チャンドラ・ボーズ

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チャンドラ・ボース
チャンドラ・ボース


「秘境西域八年の潜行」(中央公論社)という本があります。

著者の西川一三氏は、元、外務省調査官です。
彼は、昭和18年、彼はラマ僧に扮して、Chinaの内蒙古に入り、寧夏、甘粛、青海、チベット、ブータン、西康、シッキム、インドをめぐって、チベットの古都、ラサに到達し、終戦を迎えました。

目的を失った彼は、ラサ近郊にあるレボン寺に修行に入りラマ僧として2年間生活します。
寺を出たあと、西川氏は、再びヒマラヤを越えてインドに向かい、インドの仏教遺跡巡りをはじめる。

昭和25年6月、彼はビルマまで足を延ばそうとした矢先に、インド政府に拘留され、日本に送還されました。
そして上陸と同時にGHQによって逮捕され、6ヶ月間にわたる取り調べを受けました。

彼は8年間の潜行について、記憶だけで実に正確な報告をしたと伝えられています。
並の諜報員ではなかったわけです。

冒頭でご紹介した彼の本には、こんな記述があります。

~~~~~~~~
西川氏の旅に、漢族バトという少年がついてきた。
チベットで、少年は、当時流行した天然痘を患った。
少年は、全身に発疹ができ、最後には顔の何処が鼻だか口だかわからないほど変形し、死んだ。

この時代のチベットに、薬などはない。
天然痘にかかったバド少年は、ラマ僧によって悪魔払いの儀式を受けたのである。
これが当時の唯一の治療法だった。

バドは、9歳の若さで亡くなった。
そして村はずれの死体置き場に置かれ、翌日には鳥につつかれ狼に食べられて骨だけになった。
世界はそれほどまでに貧しかった。
~~~~~~~~~

戦前の世界を、いまの価値観、世界観で把握したら、大きな間違いをします。
東亜は収奪され、餌食にされ、貧しかったのです。

白人女性がお菓子をばらまく。
するとアジア人の子供達がお菓子を拾いに群がる。
まるで鳩の群れに餌をバラまく姿です。
東洋人種は、野生の鳩と同じでしかなかった。

西川氏は、その後インドに向かいました。
お金はありません。
食事はラマ僧としての托鉢です。
もちろん汽車には無賃乗車です。

ところがカルカッタ駅の改札口で、彼は、インド人の駅員に呼び止められます。
「そこのラマ僧、チケット(切符)を出しなさい!」

切符もお金もありません。
だから黙秘しました。
数時間の後、無罪釈放された。

ラマ僧の無賃乗車は、当時としてはあたりまえだったそうです。
もうひとつ付け加えると、インド人というのは、わりと清潔好きです。
ところがラマの托鉢僧は、着の身着のままで沐浴もしない。
当時のインドの駅員たちは、ラマ僧の発する悪臭にも閉口したそうです。

釈放されたものの、西川氏には泊まる宿屋はありません。
そういう人が、インドにはゴロゴロしていた。
インドの駅は、夜になると無料の宿泊所となっていたのです。

この光景は、戦後間もない頃の日本も同じです。
上野の駅は、夜になると故郷に帰れない乞食の宿泊所となっていました。

ある日、たまたまお金の托鉢を受けた西川氏は、カルカッタの安飯屋で、軍服姿に身を固めたチャンドラ・ボースの肖像額を見ます。
そこで彼は、おもわず「チャンドラ・ボース万歳!」と叫びました。

客たちは驚き、
「ラマ僧、お前はチャンドラ・ボースを知っているのか」と尋ねます。

西川氏は答えた。
「知らないでどうしよう。私はアジア人です。アジア人であって、アジアの英雄チャンドラ・ボースを知らない者が、どこの世界にいるのですかっ!」

その思いは、なにも西川氏だけの固有のものではなかったのです。
当時、外地で働いた日本人、共通の思いでした。

日本だって貧しいのです。
けれど、日本を出て外地に行くと、当時の貧しい日本では考えられないくらい、もっと貧しい生活がそこにありました。

一生働いても、すべてを植民地政府に奪い去られてしまう生活がそこにあったのです。
家畜以下の生活状況におかれている。

植民地として支配されたアジアの人々が、一日も早く人間としての生活が送れるようにしたい。
多くの日本人が貧しい中で、そのために必死の努力をした。
それが誇りでもあった。
そして世界も日本に期待した。

インドの革命家であるチャンドラ・ボースも、その中のひとりでした。

チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose)は、明治30(1897)年生まれのインド独立運動家です。
彼は、インド国民会議派議長であり、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官です。
インド独立の指導者でもある。

2012年のいま、インドの国会議事堂の正面には、チャンドラ・ボース、ガンジー、ネルーの肖像画が掲げられています。

中央がボースです。
右がガンジー、左がネルーです。
インドの人たちにとって、いかにチャンドラ・ボースが大きな存在かがわかろうかと思います。

ガンジーとチャンドラ・ボース
チャンドラ・ボースとガンジー


チャンドラ・ボースは、大東亜戦争のとき、密かにインドを脱出して、アフガニスタン経由でソ連に向かいました。
インド独立運動への支援を、革命を成功させたソ連に要請するためです。

しかし彼は、スターリンにそれを断られています。
スターリンの意思は、インドの「支配」にあり、自尊・独立にはなかったからです。

やむなくボースは、ナチス政権下のドイツに亡命して、ヒットラーや、ムッソリーニに独立運動への支援を要請しました。
けれどヒトラーは、こう答えたそうです。
「インドは、独立にあと150年はかかる」

スターリン(ソ連)、ヒットラー(ドイツ)、ムッソリーニ(イタリア)という名だたる指導者たちに支援を断られたボースは、ドイツでインド人の仲間を集め、インド旅団(2,000人)を結成します。
そしてベルリンから、反英ラジオ放送を開始した。

その放送を聞いて、支援を決めたのが、東条英機でした。
昭和16(1941)年のことです。
そして東条英機は、同盟国であったドイツに要請し、チャンドラ・ボースを日本に招いたのです。

ボースは、ドイツ海軍の潜水艦Uボートでフランス大西洋岸のブレストを出航します。
そしてインド洋で、日本の伊号第二九潜水艦に乗り換え、来日した。

ボースは、日本の支援を得て、シンガポールで「自由インド仮政府」を結成します。
そして初代首班に就任しました。
これがいまのインド政府の誕生です。

そして英領マラヤ、香港等で捕虜になったインド兵を中心に「インド国民軍」を結成し、その最高司令官にも就任する。
こうした活動には、たくさんの費用がかかります。
その一切を、日本は支援したのです。
さらに「インド国民軍」の兵士たちへの訓練も、日本は行っています。

昭和19年、自由インド仮政府を立ち上げたボースは、日本にラングーン侵攻のためのインパール作戦を嘆願しました。
自由インド軍がインド領に姿を現せば、自由を求める各地のインド人が隆起すると信じたからです。

しかし当時の日本は、ボースの進言を受け入れるだけの軍事的余力がありませんでした。
インド人の蜂起だって、実際にはあるかどうかわからない。

インパール作戦は、日本では功名にはやった牟田口中将の無謀な作戦などと言われているけれど、実際には、チャンドラ・ボースのインド侵攻への熱意と、蒋介石ルートの遮断を狙った、大本営発の一大反抗作戦です。

成功すれば蒋介石ルートの遮断によってシナの国民党の軍備補給の一切を断つことができ、インドの独立を支援し、イギリスに致命的な打撃をあたえることができる。
決して無謀でバカな戦いではなかったのです。

そして昭和19(1944)年、ついにインパール作戦の実施命令が出されます。

チャンドラ・ボースは、この報を聞くと、
「ついに日本軍とインド国民軍が手を携えてインドに進軍するときがきた」と叫んだといいます。

インパール作戦に、日本は9万の将兵を投じまました。
インド国民軍の4万5千名も参加した。
しかし折からの暴風雨と、補給の不足で日印連合軍は、敗北しました。
日印連合軍の戦死38,000名、戦病40,000以上の損害です。

敗れた日印の兵士たちが帰投した街道筋には、途中で亡くなった日本の将兵の白骨が連なった。
この街道は、後年「白骨街道」と呼ばれています。

以前にも書きましたが、この街道筋には地元の村人たちの集落が点在しています。
民家があり、畑があり、家畜もいる。女もいた。
しかし現在に至るまで、それら村人や家屋、家畜や畑、そして女たちが日本兵によって蹂躙されたとか、略奪されたとかいう被害の記録は、ただの1件もありません。

怪我に苦しみ、マラリアやテング熱、赤痢に罹患し、食べ物もなく、飢えに苦しみながら、徒歩で帰投する日本兵は、だれひとり、村人たちを襲ったりしなかったのです。
食べ物を略奪、窃盗することもなかった。
そして彼らは死んでいきました。

盗んでいれば、略奪していれば生き延びれたかもしれません。
だって、武器を所持しているのです。
いくらでも襲うことができた筈です。
にも関わらず、彼らはそうした非道を一切しなかった。

なぜか。

彼ら将兵のひとりひとりの心の中に、アジアの平和と独立のためなのだという強い誇りと信念と覚悟があったからです。
若き日の私たちの父祖たちにとって、武力で威嚇して食べ物を奪ったり、殺したり、女を犯したりすることなどしないということは、ただの「あたりまえ」のことだったのです。

残念なことに、白骨街道の遺骨収集は十分に進んでいません。
本来、日本国の国家予算で遺骨収集を行うべきです。

さて、2009年1月27日、次のような記事が報道されました。
~~~~~~~~~
自力で日本兵の遺骨収集を続け、自宅には慰霊塔を
インパール作戦などに参加した未帰還兵の藤田松吉さん死去 90歳
http://blog.livedoor.jp/far_east_news/archives/134075.html
------------------
元日本兵でありながら日本へ帰還せず、タイ北部で仲間の遺骨収集を行ってきた藤田松吉さんが25日,亡くなりました。90歳でした。
関係者によりますと、藤田松吉さんは25日午前、入院先のタイ北部ランプン県の病院で、肺炎のため息を引き取ったということです。
長崎県出身の藤田さんは、19歳で第二次世界大戦に従軍し、当時のビルマで展開されたインパール作戦などに参加しましたが、戦後も日本へは帰還せず、タイ国籍を取得してタイ北部のチェンマイで暮らしていました。
インパール作戦では3万人以上の日本兵が命を失いましたが、藤田さんは自力で日本兵の遺骨収集を続け、自宅には慰霊塔を建てていました。
~~~~~~~~~

自民党は左翼政権だったという人がいます。
自民党が、日本人の政党であり、日本の歴史・伝統・文化を尊重する政党であるならば、日本のために戦い、どんなに苦しくても、自分の命を落としてまでも略奪ひとつ行わなず散っていった誇り高き英霊たちの遺骨収集くらい、なぜ政権与党としてやってこなかったのか。
それができない政党であるなら、そんなものは左翼政党にほかならないというのです。
すくなくともこの遺骨収集に関しては、ボクもまったく同感です。

すみません。話が脱線しました。

インパール作戦の敗退、そして終戦を迎えたチャンドラ・ボースは、日本と協力してインド独立を勝ち取るという道を閉ざされます。
しかし彼はあきらめなかった。

彼は、次の時代の東西冷戦を予想し、インドの支配者であるイギリスと戦うためにに、ふたたびソ連に協力を要請しようとしたのです。
そしてソ連に向かおうとしたとき、台湾の松山飛行場で搭乗した九七式重爆撃機がエンジン・トラブルで墜落しました。

チャンドラ・ボースは、火だるまになって全身に火傷をおって死去します。
昭和20(1945)年8月18日のことでした。
享年48歳でした。

-------------------------
インドは自由になるだろう。
そして永遠に自由なのだ。
-------------------------
チャンドラ・ボースの臨終の言葉です。

いま、チャンドラ・ボースの遺骨は東京都杉並区の日蓮宗蓮光寺で眠っています。

蓮光寺にあるチャンドラ・ボース胸像
蓮光寺にあるチャンドラ・ボース胸像


インドは、戦後も日本に対して厚い友情を示してくれました。
極東軍事裁判で連合国側が日本を弾劾しつづけるなか、インド代表のパール判事は、ただ一人日本の無罪を主張してくれました。

インドは日本に対する懲罰的な条約に反対し、サンフランシスコ講和会議への参加を拒否しています。
インドは日本に対する賠償も放棄してくれました。

そしてインド独立運動家のマハンドラ・プラタップ氏は世界を相手に、
「日本に対してこそ賠償を払うべき」
という「逆賠償論」を主張したのです。

昨今の日本の企業は、やたらにChinaに進出します。
そしてどの会社も損ばかりさせられています。
日本人は、反日思想に凝り固まったChineseたちに、いつまで騙され続けるのでしょう。
投資するなら、親日国であるインドにこそ投資を考えるべきなのではないでしょうか。

冒頭の西川氏は、インド滞在中に、チャンドラ・ボースが<インドの救世主>と仰がれているのを身をもって知ったのだそうです。

デリー方面に向かうプラットホームでインド軍の将校団に囲まれ「コンニチワ」と日本語で挨拶され、危うく日本人と見破られそうになった。
ところがその将校団は、なんとチャンドラ・ボースの勇敢なインド独立軍のメンバーだった人たちでした。

彼らは、日本人を心底、尊敬していたのです。
だからラマ僧に扮した西川氏を、ひと眼で日本人と見破りました。
それだけ彼らの日本に対する憧憬が深かったのです。

日本が終戦を迎えたとき、まだインドを植民地支配していた英国は、チャンドラ・ボースが組織したインド国民軍の将兵全員を戦犯として軍事裁判にかけ、全員に死刑を宣告しました。

この時にガンジー、ネール以下、インドの国民会議、学生、労働者たち民衆は、インド独立軍の無罪を主張して闘争を行ないました。
そして独立軍の将兵たちは、死刑ではなく、懲役15年の刑となりました。

けれど、インドの民衆は、それで満足などしませんでした。
彼らは尚も戦い、ついには裁判に勝利し、全将兵の無罪を勝ち取っています。
そしてインド全土に広がったこの運動は、2年後のインド独立へとつながったのです。

東京裁判でインドのパール博士がただひとり戦犯無罪論を唱えたことをインド人は誇りに思っています。
彼らは、人種差別撤廃を高らかに謳いたった一国で世界を相手に正々堂々と戦いを挑んだ日本にこそ、戦争犯罪を裁く権利を認めるといいます。
戦闘の勝利者が敗者を裁くのは、単なる復讐劇にすぎないからだともいいます。

日本は、いつまでも自虐史観にしばられるのではなく、戦後66年、そろそろ目を覚まし、真実の歴史を取り戻すときがきたといえるのではないでしょうか。

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Delhi chalo -Subhas Chandra Bose


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コメント

さかなちゃん

チャンドラボース
今は亡き私の祖父が「伊号第二九潜水艦」に中尉として乗っておりました。
その為、子供の頃にチャンドラボースの話をよく聞かされており、つい懐かしくてコメントさせて頂きました。

その時の祖父の話を少し書かせてください。

ドイツ海軍の潜水艦と日本の潜水艦との受け渡しの時、前もって時間を合わせ待ち合わせをしていました。
そしてその時間になった時に、お互いの潜水艦を上昇させたのですが、それがピタリと合った事を自慢げに話していました。
少しでもずれると、敵に襲撃されるかもしれない状況だったそうです。

そしてチャンドラボースを橋渡すために、小型のボートを使用したそうです。
その時海面にサメが多数いて、それを銃で撃ちながら無事橋渡ししました。

私の祖父は無口な人物でしたが、その頃の話になると雄弁に色々と語ってくれたのを思い出します。
その頃は戦争の話なんて興味が無く、大して聞いてませんでしたが大人になった今、もっと色々とその頃の「真実」を聞いておけば良かったと後悔しております。

祖父にとって、チャンドラボースの受け渡しの出来事は武勇伝だったようです。
そんな祖父を私は誇りに思っております。
ここに書いて、当時の状況を少しでも皆さんに知って頂けたら祖父も喜ぶと思います。

匿名

チャンドラボースについて
インド独立で来てたインド人では、チャンドラボースも有名ですけど 銀座のナイルレストランの初代オーナーのA.M.ナイルもその一人です。
中村屋のカレーは、インドに近いですけどナイルレストランは、上海に住んでた時に隣にいたインド人から習ったという変わったカレーです。

かぐやひめ

以蔵さん~もう一度
一度、呼びかけながら、一日で諦めたのは、あなたの中になにか「重いもの」を見ていたからです。

あなたの率直なお言葉で、やはりそうだったかと思いました。

重さ・苦しさみたいなもの・・・私には何かわからなかったけれど・・・こういう感じです。

以蔵さん、あなたが現実に立っていらっしゃる位置と
あなたが、立ちたいとおもっていらっしゃる位置に高さの違いがある・・・私には、あなたが二重に見えていました。

それは、貴方の若さ・・・理想と現実の間の悩みだろう・・・そう考えたのです。だから、貴方の年齢を26歳ぐらい(あるいは、それ以下)だと思いました。
これだけ、ものを考えられる20代前半の人に、真剣に入り込んでほしいと思いました。それが、あなたにお声をかけた理由です。

でも、理想と現実の乖離は、私が想像した理由ではなかったのですね。申し訳ありません。つらいことを打ち明けさせて。

液晶の不確かな画面のうしろに、時々、見えることがあります。
人の人生・心の願い。身を切るような淋しさ。孤独。
一生懸命さ。ひたむき。真剣さ。
時には、その反対のものも。

あなたの心の叫びを、行間から聞いてしまうことがあります。

おれんじ

No title
インドに団体旅行をした際、お年を召した方々が「あ!チャンドラ・ボースさんの像だ!」と嬉しそうにバスの窓から眺めていたのを思い出しました。その頃は私も全く無知でしたが戦前戦中世代はよくご存知のようですね。

その後、イギリスでチャンドラ・ボースさんの特集番組を見ました。ボース氏の最期は事故ではなくイギリス側の仕掛けた他殺という説が濃厚なようです(日本政府は終戦直後の混乱期であったが、ボース氏の死亡事故には全く関与していないと表明)。イギリスの専門家は英国政府の資料公開を待っていると番組で述べていました。

その番組では日本がインドを支援したことが紹介されていました。シンガポール陥落を経験したイギリス人が「負けることがあんなに惨めなものだとは思わなかった」と証言も。ちょっとざまあwwと思った私は程度が低い?(苦笑)。その後、インドのお年よりが出てきて、「我々はずっとイギリスのために戦ってきたから、母国インドのために戦えることが本当に嬉しく、喜んで日本に協力した」と証言していました。

とりとめもない話ですみません。

おさよ

知りませんでした。。。
今回のお話、全く知りませんでした。反省(>_<)
お恥ずかしい・・・
これからもっと勉強します。

愛信

【日米関係の危機】
軍事評論家=佐藤守のブログ日記
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20091020/1256005585

ゲーツ米国防長官が、多忙な中20~21日の間来日する。いわずと知れ
た日米間の“とげ”になっている「普天間基地移設」「インド洋給油
撤退」問題などの協議のためである。“史上最低”といわれる防衛大
臣と会談した長官は、おそらく失望して帰ることになるのだろうが、
岡田外相、鳩山首相と協議してどんな感触を得るのか、これまた希望
が持てないから、日米関係は最悪の状態になる予感がする。

たぬきち

bb さん
27日の待ち合わせ場所・時間については、ねずきちさんと連絡が取れてから皆様にお知らせ致します。

戦記マニアさんのご意見
戦史を知る立場として、賛同いたします。

作戦開始前の、ビルマ方面軍における研究会においても、当時大本営参謀だった「竹田少佐の宮」などから、兵站に対する不安から反対されていますね。

しかも、作戦期間中に、第15軍を構成する3個師団全ての師団長が更迭されるなど。

作戦遂行と言う意味では、メチャクチャとしか言いようがありません。

しかし、インド国民軍をインドに入れると言う大儀から観ると、その意味も少し違ってくるのでは????

とは言え、軍の作戦と言う意味では、零点どころかマイナス点でしかないでしょう。

scarlett

ワクワクしながら、読みました
チャンドラボーズの事は以前から知っていて、興味がありました。
でも、これほど詳しくはなかったので、嬉しいです。
詳しく知ることが出来て・・・。有り難う御座います。

そうそう、ボーズと言えばもう一人ボーズがいましたよね?
チャンドラボースより先に日本にきていたビハーリボースです
彼は本場のカレーを中村屋の創業者である義父に伝授したことから、中村屋のボースといわれるようになったわけですが、妻は若くして亡くなり、妻との間にもうけた子供も1945年、沖縄戦で戦死したそうです。

日本ではカレーライスと言うけど、中村屋のカレーはカリーライスと言います。
以前、中村屋にいって食しましたが、ひと味違う感じがします。

ジャギ様

敗者を悼む国民性
 その国民の懐の深さを表す指標として、「義のために闘うも、志なかばで惜敗し、残酷な死を避け得なかった悲劇の勇者」を哀悼する精神を有するか否かで判断できると思います。

 先日のスパルタの勇者、日本軍の特攻・玉砕、この勇者たちは自身の死の運命を自覚しながら、正面から立ち向かいます。
 結果はハッピーエンドでも栄光の勝利でもありません。
 しかし、彼らに連なる国民は彼らの生き様と勇気を、こよなく愛し物語として語り継いでいくのです。
 特アの観念肥大症国家は、このような伝統を喪失して、総合的な人間理解でも、ある種の感情の受容体ができないまま大人になったような、歪さと酷薄さを感じます。
 チャンドラ・ボースを愛するインドにあって、特アに無い価値観とは何かを考えさせられる好例ですね。

 新型インフルエンザが、人獣交換で偶然生まれたものか、人工的に創られたものかは定かでありませんが、インフルエンザは、もともと免疫系が働きにくい部位で増殖するため、ワクチンの有効性に疑問がありました。(呼吸器に直接接種するなどの研究もすすんでいます。)
 ウイルス株は細かく分類すると380種類くらいになり、通常のワクチンには流行が予想される3株が混合されています。(文字通り八卦観の世界ですが、一部の免疫の無い人に対する危機管理上どうしても香港A株は外せないようです。)
 ちなみに私も、インフルエンザのワクチンは30年くらい接種していませんが、感染症と人との関係は、感染する機会と各人のツボにはまるかどうかと理解しています、15歳で耳下腺炎(おたふく風邪)を患った時は死ぬかと思いました。

かぐやひめ

以蔵さま
まる一日待ったけれど、お返事がないので、引きあげちゃいました。お返事の無いのが、お返事だと思ったです。

あそこに書いたのは、こうです。
貴方の人としての素直さと清潔さ、研究熱心さ、そして若さをください・・・です。

あなたは、とても、真面目に真剣にものを考えられる方だと思います。だから、そう簡単にはお返事をもらえないだろうとは思っていました。

でも、いい返事でなくても、お返事をありがとうございました。
いつも、コメント拝見しています。

今後とも、よろしくお願い申し上げます。

以蔵

かぐやひめ様へ
午前中、かぐやひめ様から指名があり早めに御返事をしようと思っていたのですが、私用で遅くなりました。

寝ぼけ眼で読ませていただいたので、確認のために先程、もう一度読ませて頂いたのですが「指名」の部分が消されていたので返答をするかどうか悩みましたが、返答させて頂きます。


簡潔にお答えすると「今回は…」というのが本音です。

理由としては…

1「立食パーティー」なのか「単なる居酒屋での飲み会」なのかを見極めたいというのがあります。

日常生活の中「政治、教育、文化、歴史等々」に話が及んだ際に「左翼、売国奴の嘘や欲を隠す為の美辞麗句」に「日本人としての正論」で反論を出来るだけの「情報交換、蓄積、共有」がされる議論がされているのか?を…。

ねずきちさんのブログに辿り着く読者の多くは、実社会でもブログ内においても「サイレントマジョリティー」であり「現在の日本に疑問を抱きながらも、右へ左へ揺れ動く存在」です。

「彼等」が「常連の方」のやり取りの中で「知識を得る」ことは両者にとって有意義なコトだと思います。

それは、彼等が「デモ」等に対して「無意識な抵抗感を覚える無気力な日本人」でもあるからです。

彼等と「どう向き合い、受け入れる」のかも含め見極めたい…。
以前、炎上のきっかけになるような「発言の真意」も、そこにあります。


2私的な理由
今現在、学生時代に遭った交通事故が原因で脳の病を患っており「治療」と後遺症補償の為の「裁判準備」で来年春過ぎまでは多忙であり、御期待に添える状態にはありません。


3「日心会」の活動
日心会の活動状況や内容の詳細を知りたいというのがあります。その中で何が出来るのか?何をすべきなのか?を考え行動したいのです。それは、他の方々の中にもいると思います。

以上が理由になります。

椿

すみませんが…。

英雄さん、ねずきちさん、

>あそこの 「 真の歴史 」 を見て下さい <

すみません、これはどこにあるのでしょうか?
私もコンピューターには疎いので、ちょっとどこを開ければ良いのか、分からないんです…。とても見たいのですけど…。

>メアド、「管理者にだけ表示を許可する」で、よろしく<

これはどうすればいいんでしょうか?

すみません、お時間がある時に教えて下さればと思いますので、よろしくお願いいたします。m(__)m。
 
  

あ、それから、さすがは、ねずきちさんですね。私が情報ソースを示すまでもなく、『インド国民軍の将兵全員無罪』のお話をやはりご存じだったのですね。凄いです!!

>インド独立運動家のマハンドラ・プラタップ氏は
「日本に対してこそ賠償を払うべき」という「逆賠償論」を主張した。<

私は、この方のお名前を決して忘れません。できる限り、今日のトピックスを拡散しておきます。

他国の方がここまで仰って下さっているのに、シナ・朝鮮・米の影に怯え、平気で祖先を罵倒し、貶める国会議員たちは、「地獄に行く」こと、間違いなしですね。
 



bb

みなさん、こんばんは。
かぐやひめさん、英雄さん

馬鹿は風邪ひかないって本当で、私は風邪にはめっぽう強い。今ちょっと咳が出るけどいったて元気。インフルエンザワクチンは一度も受けたことがないんです。でもこれは個人的な感想で、根拠はありません。

あきちゃさん

本当にお久しぶりです。なつかしい~

たぬきちさん

27日私も行きます。日心会で待ち合わせ場所とか決める予定ありますか?と言うか決めてくれると嬉しいのですが。日比谷公園ですよね、広いしその前の段階「有楽町で逢いましょう」(古!)にするか・・・こうなると目印欲しいね。女性はさくらちゃん、男性はねずきちくんがプリントされたTシャツとか・・・

足の裏に魚の目飼ってるのですが、魚の目はもうすぐ退治できるので、歩くのも平気だし。仲間で行きたいです。

たぬきちさん、よろしく!

かぐやひめさん、再び。

10月27日は主人の誕生日。前夜祭で了解取りました。

英雄

No title
http://cocorofeel.exblog.jp/8890388


とあわせて拡散してくでさい

英雄

No title

英雄

No title
かぐちゃん

このあいだのもねhttp://satehate.exblog.jp/12650505/

かぐやひめ

10月27日
中川昭一さんの弔い合戦のような、今度のデモは、吉田松陰のご命日なんだそうですね。

そのつもりで、企画したわけではなかったのに、偶然、その日にあたったとか・・・

なんか、いろんな力が応援してくれているような気がしますね。

かぐやひめ

英雄さんプリントアウトしました。
なるほど・・・ウイルスの大きさが10倍も違う?だから、あの気持ちの悪いぶくぶく泡立ったような写真がとれるのですね。

それと、ワクチンでは予防できない?それで、「軽く経過するようにワクチンを!罹らないことはない。」とテレビで言っているのですね。罹るんだ・・・

ありがとう、このプリントを送ってやります。

英雄

No title

英雄

No title
いくさもたけなわ

日本人の戦友を助けよう

我らは友軍

市役所に行きワクチンに反対を

かぐやひめ

ひでおさん ほんと寒くなったです
戦局・・・悪いか・・・やっぱり。

でも、テレビでは、さかんに「子供手当?」に、地方自治体のお金を入れろとはなにごと!と、大阪府知事が噛みついたり、ダムのことも、ポッポのなんでもかんでも先送りのと、評判悪くなってきてるけど・・・

少なくとも、我が家では「ぽっぽは無能」という評判が定着したよ。

かぐやひめ

ワクチン
私は、実は、子供たちにはインフルエンザのワクチンは打たせたことが、ありません。

うちの子が赤ちゃんの時、近くの小学校で「インフルエンザワクチン」を打った小学校1年生の男の子が卒倒して、全身マヒになり、その後、リハビリをしているが、どこまで治るのか・・・という話を聞き・・・あまり、恐かったので、学校で、ワクチンの申し込みがあるごと、断りました。

幼時に一度だけ、一家でインフルエンザになりましたが、その後一度もかかりません。

全身マヒは、たぶん「ギランバレー症候群」だと思います。

新型も旧型も危険度は変わらないように思えるので、私は、いつもどおり打ちませんが・・・他人に言うと、ぜったい「変な人」だと思われますよね・・・
ほかならぬ英雄さんのおっしゃることだから・・・ジレンマです。

英雄

No title
かぐちゃんこんち

戦後の64年の 戦争も

戦局も旗色悪いから  寒いね

   

英雄

No title
皆さん。ワクチンを打って日本人を3000万人に減らそうとしてます。
市役所、保健所に行きワクチンに反対しよう。

日本人を守ろう。

世界政府の手先、民主党 鳩山

今はインパールと同じです

かぐやひめ

あきちゃさん
あきちゃさん。
探していました。ずーっと。
あの時の失礼を許して下さい。

10月27日のデモには、行かれるのですか?

もし、行かれるのなら、ねずきちさんに直接メールして、連絡先を聞いてくださいませんか。
nezu621@yahoo.co.jp

いっしょに歩きましょうと「たぬきちさん」からの伝言です。

縄文人

開戦の理由はいまだ不明です
>deletedさま
>1941年12月に対英米開戦したのは、アジア解放のためだったのですか。

私なりに回答をしてみたいと思います(実に大事なことですから)。
日本が対米戦争に踏み切った理由は一言では言えないものがあると思います。
当時外務省は完全に親独派一色であったようです。したがって外務省は戦線拡張派であったことは間違いないと思います。軍部の一部は親独派であったかもしれませんが、全体的に見ると必ずしも親独ではなかったと思います。ただ日本の軍部はどうしても「ヤンキー気質」が理解できなかったらしく、ソビエト軍よりも弱い(?)というアメリカ軍を侮った雰囲気があったのは事実のようです。
ABCD包囲陣によって石油を止められたために開戦したとも言われていますが、本当のところはわかりません。
日中戦争が長期化した原因として、蒋介石軍に対するアメリカの膨大な援助があります。これが戦争長期化の最大の理由です。ベトナム戦争でアメリカが敗北した原因はソビエトの北ベトナムに対する援助です。それと同じ理屈です。
私自身は、日米開戦の最大の理由は、ABCD包囲網による石油供給の途絶ではなく、このアメリカの中華民国軍に対する援助だと思っています。
戦争の終結が遅れた最大の理由は、アメリカが戦争終結を望まなかったからだと思います。日本を完全に破壊するまで、戦争を止めたくなかったのです。
1945年に日本が降伏した理由については、昭和天皇の「終戦の詔」を読めば解ります。是非、読んで下さい。ネットで簡単に手に入ります。

surnviers

知りませんでした・・・
無知にして、チャンドラ・ボース氏は知りませんでした。
恥ずかしい。
勉強足りなさすぎですね。

インパール作戦は何であんな無謀な事をしたのかと思ったらそんな裏事情があったんですね。
白骨街道はうっすら覚えております。
ワシにはとても真似できません。
昔の日本人は凄い、と言ってもたった60年前の話しですが・・・

bb

猪さま
残念ながら、私はもう若くありません。でも孫達に希望を託すと同時に、世直しにも励みます。

BBさん
そうですね。何でも区切り、力の入れる場所、文字の意味も含めて「心」がしっかりしていないと上手・下手は別として文字の「心」が伝えられません。
特に今はネットの時代「習字」自体が無駄の様な事と考えている人が多いのが残念です。教育の基本は我慢・ソロバン・習字からですね。
若い方がそのように感じておられる事は本当に心強く感じます。

戦記マニア

インパール作戦について
おじゃまします。
ねずきち様のおっしゃることはほとんど賛同できますが、インパール作戦に関しては自分はまったく反対です。
あの作戦は成功していれば援蒋ルートを遮断できますが成功の見込みはきわめて低かったのです。これは当時の方面軍や大本営の参謀たちも「無理な作戦だった」と証言しています。まず補給を完全に無視していること、「ジンギスカン作戦」などといって牛を大量に連れていったが、行程の半分もいかぬ間に牛はすべて死んでしまった。さらに牟田口中将の稚拙な作戦指導により多くの兵士が餓死・病死してしまった。戦争だから弾にあたって死ぬのはしかたがないが、軍上層部の初歩的なミスによりこんな死に方をしたのでは死んでも死に切れないでしょう。
日本軍はすべて正しいのではなく、失敗や負の部分は素直にみとめて「同じ失敗を繰り返さない」ことが肝心でしょう。
長々とすみません。

TTM

愚問愚答。
「もし・なぜ」のdeletedさん。

なぜ、deleted(削除?)なのですか?
なぜ、あなたは、今ここに存在しているのですか?/存在できているのですか?
なぜ、あなたは2009年10月21日(水)09:35に、ねず機知ブログに書き込みをしているのですか?
もし、この書き込みをしていなかったら、あなたは「思考停止野郎」と呼ばれずに済んだのですか?

羅列された誠意のない質問を、日本では愚問といいます。
(「愚問」・・・“まともに答えるに値しない”ばかげた質問。)

蛇足:
大東亜戦争は、日本の自衛戦でありアジア解放の戦いであった、しかしその意に反して?世界的規模での植民地の独立を結果した。
あのイギリスの歴史家トゥインビーでさえ、有色人種日本の戦いが、世界的な植民地独立を誘発したと記述しています。

友愛的追伸:
あきちゃさん、お久しぶり!うれしいです。

あきちゃ

つД`)・゚・。・゚゚・*:.。
ねずきちさん、本日もよい記事をありがとうございます。

日本軍の行為を読むと涙せずにはいられません。
偉大な先人達に誇りをもつと同時に、日本の現在や
自分の不甲斐なさに申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

現政権は親日国にそっぽを向き、反日国にすり寄っていきます。
いくら素晴らしき日本に好意をもっている国であっても、
肝心の日本が数々の進言にも耳を貸さずにどんどん
衰退・改悪していくようでは、好意が悪意に変わっても
不思議ではありません。

恐ろしい長きにわたる洗脳を振り払い、真の愛国に目覚めた人々で集結して反日勢力に鉄槌を!!!


>deletedさん
何の目的の書き込みですか?
そういう質問をするなら少なくとも本ブログの過去記事を
しっかり読まれてはいかがですか。
荒らし目的の書き込みにしか見えませんよ

プク

No title
>もし、その時点でベルリンにソ連軍がせまっていたら、あるいは逆に平和で、仏蘭がドイツが占領されていなければ、どうなっていたのですか。
勝手な妄想、貴様のどたまでまず考えて言って見ろ!
 お前を思考停止野郎というんじゃ。
 

bb

ねずきちさん、こんにちは。
インド、インドネシア、マレーシア・・・(30年前のアフガニスタンも)親日国家は特ア以外にたくさんありますよね。皆さんおっしゃるように現状は見るに耐えないものです。福沢翁の脱亜論、正論でした、今更ですが。

猪さま

同感です。ひと様のことは言えませんが、それにしても福島はじめ、ひどい字を書きますね。下手とかいうレベルではなく、なんでしょう、ひどく違和感がある。

以前、細田前幹事長の字をTVで拝見しました。基本のしっかりした毛筆でした。さらに彼の心根までわかる、美しい字でした。橋本内閣で新しい省庁が出来たとき、各大臣が書いた看板の文字もいただけませんね。扇元大臣の「国土交通省」久間さんの「防衛省」も。

個人の好みですが、最高裁判所の文字が好きです。

台湾に行ったとき、墨痕鮮やかな文字に触れ、情けなくなったのを覚えています。

教育を根本からやり直さなければ、始まらない!そう思います。

プク

歴史御杖代
>自民党は左翼政権だった
自民党は似非保守のサヨク政権だったと思います。戦後が下部構造も上部構造もすべてサヨクであったと思います。ただ、自民党内の細い保守勢力と市井の中に離れ小島のように保守が息づいていただけです。既にすべてがお手軽のサヨクだったのです。

大東亜会議
大東亜会議にも出席されていたと思います?当時はインドはチャンドラ・ポーズ氏と思うておりました、戦後の混乱期でも将来はインド大使に成るんだと考えていたのを思い出します。何故だか?自分でも判らない。

本当に近代社会の先鞭をつけたのは日本です。オバマ大統領も日本の自衛戦争の結果生まれたものと考えてもオーバーな話では無い事は歴史をたどればすぐ判るのですが、日本の教育界・マスコミ界はそれを恐れ、その教育を受けた、マスコミにたぶらかされた軽薄な連中が政治を司る。最悪の時期が現在です。

現在の多くの政治家には「芯」が有りません、彼らのサインを見るだけで同じ漢字国の中共の政治家が見れば完全にバカにされるような字を臆面もなく書いている。
その文字には「力」も「美」もない、本当に哀れな文字を大臣が書く、これが現在の日本です。

まつ星

日本の独立戦争
マレーシアでは、1957年8月31日独立宣言がなされました。そのときの戦いは、共産勢力との戦いで、当時タイ国境に閉じ込めた彼らは、今でも隔離され出られないのだ、とききました。
(共産勢力が勝っていたら反対派の指導者は隔離じゃなくて、虐殺かと)
その共産主義者達が、日本の政権をとったようなものではないでしょうか。本来なら隔離すべき人たちに、日本を任せてしまったこと。これは恐ろしい敗北です。
インドやマレーシアでは独立して何十年と経つというのに、日本はまだまだこれからなのです。
日本の独立戦争に勝利を。

-

No title
李明博になり日本攻略は韓国政府の総意だと明確になってきました。
日本国内の売国協力者たちも、民主政権誕生と共に闇ではなく表舞台に登場し、非常に解り易くなりました。
闇は特亜だった・・!

ネバーエンディングストーリーのように、迫って来る闇が正体不明の時は、ただ不気味でした。
闇の手先として動いていたマスコミには、多くの日本人が「最近のマスコミが変」と不信を抱いています。
闇の正体が判明した今、全国民に何としても事実を周知徹底させる事が急務です!

かぐやひめ

戦後の戦争
戦後間もなくは、進駐軍がいたので、露骨な扱いを受けていたようです。
でも、本当に日本が戦後の戦争に直面したのは1970年以降だと思います。

ミニスカートが流行り「日本人の脚にはあわない」と言われながら、フアッションはどんどん西欧化されて行きました。
男の子も女の子も、こぞって金髪にしたのは1990年ごろだったと思います。

歴史教科書が日本軍を悪者にし、子供たちに「日本は悪い国だった」と、強烈な洗脳をしたころ、「自分は日本人であるのが嫌だ」と、中学生たちは言いました。
日本人の誇りである黒髪を西洋人色に染めようとしたのは、フアッションではなく「日本を嫌う」証拠ではないかと思ったのです。

はじめは、アメリカの占領。
実は、そのとき、仕組まれたのは「共産革命」という、反対側のカラーだったと、私は考えています。

戦前「アカ」として弾圧された左翼は、日本の敗戦と同時に解放され、国家破壊のために動き始めました。
背後に占領軍の意図があったと私は思います。
つまり、分割して統治せよ・・です。

経済戦争には、日本は良く戦ったと思います。
仕組まれたオイルショックにも、円高不況にも、よく戦いました。
けれど、直接日本の国体を狙い撃ちした「左翼による子供たちへの洗脳」は、心底痛かった。

親たちは、自分の子供がどういう毒を注がれたか、たぶん、まだ、ご存じなくて、わけのわからない親子対立を続けているケースも多いと想像します。

現在アラーサーと言われる年代が、一番、ひどい自虐史観を植え付けられています。

この後、日本の子供たちの学力は、どんどん落ちて行きますが、単にゆとり教育の弊害だけではなく、「自虐的な日本人の美意識に反する教育に対して、子供たちが生き生きとした向学心をもてなかった」ことが、一番大きいと思います。

そして、この陰には「特亜への謝罪外交」があり、それは、本気の謝罪ではなく「ODAをもっと、もっとたくさん日本から中国へ出させるための仕組み」であり、なんのためにたくさん出させるのかと言うと、日本のゼネコンが儲け、口利きの議員の懐に高額のキックバックがもどるため・・・

国の重責にある議員たちがそっせんして裏切る国を、子供たちに愛せよと言えますか?

私は、自分の油断を、誰に向かってどう詫びればいいのか、分かりません。
だから、死ぬまで「日本の心をつたえる」仕事をしていきます。せめてもの、贖罪に・・・

あ太郎

左翼との戦い
「日本が負けたのは、戦後の戦争である」と右翼論壇の雄、西尾幹二氏は言っておられる。

左翼に負けたのだ。左翼のプロパガンダと言葉狩りに負けたのだ。その終着が先の総選挙である。

政治家が自信を失ったのだ。

ところで、日本水泳連盟が選手の茶髪禁止令を出した。朗報だ。

元々黒髪の日本人が茶色く染めること自体、日本を貶めることに違いない、と思う。

茶髪は、西洋人の髪の毛の色である。そんなに西洋人に似せたいのだろうか。どうあがいても西洋人にはなれまい。

ミュンヘンやウィーンで時折見る茶髪の日本人観光客らを見ると、心底情けなくなる。周囲と全く同調していないのだ。

特に日本女だ。

何だろう、あの髪の毛。周囲の西洋女と全く色が違う。
西洋女の茶髪は、太陽光線に当たると光り輝くのである。

黄土色の肌に、泥を塗ったような光沢の無いボサボサの茶髪。
そして根本的な体型の違い。
例にとって見てみよう。

全く性欲をそそることのない幼児体型。
巨頭・巨顔。
くびれの無い胴体。
低い腰位置。
足は短い上にクネクネ曲がっている。
そろえた足の間から、向こう側の風景が見えるのだ。

西洋女と比較して、ざっと数えただけでもこれだけの身体的相違があるのだ。 にもかかわらず、髪の毛を茶色く染めて、西洋女に似せたい・・・・・・この精神状態をどう表現すればいいのか。 このような精神性の国民をなんと呼べばいいのか。

もって生まれた自分の体をあえて毀損しているのである。自分に自信が持てないのである。
メディアに洗脳されているからと言ってしまえば、それまでであるが。

ここにも戦後の戦争の敗北を見るのである。

かぐやひめ

インドは独立出来た、日本は?
チャンドラ・ボースの名前だけは知っていました。
ネール首相や、ガンジーほど印象深くなかったのは、早くに亡くなったからですね。48歳。

命をかけても惜しくはないー彼の胸に燃えていた炎は、命がけの炎だった。

そして、彼は、短く散ったから人々の胸に長く残った。

中川昭一さん。56歳。

いつの日か真っ正面に彼の写真を飾りましょうね。
日本の独立を勝ちとったら。

英雄

No title
椿さん

あそこの 「 真の歴史 」 を見て下さい

方程式は 私は電磁気学やったから 調べたら あってたよ
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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