ビルマの建国に学ぶ



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ビルマの竪琴
ビルマの竪琴


「ビルマの竪琴」といえば竹山道雄の小説で、雑誌「赤とんぼ」に昭和22(1947)年3月から1年間連載され、ビルマ(現在のミャンマー)を舞台とした物語として有名です。

この小説は後に市川崑監督によって昭和31(1956)年と昭和60(1985)年の2度、映画化されています。

最初の映画では、水島上等兵を安井昌二が演じ、2度目の映画化のときには、中井貴一が演じた。

「ビルマの竪琴」は、子供のころ、小説を読んで、あるいは映画を見て涙を流した記憶をお持ちの方も多いかと思います。

ねずきちの頃は、月刊誌の“小学○年生”の付録に、毎月いろいろな小説の文庫本の付録が付いてきてて、これがすごく楽しみでした。

ビルマの竪琴は、小さい頃、テレビで放送されたものを亡くなったおばあちゃんと一緒に見たのだけれど、そのときはなにやら難しくて、よくわからなかった。
ただ、おばあちゃんが映画に涙を流していることと、映画の中で流れる竪琴の埴生の宿の音楽がとても印象に残っていました。

そんなこともあって、小学五年生だか、六年生だかの付録に「ビルマの竪琴」がついてきたときは、もうむさぼるようにして、読んだ。
結構泣けた記憶があります。

物語の舞台となったビルマという国は、いまはもうありません。

かつてビルマだったところは、いまはミャンマー連邦という国になっています。

日本の年号が昭和から平成に変わった年1988年、クーデターによってこの国には軍事独裁政権が誕生しました。国家法秩序回復評議会です。

この政権は、憲法と議会の廃止を一方的に宣言し、他の政党の活動を一切禁止します。
そして反対する国民1000人以上を虐殺したうえ、少数民族が住む各地で、強制労働、強制移住、強姦、殺戮を繰り返した。

あまりにひどいことをするので国際世論がこの政権を問題視し、公正な選挙によって選ばれた議員内閣の組成を促します。
軍事政権は、平成2(1990)年、国民議会の選挙を行なう。

選挙結果は、軍事政権反対を唱えるアウン・サン・スーチー率いる国民民主連盟が全議席の81%(392議席)を獲得します。

ところが軍事政権はこの選挙結果を認めず、議会を一方的に閉鎖しただけでなく、議会への政治権限移譲自体を拒否し、スー・チー女史を自宅に軟禁してしまいます。

そしてその軟禁は、2009年のいまでも続いている。

女史はいまだに軟禁状態に置かれ、措置を課す一方で、同女史は政府を激しく非難するなど、両者の対立が続いてきた。2003年5月には、スー・チー女史は政府当局に拘束され、同年9月以降、3回目の自宅軟禁下に置かれている。


ちなみに、そんな非道を働いた「国家法秩序回復評議会」は、国際世論の目を誤魔化すために、政権の名称を「国家平和開発評議会」と変更しています。

だいたい人民民主主義共和国とか、平和なんとかとか、ピースなんとかとか、いうようなところってのは、うさんくさいのが多いです。

民主主義で共に和する国といいながら、そういう名前の国はたいていの場合、独裁国家だし、国際平和とか、国民平和とか「平和」をことさらに強調する団体や政党も、きわめていかがわしい。

だいたい国名とか地名とかいうものは、その地の歴史・伝統・文化・地勢に根ざしたものであるのが普通で、それに平和だの民主だのとことさらにくっつけること自体がいかがわしい。たとえば、東京の麻布は、昔、布のように麻の平原が広がっていたから口伝えに麻布となったわけで、それを麻布平和民主共和国なんて名づけるようなら、よほど政治的な偏向を持った人たちが街を牛耳っていると見た方がいい。

平和なんとかにしても、有名なピース・○ートなんてのは、世界中の紛争地帯に向けて豪華客船で豪勢な船旅を楽しんだあげく、目的地についたらその国の治安を誠実に守る人たちの邪魔ばかりしている。ろくなもんじゃあないです。

話が脱線してしまいましたが、ともあれビルマでは、いまだにこの軍事独裁政権が続いています。

そして「国家平和開発評議会」というたいそうな名前のついた悪質軍事政権は、シナから密造品や模造品を大量に輸入し、その品を世界に輸出して外貨を稼いでいる。政権幹部はそれによって国内の富を独占する一方、一般の民衆は飢えに苦しみ、職もなく、娘たちは売春に出され、世界有数のエイズ感染大国となっている。

しかし、もともとは、ビルマはアジアの“強国”だったのです。

ビルマは1824年・・・日本で言ったら徳川第13代将軍家定のご治世・・・に、インドを支配していたイギリスに対してベンガル地方(パキスタンとインドの国境地帯)の割譲を要求して、真っ向から戦いを挑んでいます。

七つの海を制した大英帝国が世界最強だった時代に、堂々と戦いを挑んでいる。

この戦いは、ビルマ側の敗戦に終わったけれど、世界の大英帝国だったイギリスですら、そのまますぐにはビルマを制圧することはできなかった。国境を保持するのが精いっぱいだったのです。それだけビルマは強い国だった。

英国は、30年がかりでビルマ攻略を準備します。
そしてようやく1852年・・・日本では幕末の安政の大獄があった頃・・・になって、ようやくビルマを挑発して、第二次英ビ戦争を挑んでいる。

充分な準備を整えた英国に対し、ビルマはこの戦争で国土の半分を失ってしまいます。
さらに30年後の1885年には、第三次英ビ戦争で、ついにビルマ王朝は滅亡してしまう。
ひとつの国を滅ぼそうという動きは、一瞬にして壊滅させるという形態ばかりではない。何十年もかけて、その国を内部から崩壊させ、滅亡に導く。そのやり方というのは、昔からあるのです。

ひどい話で、英国はビルマを直接統治するのではなく、歴史も伝統も文化も人種や宗教さえも異なるビルマを、英国領インドに併呑してしまいます。ビルマは、インドの一州になってしまう。もはや国ですらない。英国はそこまでビルマを追い込んだ。

この戦争で、ビルマの国王夫妻はイギリス領スリランカに流刑され、その地で死亡しまった。王子たちは全員処刑され、王女はイギリス軍の下士官の従卒に奴隷として与えられてしまった。英国は、国王一家ですらいっさいの人権を認めず、まさに奴隷として扱ったのです。

地方主権などという言葉を最近言い出しているアホがいますが、主権というのは、場合によっては他国に対して宣戦布告すらできる権能を持ったものをいいます。主権を与えるというのは単に地方の行政権を強化するという程度の趣旨ではない。地方を独立国とする、という趣旨のものといえる。

そしてその結果は、シナ共産党の綱領にしっかりと図示されている。日本の関西以西はシナの「東海省」、関東以北はシナ領「日本自治区」とするというものです。いうなればシナの書いたシナリオに日本の民主党が相乗りしている。
そういう売国政党を放置することで、万々がいち陛下の身にビルマで起こったようなことが起こったら、我々現代人は、靖国で眠る英霊たちに何と言いわけするのか。

そして植民地化されたビルマ人は、当時の被植民地の一般行政に従って、国民の私有財産と一切の教育を奪われ、単に労働者として使役された。
ビルマは、良質なチーク材と、ゴムを産出する。
年齢を問わず、男はチーク材の切り出しやゴム栽培などの重労働、女は農業と家政婦として奴隷化された。

実は、いまでもビルマでは、先端の尖っていない鎌や包丁が売られています。
これは英国の植民地時代に、英国人に抵抗する武器にならないように、そういう形にされた名残なのだそうです。

まぁ、そう考えると、私たち日本人が台所で、普通に出刃庖丁を使えることひとつをとっても、先人達がこの国を護るために必死に戦ってくれたおかげと感謝しなければならないという気になってきます。

さて、それから30年後です。明治37(1904)年に、日本が大国ロシアと戦います。日露戦争です。
ロシアと日本の国力は、20倍。
しかもロシア陸軍といえば、かのナポレオンの軍隊を破ったヨーロッパ最強の軍隊。
バルチック艦隊は、海軍国大英帝国を凌ぐといわれた最強不沈艦隊です。

それを、あっさりとアジアの小国日本が破ってしまった。
このニュースは、ビルマの知識人たちを興奮させます。

日本に学べ・・・日露戦争後の日本には、アジア各国からの留学生が溢れた。

その中の一人にビルマの僧オッタマがいました。
オッタマは、抗英独立運動のために投獄されたこともある人物で、日本にやってきたのは明治40(1907)年のです。

オッタマは3年間日本に滞在した。

そして自らの見聞記を「日本」という本にまとめ、ビルマで発刊します。

本の中で彼は、次のように書いています。

「我々も仏陀の教えを中心に青年が団結・決起し、日本に頼れば、必ず独立を勝ち取ることができる。」

帰国したオッタマは、ビルマの独立運動のために生涯を捧げます。
オッタマを危険人物とみなした英国政府は、彼を何度もなんども投獄する。
それでもオッタマは、何度もなんども出獄し、独立のための運動を続けた。
そして彼は、昭和14(1939)年、ついに獄死してしまいます。

しかし、オッタマの精神は、ビルマ独立の志士たちに受け継がれます。
このあたり、吉田松陰と、彼の志を受け継いだ松陰塾の面々の物語にちょっと似てる。

オッタマの弟子のひとりに、タキン党の青年で、のちに「ビルマ建国の父」と呼ばれるアウン・サンがいます。この人がやや晋作に近い。
ちなみにアウン・サンは、現在もビルマで軟禁されているアウン・サン・ス-チー女史の父親です。

アウン・サン
アウン・サン


アウン・サンは、昭和10年代前半に、ビルマの独立を図るタキン党に入党します。
タキン党の抗英運動は国民的盛り上がりを見せるのですが、英国はこれをこれを徹底的に弾圧し、志士たちを見つけては逮捕、投獄していた。

なかでも大物であるアウン・サンにも当然逮捕状が出された。彼は指名手配犯になります。

一方日本は、China事変で蒋介石率いる国民党に手を焼いていた。蒋介石というのはもともとは親日的だったのだけれど、英米からビルマルートでの補給物資を受け取るようになると、一点して抗日運動家になった人物です。
日本としては、その援蒋ルートを絶たなければならない。実際、大東亜戦争のあと、米英が援蒋ルートでの補給をやめると、途端に蒋介石率いる国民党は、毛沢東率いる八路軍にあちこちで散々破られ、ついに国を追われてしまった。

毛沢東の率いる八路軍は、日華事変のさなかには、武器も食料もなく、ただシナの国内を逃げ回っていただけです。それが大東亜戦争末期にソ連が参戦し、武装解除した日本軍から奪い取った武器弾薬や糧食を、まるごと八路軍に分け与えた。

補給の整った八路軍、補給を断たれた国民党。形勢は一瞬で逆転した。
たしかにインパール作戦は、無茶な作戦でした。しかし、援蒋ルートを断つという日本軍の目論見そのものは、決して意味のないものではなかったという一点だけは、異論はあるかもしれないけれど、しっかりと押さえておく必要がある点だとねずきちは思っています。

話を昭和15(1940)年に戻します。

日本陸軍は、参謀であった鈴木敬司大佐をビルマに派遣します。
鈴木大佐は、ビルマの内情を調査すると、アウン・サンを含むタキン党30名を救出し、ひそかに日本に亡命させる。

彼は、ビルマから連れ出した30名志士を静岡県浜松市にかくまい、そこで彼らに徹底的な訓練を施した。猛訓練だったそうです。

いま、浜名湖を望む舘山寺温泉にある大草山に登ると・・・大草山山頂まではロープーウェイで登れます・・・ねずきちのようなオヤジには、これは非常にありがたい^^;

その大草山の頂上には、「ビルマゆかりの碑」が立てられています。
日本でビルマ建国シナリオを描いた30人志士たちは、歩いて、この大草山に登った。
そして秘密訓練を受けた。

特訓の後、彼らは、鈴木大佐とともに、ひそかにビルマに帰国します。

昭和16(1941)年、大東亜戦争の開戦とともに、タイのバンコクで30人志士を中心とした「ビルマ独立義勇軍」が結成される。

義勇軍の司令官には、青年たちが心から慕う鈴木敬司大佐が就任します。
鈴木敬司大佐は、この時点でボ・モージョというビルマ名までもらっている。

「ポ」というのは軍人に付く称号です。「モージョ」は“雷”という意味。
鈴木は、直訳すれば「雷帝」と呼ばれた。

ちなみにビルマ人には、いまでも“姓”がありません。
あるのは、花とか太陽とか、勇気、雷といった意味を持つ名前だけです。
そして名前の音節に、目上の男性に対してはウをつけ、同等か下の場合はコを付けて呼ぶ。女性の場合は、ドとマを使います。

アウン・サンも一音の名前、アウンサンスーチーも、父の名前に祖父の名前のスーと母の名前のチーを加えたもので、アウンサンスーチーという一音の名前です。

鈴木敬司大佐
鈴木敬司大佐


昭和16(1941)年12月16日、アウン・サンの提案で、鈴木大佐は純白のビルマの民族服=ロンジーを身にまとい、白馬にまたがって、ビルマ民衆の前に登場します。

これはビルマの伝説で、イギリスに滅ぼされたビルマに、いつかかならず白馬にまたがったボ・モージョ(雷帝)が、東の方角からやってきてビルマを解放するという伝説を演出したものといわれています。

ビルマの民衆は歓喜して鈴木たちビルマ義勇軍を迎えた。
こうしてビルマの民衆を味方につけた日ビ連合軍は、敢然と英国に立ち向かう。
そしてわずか3ヶ月で首都ラングーンを陥落させ、イギリス軍を潰走させてしまった。

そして日本陸軍は、ビルマに軍政をひきます。

これに鈴木敬司大佐は猛反発します。順序が違うというのです。まずビルマの独立を優先し、日本軍はあくまで彼らを支える立場にいるべきだ。鈴木は、ビルマはビルマ人に委ねろというのです。

ビルマをよく知る鈴木は、常にビルマ人の立場に立ち、ビルマ人の代表として日本陸軍との交渉にあたっていた。
しかし陸軍にしてみれば、全体の戦局の確保のために、まずは軍政をひかなければならない。

ことあるごとに文句を言ってくる鈴木大佐を持て余した陸軍は、結局鈴木大佐を更迭し、日本に送り返してしまいます。

鈴木というビルマ人の英雄を失った志士たちは、その後も何度も陸軍と交渉を重ね、ようやく日本陸軍の全面的な支援によって昭和18(1943)年8月1日、念願の独立を宣言します。
そして、30人志士のうちのひとり、バー・モウを元首とする「ビルマ国」を建国した。

建国した「ビルマ国」は、連合軍に対して宣戦布告を行います。

ところが、日本はチャンドラボーズのインド独立の夢に押されて、無理なインパール作戦を強行する。成功すれば援蒋ルートを破壊し、シナ事変を終結させる可能性を持った作戦ではあったけれど、この時点で、すでに物資補給が苦しくなっていた日本陸軍にとって、これは無理な苦しい戦闘だった。

インパール作戦での敗戦が伝わると、30人志士たちの間でも、どうやら日本は連合国に負ける。その場合、ビルマの独立をどうやって保てばよいのか、という疑問が出てきます。
そして日本と離れてイギリスと結ぶべきだという声も出てきた。
日本と一緒に敗戦国になって、再びイギリスに占領されるのでは、元も子もないからです。

首相のバー・モウやボー・ヤン・ナインは日本を裏切らず、このまま世界を相手に最後まで戦うべきだと主張する。

しかし現実主義のアウン・サンは「反日に立つのは、ビルマを生き残らせるための唯一の方法」と主張する。

ミン・オンという青年は、日本を裏切ることは恩義に欠けるとして、日本の作法に従って自決してしまった。国籍は違っていても、ミンオンらの心の中には、立派な相互信頼主義と日本精神が脈打っていたのです。

しかしアウン・サンは、昭和20(1945)年3月、日本に反旗をひるがえした。
英国に内通し、駐屯していた日本軍に対してクーデターを起こします。

昨日まで一緒に闘っていた日本軍との内戦は、凄惨なものとなります。日本軍対愛国ビルマ軍、親日派市民と愛国ビルマ軍に同調するビルマ市民、四者が入り乱れた内戦の中で、日本軍は孤立を余儀なくされます。

やむなく日本軍はビルマ戦線からの撤退を図る。
おかげでインパール作戦で亡くなられた日本の将兵の遺骨は、白骨街道にいまだに放置されたままです。

日本軍の撤退により、アウン・サンらの内通を得た英国軍がビルマへ進出します。

日本軍撤退前、英国は、アウン・サンたち愛国ビルマ軍に物資を与え、日本軍撤退後はビルマの独立を保障すると約束していた。
しかし、日本軍が撤退し、もとの英国軍陣営を復活させると、すべての約束を反故にして再びビルマを植民地とすると宣言します。

しかしビルマ人たちも、もう昔の斧やカマの先を削られた従順なビルマ人ではありません。アウンサンが率いる義勇軍は、帝国陸軍の薫陶を受けた兵士たちです。

手を焼いた英国は、アウン・サンを、英領ビルマ政府の行政参事会議長に任命する。
アウンサンは、納得しません。あくまでもビルマの独立を主張した。

昭和22(1947)年1月27日、アウン・サンは、英国首相クレメント・アトリーとの間で、1年以内にビルマの完全独立を約束する「アウンサン・アトリー協定」への調印を勝ち取ります。そして翌月には国内各派のリーダーたちと、ビルマの独立に向け連帯と協力を確認する「パンロン合意」を発表する。

そしてアウン・サンの党は、4月には制憲議会選挙で202議席中196議席を獲得し圧勝した。

昭和23(1948)年1月4日、ビルマはついに独立し、国名を「ビルマ連邦」とします。初代首相には、30人志士のひとり、ウー・ヌーが就任した。

しかし、この席に、アウンサンは、いませんでした。

アウン・サンを脅威に感じた英国は、アウン・サンの政敵であり前首相のウー・ソーの一味の手で6人の閣僚とともにアウン・サンを暗殺してしまったのです。
昭和22(1947)年7月19日のことでした。享年32歳でした。

アウンサンは、ボクは、ビルマの英雄であると思っています。
しかし同時に、アウンサンは、ビルマの独立を急ぐあまり、日本に対する裏切りもした。
その結果、裏切り者は、信頼に値しないと、結局彼は英国によって消されてしまった。

このことは重要なポイントです。
裏切りによって勝ち取った政権というものは、結果として必ず国民を不幸に落とす。
李氏朝鮮がしかり。ビルマがしかり。そして民主党に率いられたいまの日本がしかりです。

20年後、バー・モウは「ビルマの夜明け」と言う著書を発表します。
その中でバー・モウは、次のように述べています。

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真実のビルマの独立宣言は1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのです。

真のビルマ解放者は東条大将と大日本帝国政府であったのです。
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もしその意思が、ビルマにおいてずっと続けられたなら、おそらくビルマのその後の歴史は大きく違っていたであろうと思うのです。

たしかにビルマは、アウンサンによって独立を勝ち得、「ビルマ連邦」を成立させました。
しかしビルマは、内紛がおさまらず、少数民族の対立が続いたまま、昭和49(1974)年には、ビルマ社会主義共和国となり、平成元年(1988)には、再び「ビルマ連邦」、平成2(1989)年には、軍事政権となり、ミャンマー連邦と国号が変わります。

民主政治を目指したビルマ連邦だったのですが、昭和37(1962)年に、社会主義を信奉する左翼が軍事クーデターを起こし、軍事独裁体制をひいてしまいます。

ところが左翼政権というものは、経済運営がどこの国でも下手です。ビルマの左翼主義者たちは、結局国内に深刻なインフレを招き、ビルマの経済状況を逼迫させてしまう。

これに怒った民衆が、民主化を求めて大運動を起こし、平成元(1988)年には、実質的国家元首であったネ・ウィン将軍を引退させてしまう。

同年9月に議会を開くための総選挙が実施されたのだけれど、軍部は国民統一党を作って、アウンサンスーチーら民主化勢力である国民民主連盟を弾圧。党首のスーチー女史を自宅に軟禁してしまいます。

平成3(1990)年5月の総選挙では国民民主連盟と民族政党が圧勝したけれど、軍部は選挙結果に基づく議会招集を拒否してしまう。

そして民主化運動への弾圧を強化した。

現在、ビルマは、いまだ軍事政権のミャンマーとなっていて、ビルマの国外に、ビルマ民主化のための亡命政権「ビルマ連邦国民連合政府」があります。

軍部は、新憲法を制定すると約束しながら、その新憲法の制定は遅々として進まず、相変わらず「国家平和開発評議会」なる軍事独裁弾圧政権が、国家を自称しています。

おかげで民衆は非常に貧しく悲惨な状態に置かれている。

ちなみに、このミャンマーという国は、他民族共生国家でもある。

たとえば、果敢族という人たちがいて、彼らはシナの明朝末期に清朝軍に追われてビルマ北部に住み着いたシナ人で、いまだに頑なにビルマ人化を拒否し続け、北京語を操っている。通貨も人民元しか信用しない。

カチン族は、共産主義に傾倒していまだに武装したまま政府に対抗し、焼畑農業で生計を立てている。

そういうところに日本のちゃんとしたNGOではなくて、サヨク系のエセNGOがやってきて、環境保護のため焼畑農業をするな、効率のいい定地農業をしろと言う。言うことは一見もっともらしいのです。
しかしカチン族の住む場所は山地です。水の引きようがない。引きようがないところで灌漑作業をしようとしれば、とほうもない時間がかかる。その間、どうやって現地の人が食べていけばよいのか。それに定地農業するなら農薬も要る。農薬を買う金銭はどうやって都合するのか。

親切の押し売りをするのではなく、ちゃんと考えてやってもらいたいのです。

先日、鳩山総理が、海外で大規模災害が発生した場合に、護衛鑑を積極的に派遣すると言いました。そこまではいいのですが、護衛鑑に各救援組織のヘリを搭載し、海上自衛隊隊員の他、消防や警察、NGO団体を乗り組ませるのだそうです。

こういうのを机上の空論といいます。かつての李氏朝鮮の両班(ヤンバン)の最も得意とする分野です。

なぜ机上の空論かというと、まず、警察や消防、防災ヘリには、国外での長期運用能力がない。たとえば日本の自動車は高性能が売り物ですが、海外で売るにはちゃんとした部品の補給や整備体制の構築が不可欠です。車だけあればいいというものじゃない。なぜなら車は故障するものだからです。ましてヘリともなれば、その整備の重要性は自動車の比ではありません。

加えて、内乱地に送り込むヘリというのは、その運用方法も違う。下手すれば、着陸した時点でゲリラにヘリを奪われ、乗員が拉致される危険すらあるのです。

加えて、そもそも洋上での長期行動に慣れていない者が、大量に小型の護衛艦に乗るという。護衛艦は、客船ではないのです。乗組員は全員がプロであることを前提に海事行動が定められている。乗り込む前に、灯火管制から教育しなければなりません。

さらにいえば、大荒れのバシー海峡に、海自が、日本のNGOを乗せたとき、実際に大混乱が起こっている。船に慣れないNGOたちは、船酔いに耐えきれず吐きまくる。
船酔いした挙句「帰りたい」と泣きじゃくる。
その泣きじゃくるNGO団体の若い女性に、容赦なく降り注ぐ嘔吐物。
つい昨日まで帰国したら旅行に行こうと約束した同僚が、三段ベットの上からゲロ吐き、下2段のベットにいた2名の女性NGOの顔にその嘔吐物が降りそそいだ。

当日の艦内食は、麺だったのだそうで、吐いた女性は、慌てて両手で口を押さえたけれど、指の間から、さっき食べた麺が、こぼれ、下にいた女性たちの顔の上に降りそそいだ。
風呂にも入れない彼女らの部屋はゲロと汗とオイルの臭いが混じり、凄まじい惨状を呈した。

同時刻…。海自隊員達はレストエリアでみんゴルに興じていたそうです。

おそらく、鳩山総理の構想を、そのまま実現するなら、被災者用の医療品よりも、NGOたちの酔い止め薬を多く積まなければならない事態になる。


先日、カンボジア独立の記事を書きました。
カンボジアも、ビルマと同じく長い植民地時代が続いた。
そのあと日本軍がやってきて、独立を果たした。
独立後にベトナム戦争が起こり、カンボジアはその影響から長い混乱期を経験した。
そして最後には、カンボジアは、日本と一緒に戦ったシアヌーク国王が、日本の宇野外務大臣の後ろ盾を得て、カンボジアに平和と安定をもたらした。

これに対しビルマは、日本の鈴木敬司大佐というある種の天才を参謀にいただくことで、独立を果たした。
しかしいまだに国内は内乱状態のままでいます。

カンボジアとビルマ。この2国の違いは、いったいどこにあるのでしょうか。
もちろん、いろいろな理由はあると思います。

でも、ひとつだけ思うのです。

ビルマのアウン・サンは、最後に日本軍を裏切ってしまった。
もちろんそれにはそれなりの理由はあったろうし、鈴木敬司大佐が更迭され、不在になったことも大きな影響があったろうと思います。アウンサンを攻めようなどという気持ちはさらさらありません。

ただ、相互信頼主義という日本の心をしっかりと受け止め、終戦まで日本との信義を裏切らず筋を通し切ったカンボジアのシアヌーク殿下と、結果として途中で寝返ったビルマのアウン・サンを比べたとき、もしかするとアウン・サンの「日本を信頼しきれず、強いものについた」という、そのボタンの掛け違えが、その後のビルマにおける強ければいいんだ、強ければ言うことを聞かせられるんだ、という軍事独裁政権を招いたといえるのではないか。
そのことが、いまだ国内に民主化を実現できず、多くの庶民の生活を苦しめる原因となったといえるのではないか。そう思えるのです。

日本のもつ根本思想は「勝てば官軍」ではありません。
長いものに巻かれろとか、寄らば大樹の陰、的な姿勢は、やはり多くの日本人の美意識にはそぐわない。

奢る平氏も久しからずの言葉にあるように、一時の勝利や独裁は、結局は身を滅ぼす方向にしか働かないと見るのが日本人のものの考え方です。

ひとりひとりが、けっしてあきらめず、現実に即して、どこまでも誠意を貫き通す。

遠回りに見えるかもしれないけれど、結局は、そうやって誠意を尽くした者が、最後には勝つ、それが日本の流儀なのではないか。ねずきちにはそう思えるのです。

アウン・サンがいなければ、ビルマの独立はあり得なかったと思います。
だからアウン・サンはボクは英雄だと思う。

しかし同時に、結果として日本を見限って英国につき、その英国に殺されたアウン・サンの短い人生を俯瞰したとき、やはり、一度信頼したらとことん信頼し抜く、誠意を貫き通すということこそ、最後には大きな勝利を生む、多くの人々の幸せを生むのだ、ボクたちは学ぶ必要があるのではないかと思います。

自民党を見限って、民主党につく。民主党が勢いがあるからと、選挙に勝つために民主に鞍替えした、そんな議員さんたちもかなりの数いるようです。

ねずきちの地元にも、そういう議員さんがいます。
なるほど彼は、選挙にうかった。

しかし奢る平氏は久しからずや、なのです。
小手先の策や方法では、人の心は動かない。いや、いっときは動いたとしても、そんなものはすぐにメッキが剥がれる。

今回の選挙で、民主風の中で、苦しい選挙を見事勝ち抜いた真正保守の議員さんたちは、みなさん、本当に日本人的な戦い方をしています。

ひとりひとりの候補者のみなさんと語りあい、誠意を尽くして地元応援者のみなさんたちと相互信頼の輪を築いた。

そして当選して議員になったいまも、その環をいっそう強化すべく、日々誠意を尽くしている。

なるほど国会の補欠選挙では、民主党は勝っています。しかし、市長選挙では、ことごとく敗退しています。
なぜかといえば、市長選挙は、国政のように雰囲気や風では、市民の心が動かないからです。地域密着。地域への貢献。そういうものが、決めてとなる。

民主党が、いまのように売国政策ばかりやっていたら、おごる平氏は久しからず、なのだと思います。

誠意だけでは、いっときは負けることもあるかもしれない。

しかし、それでも誠意・・・昔の人はこれを赤心といったけれど・・・けっしてあきらめず、最後最後まで、これでもかというくらい誠意を貫き通した先にしか、本当の自由や平和、人々の幸せはないのではないか。

ビルマという国を俯瞰したとき、ねずきちにはそんな気がするのです。
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ビルマ(現ミャンマー)独立の父


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コメント

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紹介
みなさんも良くご存知の『中韓を知りすぎた男』というブログで、ブログ主の辻本氏はミャンマーについて触れ、アウンサンスーチー氏について次のように書いています。

-----以下、抜粋引用-----
彼女は外国の開発援助や投資は現政府にとって有利になるだけ、国民には何の利益もないと言明した。

スーチーさんの民主化運動のためミャンマーが世界から孤立してしまい、軍はミャンマーを中国に売る羽目になってしまいました。

以前日本のNGOがスーチーさんに質問しました。
日本政府がビルマ国民を助けるために出来ることは何か?
『日本政府がビルマ国民の為に出来る事は、民主化を理解し、支持すること民主化が達成されるまで、日本がビルマを助ける方法はない、自国に経済的問題を抱えている国が(当時日本はバブル崩壊)、ビルマのような国を援助する事はできない、日本が自国に問題を抱えている事を私はしっている』
この傲慢なセリフにビルマの将来に不安を感じたのは私だけでしょうか。
---------------------

実は、彼女自身も地下資源(ミャンマーは天然ガスが豊富に眠る)の利権を狙う西洋諸国に利用されているだけではないでしょうか。
彼女の発想は短絡的で、ダイナミズムという西洋的政治手法を仏教国であるビルマで実践しようとして、かえって混乱を招いているだけのように思えます。

TTM

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「博士の独り言」と軌を同じくされるブログ有志やニュースの紹介。国思う議員諸氏へのエールや提言、今後予想される「闇の諸法案」の動向に関した情報の周知、国思う心の共有の場としてご活用ください。

→何やってんの、国思う桜大和さん。
・・・・いや、これは見え透いた「サヨクの成りすまし」やな。
こんなお粗末なカキコに、自分のURLを張るバカはおらんもんね。
もしも、おったら・・・アハハハハァ~あ、やで。

あ太郎

迫り来る恐怖
事業仕分け・・・・・・まるで人民裁判だね。 平成の無血文化大革命だそうだ。

今に無血ではなくなるぞ。 迫り来る恐怖。 粛清が始まる。


ふく

ノア プロテスタント様
今日は何だか左側の人の書き込みの多い日ですね。

色んな名前で連投して・・・何を焦ってるんですか?

ノア プロテスタント

★日本人の欺瞞★
★日本人の欺瞞★

軍隊はダメだ。
命が惜しいから。

核武装はダメだ。
事故があれば危険だ。
なによりも命が一番大切。

拉致被害者を取り戻したい。
同胞だもの、かわいそう。
だから署名を集めよう。

外国人参政権はダメだ。
日本が反日国家に乗っ取られる。
そうだ、署名を集めよう。

ついでに↓
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アハハハハハハハハハハ!!!!!

スーチー
スーチーを抱き込み政府転覆をはかろうとしているのは外国勢力、ビルマの国民は軍事政権で安穏に暮らしている。日本が軍人が閣僚に入った昭和の時代も同じでしょう。
国民は外圧に辟易していた、日本人は理解すべきと思います。

alpha

No title行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください
文部科学省
平成21年11月16日 
現在、政府の行政刷新会議は「事業仕分け」を行っており、文部科学省関係の事業についても以下の表のとおり対象となっております。
この事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を予算編成に生かしていく観点から、今回行政刷新会議の事業仕分けの対象となった事業について、広く国民の皆様からご意見を募集いたします。予算編成にいたる12月15日までに下記のアドレスまでメールにてお送りください(様式自由、必ず「件名(タイトル)」に事業番号、事業名を記入してください。)。なお、下記区分で宛先が不明な場合は大臣官房会計課(kaizen@mext.go.jp)までご送付願います。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm

共通一次世代

No title
ミャンマーの軍事政権とアウン・サン・スーチー女史。
以前、読んだとき、新聞の報道とのあまりの違いに驚いたことがありましたので・・。↓

西村真悟の時事通信 バックナンバー
『ミャンマーについて 』(平成20年7月18日)
http://www.n-shingo.com/jijiback/357.html

ミャンマー教育推進プロジェクト同志会
『慰霊から始まった教育支援』
http://www.shinseisobi.co.jp/myanmar-index.htm

東南アジアとは共に手を携えて行かなくてはと思います。
中共に媚びる鳩山政権は本当に危険としか言いようがありません。

むつお

俊傑憂憤の集い
http://kiraku2003.blog10.fc2.com/俊傑憂憤の集いという、最近俺が注目のブログです。天皇陛下在位20年の佳き日に札幌で反天連という組織(書記長 天野恵一 、
2005年 酔って書店でエロ本3冊万引きして逮捕 )がデモを行いました。それに対抗して10人の保守派がそれを粉砕してくれました。ぜひ見てください。必見です。★ 拡散希望

M

失敬

わらりました×

わかりました○

かぐやひめ

No title
毎年ミャンマーに出かけて、当地に学校を建てるようにがんばっている日本人、あるいは、ハンセン病の村への就学・就労援助をしている人を知っています。

彼らは、はじめ軍事政権の肩をもっていました。多民族国家をひとつにまとめるには、軍事政権でないと・・・第一、彼らの軍の軍歌は「日本の軍艦マーチだよ」

でも、昨年のサイクロンから意見が変わりました。軍事政権は、国民を全く助けようとしなかった・・・軍事政権はだめだ・・・

しかし、アウンサンースーチー女史も、評判はよくありません。彼女は父親の顔も知らない年齢で別れ、英国で育ったので、気分は「英国人」ビルマの闘士とはいえない。

ビルマの人々に、大東亜戦争当時の日本軍のことを聞くと、一様に顔を曇らせて「すまなかった」という様子をするのだそうです。
せっかく、英国を追い出し、独立を与えてくれたのに、最後敗退していく日本兵を助けてあげられなかった・・・申しわけない・・・

東南アジアは、みんな日本軍を悪く言うと思いこんでいたので、不思議な思いがしましたが・・・日本軍の敗退の原因をつくったのがビルマなら・・・そりゃあ、申し訳ないと思って当然ですね。
信義にもとることの恐ろしさを歴史が教えてくれています。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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