いくつかの主張

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インパール作戦
インパール999


じつは、このブログでは、これまでのいわゆる「定説」のようなものにたいし、まっこうから異なる「説」をいくつか建てさせていただいています。

たとえば、赤穂浪士における吉良上野介と主浅野内匠頭の確執は、巷間言われているような「厭味な爺の若者いじめ」のようなものではない、と書かせていただきました。

これは、山鹿流という皇室尊崇を説いた学問を学んだ内匠頭と、幕府将軍家こそ大事とする吉良上野介との思想の対立に端を発する事件であると、書かせていただきました。

どういうことかというと、山鹿流というのは、皇室尊崇を説く学問です。

もともと学者だった山鹿素行は、47歳のとき、「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」という本を書きます。

この「中朝事実」を確信したとき、山鹿素行は、「五十年の夢、いっときに覚(さ)め申し候」と述べている。

何を確信したかというと、孔子の教えはありがたいが、考えてみると、そのありがたい教えを実現しているのは、なんのことはない、日本である、と確信した。

~~~~~~~~~~~~
天地の至誠、天地の天地たるゆゑにして、
生々無息、造物者の無尽蔵、悠久にして無彊の道也。
聖人これに法りて天下万世の皇極を立て、
人民をして是れによらしむるゆゑん也
~~~~~~~~~~~~

たびたび政権が後退し、虐殺非道が行われるChinaは「中華」などと、とてもじゃないが言えない。ご皇室を尊び、ご皇室の元に君民一体となった国家を築き上げている日本こそが、「中つ朝」、であり、「中華」そのものである、と説いたのです。
で、本の名前が「中朝事実」なのです。

我が国は、天皇が、皇祖、天照大神(あまてらすおおみかみ)の昔より、至誠の道を歩み、人民もまた、自らを戒め、徳に向って生きている。
これぞ、万民すべて安らかで、天下万国すべてが平穏で無事な状態であり、これぞ“天壌無窮”の神勅の意味である。

山鹿素行は、自らの発見への感動のあまり、これを本にし、江戸に指南所を開いて子弟教育をします。

ところがこれに「待った」がかかった。
かけたのは、幕府です。

日本の統治をしているのは幕府であり、天皇こそが日本の長であると説く山鹿流は、幕府にとって都合が悪かったのです。

で、山鹿素行は江戸、所払いになる。
要するに江戸を追い出された。

落ちた先が、播州赤穂藩です。

当時の赤穂藩主は、浅野内匠頭のオヤジさんです。
オヤジ殿は、山鹿素行を、「天下第一の高名な先生である」として、藩の家老待遇で迎えます。

そして、自らの倅(せがれ)である内匠頭や、若き日の大石内蔵助などを子弟として、山鹿素行直々に教育を受けさせた。

つまり、内匠頭や内蔵助は、子供のころから山鹿流を自らの血肉として育ったわけです。

その内匠頭が、ある日、幕府の勅使下向の接待役を命ぜられます。
相方は、幕閣の由緒ある家柄の吉良上野介です。

江戸時代というのは、いまでは考えられないほど、身分の上下がやかましかった時代です。
そうしたときに、天皇の勅使をどうみるか。。。。

勅使は天皇の名代です。
将軍は、征夷代将軍です。

その勅使を、将軍の上とみるか、下とみるか。

吉良上野介は幕閣です。当然、将軍家が上座です。
内匠頭は、山鹿流です。勅使が上座です。

こうなると勅使接待の際の、他の者の席次から料理を出す順序、お部屋の位置にいたるまで、ことごとく違ってくる。

両者は激しく対立します。

けれど、勅使接待役の総責任者は、吉良上野介です。
意見が対立したら、内匠頭の案は退けられます。

いまでもそうだけど、この手の対立というのは、抜き差しならないところまで高まりがちです。昨今の保守同士の理論の対立、たとえば、親米か反米か、女系天皇容認か非容認かなど、同じ保守同士でも、極端な対立が生まれる。

そしてこういう理論的対立は、互いに相手を「絶対に許せぬ!」なんてところまで発展させてしまう。

こらえにこらえていた内匠頭が、ついに怒りを爆発させたのが、殿中松の廊下です。

彼は吉良上野介の額に一太刀あびせてします。

そして停めにはいった梶川殿に、「御止め下さるな梶川殿。五万三千石、所領も捨て、家来も捨てての刃傷にござる。武士の情けをご存知あらば、いま一太刀、討たせて下され、梶川殿」と、まぁ、こういう名セリフが実際にあったかなかったかは別として、彼は刃傷事件を起こしてしまう。

内匠頭は、切腹となり、赤穂藩はおとりつぶし。
旧赤穂藩士たちは、浪人し、ある日、吉良上野介の家に押し入り、意趣を晴らした、というのが、赤穂浪士の物語です。

そしてこの討入の日、内蔵助は、「山鹿流陣太鼓」を叩きます。

後年、歌舞伎や文楽、講談といった江戸の町芸能で、赤穂浪士は盛んに上演されますが、吉良と内匠頭の確執(じいさんの若者イジメ)が、実は山鹿流という思想上の対立に根差したものという「説明」は、まるでされません。

そういうことは、幕府のお膝元の江戸での興行で、いちいち語ることができないからです。

だから、そのあたりの説明は、いっさいなく赤穂浪士は上演され、最後に内蔵助の討入の際に、吉良邸の隣りの上杉のお殿様に、「うぬ。山鹿流陣太鼓の音、内蔵助め、やりおったなっ!」という名セリフで、印象付ける。

このセリフが出たところで、観客は、「ああなるほど、冒頭の爺様の若者イジメは、実は山鹿流があったのか」と知るわけです。

こういうハナシは、芝居では説明されず、芝居小屋の帰り道に、お父さんが子供に言い聞かせる。

それで子供たちは、なるほどと納得する。
「江戸の文芸は、芝居の途中と帰り道に、二度楽しめる」と言われるゆえんです。

ちなみに、明治天皇が崩御された際に、当時まだ6歳だった昭和天皇のお守役だった乃木希典は、昭和天皇のもとを訪れ、涙を累々と流しながらこの山鹿流の講義をしています。

昭和天皇が、そんな乃木の姿を見て、「爺は、どこか遠くにでかけられるのか?」と可愛い声で質問なされた。

乃木は何も答えず、滂沱の涙を流し、その足で自宅に帰ると、妻とともに割腹し殉死しています。

乃木は幕末の長州藩士であり、吉田松陰の松下村熟生です。

その松下村塾は、そもそもが山鹿流兵学師範所です。
塾頭の吉田松陰は、11歳で毛利公の御前で「山鹿流」の講義をし、藩主から過分ともいえるお褒めをいただいた人でもあります。

そして幕末、山鹿流は「尊王攘夷」の言葉を生み、倒幕を実現し、明治国家を建設しています。

いいかえれば、明治という国家の中枢をなした思想が、山鹿流だった。

ですから戦前は、赤穂浪士といえば、多くの人は、吉良と内匠頭の確執は、思想上の対立であったと理解していた。

その子弟たちが起こしたのが明治維新であり、ですから明治国家における中心思想はまさに山鹿流にあった。


このブログでは、他にも、朝鮮進駐軍も、東南アジアにおける華僑も、実は欧米人の現地支配のための道具であった、と書かせていただきました。

言語の異なる現地国家を支配するに際しては、その国の言語に通じた最貧民層のマイノリティ(少数民族)に、ありとあらゆる政治的権限と利権を与え、彼らをいわば「道具」として使うのがセオリーです。

東南アジアにおける華僑というのは、もともとは明が滅んで清が興ったときに、清のいわば「平家の落人狩り」にあってカンボジアやタイ、ベトナムのジャングルの奥地に隠れ住んだ人々がモトになっています。

華人は、ジャングルの奥地で、明人の習俗を保ったまま、約200年間、極貧生活して過ごします。200年の時間は、当然彼らに、現地語も学ばせた。

貧しいジャングル生活です。
家族で互いに支え合わなければ生きていけない。
自分たちの居所を清にご注進する裏切り者が出れば、これはもう殺すしかない。
そうやって、彼らは200年間、ひっそりと隠れて生きてきた。

その華人たちに、欧米列強がここを植民地化したとき、ビルマ人や、ベトナム人といった現地の人々の統治の片棒を担がせます。

華人たちは、それまでの超貧乏生活から一変、政治権力と支配権を握り、大金持ちになる。
統治のためには、人が足りません。
だから遠い親せきを頼って、Chinaから人を呼び寄せる。

一方、Chinaは、清の末期です。治安も悪い。
だから華僑に親戚のある者は、その縁故を頼って、東南アジアに次々と国を捨てて合流していく。

華人たちの人口が増えて行く。そうして支配者である欧米人と華僑のビジネスパートナーの関係が不動のものになっていった。

そこへ日本が登場します。
日本は、人種平等を唱え、東亜各国の独立、植民地支配からの解放を説きます。

それは、華僑たちにとっての利権の喪失を意味します。
だから当時の華僑は、徹底した日本排斥運動を起こす。

その中で犠牲になった者のひとりが、実在したハリマオー、谷豊の妹です。
6歳になる妹は、抗日デモをする華僑の若者たちに、生きたまま首を引きちぎられて殺されます。豊の弟(妹の兄)は、自分の妹の首を、まるでサッカーボールのように蹴りあげて行進する華僑のデモ隊を、その眼で見ている。

戦後、朝鮮進駐軍なるものが、旧日本軍の装備一式を与えられ、彼らが「憧れの」特攻隊の衣服を身にまとい、旧日本軍の三八式歩兵銃を手にして、日本人に対して暴虐の限りをつくせたのも、同じ「現地語を話せるマイノリティによる支配」の構図です。

しかし朝鮮人たちは、やりすぎた。
調子に乗って、日本人に対して暴行や強姦をはたらくのみならず、米軍(GHQ)の兵隊やその家族、妻子にまで手を出し、暴行し、強姦をはたらいた。

そのため、せっかく駅前の一等地を確保し、仕入れ費用ゼロ円で物資を手に入れ、これを売って歩いて、巨額の財産をこしらえたけれど、最後、GHQが去る段になって、さしものGHQからも、「朝鮮人たちは、半島に全員帰そう」という声があがる。

マッカーサーもそう指示したし、吉田茂も、そうしてほしいと進言している。

ところがこれに反対したのが、当時の与党の日本の政治家たちです。
なにせ、莫大な金品が朝鮮人から献金された。

だから、「まー、そこまでカタクナにならなくても、朝鮮人の中にも立派な人はいる(誰だ?)のだし・・・」などとお茶をにごし、結果、朝鮮人たちは二一世紀のいまになっても、日本で、韓国人や北朝鮮人としての徴兵の義務すら負うことなく、のうのうと暮らしている。

要するにこの件でもっとも悪いのは、当時日本にいた与党の売国政治屋たちであるということは、特筆すべき事柄です。


ほかにもいろいろと、このブログでは、いわば現代の「定説」となっている事柄に対して、別な角度から、スポットライトをあててきました。

そしてその中のひとつが、インパール作戦に関する記述です。

インパールでの戦闘は、日本軍の大敗です。9万の将兵が出撃し、戦士3万名、戦病者4万名、五体満足で帰還できた者は、わずか2万にすぎません。

ある意味歴史的敗北戦といえます。

この戦いに関しては、どの本をみても、どのサイトを見ても、擁護する書き方をしているものはひとつもない。

「戦場でもっとも大切な兵站を無視した無謀な戦い」
「牟田口中将は、おバカ」
「はじめから意味のない戦い」
など、もう、あらんかぎりの罵声が浴びせられている。

しかし、不思議なことがあります。

昭和19年の出来事です。
すでに戦線は苦境に至っており、日本は防衛領域の縮小を図ろうとしていた時期だったにも関わらず、なぜ、あらためてインドへ向けて出撃しようとしたのか。

兵站がないのは、行く前からわかっていることです。
にもかかわらず、敢えて、出撃したのはなぜか。

無謀な作戦、意味のない作戦だったというけれど、それならなぜ、英国軍はインド方面におけるその総力ともいうべき15万の大軍を出撃させ、これを迎え撃とうとしたのか。

英国軍15万に対し、日本軍は9万の兵力。それにインド国民軍4.5万人がいた。
にもかかわらず、なぜ日本軍は、インド国民軍を6千名しか戦いに参加させず、4万のインド国民軍を温存したのか。

15万対9万という大軍の歩兵陸戦の大会戦です。
世界史に残る有名な歩兵大会戦といえば、ナポレオン最後の戦いといわれる“ワーテルローの戦い”(フランス軍12万、英欄プロイセン連合軍14万)。1870年のセダンの戦い(フランス軍12万とプロイセン20万の戦い、日露戦争の奉天戦(日本軍25万、ロシア軍31万)があげられます。

兵員規模とその激しさからいって、どう考えても、すくなくとも「勝った」英国軍からしてみれば、世界的名勝負の大規模会戦であるにも関わらず、英国内で、このインパール会戦について、「誇る」という姿は、ついぞお目にかかれない。

こうなると、巷間言われていることと、やはりなにか違いがあるのではないか。

それが、昨日の記事、「勝利の要諦は至誠と愛情と情熱・・・藤原岩市陸軍中佐」です。

実は、昨日の藤原機関の記事は、それ以前にいくつか書いた「武道」に関する記述とセットになっています。

武道に関する記事で、ボクは、武道における「勝ち」は、からなずしも「相手をねじ伏せ、叩きのめし、斬り伏せるもの」ではない、と書かせていただきました。

スポーツにおける「勝ち」は、試合に勝つことです。
そのためには、体を鍛え、技を磨く。

しかし、日本武道における勝ちは、試合に勝てばよいという考え方をとりません。
試合というのは、どんな場合でも、単に「模擬戦」にすぎない。
本当の勝利は「克つこと」というのが、武道における勝利の考え方です。

その場の勝ちだけでなく、最終的、究極的な勝ちをもって、勝ちとする、それが武道における「勝ち」の概念です。

たとえば、小柄な男性が、好きな女性とデートの最中に、大男に囲まれて、女性を差し出せと要求される。小男が拒否する。小男は、ハンゴロシになるまでボコボコに殴られる。
普通なら、寝転がって「うう・・」となってしまう。

しかし「心・技・体」、「心」を鍛えたこの小男は、「俺の女に手を出すんじゃねえ」と言いながら、殴られても殴られても何度も立ち上がる。気を失っているのにまだ立ち上がる。

いいかげん気持ち悪くなった大男たちは、それで気持ち悪くなって、帰っていく。
女性は暴行されずに助かる。

殴り合いの勝ち負けでいったら、このケンカは、大男の勝ちです。小男は負けた。

しかし、大好きな女性を護りきったという点、(目的を達成した)という点からみれば、小男は「勝利」したことになる。

どっちが勝ったといえるのかといえば、両方勝った。
それが武道です。

武家に生まれたら、たとえ武芸に秀でていなくても、たとえ小柄で非力でも、たとえそのとき病んでいても、すでにトシをとっていても、戦うべき時には戦わなければなりません。

相手が野盗の群れのような大軍だったら、戦えば死ぬかもしれない。

しかし、たとえ自分が死んだとしても、野盗が盗みをあきらめて帰ってくれれば、みんなの生活の平穏が保たれる。
そのために自分が死んだとしても、みんなを護るためなら、喜んで戦い、死ぬ。
それは武士における「勝ち」を意味します。

マンガ「明日のジョー」で、矢吹ジョーが、ホセ・メンドーサとの試合で、殴られても殴られても立ち上がるシーンがありました。

ホセは、いいかげん気味悪くなって、さらに矢吹ジョーをボコボコにします。

ジョーは、もはやガードの姿勢をとることすらできない。
それでも立ち上がる。何度も立ち上がる。

普通、常識でいったら、タオルがはいって、試合はジョーの負けです。

マンガの試合結果がどっちだったかは忘れてしまいましたが、なんとなく覚えているのは、この試合で、ホセは、ジョーに対するあまりの恐怖のために、髪が真っ白になり、現役を引退してしまう。

リングの上の勝負ではホセが勝った。
けれども、その結果ホセは引退し、ジョーは、次の対戦に臨む。
ホセも勝った。ジョーも勝った。
ふたりともよく戦った。

要するに武道は「心・技・体」なのです。

スポーツは、逆に「体・技・心」。

なにがあっても負けない強い心、自らの死を賭してでも目的を貫き通す強い心を養う。それが日本の武道であり、武士道の精神です。

スポーツが単に体を鍛え、試合に勝つことを目的としていることに対し、武道は、心を鍛えるために技を習得し、体を鍛える。
まったく発想が逆です。

そうした武道の「心」からインパール作戦を考えると、巷間言われている筋書きとはまったく別なストーリーが、その「作戦」から見えてきます。

インパール作戦は、インド・ビルマ方面における、日本軍のほぼ全軍と、英国のインド駐屯隊のほぼ全軍が会戦した大会戦です。

実際、英国はインパールに15万の兵力を展開し、対する日本軍は9万、この時点でビルマにいたインド国民軍4.5万を合わせると、兵力はほぼイーブンです。

しかし牟田口中将は、インド国民軍の本体をインパールに参戦させていません。
そして、約4.5万のインド国民軍の兵士のうち、どうしても一緒に戦いたいという6千だけを連れて、インパールへ向けて出陣しました。

インド国民軍を合わせれば、兵力はイーブンになるのに、わざわざインド国民軍をおいてけぼりにしている。

ふつう、これはあり得ません。
ただでさえ、火力が足らないのです。
これにさらに兵力不足が重なれば、これはもう、わざわざ負けに行くようなものです。

しかも補給がありません。物資がないのです。
「インパールは補給を無視した無謀な戦いである」などとよく言われますが、補給物資がすでにないことは、牟田口中将以下、軍の参謀たちも、参加した兵たちも、みんなわかっていたことです。
補給路の確保とかの問題ではありません。そもそも補給すべき物資がハナからないのです。

それでも日本軍は、ジャングルのなかを、遠路はるばる行軍します。
そして、インパールの戦場に向かった。

そして2か月を戦い抜いた。2か月というのは、ものすごく長い期間です。
かのワールテルローの戦いだって、たった1日の大会戦です。

補給がないということは、単に食料や弾薬がないというだけにとどまりません。
医薬品もないのです。

場所はジャングルの中です。
山蒜(ひる)もいるし、虫もいる。
マラリアもある、デング熱もある、アメーバー赤痢もある。

そして戦いの早々に、日本軍の指揮命令系統は、壊滅します。

それでも、ひとりひとりの兵たちは、ほんの数名の塊(かたまり)となって、英国軍と戦い続けます。

ここで問題です。
日本軍と撃ちあった英国軍の将兵は、銃弾の音が止んだあと、日本軍の遺体を見て何を感じたでしょう。

自分たちは栄養満点の食事をとり、武器弾薬も豊富にもっています。
そして自分たちのために戦っています。

対する日本軍は、他人(インド人)のために戦い、武器・弾薬もなく、食料もなく、病に侵され、怪我をして血まみれになって、その遺体をみれば、まるで幽鬼のようです。

ガリガリに痩せ細った、まるでガンの末期患者の群れのような姿で、弾のない銃剣を握りしめてそこに死んでいる。

殺しても殺しても向かってくる。

最初のうちは、勝った勝ったと浮かれたかもしれません。

しかし、それが何日も続きます。何回も続きます。

軍はとっくに崩壊しているはずなのに、ひとりひとりが戦士となって向かってくる。
降参を呼び掛けても、降参しない。弾も持たずに、銃剣ひとつで向かってくる。

そんな日々が60日間も続いたのです。
人間なら、誰もがそこに「何か」を感じる。

英国の兵士たちも、「何か」を感じたはずです。

ようやく日本軍は潰走をはじめます。

街道を撤退しはじめた。

マラリアに犯され、敵弾を受けて怪我をし、食い物もないガリガリに痩せ細った姿で、街道をよたよたと下がり始めます。

そこには、日本の将兵の何万もの遺体が転がり、後年その街道は白骨街道と呼ばれます。

ここにひとつ、注目すべき点が2つあります。

ひとつは、「完全潰走常態の日本軍の将兵を、英国軍は追っていない」ことです。

敵をせん滅することがヨーロッパ風の戦いです。
しかし、武器も持たずによたよたと撤収をしはじめた日本兵に対し、英国軍は追撃をしていません。

「できなかった」のです。

病人や半死状態になりながらも苦しい戦いを、戦いきった男たちを前に、騎士道を誇りとする英国軍の将兵は、それを「追いかけ」、「せん滅する」などという非道な精神は、とてもじゃないがもてなかった。
ただ、遠目にそれを見届けることしかできなかった。

ある意味、恐ろしかったのかもしれません。
ホセとジョーの戦いと同じといったら、叱られるかもしれません。
でも、ねずきちには、それと同じ「心」がはたらいたと感じられてならない。

インパール作戦について、現在にいたるまで、英国軍が日本軍を打ち破った誇りある戦いとしてこれを称賛しているという話は、まるで聞きません。
15万対9万の陸戦という、ヨーロッパ戦線おいてすらあまりなかったような世界的大会戦でありながら、英陸軍は、まったくこれを誇ろうとしない。

おそらく、この戦いに参加した、英国の将兵にしてみれば、とてもじゃないが、自分たちが「勝った」などと、胸を張る気にはとうていなれなかったのではないか。

なるほど、戦いのあとの一時期、一度だけ、インドの英国軍がデリーで戦勝記念式典を開催しようとしたことはあります。

しかし、実戦に参加せず、安全な場所にいて指示だけ出していた連中が、得々として戦勝記念祭を開催しようとしても、現地の親英的なインド人たちでさえ眉をひそめたし、実際に戦った英国軍の将兵も、それをこころよしとはしなかった。

英国軍は、なるほど戦いに「勝ち」ました。

しかし、戦いに参加したすべての英国軍将兵たちにとって、その戦いは、ひとつも気持ちの良いものではなかった。
むしろ、どうみても「大勝利」したはずの戦いで、彼らは自分たちの「敗北感」をひしひしと感じていたのではないでしょうか。

すくなくとも、騎士道精神を誇りとする英国の将兵には、それが痛いほど感じられたのではないかと思うのです。

牟田口中将以下の日本の将兵たちも、自分たちの戦いの相手が、騎士道精神を持つ英国兵士なら、かならず伝わる、そう思えたから、彼らは死を賭した戦いをしたのではないでしょうか。

だから「負ける」とわかっている戦いに、敢えて臨んだのだし、最初から死ぬつもりで出撃した。

当時生き残った日本兵が書いたどの本を見ても、戦いの最初から最後まで、日本兵の士気は高かったと書いています。

たとえば、社員数10万人の大手の企業で、負けるとわかっている戦いをした。
実際会社はそれで給料も払えずに倒産したら、そりゃあ社長はボロカスに言われます。
しかしひとりひとりの社員が、あるいは社員全員とはいいません。
中間管理職のみんなが、「自分たちのしていることは、社会的に意味のあることだ」という信念を持っていたら、おそらくその会社は倒産しても社員たちは、それでも製品を作り続けるだろうし、士気も高い。

インパール作戦は、そもそも「インド独立運動を支援する」ために組まれた作戦です。

その頃の日本軍は、すでに退勢にたたされていたのであって、戦線は縮小の方向に向かっていた。

にもかかわらず、インドという大陸に、第十五軍は進軍した。
インドの独立のために。
自らを捨て石とするために。


2つめにあげられるのは、餓鬼や幽鬼のような姿で街道を引き揚げる日本の将兵たちが、誰一人、街道筋にある村や家畜、畑を襲わなかったことです。

お腹も空いていたろうけれど、それでも誰一人、村を襲ったりしなかった。
彼らは、飢え死にしても、武士だった。

インパール作戦について、いろいろな人が、いろいろなことを書いています。

それに対して、インパール作戦に参加し、生き残った人々からは、なんの反論もされていません。

しかし、ひとつだけいえることは、インパール作戦を生き残った人たちは、インパール作戦を、「インパールの戦い」とは、いっさい認めなかったということです。

他の戦いは、たとえば硫黄島の戦いにしても、拉孟(らもう)の戦いにしても、「戦い」です。真珠湾は「攻撃」です。

しかし、インパールはいまだに「インパール作戦」です。

「戦い」は、目的の如何に関わらず、敵が攻めてきたら防戦しなければならない。
だから「戦い」と呼びます。

しかし、インパールは「作戦」です。
「作戦」というのは、目的をもって、能動的に行うものです。
だから「作戦」なのです。

その目的とは、ひとことで言ったら、「インドの独立に火をつけること」です。

インパール作戦には、当初大本営はガンとして反対していた。
それにたいし、「どうしても実行を!」と迫ったのは、当時日本に滞在していたチャンドラ・ボーズでした。

チャンドラ・ボーズは、インド独立の志士です。

そして大本営は、チャンドラ・ボーズの意思を受け入れ、「作戦」の実施を牟田口中将に命じます。

牟田口中将以下のビルマ駐屯隊の将官たちは、それが「どういう意味を持っているか」。
その「作戦を実施」することが、自分たちの運命をどのようなものにするか。

彼らは戦いのプロです。
瞬時にしてその「意味」も「結果」も悟ったであろうと思います。

そして、すべてをわかった上で、作戦命令を実行した。

だから彼らは、インド国民軍の主力をまるごと温存したのではないでしょうか。

自分たちは、ここで死ぬ。
あとは君達で頑張れ。
そこに、おおきなメッセージが込めれられているように思えてならないのです。

普通なら、世界中どこでもそうであるように、この種の戦いでは、むしろインド国民軍を先頭にします。それが世界の戦いのセオリーです。

なにせ、インドの独立のための戦いなのです。
インド国民軍を先頭に立てて、なにが悪い。

しかし、牟田口中将以下の日本の将兵は、それをしませんでした。
むしろ自分たちが先頭に立ち、インド兵を助けた。

軍だけではありません。
個別に数名のインド兵を率いた日本の下級将校たちも、みんなそうした。
それが史実です。

「この戦いで、日本は負けるかもしれない。
しかし、ここで戦った日本兵の心は、インドの人々の心に残り、かならずやインドの人々の決起を促すであろう。」

インパール作戦は、まさに「肉を切らして骨を断つ」という武道の奥義に匹敵する作戦だった。
そして「作戦」は成功し、間もなくインドは独立を果たします。
だからインパールは「作戦」なのではないでしょうか。


さらに付け加えるならば、英国軍です。

英国にも日本の武士道に匹敵する騎士道精神が息づいています。

命を賭けた日本の将兵の戦いぶりに接したとき、たとえそれが国益であったとしても、英国の将兵たちは、果たして自分たちがインドを治めていることに、なんの意味があるのか、そんな気にさせられたのではないでしょうか。

作戦の全体を見る者、実際に日本兵と干戈を交えた英国の騎士たちは、インパールで日本の武士たちが示した、その「心」に気付いた。

実際、インパール作戦のあと、英国のインド駐屯隊が示したインド人の独立運動(英国軍に対する反乱軍)への対応は、当時の世界の常識からみて、あまりにも手ぬるいのです。
まるでやる気が感じられない。

ガンジーたちの非暴力の行軍に対して、銃を構えたまま、ほとんど発砲すらせずに、これを通しています。
それ以前の英国軍なら、デモの集団のド真ん中に砲弾を撃ち込んでいる。

そして大東亜戦争のあとに行われた東京裁判では、なんと英国は、まだ独立も果たしていないインドから、わざわざ代表判事を送り込んでいます。
そうです。パル判事です。

そしてそのパル判事が日本を擁護する判決付帯書を書くことについて、当時の英国はまったくこれを容認しています。

なぜでしょうか?
どうして英国はパル判決を黙認したのでしょうか。

ねずきちは思うのです。

世界がどんなに歪んでも、わかる人にはわかる。

パル判決書は、インパールのメッセージを受け取った英国騎士と、戦い、散って行った日本の武士たちがこの世に送りこんだ、正義の書だったのではないか。
ねずきちには、そんな風に思えてならないのです。

おそらく、パル判事や、牟田口氏、インパール作戦の英国側指揮官ウィリアム・スリム中将に、「そうなのではないですか?」と問うたとしても、彼らは、笑って何も語らないと思います。

なぜなら彼らは、まさに武士であり、騎士であるからです。
そして武士であり、騎士であるからこそ、敵味方の将兵に多くの死者を出したことへの悔いを持ち、それがあるから、いっさいの言いわけをしない。

しかしだからと言って、彼らの行った事実を、うわっつらだけみて、安全な場所にいるわれわれ後世の人間が、批判するのは間違いだとボクは思います。
それこそ卑怯者のすることです。

インパール作戦は、まさに世界史に残る「男たちの戦い」であった。

すくなくとも騎士道を持つ英国陸軍には、それがわかった。
わかったから彼らは、世界史に残る大会戦であるインパールの戦いについて、それを無用に誇ったり、記念日を作って祝ったりしない。
ねずきちはそう思っています。

インパール作戦に対する評価として、上記のような評価は、もしかしたら本邦初かもしれません。
異論も多いと思います。

しかし、ひとつだけ言わせてください。

スポーツにおける「勝ち」と、戦いにおける「勝ち」は、まるで異なるものであるということをです。

【参考記事】
◆勇敢で高潔で、誰からも好かれた日本軍人
 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-712.html

◆チャンドラ・ボーズ
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-668.html

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コメント

秀麿

No title
自分は、ねずきちさんのブログは参考にしているし、参考になると思います。
少なくとも、記事の中で矛盾が無いと思うからだ。
というか、当時のアジアの各国(中国・韓国以外)は、日本に感謝しているっていう記事はねずきちさんの記事以外にもたくさん見られる。

っていうか、一番の問題は日本のあらゆる勢力が、本当の歴史の教育を邪魔してるってことだと思う。
同じ日本人でさえ、こうやって言い争いになるくらいだから。
だから、本当に責められるべきは、本当の歴史を隠し、教育し続けているあらゆる勢力だと思う。
自分は、日本という国に生まれたことは誇りだと思うし、日本が好きだ。
だからこそ、もしもねずきちさんの記事の内容が間違っていても、それは受け入れられるとおもう。

それから、一言言いたい。
コメントのやり取りですが、「バカ」だの「アホ」だの言うのは、ちょっと良くないとおもう。

 

No title
おい 元組合活動家

こっちは武道やってるし口先だけの批判では全くないんだが。自分の気に入らない意見を「口先だけ」と決め付けていては頭が凝り固まってよくないのでは?すでに凝り固まって手遅れかもしれないが。わざわざ引用までしたのに口先だけといわれても困るよ。君はここにどんな文を書けば口先だけでないと言ってくれるのかい?
>口先だけの批判は本当にやってから言いなさい。
あんたこそ平和な今の日本でのうのうと暮らしながら口先だけで牟田口みたいな国賊を肯定するなよ。毎日上司に嫌がらせされて心身ともにボロボロになっても労災も下りず、挙句仕事の効率が悪くなれば無能呼ばわりされるようなブラック企業でも体験したらあんたの気持ちもかわるんじゃないのかな。ま、そんなブラック企業でもインパールで牟田口に殺されたご先祖の一万倍は楽だがな。普通はいくら他人事とはいえこんなひどい扱いを受けた先祖の話を聞けば少しは牟田口に怒りもわくのかと思ったが、ここまで人の気持ちがわからない人がいるとはね。
死刑反対派の人が家族を殺されてあっさり死刑賛成派になった話を思い出すよ。他人の気持ちをわからない、想像力に欠けた輩は日本の害でしかない

元組合活動家

No title
誰かさん、お前さんも武道を本当にやっているのかい?口先だけの批判は本当にやってから言いなさい。

 

No title
>どっちが勝ったといえるのかといえば、両方勝った。
それが武道です。

武道やったことないでしょこれ書いた人。
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。司令官か
ら私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、
一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、
真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止
めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。」
(『軍事研究』2000年5月号、p156より一部抜粋)
これが日本の誇るべき将兵?笑わせんなクズ野郎。まずはねずきちとかいうクズが栄養失調になってマラリアにかかって東南アジアのジャングル歩き回って生きて帰ってから美化しろ。 生きて帰ってきても誰もほめない、牟田口も苦しんで戦った部下を無能呼ばわり。責任をとって介錯も断って10時間も苦しんで自刃した軍人さんがいるのに牟田口ときたら自刃どころか部下を無能呼ばわりして責任を逃れた最低の人間だろうが。
>それに対して、インパール作戦に参加し、生き残った人々からは、なんの反論もされていません。

また嘘か。一番牟田口を批判したい人は現地で死んでるしね。

すずき

No title
忠臣蔵がなぜ忠義の話だったのか今まですごく疑問だったのが解けてすっきりしました。なるほど皇室尊崇と将軍家派の争いだったわけですね。なんだか今度から大石倉之助を躊躇なく応援できそうです。インドのインパール作戦、「肉を断ち、骨を切る」作戦はすごいとしか言いようがないです。
命大事さに大切なものを手放してる現代人と命を捨てても大事なものを守ろうとする当時の軍人さんと果たしてどっちが幸せなのか、後者のほうが誇りを持って生きていて輝いて見えるのはなぜなんでしょうね。

おっさん

疑問が解けました
平成22に年3月16日の「歴史に対する姿勢」なるブログに「インパール作戦に対する評価」としてコメントした者です。今回のブログを見る限り、私の見方と全く同じことが示されている感じがします。私は、根拠もなくただ何となくここで、ねずきち さんが述べられていることを子供の時(昭和27年ころ)から感じていました。私の子供の時から思っていたことにある程度理論的な根拠を与えていただいたような気がします。
また、このブログを見て、昔から大変疑問に思っていたことの回答が得られたような気がします。その疑問と言うのは、東京裁判で何故英国の植民地の国民であるパール判事が裁判官として認められたのかということ、そして、パール判事が何故全員無罪の判決書を出しても、何の咎めもなかったのかということです。
私は子供の時からインパール作戦を苔降ろす人が憎たらしくてなりませんでした。英国ロンドン大学教授をされていたエリック・ホプスバウ博士の言葉で、「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動に依るものでは無く、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされたものである。」というのを発見した時は、してやったりという感じを持ちました。このお言葉もねずきち さんのこのブログですんなり理解できます。大東亜戦争当時の日本人は偉大ですね。命をかけてアジアの独立に尽くすなど、今の日本人には全くない点です。何としても、日本国民が大東亜戦争以前の日本人の心意気を取り戻さなければなりませんね。

-

No title
反論するのもバカバカしいですが、

> 2つめにあげられるのは、餓鬼や幽鬼のような姿で街道を引き揚げる日本の将兵たちが、誰一人、街道筋にある村や家畜、畑を襲わなかったことです。

『一兵士の戦争体験』
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/odak/index.htm

上記のサイトはインパール作戦に輜重兵として参加し九死に一生を得た人が書いた話です。
これを読めばあなたの言ってる事が完全な妄想であると分かるでしょう。
それとも著者もサヨク扱いしますか?

F

突然横から申し訳ない
考えが違うからって全く忌み嫌って意見聞かないとなると
アホの極左と同レベルでないか
徹底的に論破してやればよろしいかと

田中雅栄

No title
拝啓 ねずきち殿
 目から鱗の気分です。全てに目を通す途中ではありますが、述べさせてください。S46年高校卒業ですが、日本史・世界史が全く理解できなくてほとんど赤点でした。よく卒業できたもんだと感心してばかりではいかんと、とにかく本を読んだ。文芸春秋を30時間で読破する二十歳も珍しかろうが、学校に行くのも惜しんで本を読んだ。「蛍の墓」に涙し、いまだあの映画が嫌いです。「大和」では涙だけでなく、嗚咽が止まらなくて困ったもんです。
 歴史教科書に書いてあった時代を代表する本の名前が「デカメロン・金瓶梅・千夜一夜物語・好色一代男・・」全てエロ本であった。高校の図書館で金瓶梅を見つけ開いて見たが、難しかったがエロ本であった。なぜ中学高校の教科書にと、当時から思っていたが、すでにサヨクの思う壺だったわけで、遅すぎた。そういえばあの頃、赤軍はいなかったが、全共闘に民青にべ平連いろいろいたぞ。2年の担任が岩国のデモに来ていた時は笑った。彼らの必読書に「毛語録」があった。いまだに読んだことはない。
 とにかくこのプログを見させてもらって、数十年の疑問が全て解決しました。ありがとうございます。                                                   masa
PS 麻生さんばかりでなく、安倍さんも中川氏もあるわけで、供にNHKに抗議されたことになっている方が不意打ちに合うことは必然でありました。とにかくすでに遅いのです。何か方策はないものでしょうか。

ねずきち

キラーT細胞さん、一知半解さんへ
あなた方と私の考えは違うようです。
このブログは、歴史から謙虚に学ぶことを目的としています。
歴史への批判や揶揄を目的とするものではありません。
そういうことをしたいのなら、他のブログでするか、ご自分でブログをお始めになることです。
以後、投稿を禁止します。

皇国礼賛

No title
一知半解さん

右に寄らず左に寄らず、是は是、非は非とするというあなたの姿勢は、それ自体は評価できる。当然のことです。
しかし戦後の反日偏向教育によって、歴史が歪められ、日本が貶められ、ただただ日本軍=悪という論ばかりがまかり通る世の中では、それに対しNO!といえる資料や分析も必要だと、私は思っています。
左と右が、車の両輪だというなら、左のタイヤばかりが先行するのでは、車はまともに前に向かって走らない。
結果、起こるのは、過去の遺産の食いつぶしです。
われわれは、右翼は嫌いです。しかし左翼・反日はもっときらいだ。ただしいことを正しいといえる普通の世の中でいたいと考えている。
一知半解さんは、間違いやマイナス点だけを指摘せよというのか?
それとも両輪を踏まえろといいたいのか?
もし後者であるなら、われわれはこのブログを支持する。
なぜならこのブログは、史実からわれわれに「学ぶ」何かを提供してくれているからだ。

一知半解

反省という語はあっても、反省力なき戦後日本
>皇国礼賛さん

>自省ばかりで、愛国心を育んでないのが、いまの日本では?

そもそも、今までの日本に、きちんとした自省があったと思いません。

戦後、左翼が主導してきた反省は、ポーズだけの猿の反省に過ぎませんでした。
罪を犯しましたと進んで懺悔をし、それに同調しないものを反動右翼と”糾弾”することが、彼らの「反省」でした。
一例を挙げれば沖縄戦の教科書記述を巡り、集会の力で事実を捻じ曲げるような「日本軍を悪者にすること」が彼らの「反省」でした。

これが果たして、「自省」と言えますでしょうか?
これこそ、小松真一が挙げた日本の敗因21ヶ条の一つ「反省力なき事。」の見本だと私は思うのですが。

ですから、戦後、反省のないままに今まで過ごしてきた、と私は考えております。

>自省ばかりか捏造までしておとしめられ、辱められている現代日本にバランスを回復させることが肝要ではないか?

勿論、自虐史観から脱却することは必要です。

しかしながら、それを単なる自己正当化・自己欺瞞というやり方で回復させることは間違いです。
それよりも、事実をありのままに認識すればいいのです。
(事実をありのままに見せても、日本の歴史は十分誇りえるものだと私は思います。もっと自国の歴史に自信を持ちましょう。)

何事にも、コインの両面があるように、日本軍にも美点もあれば、欠点もありました。
それをあたかも、欠点はまるでないが如く描くことは、自らを欺き、正当化しているだけの、単なる「自慰」行為です。

確かにそれは読んでいて気持ちいいでしょうし、そこに私のような水を差すようなコメントが入れば怒る人が居るのも無理はないと思います。

気持ちいいだけなら看過してもいいのですが、自己正当化や自己欺瞞は自らを盲目にしたり、ひとりよがりにする「害悪」があるのです。

戦前の日本がそうでした。
例えば、そうした「ひとりよがり」が原因で、(進駐して解放してやったはずの)フィリピンをその当時、反日に追いやってしまいました。

だから、嫌われるのを承知の上で、こうしてコメントさせて頂いているわけなんですが…。

>残念だが、あなたの言説には、しかめつらしい理屈はあっても、その一番大切な感謝がない。

そう判断されるのは貴方のご自由です。
私自身、感謝すればこそ、彼ら英霊を生む原因となった日本人の「思考・行動様式」について考え続けているわけですけどね。

感謝するのは人として当たり前。

感謝すれども、そう仰る当人の現実の思考や行動が、旧日本軍さながら「精神構造」のままでは何の意味もないのでは?

彼らの尊い犠牲を生かすも殺すも、我々が先の大戦から教訓を読み取ることが出来るか否かだと思ってます。

それが屁理屈か否か。
判断は、第三者にお任せします。

椿

黙ってたら調子に乗って!!

近代日本は出発当初においてもアジアの解放を国家目標に掲げてゐなかつた事の証拠を挙げたまでですが<

どこまでトボケる気?このキラーT細胞の朝鮮ボウフラは?人が黙っていたら、どこまでも調子に乗って!!以下の文章を読んでみ!!

戦後、GHQの下で働き労働基本法の策定に携わった、米国の日本専門家ヘレン・ミアーズ女史は、『アメリカの鏡・日本』という著書で、

歴史的に見て、アジアの民衆を「奴隷にしていた」のは、日本ではなく、私達が同盟を結ぶヨーロッパの民主主義諸国である』と明確に断じています。

また『日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく独立を保障した具体的な行動を進めている』と書かれています

日本は、1935年にすでに満州での治外法権を放棄していたし
日本は、1940年には中国に正式に約束
日本は、1943年には、中国政府に租借地を返還している。
大戦中日本は、実際に、占領したすべての地域に現地『独立政府』を承認していた

というように、彼女は米国の戦争目的に疑問を呈し、「私達が『解放戦争』と呼んでいたものは、実はヨーロッパによるアジアの再征服(恥ずかしい事にアメリカが手を貸した)だったのである。」と述べています


分かったか?朝鮮ボウフラのキラーT細胞!!


キラーT細胞

No title
>反日左翼の捏造史観に眼がくらみ、自分で史実を調べようともしないカルトもどき人間に言われたくないですな。
 反日サヨクが大東亜戦争は自衛戦争だつたと言ひますかね?
>五箇条の御誓文は、時代が違いますな。それは明治維新です(笑)
大東亜戦争に関する議論ではなかったですかな?
 近代日本は出発当初においてもアジアの解放を国家目標に掲げてゐなかつた事の証拠を挙げたまでですが。私は近代日本はアジア解放を一貫して国家の目標とした事は無いと言つてゐるでせう?
>「今こそアジア諸国を西洋列強の植民地主義から解放すべし」については、行間を読め、と申し上げておきましょう。
 開戦の詔勅の行間から読み取れるのは、何としてでも避けたかつた日米開戦が現実のものとなつて仕舞つた事に対する先帝陛下の御無念と御心痛ですよ。
 先帝陛下がアジア植民地解放の固い御決意を持つていらしたなら、直截な表現を用ゐられたでせう。
>衝突すべきときには正々堂々と衝突する。
>それが武士道というものです。
>そんなこともわからないほど、あなたの頭は幼稚なの  か?
 私は、一方で八紘一宇を掲げながら他方ではアジア解放を掲げるなどと云ふをかしな事を日本がやつた事実は無いと云ひたかつたのですよ。
>日本の安全保障=東亜の安定なのです。
 東亜の安定=東亜の解放ではありませんよ。植民地の状態でも安定は可能でせうが。
 東京裁判における弁護団とパール判決の件についてはスルーですか?
>いまだに戦後の反日洗脳から眼が覚めず、いまだに空虚な日本侵略論を振りかざす。
 全く読解力の無い方ですな。私は、大東亜戦争は飽くまでも自衛戦争であると主張しただけなのに、どうしてそれが反日になるのですか。それに、あの戦争が侵略戦争だつたとして何が問題ですか。
 私は、大東亜戦争は侵略戦争ではなく、アジアを解放する為の聖戦だつたと主張する人こそ、自らが忌み嫌ふ自虐史観を払拭し切れてゐないと見てゐます。何故なら、その背後には侵略戦争=悪と云ふ価値観が潜んでゐるからです。これこそ東京裁判の呪縛ではないのですか?   パール判決について知つてゐるのなら、何故次の様に言はないのでせうか。「日本が侵略戦争をしたからとて何が悪いか。当時はそれが当り前だつたのだ。日本によつてアジア諸国は多大な迷惑を被つたと言ふが、迷惑を被つたのは彼らが弱かつたからだ」。
>「しませう」なんて、ちょいと古めかしそうな表現で
 私は父祖伝来の正統表記を実践してゐるだけですがね。貴方は頻りに人に対して勉強しろと仰る方ですから、定めし勉強好きなのでせう。ならば、福田恆存著『私の国語教室』(文春文庫)を読んで勉強して下さい。さうすれば、今の国語表記がどれだけ出鱈目なものか、よく御分りになるでせうから。
 
 

皇国礼賛

一知半解さんへ

〉自省抜きの愛国心を育てて、いい結果になるとはとても思えない

自省ばかりで、愛国心を育んでないのが、いまの日本では?

あなたがバランスが大事とおっしゃるなら、自省ばかりか捏造までしておとしめられ、辱められている現代日本にバランスを回復させることが肝要ではないか?

ねずきちさんをはじめ、ここに集っている人々は、だれもが命は大切だと思っている。
その上で、命を賭けて戦って下さった英霊に感謝しようとしている。

残念だが、あなたの言説には、しかめつらしい理屈はあっても、その一番大切な感謝がない。

そして、感謝のないバランス論は、空虚な屁理屈でしかないのだよ。

-

No title
そうですね、平和ボケしたヌルイ現代人にできる事は、本当の史実を学び受け入れ、揺るがない愛国心を、ドを過ぎず養い続ける事ですね。
ねずきちさん、これからも宜しくお願いいします。

八潮

No title
金剛へ

ひとこと。
「反日もドがすぎるとカルトだぜ!」(笑)

-

No title
キラーなんたらッて人、しっこいですね。
史実は、ねずきちさんのブログで学びます。
今更、何を言われても。
それとも日本人が目覚めると、都合の悪い事でもあるのですか。
異論も良いと思います、ただクドイのです。
レッテルを貼るな、と言う人はなんだか気の毒に感じます。空回りしているのでしょうか。

-

No title
私の祖母の弟ニ人は陸軍でした。ニ人とも戦死しました。
祖母と暮らしていたので戦時中の話はよく聞いていました。
故郷の岡山も空襲があったようです。大変な時代を生き抜いたのです。その祖母でさえ『日本軍は強かった』と言っていました。写真を見ても、とても美しいです。日本の軍人さんは皆、そうだったのだと思います。『人命軽視』『思想改造』『犠牲』などと言われる筋合いはありませんね。
志願して散ったのです。
屁理屈を吐く前に、不自由のない現代に生きていられる事を、先人に感謝すべきだと思います。日本人であるならば。

皇国礼賛

No title
≫要するに、慰霊をして終わりではいけないのです。 そこで思考を停止してはいけない。 むしろ、そこがスタートのはずです。 しかしながら、現在は、それがスッカリ忘れられているかのようです≪

一知半解さん、
聞いたふうな口をたたきなさんな。

あなたの言っていることは、「だから勇気をもって戦った英霊の人たちを軽んじてもよい」という説にしかなってない。

顕彰することと、勇気を讃えること。いじめっ子に命がけで立ち向かって行って、くしゃんくしゃんに殴られた子が「過ちは二度と犯しません」といじめっ子達に言って、ペコペコすることが、正当な行為で、歯向った勇気は、悪、危険なこと、あるいは、もうすこし別な方法があったのでは?などと決め付ける。

一知半解さん、ひとことで言えば、あなたはただの卑怯者だ!

ブログ主さんにお願いします。
ブサヨの一知半解のコメントは、このブログを穢すだけです。
投稿禁止処置を望みます。

一知半解

私が問うていること。
椿さんに反論しつつ、もう一度私の主張を述べさせていただきます。

>倫理観の中に“大義”や“純粋な理想”があるのではないんですか?
>それとも、大義や純粋な理想は、倫理観じゃなく、“悪徳”とでも言いたいのでしょうか?


私が言いたいのは、「(正しい)目的は(不正な)手段を正当化する。」ということです。

例えば、グリーンピースやシー・シェパードの行動をみれば、大義や理想を絶対化することの恐ろしさがわかりませんでしょうか。

>軍に従った犬や鳥や馬の慰霊碑までも建て、ましてや憎き敵をも祀っている日本人が、人命軽視ですか?

特攻隊だけを見てもわかるように、間違いなく味方の命を粗末に扱っていましたよ。
単に祀りさえすれば人命軽視にあたらないというわけではないでしょう。

この「祀る」という行為自体はまことに素晴らしいですが、残念ながらこの行為にも、欠陥があるのです。

それは、「祀る」という行為が、「責任者不在」という状態を招きかねないことです。

これについては、小松真一著「虜人日記」の一部の記述とその記述を解説した山本七平著「日本はなぜ敗れるのか~敗因21ヶ条~」に良い具体例が記されてますので以下引用します。

(引用開始/~前略)

■セブの街、灰となる

九月十二日の第一回爆撃でセブの町の大半は燃えてしまった。

兵站宿舎では何百という兵員が入ったまま、防空演習と間違って退避しなかったので爆死してしまった。
屍臭がぷんぷんとして近寄ることもできない。

それでも墨痕鮮やかに忠霊碑が建ててあった。

(ここまで、小松真一著「虜人日記」の記述、以降は山本七平著「日本は敗れるのか」の記述)

こういう”事故”に等しい損害は、言うまでもなく組織的欠陥か個人的怠慢が原因で、それ以外には原因は求めえない。

合理的組織は、こういう場合即座に欠陥の場所と責任の所在とが明らかになり、従って、この損害を繰りかえさぬための処置と、責任者への調査・処罰が行なわれるはずである。

同時に屍体の収容、残存兵器類の処理、またいわゆる戦場掃除による危険物の除去(それは、単に落された不発弾だけでなく、爆死した兵士のもつ手榴弾が不発だったら、これの暴発も危険である)が行われねばならない。

しかし、それらは一切行なわれず屍臭ぷんぷんとして近よりがたい状態に放置したまま、忠霊碑をたてて終りとする。

しかし忠霊碑をたてるのは、元来、戦闘員である軍人の仕事ではないぱずである。

第一、事故死に等しい死に方をした兵士に「忠霊碑」はおかしい

もしこれが慰霊行為の一種なら、その前にまず、責任の所在を明確にして事故を防ぐべきであり、慰霊に関することは、いわばチャプレンが行なうべきことであろう――アメリカ軍ならば。

確かにチャプレンは、この事故には責任はない。

しかし本職軍人がこれを行なうことはこの責任のない位置に自らを立たし、忠霊碑を立てることによって、一部の責任を免除されるという結果しか招来しない

慰霊はもちろん、組織における合理性に基づく行為でなく、はっきりいえば、生死という、人間の合理性では把握できぬ問題に対する非合理的対処である。

そしてそれによって死者への”債務”がなくなったとするなら、組織における責任の追及は、逆に消失してしまって、一種の無責任体制とならざるを得ないであろう。

(~後略/「日本はなぜ敗れるのか」引用終了)


要するに、慰霊をして終わりではいけないのです。
そこで思考を停止してはいけない。

むしろ、そこがスタートのはずです。
しかしながら、現在は、それがスッカリ忘れられているかのようです。
本当にこれでよいのでしょうか?

キラーT細胞

No title
 インパール作戦の評価については勉強不足なので判断を控へさせて頂きますが、大東亜戦争がアジア解放の聖戦だつたと云ふ見方には賛同出来ません。
 そもそも近代日本の国家目標は富国強兵、西洋に追付き追越せであり、人種平等、アジアの植民地主義からの解放を一貫して掲げた事実はありません。もし事実であるのなら、東京裁判で弁護側が検察側の主張する共同謀議論に対する反駁の根拠として挙げた筈です。
 大東亜戦争は飽くまでも我国の自衛戦争であり、アジアの解放が齎されたのは結果に過ぎないと見るべきでせう。かう書けば、椿さんの様に激高する人がゐるかも知れませんが、それはナシヨナリズムに目が眩んだ故の誤れる態度であり、決して健全な愛国心の発露ではありません。
 因みに、植民地主義にも良い面があつたとするインド出身のアメリカ人が存在する事実を付記します。
http://kimura39.txt-nifty.com/hell/2005/03/post.html

こん

冷静をなくした全てを賛美したようなコメント主は、瀬戸弘幸や西村修平やその信者みたいなうすきたない馬鹿右翼になるよ

様々な着想、それぞれの見かたがあるのだから

椿

No title

「インパール兵隊戦記(黒岩まさゆき著)」を読まれることをお勧めいたします。<

戦後は、アメリカGHQによる焚書言論統制
欧米列強側の都合の良い著書・言論の言いたい放題、
シナ・ロシア共産主義国の捕虜収容所から解放される為に、『偽の供述書』を書かされ、やっ帰還を許された日本皇軍兵士の話
日本皇軍兵士を共産主義者として“完璧に思想改造”してから、共産主義の工作員として、日本へ送り返した話等、超有名ですよね?

あなたこそ、日本人に成り済まして、嘘くそ言ってるんじゃないわよ!そんな基本情報知らないとでも思ってたの?馬鹿にするんじゃないわよ!!

>軍上層部は厚遇を受け、えらそうに参謀肩章を吊っているのですが、下級兵士には死ぬより苦しい努力を強いていながら、当時の日本軍上層部の腐敗は目に余るものがあります。 <

馬鹿じゃないの?軍だけでなく、どんな社会でも社長や幹部は『厚遇」されてるでしょう?それとも、社会に出た事がないわけ?
日本国民の血税をむしり取って、在日特権の「生活保護」でも貰って、毎日パチンコしてるから、社会を知らないわけ

そして、それだけの“責任”も取らなきゃならないからですよ!リンチ東京裁判で、それが十分証明されているでしょう?あなたこそ、チャンと調べているわけ?

>作戦というものは勝つために立案し、勝つために最大限の努力をするものです<

じゃあ、古今東西、連戦連勝の国なんてあったわけ?そんなこと言ったら、“100戦100敗の朝鮮民族”なんかどうするわけ?朝鮮国民なんかたまったもんじゃないわね。(笑)

>こういう意見を言うと「サヨク」扱いする者が必ず出てくるようですが、自分はサヨクではありませんし<

サヨクだなんて思ってません。でも、“絶対に日本人じゃない”とは、思っています。
 



戦記マニア

No title
御疲れ様です、おっしゃりたい趣旨はわかりますが、作戦というものは勝つために立案し、勝つために最大限の努力をするものです。
そのために軍上層部は厚遇を受け、えらそうに参謀肩章を吊っているのですが、下級兵士には死ぬより苦しい努力を強いていながら当時の日本軍上層部の腐敗は目に余るものがあります。
大本営のお偉いさん方をはじめ、牟田口中将はそんな立派な指揮官ではありませんよ。
戦後も黙っておればよいものを言い訳がましいことばかり述べています。
また、敗走時の日本兵たちも悪事は一切無かったというのも??です。
他に詳しく反論されている方がいらっしゃるのでくどくは申しませんが、光人社刊「インパール兵隊戦記(黒岩まさゆき著)」を読まれることをお勧めいたします。
当時の庶民、一兵士の視点から書かれており、きっと認識が変わると思います。
こういう意見を言うと「サヨク」扱いする者が必ず出てくるようですが、自分はサヨクではありませんし、英霊が無駄死にだったとは決して思っておりませんので念のため。

あ太郎

経験を無駄にするな
山本七平の「一下級将校の見た帝国陸軍」は、かなり前に、あ太郎が第31普通科連隊に所属していた頃、読みました。山本自身、陸軍将校として南方に従軍した体験から、帝国陸軍の矛盾を余すところなくついています。 なかなか読み応えのある著作でした。

山本が指摘する矛盾が、陸上自衛隊が帝国陸軍から受け継いでいる悪しき伝統とピタリと一致する、と当時はそう考えたものでした。

戦後、太平洋戦争批判については汗牛充棟の本が出版されました。多くの戦争体験談が世に出ました。しかし、そのどれもが、帝国陸軍は「悪の権化」であり、自分は戦争が悪いことである事を知っていた、というような風潮です。

決して、太平洋戦争の貴重な経験から、「次の戦争に備えよ」という意見は出ませんでした。 そして、今でも出ていません。

来るべき大戦争に備えることが、英霊が犬死したのではないことの証ではないでしょうか。

皇国礼賛

No title
椿さんの書かれたことに、千%同意します!
その通りだ。涙が出る。

椿

国や子孫を守った方が、『大義の為に戦った英霊』ではないのですか?

>戦わざるを得なかった彼らに「大義の為に戦った勇士」という美名をかぶせ、その犠牲がやむを得なかったものとしてしまう。<

強欲な侵略者の魔の手”から、自分達の国や家族、いえ、それ以上に大切な『民族の魂や誇りを守る』事が、“犠牲”だと思う人がいるかしら?

むしろ、私なら“率先して戦いたい”ですね。

自分の命よりも大切に思うものを持っている人は、とても幸せな人です

自分の命や寿命にだけこだわり、平気で“国を売ったり”、“ご先祖様の名誉を貶めたり”するような人間は、もはや『人間』ではありません。

どうぞ「奴隷」や「畜生」として、長い人生?を全うして下さい。

それに、愛する祖国を守る為、私達子孫に大切な日本の文化・伝統を残す為、日本人の存亡をかけて戦って下さったご先祖様達は、“大義の為に戦った勇士”ではないのですか?

あなたこそ、倫理観やなんだと言う前に、“恩知らずの畜生”ではないでしょうか?

>日本軍の悪弊の一つに、人命軽視が挙げられますが<

軍に従った犬や鳥や馬の慰霊碑までも建て、ましてや憎き敵をも祀っている日本人が、人命軽視ですか?

人命軽視なのは、むしろ“無辜の民を滅茶苦茶に惨殺した、シナ・朝鮮・欧米”の方ではないですか?それはスルーですか?

>大義や理想は、人の倫理観を簡単にマヒさせます。<

あのね・・・・倫理観の中に“大義”や“純粋な理想”があるのではないんですか

それとも、大義や純粋な理想は、倫理観じゃなく、“悪徳”とでも言いたいのでしょうか?

実に奇妙奇天烈な考え方です。

命さえ長らえれば、“奴隷のように生きよう”が、“悪魔に魂を売ろう”が、素晴らしいとでも考えているのでしょうか

私なら、悪魔に魂を売ったり、奴隷のようにして命を長らえるよりも、それこそ、特攻隊の方達のように、『大義の為に、みごとにこの命散らしたいと思いますね。』

>英霊として祭り上げられる彼らは、果たしてそうしたことを望んでいたでしょうか?<

靖国神社の遊就館』に行って、是非、『英霊方の遺書』を読んでみて下さい。その疑問は直ぐに解決することでしょう



皇国礼賛

一知半解
ねずきちさんが、ここまで、噛んで含めて、マンガまで引き合いに出して説明してくれても、まだわからない?
あなた、朝鮮工作員ですか?

一知半解

大義や理想が、人の倫理観を麻痺させる
今回の記事におけるねずきちさんのインパール作戦の評価は余りに美化し過ぎ、理想化し過ぎではないでしょうか。
アジアの解放という「タテマエ」に囚われすぎです。

自己正当化するのは、人間の性(さが)ですから、わからなくもないですが、度が過ぎると却って害悪となります。

自らを欺き、「夜郎自大」状態となり、自らを盲目にしてしまいます。

戦前の日本がまさにその状態でした。
ねずきちさんの評価にも、何かそれと同様な傾向を感じずにはいられません。

そもそも、赤紙一つで招集された現場の兵士全員が、「アジアの解放」を目指して戦っていたとは到底思えません。

戦わざるを得なかった彼らに「大義の為に戦った勇士」という美名をかぶせ、その犠牲がやむを得なかったものとしてしまう。
大義や理想を実現する為には、当然の犠牲だとしてしまう。

その考えは、まるで犠牲の原因追及から逃げて、単に祭り上げる行為に見えます。
英霊として祭り上げられる彼らは、果たしてそうしたことを望んでいたでしょうか?

彼らは本当に自ら犠牲になりたかったのでしょうか?

そんなはずはありません。

愚劣な将軍のせいで厭々犠牲になったのです。
アジアの解放という”華々しい”理想の為に、やむなく犠牲となったのです。

そうした大義や理想を絶対視することが、どれだけ人命軽視につながることか。

日本軍の悪弊の一つに、人命軽視が挙げられますが、ねずきちさんがインパール作戦を賞賛する考えの基本にもそうした傾向が垣間見えるような気がしてならないのは、私の考えすぎでしょうか。

目的が純粋であれば、尊い犠牲を払ってもやむを得ないという”ひとりよがり”の考えが、現場の兵士にとっては、地獄の苦しみとなることにもう少し思いをめぐらすべきではないでしょうか。

大義や理想は、人の倫理観を簡単にマヒさせます
先の大戦から学ぶべきは、大義や理想を掲げることの恐ろしさなのです。

そして、そうした考えが、犠牲を生んだという事実をしっかり認識し、二度とその考えを強要しないことこそ、彼ら尊い犠牲に報いる道だと私は思います。

彼らの犠牲を、美化してオシマイにしてはならないのです。

最後に断っておきますが、彼らの犠牲は、尊いものであることには、私も異存はありません。
ただ、彼らの尊い犠牲を、アジアの解放という美名と引き換えにすべきではないと私は考えます。

椿

愛の精神ではなく、“侵略”と“破壊”の布教ですね。

猫のひげ さんへ、

>歴史上の主要な邪悪はキリスト教徒、ユダヤ教徒によってなされています<

そのようですね。ユダヤ教徒は知りませんでしたが、キリスト教徒による“アジア・アフリカ・北米への侵略”は、目に余るものがあります。

彼らは『愛の精神』を伝えたのではなく、「侵略」と「破壊」を布教しに行ったのでしょう。

神様も“ビックリ仰天”だったと思います!(笑)。

今でもアジア・アフリカに、貧困・飢餓・人身売買・強姦・強奪・虐殺・虐待が、蔓延っていますが、それはきっと、かの「侵略者達の悪業」を償わせる為の、神様がご用意された、彼らの“未来の転生先”だと思っています



コイワイ

No title
おもしろいホームページを発見しました。
ねずきちさん、是非読んでください。
このブログの読者も、是非読んでください。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe800.html
考えをまとめるには時間がかかりそうです。

猫のひげ

椿さん同感
椿様のおっしゃるとうりです。歴史上の主要な邪悪はキリスト教徒、ユダヤ教徒によってなされています。日本は、鎖国時代に培った「武士道」により独創的な精神的な境地を獲得しました。「武士道」は一種の哲学であり、勝ちさえすれば良しとする考え方とは相容れません。

「騎士道精神」とは、弱者を始めから差別しておき、手を差し伸べるものでしょう。欧米でのレディファーストなるものにそれが示されています。日本人の考える人種差別撤廃とはかなり方向性が異なっていると思います。

日本の「武士道精神」と、あの残酷な白人とを同列に論じるのは無理がありそうです。
ただ、個人として「武士道」に共感する白人がいてもおかしくはありません。ヨーロッパ人が日本の武道に惹かれるのは、おそらく根底に流れる精神故と考えます。

椿

彼らが言う“騎士道精神”って?

色付きの文字武士道に匹敵する「騎士道」が息ずいているって…?うーーーん、私は、ちょっとやっぱり理解できません。

騎士道精神」のある国が、他国の人間を何百年もかけて“搾取”し、”“蹂躙”したりするでしょうか?

騎士道精神」のある者が、出鱈目東京裁判で、日本の兵士達に冤罪の罪を被せて、“リンチ処刑”するでしょうか?そして

騎士道精神」を持つ英国は、サッチャー元首相の時代(在任:1979年 - 1990年)に、“南アフリカの独立”に、強硬に反対していましたよね?1945年から35年以上も経っているのに・・・随分おかしなことです。

自由・平等・公正の精神を持つアメリカもそうです。日本に民主主義をもたらしたとウソぶいているアメリカ合衆国が、戦後19年以上経って、1964年になって、やっと、アメリカの国籍を持つ黒人に、国民としての権利である『参政権』を与えていますよね?

これが民主主義大国といわれる国の姿でしょうか??非常にオカシイと思うのです。

人間って、どんなに詭弁を弄しても、“彼らの普段の行動”を見れば、一目瞭然ではないでしょうか

戦前・戦中の間だけ、このような鬼畜的所業をとっていて、その後、日本皇軍の武士道精神に心打たれて「改心」し、

その後の行動で“騎士道精神”を示しているならまだしも、戦後のリンチ裁判等を見ても、その片鱗は見えないです。ほんの僅かな一部の人だけに、“反省心”は見られますが…。

実際、あの心根の清いチベット人達が、あれほど侵略・蹂躙されていても、お金と利権が絡むと、一時はシナを糾弾・非難しても、結局『黙認』していますよね?

戦前・戦中・戦後に至っても、やはり彼らからは、「騎士道精神」なるものは、見当たらない様に思いますが…、如何でしょうか?



山田

No title
必見です 家族や周囲に広めましょう!

テレビの洗脳を知る動画 【入門】改Bパート
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9595179


<おまけ>
やる夫がマスコミに疑問を持ったようです 
【前編】
ttp://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-587.html
【中編】
ttp://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-591.html
【後編】
ttp://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-597.html

失業者

テレビに骨抜きにされる
毎日、素直な気持ちを心がけ読ませて頂いております。
今の日本人は戦死出来るか
60数年前の人間も今を生きる人間も肉体的には何も変わらないが精神的には大きく違うと思います。
今は情報も物質も豊富で身近に死人を見ることなど、滅多にないでしょう。
今後、骨抜きにされた日本人は自らを守るために戦えるのか心配です。

やまとおのこ

No title
>ブクさん私の父上も生きておられたら96歳です、子供のころは戦争の話をしてくれたのですが、その後はこちらから聞かなかったせいか聞いていません、今となっては悔やまれます。

>しきしまさん
>ブクさん
私も日本人の一人としてあなた方のお祖父さん、お父上を誇りに思います。

やす

姑息な戦後日本
武士道を蔑視し、忘れ去ろうとしている連中は戦後日本にも大量発生した。そういう族は主に「民主党」という詐欺集団を成し、保守の牙城であるべき「自民党」をも内部から蝕んでいる。インパール作戦をはじめ大東亜戦争の幾多の戦史を虚心坦懐の目で見つめれば明らかなように、日本人はかつて一兵に至るまで高潔な志を抱く「武士」が大半を占めていたが、戦後は絶滅危惧種に転じてしまった。
自ら保守と称する者でさえ、「武士道」を古臭いと切り捨ててしまうことも珍しくなくなり、戦後日本は欧米をはじめ近隣の敵対国によってもたらされた「姑息」な空気に覆われてしまった。
しかし、いくら瀕死の状態とはいえ「武士道」は「皇室」と同様に、日本の先達たちが築いた精神的支柱であることは間違いない。物質的な豊かさに溺れ、権利を主張することばかりに汲々としている多くの戦後日本人も、亡国の道を歩み続けている現状にようやく気付き始めたのかもしれない。
「虚偽」は「事実」によって淘汰される。歴史の厳然たる掟は、曲げられようはずもない。英霊は紛れもなく国家の英雄であり、日本が日本として存在し続ける限り、賞賛されるべきである。
反日サヨクが「軍国主義」と呼んで、事実を隠蔽しようとしても無駄だ。所詮、事実の力には敵わないからである。

しきしま

No title
祖父はインパール作戦(祭部隊)に参戦し、未だ白骨のままイラワジ川の畔です。祖父を大変誇りに思います。昭和30年4月21日に靖國神社に合祀頂いております。

プク

No title
私の父は96才、9度目の年男です。インパール作戦に参加した中尉でした。まったく、身勝手個人主義の父ですが、この作戦に参加した父を誇りに思っています。退却では、街道を逃げるのではなく、わき道を逃げた部隊は全滅した、街道が通る部落には現地人の屋台が立ち、退却兵は金を払って買い食いして喜んだ、と聞いています。

椿

屁垂れ左翼か?朝鮮系?

>当時日本にいた与党の売国政治屋たち<

所詮こ奴らも「朝鮮系」か、戦いにも行かず、姑息に逃れた、口先だけで、肉体的にも“屁垂れ”の似非人権主義者・左翼達でしょう。




椿

欧米の戦いぶりは、「恥ずべき戦い」です。

普通の感覚があるならば、欧米列強は、インパール作戦どころか、大東亜戦争だって、誇るどころか、、むしろ、未来永劫、隠蔽したいくらい、卑怯・姑息・卑劣のオンパレードで、“恥ずべき戦い”だったはずです。

日本の国力の何十倍という、超一流軍事大国だった、英・米・仏・蘭・露で、“日本包撃網”をつくり、『人種差別の撤廃』と『植民地解放』を唱える、“真の勇者”である日本に、最も卑怯で姑息な戦いを仕掛けてきたのだから、

少なくとも、キリスト教、いえ神仏を信仰している者ならば、まさに、自分達の強欲から出た、“悪逆非道な仕打ち”に、死んだ後の事を考えれば、“慄然”とした事でしょう

アカシックレコード』でしたっけ?神様は全てお見通し!日本流で言うなら、“地獄の閻魔大王の鏡”でしょうか?己のどんな小さな善行も悪行も、包み隠さず、全て記録されているという事です。

ま、チャーチルもスターリンもルーズベルトも毛沢東も蒋介石も金日成も、その他諸々の卑怯で姑息な戦いをした者達は、全てあの世で、己の犯した悪業の何倍・何十倍の“制裁”を受けている事でしょうから…。

結局人間って、どんなに姑息に立ち回っても、最後に『つじつまを合わされる』ってことでしょう。明朗会計のようなものですね。(笑)。


まあ、欧米列強よりももっと最低で、もっと姑息で、卑怯な民族は、シナ・朝鮮です。彼らは日本から与えてもらった『大恩』を今も平気で“”で返していますから、もう救いようがないわ。


-

No title
吉田松陰の辞世の句

身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/ryukonroku.html

この「留魂」とは、例え身は果てても魂はいつまでも留まって天皇をお守りする、という松陰の強烈な願意を示したもので、山崎闇斎以来の崎門学派の流儀である。

であれば、吉田松陰は、山鹿流兵学を学び、かつ崎門の尊王思想を学んだと言ったほうが良いかも知れない。

-

No title
>そして幕末、山鹿流は「尊王攘夷」の言葉を生み、倒幕を実現し、明治国家を建設しています。

いいかえれば、明治という国家の中枢をなした思想が、山鹿流だった。
<

山鹿素行も確かに儒学(朱子学)から始めて尊王思想に至ったが、後世への影響を考えると、同じく儒学から進んで、尊王思想に到達した山崎闇斎の崎門学派の影響の方が遥かに大きいよ。

山崎闇斎の門弟の正親町公通、さらにその弟子の竹内式部の活躍により、崎門学派の尊王思想は、京の公家衆に行き渡り、ために竹内式部は幕府の嫌疑を受けて八丈島に流される途中に病没、多くの公家も幕府の処分を受けた。

宝暦事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9A%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

明治維新は、水戸学と崎門学派と平田派国学の3派の尊王攘夷運動が結実したものであり、山鹿流の影響はその3派に比べれば非常に小さい。

otama

歴史を読む
■普天間基地の移設問題は本土左翼と結託した基地利権問題なのです
名護市長選後の沖縄と洋上慰霊祭
沖縄の実情を知る者として意義ある問題提起を展開しておられるジャーナリストの惠之介氏をお迎えし、普天間基地移設反対派が勝利した名護市長選の結果と無縁ではいられない沖縄経済の行方や、沖縄独特の「基地利権」を延命させるであろう民主党の政策、偏向教育や左翼・中国の策謀によって自らの安全保障を危機に陥れている構造など、沖縄が置かれている現状について、改めてお話を伺いします。
http://www.youtube.com/profile?user=SakuraSoTV#p/u/24/7BNR_cFD_zU

■歴史とは、現在から過去へと逆読みするのではなく、当時の人が、わずかな情報を基に、歴史と伝統(運命)を力として、暗闇を這う、その様に読めるのが理想です。現に私達はその様に生きています。
私は、福田恆存の「日本近代化試論」を読み、司馬史観から離れました。
氏は昭和十七年秋 旅順の戦跡を訪れ
引用
 私は爾靈山の頂上に立ち西に北に半身を隠すべき凹凸すら全くない急峻を見降ろした時、その攻略の任に當った乃木将軍の苦しい立場が何の説明も無く素直に納得でき、大仰と思はれるかも知れませんが、目頭が熱くなるのを覺えました。(中略)[總司令官の苦衷よりは、何も知らずに驅出され、この攻防戦に牲へのごとく投げ込まれた名も無き六萬の戦士や遺家族の悲しみを想へなどと言はれても、卻つてさういふ言葉こそ局外者の空疎な屁理屈としか思えぬのです。]何も知らずに驅出されたという事になれば、總司令官乃木希典もその一人だつたと言へませう。私が将軍に寄せていた関心も、實はその點に在つたのです。
引用終わり
 太字で表示された言葉は、平成の御世に跳梁跋扈する、自分は無謬であると思い上がった、傲慢な偽善者の撒き散らす言葉そのものです。
■氏は後に「乃木将軍と旅順攻略線」を上梓され、その末尾の方に
引用
 事實、何人かの人間には容易な勝利の道が見えてゐたかも知れぬ。が、それも結果の目から見ての事である。日本海大海戦におけるT字戦法も失敗すれば東郷元帥、秋山参謀愚将論になるであらう。が、當事者はすべて博打をうってゐたのである。丁と出るか半と出るか一寸先は闇であった。それを現在の「見える目」で裁いてはならぬ。歴史家は當事者と同じ「見えぬ目」を先ず持たねばならない。
 そればかりではない、なるほど歴史は因果関係がある。が、人間がその因果の全貌を据える事は遂にできない。歴史に附き合えば附合うふほど、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には崩壊し去る。そして吾々の目の前に殘されたのは點の連續であり、その間を結び附ける線を設定する事が不可能になる。しかも、點と點とは互ひに孤立し矛盾して相容れぬものとなるであろう。が、歴史家はこの殆ど無意味な點の羅列にまで迫らなければならぬ。その時、時間はずしりと音を立てて流れ、運命の重みが吾々に感じられるであろう。合鍵を以って矛盾を解決した歴史といふものにほとほと愛想を盡かしている私が、戦史には全く素人の身でありながら、司馬、岡両氏の餘りにも筋道だった旅順攻略戦史に一言文句を附けざるを得なくなつた所以である。
引用終わり

kinako

インパール作戦
読んでいて涙が出ました。きっとこの通りの事実であったことと思います。日本人がアジアを解放しようとして、現地で懸命に戦ったのは、いろんなところに記録が残っています。戦後こうした事実が伝えられずに、悪者扱いされている多くの英霊の冤罪が晴れて、本当の歴史的真実が語られる日が来るように祈らずにはおれません。先日、このブログを知り、こうした日本人の知らされていなかった美談を多く紹介して下さり、本当に心強くありがたいと思っています。応援しています。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
近日発売
『日本書紀』(タイトル未定)

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