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シャープEL-805

会社組織などでは、大きな功績を残しても、それを“誰がやったか”があまり表にでないことが多いです。
たとえばいま、ご覧いただいているパソコンや携帯の画面には、液晶が使われていますが、これを“誰”が実用化したなどかは、ほとんど伝えられていません。
ちなみに液晶は、液体と固体の中間的な状態を保つ物質で、1888年にオーストリアのライニツァによって発見されたものですが、その後多くの研究者による研究を経て、1964年に米RCA社のハイルマイアが、DSM (Dynamic Scattering Mode)液晶を発明した。
RCAは、このDSM液晶を使った時計を発売するのだけれど、寿命が短く、実用に堪えない。
これを実用化させたのが、日本のシャープで、シャープはDSM液晶にイオン添加剤を加える方式を1971年に開発し、世界初の液晶表示電卓「EL-805」を1973年に開発します。
さらに液晶は、DSM液晶に代わって、電圧駆動素子であるTN液晶が、1969年に米ケント州立大学のファーガソンによって発明されます。
TN液晶は、DSMに比べて電流消費が少ないので、腕時計を始めとして急速に商品化が始まり、いま、眼の前の液晶画面にまで発展しています。
ここまでの記載の中で、オーストラリアや、アメリカなどでは、どこの“誰”が発明したかがあきらかになっていますが、日本のシャープは、シャープというだけで“誰が”というのは問題にされていない。
もちろん発明や開発には、それなりの天才が関与して熱心な研究を続けることによって成果をあげているのだけれど、日本では、そうした結果はチームによる成果として認識されることが多いです。
個人主義型の欧米に対して、集団主義・家族主義の色彩の強い日本では、たとえひとりの天才が発明・発見・開発したことであっても、それはあくまで“みんなの協力があってなしえたこと”として認識される。
実際どんなに素晴らしい貢績であっても、ひとりで一から十まで全部できるなどということは、まずなくて、ひとつひとつのすべてが、みんなの支えがあってはじめて偉業が成し遂げられる。
こうした傾向は、船乗りの中では一層顕著になります。
陸と違い、ひとたび外洋に航海に出れば、おなじ船内で何か月も同じ仲間達と顔を突き合わせてすごす。とにかく人の和が大切になる。
それだけに船乗りには人格者と呼ばれる人が多い反面、そんなすごいことをいったい“誰が”やったんだろう? と不思議に思って糸をたぐりよせてみても、なかなかむつかしい。
不思議なことに、戦後行われた東京裁判で、海軍からはA級戦犯がひとりも出ていません。
これも実に不思議な話です。
で、なぜかと思って調べてみたら、どうやら終戦のときラバウルにいた海軍中将、草鹿任一(くさかじんいち)氏が、その原因らしい。
草鹿任一海軍中将

GHQにアメリカ人でモンローという検事がいます。
彼は東京裁判のときに、海軍の戦犯を暴くことが任務で、なかでも南東方面艦隊の事件を担当した。激戦地です。
当然南方最大の日本海軍基地であるラバウルの調査をすることになる。
ところがモンローは、ラバウルの指揮官であった草鹿任一に会うと、すっかり彼に心服してしまいます。
そしてモンロー検事は、草鹿を“オールド、ジェントルマン”と呼び、自分から彼の家にに何度も出かけている。
そして“オールド、ジェントルマン”のために海軍関連の事件を全部取り下げたいからと資料を集め、結局“Case is dismissed”として事件そのものの立件を見送ってしまった!
当時、日本に駐屯していた米海軍には、アーレイ・アルバート・バーク(Arleigh Albert Burke)という人もいた。米海軍の軍人で、最終階級は海軍大将です。
アメリカ海軍史上でただひとり、海軍作戦部長を3期6年の長きにわたって務めた実績のある人で、当然GHQの中でも発言権が強かった。
バークは、大東亜戦争の最中も、終戦後も、公の場で日本人を「ジャップ!」、「黄色い猿!」と侮蔑的に呼び、露骨に日本人をさげすみ、頭から反日・嫌日感情を隠そうともしなかった。それくらい日本人嫌いだった。
そのバークも、取り調べのさなかに草鹿任一と知り合います。
その出会いが、彼の人生を一転させた。
バークは、草鹿との出会いのあと、うって変わって親日家となり、モンローとともに日本海軍軍人の裁判をことごとく不起訴にしたばかりか、日本が早く占領状態から解放されるよう尽力し、挙句の果てが日本の海上自衛隊の創設のために全力をあげて貢献します。
その功績によって彼は、昭和36(1961)年には、陛下から“勲一等旭日大綬章”を授与されています。
平成8(1996)年、彼は94歳でこの世を去ったのだけれど、さすがに米海軍の大物のバークです。
彼は米国だけでなく、世界各国から多数の勲章を授与されていた。
ところがバークは、彼の葬儀のとき、本人の遺志によって遺体の胸に、日本の旭日大綬章ただひとつだけを取り付けた。
彼にとって、他のどの勲章よりも、日本で陛下から授与された勲章が栄誉だったのです。
他にも草鹿は、東京裁判開始前にキーナン検事を筆頭に、GHQで日本を敵視していた人々にいちいち会っては大喧嘩をし、大口論をした。
その結果、彼等は逆に日本人を認識し直し、草鹿を尊敬してしまう。
結果、帝国海軍軍人からは、A級戦犯として起訴される者が誰も出なかった。
のみならず、反日的だった彼らをして、逆に日本海上自衛隊の創建にまで協力させてしまった。
アーレイ・バーク

バークやモンローを、そこまで親日家にした草鹿任一中将というのは、どのような人だったのでしょう。
草鹿任一は、石川県出身の海軍軍人です。
戦艦艦長、海軍砲術学校校長、艦隊参謀長、海軍兵学校校長などを歴任し、大東亜戦争では、昭和17年12月から終戦まで、ラバウルで指揮を執った。
非常に頑固で短気。筋の通らないことには一切妥協せず、たとえ上官であっても激しく叱責した人物だったそうです。
海軍兵学校・校長時代の彼には、特別“これが”というような記録はないけれど、在校生徒には絶大な信頼と人望があったそうです。
彼の校長時代の言動や訓話などは、卒業生によって語り継がれ、ジンチャン校長と呼ばれ、兵学校校長退任後もたいへんな尊敬を集めていた。
ある日のことです。
軍人勅諭奉読式のとき、草鹿は、五箇条のみを読み、生徒に「軍人たるの本分は何か」と質問した。
優秀な生徒たちです。
いろいろな回答が返ってきた。
いちいちうなづいて聞いていた草鹿は、最後に全員の前でひとこと、こう発したそうです。
「軍人は戦いに勝つことが本分である」
たったこれだけです。
しかし生徒たちは、自らの不明を恥じ、草鹿校長の言葉を胸に刻んだといいます。
昭和17年12月に、草鹿はラバウル基地の司令官として赴任します。
翌昭和18年4月の「い号作戦」の翌日のことです。
搭乗員に訓示敬礼する山本五十六連合艦隊司令長官
(向かって右が草鹿任一南東方面艦隊司令長官)

「い号作戦」というのは、ラバウル周辺に日本軍の航空兵力を集結し、ソロモン諸島およびニューギニア島東部への集中的な攻撃によって戦局の打開を図ろうとした作戦です。
山本五十六司令長官が、直接ラバウルにやってきて指揮をしています。
作戦の翌日、朝8時から作戦の反省会議が開かれた。
この会議は、夕方6時40分まで、延々実に10時間におよぶ会議となったそうです。
出席者全員、疲労も極限に達していたころ、最後に宇垣聯合艦隊参謀長が立って、まとめとしてこう言った。
「航空兵力の不足が今日の戦況をまねいた主因です。現地部隊の一層の強力をのぞむ」
これを聞いた草鹿は、とつぜん立ち上がり、宇垣参謀長を怒鳴りつけた。
「そんな考えの者は、一人もおらん!!」
現地で指揮をとっていて、連日のように戦死していく部下を直接見ている草鹿にとって、これ以上、何をどう「強力をのぞむ」というのか。そんな安直な考えで、部下を死なせろというのか。全員が死を賭して闘っている。甘く見るな!
草鹿はよほど腹にすえかねたらしく、会議が終わって宿舎に帰ってからも、宇垣の顔をみるとふたたび彼を怒鳴りつけています。
宇垣参謀長に草鹿が激怒した翌日、ブーゲンヴィル島方面への視察を目的として飛び立った山本五十六の搭乗する飛行機が米軍機に迎撃されて墜落します。
司令長官以下全員が戦死した。
単機で出向くという山本長官に、草鹿は、無理やりゼロ戦6機の護衛をつけた。
しかし、草鹿の心の中には、終生このときの責任が棲みついていたようです。
「い号作戦」を含め、草鹿は、終戦までの2年9か月をラバウルの責任者として過ごします。
当時の様子が彼の著書「ラバウル戦線異常なし(草鹿任一著、光和堂)」に書かれています。
すこし抜粋してみます。
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魚はようやく一ヶ月2回くらい入る程度で、お話にならず、余り期待されなくなった。
ある日爆音に驚いたのか何に戸惑いしたのか、鯨(くじら)の子供が3匹連れ立って港の奥に向かって突進し、海浜に乗り上げてしまった。
その辺にいた通信隊の兵員は、思わぬお客様に面喰らったが、早速緊急呼集で皆つかまえて大喜び。
子供でも鯨の子供だから相当なもので、一番大きいのは全長3m40cm、小さいので2m半もあり、その付近の部隊で一食くらいはお陰を被ったらしい。
引き続いてまた来ないかと、いく分あてにしていたが、そう何度も、柳ではない椰子の下に鯨は来なかった。
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動物性蛋白の補給としては(成長期間の長い豚よりは)鶏でいこうということになった。
一年あまりで、ひとり当り一羽半か二羽くらいにはなっていたように覚えている。
私も初め、今村(均)大将にすすめられて、幕僚達の食卓用を引き受ける決心でやり始め、大いに奮励努力した。
何時の間にか三、四十羽に殖えて、時々卵の一つずつくらいは食卓にならべられるようになって本当にうれしかった。
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酒は、いちばん普遍的なものは椰子酒で、いも焼酎も造られた。
たまには陸稲から濁酒を造るものもあったようだ。
日常労働の後の一服の煙草、一杯の酒、それは理屈を超越した醍醐味がある。
いわんや御国をあとに数千里の前線で、一意敵に対して張り切っている親愛なる強者どもには、なろうことならば酒も煙草も充分に満足せしめたかったのである。
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塩は、火山の麓の海岸に熱湯の出る場所があり、その付近に穴を掘って、湧き出る熱湯の中にドラム缶を幾つも並べ、これに海水を汲み入れておけば白然に塩が出来るという寸法である。
煙も出ず、敵機が上空から見ても、うまくカムフラージュしておけば、なかなか判らぬので爆撃の心配も少く、比較的苦労せずして塩が採れることになり、これは大成功であった。
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この本には、その他バナナの茎を材料に、オクラの根を糊にして美濃紙の類を一日4千枚生産したり、ギンゴジカという灌木から採った繊維で布を織り、照明弾底部の黄燐と火山の硫黄でマッチを製造した話なども描かれています。
補給の途絶えたラバウルで、とにかくみんなが食えるようにする。
この文章には、部下たちの食に気を配った草鹿のやさしさがにじみ出ています。
その草鹿が、終戦によって終戦のときオーストラリア軍がやってくると、鬼の草鹿に一変します。
降伏調印のためにやってきたオーストラリア軍は、文書調印に、日本軍代表として
陸軍の今村大将を指名してきた。
これに対して草鹿は噛み付きます。
「海軍は陸軍の指揮下に入ったことはない!
建軍の本筋から考えて陸軍には海軍の降伏調印の権限は有さない!」
草鹿は、火のような剣幕でそう頑なに主張し、海軍側の指揮官として今村大将と連名で調印します。
連名で文書に調印するということは、自ら最高責任者と名乗りをあげることであり、それはそのまま「死」を意味します。
ふつうなら、指名を受けなければホッとする。
しかし草鹿は、頑として陸海併記でなければ認められないと主張し続け、結局、これを通し切った。
さらにオーストラリア軍によるBC級戦犯調査が始まると、自分自身が知らない部下の事件や問題に対しても、
「それは自分が命令した」
「それは自分の責任である」
と逐一、烈火のごとき剣幕で、横から口をはさんだ。
ものすごい剣幕だったそうです。
その剣幕に、オーストラリアの担当官は、驚きあきれた。
そもそも現場の最高責任者である指揮官が、自分が逐一命令したというのでは、取り調べにもなったもんじゃありません。軍は、指揮官の命令で動くものだからです。
ぜんぶが指揮官の指示によるものなら、実行犯は、ただ命令を遂行しただけとなり、軍事裁判で責任の追及のしようがない。
結局、草鹿は、ラバウルのBC級戦犯でも、海軍関係者全員の不起訴を勝ち取ってしまった。
終戦後の草鹿は、復員局に足しげく通っては、ラバウルで苦楽を共にした部下の状況を確認するために、自分も苦しい生活費の中から、ひとりひとりを訪ねていたといいます。
復員局の職員は「日本海軍の司令官は数多いが、「俺の部下に変わったことがないか?」といまだに訪ねてこられるのは草鹿さんだけだ」と述べています。(『ビッグマンスペシャル 連合艦隊・下巻激闘編』世界文化社、p.172)
困窮した生活を送っていた井上成美が胃潰瘍で倒れた際には、彼の教え子や部下達と共に治療費集めに尽力している。
草鹿は、戦後はずっと鎌倉に住んでいました。
昭和45年、彼はその鎌倉からはるばる南の果て、山本長官らの墜落現場をおとずれます。
墜落現場で香華を手向けた81歳の草鹿は、
「長官、遅くなりましたが、草鹿ただいま参りました」と手をあわせた。
一緒にいた者は、平素、涙など見せたことのない草鹿の目から、滂沱の涙が流れ落ちるのを見た。
同じ鎌倉に住んでいた方に、ガダルカナルの中将・木村進元氏がいます。
彼の回想です。
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そういえば、任一氏が亡くなる半月ほど前のことでした。
何を思ったか、ひょっこり何の前ぶれもなくやってきて、
「木村、貴様だけは元気なのだから、しっかりやれ」とハッパをかけて去っていった。
何をしっかりやればいいのか、こちらにはサッパリ見当がつきませんでしたが、いや、亡くなる直前まで、あの人は憂国の士だったですな。
自分はもう歳だから、そんな元気はないと断ると、ご機嫌斜めでした。
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このとき草鹿83歳。
ラバウルでの耐乏生活を3年近くも体験し、その後敗戦のショックを経た上でこの意気軒昂ぶり。
草鹿は、若い頃は血色の悪い顔をしていて、どとらかというと体格も貧弱だったといいます。
しかし、彼には強靭な精神力があった。
その年の8月24日、草鹿任一は、常世に旅立ちます。享年83歳でした。
草鹿の功績は、日本側の文書にはあまり登場していません。
しかし、お国のために生き、部下を思い、戦後もGHQと闘い、日本国海上自衛隊の創建に尽力し、戦後も旧軍人である部下たちのために生涯をささげられたその功績は、大であるといわざるをえません。
草鹿任一中将は、あまり名前の知られていない人かもしれないけれど、そういう名もなきひとりひとりが、必死にささえることで日本という国はできあがっている。
有名人になどならなくていい。
そんなことより、大切なことをずっと守り通す生き方の方が、はるかに大切で貴重で意義深いものといえるのではないか。ねずきちにはそんな気がします。
それとね、もうひとつ。
最近の日本人は、怒らなくなったといわれます。
なかばあきらめて、怒らない。
顔を真っ赤にして怒る者がいると、怒っている事柄や内容ではなくて「怒っている」そのこと自体が、みっともないとか、いい年をしてとか、非難の対象にされる。
でもね、思うんです。
草鹿氏が、GHQの多くの人を虜にしたのは、ある意味、彼が怒ったからなのではないか。
筋を通して、言うべきことをちゃんと言い、時に感情を大爆発させて怒りまくったからではないのか。
昨今、民主党の議員さんたちが、横暴としかいいようのない乱暴な政治運営をしています。
自民党の代議士さんたちは、それに対し、筋と理屈を通して質問し、議論をしている。
しかしね、おとなしく紳士的にものをいえば、つけあがるだけのゲスというのは、やはり世の中にいると思うのです。
そういうヤカラには、やはり怒ることも必要なのではないか。
たしかに自民党は選挙に負けた。しかしその敗北というのは、大東亜戦争の終戦のときのショックと比べたら、はるかに軽いものでしかない。
先の衆院選など問題にならないくらいの大きなショックの中でさえも、草鹿中将のように、しっかりと戦いきって主張を通しきった男がいた。
わたしたちは、そんな草鹿中将に、いま、ふたたび学ばなければならないところがあると思うのです。
亡くなった方の名前を勝手に献金者として名簿に記載したり、内閣総理大事にもなって地球46億年の歴史がどうのこうのだから憲法違反の外国人参政権を与えろなどわけのわからないことをいいながら豪華な御殿に住むような人物より、草加中将のように生涯「誠実」の二字を貫き通す生き方の方が、ねずきちには、日本人としてとってもとっても大切で誇らしいと思えます。
日はまた昇る!昇らせる!と思う方
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コメント
イノシシ村眞次
明治の教育を受けた方々は、
あたりまえに持っていた認識なのだろうな。と、あらためて思いました。
ボクは、井上成美さん関連の資料から海軍の情報を入れていましたので、
草鹿さんという人は、井上さんとは対照的な砕けた感じのざっくばらんな人、
ただ、それだけの印象でしたが、いやいや、たいへんな人格者で
ねずさんの記事を読んで、さらに頭の下がる思いです。ありがとうございます。
2015/01/10 URL 編集
たりぽよ
いつも感動して読んでおります。今の危機的な日本国には草加任一さまのような熱血指導者が必要です。脱税無知無責任鳩山や、汚沢一郎ではなく。いずれも自分の責任を逃れるために、腹心の部下の秘書に責任をなすりつける輩です。言語道断、リーダーなんてもってのほか、早く退場して、檻の中とかおさまるべきところにおさまっていただきたいですねえ。
2010/05/09 URL 編集
侍ジャパン
何所にでも沸いてくる寄生虫のような存在である!
社会やコミュニティーを内側から破壊することを使命とする
異物であり、世界に破壊と、消滅をもたらす浪費者だ!
2010/05/09 URL 編集
かぐやひめ
お会いしたことはありませんが、
気風ののいい、あなた、本当にいい男!ですね。
惚れぼれします。
お金は、ある意味出す方は、自分に出来る範囲だからこだわりがないのですが、
受け取る方の責任感は、すごく重たいです。
ねずきちさんが、どれだけ律儀で、責任感が強いか、また俊祐さんと、同じ気持ちで、私財全部をなげうってしまいかねないか・・・身近で知る私達(ねずきちさん、bbさんとともに)です。
お金は力ですが、扱いを誤るとすべてを破壊します。
会長のまごころが、誤解されないように曲解されないように、十分気をつけて、進みたいと思います。
ありがとうございます。
まごころこそが、日本を守る。
形に見えなくても
2009/11/20 URL 編集
おれんじ
そんなバークさんが心から感銘を受けたのが草鹿中将だったとは…戦前に精神を鍛えられた帝国軍人の偉大さはいかばかりかと想像します。人種差別炸裂の時代、しかも戦争という極限状態にあって西洋人と毅然として戦い、抗議して戦犯の無実を勝ち取った偉大な日本人。尊敬の念と共に自分の身に照らして恥ずかしく思います。
陸軍の今村大将も偉大な人格者でしたし、この精神がマスゴミの理不尽な差別にも負けず、今の自衛隊にも受け継がれている事を祈るばかりです。(もちろん私も自衛隊を応援します!)
ねずきちさんの詳細なレポートにはいつも驚嘆させられております。またじっくりと拝見させて頂きますが、どうかバーンアウトなさらないよう、お体にお気をつけて!たまにはお休みを取られてゆっくりなさってください。
応援クリック。
追伸:ぷうさん、私もリベラルブログの閉鎖性には驚いております。言論封殺じゃまるで民主党共産党と同じじゃないですか、これじゃ!保守の方がよっぽどオープンですよ。
2009/11/20 URL 編集
俊祐
2009/11/20 URL 編集
たぬきち
あわび、失礼 お詫び申し上げます。
2009/11/20 URL 編集
たぬきち
>ねずさんの持ち出しをチャラにするような(今までとこれからの分)支援を考えましょう。 <
いや~嬉しいです。 ありがとうござます。
私「日心会」の副会長を担当しています たぬきち といいます。
カンパに関しては本当に「お願」するようになると思います
。 その節はよろしくお願致します。
2009/11/19 URL 編集
お達者クラブ
お・ね・が・い。 教えて! あたまのいいブログ。
でも、まさか「九条の会」なんて言わないでよ。 吹き出しちゃうからさ
>たぬさん・・・座布団奮発して3枚
僕は放蕩がたたって、負債に半分殺されかけてる身なんですが、飯抜いて寄付する金貯めてます。国の為なら、全然つらくない。実家に行って、親父の秘蔵の壺を売っちまおうかとも思うんですが、ショックで死なれても困るんで、それは止めてます。
>俊祐さん・・・マジ!?、壷は持ってないけど、この前食べた横川の釜飯の釜くらいなんだけど(単なる燃えないごみ?だっけ?)。
外債と株の投信がゆとり金だったのに、馬鹿国民のおかげで、民主党政権になって、円高・株安でゆとりはパー。
せっかく麻生首相で持ち直したのに、民主党の馬鹿政権。金持ちはオザワンだけか?う~~ん、捕まえろ!。
まじめに
軍資金って絶対必要!
敵の資金源を身動きできなくするのと、並行して活動できればいい(パチンコ撲滅活動・・・日本からパチンコをなくそう)。
【保守は、天皇、靖国、日の丸、君が代、日心会、パチンコ撲滅】
ねずさんの持ち出しをチャラにするような(今までとこれからの分)支援を考えましょう。
ねずさんからは言いにくいから直近の方の提案があればいいけど。
飲み会の席では駄目ー、気が大きくなってしまうから、俊祐さんになっちゃう可能性があるので(俊祐さんジョークってことで)。
2009/11/19 URL 編集
ゆりゆり
www.shomei.tv/project-1343.html
というのを行っているみたいです。
もしよろしければ、参加してください。
日本の未来、子供達の未来を私達が守りましょう!
2009/11/19 URL 編集
Q9FC
2009/11/19 URL 編集
俊祐
2009/11/19 URL 編集
かぐやひめ
趣旨にそって、大切に使用し、誰にでもわかる、報告ができなければなりません。
そういう、備えと覚悟なしに、やみくもに、お願いするわけにはいきません。
事業の進捗と、資金の調達のバランスがとれることが一番ありがたいことです。
ただし、会長のねずきちさんは、すでに、私財を投じていらっしゃいます。
いくら、ご自身が発起人でも、そういうことは長く続きません。儲けを出す心づもりはありませんが、会長の負担が軽減するだけの資金調達は、悲願でございます。
みなさま、どうか、よろしくお願いいたします。
来年以降、紙媒体も、含めて、すぐれた作品がでてくるはずです。
また、組織づくり、「日本の心をつたえるシステムづくり」も、進む予定です。
きちんとした土台が完成すれば燎原の火のように燃え広がる・・・大変なことになる・・予感があります。
2009/11/19 URL 編集
俊祐
2009/11/19 URL 編集
-
俊祐さま
本当、このブログの愛読者が千円カンパするだけで、すごい額になりますね。
私も微力ですが、カンパします。
2009/11/19 URL 編集
俊祐
2009/11/19 URL 編集
俊祐
2009/11/19 URL 編集
共通一次世代
棚橋議員は11月18日に厚生労働委員会でこども手当ての問題点を取り上げてくれました。↓
===============
棚橋:
こども手当て(に関して)、給食費を払えるのに払わない保護者がいるが、地方自治体等がこども手当ての中から天引きする制度を作る気持ちはあるか?
長妻:
ご指摘の件、議員以外にも頂いている。天引き等々の作業が入ることに関して各方面に理解が得られるかどうかということもあるので、即答できる案件ではない。
棚橋:
何故出来ないのか?自治体に押し付けていいのか?そもそもこども手当てとは一生懸命子どもを育てるためのものなのではないのか?何故給食費が天引きできないのか?
長妻:
(子どもの)国保の保険料を払えるのに払っていない保護者がいる、この場合も天引きにするのかなど、議論が広がる可能性がある。また、多くの施策は地方自治体の事務に頼らざるを得ない。
給食費を払えるのに払わないということをどういう基準で考えていくのかということもある。来年度からの事業であるので基本的には現金で取り組んでいきたいと考えているので、ただちに実行するということを考えていない。
棚橋:
現金で払うのは子どもの為のはず。何故給食費が天引き出来ないのか。そもそも何故来年の6月にこども手当ての給付をするのか?有権者への買収ではないか?
本当に2万6千円が子どもに使われる保障があるならばいいがそれがない。そして私が給食費を取り上げたのは「象徴的な事例」だからだ。
長妻:
給食費を払えるのに払わないのはダメだ。
こども手当ては子どもに使われなという懸念もあると思うが、こども手当ては、現金にはお金に色はないが、子どもが歴然といる家庭に入る。お子様のいる家庭では確実にお金が掛かっている。その基礎的な費用を社会全体で見ていこうという趣旨である。基本的にはそこにお金が掛かっているという認識である。
棚橋:
いま大臣は、「給食費は払えるのに払わない親はダメだ」といった。
2万6千円貰っても、天引きしなかったら給食費は払わない、自分のお遊びには使う、そういう可能性がある。
何故ここにこだわるのかと言うと、この2万6千円が子どもの為のものなのかそうでないのかという、民主党政権の本質が問われているからだ。
長妻:
突然のお尋ねでもあるので、そういうこと(天引き)を実行した場合、どういう論点があるのか、どういう課題があるのか、法律の立案が必要になるのかならないのかなど、検討していきたいと思うが、今この場で直ちに言われて私が即答をすると言うのは、逆に無責任になるので、それを直ちに約束できる段階ではない。
棚橋:
先程「そういう指摘は委員以外からもあった」と言ったので前から認識していたのではないか?民主党政権の最大の目玉であるのだから、当然制度設計ぐらいはしているんじゃないか?ましてあなたは大臣になって2ヶ月になる。まだ制度設計もできていないのか?
こども手当てなのだから、子どもに必要な予算に関しては天引きする必要があるのかないのか?
長妻:
(同じことに繰り返し)
棚橋:
大変見事な官僚答弁だ。よくまぁ2ヶ月にうちに官僚答弁を身につけたなぁと。
こども手当ての給食費の問題と言うのはこども手当ての本質だ。
政権公約の中で「子どもの為だ」と言っている以上は、この2万6千円のお金が子どもに使われるかどうか詰めてる筈なのに詰めていない。そこがおかしい。
長妻:
常識的に考えてこの場で責任ある立場として「すぐやる、すぐやらない」と言うことは即答できないと言うことはご理解いただきたい。
棚橋:
このように国会でざっくばらんに虚心坦懐議論することは当然のことじゃないのか。あなたがよく質問で今までやってきたことではないか。
本当に子どもの為に使われるのかどうか、国民は、税金が子どもの為に遣われない、そういうことにならないか心配している。だから制度設計の中でせめて前向きに考えるとか今年中に導入する方向で検討するとかそれ位はい言えないのか?
長妻:
(ほぼ同じことに繰り返し)
===============以上、多少省略部分あり。
ちなみにネットで調べると・・・
民主党の子ども手当法案では、『手当の支給を受ける権利を差し押えることが禁止』されており、例えば、給食費等の未納者に対して、こども手当ての中から支払ってもらおうとするならば、一旦子ども手当を支払った上で、給食費未納分を納付しもらうしかないのだそうです。
法案が今現在の内容で成立した場合には、地方自治体側の意向のみで給食費未納分との差額を支払うという方法は困難とのことです。
兎にも角にも、財源もなくこんないい加減な制度を恒久的に実行するのは公約違反だし絶対反対です!
皆さん、怒りを持ちましょう!
2009/11/19 URL 編集
共通一次世代
怒りが次から次へと湧いてきます・・。
この千葉景子法相に国民は大きな怒りを持たないといけない!!
①棚橋議員にに辛光洙(シンガンス)に拉致された被害者の名前を聞かれ、即答出来ず、秘書からカンペを受け取りそれを読もうとしても「原さん・・」と詰まり、下の名前さえ答えられなかった千葉景子法相。
老眼鏡を取りに行くが、老眼で見えなかったのではなく、下の名前の読み方が判らなかったのです。
「原敕晁」さん。漢字が読めなくても「はらただあきさん」とすぐに「言えなきゃいけない」名前でしょうに。そして、同じく辛光洙に拉致された横田めぐみさんの名前さえも出てこない。
法相就任会見で、辛光洙釈放嘆願書への署名について批判を浴びてから2ヶ月、今だ、自分が拉致実行犯釈放に加担したことに「不注意」だったで終わらせている千葉景子法相。
嘆願書の「撤回」をする気があるのかないのか棚橋議員が追求しても「撤回する」とは決して言明しなかった千葉景子法相。
これが今の日本の治安を担当する日本の法務大臣。
国民一人一人の命と安全を守るのが最大の任務と言いながらこの体たらく。
②鳩山脱税総理の7200万円申告漏れ についての質問では、壊れたレコーダーのように「個別のことについて私からお答えする事は差し控えさせて頂きます。」を繰り返す。
法務大臣でありながら、内閣に対する規定が記されている憲法第75条さえも知らなかった千葉景子法相。
~憲法第75条~
『国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。』
捜査中(裁判になっているわけではない)だからといって一切説明しない脱税総理。しかし、憲法上、この総理を起訴しようとするなら鳩山内閣総理大臣本人の同意が必要になる。結局憲法に保護され、起訴されない。治外法権の人、鳩山。すごい「鳩山システム」・・。これに対して何も言わない千葉景子法相。
③不法滞在の外国人(証拠偽造など悪質、かつ組織的な中国残留孤児偽装入国事件の中国人の家族。この家族は生活保護を受けていたとのこと)に対し、最高裁で国外退去命令が出されたにも拘らずそれを覆し、在留特別許可を認めてしまう千葉景子法相。
続く稲田朋美議員の質疑で、この件に関して、「不法滞在者に生活保護を与えるのが妥当かどうか」を聞かれ、「私が答えるべき範疇ではない」などと答え、「与えるべきでない」という言葉さえ言えない千葉景子法相。
こうして犯罪者を庇い、犯罪者の人権のみを優先する千葉景子法相。
怒りで一杯になります。ほんとに。
ニコ動が見られない方は↓
11/17/2009 棚橋泰文議員 vs 千葉景子法相 (1/6)
http://www.youtube.com/watch?v=1Lra15U6A04&feature=related
2009/11/19 URL 編集
ぷう
でも書き込みはゼロじゃないんですよ、多くはないんですが10件前後はかかれてるんです。
なんでなんでしょうね?
2009/11/19 URL 編集
愛信
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュースタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2009/11/19 URL 編集
たぬきち
私の>海上自衛隊の皆さんは本当に良い先輩をお持ちですね~ < が誤解を与えたんら、ごめんなさい。
>東京裁判・日本のマスコミが作り上げた日本陸軍「悪」も私は間違いであると考えています。<
私も同じ考えです。
2009/11/19 URL 編集
wktk
知りませんでした。
教えてくれて、ありがとう。
2009/11/19 URL 編集
猪
海軍には基本姿勢に「五省」の精神は生きているのです、現在ではアメリカの兵学校でも使われ居ると聞きます。陸軍は戦後の扱いで損をしました、陸軍軍人の多くは立派な人も多くいたのですが大戦中の首相に陸軍軍人が選ばれた事が一番大きいと考えています。
東京裁判・日本のマスコミが作り上げた日本陸軍「悪」も私は間違いであると考えています。
2009/11/19 URL 編集
bb
心が素敵かダサいかどちらかです。
わかった?アップ・アップ!
2009/11/19 URL 編集
m
本物の日本人には、ここは頭のよいブログ、とうつります。
2009/11/19 URL 編集
ishinsya
2009/11/19 URL 編集
かぐやひめ
大変なことになります。
もう少し待ってください。今は、大変なことの準備期間中です。
ところで、日心会には、すでに入会されましたか?
まだなら、どうぞ、お入りください。
2009/11/19 URL 編集
ケンボー
海軍と言えば、スマートなイメージがあったのですが、こんな骨太な人がいたんですね。
2009/11/19 URL 編集
たぬきち
地方議員が民主党を離党したというニュースを他の方から私のサイトへのトラックバックで知りました。
とても興味ある動きに思いました。
民主党を離れた2議員自身の説明があったので、それを紹介させていただくことにしました。
これからの日本の政治のあり方、そして日本のあり方を考えるうえで、できるだけ多くの人にこの「民主党離れ」の動きについて知っていただくことが好ましいと考えるからです。
しかも2議員の離党の原因の一つは外国人参政権への反対だというのです。
注視すべきことです。
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マスコミ発表 「離党の決意」
本日マスコミに対しまして、私(安田真也議員)と田中敦美議員が連名で「決意書」を発表しました。
決意書
吉川市議会議員安田真也は平成21年11月4日に、杉戸町町議会議員田中敦美は同月5日に民主党埼玉県連代表に対しまして離党届を提出致しました。
短い期間でしたが政治活動の場を提供くださった民主党に感謝申し上げます。
政権与党となった今、なぜ党を離れるのか。
民主党を離党するに至った経緯・理由については、大きく分けて2点あります。
まずは、私どもと民主党との考え方の違いであります。
日頃、私どもは地域住民を大切にし、地域の政治家として、保守系の議員として活動してまいりました。
しかしながら、総選挙前に発表された「民主党INDEX2009」では外国人地方参政権、靖国に替わる国立追悼施設問題、国立国会図書館法改正等が触れられ、到底私ども保守系議員にとって受け入れられないものであります。
国民一般には「マニフェスト」の実行を約束、「INDEX」はマニフェストでも公約でもないとの認識から、選挙中は公認候補者必勝のための活動を行いました。
今回民主党が大勝し、政権交代が成った今、マニフェストに記載のない、前述の外国人地方参政権問題をはじめとする、極めて国家を二分するような「INDEX」に記載されている事項が実行されようとしており、地域を守る者として、保守系議員として危機感を覚えました。
この「INDEX」の危険性に関し、同じく民主党の東京都議会議員の一人がこの問題を月刊誌や多方面で指摘し、党の逆鱗に触れたのか離党勧告を受けています。
このように極めてイデオロギーが先行する政策を党内議論もなく、また、一部の国会議員だけで決めてしまい、物申す者は排除するという姿勢は「全体主義」そのものではないでしょうか。
2点目は、私どもの所属する埼玉14区総支部長の資質の問題です。
総支部長たるもの、少なくともその地域のため、地域住民の為に実情を把握し、問題点があれば的確にアドバイスができ、地方議員の良きアドバイザーとなることが本来の姿ではないかと考えております。
しかしながら当該総支部長は14区内の地方議員選挙において、公認候補者以外の他候補者陣営へ数か所応援へ行き、自らマイクをとり街宣している事実もあり、このような行為は大変遺憾であり、これは党紀違反行為そのものであり、総支部長だからと許される行為ではないと思います。
仮に地方議員がこうした行為をとったらどうでしょう。
除名・除籍処分ではないでしょうか。
過去にも数多くの支援者や地方議員、秘書とトラブルを起こしております。
今回の選挙後、支援者周りを行わず、各地方議員の元にクレームが寄せられていて、今始まったばかりのことではなく、以前から指摘されている問題でありますが、全く改善する気もなく改善の見込みがありません。
義を見てせざるは勇なきなりという言葉がすべてではないでしょうか。
私どもは、まだまだ未熟ではありますが地域を守るという責務は、心してしっかりと果たしているつもりであります。
上記のような地域を自ら壊すような動き、「地域のことは地域で」と、私どもは、地域がまとまった形が国であると思いますが、この総支部長は「私は国会の方なので国のことしかやりません」。
なんら関心も寄せないような国会議員とは真剣に全力で闘っていきます。
今後の動きですが、私どもは地域・国家・国民を守るために離党したわけですから、党派を超えた同じ志のある同士を集め、同士らと共に、誠に地域のため、国家・国民の為に生命を燃やしていこうと考えています。
また、こういった志をもった若者を育てていくことも必要であると考えており、真の「平成維新・改革実現」のため草莽崛起の志で闘っていきます。
以上
杉戸町町議会議員
田中 敦美
吉川市議会議員
安田 真也
2009/11/19 URL 編集
八潮
ワシにも教えてくれんかのぉ?
その頭のいいブログをよ(笑)
ついでに、あんたの住所氏名も教えてくれや。
楽しいことしたるで(笑)
おっと、調べりゃわかるんだっけか?(嘲笑)
2009/11/19 URL 編集
たぬきち
私も日本人に生まれて良かったです。
そうだ! 名前も「海軍」に戻しましょう。 我々国民の多数がそう考えればできるのです。
聞くところによると、英語では「海軍」と同じに表記されるとか? だって世界中で自衛隊なんて言葉どこにもないもんね。世界常識では【訳せないぐらいおかしな言葉】なんでしょう?。
それはそうと、>あたま悪いブログだこと <のアップさん。
お・ね・が・い。 教えて! あたまのいいブログ。
でも、まさか「九条の会」なんて言わないでよ。 吹き出しちゃうからさ!
2009/11/19 URL 編集
TEXAS
小室直樹が書いていました。
几帳面にも時間厳守で、予定通りに飛び立ったと~~~。 米国に傍受されているのですから、時間をずらせばよかったのに~~~と。
2009/11/19 URL 編集
俊祐
だとしたら、一般人だって言えばわかるはず。しかし一般人はネットはやらないから、何か一般人向けの媒体を作らなきゃならない。ヨーロッパに行ったときに、週刊の政治パンフレットみたいなものがあってびっくりしたんだけど、こんなのはどうでしょう。
というのはねずきちさんの文章には独特の力があって、なにげなく読み出すと、引き込まれるように最後まで読んでしまう。わかりやすくて面白い。まさに、大衆を啓蒙するための文章力を持った人です。パンフレットでもつくったら、かなり売れるんじゃないかな。
そのための寄付を遠慮なく求めたらどうでしょう。ねずきちファンは、全国に十万くらいいるとおもう。いや、もっとかな。この人たちが月に千円寄付したら1億、年に12億になる。2千円なら24億。月2千円で国が救えるなら、安いものです。
今、目覚めてる保守は400万くらいはいるのかな、この人たちが毎月少しずつお金をだしたら、もの凄いことになりますよね。
2009/11/19 URL 編集