英霊たちが守ろうとしたかけがえのないもの



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寂光院


このブログのテーマのひとつに
「いまも昔も日本人の心は変わらない」
というものがあります。

先日、友人と話をしていて、こんな話を聞きました。

いまテレビで、現代の医師がタイムスリップして江戸時代に行き、そこで坂本竜馬や勝海舟などに会うという設定の番組が放映されているのだそうです。

ねずきちは、このところまったくテレビを観ていない・・・観る時間がない(汗)・・・なので、その番組自体はみたことがありません。
ですから以下はあくまで聞いた話です。
その番組の中でこんなシーンがあったのだそうです。

江戸にコレラが流行って、竜馬その他のみんなが口々に、その医者に言うのです。

「先生、お国のためだ。この国のために皆を救ってください」

ドラマを観ながら友人は思ったそうです。

「今の日本に“この国のため、この国を守るため”っていう人が何人いるのだろうか?って。

ボクは言いました。「それは、ウソだ」

戦争で死んでいった若者たちの多くは、お国のためというより、母や、兄弟や、妹や、甥っ子や仲間や、友人たちを守るために戦った。

そんで死んでいった。

竜馬の時代も同じです。欧米列強に侵略されて、植民地にされて、みんな奴隷にされて、生命や財産や、かけがえのないものを奪われる。そんな辛い目に絶対誰にもあわせたくない。
だから戦った。

だいじな人が襲われて殺されるかもしれないなんて社会情勢になったら、死んでもいいから戦う。それがふつうの人の、ふつうの感情や行動だと思うのです。

友人は言いました。

「いまの日本で、どれだけの人が家族のために命を投げ出せる? きっと心の教育が必要なんだよ」

ボクは答えました。

「年間3万人・・・」

年間3万人の人が、家族を、経済苦・生活苦から守るために自殺してる。

「それって、言葉が悪いけど、逃げてるじゃないの?」

「逃げているといえるかもしれない。でもね、自分が死ぬことで家族を護る、夫としての責任が果たせるなら死ぬ。それができない人はホームレスになっている。」

自殺がよいと言っているわけではありません。
もう自分の命しか家族に捧げるものがない。そこまで追い詰められた人の最後の選択肢が自殺なら、それは必ずしも「逃げた」ことにはならないのではないか、と思う。

“お国のため、会社のため”そういう言葉は、平時のときに言う言葉です。
だから“お国のために死んだ”なんて言葉は、ウソだって、ボクは思っています。

みんな愛する人を護りたい。
それだけだったって思うのです。

だって、お国がどうとか、そんなおっきなことなんて、わかんないです。

「目の前で友達が死にそうになってて“お国のために生かしてくれ”なんて、医者に言う?」

「言わん」

「そいつが、会社のために必要な奴だったとしてさ、会社のために、そいつを助けてくださいなんて、いう?」

「いわん」

「そいつに生きててほしい。絶対に死んでなんてほしくない。だから、助けてくれ!じゃね??」

「だよね~」

「だったらそのドラマ、ウソだ」

「そういえば、親が死ぬまで、わからなかったことがあるよ。親はいつまでも元気でソバにいてくれるものだとおもってた。死にそうになっても絶対に死なないって思ってた。

だけど、死んだときには、わかんなかったけど、年月がたって、声聞きたくなるし、心に穴があいて、ものすごく大切なものを失ったって事に気づいた。

この前ね、義理の弟がクモマッカでなくなった。
義理の妹が看護婦してて、ウチの両親がなくなったときも『まぁ、命には限りがあるからね』って、すごく冷静な言葉をかけてきた。

その妹が、旦那を失って3年たってから、『ひどいことを言って、ごめんね。本当に自分がかけがえの無いものを失わないとわからなかった。あのとき、力になってあげれなくってゴメン』って言ってきた。」

誰も人は、その場を体験しないとわからない心の痛みってものがある。

しかし体験してなくてもひと心の痛みがわかる心、わかろうとする心、それが大和心なのだと、ボクは思います。

幕末、桜田門外の変で死んだ井伊直弼は、14男です。
長男から順に13人が早逝して、結局彼が家督を継いだ。

「昔は命が軽かったのだ」などとバカなことを言う人がいます。
そんなの絶対に違う。亡くした子供たちのひとりひとりが、かけがえのない大切な子供たちです。それがふつうの誰にでもある親の心です。

江戸時代末期から、先の大戦にかけて、みんなが、自分の大切な人を失った。それは病気だったり、戦乱だったり、原因は様々です。

ねずきちのオヤジは男4人の兄弟で、次男と三男は病気で幼くして死んだ。
そのオヤジを産んだ婆さんの姉の息子は、二人が戦争で死に、ひとりは内地に帰ってきたけれど、片腕がなくなってました。

そんな時代だった。
誰もがそういう環境の中で、育った。

だから、誰もが、

もう、
絶対に、
誰も、
失いたくない。

子供たちまで、そう思った。

----------------------------
かあさんを、
これいじょう、
かなしませたくない。
だから、おいら、
かあさんをまもるために、
へいたいになるんだ。
かあさんや、みんなを
まもるんだ
----------------------------

その気持ちって、すごくわかるのです。

“お国のため?”
そんなんじゃない。

たしかに言葉にしたらそうなる。だけど、その言葉にある心は、もっともっと身近で、なまなかな心だったと思うのです。

戦時中、赤紙がくると、町内の婦人会の奥さんたちみんなで「おめでとう」って言いに来ました。

その奥さんたちも、みんな愛する子供を戦地に送り出していた。
戦争で子を失っていた。
そういう奥さんたちが、みんなで『おめでとう』って言いに来ます。
決して強制なんかじゃないです。
でもみんな行った。

なぜ? どうして?

それってお国に騙されてたの?

断じて違う。そんなんじゃない。

自分は子の命を失った。
でも、ご近所には、あそこの家にも、そこの家にも、子供たちがいる。
あそこにも、ここにも、元気一杯な子供たちがいる。

その子供たちの命まで、絶対に、絶対にもう失いたくない。
自分が味わった悲しみを、もう誰にも味わってほしくない。

だからみんな、出征する兵士たちに、

どうか護ってください。
お願いだから子供たちを護ってあげて。
そしてどうか無事に帰ってきて

って、万感の思いをこめて挨拶に行った。

言葉は「おめでとう」です。
でもその言葉にある感情は、ひとりひとりのお母さんたちがもつ、心の叫びだった。

ねずきちブログは、戦争のことをたくさん書いています。
けれど、どの文章見ても

「特攻隊かっこいい~」なんて、ぜったいに書いてない。

もう誰も失いたくない。この国にずっとずっと平和であってほしい。
誰も死んでほしくない。

そのために命を捧げた英霊

246万6,532柱

「お国のために命を捧げた」という言葉は、お国という抽象的なものではなくて、かあさんや、兄弟や、友人たちと、その未来を守るために命を捧げたという意味だと、ボクは思います。

だから、ボクたちは、亡くなられた彼らに、ずっとずっと感謝し続けなければならないと思う。彼らの思いを、彼らの心を、未来に語り継いでいかなければならないと思う。

昨日、靖国神社に参拝に行ってきたのです。
遊就館も行きました。
いま、遊就館では、「矢弾丸(やだま)尽きるとも」という展示会をやっています。
そのカタログに、こう書いてあります。

------------------------
愛するものが住むこの国を守るため
命をかけた英霊の思いを伝えたい
------------------------

この言葉を、「お国のために」などと縮めてほしくない。
それは戦後左翼の洗脳です。

愛する者を護るため、この国の兵となって命を賭けた。だからその想いを伝えたい。

以下はカタログからの抜粋です。

------------------------

父母上様
自分もいよいよ役に立つ時が参りました。
現在までの父母上の御苦労を想い、御礼の言葉もなし。
益々御身体に注意され御奮闘を祈ります。

 陸軍軍曹 加藤弥助 命
 昭和19年7月18日
 マリアナ諸島にて戦死
------------------------

私も元気で第一線に活躍してますから安心してください。
勝つためには喜んで
南海の華と散る覚悟です。

 陸軍兵長 小室智雄 命
 昭和19年8月6日
 ニューギニア・アイダベ方面にて戦死
------------------------

望み叶ってあの靖国のみ柱に赴けますならば
誇り高く咲きにほふ九段の桜の下で
お母さんの訪れをまっています。

 陸軍伍長 小塩久夫 命
 昭和19年12月23日
 比島北サンフェルナンドにて戦死
-----------------------

皆々様変わりなく元気で暮らしていると
推察致してをります。
7月10日付一等兵に進級したることを
知らせずにいました。
二ツ星です。どうぞよろしく。

 陸軍伍長 福井栄一 命
 昭和19年10月7日
 ビルマ・カロー方面にて戦死
------------------------

皇国のために死するとも軍人の本懐なり
我れ行かん。靖国社頭の若桜。
自分には心残りは無し。
唯御両親に之と言ふ孝行も致さず
先立つ不孝をお許しください

 陸軍伍長 宮井一 命
 昭和20年9月24日
 牡丹江省寧安県にて戦死
------------------------

恒男様
オトウサンハゲンキデ オクニノタメニ
ハタライテオリマスカラゴアンシンクダサイ
オカシタクサンアリガトウ
ミンナオオヨロコビデス
ツネオノタベルモノガ
スクナクナッテマスナア

 陸軍上等兵 岩本四郎 命
 昭和20年3月17日
 硫黄島にて戦死
-------------------------

タネ
入隊した晩は
一命は君国に捧げたのだから
今後如何なる困苦欠乏に遭遇しても
断じて帝国軍人たるの責を自覚し
未練の振舞等致さぬ覚悟

 陸軍上等兵 稲垣良衛 命
 昭和20年2月22日
 沖縄県中頭郡嘉手納にて戦死
-------------------------

此ノ限リナイ空上デ仇ヲウチタイノデス
ドウカコノサイ私ヲ採用クダサイ
オネガイヒシマス
右血書ス

 陸軍兵長 中川寛 命
 昭和20年7月18日
 埼玉県大里郡にて戦死
--------------------------

どの手紙も全部、全部です。家族の安否を気遣い、子のつつがない成長を願っている。

いま「日本は悪い国だ」という政党が政権を獲っています。
親を思い、子を思う気持ちが、悪いことなのでしょうか。
ボクには理解できません。

そんな政党に日本の政治を委ねることが、私たちにとって正しい選択といえるものなのでしょうか。
ボクには理解できません。

ほとばしるような愛をもって散って行かれた英霊たちを祀る靖国に野党になった自民党総裁が参拝した。それだけでシナからクレームがついた。
祖国にいる家族を護るために亡くなられた英霊たちに感謝することが、悪いことなのでしょうか。非難されるべきことなのでしょうか。
ボクには理解できません。

靖国神社に行って、気がついたことがあります。

参拝者の多くが女性たちなのです。半分以上がそうなのかもしれない。

若い娘さんもおいでになりました。
中高年のおばちゃんたちの集団もおいでになりました。

彼女たち全員、誰も、軍人さんカッコイイ~、ステキ~なんて思って靖国に行っているわけではない。

子を産み育てる親として、誰かを失ったことのある女性として、彼女たちには靖国の英霊たちの声が聞こえるているのではないだろうか。

ねずきちにはそんな気がしました。

ねずきちは思うのです。

英霊たちはかけがえのないものを護るために散っていかれた。
その“かけがえのないもの”というのは、いま、この時代を生きている私たち日本人です。

私たちは、彼らの命のおかげで、いまを生きている。
だからぼく達は、彼らを絶対に忘れてはならないと思うのです。

そして未来永劫、語り継いでいかなければならないと思うのです。

なぜならボクたちは日本人だから。
彼らのおかげで現代を生きている日本人なんだから。
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コメント

yamato刀

「お国の為」に込められた想い
やはり命をかけて戦うのは愛する人たちの為ですよね。

でも、仮にその人たちだけが生き残っても生活していけない。奴隷にされるかもしれないし、少なくとも今までのようには生きていけない・・。

また、血は繋がっていなくとも同じ日本人や、思い出のつまった風景や文化も潰されたくない気持ちだって当然・・。

そして、天皇陛下が治める日本でなければそれらは守れない。

そういう色んな想いをふまえた上での「お国を守る」という言葉を我々は注意して使わないといけないのかもしれませんね。

映画「凛として愛」の中でも、「国を守る事が家族や愛する人を守る事になる」というような事を当時戦った方が仰られていました。

戦後、左翼を中心にして語られる「お国の為」という言葉には中身を感じられませんし、それこそ洗脳されてロボットみたいな感情で、単に国の為に戦ったかのように言われているように思います・・。

なので「お国」という言葉の中には、愛する人たちへの想いがあり、そしてその愛する人たちが暮らす色んな意味での日本や日本人という意味をこめて使わないといけないかなと、この記事を読ませていただいて感じましたね。

Jtpjmda

No title
日本にまだこんな考えを抱いてくれてる人たちがいるなんて  日本の未来は明るいです

かぐやひめ

おかげさまで
無理に無理をおして開催したこの秋二度目の村芝居も、無事終了できました。お客さんは50名ほどだったけど、心温まるいい雰囲気でした。

案ずるより産むが安しのことわざ通り、心配いらなかった・・・

朝、昨夜のままの悲しみをひきずって、車を走らせ、神社についたらバックミラーに見覚えのある影・・・96歳のおじいさんだった。
「おじいが、勝手なことしたと村中でごちゃごちゃ言われて、わやくちゃや」と、言うから。
私は、思いきりおじいさんを抱きしめた。
「ごめんね。嫌な思いをさせて。」
手を握り締めて、頼んだ「でも、見に来てほしい。」
「見にくるで」と言ってくれたので、二度目、ぎゅうっと抱きしめた。「ありがとう」
「せっかく、皆で楽しむはずやったのに・・・」
「じゃあ、今日は舞台に菊の鉢を飾ってもらえないの?」
「菊か、もってくるで」
「ありがとう、舞台を菊で飾りたかったのよ」
もういっぺん、小柄なおじいさんをぎゅっとだきしめたよ。
本当にうれしかった。
もう、会えないかと思っていたから。

お芝居が終わって、片づけていたら、おじいさんはすっとやってきて、舞台の床下を隠すために置いていた菊の5鉢を、片づけた。

ようやく、荷物の整理が、ついたところへ、また、姿を現して「今日は、よくできました。ようやったなあ」と言って懐から「これはようやった、ご褒美やで」と金封をだして、こっそりわたしてくれた。

畑の横のプレハブ小屋を、好きなように使っていいと、いきなり貸してくれた人もあった。今日は、たくさんたくさん神様に会ったよ。

だから、天津彦根さんに、ちゃんとニ礼二拍手一礼で、お参りしたよ。
ここの神様の御利益はすごいわ。

まつ星

シャギさま
旧民法と現民法を比べよく検討することは、「日本の心」を考えるのに避けてとうれない大事なことと思っています。
それは今を生きる私たちの、「幸福」とも直接つながっている。親、祖父母の時代の家族のありかたを知らなければ、本当の自分のこともわからない。でも今がいいと洗脳されて、過去のことを振り返らずに、ずるずると今に生きている。むしろ、何が幸福なのか分からずにさまよっているのだとさえこの頃思っています。
>家と個人の意識が乖離していなかった過去の日本を、私はそれほど不幸な時代とは思いません
同意いたします。

ジャギ様

私たちの知らない旧民法の世界...。
 旧民法、文語体で書かれていて司法試験を受験しない限りまず目にすることは無いと思います。
 かくいう私も現代の民法すら、必要な時しか見ません。(それも自由国民社の「法律辞典」を精読してから小六法に挑みます。)
 とある講習で家系図を作る人が役所で取得する、旧戸籍に関する知識を学びましたが、目から鱗の連続でした。
 現代の戸籍は行政ユニットとして個人を特定し、権利・義務ばかりでなく日本人総体としての信用創出に資していますが、旧戸籍は「戸主」と「家督相続権」に主眼を置いた設計になっているため、庶子(嫡出児)でない相続の優先順位が下位の者は、非常に分かりずらくなっています。

 戸主=一家の財産を支配する者なので、明治の戸籍には馬や大八車のような動産まで記載され家族の衣食を満たす、なりわいまで窺い知ることができます。
 また、旧戸籍には同居する使用人や、引き取った障害者まで記載され見る人によっては、現代の戸籍も含めて封建時代の残滓と批判されそうですが、私はそうは思いません。(植民地を獲得するまでは、西洋でも日照の短い国は貴族といえど次男坊以降は、兄が死ぬまで一生使用人でした。)

 電気・ガス・上下水道などのインフラも未整備で、石油燃料機関の無い、100年くらい前の日本人は現代人の僅か30分の1エネルギーで生活していたのです。
 現代より闇は深く濃く、季節の色彩はより強く生活を規定し、家族の紐帯はより強固で、人々の情は厚く、家長とその妻の責任は想像以上に重かったと考えられます。
 要は当時のリソースでは、家族ユニット式が最も多くの人間を扶養しうる最善の方法だったのでしょう。(御成敗式目より連綿と行われてきた家父長制に法的な裏づけを与え、近代国家に必要な納税と徴兵義務・教育を公正に行うために、プロイセン法を基に作られたのが、旧民法・旧戸籍と考えて概ね間違いはありません。)
 
 七五三の季節ですが、抗生物質も消炎剤もない時代、子供は3歳、5歳、7歳の節目までに不慮の死を迎えることが少なくありませんでした。(無事に成長したことを神様に感謝する祭事。)
 一方で古代中国からの風習で、親は神様に子供をとられないよう忌み名を付け、他家に養子に出すことで難を逃れようとした風習もありました。

 戦場での、子供の理不尽な死を受け入れざる得ない家族の苦しみと悲しみはいかほどのものか、家族によっては家督の断絶もあったと思われます。
 与謝野晶子が家督を継ぐべき弟に「君死にたもうことなかれ」と詠んだ詩がありましたが、家と個人の意識が乖離していなかった過去の日本を、私はそれほど不幸な時代とは思いません。

かぐやひめ

とても、つらいこと
「あなた、今日元気なかったね・・・」とイチローさん。
「・・・つらいことが、あったから」と、私。

ネットでもリアルでも、ここんとこ、謝りまくり・・・
「なんで、もっと早くに、ちゃんと自治会長のところに言いに来やへんかったんや。それさえ、出来ていたら何も問題なかったのに・・・」

「申し訳ありません、私の手落ちです。今回ばっかりは万事休す・・・です、でも、ここまで来てストップはかけられません。お客さんをとめられない。誰がこられるかわからないのですから。
どうか、曲げてお許しいただきたいのです。」
「ふつつかなことで、申し訳ありません、言うて、会長に頼んでみ。」と連合会長。
会長の奥さんに、すがりつく「私が足りなくて、こんなことになって、申し訳ありません。でも、96歳のおじいさんに、どうしても、おじいさんの懐かしい芝居を見せてあげたくて、お客さんなんて誰も来なくていいのです。おじいさん、96歳でしょう。来年があるかどうか・・・」涙声ですがりつく「ええ、あなたが、3か月も前にあいさつに来られたことは、覚えています。でも、それきりだったから・・・でも、確かに来られたことですから、主人も、どうぞ、進めてください、事後報告になるけど、村の人に謝るから…と言っています。」
「ありがとうございます」
連合会長に、報告する。「そうか、よかったな。当たって砕けたらなんとか、なるねん」
市会議員に報告「ありがとうございました。」

やれやれ、人生最大のピンチを逃れたと思ったのはつかの間だった。
翌朝、おじいさんの息子さんから
「自治会長が許しても、私は許せない。あんたは、うちの年寄りのせいにするのか?」
「いいえ、せいにするなんて、とんでもない。」
「神社は公のもんや、誰かが勝手に使うのは筋が通らない。筋の通らないことは、許せん。」
「お宅のおじいさんにどうしても見てほしいのです。」「そんなこと、関係ない。公は私より上のもんや」

ああ、私は、自分が、無理に無理を重ねていることはわかっていました。こういうときは、きっと失敗すると予感していました。

あの衆議院選挙に頭がいっぱいで、どうやったら、日本を救えるかと考えつめていた2カ月。娘の赤ちゃんのことで、いっぱいだった十日間。帰ったら、すぐに、木津の歌舞伎。1週間後に山田の歌舞伎。10日後にフルーツフラワーパークでダンス大会・・・すべてを主催する。
まるで、きちがい沙汰。だから、完璧に出来るはずはない。いっぱい謝ることが出てくることは分かっていました。
でも、毎年待たれている木津の歌舞伎も、96歳のおじいさんが望んでくれた山田の舞台も、子供たちが楽しみにしてくれるダンス大会も・・・どれも、はずせない。今年は二度と来ないから。去っていった時間は取り戻せないから。

自治会長さんのとりなしで、芝居はできることになりました。幕をはって、飾り付けて行くと、ただのお堂が、美しく晴れがましい表情をして、喜んでいるようです。
副会長が覗きに来て、とりあえず、苦言を言ってから、舞台を、じっと眺めて目を離しません。
「昔、旅周りの役者が来てな。子供のころ、わしは、座布団をとるかかりやった・・・」懐かしそうに語られたそうです。

でも、「うちのおじいさんが芝居を見たいからという”私”の気持ちより、神社の手続きを正しく踏むという”公”の方が、ずっと大事だ」と、息子さんが言うから、そして、息子さんは許してくれないから、明日の本番・・・おじいさんは、見にこれないのではないでしょうか。

おじいさん、あなたに見せられないのなら、私は、なぜ、命を削ったの?

村のそとからは村のしきたりがみえないし、村の家には表札がないから、よそ者には、簡単に近づけないのです。誰かが、こうしなさいと教えてくれていたら、もちろんやりました。
私には、ここまでが精いっぱいだったのです。

この結果だけはいやだ・・・生まれてはじめてレンタル店で、発電機を借りて、ガソリンを入れて、脚立を返しに行ったあと、真っ暗な車を走らせながら一人、思い切り泣いた。疲れて、涙もろくなった・・・
この結果だけは、いやいやいや・・・

私の最愛の日本=昔気質の日本は、こうして私を苦しませる
・・・「私」より重い「公」、「それでは筋が通らん」・・・
あの人が守ろうとしている日本を、私も守りたい、けれど、戦後世代の私は「体で”それ”を知らない」から、うまく動けないのです。そして、これは現実です。

私は、やっぱり、単純に形だけ戦前に帰るのは、いやだ。薩長土肥の創った男尊女卑の日本が、日本のすべてではないと思う。
ジェンダーフリーの思想には反対だけれど、江戸時代以前は女性にも財産権など一人前の権利があったという。
昔がよかったからといって、昔の社会のまんまに戻すことは、やろうとしても、出来ない相談です。
これからの社会変革は、「形」を昔に戻すと言うより「日本の心」を、戻したいのです。

bb

やまとおのこさん、こんにちは。
そんなにたいそうなものではありません。いつも自分の置かれて場所が、最良であり幸福なのだと言い聞かせて生きているだけです。不幸や不満は全部自分に原因があるとも考えています。なかなか上手くいきませんが・・・

ところで、神話は大切ですね。伝承されている多くの民俗行事には、神話の心が表されています。子ども達が祭りや神楽、遊び等を通して自然に身に付くようになっています。残念ながらムラが崩壊しつつある中、消えていく行事もあります。

でも日本は間違いなく「神の国」です。

やまとおのこ

No title
bbさんはじめまして、あなたは「幸福は感謝で生きる道にあり」を実践なさっておられますね、あなたから力強さも温かさも感じます。

さて今日も雑感を。
いかような業績をと疑問符が付く森元首相ですが一つだけ記憶に残る言葉を発せられた「日本は神の国」だと、マスゴミ等からのバッシングを受けましたが、なぜあのとき開きなおってでも、事実だと言い募らなかったのか未だに残念に思っています、日本は神の国は事実です。
もっとも神に対する概念が日本と外っ国では元々ちがうのです、日の本は貧乏神もいれば怨霊も神となられる国ですからね。現在の日本人も神といえばキリストやアラーの神を思い浮かべるんでしょうね、GHQも神はキリストで現人神など考えられなかった、そこで天皇陛下に人間宣言をせまったのでしょう、が これこそ禍根を残す一大事だった。
「ナドテスメロギハヒトトナリタマイシ」三島由紀夫のことばです。私も残念に思う一人です。
「日本の神はこの国の成り立ちと共にあり、日の本そのものような方々です」(畠中 恵著 しゃばけシリーズ第八弾より)【この小説は妖がいっぱい登場のファンタジーで実におもしろいですよ】

本題に来ることができました。
古より天皇は神であり、神の御子です。
死に行く兵隊さんの「お母さん」もそれでいいのです、それは母の向こうに天皇がおられ、数多の神々がおられ、国が見えていたに違いないのですから。

椿

『紅葉』
                    『紅葉』
作詞 高野辰之
作曲 岡野貞一

       秋の夕日に 照る山 紅葉
       濃いも薄いも 数ある中に
       松をいろどる 楓や蔦は
       山のふもとの 裾模様

       渓の流れに 散り浮く 紅葉
       波にゆられて 離れて寄って
       赤や黄色の 色さまざまに
       水の上にも 織る錦

本当に日本の童謡は美しい…。きっと、遠い戦地で散華された英霊方も、幼い頃、お母さんに歌ってもらったに違いありません。




愛信

【お先真っ暗!大新聞の未来】
『文藝春秋』10月号にて「大新聞が潰れる日」を執筆された氏に 、
既に始まっているビジネスモデルの崩壊の中、遅まきながら推し
進められている朝日新聞による組織変革についてお話いただきなが
ら、世界に冠たる「新聞大国」とも言われてきた日本の新聞業界の
行方について展望していきます。

《不買運動周知活動に参加しよう。》


http://www.aixin.jp/AJI17.htm
【今が旬、愛信情報】
【4.経済・政治】ー>【12.動画ニュース】をカッチとね。

かぐやひめ

無我さま
やはり、そう思いますか?
どう見ても鳩山由紀夫氏の目はふつうじゃない。まるで、魂のこもらない、異様な目つきですよね。

しかし、とにもかくにも、アメリカからの「おとしまえ」は来ないとは思えません。
どうか、下手人だけにしてほしいですね。
罰を当てる対象は。

アメリカが、そんな簡単な国とは、ぜったいに思えません。

かぐやひめ

心の傷を、乗り越える
あの大艱難であった大東亜戦争が、敗北に終わったというのに、当時の人々は、みごとに、心の傷を乗り越え、日本を再生させてくださいました。

一番の励ましは天皇陛下の全国行幸であったと思います。

それにしても、自暴自棄にならずに、よくもまあ、短期間に国を建て直せたものです。

ひとつの幸運は朝鮮戦争による軍需景気でした。
また、このおかげで自衛隊(警察予備隊)が組織され、日本に実質的な軍隊が残りました。

敗戦と朝鮮戦争の間の3年ばかりの期間、故郷に帰還した人々は青年団を組織して、さかんに「芝居」をやっています。これは全国的な傾向だったみたいです。
一番このまれたのが「赤城の山も、今宵限り、かわいい子分のおめえたちとも、別れ別れになる門出だ」というお芝居。さびしい物語、負けて逃れていく話でしょうか。

農村で行われた歌舞伎芝居としてはもっともポピュラーのものが「絵本太功記ー尼崎の段」です。
主君を討ち、裏切り者になった明智光秀が、追われ、息子も戦死するという悲劇。

神戸市北区にはたくさん「農村歌舞伎舞台」というものが神社の境内に残されています。そのひとつで昭和22年23年に芝居をやったというおじいさんが96歳で健在です。

おじいさんは、8月7日に広島に入ったそうです。本来なら原爆の日に入っていたはずだったそうです。列車の故障で出発が遅れて原爆を逃れました。

それから、毎日毎日、明けても暮れても、水に浮く遺体を引き揚げる作業が続きました。毎日毎日ずるずるになった遺体を水から引き揚げる・・・いくら、引き揚げても、いくら引き揚げても、いつまでも、続く作業だったと思います。

そのまま終戦を迎え、30歳ごろだった彼は故郷に戻ってきました。広島で何をしたか、何を見たか、彼は妻にも子供にも、まったく話しませんでした。
きっと、心がからからに乾いて、生きた心地がしていなかったと思います。

その彼を生き返らせたのが「芝居」でした。「みさを」という明智光秀の妻の役に、夢中になってうちこみ、野良仕事の行き帰りセリフを言いあって田んぼに向かうので、いつまでたっても田んぼにつかないのだそうです。
ジャガイモの季節に、芋を植えるのを忘れて女房に怒られて・・・
秋祭りに境内でやったのでしょうね10月20日だったようです。
化粧衣装ですっかり「別人になって、別人格を演じることは、実は、ものすごく心を解放します。
まして「女形」です。
晴れの舞台を見た近所のおばさんたちが「早くに亡くなったあんたのお母さんそっくり」と言って泣いたそうです。

あちこちで、そういう風景が繰り広げられ、人々はいやされて行きました。
歌にも、いやす力があったと思います。芸術とか芸能というものは、決してあってもなくてもいいものではなく、命を救うものだと思います。

けれど、そのお芝居のテーマが「敗戦の将」の物語ばっかりだったというところに、胸の詰まる思いがします。
敗戦をお芝居でなぞって・・・それで、客観視できたのでしょうか。


共通一次世代

里の秋
ねずきちさんのブログを読んで何故か昔のことを思い出す自分がいます。
両親が私の幼い時に、おもちゃのような、ちっちゃなレコードプレーヤーを買って、それで毎日のように聞いてたのが童謡でした。当時はソノシートと呼ばれる薄っぺらいレコードのある時代でした。その童謡の中で一番好きだったのが「みかんの花咲く丘」でした。それはそれはもう何度聞いたかなぁと。
で、この曲を検索してたら、作曲家と歌手の方が同じという繋がりで「里の秋」という童謡に行き着きました。「里の秋」も優しいメロディーで好きでしたが、この歳まで歌詞の3番まで知ることがなく、この曲が本当はどんな曲だったのか初めて知った次第です。

作詞:斎藤信夫  作曲:海沼實(かいぬまみのる)  歌手:川田正子

1 静かな静かな里の秋
  お背戸(せど)に木の実の落ちる夜は
  ああ母さんとただ二人
  栗の実煮てます いろりばた

2 明るい明るい星の空
  鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は
  ああ父さんのあの笑顔
  栗の実食べては思い出す

3 さよならさよなら椰子の島
  お舟にゆられて帰られる
  ああ父さんよ 御無事でと
  今夜も母さんと祈ります

昭和20年12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で、引揚援護局のあいさつの後、川田正子の新曲として全国に向けて放送されたものだそうです。

3番の歌詞は、戦争が終り南方の島から引き上げてくる兵隊さんの「父さん」が無事に帰ってきますように、という歌だったのですね。

元々は、斎藤信夫氏がまだ国民学校の教師をしていた昭和16年12月に作った『星月夜』(ほしづきよ)という詩で、この「星月夜」には4番まであったそうです。1、2番は「里の秋」と全く同じですが、3番では出征している父さんの武運を祈り、4番は自分も大きくなったら兵隊さんになって国を守りますという子供の抱負をうたっていたのだそうです。もし戦時中、詩に曲がつけられていたら、「里の秋」はこの世にはなかったんです。

「里の秋」が出来るまでの経緯も不思議な運命を感じますが、自分には何よりもこの歌に日本人の優しさを感じるんです。亡くなられた方たちとそのご家族のことも慮り、また先に帰還された方のご家族も静かに、静かに待つ・・。何か全てを優しく包む感じがします。お互いを気遣う心とか・・・。

戦死された方には「命と賭して戦ってくださってありがとう」、復員された方には「これからの日本の未来の為に命を残して下さってありがとう」、そんな気持ちを持ちました。

その時代にはいなかった自分が、ただ想像して、こんな風に簡単に感想を言うのもおこがましいですが、でも、戦争に負けても、こんな素晴らしい曲で終戦直後を過ごせる日本て・・。どう言葉で表現したらいいのか判りません・・。

http://www.youtube.com/watch?v=aOy4A09wkjc

真実一路

泣けました!
ねずきちさま。いつもながら、貴重な話しありがとうございます。
今日も泣いてしまいました。日本の心を取り返しましょうね。

ハポ

No title
読んでるうちに涙がこぼれました

無我

No title
あ太郎さんの意見に同感です。

特に、鳩山、目の焦点が虚ろで泳いでいる。

政治献金のことで頭がいっぱいか?

あ太郎

第一印象
人は見た目、第一印象が大切である。

というと、人は外見ではなくむしろ内面で判断せよ。話をしてみてからものを言え。 などと言われそうであるが、そうだろうか。

原始の時代、人類がまだ武器として棍棒などを持っていたころ、森や草原ではじめて出会う相手(人類)が、まず敵か味方かを識別することが死活問題だったと推測する。

現代でも初対面の人間を見て、あ、この人は気立てが良いな、あるいは、この人はずる賢いとか、あるいは、この人には決して気を許してはならない、などと心の中で推量する。

これは原始の時代、敵味方を識別するために、生れ落ちたときから備わった本能なのだと考える。つまり、第一印象で脳が、警戒せよ、警戒せよ、あるいは、慎重に、慎重に、あるいは、安心していいぞ、などと指令を出していると思われるのだ。

そう考えると、次の三人の顔を見てみよう。

鳩山由紀夫・岡田克也・千葉景子。

どうだろう、第一印象から、脳が絶え間なく指令をだしていないか?

安心していいぞ、という指令を受け取る者はいるだろうか? もしいたら、一時間に日本酒を一升飲んでやる。

TTM

江戸時代の一般市民・・・・
>江戸時代の一般市民に「お国」という言葉と概念はなかったのでは。(あんさん)

→江戸時代には、そもそも「一般市民」という言葉と概念がなかったのでは。
「士農工商」の身分社会ですよね。
「お国」といえば各藩のことであり、そこに生活する人々を「領民」と言ったのではないでしょうか。

近代国民国家という言葉と概念は、日本では明治以降ですが、「日本」という言葉と概念は古く、ご先祖様たちも素朴・原初的には「日本国」を認識していたのではないでしょうか?
ちなみに、江戸時代を通して「大日本史」が編纂されています。
こうした学問の成果は、寺子屋・塾・書籍を通じて、識字率の高い(武士以外の)人々にもある程度は知られていたと考えるのが、門外漢には自然に思われます。


何に命をかけることが出来るか。
日々育っていく自分の子供を見て、その意味を感じます。
女性は出産、子育てに命をかけて、男性はその大切なもののために命をかける。
自分の存在価値を認めてくれる大切な人の為に、それが国の為になっているだけなのですね。
家の子は昨日初めて一歩、歩きました。上の子は毎日新しい言葉を覚えてくれます。
この子達の未来を守るため、私も出来ることをしたいと思います。
ねずきち様、毎日のお話本当にありがとうございます。ですが体調にはくれぐれもお気をつけて、皆様にとって大切な方ですから、無理はなさらないで下さい。

コスモス

No title
竹島、対馬、
領土問題を抱えている国に、参政権を与える。
普通に考えたら判ることです。
馬鹿!キチガイ沙汰!としか思えない衆議院選挙の結果でした。

特攻で散った若者たちの優しさ、強さに涙します。
この方々こそ生きていて欲しかった。
口惜しいです。



「家」による施政で国家観は世界にもなし
世界でも国家観が芽生えたのは近代でしょう。江戸時代は藩がお国、藩政でも独特の徳川家による中央集権制度でした。日本人の国家観が芽生えたのは明治に入り、西欧式の施政が取りいれられた時からでしょう。

しかし「お上」と言えば大和の皇室を指した事でも理解できます。これを薩摩・長州が「錦の御旗」として取り上げた事でも判るように、皇室が最上位にある国としての大和・日本の意識は庶民は感じとしては持って居たのではないでしょうか。

あきちゃ

つД`)・゚・。・゚゚・*:.。
ねずきちさん、本日も良い記事をありがとうございます。

私も、お国のため というのに違和感を感じてきた一人です。
以前、ユーチューブにチャンネル桜の男たちの大和に
対する放送の動画がありまして、
白髪の方が、「家族のため、妻子のため、恋人のためとか
なっとらん! お国のためにみんな戦ったんだ!」
と話されていました。
いやいやまてまて、そりゃおかしいだろ。
家族や恋人の集まりが国であり、家族や恋人を守りたい=国を守りたい になるんじゃないかと画面に向かって
しゃべっておりました。

靖国神社、いいですね。
私は生れてはじめていったのが昨年の終戦日。
2回目が今年の終戦日で、人人人でゆっくり見て回るのが
むずかしかったです;;

27日デモの前に行ってこようかな。

あん

No title
江戸時代の一般市民に 「お国」 という言葉と概念はなかったんでは。

そうですね
自分で死にたくてしぬ人はいません。特に戦争に成れば家族・国民の為に命を捨てるを厭わない精神力は現在の日本人には理解できないのでしょう。
教育が個人単位の命だけに拘るから国家・家族の為に命を投げ出す事を犯罪に様に取り扱う、これも教育が生み出した人間としての義務を忘れさせて指導に有ると考えています。
権利有るところには義務はつきもの、権利だけを主張する日本の教育を根本的に見直すことが必要です。日教祖教育による教育の荒廃極まれり、脱日教祖教育。

bb

ねずきちさん、おはようございます。
命について、私は2度死と直面しました。

一回目は3人目のお産。部分前置治胎盤で大出血。想像してください、お小水のように血が出るんです。それが何回も。尿意もないのにトイレに駆け込みました。真っ赤。予定日より3週間も早い。予定日は昭和天皇のお生まれになった日。春真っ盛りの良い陽気の頃です。

自分の命が終わるとはその時点では思わなかった。お腹を触って赤ちゃんが動いているか確認しました。動いている、生きている。奈良でのことです。母が予定日より大分早く、小旅行でもする気分で手伝いに来てくれていました。私は妙に落ち着いていて、母が一人であわてていました。後日は母あちこちに痣を作っていることに気付きます。あわてて何処かにぶつかったとしか考えられません。

病院では帝王切開の準備、血液型の確認・・・無事生まれた息子がミルクをうけつけず、救急車で別の病院へ。前にも書きましたね。息子も命を頂いた感じです。

2度目はその息子が高校3年生のとき、胸にしこり。ねずきちさん、この時でした、自分の命は自分のためにあるのではないということを実感したのは。子ども達は自分で生きていけるまでに成長した、主人は寂しいだろうけど大丈夫。入院している間の食事や洗濯・・・実にくだらない心配をして、病院へいけなかった。しこりは大きくなっていく。

自分自身の生に対する執着ではなく、やはりまだ死ねないという思いが強くなったときやっと病院へ行きました。幸い癌ではなかったのですが、左胸はありません。主治医は無愛想な方でしたが、乳首は残す努力はします、と言ってくださいました。「将来に禍根を残すなら、遠慮なく乳首も取ってください」とお願いしました。かろうじて乳首は残っていますが、喪失感はあります。でも子育ても終わり大勢に影響はない。このごろは温泉の大浴場に平気で入れるようになりました。手術直後は、下着のコマーシャルを見るのもつらかった。

命は愛する人のためにある。まったくそのとおりです。そして人は愛する人に囲まれて暮らす幸せをもっと大切にしなければ。

玉砕の島で銃弾をうけ、アメリカの捕虜になった父が兵隊さんが亡くなるとき「お母さん」と叫ぶ人ばかりだったと言っていました。「天皇陛下、万歳」は少なかったと、小さな声で言ってました、申し訳なさそうに・・・

これから、林潤事務所にお手伝いに行きます。出来ることからはじめます。日本を取り戻すために。

かぐやひめ

大切な人を
阪神淡路大震災で、一瞬にして多くの人が亡くなりました。もしも、発生の時間が違っていたら、それは、私だったかもしれない・・・そう、思った時、その後の命を、その人たちの分も生きなければならないと思いました。
自分の命は、亡くなった人とひきかえに、残された命だと思いました。
「私は、死に遅れた特攻隊員のような気がする」と、何度も言葉にしました。
一瞬に捧げなければならない命を、長らえさせられた・・・その残された時間を、きちんと生きなければならない。

なぜ、残されたのか・・・何を成し遂げるためか・・・
一人子を、捧げてくださった母
たったひとりの父親を捧げてくださった娘さん
姉・妹

戦争は女たちが被害者だという言葉は、
耳に心地よくすり替えられたと思います。

「戦争の語り部」と言う人々は、戦後の価値観で語りました。
兵隊さんに軍事教練でひどい目に遭わされた、新兵で、いじめられた。戦争の時は、食べ物が無くて困った。機銃掃射が恐かった・・・すべて、暗に、日本が戦争を始めたのが悪かった・・・という背景を際立たせようとする作為です。

さいわい、最近は「語り部」が、ほぼ亡くなって日教組は「生き証人」を利用できなくなっています。

ゲームをリセットするように、価値観をリセットしたい。
戦後刷り込まれた左翼の思想をすべてリセットして、本来の健やかな日本へ。

決して戦争をしたいのではない、しかし、世界情勢から、やむなく立つとの開戦の詔をただしくとらえ、
これからの日本を再び不滅の国へと願われた終戦の詔を指針に、国造りをリセットしたいと思います。

必ずできる。
普通の日本人なら、今の左翼のエーテルに漬け込まれた日本に居心地悪さを感じ続けています。

鍵は、「右翼・攘夷・闘争」へと、向かうのではなく、あくまで日本本来の「相互信頼主義」を掲げ、さらに大きな翼を広げ、世界を救う日本への脱皮だと思うのです。

現在の世界は日本の技術なしでは、何もできないということが、最近私にも、少しずつ分かってきました。

携帯電話も、中の部品を止めつける小さいビスが日本にしかできない。
自動車のうつくしい曲線は、日本の鉄でしか加工できない。
省エネ技術、環境浄化、何もかもです。縫製にかかわるすべての道具、武器や軍事製品にいたるまで、日本の技術力なしに前に進めるものはないらしい。

では、なぜ、精神だけおいてきぼり・・・
戦後60年以上経ちました。60年は干支がひとめぐりする時間です。
干支はリセットしたのです。
ならば、人もできる。

民主党と言う反国家主義者たちが舞台にあがり、正体を現した今こそ、正義を執行すべき合図です。

時は来ました。

黒くま

No title
実はまだ靖国神社には参拝したことはありません。ですがフィリピンで戦死した祖父が祀られています。だからというわけではないですが、政治家が参拝した事でいちいちクレームを入れてくるシナ朝鮮をどうしても許せませんし、それに先人の魂を冒涜するような現政権を許す事が出来ません。

むつお

4月24日のツカサネットの記事より
>日本の国民の主権を韓国の国是を遵守するとしている人達に付与すると言う事は大問題であるが、それ以前に選挙支援欲しさに外国政府が支援をしている組織の要求を飲むという行為は政治家としてやってはならないことである。

民主党は第148回国会から157回まで外国人参政権法案を提出し続けてきた。
そこには選挙権ばかりか政治資金規正法の対象に加えることも書かれている。つまり、永住外国人からの献金を合法化するということだ。
この点で私は過去に民主党の議員が朝鮮系の関連団体から献金を受けていた事実を重く考える。(注3)
また、議長、出納長、助役、教育委員会、選挙管理委員・監査委員、公安委員会への解職請求の権利、議会の解散を請求する権利、投票立会人?開票立会人?選挙立会人?人権擁護委員?民生委員?児童委員への就任資格まで付与することも書かれている。(注4)           

★外国人参政権の日本に与えるダメージは計り知れません★絶対阻止!!

むつお

★27日は生放送が入ります★
しーたろうさんのブログ新記事UPされました>                                                                                                   10・27「日本解体法案」反対請願受付国民集会と日比谷公園から移動する請願者の模様は、
「在日特権を許さない市民の会」から生放送取材の申し入れがありました。
昨日、同会からニコニコ動画ライブ放送のURLと、放送予定時間の連絡がありましたので
お知らせします。

【放送内容】
日比谷公園からの請願者の移動。憲政記念館講堂とその周辺。

【ニコニコライブ放送動画URL】
http://live.nicovideo.jp/gate/lv5552587


27の当日は生放送はいります。在特会も【賛同団体】に加わったみたいです。★このデモは海外メディアも来ますからに本のマスゴミが無視できない状況を作りたいですね・ デモ等に参加されない方はニコ動で応援お願いします!見守ってね?俺は参加です
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
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