄節も渋味から凄味に変調して来ています、コブシも時々振り上げて・・・あなたのファンは、いつも元気と知恵をもらっていますよ。
陰謀論の本のこと、覚えていて頂けたとは、感激です。
「小説より奇なり」の陰謀(まさか!)跋扈が現実です。
中川さんといい・宮内庁式部官長といい偶然でしょうか、おかしいですよね。

ふくちゃん様。
あなた様に、あのような評価をいただけるとはビックリ!(寝耳に水?)この身にはあり余る光栄の至りです。
まさか、いつもの“ふく笑流”じゃないですよね?
悪者の味方をしただけの、天邪鬼語りだったりして・・・それでもウソでも、う・れ・し・い・デ~ス。
ありがとう。

かぐやひめ姐さん。
お孫さんのご誕生、おめでとうございます。
“かぐやひめばあちゃん”と呼んだら、怒る!でしょうね~。
わたくしメ、仮面は今お取り寄せ中で間に合いませんが、いつも“ここ”におります、たまにズルして留守していますが。
「ただ」書き込まないだけですよ。
あのノーベル賞の田中耕一さんですらLeave me aloneだそうです。
おばあちゃん、お気持ちだけは有難くいただいておきます。

以上、TTMさんからの言付けでした。 by父笑



かぐやひめ

第一義さんの旅は「活動」です
このごろ、告知されているデモとか、あるでしょう。そちらに行かれたみたいですよ。忙しいそうです。

でも、また、すぐに戻られるでしょう。

椿さん、
本当に、日本は占領されました。これは既成の事実としてかかるしか無いと思います。

そして、いよいよ先鋭化する活動と、それを取り囲む激しく大量の覚醒した愛国者が必要だと思うのです。

数を頼む。
過激に迫る。

そのためにこそ、日心会は大急ぎで脱皮していきます。

みちおさん はじめまして
そうです「勇」です。
それと、潔さがほしいです。

英雄

No title
椿様
ユダヤの侵略はザビエル以来数百年つずいています。国際金融資本というのはその一部で陰謀主体は秘密結社らしいです。ロスチャイルドも手代の一人にしかすぎません。上ははっきりとした姿を現しません。最近は宇宙人が太古の昔から関係しているというひとがおおいですよ。マジで。彼ら神との混血ということです。またデータをだします。頭を柔らかくして、総ては可能性の一つとして。
愛新覚羅溥儀はロスケ とシナ人に捕まり洗脳されましたよ。向こうの都合のいいようにね。これが敗戦です。終戦ではない。そしてまだ米、シナ、朝鮮との戦争はつずいている。日本人は戦争が終わったと反日赤のマスコミと文化人にせんのうされて、騙されています。


日本人は又貧乏に戻ったほうがいいのではないでしょうか。むかしはね、柳ごうり一つ、信玄袋一つで大学に行ってたもんです。
それに旧制中学でも高等学校でも大学の予科でも入学試験をみてみたら、今と違って難しいです。今はばかみたいでしょ。昔はね、ほとんど食べてなかったんだから。今のひとは甘いです。腹が減ってどうしようもなく倒れそうになることがないのだから。死に物狂いというのがないように見えます。

TTMさん、こんばんわ。今日は月見ですよ。昔は月見は楽しかった。団子も食えたし。
前にTTMさんが陰謀論の本を一つ読むとしたらどれがいいですかということでしたが、どれも同じような本で実証もないし笑、私もそんなには読んでないですから、お進めにくかったのですよ。でも、あえてゆなら、コールマンの300人委員会とアイクの恐怖の世界大陰謀でしょうかね。
また一緒にやりましょう。

第一義さんこんばんは。旅行にでておられるのでしょうか。私の住む田舎では、故郷を捨てて違う都会にいくことを旅に出るといいます。旅に出てもどこかに定着すればいのですが。私も若いころ風に吹かれるまま行き宛もない 何所で果てるやら わからない感じで都会にいきましたが、また故郷に戻ってきました。あのまま、どこかの片隅で朽ち果てていたかもしれない。それはそれでいいと思ってはいたのですが。ちょっとした運命の違いだったのでしょう。また、こんどは整理して、、、、、旅にでたいと思っています。
また 一緒にやりましょう

TEXAS

逃避行
私の伯父/伯母夫婦は、満州に行きました。 彼らの話によると、治安は確保され街は発展し~~~しかし段々と中国人が入ってくることで街は汚れていったそうです。 そして、戦争末期、大連まで逃げてきて従姉妹が生まれ、逃避行。 運良く無事に本土に帰ってくることが出来ました。 彼ら曰く、『中国人の醜いこと~~~まさに人非人の如し』

逃避行で思い出しました。 藤原てい『流れ星は生きている』中央文庫/¥640 凄まじい行程が書かれています。 

higurashi

お花畑反日歴史教育って、受けている本人は気づかない
ねずきち様、分かりやすいまとめをありがとうございます。

お花畑反日歴史教育って、受けている本人は気づかない…なあと、自らを省みている今日この頃です。

私にとって日本の歴史で面白いのは日本の神話に始まり、源平合戦から戦国時代か江戸時代まで。近代、現代史ってものすごくつまらないと思っていました。高校時代の先生は、「近代~現代は駆け足で行くよ♪」といって詳しい解説は全部省略して入試対策だけしかしなかったし、日本史に至っては選択制でした。ただ、印象に残っているのはいつも「またこんなこと書いてるな、この資料集は…。違っているって指摘してやっても、まだ直さないんだなこの出版社は…」とぶつぶつ言いながら授業をやっていたことでした。
当時は単なる誤字、脱字だと思っていましたが、内容が偏向していることを意味していたのかもしれないと今は思っています。

ラストエンペラーは映画をテレビ放映で見たはずですが、肝心のストーリーをまったく覚えておらず、なんだか凄惨な映像だったような記憶しかありません。いや、西太后だったのかな…?

うろ覚えですが、教科書に載っていた満州は中国の一部を切り取って建国させたという感じの表現でした。もう、この部分だけでなんだか読む気も失せた満州事変。
明治生まれの祖母から聞いた満州国は憧れの異国のような素敵な響きだったのに、教科書で教わる歴史の味気なさ。でも、今回の記事を読んで納得です。やっぱり真実の歴史は面白い。

みちお

No title
「勇なるかな 勇なるかな 勇にあらずして何をもって行わんや」

平洲記念館に行ったときこの言葉に感銘を受け、とっさにこの言葉を書き写しました。
[米沢の青年藩主・上杉 鷹山の初のお国入りに際して、師の細井平洲が与えた言葉の一つ。
「これから立ち向かわんとする藩政改革に当たってもっとも必要なのは、勇気ですよ、勇気なくして、どうして政治が施せましょうか」という意味。道を行うには智・仁・勇の三つの徳が必要だが、まず最初は「勇」をもって始めることが大切であると諭した。]
という意味だそうです。

このままでは日本は火達磨になりかねない。とすれば、われわれに今必要なのはこの「勇」ではないでしょうか。
椿さんや英雄さんのコメントを読んでそう感じました。

椿

得体のしれない侵略!
英雄さんへ

私の「危機感」を理解して下さってありがとうございます。

>戦争前に商売でシナに行った日本人は上海で沢山ころされました。<

その通りです!私の大伯父が満州で商売をしていたそうで、戦後の引き上げ時に、『シナ兵に追い込まれて、もういつ殴り殺されるのかと生きた心地もしなかったけれど、命からがら、身一つで、日本に帰って来れただけでも、本当に運が良かった。』と申しておりました。

シナ兵の残虐非道な仕打ちや、(たぶん、国民党軍か共産党軍)、引き上げの時の“阿鼻叫喚地獄”の恐ろしさを、妹の祖母に言って聞かせていたそうです。私は大人になってから、祖母や母からその話を聞かされましたけど…。

本当にシナ人の残虐非道さは、言語を絶したようです…。

しかしながら・・・私的に感じるのは、「将来、日本は侵略される危ない!」という段階ではもう無いと思うのです。私達はもう“すでに侵略されている”事実から、対策を考えなくてはいけないと思います

外国勢力による日本侵略は、チベットのような帝国主義的「侵略」ではないので、表面的には非常に分かりにくいですが、

長野のオリンピック聖火事件」の警察の対応、反日マスコミらの日本叩きや隠蔽工作、政財界の売国奴達による、日本売国&殲滅計画に見られるように、、「外国勢力による侵略」の度合いは、国民が思っている以上に“深刻さ”を増していると思います。

侵略しているのは、何もシナ・朝鮮だけでないのは重々承知。でも・・・、そのもっと奥にいる“何か得体のしれない存在”が、日本を破壊している・・・


sam

No title
すばらしい文章ありがとうございます。ジョンストンの本をこのようにわかりやすく理解させていただき感謝しています。

英雄

No title
椿さま

戦争前に商売でシナに行った日本人は上海で沢山ころされました。シナ人は人間のカスというのは、戦前の日本人はよくわかっていましたよ。側にね、憲兵隊でもついていないと、シナ人と商売したり、付き合ったりするのは無理です。彼らは匪賊です。

現在も、日本人はその事を忘れ、また反日マスコミや大江などの反日三文分子などに騙されて、シナに沢山いっていますが、また再び沢山殺されて日本に命からがら逃げ帰ってくるのは火を見るよりあきらかです。私はもうそれは、諦めているのです。みんな、ぼんくら政治家とマスコミのせいですが。在支邦人を日本の自衛隊も政治家も守ってくれないでしょう。我々はこれから、日本に移民してきて日本人絶滅を画策するシナ人との内戦に備えることです。尚武の気持ち。猟友会に入って狩猟してください

椿

戦後の悲劇が繰り返される。

しかし…、このまま行くと、かっての「満州の殺戮」とソックリの事が起こると思いますよ。

あまりにも阿呆な選択ばかりしている日本人、一度、戦後の引き上げ時の“阿鼻叫喚地獄”を経験しなければ、もう覚醒出来ないのでは?と思います。

民主党政権により、日本の主要産業は半減するか、中止に追い込まれます。そして、日本企業の経済的自立は著しく阻まれまれ、失業者は77万~120万も増加し、1所帯の可処分所得は、22万円~77万円に激減、1所帯あたりの光熱費は、11万~14万増加するそうです。

もうやられっ放しです。朝鮮による拉致犯罪により、徹底的にボケまくっていた日本人のお花畑頭が、少しだけ覚醒したように、

今の日本人がもっとシッカリと、日本の危機的状況を把握する為には、何万人という在華日本人達が、シナ大陸で、戦後の満州と同じような“殺戮”という悲劇にみまわれるか、

広島・長崎級の原爆が、日本の都市に落とされ、何万、“何十万人という犠牲者”が出るか?

そういう悲劇のショック療法でもない限り、もう“危機感”“警戒感”を持て無いのではないでしょうか
?



かぐやひめ

温暖化詐欺とマスコミ
英雄さん、ご紹介のものを、見ると、震えあがりますが、温暖化詐欺の動画には「怒りで」震えました。

マスコミがひどいのは日本だけではなかったと分かりました。
ということは、彼らは、世界中で同時に崩壊する運命にあるのですね。

金のためなら悪魔に魂を売れる人たちばかりになった・・・
ということですね。

それでも、正義に生きるか、
だから、自分もお金に転ぶか

二つに一つの別れ道。

英雄さん、第一義さんが来ないのは、たぶん、今、遠方にいるからだと思います。

TTMさんは、たぶん、仮面をかぶって、そこらにいると思います。

ミヤビ

満州って素晴らしいですね
主人のお母さんは、満州で生まれました。
とっても素晴らしいところで、箸より重いものは持ったことがないほど、良い暮らしだったそうです。
毎日が楽しく、お友達もたくさんいて幸せだったんです。
しかし、日本が終戦になりロシア兵が侵攻してくると、生活が激変しました。暴行されないように髪の毛は切りズボンをはいて、顔に泥を塗り逃げたそうです。
そして命からがら日本にお母さんと二人きりで帰国して、それからは過酷な人生を歩んだのです。
満州って本当に素晴らしかったのですね。
涙・涙です。
「紫禁城の黄昏―完訳」(祥伝社)
必ず読みます!
今日も素晴らしいお話を有難うございました。

s

No title
ねずきちさん、私の住む街にはカルトに洗脳された人達と特亜の人達しか居ないようです。皆様お金が貰えれば、薄汚い犯罪行為も平気ですし、雇い主が誰か関係ないみたいです。皆、自分が無事なら日本がどうなろうと関係ないみたいですね。カルトの集団ヒステリーに皆様のれば怖いもの無しのようです。闇が深く利権が絡んでいる地域は従軍慰安婦賠償を支持する署名を出したり、地方債権を外国(中韓)に売り出すのにノリノリ大賛成ですから、賠償やら国売りにはさぞ多額のキックバックがあるんですね。財界の権力者達の絡みを見ると売国奴と特亜が特定出来て面白いやら腹がたつやら・・

英雄

No title
ワクチンについて、いろいろでてますが、これも御願いします
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/

裏の世界政府の走狗になりインフルを合成した狂人の学者の顔がでています

-

No title
日本を守れと国民は思います。
しかし鳩山に関しては、不審な動きの検察、特捜部、ですね。
証拠隠滅に充分な時間を与えています。
投票日、前日に問題の会計監査人の急死!
秘書さんは行方不明のまま!
北海道事務所の弁護士は麻薬所持現行犯逮捕!
胡散臭すぎます。
今回の本格捜査開始はただのガス抜き説があります。
穿った見方ですが、悪い事したって証拠が見つからなければいいんだから早く隠せ・・!って警察、検察が指導しているみたい・・!
時代劇では、お家乗っ取りを謀る悪家老、悪代官、やくざと越前谷・・!あっ、中川さんを嵌めた読売女性記者はもしやあの悪徳商人の・・?

愛信

鳩山首相、「真実が明らかになればいい」=個人献金問題、自民総裁は追及姿勢

これに先立ち、首相はコペンハーゲンからの帰国後、首相官邸で平野博文官房
長官と協議。この後、記者団から献金問題について質問を受けた際は、何も答
えなかった。

【経済・政治の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj_ind.cgi
【政治・経済タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
詳細は検索条件【鳩山】で【投稿/検索】をカッチとね。

コメント欄が「英雄」だらけですね…(笑)

No title
日本の歴史の教科書は「昭和史」もっと重点的に教えた方がいいですね。
複数の特定アジアの外圧が予想できるので「日本政府の見解としての歴史」って断りを
入れてでも日本に誇りを持てず見下している日本の若者に教えるべきです

ねずきちさんが紹介された書籍を自分で調べて買うのが億劫な私の為に
是非にアマゾンの書籍購入画面に飛べるようにしてもらえると助かります。

英雄

No title
我々も、愛刀哀剣物語をみて

維新の嵐を日の本におこすのです

なに、、、、人口なんて半分に減ってもいいのだから

生きてる内に  人生気合をいれろ 。。。。わははは
                            
どんどん   生きろ  がははは

走って倒れろ

死んだら土に還る

英雄

No title
http://michi01.web.fc2.com/index.html

もうひとつ 戦略情報室みち  様の中の 、ガコナハープの項目にハープの説明があります。チェックしておいてくださいな

英雄

No title
ハープのことは  つながっているこころ  さんが気象レーダーの画面を毎日追跡されてます

みかずきもハープに合わせてでまくってますよ。ぜひみておいてくださいhttp://cocorofeel.exblog.jp/7844078/


http://cocorofeel.exblog.jp/8890388



keito

満州国
「満州」という響きに独特の幻想的な感覚を持ってました。親類から公務員として満州に赴任した話を聞かされました。懐かしそうに、夢を見るような目でした。

新京の動画を見ましたが日本の発展した頃とダブり異国のようには思えません。土地が宏大で平らなのでしょうか、気持ちよく整った美しい都ですね。このような平和な街も、私利私欲の輩がひとたび狙いをつければ無惨な無法地帯となってしまう。民族性というものはどうにも変えられないのでしょうか。

ねずきちさんのブログを拝見していつも思うのですが、歴史の変動に伴う国や領地の捉え方が時系列では理解出来ますが、右脳的にすぐ転換出来ません。もちろん私の無知によるのですが。簡単な地図のようなものも載せて頂ければ一目で判断出来ると思うのです。我がままな要望です。

英雄

No title
http://nihonjustice.hp.infoseek.co.jp/40.htm

もうひとつ、西郷どんや大久保さんもでてくるからたのしいよ

大日本帝国軍の凱旋です

英雄

No title
http://nihonjustice.hp.infoseek.co.jp/

愛刀哀剣物語です。昔、よくみてました。古いから、いつ、在日に削除されるかもわかりません。在日や特亜は自分達に都合がいいようにれきしの書換えをしている、にんげんとして頭がおかしい人たちですよ。

宮城

満州は日本の奥州みたいな感じだな

東北なんて呼んで欲しくないよ><

英雄

No title
こうった事も、今の人は全然知らないでしょうなあ。
若い人は知ろうとしないでしょうし、団塊の世代は戦後の岩波朝日マスコミに洗脳されてる。歴史の解釈云々よりも、事実関係を違って認識してるのだから、どうしようもない。いくらいってもだめなんですよね。自虐史観主義者にね。

あ太郎

いい記事だ
よく調べたなぁ。

「知的生活の方法」以来、最近の渡辺昇一の本は読んでいないが、これは一読する価値がありそうだ。

とりあえず、売国左翼を駆除することが、知識人のみならず、一家の主婦に至るまで、日本人の使命だね。

だが、さっき町から買い物をして帰ってきたが、女はみんな茶髪だ。 どれも気違いの三乗のような顔をしている。 テレビ洗脳による愚民化がこれほど進行していようとは。

左翼駆除はしんどいぞ!

.

No title
岩波なぁ…

今回の例に比べればあまりに可愛いレベルではあるけれど、ベルツの日記だったか、東大医学部初期に色々尽力してくれたドイツ人の日記の訳本もちょっとおかしかったな。
朝鮮のことを「朝鮮」と書かずに「韓国」って書いてんの。
これが日清戦争後のことなら大韓帝国のことかと無理に好意的見ることが出来なくもないけど、それより前の時期の記述でも「韓国」なんて書いてるんだよね。ありゃおかしいわ。

八目山人

満州と言えば
満州青年連盟の活動家だった、山口重次氏が書かれた本を読んだ事があります。(父の遺品です。)
その中で、終戦後、張景恵は日本軍のことを、「歴史上、あのような立派な軍隊は無かったし、これからも二度と現れないだろう。惜しいことをした。」と語っていたそうです。
ちなみに、張張景は柳条湖事件のとき、列車に張作霖と一緒に乗っていて、大怪我を負っています。

アイシンカクラ・フケツ氏と姻戚関係がある女性の講演を聞いたことが有ります。
その女性の考え方は、ほぼ今のサヨクと同じでした。
その女性は、文化大革命の時、牢屋に入れられていたそうです。
また、戦前に日本の高等女学校や学習院で教育を受け、その関係で、今も日本の旧華族や旧皇族の方々とも、付き合いが有ると言っておられました。

 
ところでねずきちさん 「満州問題」とはどういう事柄を指すのですか。ズーと疑問に思い、他人に聞いたり自分で調べたりしましが、いろいろ異なった見解しか聞けませんでした。もしご存知でしたら、教えてください。
非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
15:00~19:00
定休日  木曜日

スポンサードリンク

カレンダー

09 | 2023/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク