先人たちの必死の戦いを忘れるな!・・・騰越の戦い



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桜・騰越の戦い


敵兵力は、米空軍、英国空挺隊を含むChina国民党軍総勢49600人。
迎え撃つ味方は、わずか2025名。

しかも本来なら守備に7000名が必要とされる城砦でありながら、他に兵力を割かれ、残るわずかな人数で、城を2か月以上にわたって守り抜き、全員が玉砕した事件。

これが、有名な騰越(とうえつ)の戦いです。

先日ご紹介した拉孟(らもう)の戦いもそうなのですが、騰越(とうえつ)の戦いも、地上戦です。

玉砕戦が行われたのは、ほとんどが太平洋上の小さな島だったのですが、これらは、制海権、制空権を完全にアメリカ軍に握られた状態で、日本軍が援軍派遣ができなかったこと、加えて、島の守備隊は、海で隔てられていた島で、退くことも逃げることもできず、玉砕した、というのはある程度わかる話かとも思います。

ところが、拉孟(らもう)、騰越(とうえつ)の戦いは、ビルマ北部のChina雲南省で行われた大陸での陸上戦です。
そこで、全員が死ぬまで戦って玉砕した。

なぜ、拉孟(らもう)や騰越(とうえつ)に日本軍がいたか。

当時、Chinaは、いわゆる今のソマリアと同じ無政府状態。

その無政府状態のChina各地に軍閥や匪賊が跋扈し、住民に対して乱暴狼藉を働いていた。
China軍閥の中でも、もっとも勢力の大きかったのが、蒋介石率いる国民党です。

そして英米は、日本に対する経済封鎖を行う一方で、China国民党に援助物資を与えていた。
援助物資は、食料、武器、弾薬、兵器に加え、軍事訓練まで与え、しかも航空機による軍事支援活動まで行っていたのです。

その援蒋ルートを断ちきるためには、日本はビルマ北部に軍を進めるしかなかった。

このことについて、あるサイトで、次のような記述がありました。

「中国への援助の中心となっていたのはアメリカとイギリスだったから、その非難の声はこの二カ国に集中した。アメリカやイギリスが中国への援助をやめさえすれば、蒋介石政府はすぐにでも日本に降伏するだろうに、あいつ等のお陰で日本は中国にたいする戦争をやめることができない、チクショウ!という感情がうずまいていたのだ。やがてそれは鬼畜米英というスローガンにまでなってしまった。
アメリカは中国を援助しつつ、一方では日本への経済制裁(貿易の制限)を徐々に強め、ついに石油の輸出を全面ストップした(一九四一年八月)。日本はそのころ、石油の八割前後をアメリカから輸入していたのだから、ひとたまりもなかった。しかし、事態がそこまできても中国への侵略戦争をやめることができなかった。
こうしてアメリカもイギリスもやっつける、中国への侵略戦争にも勝つ、この二つの目的のもとに、アメリカとイギリスとの戦争に踏み切ったのだ。それが大東亜戦争だ。」

この文章は、虚実織り交ぜて、過去の日本を故意に貶めようとしている文章です。

まず、「アメリカやイギリスが中国への援助をやめさえすれば、蒋介石政府はすぐにでも日本に降伏する」ということを、まるで夢物語であるかのような記述になっていますが、これは夢物語ではありません。事実です。

実際、大東亜戦争が終結したために、米英は、蒋介石に対する軍事援助を止めた。
するとその一方で、ソ連が、旧日本軍から奪った装備を、毛沢東率いる中国共産党にまるごと下げ渡すようになりました。

それまで中国共産党というのは、せいぜいゲリラ活動をするくらいで、あちこちひっかきまわしはしても、まるで戦闘らしい戦闘はしていません。なにせ武器がないのです。国内を逃げ回るしかなかった弱小軍閥でしかなかった。

それが、補給が逆転・・・つまり蒋介石国民党に補給がなくなり、毛沢東共産党に補給が生まれた瞬間から、あっという間に形勢は逆転。
わずかの間に、蒋介石率いる国民党は、China大陸から追い出されてしまった。

毛沢東率いる中国共産党ですら、これです。
正規の日本軍が、補給のない蒋介石軍と戦ったのなら、China事変など、瞬く間にカタがついていた。

もし、米英の蒋介石への援助・補給がなければ、おそらく日本は、あっという間にChinaに平和と安定を遅くとも昭和12年くらいまでにはもたらしていたでしょうし、昭和20頃には、China大陸に住む多くの庶民は、同国人による略奪や虐殺、強制収容などされることなく、平和と庶民の安全の図られる幸福な民主国家の建設ができています。

その蒋介石率いる国民党が、日本に追われてChinaの奥地、ビルマに近い雲南省まで追い詰められたとき、米英が、彼らに豊富な物資を送りこんだ。

送り込んだ道筋が、援蒋ルート(蒋介石政府を援助するルート)です。
すなわちイギリスやアメリカの援助物資を雲南省経由で中国に送りこむビルマ公路です。

日本は、China国民党を追いかけてビルマを北上します。
China国民党は、雲南省サルウィン河にかかる吊り橋「恵通橋」を爆破して、逃げます。
これが昭和17(1942)年5月のことで、以降、陸上の蒋援ルートは、一時中断します。

つまりChina国民党は、自らの手で、援蒋ルートのひとつ、ビルマ公路を破壊したわけです。
ビルマ公路は、地上輸送路です。
重火器等は、このルートの確保が柱となる。
蒋介石は、翌昭和18(1943)年秋から、本格的なビルマ公路奪還のための軍事行動を起こします。

これに対し日本は、恵通橋を見下ろすことのできる地点に守備隊を置きました。これが拉孟(らもう)守備隊です。

そして今日、お話する騰越(とうえつ)は、援蒋ビルマルートからすこし離れた高黍貢山系を越えた北西約50kmにある、城砦都市での攻防線です。

どちらもChina国民党が、ビルマへ反攻してくることに備えた、日本守備隊の最前線でした。


昭和17年といえば、すでに大東亜戦争が始まっています。
米英China連合軍は、一挙にビルマの首都ラングーンやマンダレーなどの主要地域の奪還は困難だったのでインドの北部のレドからビルマへの侵入を図ります。

このとき米軍は、Chinaの蒋介石支援の一環として、蒋介石直属の精鋭部隊4万人をインドに空輸し、米軍の最新鋭装備を与え、米式の訓練を施した。
これが、蒋介石自慢の新編中国軍です。

ですから、この戦闘の最高指揮官は初戦からビルマ派遣のChina軍を指揮していたスティルウェル中将が就任しています。

連合軍はレドから「死の谷」と恐れられたジャングル地帯フーコン谷地を、ミートキナをめざして進撃します。
米中軍が進撃したあとには、米工兵隊が続き、道路をつくり、石油パイプラインを敷設する。
要するに、米英China連合軍は、日本が大東亜戦争開戦とともに遮断した、ビルマ首都ラングーンからラシオ→龍陵→恵通橋→保山→昆明(雲南省の省都)へと続く援蒋ルートに代わる、インドからビルマ北部を経由して昆明に続く新たなレド公路を作ろうとしていたわけです。

それまでは、China国民党軍が、勝手に「恵通橋」を爆破して地上支援ルートを破壊してしまったために、米英は、インド各地から輸送機を使い、ヒマラヤ越えで軍需物資の輸送していました。
これをハンプ越えといいます。ハンプというのは、瘤(コブ)という意味で、ヒマラヤのコブのような山塊を越えてChina領に入るので、そう呼ばれていたそうです。

しかし、輸送機による補給は、金がかかるわりに輸送量はたかがしれています。
やはり、重たい荷物は、地上を走るに限るし、特に石油は地上輸送の方が、断然効率がいい。
ならば、いっそ新しく道路を作ってしまえ、というわけです。

レドからフーコンを通ってきた米中軍は、アメリカ軍工兵隊や情報部が支援している雲南遠征軍約72000名です。

対する日本軍守備隊は、福岡県久留米で編成された第五六師団11000名です。

守るべき正面はサルウィン河に沿った南北約250kmにまたがる、数千メートル級の山岳地帯です。
米China連合軍は、その長い防衛線の5~60kmへ、いっせいに攻撃をしかけてきた。

そして当面の攻略目標が、最前線の拉孟(らもう)と、騰越(とうえつ)だったのです。

200km以上にまたがる要地に分散配置してた第五六師団は、戦線が伸びきり補給すら満足にできる情況になかった。
加えてChina軍は、米軍の戦爆連合(戦闘機と爆撃機がいっしょに編隊を組んだもの)による爆撃支援を受け、さらに持っている武器は、米軍の優秀な大砲や火焔放射器だった。

大陸にいた国民党軍団とは、まるで装備が異なる最優秀軍団だったのです。

昭和19(1944)年6月27日、拉孟(らもう)から1カ月ほど遅れて、城砦都市騰越(とうえつ)への米China連合軍の砲撃が始まります。

騰越(とうえつ)というのは、Chinaの明の時代に築かれた、伝統的な城砦都市です。
周囲3kmくらい(各辺約700m)の城壁(高さ5M、幅2M)の壁があります。

城砦の周囲には、3kmほどの平地を隔てて、独立した高地がある。
北側には、高良山。
北東2kmには、飛鳳山、
南方2kmには、標高200Mの来鳳山
西方4kmには、宝鳳山 です。

これらの高地を奪われたら、騰越(とうえつ)城塞はまる見えです。
そこから砲撃されたら城砦はひとたまりもない。
騰越(とうえつ)守備隊は、これら周囲の高地も防衛しなければならなかった。

各山と、城の防衛には、少なくとも3個連隊7000名の兵力が必要です。
しかし、先に述べたように、50kmの防衛ラインで、日本軍にはそこまでの余力はなかった。

騰越(とうえつ)にいた日本軍守備隊は、連隊長の藏重康美(くらしげやすよし)大佐以下、福岡県久留米で編成された歩兵第一四八連隊です。

そして実際に戦力となる兵力は、歩兵約900名、砲兵300名弱です。
その他は、工兵、通信兵、衛生兵、輜重隊(補給・輸送隊)であり、憲兵も10人いた。
その合計が2025名です。

対する米China雲南遠征軍の兵力は49,600名です。

兵力差は実に25倍、さらに火力・兵器の違いを考えれば、その戦力差はゆうに100倍を超えます。その中で、騰越(とうえつ)守備隊は、80日間も城を死守した。

6月26日、騰越(とうえつ)師団通信隊は、敵部隊間の交信情報をキャッチします。いよいよやってくる。前線の緊張が高まります。

6月27日午前6時、雲南遠征軍は、まず来鳳山陣地を砲撃してきた。さらに7月にはいると、雲南遠征軍は、騰越(とうえつ)城、中央門への大規模砲撃を開始します。

この時点で、雲南遠征軍が配置した兵力は、4個師団27000名です。さらに第116師7800名が、騰越(とうえつ)南方を遮断した。守備隊の補給路を完全に遮断したのです。守備隊は孤立した。もう補給はありません。

それでも守備隊は、夜陰に乗じて周辺の山を襲撃し、これを撃退します。

7月20日には、雲南遠征軍は、騰越(とうえつ)城への総攻撃を開始する。
1日で5000発を超える猛烈な砲撃に耐え、敵が白兵戦に転じたところを狙い、反撃。守備隊は敵の総攻撃をことごとく撃退した。

この時点で、各方面に殺到した敵襲撃部隊は、それぞれ5千名以上です。
城砦だけでなく、周辺の山まで守備しなければならない守備隊側は、それぞれ数十名程度の編成です。彼らは100倍の敵を前にして、これらをことごとく退けてしまいます。

日本軍強し。

開戦から一カ月。完全装備でありながら、日本軍の陣地をひとつも抜けないChina軍は、米軍に依頼して7月26日、爆撃連合57機で、各陣地を空爆します。
そして一日5千発以上の砲撃と火炎放射機をもって、少数の守備兵で守る来鳳山陣地に総攻撃をかけた。

来鳳山守備隊は敵を邀撃し死守敢闘したけれど、敵は第一線兵力を交代しながら反復攻撃を掛けてくる。一刻の休みもなく戦い続ける来鳳山守備隊。次々と新しい兵力を繰り出してくる敵兵。

砲弾も歩兵銃の弾も撃ち尽くし、砲撃で陣地の修復もできなくなった守備隊には、もはや隠れるところすらない。
砲撃や空爆を避けるためには、壕にこもるしかないのです。しかし壕は爆撃で半壊し、そこに敵が火炎放射機を射かけてくる。
反撃しようにも弾がない。

来鳳山守備隊は、銃剣や軍刀で戦い、敵の銃や手榴弾を奪って反撃した。
しかし、死者続出の情況となります。

やむなく、蔵重隊長は、同日、城外の各陣地の撤収を命じます。
戦力を騰越(とうえつ)城内に集中させることにした。

この時点で、騰越(とうえつ)守備隊の残存兵力は

城壁南部及び旧英国領事館陣地 
 日隈大隊(第2大隊と1個中隊半)約400名
西面北半部、西北角、北面、枴角桜の陣地
 早瀬混成隊(3個小隊)     約200名
東北角、飲馬水の陣地
 高木隊(4個小隊)       約300名
中央門陣地付近
 本部および予備隊(混成2個小隊)約200名
その他
 病院              約200名

合計1300名にまで減っています。しかもほぼ全員が怪我人だった。


この間、第五六師団本体は、師団司令部が置かれていた騰越(とうえつ)から7~80キロ南の龍陵付近でChina軍と激闘しています。
なんとかして、拉孟(らもう)と騰越(とうえつ)に援軍を送ろうとしていたのです。
しかし、敵兵力は総計20万です。本体は猛烈な戦闘をするけれど、動けない。

8月に入っても、騰越(とうえつ)城への砲撃は止みません。
毎日、1日5000発を超える砲弾が撃ち込まれるのです。
1分間に8~10発の砲弾が飛んでくるのです。

しかも8月2日には、連合軍戦闘機60機が飛来し、城内に機銃掃射をした。
対する守備隊には、飛行機と戦うための高射砲すらありません。

8月3日、敵が南西トーチカを破壊します。ここを突破口にして、敵が城内になだれこんだ。
蔵重隊長は、いったん退却したあと、夜襲を掛け、侵入軍を全員退却させます。

8月5日、こんどは連合軍のB25爆撃機が、終日城内と城壁を爆撃した。
冒頭に述べたように、騰越(とうえつ)城というのは、一片700mあまりの正方形の城砦です。
いってみればこれを読んでいるあなたのお住まいの□□町□丁目くらいの小さな面積しかない。そこに終日、B25が集中爆撃をするのです。

爆撃によって城壁13ヶ所が壊され、そこからChina兵が乱入する。しかし日本陸軍の最も得意とするのが、接近戦での白兵戦です。加えて敵兵が白兵攻撃をしかけてくるときは、爆撃がやみます。
守備隊は、これら侵入部隊をすべて撃退してしまいます。

8月9日には、南西角および東南角の突破口から敵攻撃部隊(約5000)が突入してきますが、ここを守る守備隊はわずか300名程度で、敵を撃退している。

完全に攻めあぐんた雲南遠征隊は、再び米軍に泣きつき、8月13日、連合軍の戦爆連合24機を呼んで、またもや城内の大爆撃をした。

爆撃機は、狭い城内の上空を旋回し、爆撃を繰り返します。
そして爆弾数発が守備隊本部に命中し、守備隊長藏重大佐以下32名が爆死してしまう。守備隊は、次席の太田正人大尉に以後の指揮が引き継がれます。

8月14日午前7時、China兵総攻撃。
China兵が城内に殺到し、城内で白兵戦が展開される。
城内にいた日本兵は、乱入してきた約3万の敵兵に対し、わずか800名ほどで猛烈な白兵戦を展開し、正午までには、敵を全部撃退する。

あまりにも日本兵が強いため、China軍は日本兵の疲れを誘うため、以降連日、昼夜を問わず破れた城壁からChina兵がかわるがわる城内に侵入し、日本兵に休息を与えないようにしてきます。守備兵たちは、まさに不眠不休の戦いとなってしまう。

その状態を1週間続けたあとの8月21日、延べ100機を超える空襲と1万5000発の砲撃で、城内北東部に立て篭もる日本軍に対して、総攻撃が行われます。

この時点で、日本兵残存兵力は、わずか650人。
健常者はもはや、ほとんどいない。
全員が、目や手足を失い、大怪我を負った状態です。

8月25日午前11時、日本軍戦闘機12機が飛来し、残存する日本兵に、手榴弾500発、衛生材料を投下します。太田守備隊長がこれに対し、涙の返電をしています。

~~~~~~~~~~~~
久方振りに日の丸の友軍機、我らの頭上に乱舞するを見て、全員涙で感謝歓呼しました。

どうかその心情を察してください。

手榴弾の補給を受け決死班を編成し、将兵は勇躍任につきました。

友軍機飛来の際、敵は高射機関砲をもって妨害せるも、全機無事帰還せられしや。

~~~~~~~~~~~~

みずから決死の戦いをしながら、補給にきてくれた友軍機が、無事に帰還できたかを心遣う、この気持ち。これが日本人です。日本の軍人です。

9月1日には、連日侵入してくるChina軍との白兵戦によって、残存兵力は350人になっています。この日、友軍機からの空中投下による爆薬の補給を受けた。
補給によって配布されたのは、手榴弾各自1発、小銃弾10発ずつです。

小隊長が、この弾を渡す時、
「この弾が最後だ、手榴弾は自決用だぞ、大事にせよ」と、最後に言ったひとことが胸を刺した。(吉野孝公「騰越玉砕記」)

この弾が最後だ、手榴弾は自決用だぞ、大事にせよ・・・
泣いたらいけない。でも涙がこぼれる。

9月11日、残存兵力は、ついに70人となります。

太田守備隊長は、師団本部に、二通の電報を打った。

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敵は兵力を増強して攻撃を強行し、わが方を圧迫しています。

城内北東隅付近で、本部を中心に円形陣を形成して、最後の血戦を試みます。

敵の銃弾を避けるため、塹壕を掘るのですが、器材がないので、鉄カブトで穴を掘っています。

しかし敵の破壊力、大なので、まにあいません。

損害続出して、いかんともしがたい情況です。
(午前四時)
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守備隊本部前80mにおいて激戦中です。

軍旗は午前9時に、涙とともに奉焼しました。

将兵、みんながよく奮闘てくれました。

多数の将兵を失いながら、作戦を支えること至らず、申し訳ありません。

陛下の聖寿の万歳を寿ぎ奉り、兵団の武運長久を祈ります。
(午前一〇時)
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9月12日、太田守備隊長は次の電報を打って、暗号書を焼き、無電機を破壊します。

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本守備隊の現状では、あと一週間以内の持久戦を行うのは、もはや困難です。

状況によって、13日は先月お亡くなりになった蔵重連隊長の命日です。

この日を期して、最後の突撃を敢行し、武人の最後を飾ります。

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そして太田大尉は残存兵力を卒いて適中に突入します。
黒山のように群がる敵China兵の前に、わずかな人数となった守備隊最後のメンバーが、軍刀と手榴弾を片手に突撃し、全員討ち死にした。

これにより、重傷のため人事不省に陥って中国軍に収容された三名を除き、全員玉砕します。

これが騰越(とうえつ)の戦いです。

補給もない、食料もない。
わずかな手勢に対し、敵兵力は49600名を数えます。
25倍もの敵と、80日間死闘を繰り広げ、玉砕して果てた、騰越(とうえつ)守備隊。

考えてみてください。
装備も補給も十分な敵と、補給も食料もない中で80日間、必死に戦い散って行かれた若き日の私たちの祖父たちのことを。

騰越(とうえつ)の戦いは、たとえてみれば、25人の完全装備の荒くれ男たちを相手に、たったひとりで素手で80日間も戦いとおしたという戦いです。
(敵は完全装備で補給も万全で25倍の人員だった)

それでも序盤は完全に勝利している。

なるほどその喧嘩は、最後には負けたかもしれません。

しかしね、ねずきちは思うのです。
彼らが、どうしてそこまでして戦いぬいたか。

場所は陸上です。逃げようと思えば逃げることもできた。
にもかかわらず、彼らは最後の最後まで戦いきった。

もちろん命令もあるでしょう。
でもね、それだけでは決して語りつくせない勇気と義務感と義侠心が彼らにはあったということを、ボクは、思うのです。

場所は城砦都市です。当然一般人もいた。
実際、騰越(とうえつ)の戦いの爾後の写真などをみると、一般人の多くが、火炎放射機で焼かれ、爆風で手足を失い、黒焦げになった状態で城内いたるところに散らばっている様子が写されています。

男もいたし、女もいた。みんな黒焦げです。

玉砕していて記録などなにもないけれど、守備隊兵士たちは、彼ら一般人には、「先に逃げろ」と言っていたはずです。
でも、彼らは逃げなかった。守備隊と行動をともにした。

こいつらを、絶対に守りとおさにゃならん。
援蒋ルートを絶対にChinaに渡しちゃならん。渡したら、奴らはまたしてもChina各地の都市を襲い、多くの市民を殺す。
ワシらは、どんなことがあっても、ここで最後の一兵までも戦い、奴らを釘づけにせにゃならん。市民を守りとおさにゃならん。

そんな心だけで、彼らは2日に一度、少量のパンしか食べれない状況で、爆風で手足を失っても医療すら受けれない、痛み止めすらない情況下で、不眠不休で最後の最後まで戦い抜いた。

その祖父たちの勇気を活動を、わたしたちは絶対に忘れてはならないし、風化させてもならない。
日本人なら誰もが、絶対に忘れてはならない歴史がここにあるのだと、ねずきちは思うのです。

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来鳳山(白塔)から騰越市内を望む


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コメント

ジャギ様

No title
 立場を変えてこの戦史がアメリカや中韓の実話なら、アラモ砦の戦闘以上の国民共有・統合の歴史になっていたでしょう。
 日本は不思議な国ですね、実は私もこのブログを見るまでここまで極端な非対称な戦力化での苛烈な激戦(日米戦争そのものがそうではありますが)をまったく知りませんでした。

 悲壮な戦闘を闘い抜いた戦士の精神を継承するだけでなく、熱き魂を鎮魂するためには、国民一人ひとりが彼らを「忘れない」ことが最も大切なことと思います。

M2

椿さん‥
そう考えると

原爆開発のマンハッタン計画なども、出来た暁には完全に日本に投下する狙いだったのですね..

日本と戦争終結する為に止む得なく落としたと、ほざいてるけどアメリカ(超汚ない)

だいたい第1次世界大戦前からアメリカおかしかったですからね!モンロー主義とか言って、何処の国とも戦争はしないと正義ぶって‥

出来もしないのに大口たたく奴ほど、一番怪しいですからね(笑)

地獄に堕ちていくだなアメリカさんよ!
‥ふぅふふ

椿

ABCD攻囲陣です!

M2さん、

当時の日本は、ABCD包囲網がどんな意味合いを持ち、どのように形成され、その軍事力やその配列まで、つぶさに調べあげて、全て知り抜いていたそうです。

米英挑戦の真相』という本には、『中略~過去幾多の米英の対日外交振りをみれば、その内容の暴慢なるは勿論、その態度や傲岸、その言辞や横柄、なすところ悪逆非道筆舌を以て、形容しがたきものあり、顧みても、よくも我々の先輩はこれを堪忍してきたものだと、その自重の裏に潜む萬蔛(ばんこく)の血涙を、そぞろに偲ばざるを得ないほどである』と

ABCD包囲陣の『対日包囲陣の悪辣性』に、日本は“憤りの念”を隠せない様子です。当たり前ですが…。

ハッキリ言って、“悪辣なヤクザ・チンピラども”が、『純粋無垢で正義感の強い少年』に、よってたかった罵詈雑言を浴びせかけ、無理難題を吹っ掛けて“袋叩き”にして、打ちのめしたようなものだと思っています

ですがあの時、日本人が勇気を出さず、自尊心を捨てて、欧米の言いなりになっていたなら、永野修身氏のお言葉ではないですが、『亡国は必至』だったと思います。魂までも滅茶苦茶にされていたと思いますので、私は『先人達がよくぞ戦って下さった』と、誇らしい気持ちでいっぱいです。





中西

誇り高き敗北
ねずきち様

数々の玉砕戦(だけと言う意味ではありませんが)を戦われた方々の心の支えとなっていたものは、愛する人を守る、その方々が暮らす日本を守るという使命感。

例え敗北が色濃くとも国家ために殉じる行為は、後に残る方々、そして我が国の将来にとって必ず良い結果につながるという希望。

だからこそ、決して最後まで諦めないと言う行動をとられたと、結果、敗北したとしても、そこには日本人としての誇りがあり、誇り高き敗北であったと考えています。

本当に、感謝せねばなりません。

50代主婦

日の丸
私は二年間お舅さんの看病をしました。お舅さんはテレビを観ながらポツリと、「軍事評論家かなんか知らんけどなぁ、戦場で戦友が目の前で殺されるんだぞ・・実際にその場にいないとわからんよ!」と言って、温和なお舅が怒り爆発だったのをみました。
愚民な私の心に、私達の先人の友情を初めて感じ取る事が出来ました。
毎年正月には日の丸を玄関に掲げてお祝いしてくれたおじいちゃんは、一昨年の今日12月22日に85歳で靖国の戦友に会いに旅立ちました。
おじいちゃん、お正月には我が家の玄関に日の丸を掲げてお祝いしますね。

美しい日本。
おじいちゃんが守ってくれた誇り高い日本をまもりたいです。

M2

訂正
条約な×

条約など○

良く間違えるな..あまり書き込まないしな、ここのサイトに‥失敬(汗)

M2

アメリカは日本が日露戦争で日本が勝利した時!

強烈に嫉妬したようですよ!(笑)

ポーツマス講話会議でも、日本に一方的に不利な条約な締結したりして(仲裁役なのに..大笑)

所詮アメリカなどガキですよ!椿さん

あ太郎は出てくるな、以上。

椿

いつも“姑息な戦い方”しかできない、鬼畜米英!!
太字]ハッキリ言って、アメリカも「日本に勝った勝った」と言ってるけど、“物凄く卑怯で姑息な勝ち方”で、一片の良識でもあれば、恥ずかしくて死にたくなるような“醜い戦い方”だったと思います。

国力日本の80倍で、その上、英・仏・蘭・露という大国を仲間に引き入れただけでなく、“アジアの売国奴シナ”まで引きいれて、日本を叩き、原爆まで落としたんだから、

いくら“似非キリスト教徒”であったとしても、己の戦いぶりの醜さに、嫌気がささなかったのだろうか?と、非常に疑問に思いますね。

ま、その“悪業”の対価は、シッカリ支払わされているようだけど…(笑)。

朝鮮戦争だって、結局ソ連・中国に勝てなかったし…。ベトナム戦争だって、ベトナムに負けたようなもの…。アフガニスタンだって負けてるし、イラク戦争でも結局収拾がつかずに、投げ出して逃げてるし…。

まったく、このアメリカって国は、シナと同じで『恥知らずな畜生』です。

かって日本人が彼らを『鬼畜米英』と呼んだ意味が、理解できます。本当に『畜生そのもの』だと思います。

私の推測ですが、アメリカ一国相手であれば、日本は絶対に、“アメリカを叩きのめしていた”に違いないと思います



愛信

【【討論!】民主党政権と解体する日本】
【【討論!】民主党政権と解体する日本】
パネリスト:
 潮匡人(評論家)
 石平(作家・評論家)
 川口マーン惠美(作家)
 永山英樹(台湾研究フォーラム会長)
 西尾幹二(評論家)
 西村幸祐(評論家・ジャーナリスト)
 藤井厳喜(国際問題アナリスト)
 山村明義(ジャーナリスト)
司会:水島総

【動画ニュース掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi

椿

『シンガポール陥落』は、世界史に残る“偉業”なのです!

皇軍によるシンガポール陥落』は、日露戦争以上に世界を震撼させ、狂喜させた戦いであったと聞いています

近代史における“無敵のイギリス艦隊”が、皇軍に敗れた!

大英帝国が誇る“プリンス・オブ・ウェールズ”と“レパレス”が、皇軍により“沈没”させられ時、

英首相チャーチルは、「一人きりであった事がありがたい。戦争の全期間を通じて、私はこれ以上の衝撃を受けた事はなかった」と言い、イギリス側がいかに、“巨大な衝撃”を受けたかが、窺い知れます。

また、世界の国々も『シンガポール陥落』に、スペインでは『大歓声を持って、日本の勝利を祝い』、

ブルガリアでは、ブルガリアの兵士が『毛皮の外套2着をシンガポール一番乗りと二番乗りの兵隊に送ってくれ』と、日本公使館を突然訪れたり、

ブエノスアイレスでは、『日本軍は大変強い!シンガポール遂に陥落!!』と、大々的に新聞に書かれていたそうです。

最初、アメリカに圧迫されていた南米諸国は、アメリカの顔色を窺って“反日的態度”であったそうですが、『皇軍によるシンガポール陥落後』は、日本叩きの声は突如として消え去り、

凄いぞ、日本!!』、『良くやったぞ、日本!!』と、逆に大変な歓迎ぶりに変わったそうです。

アメリカにとってはまさに“青天の霹靂”であり、頼りにしていた大英帝国“難攻不落の要塞”シンガポールは、皇軍により陥落…、イギリスのあまりの不甲斐なさに、アメリカは大激怒したそうです。

日本人が…、有色人種であるはずの日本人が、“不敗の半神白人”を、アジア人の目の前で“完膚なきまでに叩き潰した”。

この“日本の緒戦の大勝利”を見守ったアジア諸国は、いっせいに立ち上がり、日本軍の指導で解放の機運を高め、大東亜戦争後、見事にアジア解放を達成させたのです。


日本人なら、この事を決して忘れてはなりません!!

私達のご先祖様は、何百年にわたり、有色人種にかけられた、“黒く、禍々しい呪いの鎖”を断ち切り、光を解放したのです!!

大日本帝国だけが成し得た“偉業”であると、心から誇りに思います!!


転載

No title
拡散「南京大虐殺」政治決着の危険 New!
日中共同歴史検証結果は、昨年の夏に発表する予定になっていましたが、延期され、今年の9月4日に決まっておりました。

ところが、8月30日の総選挙で民主党が政権を取った途端に、中国側が一方的に延期してきていました。

そして今回、「南京30万人虐殺」とか「 天安門事件」や「 反日教育」(愛国教育)など折り合いが付かないところを外して、急遽12月24日に近現代史以外を発表することになったようです。

そして民主党は、来年2月に、第2期の日中歴史共同研究会を発足させて、再スタートするようなことも報じられています。
実際、民主党政権下での 日中共同歴史研究となると、日本側のメンバーの選出は、日教組系の立派な「反日学者」が就任すると推察できます。

そこに、 天皇陛下への一連の不敬発言で、日本人とは思えない傲岸不遜な態度が白日の下に晒された、 小沢一郎解放軍司令官が「政治指導力」を発揮することになると、「 南京大虐殺」を認める共同研究が発表される可能性があります。

これは杞憂でもなく、「日本解体」(日本解放)を策している小沢一郎解放軍司令官は、中国の意向で天皇陛下を政治利用したことに比べると、いとも簡単に「南京大虐殺」と書き込ませることになると思われます。

この年末のクリスマスイブに共同発表することに、どのような意味があるのか知りませんが、岡田外務大臣に報告する24日まで、中国大使館公安部と政治報道調査部の眼前で、『「南京祭り!」の一冊に集中して「南京事件」の総括』で紀伊國屋書店デイリーベスト10入りを勝ち取りたいと願っております。

12月14日から20日までの紀伊國屋書店新宿本店店頭販売週刊文庫本ランキングで、『「南京事件」の総括』が第2位になりました。
また、デイリーベストでは、第7位に復活しました。

この記事の拡散をお願いいたします。

『「南京事件」の総括』の紀伊國屋書店ネット予約URLは、次の通りです。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4094060022.html


【ネットだけ転載フリー】ジャーナリスト・水間政憲 http://mizumajyoukou.jp/?Word%2F2009-12-27





愛信

偽りの権威を引き剥がせば手も足も出ない中国
偽りの権威を引き剥がせば手も足も出ない中国

中国の言う「友好」「平和」が虚構であるのは、あの国の日ごろの行動を見れば
すぐにわかる。
国際社会はそれを批判しない限り、この横暴国家に対する抑止力は生まれな
い。
詳細は【台湾は日本の生命線!】福岡で横暴な中国総領事をやっつけた
台湾女性議員に学べを
カッチとね
中国の実像【爺砲弾(時事放談)】中国的行商もどうぞ

【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

縄文人

八紘一宇の心
アメリカのアフガニスタン敗北はどうやら確かなものになりつつあるようです。ベトナム戦争以来またまた敗北したことになります。
アメリカの根本的な間違いは日米戦争で日本に勝ったと思い込んだことにあるように思います。
あのときの日本の最適戦略が、満州への撤退にあるとしたら、そしてそのようにしていたら、どうだったでしょうか。フィリピンやインドネシアもすべて放棄していたら、どうだったでしょうか。
アメリカは、毛沢東軍と泥沼の戦いとなり、最終的には敗北していたのではないでしょうか。
毛沢東軍は実に野蛮な軍隊です。しかし、蒋介石軍も負けず劣らず野蛮です。
タリバン軍も本当に野蛮です。
しかし、アメリカが本当に正義のために戦っているのなら、チベットを見殺しにするのは理屈にあいません。
アメリカの世界政策は、私から見れば、実に矛盾したものなのですが、所詮、彼らには「覇者」としての資質がないのでしょう。
チベットを助けようという心こそが、実は八紘一宇の心だと思います。八紘一宇の心はアジア主義とは何の関係もありません。アメリカ人には、八紘一宇が理解できないのです。だから負け続けるのです。
アフガニスタン敗北の後、アメリカは世界から撤退するでしょう。モンロー主義とも言います。これは、軍事力は弱くなったから、アメリカが引きこもるのではないのです。アメリカの軍事力はいまでも世界最高であり、それこそ、とてつもないものです。
ただし、シナ人が誤解するのが怖いのです。
どうやら八紘一宇の心を持っているのは、日本人だけのようです。すなわち、チベットを救えるのは日本のみと言うことです。チベットを救える者、その者が世界から信任を得る者であろうと考えます。
いずれにしろ、アメリカ撤退の後に、シナ人という食人民族に世界を席巻されては、文明人は困るのですよ。

naftarin

民主党の政策集は中国共産党の悪魔のささやきだ。
 民主党の政策集は巧妙に作られた日本を崩壊させる為のシナリオである。
一見よさそうに見える政策が並んでいるが、これは真の目的を隠すための目くらましである。
(民主党の政権交代劇も同じ。)
 
”地域主権を確立させ国家をバラバラにして崩壊させる。”

沖縄をまず標的にしたのは、
 1)地域主権を与える口実がいろいろつけやすい。
 2)中国にとって、
  制海権を握れる。
  資源をすべて手にいれることができる。
  領土拡大に好都合。
  アメリカの軍事力を抑え込める。
  などなど 、喉から手が出るほどほしいのだ。
 3)次のステップ 日本本土を手中にする為の絶好の場所である。
人民解放軍をどんどん送りこめる。

 ”沖縄をパイロットケースとして”と書いてあるのは日本全土が視野に入っているからにほかなれない。

いこ

No title
お笑い日本の実態 !?『外国人地方参政権で日本終了』
http://www.youtube.com/watch?v=R6cP05l5HWw

マスコミは誰の手に落ちたのか
://www.geocities.jp/moai33jp/_gl_images_/kokusekihou.JPG

【バカなの?】なぜ不法外国人に選挙権をあげるの?【緊急FAX】
://www.youtube.com/watch?v=wD0SMxdJ7dI

マスコミが隠してきた日本の真実を暴露するまとめサイト
://www35.atwiki.jp/kolia/

小沢一郎 ~ 闇の系譜 テレビ朝日では放送されない民主党の真実
://www.youtube.com/watch?v=kHQAdWwi1ZI&feature=related

本解体法案反対集会10 土屋たかゆき 民主党マニフェスト偽装
://www.youtube.com/watch?v=tHpFDb8s_T8&feature=rec-LGOUT-exp_r2-2r-3-HM

09・10・ 27 「日本解体法案反対」請願受付国民集会
://www.youtube.com/watch?v=FAOFiCAkzAU&feature=related

10.17 日本解体阻止!! 守るぞ日本! 国民総決起集会
://www.youtube.com/watch?v=gk8gJaUrazI&feature=related

"党首は不動産王?!" 小沢一郎衆院議員の豪華マンション一挙世界初公開
http://www.youtube.com/watch?v=E-ActmY7fCU

政権交代詐欺の共犯者はマスゴミだ
http://www.youtube.com/watch?v=ADU_tXaY2WY

-

No title
児童相談所

我々日本人は悪法を国会で通されてしまった。
児童虐待防止法、その他の法律である。
国籍法、男女共同参画社会基本法、数えればきりがない。
あれもこれも日本解体、日本分割、を目標とする。日本人をバカにした法律である。

赤い勢力が強力に推し進めている法律である。日本の赤い勢力達は喜んで受入れた。
親と子供の関係を切り裂くべく働く法律が厳然として存在し数年前に成立したのだ。

1 ttp://peevee.tv/v?67akd4
2 ttp://peevee.tv/v?67bd91
3 ttp://peevee.tv/v?67d1f7
4 ttp://peevee.tv/v?67f1a3

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No title
児童相談所

我々日本人は悪法を国会で通されてしまった。
児童虐待防止法、その他の法律である。
国籍法、男女共同参画社会基本法、数えればきりがない。
あれもこれも日本解体、日本分割、を目標とする。日本人をバカにした法律である。

赤い勢力が強力に推し進めている法律である。日本の赤い勢力達は喜んで受入れた。
親と子供の関係を切り裂くべく働く法律が厳然として存在し数年前に成立したのだ。

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4 http://peevee.tv/v?67f1a3

あん

No title
戦争行為もなにも讃える気にはならないけど、そんな地獄の中で最後まで気力を振り絞って25倍以上の敵と戦って散った日本軍は我々の誇り。

建国60年
建国60年位が一番「国家」としての高揚期です。
反日が高揚させる「道具」の中共・韓国に対して、「敵国」と言う意識が政治家の何処にも見えないのが怖いです。

bb

ねずきちさん、おはようございます。
「あるサイト」の引用で以下の文

>しかし、事態がそこまできても中国への侵略戦争をやめることができなかった。

侵略戦争をやめることができなかった?
侵略戦争ではありません。

NHK 「坂の上の雲」を見ていても、細部に日本軍を貶める表現があります。流れの中で見ているとすっと気持ちに落ちてしまいます。

私達は知らず知らず、先の大戦の本質をすり替えようとするプロパガンダと呼ぶに呼べないような方法で毒されてきたように思います。

このサイトも一見正しいことを記述しつつ、大事なところで間違っています。

大切な命を投げ出して、日本を守ってくださった英霊にこれ以上失礼なことはありません。

帰還された兵隊さん(父も含めて)が、多くを語らなかったのは、きっと戦後語りづらい雰囲気が巧妙に作られてきたからに違いないと最近思うようになりました。

じゃなかったら、心底明るい父が自慢話をしないなんて考えられません。転じて聞く私達はどうだったでしょうか。「戦争の話」というだけで身構えてしまっていなかったでしょうか?

特に世の中がまだ見えず教育によって頭でっかちになっていた私は、思春期になるともう聞く耳さえ持っていませんでした。周りではマッカッカな連中が奇声を発し私を取り囲みました。それに逆らうだけで精一杯でしたから。

今日のお話も含めて、ねずきちさんが発信する真意を伝えるのが、これからの私に託された仕事になりそうです。

かぐやひめ

感謝あるのみ
日本兵は、25倍のシナ兵にひるまなかった・・・

今、弾は飛び交わないものの、同じ状況がある気がします。
2000名で戦った・・・のですね。
今回の戦も、これが戦だと気付く人が少ないなかでの戦いです。
日本を失わないために、あの手この手で戦いたいと思います。

せんちゃんGOGO

No title
毎回、毎回、すばらしい記事をありがとうございます。日本軍の壮絶な戦いに、涙があふれます。まだまだ私たちには余力があります。素晴らしい戦いを成し遂げた英霊たちに恥じぬよう、日々がんばっていきます。

先人達の気持ちは忘れたくない!

世代が代わろうが脈々と・・・
少し前まで、年末と言ったら忠臣蔵!
あの時代劇をテレビでよく見かけたものですね。
物語のクライマックスの「討ち入り」の場面で必ず仲間を
励ましたり、襲われているのを助けたりしている・・・。

きっと同じ、イヤそれ以上だったのでしょうね?
負傷した仲間を見捨てない諦めない気持ち
玉砕という悲しい結果だったとしても
皆励まし合いながら守りたいものを必死に守ろうとしたんですよね。

Y梨県民

すいません
話題が変わってしまいますが、今日のY梨地方紙の一ページに異様な記事がありました。従軍慰安婦に関する日記?とだいし、さっそく抗議をしようと思っています。皆さまも抗議電話宜しくお願いします。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
15:00~19:00
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