天秤棒で荷物を担いで270km・・・山葉寅楠

人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

山葉寅楠
山葉寅楠


ヤマハといえば、いわずとしれた楽器メーカーです。
いまでは自動車のエンジンやバイク、クルーザーなども作っている。

ところで、ヤマハというのは何の略でしょう?

山葉という称号は、創業者である山葉寅楠(やまはとらくす)の名字からとったものです。
寅楠という名前は、南方熊楠(みなかたくまくす、植物学・民俗学者)や、横井小楠(よこいしょうなん、儒学者・政治家)に習い、楠木正成にならって付けられた名前なのだそうです。

ヤマハの創業時の名前は「山葉風琴製造所(やまはふうきんせいぞうじょ)」です。
「風琴(ふうきん)」というのは、オルガンのことです。
“風を送って音を出す琴”という意味でしょうか。

創業者の山葉寅楠は、嘉永4(1851)年、紀州徳川藩で生まれました。
父親は、天文暦数や土地測量・土木設計などの天文方を勤めていた人です。

山葉寅楠は、宮本武蔵のファンでもあったようです。16歳で二天一流の修行に出たそうです。

しかし明治維新で家が没落。

山葉寅楠は、二十歳のときに大阪に出て、時計や医療器具などの精密機械修理を学びます。

ところが肝心の仕事が、ない。

彼は技術者として職を求めて、全国各地を転々とします。

そんなとき山葉は、友人から静岡県浜松市で県立病院の修理工を捜しているとの知らせをもらいます。明治17(1884)年、寅楠35歳のときのことです。

その頃、明治政府の意向で小学校に随意科目として唱歌科がもうけられていたのです。
浜松尋常小学校(現・浜松市立元城小学校)でも唱歌のためのオルガンを輸入した。

オルガンはもちろん外国製です。めちゃめちゃ高価です。
そんな高価な風琴(オルガン)を、小学校が買った。このオルガンの話は、浜松だけでなく静岡県じゅうに広まり、各地から大勢の人が見学におとずれたそうです。

ところが、このオルガン、すぐに故障してしまった・・・。

修理したいのだけれど、オルガンは外国製です。部品もなければ修理工もいない。
しかも貴重品です。万一修理に失敗でもしたら、それこそとりかえしがつかない。

困った小学校は、ある日、浜松県立病院に精密機器の修理工がいるという話を聞きつけます。そして、山葉寅楠のもとに、オルガンの修理の依頼がきた。
時計や医療器具修理のできる山葉寅楠なら直せるだろうというわけです。
いまにしてみれば、かなり乱暴な話だけれど、当時のひとたちにしてみれば、まさに真剣そのものです。

山葉寅楠にとっても、そんな見たこともない貴重なオルガンを、どうやって直すのか不安でいっぱいです。

まわりの人が心配そうに見守る中、寅楠は、オルガンを点検します。そして内部のバネが二本壊れているだけだとすぐに見抜いた。
そしておもしろいことに、寅楠は、「これならバネだけでなく、オルガンそのものも俺にもつくれそうだ」と思い立ちます。

「アメリカ製のオルガンは45円もする。自分なら3円ぐらいでつくることができる!」

明治10年代の白米10キロの値段が50銭です。いまだと5000円くらいかも。てことは、感覚的にはオルガン一台4500万円のところを、30万円で作れる、と考えた、というわけです。

寅楠は決心します。
「将来オルガンは全国の小学校に設置されるだろう。これを国産化できれば国益にもなる」。

このあたりの寅楠の考え方は、非常におもしろいと思います。
オルガンの市場性に着目するだけでなく、それが「国益になる」と考えたわけです。
一介の職人さんの意識の中にも、自分の行動を「お国のために」と考えるという精神構造があった。
時は明治の始めです。

よく「お国のため、という思考は、大東亜戦争直前の軍国主義教育のたまものである」という人がいます。しかし寅楠は、江戸時代に教育を受けた人です。つまり日本人の心には、江戸の昔からお国のため、公益に尽くすという考え方があった。

さて、翌日から寅楠は、来る日も来る日もオルガンの内部を調べます。修理すべきバネだけではありません。いろいろな部分を細かく図面に書き写した。

約一ヵ月が経って、ようやく何十枚もの図面を書き終えた寅楠は、壊れたバネの修理に取りかかりった。バネそのものは、冶金術が発達していた日本では、そんなにむつかしいことではない。そして、見事にオルガンを直してしまった。

「山葉さん、すばらしい。ありがとう!」
「いいえ、校長先生。私のほうこそお礼をいいたいくらいです。おかげでオルガンを知ることができたのですから」
山葉寅楠も、内心、ニッコリです。

しかし寅楠には、オルガンをつくるための資金がありません。

あちこち尋ね歩いて、協力を求めますが、多くの人が「おまえは気でも狂ったか」というなか、5日ほどたったある日、寅楠は飾り職人である小杉屋の河合喜三郎をたずねます。そして「力を貸してほしい」と頼み込みます。

河合喜三郎は寅楠の熱意と腕にかけてみよう!と決心します。

こうして、翌日から河合の小杉屋の仕事場を借りてオルガンづくりが始まった。

とりあえず資金と場所は確保できたけれど、二人には満足な材料もなければ道具もない。
あるのは情熱だけです。

寅楠は朝4時から夜中の2時まで、ほとんど徹夜でひとつひとつ工夫しながら部品を作っていった。
そして二ヵ月かかって、やっとオルガンの第一号を完成させます。

寅楠は、真っ先に元城小学校へ運び、唱歌の先生に頼んで弾いてもらいます。

しかし「確かに形はオルガンだが、音がおかしい」と言われてしまいます。
そうです。調律がなってないのです。

しかしドレミの音階そのものが、まだ世に伝わっていない時代です。
寅楠には、なにがどうおかしいのかがさっぱりわからない。

そこで寅楠は、めげずに、今度はおなじく浜松市内にある静岡師範学校(今の静岡大学教育学部)へオルガンを持っていきます。だが、結果は同じです。音がおかしいと言われた。

音の何がどうおかしいのか。河合と寅楠にも、肝心なところがさっぱりわかりません。
どうすればいいのか。。。。

こりゃもっと偉い先生に聞いてみなきゃわからんかもしれん。

二人は、作ったオルガンを東京の音楽家に見てもらおうと話し合います。
それには、音楽取調所(現東京芸術大学)がいいだろうと話し合った。

しかし、音楽取調所で、いったい誰に会えばいいのか。
会うためには、どうすればいいのか。それすらさっぱりわからない。
電話なんてものはありません。もちろん携帯もない。104もない。
直接行ったところで、そのエライ先生が会ってくれるかどうかもわかりません。

しかし、とにかく行くしかないだろう。。。

二人は、そう結論付けると、天秤棒にオルガンをぶらさげて、浜松から東京までかついで運ぶことにした。

かつぐといっても、100kg近い重量のあるオルガンです。
まず重たい。道のりは東海道を270kmです。
雨の日は動けない。
風が吹いたらあおられる。
箱根の山越えは、ずっと坂道の難所です。
いったい何日かかったか。。。

山葉オルガン1890年
山葉オルガン1890年


ようやく音楽取調所に着いた二人は、オルガンを教授たちに見せた。

教授たちはびっくりします。
国産でオルガンをつくってしまったことにも驚いた。
そのオルガンをかついできたことにも驚いた。
そして音が外れていることにも驚いた。

音程が狂っている。音階もおかしい。これでは楽器として使えるものではない。

西洋音楽を指導していた所長の伊沢修二は、「調律が不正解なんだ。あと一歩です。君たち音楽を学習していきなさい」と言った。

伊沢所長は彼らのために、親切に宿泊所を提供し、音楽取調所で聴講生となることを許可してくれます。

寅楠は、調律、音楽理論を必死で学びます。

1ヶ月後、浜松に帰った寅楠は、先に帰っていた河合喜三郎と協力して、すぐさま2台目のオルガンの製造にとりかかります。

しかし、途中で、資金が底をついてしまいます。

河合の妻は、親戚中をかけまわって借金した。
河合の妻の衣服も、嫁入り道具の服から普段着まで、ぜんぶ質屋に入ってしまった。
残った1着は、着ている1着だけです。それを洗濯するときは、もうまる裸になるしかない。

親戚は、お前たち気でも狂ったのかと猛反対をした。

しかし、寅楠と喜三郎は「今度こそ立派なオルガンをつくるんだ!」「日本の子供たちに音楽を届けるんだ」と心に念じて努力に努力を重ねた。

そして、二ヵ月。

とうとう第二号のオルガンが完成した。

こんどは大丈夫だ。しっかりと調律もした。これならきっと認めてもらえる。

二人は、そううなづきあうと、天秤棒にオルガンをぶら下げ、ふたたび270kmの道のりを歩いて東京の音楽取調所に向かった。

天秤棒で荷物を運ぶ人
天秤棒


再び、箱根の山を越えたオルガンは、伊沢所長の前ですばらしい音色を響かせます。

「山葉さん、すばらしい! よくやりましたね。これなら外国製に負けない見事なオルガンです。これで、全国の小学校へ国産のオルガンを置くことができますよ」

やっとできた! 認められた!
寅楠と河合は、顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。

この時代の男は、「男が泣くのは一生に1度だ」と教わってきた世代(時代)です。
その男が、だいの大人のおやじが、うれし涙を流した。

山葉寅楠はこのオルガンを、国産第1号オルガンとして、そのまま音楽取調所寄贈してしまいます。
「伊沢所長のおかげで完成したオルガンです。どうか使ってください。」というわけです。

気前がよくてオルガンを寄贈したとかそういう話ではありません。
それだけうれしかった。だからそのうれしさをカタチにしただけのことです。

これを喜んだ伊沢所長は、二人が造ったオルガンを、「国産オルガン製造成功!」と、あちこちに語ります。いわば東京芸術大学学長のお墨付き・・・どころが学長の宣伝です。
ニュースは、口コミで広がり、次第にオルガン製造の注文も来るようになった。

注文第1号は、静岡県から5台です。
その後も政府の方針によって文部省唱歌が普及したため、オルガンの需要はうなぎ登りに増えた。

山葉寅楠と河合は、「山葉風琴製造所」の看板を掲げ、本格的にオルガンの製造にとりかかるのだけれど、わずか1年後には従業員は100名を超え、ロンドンにまで輸出するようになった。

二人の努力と周囲の善意が実を結んだのです。日本はそういう社会だった。

明治22(1889)年、山葉は、東京や大阪の楽器商社と協力して個人商店だった山葉琴風製造所を、「日本楽器製造株式会社」に改組します。
そしてこの頃から、山葉寅楠はピアノの製造、国産化を目指すようになる。

伊沢修二所長の紹介で文部省嘱託となった寅楠は、アメリカに渡り、ピアノ工場を見学し、部品を買い付けた。

帰国した寅楠は、国産ピアノ第1号をつくるべく、会社の総力をあげてピアノの製造にとりかかります。
ピアノの部品には、アメリカで買い付けたものを使用したけれど、ピアノの生命といわれるアクション(響板)だけは日本で開発したものを使用しています。

天才がいたのです。響板の製造は、河合の親戚の河合小市が造った。小市は、後に「河合楽器」を創業したひとだけれど、このとき小市、わずか11歳です。

山葉寅楠は明治33(1900)年にはアップライトピアノ、明治35年にはグランドピアノの製造にも成功します。そして山葉のピアノとオルガンは、アメリカのセントルイス万国博覧会で名誉大牌賞を受賞する。

オルガン、ピアノの量産化で山葉寅楠は「日本の楽器王」と呼ばれるようになりました。
山葉寅楠の死後、「日本楽器製造株式会社」は「ヤマハ株式会社」となり世界一の楽器製造を誇る企業へと成長した。

東海道を、天秤棒で担いで歩いて運んだ山葉寅楠と河合喜三郎。

彼ら二人の努力が、全国の小学校にオルガンを普及させ、文部省唱歌を全国に広めた。

老人ホームに行くと、ボケ老人でも、文部省唱歌をみんなで歌うと、目を輝かせて、これを歌う。歌っているおじいちゃん、おばあちゃんの顔は、そのときばかりは尋常小学校生の顔になっています。

歌は、彼らの少年少女時代の共通の思い出でもあります。

しかし最近では、学校で昔からある文部省唱歌を教えなくなったといいます。
子供たちは好きな歌を歌えば良いというのです。

しかし本当にそれで良いのでしょうか。
子供たちから唱歌を奪うということは、子供たちから彼らの未来における共通の思い出を奪うことです。その思い出は、その子の思い出であると同時に、同じ世代を共有する共通の思い出でもある。
人はひとりで生きているわけではないのです。
人と人とのかかわりの中で、みんなが生きている。

何かを一緒にやった仲間というのは、生涯の友になります。
知らないおじいさん、おばあさんどうしでも、同じ文部省唱歌を歌った思い出が共有されることは、共通の友に出会うということでもある。

逆に子供時代の歌が、ひとりひとりみんなバラバラとなると、それはなるほど個性化というものかもしれないけれど、共通の思い出を失うことにもなる。ほんとうにそれでいいのだろうか、と思うのです。

だから、ちょっとだけ、ねずきちは言ってみたいのです。
子供たちから文部省唱歌を奪う日教組教師は、全員、天秤棒でオルガンを担いで270kmを歩け!なんてね^^v

田舎の山の中の小学校にも、古いオルガンが置いてあります。
かつて、そのオルガンを必死で作った人がいて、それをその小学校まで歩いて運んだおじさんたちがいる。トラックなんてなかった時代です。みんな担いで運んだ。

そうやって子供たちに歌が届けられました。
そして同じ国の同じ国民として、みんなで共通の思い出を刻んでいった。

その先人たちの思いや努力、歴史というものを、個人主義とか個性化とかいう能書きひとつで、ぜんぶぶち壊しにするということが、本当に良いことといえるのか。ねずきちにはよくわかりません。

ただひとつ思えるのは、子供たちから共通の思い出を奪う者、世代を超えた思い出を奪う者は、もはや教育者の名に値しない。そんな気がします。

すくなくとも、そうやって造ったり、運んだりしてくれた先人たちに対する感謝の気持ちは、ぜったいに忘れてはならないことだし、伝えるべきことだと思うのです。

オルガン担いで270kmはすごいなぁと思った方
 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

仰げば尊し(唱歌)


この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

ゆうや

凄い話ですね
知識分けて下さって有り難うございます。

TOKYOROSE

No title
素晴らしいお話をありがとうございました。
音楽に関わる者として大変興味深く読ませていただきました。
感動いたしました。
それからヤマハを売国企業とおっしゃっている方が居ますがヤマハ関係者の名誉のために一言申し添えさせてください。
ヤマハとヤマハ発動機は関連会社とはいえ完全に別会社であります。

おご

いいお話ですね。
いいお話ですね。
早速明日
授業で使いますね。
ありがとうございました。

遠藤

YAMAHAのピアノ
 リヒテルがYAMAHAのピアノを弾いたとき、私はその放送を聴いていました。リヒテルは普段スタインウェイのピアノを使っていることが多いので今回もそうだろうという先入観で聞いていて、ピアノの音がスタインウェイらしくないので思わずNHKに電話しました。「コンソールの調整が狂ってないですか。」と尋ねる私に、「今回リヒテル先生はYAMAHAのピアノをお使いです。」との返事で、あ、そういうことなのかと妙に納得したものです。世界の巨匠が認めたピアノなのですね。そのとき使われたYAMAHAのピアノはフルコンサートグランドのFCII
ではなかったかと思われます。

うきよ

No title
大変感慨深く、かつおもしろい記事をありがとうございました。

>教授たちはびっくりします。
>国産でオルガンをつくってしまったことにも驚いた。
>そのオルガンをかついできたことにも驚いた。
>そして音が外れていることにも驚いた。

このくだりは絶妙です。
ヤマハのピアノに長いこと親しんだ身で、今になって知るこのエピソード。不覚なり、です。
単純に好き嫌いを問われれば、音、タッチ、ともにヤマハのほうが好きなのですが、(弾き映えがする?)
堅実に着実にトレーニングする、という目的ならば
河合のピアノがよいかもしれない・・・。

唱歌、小学校の音楽の教科書に収められる曲目は限られ
変遷してきていますが、基礎的な音楽理論を学ぶ教材としても有用性は高い、と思います。
それ以上に、おじいちゃんおばあちゃんとも一緒に歌える、というのは近頃学校現場で盛んに推奨される3世代交流の場を盛り上げるのにとても役立つ!と思います。

しかし、これから先、唱歌を知らない世代がおじいちゃんおばあちゃんになって、思い出のうたが「品のない流行歌」なんて、寂しすぎます。

ところで、この「ヤマハさんと河合さん」のエピソード、児童向けの読み物や絵本として、発行されないかしら?(他力本願)取り敢えず、我が家の子供達にはこの記事を朗読して聴かせます。

たぬきち

ふふッ…
あきちゃ さん
>というか最近泣き虫みたいに泣くなぁ、、、わし、、、<

あのな、そうやって 男は 歳を感じるもんや。 そのうち「毛」も無くなるんやで。   ハハハッ  仲間や。                  あ~酔った!

大東昇

ウイーンフィル
作れる人の居なくなったウイーンフィルの使用する旧式の管楽器を利益を度外視して再現、供給しているのは日本のヤマハとムラマツです。

かぐやひめ

中国に行かせたくない
愛信さん
中国に行かせたくないですね。

愛信

小沢訪中団140人、民主・国会議員の3分の1
民主党の小沢幹事長の12月の訪中に、同党衆参国会議員のほぼ3分の1に
あたる約140人が同行することが、24日の党役員会に報告された。 
党員や支持者らの参加も含めると、訪中団は総勢615人にのぼるという。
訪中は小沢氏の権勢を見せつける旅となりそうだ。

【経済・政治の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj.cgi
【政治・経済タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

No title
以前、NHKの「プロジェクトX」で、ヤマハのピアノをリヒテルが弾いたことをテーマにした番組がありました。

世界に通用するグランドピアノを造りたいという情熱は、企業が受け継いだ創業者のDNAだったのですね。



あのような素晴らしい番組を創ったNHKが、今では売国放送局に。。。。。。。。。

ZIPANGU

自分が子どもの時に聞きたかったです。
 いつもながら感動のお話をありがとうございます。
 朝の4時から夜中の2時まで、ほぼ一人で毎日取り組んだ時があったわけですね。先の見通しはあるものの、周囲に大反対された中で。言葉で記すのはたやすいですが、行動で示すとなると信じられない位の根性ですね。
 自分はまだまだ甘いことがよくわかりました。

愛信

【関連動画】鳩山首相問責棚橋泰文(自由民主党・改革クラブ)
【元公設秘書、在宅起訴へ 鳩山首相聴取の可否、今後協議】

元公設秘書は、首相や会計責任者だった元政策秘書とともに規正法違
反容疑で刑事告発されており、今後の焦点は首相本人の関与や監督責
任の有無。特捜部は今後、首相に対する事情聴取が可能かどうか最高
検などと協議、元政策秘書も含めた最終的な刑事処分を臨時国会閉会
後に決めるとみられる。

【関連動画】鳩山首相問責棚橋泰文(自由民主党・改革クラブ)
http://www.aixin.jp/AJI17.htm

【経済・政治の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj.cgi
【政治・経済タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

あきちゃ

いやぁ、、、、
2回も大変な思いをしてオルガンを運び、
それが認められたときの男泣き。
自分のことのように泣けました!

というか最近泣き虫みたいに泣くなぁ、、、わし、、、

お達者クラブ

相変わらず いい
>・・・電話なんてものはありません。もちろん携帯もない。104もない。・・・・104までは気付かなかった。
>・・・つまり日本人の心には、江戸の昔からお国のため、公益に尽くすという考え方があった。

ブログ主さんの描写とジョークの上手いことと言ったらない。
読みながらその場の情景が見えてくるのです。
10年前に亡くなった母が、ボケ症状の軽い時期、毎日看護の手助けにいっていたのですが、ある時、いい声の歌が家の中から(兄の家)聞こえてきます。

♪真白き富士の嶺 緑の江ノ島
 仰ぎ見るも 今は涙
 帰らぬ十二の 雄雄しき御霊に
 捧げ祀らん 夢(?)と心

“逗子開成ボート部の遭難”を謳った曲と記憶してます。
私も好きな曲でもあるし、金沢八景にいた時によく江ノ島・鎌倉に遊びに行った思い出もあって、兄と母と私の合唱になった、姉は(義姉)はニコニコと聞いていたのが思い出されます。そのあとも母は3・4曲謳いました。
幼かった楽しい学校の思い出があったのでしょう。
微笑ましいし、子供の頃の母が髣髴として感じられ、今も懐かしい思い出として心のアルバムに貼ってあります。

ヤマハも無人ヘリの中国輸出で捜査される売国企業になってしまった、創業者も泣いているかも。






あん

No title
ヤマハ・河合楽器のルーツを初めてしりました。
どういう顛末で2つにわかれたんだろう。
そのおかげでピアノは早く復及したのかな。
このブログ様、いつも興味深いおはなしありがたいです。

ミヤビ

お国のため
とっても良い言葉です。
日曜ドラマの<仁>
<お国のため、人のため、道のため>
ということで社会を良くしたいという情熱で、それぞれの持ち場でみんなが天職を全うする為に、獅子奮迅の努力をする。信頼関係で繋がりながらそれぞれが違う持ち場でも切磋琢磨しているドラマです。
漫画でも大人気で老若男女の心を捉えているのですから日本もまだまだ捨てたもんじゃありませんね☆
山葉寅楠さんもそんな中の一人です。
今でもどこかで誰かが頑張っている。
とっても良いお話しです。有難うございました。

椿

戦前の指導者達の賢明さ。


山葉さんも誠にご立派な方ですが、その山葉さんに協力された方々も、本当に立派だと思いました。

これがあの職人や商売人を蔑む、儒教国家のシナ・朝鮮だったら、たとえ山葉さんのような方が、重いオルガン抱えて、270キロの道を来たとしても、教授方に会ってももらえなかったのではないでしょうか? 「卑しい職人風情が何を言うか!」と、門前払いをされていたのではないでしょうか?

そう思えば、昔から『町の老舗』や『職人(技術者)』、『教育者』や国の食料を育てる『農民』全てを大切に扱ってきた、日本の指導者達の賢明さに感謝いたします。

日本が“アジアで唯一近代国家”になれたのも、深い理由があったという事ですね。

このような日本の指導者達の賢明さを、シナ・朝鮮も学んでいれば、あんな『失敗・崩壊国家』に謎ならなかったのに…と思わずにはいられません。




M

No title
知らない事はマネから始めるしかない。
これはどこの国の人間でも当たり前で、それしかないです。
いい物を見たら、まねて、まねて、とことんまねる、、、ダンスでもスポーツでもファッションでも何でも。

その後。、ただの猿真似になるか、その人だけの素晴らしい個性になるかは、
その人の努力と生まれ持った素質が関係します。
靴でも車でもオルガンでも、日本人はこの努力がすごいのだと思います。


小学校の音楽の授業で最初にこの国産オルガンの話を教えると良いですね。
子供でもびっくりして、感心すると思います。

椿

『唱歌と天皇陛下』

山葉さん、本当にありがとうございます。私が大好きな『唱歌』の陰に、このような先人たちの並々ならぬ努力があったことに、心から感謝致します。

日本の唱歌は、“日本人の情操教育”に誠に貢献していると思います。

日本の唱歌を振り返ると、この日本は、『やはり八百万の神々のおわす国なのだな』と思わずにはいられません。唱歌の詩の多くは、自然を謳い、私達と共に生きている。

かって昭和天皇陛下がお付きの者に、『私は雑草という言葉が好きではない。雑草と呼ばれている草の一つ一つに、全て名前があるのだから…』と、陛下は仰ったそうです。私は、このお言葉を聞いて、なぜか感動して涙がこぼれた記憶があります。

このトピとは関係が無いかもしれませんが、日本の唱歌を聞くと、この天皇陛下のお言葉が思い起こされるのです。なぜなら、日本の唱歌には動植物への限りない愛情や思いやり、感謝・尊敬の念うかがえるからです。

唱歌の詩の多くは自然が擬人化され、その詩に、清らかで優しいメロディーをつけていく。

例えば、『春の小川』なども、小さな小川のほとりに咲いている、決して華やかではない、小さな“れんげ”や“すみれ”の花に、『姿優しく色美しく、咲けよ咲けよと囁きながら…』と一生懸命、小さな花を応援しています。その姿が、なんとも微笑ましいではありませんか。

うまく言えませんが、雑草にも名があると言って、雑草という言葉を嫌う陛下、小さな花々にも愛情を注ぎ、話しかける日本人。どこか共通点があり、やはり皇室と国民は繋がっているのだな・・・と、『唱歌』を通して思わず考えさせられました



かぐやひめ

日本人は凄すぎる
外国から入ってきたものを真似して作成し・・・その分野で世界一になるまでに40年。

どんなものでも、40年で完全制覇!

これが、中韓だと、真似まではできるけど、そこに独創性と持ち味をいかすことが、不可能みたいですね。

しかも、こんなことできるの、日本人だけみたいです。
日本人は凄すぎる。

かぐやひめ

3月3日桃の節句がくればこっちのもんや
あ太郎さん

私が、寒冷地に引っ越してとまどっていると、隣家のおばあちゃんが言いました。

「ここはシベリアかと思うほど、寒くて、雪が多い。昔はひざまで積もったもんや。
けど、桃の節句になったら、こっちのもんや」

ただ待つだけでなく、呼びながら、努力しながら桃の節句を待ちましょう。
春になれば、こっちのもんです。

あ太郎

早春賦
  早春賦

1 春は名のみの風の寒さや
  谷のうぐいす 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

2 氷解け去り葦は角ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空
  今日もきのうも 雪の空

民主党による恐怖政治が続いている。
だがいつの日にか春が来て、うぐいすが鳴く時が来る。
非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

スポンサードリンク

カレンダー

09 | 2020/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
E-mail nezu3344@gmail.com

電話  080-4358-3739

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク