石頭予備士官候補生の戦い

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ソ連T34戦車


「岸壁の母」という曲があります。満洲に駐屯していた息子の帰りを待って、舞鶴の港に立つ母親の心を歌った曲です。

(唄)
♪母は来ました 今日も来た
 この岸壁に 今日も来た
 とどかぬ願いと 知りながら
 もしやもしやに もしやもしやに
 ひかされて

(セリフ)
また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない……
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか……
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ……。
帰れないなら大きな声で……
お願い……
せめて、せめて一言……


この「岸壁の母」という曲は、昭和29(1954)年に菊池章子が歌って、なんと当時で100万枚を超える大ヒット曲になりました。
菊池章子さんというのは、「こんな女に誰がした」という歌詞で昭和22(1947)年に大ヒットした「星の流れに」を歌った往年の大歌手です。こちらの曲は、終戦直後の女性の悲しさを歌った名曲でした。

その菊池章子さんが「岸壁の母」をレコーディングした。
プロの歌手です。どんなときでも、同じように歌えるというのが、当時の歌手の誇りです。
ところが、演奏が始まると同時に泣き出してしまってどうにもならない。そのため何度も何度も録音をやり直し、ようやくレコーディングできた。
その後も放送や舞台で歌うのですが、そのたびに涙で声が曇ってしまったといいます。

なぜかと聞かれた菊池さんは、「事前に発表される復員名簿に名前が無くても、もしやもしやにひかされて、という歌詞通り、生死不明のわが子を生きて帰ってくると信じて、東京から遠く舞鶴まで通い続けた母の悲劇を想ったら、涙がこぼれますよ」と語られました。

「岸壁の母」はその後、昭和47(1972)年に、こんどは二葉百合子の浪曲調の歌として再度レコーディングされました。このときも再びミリオンセラーの大ヒット。LPレコード、シングル、テープを合わせてなんと250万枚という空前のヒット曲となりました。

そしてあまりのヒットから、昭和51(1976)年には、中村玉緒主演で映画化され、昭和52(1977)年には、市原悦子主演でドラマ化もされています。

この曲のモデルは、実在の人物で、「端野いせ」さんというお母さんが、たまたま舞鶴港で当時のラジオの取材に応じたのがきっかけでした。

端野いせさんは、明治32(1899)年のお生まれで、石川県志賀町のご出身の方です。
函館の青函連絡船乗組員の端野清松さんと結ばれ、娘が生まれますが、昭和5(1930)年、夫と娘が相次いで他界してしまいます。

で、家主で函館の資産家であった橋本宅から、新二少年を養子に迎えて昭和6(1931)年に上京し、東京の大森に住みます。

養子となった息子の新二少年は、立教大学を中退し、軍人を志して昭和19(1944)年に、満洲国に渡ります。そこで関東軍の石頭(せきとう)予備士官学校の生徒なります。

関東軍というのは、東京や埼玉、千葉の関東地方とはなんの関係もない名称です。日本がChinaから租借した遼東半島のあたりが、その昔、Chinaで関東州と呼ばれていたことから、この地方の守備隊として関東軍の名前がついています。

牡丹江省にあった関東軍石頭予備士官学校は、生徒数3600名、教官は半数が尉官か見習い士官という陸軍の予備士官学校です。


昭和20(1945)年8月9日未明、終戦を眼の前にして、突然、一方的に日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が、満洲地方になだれ込みます。

この日、石頭予備士官学校にも、早朝から、けたたましく非常呼集のラッパが鳴り響きました。

校庭に全員整列。校長から「本日未明、ソ連軍来襲、目下交戦中」の非常事態が伝達されます。

3600名の生徒は2組に分けられ、歩兵砲、機関銃隊1600名は、荒木連隊長の指揮下に、残り1600名は学校長小松大佐のもとに、東京(とんきん)城に布陣します。

対する敵のソ連軍は、投下兵力158万人の大部隊です。
兵力は2つに分けられ、第一極東戦線は、メレンコフ元帥が直接率いました。
第一極東戦線だけで、歩兵4師団、十二個狙撃師団、戦車二個師団、十五個国境守備隊、大隊砲3500門、ロケット砲430門、戦車約1000両、他に空挺部隊などを持つ、ソ連最強軍団です。

このときの戦闘の模様が、当時まさにその石頭予備士官学校の生徒であった高崎弥生氏の「実録 遥かなる回想」に記載されています。

以下、引用します。

~~~~~~~~~~~~
ついに候補生にも出撃命令が下った。
いまこそ祖国のために一命を捧げる時が来たのだ。
かねて覚悟はしていたとはいえ、悲壮な思いが、ひしと胸に迫り、完全武装を急ぐ手が震えた。

一瞬、故郷の父や母の顔が瞼をかすめた。
「長い間お世話になりました。国のため、先立つ不孝をお許しください」
おそらくこれが今生の別れとなろう。こみあげる熱い思いをぐっとこらえ、私はひそかにわかれを告げた。

「悠久の大義に生きるを本文とすべし・・・」
死ぬことだけを教えられた日々・・・今こそ祖国のために一命を捧げるのだ。

東京(とんきん)城方面へ行軍中、避難の在留邦人達がトラックに満載され「お願いしま~す」「頑張ってくださ~い」、悲痛な声で叫びながら、祈るようなまなざしで次々と通り過ぎて行った。
軍隊を唯一の頼みに、すがりつかんばかりの必死の叫びに、胸をしめつけられるような、全身に激しい闘志と責務に奮い立った。

夜を徹して駆け足行軍が続き、翌未明、「隘路口(あいろくち)」到着。
敵戦車を迎え撃つべく、一文字山峡に布陣。

正午ごろ、山麓の川辺で大休止となり、石頭出発以来、満足に食っていなかった私達は、やっと米にありつき、久しぶりにハンゴウ炊きをしながら、熱くてたまらず、一緒に水浴びをしていた。

そこへ突如、山陰から飛来したソ連機が攻撃してきた。
爆弾が落下、大地を揺るがす轟音とともに砂塵が吹きあがった。

いましも湯気のあがるハンゴウに敵弾が命中。川面に機銃掃射のしぶきがあがり、静かだった山峡はたちまち戦場と化した。

軍服をまとう暇もなく、慌てて身を伏せた。
重機関銃の傍らにいた私は、対空射撃の命令とともに、素裸のまま機関銃発射の握把をとった。

真っ先に狙われる重機関銃。
しかも初陣に素っ裸とは・・・。
死ぬにも死ねない気持ちが先に立ち、不思議と怖さはなかった。

乏しい弾薬とみて、おもいきり低空へ降下してきた敵機から、乗りだすような敵兵めがけて、夢中で発射。
小癪な!撃たれる前に撃ち落とせ! 体内の血が逆流し、炎のような闘志が全身に煮えたぎった。
敵弾よ、それまでは当たるな! 必死に祈りながら、ただもう懸命に撃ち続けた。武器弾薬欠乏と思いこんでか、思いもよらぬ対空射撃にに驚いた敵機が山蔭にかくれた隙に、ただちに部隊は出発。
この戦闘で、青木中尉他、多数の死傷者が出た。

~~~~~~~~~~~~

重機関銃というのは、重さが50kgもあります。
その重機関銃を、担いでの駆け足行です。

当時の関東軍は、必要な武器弾薬兵器を南方戦線にことごとく送っていて、いわば案山子(かかし)軍団状態です。

そのなかで、わずかに残った重機関銃です。
弾薬も、僅かしかない。

ちなみに、この戦闘の直前まで、日本は満洲のインフラ整備のために、ダムや道路、鉄道線路の敷設をしています。
つまり、歩兵銃を含め、当時の満洲に残った関東軍に残されていたのは、不十分な武器、弾薬以外と、工事用のダイナマイトくらいしかなかった。

こうした状況をはっきりと掴んだ上で、ソ連軍は158万の大軍を投下してきています。

それまで、互角の装備では、日露戦争や、それ以降の国境付近の衝突事件等で、ソ連兵はコテンパンにやられている。だから日本軍が怖かった。

東京(とんきん)城方面に向けられたソ連軍は、航空部隊や戦車部隊を含めて約50万の大軍です。
これを、歩兵銃の弾もろくにない、重機関銃の弾薬さえも欠乏している石頭予備士官学校の生徒たち3600名が迎え撃ちます。

続けて引用します。

~~~~~~~~~~~

事態は急変した。
敵が近くまで迫ってきたのだ。

支給された爆薬は、ランドセルくらいの大きさで、中にはダイナマイトがびっしり詰まり、30cmくらいの導火線がついていた。
いわゆる「急造爆雷」である。

その先にマッチ棒を3本、木綿糸でしっかりとくくりつけた。
敵戦車が接近したら、マッチ棒をすって点火させてから、爆薬を抱えたまま全力疾走で突っ込む作戦である。

点火後、3~4秒で爆発する。
これを「対戦車肉迫攻撃」といい、略して「肉攻」と呼んだ。

敵は明朝になれば必ず攻めてくる。
来ればどうなるかは、もう誰もがわかっていることだ。
あと数十時間の生命である。

蛸壺のなかに寝転んで暮れゆく空を見上げていると、なぜか故郷のこと、母のこと、兄弟のこと、幼いころのこと等が次々思い出されてくる。

8月13日、代馬溝陣地を突破したソ連重戦車が、ついに磨刀石にその姿を現した。
地面を揺るがせながら、道路を一列になってゆっくりと我が陣地内に侵入してきた。

この道路の両側には、草や小枝で擬装した蛸壺の中に「急造爆雷」を抱いた候補生が潜んでいた。

戦車が近づくと、次々と「先にゆくぞ」と叫んで、敵戦車に突入して行った。

戦車には自動小銃を構えた歩兵が随伴していて、蛸壺を見つけたら、中に潜む肉攻手を狙い撃ちするので、飛び込むまでにやられる者もあれば、同時に爆薬が炸裂し、敵もろとも吹き飛ぶ壮絶凄惨な戦闘が始まった。

味方の重機関銃も猛然と射撃を開始し、小型迫撃砲も一斉に発射された。

この重機関銃陣地をつぶそうと、敵の戦車砲、機関銃が集中砲火を浴びせてくる。
後方の高台に布陣をしている友軍砲兵が援護射撃を開始し、榴散弾(りゅうさんだん、弾の中に多数の散弾がつめてあり、炸裂して人馬を殺傷する)を浴びせかける。

敵は炎上する戦車を道路下に突き落として、次々と進撃してくる。

蛸壺の中では、爆薬を抱えた数百名の候補生が息を殺して潜んでいる。

やがて、肉攻壕の土が、ボコボコと戦車の地響きで崩れ始める。
耳を聾するキャタピラの音、重油の焼け焦げる匂いが胸をつく。

敵の随伴歩兵がトラックから降りて、自動小銃を構えて、戦車の周りに見え隠れして続々と向かってくる。
ソ連兵の自動小銃が肉攻壕を狙えば、肉攻手は、即座に自爆だ。

重機関銃隊が、銃の偽装の小枝をそっと払った。
たちまち味方の重機関銃がうなった。榴弾筒部隊も発射した。
二十数名のソ連兵がぶっ倒れた。

ひるんだ敵の歩兵が戦車から退いて行った。
肉攻手が爆弾を抱えて踊り出た。

ひとりの肉攻候補生が、蛸壺を飛び出すと、爆雷を道路に置いて伏せた。
ソ連戦車は急ブレーキをかけて爆雷の3M手前で停まった。
候補生は、ほふく前進して爆雷を戦車の下に押し入れようとした。

戦車の直前で、爆雷は轟音を発し、半身は高さ20Mまでも白煙とともに砕きあがり、鮮血を撒き散らしながらぐるぐると回転して、またもとの位置に落下した。

東満洲の軍都、牡丹江の防衛最前線として磨刀石に布陣した石頭予備士官学校候補生の、ソ連戦車体当たり戦法は、こうして開始された。


またひとり、小さな体で四角い爆薬の包みをかかえて飛び出していく。
一瞬、ものすごい閃光がひらめき、白焔が戦車をつつむ。
そして、またひとり・・・

突然、戦車の砲頭の下から吐き出す紅蓮の火炎に巻き込まれ、すさまじい轟音とともに自爆した。

肉攻陣地があることを察知したのか、敵戦車はしばらく前進を躊躇(ちゅうちょ)したが、こんどは火炎放射機で周囲の肉攻壕を焼き払いながら、その上に乗っかってグルグルと回転しはじめ、敵の歩兵も散開して肉攻壕に、自動小銃をを撃ち込んで進んでくる。

味方の重機関銃が銃身も裂けんばかりに撃った。
敵戦車の砲身や機銃が、一斉に味方の重機関銃小隊に集中した。
第一分隊の銃手、即死。

重戦車の巨砲が向きを変え、味方の陣地に向かって水平射撃の位置に砲身を構えた。

五体を揺るがすような炸裂が山野をゆるがした。
体は壕に叩きつけられ、舞い上がった土砂で半分ほど埋まった。

陣地における指揮連絡はまったく寸断され、日が暮れて、生き残った者同士が、負傷者をかばいながら引き揚げてくるが、集合場所さえ定まらない乱戦となった。

川上哲次候補生は、手記にてこのように報告している。

「道路上に、3~40両の敵戦車が轟音をあげてあらわれた。まるで動く岩のようであった。またひとりの肉攻手が、爆薬をかかえておどりでた。戦車はとまらない。

肉攻手の姿が一瞬見えなくなった。
次の瞬間、肉攻手は、戦車のキャタピラに腕を挟まれ、逆さ宙づりになった。

おもわず息をのむ。

そのとき爆薬が炸裂した。
ピカッ、グワーン!

閃光が走り、ものすごい煙に包まれ、敵戦車は立ち往生した。
恐ろしくなったのであろう。ソ連兵は戦車から飛び出し、逃げ出した。

勇敢な肉攻手が2~3名、壕から飛び出し、敵の戦車に躍りあがり、掩蓋(えんがい)から中にはいる。

戦車の砲塔が、ぐるりと後ろを向いた。

ズドーン!

すぐそばまできていた後続の戦車めがけて、ぶっ放したのである。

「やった!」と壕の中では歓声があがった。

続いて戦車めがけて一発! そしてまた一発!
分捕り戦車は猛然と火を吐いた。

痛快極まるとはこのことか。
たちまち5~6両の敵戦車を粉砕してしまったのである。

後続の敵戦車群は大混乱となり、後退した。

そのときの勇士は、鈴木秀美候補生、一之瀬候補生、和泉伍長の3名である。
鈴木候補生は、敵戦車の構造をよく知らず発砲の折、砲座で顔面を強打し、大腿部も負傷していた。
彼は、戦車から外に出て、中隊長や戦友に向かい、
「自分は負傷してこれ以上戦えない。速射砲の分隊長として、砲と運命を共にする責任がありながら、砲は射撃不能となった。自分はここで砲とともに自爆する。天皇陛下万歳!」
そう叫ぶと、10キロの爆弾を抱きしめ、壮絶な爆死を遂げた。

猪俣大隊長は、戦車砲撃の直撃を受け、一片の肉も留めぬ壮烈な戦死を遂げられた。

代わって大隊の指揮は、梅津眞吾中尉がとられ、敵戦車に果敢な奇襲攻撃をかけられたが、ついに陣地は敵戦車に蹂躙され、死傷者続出の事態となった。

梅津中尉は、もはや組織的な戦闘は不能と判断し、生存者を集めて、後方の山中に入り、脱出した。

8月15日、掖河(えきか)の本体にたどり着いたときは、磨刀石出撃時に750名いた猪俣大隊の候補生は、わずかに105名になっていた。

~~~~~~~~~~~~

この戦いで、「岸壁の母」で歌われた端野いせさんの息子、端野新二候補生も、消息を絶ちました。

終戦後端野いせさんは、東京都大森に居住しながら、新二の生存と復員を信じて昭和25(1950)年1月の第一回引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港するたびに、舞鶴の岸壁に立って息子の帰りを待ちわびます。

昭和29(1954)年9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行しています。


ひとついえることは、候補生のみなさんは、十分な装備も武器もなかった。

戦えるだけの武器も弾薬もなく、あるのは、少量の武器弾薬とダイナマイトだけだった。

しかも多勢に無勢です。圧倒的な兵力差です。勝負は初めからついている。

しかし、彼らは、自分たちがここで一日でも、一時間でも、一分でも多く敵を釘づけしようとした。

そうすることで、牡丹江に向かって、続々と避難している在留邦人たちが、すこしでも早く、すこしでも遠くまで安全に逃げ伸び、日本に帰還できるからです。

そしてそのために、彼らに残された戦いの方法は、民生用に残っていたダイナマイトを、子供のランドセルくらいの塊にして、それを両手で抱えて、肉攻突撃をしかなかった。

それでも彼らは立派に戦いきりました。。

彼らは命令があったから散華されたのではありません。
もっと崇高な使命のために、戦った。
命令はそのきっかけにすぎません。

彼らの気高い魂を、彼らの勇気を、私たち日本人が語り継がないで、いったい誰が語り継ぐのでしょうか。

いつかかならず、彼らの勇気が、彼らの行動が、日本中を感動の渦に巻き込む日がくる、かならず来ると、ボクは信じています。

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コメント

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No title
映画「プライベート・ライアン」の、最後の方の戦闘シーンを思い出した…

遠藤

岸壁の母
 おきな様
 岸壁の母の息子さんは生きていたと聞いたことあります。=確かにそういう話はありましたが、信憑性に欠けあくまで噂の範囲をでません。どうも金ほしさに嘘の情報を流していた輩がいるようです。何せ情報の出所が彼の大国でありますので、、、、

明恵

俺、今年52歳になるけど・・・
失礼します。「50歳以上が悪い」というのは、違うのではないかな?そもそも50代の人間が生まれたのは昭和26年から昭和35年までですぞ。GHQの占領が終わる頃から、高度経済成長期に生まれている。学齢期に達する頃、ようやく東京オリンピックだった。その世代が何で「堕落」を招いた張本人にされなあかんの?
私に言わせれば、現在の日本の「堕落」は、30代に責任があるのではないか?学校教育では日教組教育にドップリで、「小林よしのり」ごときで近代史を分かったような顔をしているのは、君等じゃないのか?

杜若

No title
>一知半解 様

御返事ありがとうございます。
詳しく説明して頂きありがとうございます。仕事の帰りが遅いもので、なかなか落ち着いてブログを覘くことは普段の日には叶いませんが、また休日の時間のある時にでも時間をかけて、覗いてみたく思います。

ただ、私の書く文章は、気の赴くままにその時の気分で書いてしまいますので、恥ずかしい限りです。

私の、覘くブログは今のところわずかです。中韓を知りすぎた男さん、そしてこのねずきちさん、日本が好きなだけなんだよさん、そして、玉蔵さんとこですね。
それだけ見るだけでも結構時間が掛ります。それと、厳選韓国情報さんは、最初にコメントした入門ブログでしたので気が向いた時にコメントしております。

一知半解さんのところへも勉強に訪れたいと思います。

お忙しいなか、ありがとうございました。


一世

No title
ねずきちさんへ・・・

イヤー・・!
ねずきちさんが、 淡々と日本人の心を書き続けていらっしゃる訳が分かります・・・。

これからも、机の上で理論ゲームに興じている方々には書けない! “人” としての提起をいつまでも続けて下さい。

心から賛同致します。

一知半解

cicaさんへ
連投すみません。

cicaさん、レスありがとうございました。

何事にも、プラス面とマイナス面があります。
ねずきちさんの優れた記事にもです。

日本人としての誇りを保ちつつ、自らのマイナス面を見つめ直す必要がありますね。
常に心は熱く、しかし、頭は冷静にありたいものですね。

一知半解

杜若さんへ
杜若さん、レスありがとうございます。

>日本が犯した過ちについての具体的な記述がありませんね。

短いコメントの中で、具体的な指摘を行なうのはなかなか難しいものがあります。

そもそも、日本が間違ったのは、単に停戦の判断だけにとどまりません。
いくつも要因が重なっていると思われます。
そうした要因については、それぞれ個々に分析するしかありません。
手前味噌になりますが拙ブログでも過去記事↓にてその一例を取り上げておりますので、ご参考になれば嬉しいです。

・物量ではなく思想の違いで敗れた日本
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-196.html

数ある要因の中でも、私が一番問題だと思っているのは、日本人の思い込みに基づく独善的な「ひとりよがり」ですね。これについては過去記事↓をご覧ください。

・「自己の絶対化」と「反日感情」の関連性~日本軍が石もて追われたその理由とは~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-147.html
・”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-264.html

それはさておき、「純粋信仰」に関して言えば、「現実的な条件を無視する」という由々しき欠点があります。

現実的な条件というものは、必ず醜く汚れていますから、それを無視して純粋を保つ傾向が出てきます。
なにしろ、現実は不純ですからね。

「純粋信仰」を現実の行動に反映させると、例えば西郷隆盛のように「法」より「情」を絶対視するようになり、西南戦争のような大戦争を引き起こすキッカケとなってしまう。

また、五・一五事件のように、純粋な将校が不純な大臣を取り囲んでなぶり殺しにしても、動機が純粋だからということで弁護すれば、助命嘆願が殺到し、法がないがしろにされてしまう。

日華事変のとき、戦線不拡大方針が盛んに唱えられましたが、英霊に済まぬという純粋な思いが、現実の選択を妨げて戦線を拡大する羽目になり、もっとたくさんの無駄死にを強いたわけです。

こうした過去の愚行は、現実を無視したことが一因でした。
そこでなぜ、現実を無視したのかといえば、やはり日本人の「純粋信仰」が基にあったからではないか、と私は思うのですが。

この「純粋信仰」については、山本七平と岸田秀が対談で言及しています。それを紹介した拙記事↓のリンクを貼っておきますのでこちらもご覧いただければと思います。

・内なる「悪」に無自覚な日本人/性善説がもたらす影響とは?
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-241.html
・日本は穢土/自国を貶める人間は、自分が「きれい」であることを証明したいだけ。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-245.html

なお、杜若さんの挙げた事例は私にも頷けるものばかりでした。

私は、杜若さんの挙げた事例がなぜ起こってしまったのか?そのわけを常々疑問に思っておりましたが、山本七平や岸田秀の著書にその答えを見出しました。

そんなわけで、現在は拙ブログ上にて、彼らの紹介をさせていただいております。
なんだか手前味噌な紹介ばかりになってしまいまして、申訳ございません。
長文失礼いたしました。

一知半解

一世さんへ
いやはや、今回の一世さんのコメントを拝見して、ようやく真意が掴めました。
これで私が、”一知半解”であることが皆様にも改めてお分かりいただけたかと(笑)。

上から目線でコメントしたつもりは毛頭無かったのですが、そのように受け取られても仕方なかったのかなぁ…とちょっと反省しております。失礼いたしました。

誤解があるかもしれませんので、もう一度、ご説明させていただきますが、私は何も皆さんに反省を強要するつもりはありません。

「本当にそれでいいのですか?」と問題を提起しているだけなのです。

そもそも、反省とは強要されるものではありません。
それでは、単なる懺悔の強要、猿の反省となってしまいます。

本当の反省とは、過去の日本人の思考・行動様式を分析し、それがどのような結果をもたらしたのかを把握することです。それだけでいいのです。

ところが、戦後の反省というものは、盲目的に中韓の主張に従い謝罪することに過ぎませんでした。どのような思考・行動様式に基づいて行動したのかという分析は殆どなされませんでした。

そしてそれが、今現在「日本は悪くない」という主張が幅を利かす形になっているわけですが、これは自虐史観の反動に過ぎず、そこにも戦前の愚行に対する分析というものはありません。

そこで、今回水を差すようなコメントを投稿させていただいたわけなのですが…。

一世さんからは、「日本国のみにおいて提起するのであれば、正直、違和感を禁じえません!」とのご意見をいただきましたが、そもそも、左翼のように反省を強要しようとは思ってませんし、それは他国に対しても同様です。

他国に反省を強要せずとも、我々日本人が、戦前の轍を踏まなければよいだけの話だと思いませんか。

もちろん、他国に対する警戒を無くせと言っているわけでもありませんから、そこのところ誤解なきように願います。

杜若

No title
一知半解 様のコメントを読みなおしてみましたが、日本が犯した過ちについての具体的な記述がありませんね。
ただ、停戦の時期をあやまったとの記述がありますけれども、それが軍国主義日本の過ちだったということなのでしょうか?

私が、少し感情的になったのは、〝純粋信仰"という表現にたいして反射的に反論した部分があったのですが、しかしそんなことで停戦時期を誤るほどあの当時の指導者は甘い考えであの戦いを始めたのでしょうか。
私は、今までこのような先の大戦に対する批判は余り聞いたことがありませんでした。

もしよければ、その辺の説明をお願い致します。

私の考えとしては当時の日本人が方針を誤った部分がどの様なものなのかということを私なりに考えてみました。

① 日露戦争で日本はロシアに勝利はしたけれども、戦費は底をつき、やっとのことでの薄氷をふむような勝利だった。だから、ロシアとの停戦にそれ程の見返りを得ることはできなかった。国民は大いに不満であったが政府からそれに対する説明がなく、結局国民に真実を伝えなかったがために、それが大東亜戦争への呼び水となってしまった。
つまり国民に国力に対する誤解を与えたままだった。

② 日英同盟を破棄する必要もないのに、日本側からそれを提案し破棄してしまった。これが、日独伊三国同盟へと向かわせた。

③ 米国の状況をろくに調査もせず戦争を始めてしまった。

④ 今だから言えることだけれども、もし米国の共和党勢力と結び、外交力で回避の道をさぐることもできたのではないか。

など、でこの中に停戦時期を誤ったというものはありませんでした。
ただし、上記の箇条書きは私の乏しい知識のよせあつめで、正確かどうかも自信がありません。

もし、貴方から説得力のある説が披露されれば付け加えたいと思います。

また、純粋信仰は、日本人の国民性であって、戦争とは無関係と私は思っております。

そして、結果論ではありますが、もし日本が、米国との戦争をもし回避できていたとするなら、今のアジアの状況は全く違ったものになっていた筈です。私にはどちらが良いとかは単純に判断はできません。

もし、今の日本人が今のように平和ボケで崖っぷちに立つような精神的頽廃状況に至らず、古来の日本人の精神をもし守っていたとするなら、私はためらわずその方、すなわちアジアの解放を採った日本の歩んできた道を選びます。

cica

一知半解様
皆様の意見を拝読して、本当にいろいろな考え方があるなぁ、と勉強させて頂いております。
私は一知半解様のコメントを拝読して、本当に日本の行く末を案じ、これから日本をよりよい方向に進めていく上で、真実を見極めることが大事だ、と提言されたと受け止めたのですが、ほんとにいろいろな意見がありますね。
多分、日本人にどのくらいの割合なのかは分かりませんが、自分でしっかり考えずに素直に言われたことを信じてしまう・・・という傾向を危惧して苦言を呈されたのではないでしょうか。

私は30代ですが、愛国心が育つはずもない環境で育ちましたので、だいたい周りの人はこういったことに無関心です。そういう人達に熱く一方的な話をしても、逆に心を閉ざされ、話が心まで届かない可能性があります。私はこういった話をするとき極力プラス面とマイナス面を一緒に言います。自分で考えてもらう余地を残したいからです。自分で勉強しないであろう人に、素直に言いなりになってもらいたくないからです。なので一知半解様のおっしゃってることがなんとなく分かるような気がします。
例えば、そういう人達に話す時は「昔の日本人はみな国の為を思ってがんばってくれた、こういう素晴らしい人達がいた」という話をしたら戦時中でも俺には関係ないよと思っていたお百姓さんもいただろうし、幕末にも国を憂いて戦ってくださった方がいた反面、何も考えてない町民もいただろう、というような話を時々言う。最初から知っておけば後でそういった事実を知った時落胆することもないですから。
愛国心のある国々と違い、愛国心あふれた言動に抵抗がある友人知人と意見を交わすときは、冷静さやバランス感覚はやはり必要だと実感しています。

杜若

No title
>一知半解 様

御返事ありがとうございます。
人として生れれば、身内には甘くなり、他人にはきつくなる。
そんなことは当たり前のことです。日本人も全てが善人では無く、凶悪犯罪が一切存在しない民族などありません。

しかし、ねずきち様の述べられているのはあくまでもそういったことは承知の上でのことと思います。

私は、昨年の今頃はここで記事にされるようなことはほとんど何も知りませんでした。もう、なにがきっかけでこのようなところまできてしまったのかも思いだせないほどに、ネットの旅をしてきました。
こういったことに関心をもつきっかけで、一番こころあたりがあるのはやはり〝韓国は“なぜ”反日か?"という資料集かもしれません。写真付きでよく理解できましたし、一目瞭然とはこのことかもしれません。
しかし、それも今の知識の中ではほんのわずかの領域を占めるにすぎません。

そういった変遷を経て今があるわけですが、そんななかで理解できることは、私たちは、近代の真実の歴史をあまりにも知らなかったし、また知らされなかったということではないでしょうか。

学生の時に歴史を勉強はしても、知ることができるのは明治維新までではないでしょうか。それ以降は自分で勉強しろ、みたいに打ち切られることが多いような気がします。
よっぽどもの好きでなければそんなことを進んで勉強する人もいないでしょうから、近代史を知らない人が多いのもうなずけます。
なぜそうなるかはある程度想像がつきますが、しかしそれが悪用され真実がどうなのかということを知らない人が余りにも多いように思います。

ねずきち様のブログのような保守ブログに集う方々はおかしい、なんて思っている人もいるかも知れません。
しかし、そういった方たちはちょっと検索し調べるという労力を省いているのではと思わずにはいられません。もしおかしなことが書いてあればちょっと調べればわかることなんですから。

ねずきち様はとても日本人の精神といものを大切にされておられますし、また日本人であれば誰もが共感できるものです。
貴方がおっしゃるように、日本人とて間違いはあるし、誤った選択も数多くあるでしょう。
それでも、尚庇わずにはおれないほど一生懸命だったのがわれらの祖先の方々ではないでしょうか。近代史を特にこのアジアの近代史を見るほどに、それを感じます。

中韓の方々を余りにも悪しざまに批判するのもどうかとは思いますが、事実であればそれも致し方ないことでしょう。知れば知るほどそういう結果になっていきます。彼らには彼らなりの理由があると言えばあるのかもしれませんが‥‥。

ところで、私は余り人の意見に口をはさむ方ではありません。しかし何故か反応が見たくなってちょっときつい調子の文章になってしまいました。
失礼はお詫び致します。

今、日本が非常に危機的な状況下におかれているかは貴方のようなかたなら十分承知の筈です。どうかちからをお貸しください。


一世

やっぱり先生です。
一知半解様。
貴方はやはり先生です(笑)!
敵いません(笑) 「先生のような方が溢れている国が何処にあるのだろうか?」・・ と私が言った意味が解って頂け無かったみたいです。
冷静に学問的に己を分析?する事が、何事においても大切である事は十分承知しているつもりです。
それが、歴史を省みる事においても・・・

しかし・・、貴方の冷静さには、「当事者」の匂いがしない?
もっと言わせて頂けるなら、日本人の波動を感じられなかった訳です・・(すみません)。

無国籍な境地で人間を視る! 立派な事です。
上から目線で、モノを語る!・・だから、「先生!」と呼ばせて頂いた訳です・・。

この様に・・学科テストに長けた方々が、空の上から幸せを撒く! それが今の日本です。

このような方が、日本国内だけではなく! 世界の国々に増えたら? ホント平和な地球になるでしょうに・・・(笑)

一知半解

杜若さんへ
>杜若さん

レスありがとうございます。

「冷水を浴びせている」とのご指摘ごもっともです。
私自身、投稿したコメントは「水を差す」ようなものだと思います。

たぶんそのような批判が出るだろうな…と思っておりました。

しかしながら、あえて「水を差した」のは、ねずきちさんのブログの空気が、偏っているように感じたからなのです。

日本人はその場の空気に支配され易い特徴がありますから、あえて空気を読まない(KYな)コメントを入れた次第でして、それを不快に思われる方もいらっしゃるのは当然でしょうね。

satadajpさんが、うまくまとめてくれてますが、それはそれとして、別処理すればいいのかも知れません。

ただ、日本軍は、ねずきちさんが紹介するような「善人」ばかりではなかったという「現実」も直視する”勇気”も持つ必要があるでしょう。

何事もバランスなんでしょうが、意外にバランス取るというのは難しいですね。
私としては、こちらのコメント欄を眺めていてバランスを取ったほうがよさそうだなぁ…と思い投稿させていただいた次第です。

ご不快だったかも知れませんが、単なる嫌がらせという意図は全くございませんので何卒ご容赦ください。
失礼いたしました。

sadatajp

「それはそれとして」
「それはそれとして」と、分けて話すべきだと思います。
冷徹に事象を把握し、感受性豊かに感性で受け止め、そして客観的に分析し教訓を得る。
これらを同時にやると、冷徹に行うべき事象の把握を感性で歪めたり、冷徹や客観的に重きを置いて感性の部分が抜け落ち分析において感情が考慮されなくなったりします。別々にやらないと問題が起こります。ただし、このどれかだけというのもまたバランスを崩してよくありません。この三つはどれも必要です。別々に、この三つのどれもをやるべきです。
まあ徐々にでいいですけど。一度には出来ないわけですし。

杜若

No title
>一知半解 様

貴方の述べられてることは一見正論のようです。
しかし、貴方のおっしゃることは時代考証が抜けている。
ねずきち様の述べられているのことに愛国心溢れた心情の表現が過ぎることは確かかも知れません。
しかし、今という時を考えて頂きたい。
貴方の主張されることは、このブログに対して冷水を浴びせることに変わりがない。

今は日本という国家の在り方が問われ、平和主義に毒され、日本という母なる国家のありがたみを知らない人達で溢れています。
ねずきち様のブログをご覧になる方々は目覚めた人達であり、また目覚めようとされている方々です。

そのような方々に、貴方は冷水を浴びせているのです。
貴方はそういう自覚を持ち合わせてはおられないのですか?

一知半解

一世さん、名無しさんへ
一世さん、名無しさんへ

レスありがとうございます。
一世さん、私は、HNのように”一知半解”者にすぎませんので、先生と呼びかけるのはどうかおやめください。

一つ誤解されているかも知れませんので、ご説明させていただきますが、私の考える「反省」とは、なにも日本軍の悪行を認めろとか、アジア諸国に謝罪して廻れということではありません。

戦後日本に蔓延した「反省行為」とは、ひたすら日本軍という”単語”を被告の位置に座らせ欠席裁判を行なうが如きヒドイものでした。

「一握りの軍国主義者」という”形容名詞”を槍玉に挙げることによって、その他全員が責任を回避するという無責任かつ無反省状態になってしまっていました。

それが今になって、その反動が起きているのです。
「日本は悪くない論」が、非常に受け入れ易くなっている現状について私は危惧しています。

日本軍は、善人でもなく悪人でもありませんでした。
見る立場が変われば善人でもあり悪人でもある、いわば「善悪人」なのです。

その「善悪人」を一方的に悪く描くことも、反動で良く描くことも何ら「反省」につながりません。

本当の反省とは、自らの思想・行動様式がどのようなものかを把握し直し、再び同じような過ちを犯さないようにするだけでいいはずなのです。

ねずきちさんの記事というのは、日本人として誇りを持てる史実を紹介されており、それはそれで素晴らしいご活躍をされていると思います。

しかしながら、日本人としての誇りを抱きつつも、なぜそのような素晴らしい日本が、過ちをおかしたのか?という追及を怠っては、たんなる自己欺瞞に過ぎない結果に陥ってしまうでしょう。

そうした危惧を抱くがゆえに、前回のようなコメントを投稿させていただいた次第です。

ちょっと長くなりますが、最後に戦後左翼論壇から「反動・右翼」と罵られた山本七平の記述を皆様にご紹介して終わりたいと思います。

引用元は著書「ある異常体験者の偏見」で、この書は、戦後の反省を主導したマスコミ人である毎日新聞論説委員新井宝雄氏との論争をまとめたものです。

(引用開始)

「一握りの軍国主義者がいた――ただし私はそうではない」といって、みなが「一握りの軍国主義者」という「言葉」に背を向けてしまえば、かえって何一つ実態は究明できない

逆にすべてを隠してしまうではないか
言葉には隠蔽性があると言ったのはこのことである。

「一握りの軍国主義者」などという抽象的存在がこの世にいたのではない。
そこにいたのは具体的存在としての個々の人間である。

一体新井氏はなぜわずか一握りの人間の人名すらあげないのか。

この世に「生れながらの悪玉」などは存在しないと同様「生れながらの軍国主義者」などというものは存在しない

ある人間が、ある思想・主義を抱き、その思想に基づいてある判断を下し、その判断の下に一つの発想をして、その発想の下に計画をたて、その計画を実行に移したのである。

そしてその人は、そうすることを最善と考えた――ではなぜ最善と考えたのか。
彼らの多くは誠心誠意それを実行した。

それは残念ながら否定できない事実ではないか。

そして誠心誠意やったということは何ら正当性を保証しないことを、われわれはいやというほど思い知らされたのではなかったか。

その人たちがどれほどまじめであったかなどということは無意味である以上に、その人たちを醜悪化し戯画化することも無意味である。

「一握りの軍国主義者」という言葉を使われた以上、新井氏はその個々の人名を知っているはずである。

そうでなければおかしい。

その一人々々が、その時点でなにがゆえにある思想・主義を絶対と考え、それに基づく行動を正しいとしたのか、それを徹底的に究明せずに、ただ「一握りの軍国主義者」で片づけ、「オレは彼らを声高に非難している。従ってオレは彼らとは関係ない純正潔白な人間だ」という態度をしてそれですべてを終りにすれば、かえって何もかも隠蔽してしまうではないか。

(後略~/引用終了)


長文失礼いたしました。

-

一読者として
『考察』を促して下さいましたコメントに対して、一読者として感じたことを述べさせて頂きます。
ねずきちさんは日本の歴史の、主に近代史を毎日のように丁寧に記事に起こし、発信して下さっています。
それも『日本人の琴線』に触れるように、敢えて書いていらっしゃるように思います。
何故なら、自分のように自虐史観で教育され、メディアに汚染され、結果的に『近代史は知りたくない』と思って来た人間にも、何とか読むことが出来、真実に目覚めるようご苦心して書かれていると思えるのです。
コメントされた方のようにキチンと歴史を勉強し、身についていらっしゃる方ばかりならば、今の日本の現状はなく、もしかしたら今頃日本は、主権国家を目指して着実に歩んでいたかもしれません。
ねずきちさんや他のブロガーの方々は、ご自分の才能を生かして仕事をされたり、また論壇で評論をしたり出来るほどの聡明な方々が多いと拝見しています。
しかし、その能力や時間を個人の為に使うことをなさらずに、身を削って日本の国体護持活動に専念していらっしゃいます。
日本の現実を直視した時、一人でも多くの日本人の目覚めが日本を建て直すことに不可欠と考えられ、行動に移されているのだと思います。
拙い文章で失礼致しました。

一世

一知半解様
一知半解様のように・・学識に優れ、己の感情を闇雲に振り回さず、理論的に物を述べられるような、立派な方が少なからず今の日本にはおられます。

理性を持ち、我々日本人の本来持っている自省の心に訴えかける・・ 正に “先生”の鏡です。

そこで・・ 考えてみたいのです・・。
私は頭が悪く、感情的に生きている、大よそ一知半解様とは真逆な人間ですが・・・。
自国の過去や、歴史・・、己の祖を省みる時・・ この方のような思想、発想の方が、今の日本ほど!溢れている国が何処にあるのだろうか?? と・・・

一知半解様のような方(先生)が、戦後の日本人の自省の心を強く促した事によって! 
自国の歴史認識においても、祖を敬う心においても、他国との隔たりを生んだものと私は思います。

私は、学歴にも肩書きにも、全く興味を持てない人間ですので、この方がどれ程偉い方かも存じませんが、願わくば、こういう立派な考えの方は、 既に太古の昔から自省の念を持ちえている日本人にのみではなく! 近隣の諸外国や、自国の歴史認識に余り反省を持ち得ない国に対しても強く提唱を頂きたいと存知ます。

日本国のみにおいて提起するのであれば、正直、違和感を禁じえません!

私は幼少の頃より、人と争い学識を無理に詰め込んだ経験が無いもので、 教養のある方には違和感があるかと存じますが、どうかお許しを頂きたいと存知ます。


一知半解

日本人の「純粋信仰」について
ねずきちさん、初めまして。
今回のエントリーを読んで違和感を感じたもので、思うところをコメントさせていただきます。
よろしくお願いします。

ご紹介されたエピソードを読んで、本当に当時の日本人の悲惨な境遇というものを改めて痛感いたしました。
こうした先達の犠牲の上に現在の安寧があるということを、我々はよくよく噛み締めるべきでしょう。

しかしながら、あえて苦言を申し上げるとすれば、今回のようなエントリーは、先人の心の内に思いをいたすことばかりに囚われてしまうような気がいたします。

確かに今回のエントリーのようなエピソードというのは、日本人の琴線に触れるでしょう。
ただ、それが余りに感傷的すぎて、本当に反省すべきものから眼を逸らさせる結果になりはしないか…というのが私の危惧するところです。

エピソードに出てくる人間のように、当時の日本人はみな心が真っ直ぐで、日本のことや家族のことを真摯に思って戦ったのでしょう。

しかし、そんなことを言えば、当時の日本の指導者も皆真面目でした。
2.26事件の青年将校も国を憂えていました。
そして、軍部が台頭した背景には、清廉潔白な軍人なら日本を良くしてくれるという国民の期待があったことは否定できません。

結果的に、そうした真面目な日本人が、日本を破滅のふちに追いやることになりました。

真面目だとか、純粋だとか、そういった価値基準で判断することは果たして正しかったのでしょうか?
先の大戦を省みるとき、そうした日本人の「純粋信仰」がどういう結果をもたらしたか考えてみる必要があるのではないでしょうか。

また、我々日本人は物事を判断する際、感傷に囚われ過ぎる傾向にあることも反省すべき点でしょう。

日本は負けるとわかっていてもなかなか停戦を決断できなかった背景には、「亡くなられた英霊に申し訳ない」という感情オンリーの言葉の前に、反論が許されなかったからです。
「英霊に申し訳ない」という言葉が、もっとたくさんの英霊を作る結果になってしまいました。

今回のねずきちさんの記事は、感傷に訴えかけるという点では素晴らしい記事だとは思いますが、感傷の前では、原因の追及も分析もないがしろにされ、ただ、敵の非道さに怒り、先人の境遇に涙するという形に陥りやすいような気がしてなりません。

純粋であれば、なんら結果は問わないという形になりかねません。
それでは、また何時の日か戦前の轍を踏むことになってしまうでしょう。

いい加減「純粋=善」といった思い込みから決別し、純粋信仰の持つ「マイナス面」に注目する必要があるのではないでしょうか。

今回の記事を拝読しまして、そうした事を感じたのでコメントさせていただきました。
ねずきちさんや読者の皆様におかれましては、こうした視点について一度ご考察いただけますと幸いです。
長文乱筆失礼いたしました。

猫めでる婆

ネットがある時代に生まれ合わせて、良かったです
linzさん
一昨年の国籍法一部改悪のころ、完全に洗脳が解けた50代半ばの者です。
きっといつか、あなたのようなご質問を受けるだろうなと覚悟していました。
いえ、むしろ心待ちにしていたのかもしれません。
なぜなら、弁明の機会を与えていただけるからです。
私がもの心ついてから何十年も、自虐史観に基づく情報に惑わされたのは本当のことです。
かつての少女は素直に、『戦争は絶対にやってはいけない、話し合いで解決しなくてはいけない』と信じ込みました。
そんな夢物語を信じていた(or現在も信じている)人々が多いのです。
運よく平和な時代に生まれただけなのに、「平和・平和」と唱えていれば一生平和に暮らせると思っているなんて、現実を知らない子供のようです。
それから、私どもの世代の一番精神的に不幸な出来事は、思春期にベトナム戦争報道に接した事だろうと思います。
戦争の悲惨さを、これでもかと映像で脳裏に焼きつけられました。
抗議の僧侶焼身自殺報道は、南ベトナムの政府高官夫人の『坊主のバーベキューが何だというの?』という高慢ちきなコメントと共に放送されました。
ベトナム戦争は、日本の戦争経験のない世代に、戦争疑似経験をさせたと言っても過言ではないと思います。

まずは、以上のことをご理解いただきたいと思います。
そして今私に何ができるかと考えますと、周囲の人々が自ら洗脳を解けるようにするお手伝いでしょうか。
たいしたことはできませんが、何か疑問を持ってもらえれば、かつての私のようにスルスルと目覚めてくださるのではないかと思っています。
しかしネットを利用しない人の洗脳を解くのは、極めて困難です。

ところで、今どの様な心持ちかと申しますと、長々とぬるま湯に浸かっていて風邪を引くかもしれない人に、手を差し伸べてあげたい気持ちです。
まだ私もぬるま湯から出たばかりで、体も濡れていますが。

hisaさん
些細なことで申し訳ありませんが、
>まるで50代以上の世代の方々が何の苦労もなく過ごしてきたかの言いようですね。

>戦後の復興期、それこそ食べ物も十分に無い時代に少年期を過ごされた世代です。
>自分の子供には同じ思いはさせたくないと少しでも豊かな暮らしを求め必死に働いてきた世代ですよ。

とありますが、戦後の復興期に馬車馬のように働いたのは、私どもの両親の世代(昭和一桁以前生まれ)の方々です。
私どもなどオムツを当てていたか、せいぜいランドセルを背負っていたくらいです。

えーと

No title
もうすぐ50代に届く者として、一言。
自分の場合は両親ともに大正生まれで(両親が40歳を過ぎてから生まれました)、そんな事も関係あるのかもしれませんが、団塊の世代と言う一言でくくれる状態には無いと思います。
父親も叔父も戦争に行きました。
戦争に行った父はその戦争に付いて多くを語らずこの世を去りました。
父は戦後帰国し母と結婚し私達を産み育ててくれました。
我が家は田舎に在住して居りますので、農繁期と農閑期があり、その農閑期には当時【出稼ぎ】と言う季節労働に父は出ておりました。
私が幼少の時覚えて居るのは、母の『給料を全部送って来てくれている』って言う何気ない言葉です。
父はどんな風に出稼ぎ先で何を思い、田舎に住む私達子どもたちと母に給料の全部を送ってくれていたのか…。
そして父はどうやって出稼ぎ先で暮らしていたのか…。
思い出すのは、久しぶりに帰って来た父が私たちに頬ずりしてくれた事。
その当時私たちは父の少々伸びたヒゲ跡が痛くて、苦痛に感じていた事など今となっては申し訳ない気持ちです。

全てとはもちろん言えませんが、私たちの両親の時代の人々と今現在の私たちとを考えると、この自国や家族を思う気持ちに差があるとも思えます。
私は戦前の教育を受けた両親の元で育った事は、他の人々には大きい声では良いませんけど、とても自慢です。

しーたろう(日心会では「しーた」)

東京都議補欠選挙に関する告知行動期限の件
ねずきちさま。いつもお世話になっております。
皆さま、お邪魔いたします。

小笠原諸島を選挙区とする東京都議補欠選挙に関して告知行動の拡散コメントがございましたが、この件につき、

呼びかけ人の水間政憲氏が
2010-01-09『水間条項』の中で、「15日の告示日まで一気呵成に告知活動に撤しましょう」とおっしゃっておられます。

私は【日本を】『日本解体法案』反対請願.com【守ろう】というブログを管理しているのですが、

●この「15日」の告知期限の意味について拙ブログ内で質問がありましたので、水間氏に直接質問しましたところ
「告知活動は15日0時までが安全でしょう。」とのご回答を頂いております。

●その他にも
「今般はあくまでも『外国人参政権法案』の危険性の告知ですから、告示前に直接候補者名の応援にならないように注意して下さい。」

とのアドバイスを頂いております。

【日本を】『日本解体法案』反対請願.com【守ろう】「呼びかけ人との連絡」
http://sitarou09.blog91.fc2.com/blog-entry-119.html

皆さまは既にお分かりでいらっしゃるかとは思いましたが、せっかくの皆さまの熱い思いが有効に届きますよう、老婆心でお知らせ申し上げました。
日心会のMLでも書かせて頂いたのですが、大切なことなのでこちらにもお邪魔しました。
失礼いたししました。

0428

linzさん、以蔵さん
(50才以上の男性です。)

お二人の年齢は存じ上げませんが、linzさん、以蔵さんは既に気が付いています。日本がこのままではいけないことを察知しています。何とかしなければ、と意気込んでいます。

私が国家感に目覚めたのは42才。当時、今までの大人(私も十分大人だったのですが)は一体何をやっていたんだ、と四六時中憤りを感じておりました。ただただ怒り憤り、意見の合う仲間に鬱憤をぶつけておりました。
が、憤慨するだけで実は何もしていなかったのです。

身内同士の議論は、自分自身の意識の高揚には役立ちますが、現実は何も変わりません。

linzさん、以蔵さん、もう時間がありません。あなた方が実際に活躍されたことを、ここにご披露頂ければ幸いです。

お二人の様な気概に燃えた若者を、ねずきちさんは大歓迎かもしれませんよ。

ではまた!

hisa

linzさん、以蔵さんへ
普段はROM専門ですのでめったに書き込まないのですが、
ちょっと意見させてください。

linzさん、以蔵さん
まるで50代以上の世代の方々が何の苦労もなく過ごしてきたかの言いようですね。

戦後の復興期、それこそ食べ物も十分に無い時代に少年期を過ごされた世代です。
自分の子供には同じ思いはさせたくないと少しでも豊かな暮らしを求め必死に働いてきた世代ですよ。

戦後60余年で現在の豊かな日本があるのはこの世代の方々のおかげです。

確かに「エコノミックアニマル」と称されたように経済活動にその重きを置いていたのは事実ですし、その結果古き良き伝統が廃れていったのも確かです。
ですが、そのおかげで現在の豊かな日本があるのです。

若い世代の苦労を年配の方々が分からないのと同じに、若い世代も年配の苦労は分からないのです。

当方30代です。バブルが弾けた直後に就職活動となり、就職氷河期の最初のころを経験した世代です。
それこそ、数年先輩達はいくつも内定を取りある意味選び放題だったのに、数年遅く生まれただけでこんなに苦労するとは・・・と思った時期もありました。
しかし、そんな先輩方も、同期が多い分苦労をして、本当に努力を怠らなかった人たちだけが報われています。離職率も高いようですね。

つまり、各世代にそれぞれ苦労があり、またそれぞれ功罪の両面もあるということです。
各世代がそのときに良いと信じたことを精一杯やってきた。その結果が現在の日本です。

罪の部分のみを取り上げて断罪するのではなく、功罪両面から検討する必要が有るのではないでしょうか?

厳しい意見になりますが、今自分が置かれている厳しい状況、その原因を社会や先人に押し付け、断罪するのは楽ですが、ただの甘えです。
また、そのような姿勢は結果的に世代間断絶に繋がる恐れもあります。
それこそ、戦後左翼たちが日本人を団結させないために行ってきた工作と同じ結果になるのではないでしょうか?


ねずきち様
肉攻突撃のお話し、恥ずかしながら全く知りませんでした。
いつも良いお話を有り難うございます。

めぇ

linz様
<めぇさん、償うことが悪いとは書いていません(そして償いとは何でしょう?それは誰に対してでしょうか?)。また、私の質問は行動する人としてのねずきちさんを責めているのではないのです。>

文面をみるにつけ、まるで責めている様に感じ、そうコメントいたしました。

ですが、私の感じとり方のせいで気分を害された事お詫び申し上げます。
申し訳ありません<m(_ _)m>

愛信

山岡賢次はどこの誰ですか
山岡賢次はどこの誰ですか

<朝鮮総聯関係者さんより>二階堂さん、
小生のメモによれば、山岡賢次は在日認定である。彼の通名は「金子賢二」
である。昭和18年4月25日生まれで、安田生命の保険外交員の時に山岡邸
に出入りしはじめ、世間慣れしていない山岡荘八夫人の歓心を買い、言葉巧
みに秘書に潜り込んだ。 
そしていつの間にか一人娘の長女・秀江にいいより、やがて結婚に成功する。
成りすまし在日のパターン通り、養子縁組。山岡荘八の本名、藤野姓を名乗
り「藤野賢二」となるが、ほどなく「藤野賢次」と改名。これにて「金子賢二」は
完全に消滅。

【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

くすお

No title
某所で見かけた恐ろしい実態。永住外国人への参政権の付与の危険性。そして、現在の制度も抜け穴だらけ!(一部を省略して紹介します)

>>永住外国人は1人何十票も投票できる!
現在の外国人登録制度がどうなっているかと申しますと、まず、日本人の場合には、旧住所から新住所に住民票を移すと、役場から役場へ通知連絡がいくわけです。

ところが永住者といえども外国人の場合は、「外国人登録」という言葉通りに登録制なのです。
結論から先に申しますと、いくつの自治体にも登録できます(利用できる住所があれば)。
外国人ですから住所を生まれた時まで辿る必要がないという建前はわかりますが、昨年、自民党や法務省が登録法を変えようとしたときに民団、総連が反対した理由がわかる気がします。
いくつでも現住所が持てるのです。対馬に在日韓国人が住所をみんなで移したらどうするだという意見がありますが、移す必要すらありません。
新たに加えるだけです。
横浜で暮らし、川崎で生活保護を受けて、両方で選挙権を行使する。 現在の制度では可能です。

以上、紹介。ますます、外国人への参政権付与のおぞましさが増します。
絶対に阻止です。

0428

語り継ぎます。
石頭予備士官候補生の肉攻突撃のお話、初めて知りました。

彼らの気高い魂を、勇気を、今日ねずきちさんから確かに引き継ぎました。

これを私は自分の子供と、周囲の若者に必ず伝えて行きます。必ず語り継ぎます。

-

失礼します。
初めてコメントさせて頂きます。

ねずきち様の記事に触れ・・多くの日本人が、心の奥底に有る、日本人の魂を取り戻したい!と考え始める事でしょぅ・・!
有難うございます。

linz様・・
仰っておられる事は正論だと思います。
しかし・・linz様の世代にも腐った教育のせい?で腐ってしまった輩も居れば、貴方様のように・・健全な理論の備わった方も居られます・・!
若者の中にも様々な人間がいる以上・・ 若者に対する不満を、linz様だけにぶつける事を私はしません。

ねずきち様に思いの丈をぶつける?のは、少し違う気がし
ます。

linz

補足文
ねずきちさん一人だけに御返答頂けるものと仮定していたため皆さんから色々とコメントをされるものとは思っていなかったので少々舌足らずになってしまい、私の説明責任が果たせなかったのは申し訳無い。
私が聞きたかったのはねずきちさんのこのブログを執筆するに当たっての心構えであって、私の考えには及ばない価値観が有るものと思いご質問致した次第で有りました。以下、私のコメントに関する説明の為の駄文です。

#現代日本の様々な異常性を見るにつけ、その根本原因は復興期に戦後の日本を作り上げてきた方々、つまり現在50歳以上の方々(戦後日本人と呼称します)(年代で区切るのは少々正確性に欠けるのですが、はっきりとこの年代以上の方が日本の伝統を壊してきたと言い切れるのです)に有ると考えました。彼等は痴呆的に経済活動に邁進し、日本の伝統と隔絶し、飽きる事なき欲望に浮かれ騒ぎ、今日の退廃した国家を作り上げました。伝統を軽侮し、盲目的に左翼を生み出して日本の柱を揺るがし続けて来たのです。国家が国家である為の防衛さえ放棄した彼等は国家観に関しての基本的認識が欠如しているのです。

洗脳、洗脳と言ってアメリカに咎をなすりつけようとする人がいますが、それに引っかかったのは戦後の日本人です、「一億玉砕」から「一億懺悔」(一体、何を償うことがあるのですか!)なんてコロッと考えを取り替えてしまう戦後の日本人達が引っ掛かったのです(ドイツもアメリカ、イギリス、ソ連、フランスに占領されましたが、国家として健全に歩いています)。

子供達は今、精神的阿鼻地獄に居ます。日本を卑しめる教育が横行し、子供達から自尊心を奪い、社会の退廃が子供達の夢を抱く活力を蝕んでいるからですいるのです。この状態を許容してきたのも彼ら戦後日本人なのです。#



めぇさん、償うことが悪いとは書いていません(そして償いとは何でしょう?それは誰に対してでしょうか?)。また、私の質問は行動する人としてのねずきちさんを責めているのではないのです。




june

No title
大島など小笠原諸島を選挙区とする東京都議補欠選挙。《1月15日告示・1月24日投開票》

今回の都議補欠選挙は、自民党と民主党の一騎打ちであり、参議院選挙の前哨戦として「外国人参政権
付与法案」を補欠選挙の争点にすることができれば、参議院選挙の帰趨を占う重要な戦いになります。

③ 国内外の愛国有志の方々が1000名以上が、町村役場や議員並びに民宿などへ、


告知行動をとってもらえるなら、マスコミも無視できず、参議院選挙の争点に浮上させることが出来ます。

水間条項より。小笠原選挙区へメール活動お願い致します。

http://ariesgirl.exblog.jp/12647052/

↑町村役場や議員並びに民宿の電話・FAX番号記載。

愛信

東京地検特捜部は13日夕、東京都港区の陸山会の家宅捜索を始めた
東京地検特捜部は13日夕、東京都港区の陸山会の家宅捜索を始めた

小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」が2004年に取得した
土地の購入原資4億円が政治資金収支報告書に記載されていない問題で、
東京地検特捜部は13日夕、東京都港区の陸山会の事務所やゼネコン大手
「鹿島」本社など関係先の家宅捜索を始めた。 特捜部が小沢氏周辺を強制
捜査するのは昨年3月の西松建設による違法献金事件の捜査以来10カ月
ぶり。特捜部は、小沢氏側の意向が反映されたとされる「胆沢(いさわ)ダム」(岩手県奥州市)の受注をめぐるゼネコン側の裏金工作疑惑と4億円の原資
の関連性を捜査しており、年明けからのゼネコン関係者からの一斉聴取に続
いて、家宅捜索で全容の解明を目指すとみられる。

詳細は検索条件【西松】で【投稿/検索】をカッチとね
【経済・政治の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj.cgi
【政治・経済タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

愛信

地方選挙権実現に全力
地方選挙権実現に全力

民団の集いで浜四津代行公明党の浜四津敏子代表代行は12日、都内で行わ
れた在日本大韓民国民団中央本部(民団)の賀詞交歓会に出席し、あいさつし
た。井上義久幹事長、斉藤鉄夫政務調査会長、松あきら女性委員長ら、多数
の衆参国会議員も出席した。

この中で浜四津代行は、「日本にとって韓国は、文化大恩の国であり、兄、姉の
国だ。公明党の議員はこの思いを共通にしている」と強調

日本国と日本国民に対する許されざる侮辱犯罪行為、日本人社会の破戒者
反日売国政党創価学会公明党が長い間、日本国民や学会信者を騙してきた
ことを宣言した。

【創価学会の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/snt/snt0.cgi
【創価学会の掲示板タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

シン

No title
こんにちは。「自分探しのブログ 禁パチ路禁スロ鬱病日記」のシンと申します。今日は相互リンクのお願いに参りました。私には境界性人格障害という精神病と4年近く付き合ってます。その時感じたのは人との繋がりでした。それを大事にしたいと感じております。開始間もない弱小ブログで大変恐縮ではございますが、相互リンクのお願いをさせて頂けませんでしょうか?ご検討頂ければ幸いです。

http://blog.livedoor.jp/dreamcatchshin-zibunsagashi/

応援ポチさせて頂き帰ります。

失礼致します。

シン

うさぎ屋

同意!
八目山人さんの仰るとおりだと思います。私、涙が出ましたよ。

ねずきちさんが紹介された「遙かなる回想」、私も拝読いたしましたが、こう書いてあります。
「在留邦人を見殺しにして軍は真っ先に撤退した、と言う話を聞くが、同胞脱出の盾となり彼等の知らぬ辺境で、ただ一途に与えられた任務を至上とし死力をつくして戦い、そして亡んでいったのである。何等報いられることもなく、一片の名利も求めず黙々と大義に殉じた英霊よ安かれ・・・」

当時の彼らは二十歳前後の若者達であり、帰還された方々も抑留で大変なご苦労をされたことでしょう。今や80歳代になられた。”50歳以上”と言われれば、このお方たちも含まれるのであるが、この方々に何の責があろう。
よく、50歳以上、60歳以上、そして団塊世代などとたまに言われるが、その明確な根拠を示していただきたい。48歳と52歳とどこがどう違うのでしょうか。

日心会のことは日心会MLでやれ、と仰るかもしれませんが、少なくとも日心会には世代間分断・断絶はない。(鹿児島支部会員)

プク

No title
洗脳から先に目覚めた日本人がまだ目覚めない人を眼覚めさす使命があると思います。それが日心会の活動です。先人を非難したり、貶めたりする事を長年やってきたのがまだ目覚めていない人だからです。

八目山人

真実
祖母の甥は関東軍の将校で満州にいました。その家族もです。
戦闘で生き残り、シベリアに連れていかれました。数年後に帰国しました。
家族は、奉天で1年間サバイバルの後、帰国しました。運が良かったです。

父は武漢に駐屯していて、8月10日に移動命令が出て無蓋車で運ばれ、15日に鴨緑江を越えたところで終戦だったそうです。
1ヶ月終戦が遅れていれば、私は生まれていなかったでしょう。

よく、関東軍は民間人を捨てて逃げた、などと言う人が保守派にもいますが、これは真っ赤な嘘です。

cica

linz様へ
責任を50歳以上の方に押し付けるのはやめませんか?実際50歳以上の方かどうかも分からない方に対して張本人と責め立てるのも失礼ですし・・・。

私は30代ですが、世の中を見ていると、政治、マスコミ、
世論、教育・・・多くの矛盾を感じます。そこに疑問を持って自ら学べば教えられなかったことも知ることが出来ます。それは50歳も30歳も20歳も違いがないです。

戦後すぐGHQに支配され、日本は自虐史観を植え付けられました。その当時生きていた人でさえすぐ日本が悪かった、帝国主義が悪いと洗脳されてしまいました。そして戦後65年経った今もそのままの価値観が根強く残っています。

でもどうでしょうか。昔の人達はネットもなく、テレビ・新聞等から一方的に情報を受けるしかなかった。洗脳されやすい状況でした。今はネットがあります。疑問を持ち、自分から望めば本もたくさん読めます。それでも不勉強な私たちが、昔の人達を責めることができるのでしょうか?正直私も日教組の強い地域の出身ですので、教師から教わったことに関しては憤りを感じます。不勉強、もしくは保身のために日本を貶める人達にも嫌気はさします。

でも過去を責めても何もなりません。
人類の歴史という大きなスパンから見れば、戦後15年も戦後65年もたいして変わらない・・・でも戦後100年には日本が正しい認識を持てる国になるようになるといいなと、最近思っています。国益が多少損なわれそうですが・・・(^^;)

以蔵

プクさんへ
突然すいませんが、linzさんの言っている事は何となくわかる気がします。

「日本の堕落」とありましたが、街、社会、教育、家庭、家族…を見渡した時に見つかる言葉は「日本の堕落」以外にないと思います。

今この様な状況にあるのは、今までを謳歌してきた方々に責任はあると思います。

学生闘争、高度経済成長、バブル経済、失われた十年、就職氷河期…。

その間、我々は一喜一憂する姿を見て、今を用意した大人を見ると、「何を今更…。」とも思いたくなるんです。

考えてみて下さい。我々若い世代がバブル後の「冷たい時代」をどう生きてきたか?どう生きようとしているか?を…。何故そうなったのかを…。

単に「組織」の対立や「思想の違い」に拘らず、一人の大人として…。

めぇ

汚名返上も名誉挽回もしちゃ駄目ですか?
linz様50歳以上の方々に責任が有るような書かれ方をされていますが
では、責任を責任と認めて改めるようと努めてはいけないのでしょうか?
償う事まで罪ですか?

私はのらりくらりと逃げる人より、こうして行動なさる方を偉いと思います。
貴方は責める相手を間違えてます。

書き方がきつかったらゴメンナサイ如何しても我慢できませんでした。

-

No title
一般的に特攻とは飛行機や船、回天などを考えると思いますが、肉攻などの自爆攻撃によって特攻された方が多くいたことをもっと知るべきです。
味方を守る為に戦い、いよいよ自分の出番だというところで一つの戦果を確信し逝ったのでしょう。
戦いに華も何もないでしょうが、地味に死んでいった英霊が何千、何万といたことを思うと涙が止まりません。
経済発展を遂げいくらでも沈没船の引き上げ、硫黄島の遺骨収集、その他激戦地の英霊の供養、整備などが出来たはずなのに、今後その機会はないだろう、半永久に

-

No title
<<緊急拡散>>

皆さん、次のことが分かりました。

亀井氏が キーパースンです!!!

民法改正案の提出で、基本政策閣僚委員会が持たれます。

亀井氏がこれに反対すれば、改正案の提出ができなくなる可能性有り

いかに悪法、違憲の法案でも、国会に出す前に、閣議決定しなくてはならないらしい

これが必須である以上、1人でも閣僚が反対すれば、閣議決定は不可能になる

「外国人地方参政権付与法案」「夫婦別姓法案」が阻止できます!!


両法案に反対している亀井静香氏(金融担当大臣)に初心の通りに意志を貫いて下さい!!
と、山のようなファックス、電話、メールを送りましょう!!

亀井静香の公式WEBご意見フォームです↓
ttps://secure.pise.co.jp/kamei-shizuka/txmail/index.cgi

まさか、右翼と呼ばないで!
ttp://politiceconomy.blog28.fc2.com/

プク

No title
私も50歳以上。連帯責任での批判のようだが、
まず、「日本の堕落」とは何か?
「張本人」の根拠」は?
を説明して頂きたい。

ひむか

日本人として泣きました
今日も良い話をありがとうございます。一人の日本人として、魂を揺さぶられました。泣きました。私たちは、意図的に歴史から消されようとしている、愛国者達である英霊の方々の実像を、子々孫々まで伝えなければならないと思います。

linz

本文とは無関係
本文とは少々関係ないことをお聞きしますが、ねずきちさんは御高齢の方ですよね(もし違いましたら、ご勘弁を)?
私が思うに、今日の日本の精神的堕落を招いたのは現在50歳以上の方々であり、その範疇に入る貴方はどの様な心持でこのブログの様な文章を綴っていらっしゃるのでしょうか?このブログの目的の一つに日本の現状を改善したい、というのがある様に御推察致しますが、その日本の堕落を招いた張本人である貴方方がどの様な心持で「日本の伝統の復活を」と仰るのか知りたいと思ったのです。

かぐやひめ

正しい情報と教育こそ
英霊たちに、命とひきかえに残してもらった日本なのに。

そして、今でも、正しい情報と教育があれば、日本人は日本人に戻れるのに。

もちろん、当時の人々のハングリー精神、体力、そしてたゆまぬ研鑽は今は、ないです。今の日本人には・・・
でも、なお、心の底に燃える民族の血を私は信じています。

学力低下が叫ばれますが、これが、半面よいのは「正しい歴史も学んでないが、子供たちは、自虐史観も、学んでないこと」
感性が拒絶しているのかもしれません。
今後、松下村塾みたいな、私塾が必要になるのかもしれません。

遅々とした歩みかもしれないけれど、昨年夏めざめたおびただしい人々が、あたかも旧日本兵のように、個々に、立ち上がり集い、工夫し、努力し前進していることが、感じられます。

そして、日本では、こういうできごとは全国で同時発生します。
民族の集団無意識なのでしょうか。

おきな

No title
いつも素晴らしい話ありがとうございます。この岸壁の母の息子さんは生きていたと聞いたことあります。

-

No title
重箱の隅をつつくようで申し訳ありませんが、文中の非難は、避難ではないですか?

-

No title
いつも、ありがとうございます。小学生の息子にこちらで知ったあれこれを、話しきかせています。
自分が泣かないようになってからですが・・・。
学校で教わることがないかもしれない、違うように教わるかもしれない、自身で何が真実かを感じ取り日本人の一人として生きて行ってほしいです。

愛信

【外国人参政権のとんでもない抜け穴】
【外国人参政権のとんでもない抜け穴】

【日本が好きなだけなんだよ】鳩山政権の日本、世界10大リスクに
ランクイン のコメントより転

外国人参政権のある重大な問題点は、もうどこかで誰かが言っている
だろうとか、そろそろ知れ渡るだろうと、昨年から高をくくっていた
のですが、いっこうにネットで見当たらず(ということはマスメディ
アではもちろん見当たらず)、タイムリミットが近づいてきてしまい、
危機感を強めたため書き込みします。


【人権擁護法案反対の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj5.cgi
【人権擁護法案反対タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

M2

思わず‥
泣きました!

この様な先人達のおかげで現在の我々が有るのですね、彼らに恥じぬよう精一杯 生きるだけです..
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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