東大総長を三度勤めた男・・・山川健次郎



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山川健次郎
山川健次郎


東大総長が、自衛隊に押しかけてきて「自分を一兵卒として給油支援に従軍させろ」言ってた・・・

実際には、陸軍に押し掛けてきて「日露戦争に一兵卒として従軍させろ」という話です。実話です。
そんな事件が、実際に日露戦争のときにありました。

押しかけて来た東大総長は、山川健次郎(1854~1931)氏です。
地位も名誉も関係ない。お国のために一命を捧げる。それだけの心で押しかけた。そんな山川健次郎に、陸軍の人事担当者は困りはてたといいます。・

山川健次郎は、以前このブログで紹介した大山巌の妻、捨松の実兄にあたります。

彼は会津藩家老山川尚江の三男で、会津白虎隊の生き残りでもある。

会津若松城の籠城戦のとき、山川健次郎は数え年15歳(満14歳)でした。

白虎隊は、15歳から18歳までの少年たちで編成されました。
しかし、後に会津藩は健次郎少年を含む15歳の年少組を訓練から外した。15歳の少年に、鉄砲はあまりにも重過ぎたからです。

慶応4(1868)年8月22日、官軍によって国境の母成峠が破られます。

健次郎の親友の家では、母、祖母、兄嫁、姉、妹の5人が、互いの首を刺して命を絶ちます。
他の家でも、母や妻ら女性たち全員が、研で喉を突いて絶命した。

歳をとった父母や妻子を刺して、城内に籠った武士も少なくなかった。
会津若松城下での戦いが始まる前、すでに城内は地獄絵図となっていたのです。

生きて戦う武士たちを従えて、松平容保は滝沢峠に出陣します。

このとき、健次郎ら年少組も白虎隊士として滝沢口まで行きました。
ここで健次郎ら年少組は待機となる。健次郎はここで、白虎隊士中二番隊と別れを告げます。

白虎隊士中二番隊の少年たちは、滝沢村の激戦の後、城に戻る途中の飯守山で、城が黒煙を上げているのを見ます。

城が落ちた。もはやこれまでと、少年たちは互いに向かい合って剣で喉を突きさした。
20人中19名がその場で絶命します。

一人だけがたまたま通りがかった老婆に助けられます。
このとき、城はまだ落ちていなかった。少年たちは思い違いで自決の道を選んでいます。

この報が場内に伝わったとき、城内の者は皆、絶句した。
死んだ少年たちは、健次郎の親友であり、兄と慕った先輩たちです。

一緒に学問を学び、一緒に武道の修練にいそしみ、一緒に汗を流した。

健次郎は、死んでいったひとりひとりの顔を思い浮かべて号泣したといいます。
健次郎は、会津の悲劇を心に刻み、一生忘れまいと誓った。

戦いに敗れた会津藩は、下北半島に移封になります。
このとき、会津藩士秋月悌次郎が、長州藩の参謀奥平謙輔に会い、会津の少年2名を書生に使ってほしいと頼み込みます。会津の再建を次の世代に託すしかないと思ったのです。

明治4(1871)年、健次郎は北海道開拓使次官黒田清隆の引率で、汽船「じゃぱん号」に乗って渡米します。

この途中、健次郎はおどろくべき体験をする。
船内の張り紙にこう書いてあった。
「明日朝、本船は日本に向かって公開する太平洋郵便会社の船に出会うので、日本に手紙を出したい者は用意するように」

場所は太平洋のド真ん中です。そんなばかな話があるわけないと思っていたら、ほんとうに翌朝、ふたつの船が出会い、郵便を交換した。
健次郎は西洋の科学技術の凄味を実感します。

一行はサンフランシスコに到着したあと、列車で大陸を横断した。
見たこともない、煙を吐く巨大な機関車に、またもや健次郎は仰天します。

会津藩は漢学による道徳教育に偏り過ぎていた。科学技術を軽視したために自分たちは負けたのだ。そう考えた健次郎は、お国のために、アメリカの科学技術を徹底的に学ぼうと決意します。

健次郎は、名門エール大学への進学を目指します。
しかしそのためには、米国人と同等以上の語学力、会話力、読解力、知識が必要です。
健次郎は、決断します。「日本人のいないところに行こう」

彼は、エール大学から北に45キロほどにあるノールリッチという人口1万人の小さな町で下宿します。そして不眠不休で猛勉強した。

このとき健次郎は、辛くなると会津を思い浮かべたそうです。
自分は、会津の人々の期待を一身に担って渡米した。死んでいった仲間たちのためにも、これからの会津の人々のためにも、自分がここでくじけるわけにいかない。

このとき会津藩は、下北半島と岩手県の県境あたりに移封になっていた。
極寒の地で、土地はやせ、米もとれずない。男たちは戊辰戦争で死に、多くは未亡人と子供たち、そして老夫婦しかいない。飢えと寒さで、老人や子供たちを先頭に、藩士やその家族が次々と死んでいった。そしてそこに健次郎の家族もいた。

健次郎は手紙でそれを知ったとき、声を出して泣いたそうです。
会津の人々の苦境を思ったら、絶対に自分は負けたり逃げたりするわけにいかなかった。

そうして健次郎は、ようやく念願のエール大学に合格します。
健次郎は、アメリカとの国力の差は日本人の科学軽視にある感じ、進んで物理学を専攻にします。

ところが大学生活をはじめたのも束の間、日本国内では財政が逼迫。国庫が破産の危機に見舞われます。各藩が競って送りだした留学生への国費支出があまりにも高額に上るとの問題が浮上した。健次郎にも帰国命令が出されます。

このとき彼は、あと一年半で卒業というところだった。健次郎は帰朝命令を敢然と無視しようとします。しかし経済的な問題は避けて通れない。
このとき、健次郎の友人ロバート・モリスの伯母であるハルドマン夫人が学資援助を申し出てくれます。
ただし、条件ひとつある、という。
「あなたが大学を卒業し帰国したら、専心国のために尽すこと」

健次郎は終生、ボ一ルドバン夫人の写真を居室に飾っていたそうです。

4年半の留学を終え、21歳になったばかりの健次郎は、エール大学で物理学の学位を取得し帰国の途につきます。エール大学は3年の最短期間で卒業した。健次郎の努力がしのばれます。

そして彼の卒業は、彼自身の努力であるとともに、かっての敵である奥平、黒田、そしてアメリカの人達、会津の多くの人に支えられての卒業であった。

帰国した健次郎は、東京大学の前身である東京開成学校の教授補に就職します。
そして明治12年、彼は、日本人として最初の物理学教授となった。

明治19(1886)年、帝国大学令が発布され、東京大学は東京帝国大学と名前を変えます。
東京帝国大学は、文科、理科、医科、工科、法科の5つの単科大学で構成された。
そして健次郎は、明治26年、40歳の若さで理科大学長に就任します。

彼の教授時代の逸話があります。
彼は、何かひとつ成果がでると、その成果を惜しげもなく弟子たちに譲った。
そのため、いつのまにか弟子のほうが有名になることさえあった。
しかし健次郎は、そのことをいつも喜んでくれていたといいます。

彼の弟子には、田中館愛橘、長岡半太郎などの物理学者、そしてその弟子にはノーベル賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎などがいます。

そして明治34(1901)年、健次郎は48歳で東京帝国大学総長に就任します。
朝敵となったの会津藩からの最高学府の総長就任はまさに異例のことでした。
旧会津藩の関係者たちは、健次郎の就任に涙を流して喜んでくれたといいます。

日露戦争のあと、東京帝国大学の教授処分をめぐって、文部省と帝大が衝突するという事件が起こりました。七博士事件です。東京帝大教授戸水寛水をリ一ダーとする七博士が、時の宰相桂太郎に、対露即時開戦論を建議し、奉天戦後には、ロシアに対してバイカル湖以東の割譲を要求しろと主張したのです。

当時のメディアは、戸水教授らをバイカル博士とほめ上げ喝采したけれど、実際にはこのとき日本軍は疲弊しきっており、戦闘を継続するだけの余力は残っていなかった。外務省は、文部省を通じて東大に7教授の処分を求めます。

このとき総長であった健次郎は、戸水教授らの意見に必ずしも賛成ではなかったけれど、学問の自由を守るため、城を大学に、刀を信念に置き替えて勇敢に戦った。文部省を相手に一歩も引かなかった。そして事件解決後、すべての責任をとって辞任を申し出ます。

時代の冷静さを取り戻していた世論も、ようやく対露強硬論の無理を理解していたけれど、教授、学生などは、東大の全学をあげて、健次郎を慰留した。
総長としての健次郎の勇気ある行動に、誰もが共感したのです。

健次郎は、51歳で貴族院議員となり、52歳で東京帝国大学総長を辞任します。
そして58歳で九州帝国大学初代総長、60歳で再び東京帝国大学総長に就任します。
このときも、九州帝大の学生たちが総立ちになって健次郎の慰留をした。

彼が信望を集めたのは、彼の教育への情熱ばかりではなく、彼の持つ厳しさ、清貧、学生たちへのやさしさにあった。
健次郎の娘は、彼を評して「それは厳しく、神にも等しい人でした」と語っています。

健次郎は、その後61歳で京都帝国大学総長を兼任、62歳の大正4(1915)年男爵となり、昭和6(1931)年6月、恩師である長州の奥平謙輔の書が飾ってある自宅で、永眠します。享年77歳。

ひとりの人間の成長には、多くの人の支えと、歴史があります。
人はひとりで生きているわけではない。それぞれの家や郷土、故国の歴史の中に生き、友や仲間に支えられて生きている。
そしてそういう自覚こそが人を育てるのだと、山川健次郎氏の生涯は、私たちに教えてくれているような気がします。

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愛しき日々


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コメント

ジャギ様

No title
 先立ての柴五郎氏も会津出身だったような、福島県は日本の近現代史の隠れた人材の宝庫なのですね。
 福島県民の反骨精神は、白虎隊の伝統と悲劇を糧としていると同僚の県民から聞いたことがあります。
 明治政府の世でも「難治の民」たらんとする気概のせいか、市町村の「地名総覧」の厚さは異常です。(人口密度から考えて、何もここまで細かく地名を分類しなくてもと思います)

 PCの時代になり、各国に割り振られている文字のユニコードの制約上、地名の漢字、人名の漢字、専門用語の漢字、文語体表現の漢字などはかなり減らされています。
 私は歴史の連続性を保つ意味でも、地名の制限に反対で古地名・難読地名は、目先の効率性を度外視しても大切に保存すべきと考えます。

かぐやひめ

Keito さま 
でも、暗さとか陰惨さではなく、強さです。感じたのは強い念い。

そして、こういう場所が日本にある限り、日本は大丈夫だと、思ったのです。
私は会津が好きです。

Keito

かぐやひめさまへ
かぐやひめさん こんばんは

同じ場所で同じように感じたという事は、何かあるんでしょうね。どこの史跡に行っても必ず同様な思いをするというものではありませんから。

私の特に印象に残っているものでは下関の関門海峡「壇ノ浦」です。いつもどこかから風が吹いている街で、驚く程狭い海峡でした。赤間神宮にある耳なし芳一の像の前を通る時は怖かったです。体中に水を浴びたみたいな冷たさで。怖くて見られないので足早に過ぎました。後で友人に聞いたら何も特別な事はなかったと言っておりました。いつも何も感じない人なのでそうだろうなとは思いましたが、かえってうらやましいです。

愛信

「鳩山政権は東アジアの安保を浸食」米元高官
沖縄駐留米軍が東アジアにおける唯一の常駐海兵隊として、日本だけでなく
韓国や台湾を守る機能や、人道作戦を実施する能力を保つことも指摘した。

詳細は
http://www.aixin.jp/AJI17.htm
【今が旬、愛信情報】
【4.経済・政治】ーー>1.経済・政治 をカッチとね

第一義

大振れ

かぐやひめ

私も会津が大好きです
子供が成長して、そろそろ旅行にでも行こうかというとき、まっさきに会津に行きました。
Keitoさんのおっしゃる場所、分かる気がします。
なんともいえない濃い雰囲気がありました。
特別の場所だと感じました。

鹿児島県の桜島を望む公園でも、同じような感じを受けました。
国を守る最前線の緊張感です。
今は、戦国、あるいは幕末と言う見方に、同意いたします。

Keito

会津白虎隊
以前にも書きましたが、ずいぶん前に一人で会津旅行をしました。飯盛山から城下町を見通せる場所に立った時、霊的とも言い表せない体験をしました。

風とも意志とも思えぬ固まりが私の両側を次々と音を立てて通り抜けて行くのです。別に怖いとも感じませんでした。彼等がまだ居るんだと思いました。人の思いは残っているんだ、どれだけ時が過ぎても消える日は来ないんだと思いました。

ごめんなさいこんな話をして、怖がらせるつもりではありません^^;
「愛しき日々」はダメです。この言葉だけで胸が詰まってしまいます。更に会津とこの詞は重なり合い過ぎて、「急ぐいのち・・・」のところでまぶたが熱くなって後は滲んで見えなくなってしまいます。

今は戦国時代のようでもあり開国前のようでもあり、その中でこの日本にあるのは何と愛しき日々なんでしょう。

かぐやひめ

kororinさま
kororinさま、はじめまして

民主党支持が多いのは、ほとんどの人がマスコミを信じているからだと思います。
それと、大半の人には危機感がありません。
7月ごろ、ほとんどの人が「今度は民主党らしいな」とか「今度は民主党でしょ」と、他人に決めてもらっている様子でした。
マスコミ主権の日本だとしか言えません。

でも、私は「支持率」は信用していません。
なんらかのからくりがあると思います。

そして、そのインチキの数字でさらなる洗脳をしている。

しかし、この状態が長く続くとか、最後に勝つのはマスコミとは、思いません。
ふくちゃんとも「あと3年間」と話し合っています。
あと、3年でマスコミは崩壊します。

そのときにそなえて、体制を作っておけば、かなり効果的な仕事が出来るはずです。

かぐやひめ

他人の不幸は蜜の味
>バトルロイヤルになってコメント欄が荒れてた時って、実はランキングで上の方に居ましたよね。<

ふくちゃんのおっしゃるとうり、そういえば、たしかに・・・そうだったと思いだします。

他人の不幸は蜜の味がするという言葉を思い出したものです。

佐助さんが、おっしゃっているのは、かぐやひめのことですね。
今後も、いろいろご指導ください。

まつ星

8000億円!!
ねずきちさま
すぐにお返事ありがとうございました。
すごい金額ですね。前より少し自信をもって配れるようになったと思います。
27日の請願書を広めるのにも、この「日の丸のはなし」のチラシを同時に広めたりしてます。

TTM

こんばんは、佐助さん・hisaさん。
佐助さん。

子を持つ親としての気持ちは解かりますが・・・・チョッと極論のように思います。
情報提供に「片寄らない」書き込みの「多様性」が、魅力になり力になっていると、私は認識しています。
工作員云々は、いくらか過敏になるのも仕方がないのですよ、真剣だから守ります。
左方面のブログをのぞいて見てください、軒並みコメント欄なしかあっても検閲制です。
とは言え、当然、「多様性」も「工作員過敏」も行き過ぎはいけませんが。

hisaさん。

ご理解ありがとうございます。
ふくちゃんの次に「不規則発言」の多いTTMです。
ROM専などと言わず、カキコ仲間にご参加ください、是非・・・・あっ、もう参加していますね。






bb

たぬきちさん、こんばんは。
ありがとうございました。当日お逢いしましょう。

キムチ嫌い

未熟者ですが…
突然すみません。私も佐助さんのように感じてきた読者の一人です。ただ民主党政権になり、今までならそのような考えで良かったかもしれませんが「日本解体」を目前にして七転八倒しながら誰もが手探りで道を作ろうとしている状態にあると思います。ねずきちさんも発起人になられ会を立ち上げ、睡眠も取られずにいらっしゃると記されていました。コメント覧の変化は危機感の現れであり、日本を愛して止まない方々の何とか日本を守りたいという模索している声に思います。どんな会であっても発起人になられることは、並大抵ではないと思います…(涙)その身を奉じるということではないでしょうか。今の日本は、目覚めた人がそのような思いをしてまで守って行かなければいけない程の大変な状態にあると思います。ですから、自分はここのコメントの方々の声にいつも勇気をもらっています。未熟な者にもかかわらず、失礼致しました。

OOIDOYA

佐助様
  中学生のお子様には小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」「戦争論」。それからニコニコ動画の政治カテゴリーが良いと思います。
 日教組の反日教育というものは間違った歴史感を子供に植え付けますから、自然に反日左翼に育ちます。修学旅行に韓国土下座旅行をする高校も存在します。(前にもコメントしましたが広島の世羅高校です。)だから、若者が左翼になるのは仕方がないことなのです。
 しかしながら、工作員と一般学生の区別がつかず気が立ってしまうものも多数存在いたします。顔が見えない以上、どうしようもありません。
 これに懲りずに、お付き合いください。息子さんによろしくお伝えください。

ふく

佐助様
こんばんは。

一番叩かれていると思われる「ふく」でございます。

日心会に入会してMLに登録すれば個人に宛ててメッセージを送る事が出来ます。

そこで優しそうな人(笑)に質問するっていうのはどうでしょう。

もちろんここで聞いてもらっても良いと思います。

バトルロイヤルになってコメント欄が荒れてた時って、実はランキングで上の方に居ましたよね。

アレはアレで見応えがあって、宣伝になったのではないかと思ったり(笑

hisa

佐助さんへ
こんばんは、私も基本的にROMばかりで、コメントも控えてる身ですが、ちょっとだけ意見させて下さい。

このブログのスタンスは今のままで良いとおもいます。
日本の良さを広めたいと思ってる人が集う場所。素敵じゃないですか。常連さんたちのやり取りをみるだけで、日本の事を本気で好きな人達がいると思えてとても励みになります。本気だから意見の衝撃もあります。皆真剣だからです。


偏向教育を受けているご子息に日本の良さを教えたいとの事ですが、ぜひあなた自身が勉強してあなたの言葉で教えて上げて下さい。
質問を丸投げして誰かに回答してもらうのではなく、自分で調べて、自分自身が理解した上で教えた方がお子さんにとっても佐助さん自身にとっても良いと思いますよ。

常連の皆さんも、ここや他の保守系ブログをきっかけにして、自分で調べるという過程で、偏向教育の洗脳を破って来たのだと思います。


差し出がましい様でごめんなさい。
ぜひとも人の言葉てはなく、自分の言葉でご子息に日本の良さを教えてあげて下さいね。

佐助

はじめまして
ねずきちさん
こんにちは。
毎日、楽しみに見させていただいてます。
コメントをつけようと思うのですが、質問や私の考え方などを書いてしまうと、なんだか変な風に叩かれるのが怖くってコメントできないでおります。

私には中学生の息子がおります。

今の教育や間違った報道で、彼らは日本を間違って解釈しております。
この日本を背負ってたつのは彼らです。
だから私は正しい知識を彼に伝えたく、ねずきちさんのブログを読んでおります。
その子に読ませたときに、彼が疑問に思ったり、反対に逆に教育されていることなどをコメントで、質問したり、今の教育現状をお伝えしたいと思うのですが、
なかなか本文と関係の無い私的な事が書かれていたり、工作員だと言われ、拒否されたりしている事があり、なかなかコメントできません。


記事に対し、色んな考え方や読んでいる方の補足があったりするものをコメントで、何か書いてあるのかなって、思いながら拝見いたしますが最近は、どうも読む気持ちが失せてしまいます。

せっかく、良い内容を書いていらっしゃるのに残念です。

コメントの中には、ねずきちさんのブログなのに、ご自分のブログかというような、私的な長文も見受けられます。
呼びかけも、さもご自分のブログのように書かれておりました。

それを許可されている限り、読者は増えず繁栄は無いと思います。
私は、もっともっと多くの方に、本当の日本を知っていただきたいです。

生意気な事を申して、すみません。

楽しみにしている、一人の読者として残念に思い、思わずコメントいたしました。

乱文申し訳ございませんでした。

ねずきち

No title
みなさん、コメントありがとうございます。

まつ星さん、ご参考に、明治28(1896)年、の日露戦争当時の国家予算が、年額6億円です。いまの年間会計予算が80兆円ですから、16万倍です。
そうすると、当時の500万円は、いまの8000億円にあたります。

まつ星

tamagoさま
国旗の重み 靖国編~ブラジルからの手紙~
紹介くださってありがとうございます。
十代の子供達のこの心こもるお手紙を、日本の子供達にもそのまま伝えたい、大人達にも。(涙、涙です)

ねずきちさま、あるいはどなたか
教えてくださいますか。
明治時代にフランス政府が、日の丸を五百万円で売ってほしいと正式にいったということですが、今の価値で言うと
どれくらいになるのでしょうか。
先日も「日の丸のはなし」を配っていて、いくらくらいかな~って話になりました。、そのときは、五億くらいかななんてことになりましたが。
できれば正しい金額を書き込んで、次からは配りたいと思います。

kororin

日本国民は社会主義化、共産主義化を望んでいるのか。
 民主党支持率の高さにいつも唖然としている一人である。
一体日本国民は民主党をなぜ支持しているのか不思議でならぬ。
素直にとらえるなら、国民は日本の社会主義化、共産主義化を望んでいることになる。
共産主義国が大多数崩壊しているのを知りながらこの選択である。
中国はまだ共産主義国だが、それを保っているのは強権政治、自由の無い社会である。
さらに反対する者は有無を言わせず虐殺する国家である。
自国民さえ数千万人殺しても何とも思わぬ国である。
そんな社会、国を望んでいる日本人がこんなに多いとは。
馬鹿か、はたまた気が狂ってしまったのか、
マスコミの目くらましから目が覚めないのか。

tamago

No title
国旗の重み 靖国編~ブラジルからの手紙~
http://www.youtube.com/watch?v=8KGdvOE7hs8&feature=channel

あきちゃ

つД`)・゚・。・゚゚・*:.。
みなさん、お久しぶりです。
声をかけてくださりありがとうございます。

ねずきちさん、本日もよい記事をありがとうございます。
会社で読んでいてうるうるして途中で一旦中断して
時間をおいて続きを読みました^^;

こういった日本のいい話を広めていけるよう
微力ですががんばっていきたいと思います。

基準点

紹介:サラの日記
スレ違いですが、紹介させて下さい。

サラの日記
http://yai-s0820.cocolog-nifty.com/blog/

このブログは沖縄県石垣市に住む元市職員の女性のブログなのですが、この女性は現職市長から性的暴行を受けたことを告発しています。また、21年10月21日に警察に被害届を提出し受理されたことも報告されています。

医師でもある現職市長が市職員の女性に対する暴行を働いたという事実は、重大な犯罪行為であり驚くべきものです。
それを隠ぺいするために行われた行為は悪質な脅迫であり更に大きな犯罪を構成するものです。
また、この事件は沖縄県を取り巻く左翼勢力にとって極めて不都合な事件であり、それがために、マスコミが口を閉ざしている現状が見て取れます。
多くの方に本事件とその問題点を認識して頂きたく紹介させて頂きます。

サラさんを応援して頂ければと思います。

同級生
高校球児時代、同名で野球部のエースが居ました。優勝候補でも有ったのですが準決勝で敗戦でしたが、学校の先生が、この話をご存じで教務以外で教わりました。

その先生は変わり者で羽織袴で通学、黒板に日の丸を書き、教壇に正座、本なし、生徒に何ぺージを読め、全部暗記されているので間違うと叱られる。漢文の先生でしたが記憶に残る先生でした。

今日も古い話題を思い出させていただきました。有難うございます。

たぬきち

10/27 待ち合わせの件
ねずきちさんと連絡が取れました。

日比谷でのデモは(16:30~17:30)です。

参加できる方々は、早めに来ていただいて歓談できればと思います。

集合場所 帝国ホテル1Fフロント前、ラウンジ入口前
時間       15:00

*人数掌握の都合上、参加できる方はMLかこちらに返信お願い致します。

かぐやひめ

昔の人は偉大でした
かつては、三尺下がって師の影を踏まずーと言う言葉にふさわしい恩師は、いくらでもあったように思います。

近づき難さ、全身からにじみ出る威厳・・・私達の世代は、それを持たない人ばかりになってしまいました。
そして、そのことが、即ち「豊かさ・平穏」の裏返しであることを・・・どうやって、心に収めたらいいのでしょう。

もしも、この山川健次郎氏が、会津で人として極限の悲哀に遭わなければ・・・彼は、追い詰められたアメリカで志しを果たせたでしょうか?

人は環境の子です。
私達が脆弱で軟弱なのも、子供たちがさらに軟弱で、若い子がふにゃふにゃしているのも、ひとえに「それでも、食っていけてる」からです。

かつては「食えなかった」「娘まで売り飛ばさないと一家が破綻した。」「飢饉のたびに、飢え死にした」

なんとか「食えるようになりたい」「なんとか、子供が成人するまでは生きられる寿命がほしい」その願いが、今の裕福で長寿な日本を、創った。

歴史始まって、はじめて国民が飢え死にしない国になったのです。

私達は「飢える国」に、戻りたくはありません。娘を売りたくありません。子供がやっと小学生になるころに死にたくありません。

けれど、あまりにも!
あまりにも、この豊かさ、この長い命を無駄に過ごしている。昔の人が血の汗を流し、泥にまみれ、後世のわれわれを、こんなに豪華な雛檀に上げて下さったことを、あたりまえにして・・・感謝を知らず、努力をしないで、ただ、人として崩れていっているようにしか見えません。

そうです。一日でも早い方がいい。

ねずきちさんが、日本の心をつたえる会を、作ろうと決意してから、立ち上げまで、わずか2週間。

第一段階(彼の目標は9月中で1000名の一般会員でした)を、2割減ぐらいでクリアしてから

ねずきちさんの動きはますますきつくなっています。

本当に、いったいどれだけ眠れているのでしょう?
「寝ず吉」という当て字が今は一番ふさわしい。
どうして、そんなに急ぐのですか?と、尋ねるのもはばかられる。前を走って行く後ろ姿しか見えません。

まず、足元に土台をこしらえて、次いで、さまざまな人に会いに行くと、おっしゃった二ヶ月目の10月が終わろうとしています。

三か月目からは、理念を成文化し、本格実動にむけてネットだけではなく実社会でも、動き出す。

なぜ、これだけ急ぐのか

在特会の桜井氏は38歳なんだそうです。まだまだこれからたくさんのことができる年齢です。

日心会の中心の人々は50歳以上です。
この年齢まで生きてほんとうのことが、見えてきた!
だから立ち上がったけれど、自分たちに与えられた時間の足りなさを痛く感じている。

集団は異なる人々で構成されるのがいいです。異年齢、異性、異職種、ここには異国からのコメントもよく見かけます。

柾目の板には粘りがありません。斧の一撃ですこーんとまっぷたつになる。
組織は等質の人々の仲良しクラブであっては、たちまちに砕けるのです。節目の多い板目でなければなりません。

明治の気骨は消えてしまったのでしょうか?

そのまま取り戻すには環境が変わりすぎました。

そうではなく日本らしい誇り高い日本へ、
戻るのではなく新たに創造する。

過去を学び決して失ってはならないものを、取り戻す。
そして、それを伝える。

そのためには、今が最後のチャンスだと全身で感じるからこそ、ねずきちさんは、走ります。

私には、もう、彼の姿は、人間の姿には見えません。
どうか、みなさん、ねずきちさんと一緒に走ってください。
そして、100年後「昔の人は偉かった」と言わせようじゃありませんか。

共通一次世代

什の掟
会津白虎隊の生き残りの方が東大総長・・。「今」と「幕末」が歴史で繋がっていく感じがします。 「こんな人になりたい。昔の「立身出世」とはこのような素晴らしい方がお手本だったのだと思います。

30年以上前、高校時代に東北への修学旅行で会津若松方面にも行きました。磐梯山の噴火口や裏磐梯の自然が本当に素晴らしかったのを今でも覚えています。無知なまま訪れた鶴が城や白虎隊記念館、飯盛山もとても印象的でしたが、あの頃は「自分と同じ年頃の子達が街を見下ろしながら自刀した」という事くらいにしか興味を持たなかったと思います。

懐かしさもあって、ちょっと会津若松市のHPを見てみたら、あぁ、山川健次郎氏もこうした教育の中で育てられたんだなぁとすごく納得しました。

~~~会津若松市HPより~~~
■白虎隊のお話・1(会津の子供達と日新館)【 わかりやすく書いた『白虎隊』より 】

会津藩の男の子たちは、10歳になると日新館という藩の学校に入学するきまりになっていました。

また、これとは別に 6歳から9歳までの幼い子供たちは 入学前からりっぱな生徒になろうとして、子供たちだけで集まりを作っていました。この集まりを「お話の什(じゅう)」または「あそびの什(じゅう)」といっていました。

まず、「会津武士のこどもは このようにしなければ、ならぬ」という心がまえから、おたがいに、約束をきめ、子供たちの家を順番に会場として、そこで熱心に反省会をひらきました。そして、その約束ごとに そむかないように努力したのです。

いくつかある、約束ごとの終わりに、「ならぬことは ならぬものです」ということばがありますが、将来、りっぱな指導者となる武士としての自覚と責任が こうして子供のときから しっかりとしつけられたのです。
「お話」が終わると「遊び」になって 自由にのびのびと 今のこどもとおなじように、鬼ごっこや、かくれんぼをして遊びました。

日新館は寛政11年(1799)4月から工事が始まり、5年もの長い歳月を費やして文化元年(1804)に完成した立派な学校です。場所は 鶴ヶ城の西側にありました。

内部は、孔子をまつった大成殿(だいせんでん)を中心として素読所(そどくじょ:小学ともいった)講釈所(こうしゃくじょ:大学ともいった)をはじめ、そのほか たくさんの校舎がならび、また天文台、開版方(かいはんかた:印刷出版所)、文庫(ぶんこ:図書館)、水練場(すいれんじょう:プール)まであるという、全国でも まれにみる 設備のととのった学校でした。

特に優秀な生徒は、ここを終えると 藩の費用で江戸や長崎へも留学できましたから、自分の努力によっては いくらでも学問や技術をすすめていくことができました。

これらのことからも、会津藩が青少年たちの教育にどんなに熱心であったか また、青少年の将来をどんなに大切に考えていたかがわかります。
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『 什の掟 』
 一、年長者の言うことにそむいてはなりませぬ
一、年長者にはおじぎをせねばなりませぬ
一、うそをついてはなりませぬ
一、ひきょうなふるまいをしてはなりませぬ
一、弱いものをいじめてはなりませぬ
一、戸外でものを食べてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです
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「ならぬことはならぬものです!」
そう叫びたいです。27日にも。

日本人

感動しました
今日も良いお話をありがとうございました。人は自分のためでなく、公のために頑張ることができる存在である、人はそのように生まれているのだと納得します。子供にこのような話を聞かせるべきです。公のため、人知を超えた力を発揮する。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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