慶長の爆弾三烈士



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島津義弘公
島津義弘公


「爆弾三勇士」というのは、昭和に入って初めての軍神となった久留米第24旅団の工兵、江下武二、北川丞、作江伊之助の3名の実話です。

与謝野鉄幹の歌があります。

 廟行鎮の 敵の陣
 我の友隊 すでに攻む
 折から凍る 二月(きさらぎ)の
 二十二日の午前五時・・・

この歌は、与謝野鉄幹が新聞社の公募に本名の与謝野寛で応募し、1位入選した歌でした。

昭和7(1932)年2月22日、上海事変の最中に、蒋介石の最強部隊である19路軍が立て篭もる廟行鎮(びょうこうちん)要塞に36名の決死隊が鉄条網に爆弾を投入して突撃路を開くことを企図します。

このとき、久留米第24旅団の上記3名の工兵が、あらかじめ点火した破壊筒(竹製の即席爆薬筒)を抱いて鉄条網に突入爆破し自らも壮烈なる爆死をとげました。

これが昭和の「爆弾三勇士」の物語です。「肉弾三勇士」ともいいます。

「爆弾三勇士」の物語は、鉄幹の歌をはじめ、映画、歌舞伎、演劇が三勇士ものを上演し、琵琶、浪曲、筝曲、絵画、彫刻、あらゆる分野で競って作品化されました。

当時は、「三勇士饅頭」「三勇士煎餅」までが売り出されたといいます。


さて、この物語に先立つこと334年前、同じく爆弾を抱いて、敵中深く侵入し、爆死した3勇士がいた、というのが、今日のお題です。

日心会のMLで、うさぎ屋さんからご紹介いただいたお話です。

≪爆弾(肉弾)三勇士≫

文禄・慶長の役(ぶんろくけいちょうのえき)といえば、文禄元(1592)年から、慶長3(1598)年にかけて、豊臣秀吉が、Chinaの明国並びに李氏朝鮮と戦った戦闘です。

この戦闘は、朝鮮半島を舞台として行われましたが、実際の相手は明国です。
敵軍の主力も、明軍です。

昔から、戦争というものには、いつも、尻押しをする奴がいます。
China事変も同じです。英米という尻押しがあった。

半島に出兵した日本軍は13万です。これほどまでに大規模な大陸出兵は、明治以前には一度もありません。

日本軍は、たちまち、鶏林八道を席巻します。

そのなかに、薩摩藩士の軍団がいました。
十七代藩主島津義弘公の軍です。

義弘公は、自ら陣頭に立って、軍神と呼ばれるほどの闘いをされました。
世間では、加藤清正ばかりが働いたようにいわれているけれど、それは講談師の捏造です。

薩摩の強さについては、敵方の文書にも記録が残っています。

「もしひとり石曼子(せきまんし・しまづ)なかりせば、倭寇をして一人も生還せしめざりしを」
明の記録です。石曼子とは、島津公のことです。

義弘公は、全羅慶尚の二道を突破して、朝鮮半島慶尚道の泗川(しせん)に陣を構えます。

秀吉は、そこを前進基地とするよう、築城を命じた。
泗川新塞(泗川倭城ともいう)というのが、それです。

城は、泗川を真ん中にして、順天倭城(小西行長軍)、泗川倭城(島津義弘軍)、蔚山倭城(加藤清正軍)が、築城されます。

このなかの泗川新塞に、明将董一元率いる20万と号する明・朝鮮連合軍が攻め寄せます。

泗川は日本軍が築城した城の中の中間に位置しています。
ここを破られたら、左右の軍との連絡が分断されてします。

ところがこのとき泗川に駐屯していたのは島津義弘公率いる手勢5千のみです。
40分の1の寡勢です。

近くにいた宗軍や立花軍が援軍を申し入れます。
ところが、島津義弘公は、この申し出を断ってしまいます。
そして島津の手勢だけで明の大軍を迎え撃つこととなった。

島津軍は川上忠実に数百の兵を与えて明・朝鮮連合軍を挑発しさらに敵の食糧庫を焼き討ちします。
大兵力の連合軍は、ただでさえ食糧が不足していたところに、食料庫を焼かれたことでさらに窮地に陥り、短期決戦を余儀なくされます。

そこへ島津義弘公が出撃します。
公は、泗川新塞を背に強固な陣を張り、伏兵を配置する。

明・朝鮮連合軍の執拗な攻撃に対し、義弘公は大量の鉄砲を使用したり、地雷を埋めるなどして対抗します。

またこのとき、鉄片や鉄釘を砲弾の代わりに装填した大砲も使用しています。
この種の砲弾は、大東亜戦争末期に米軍が艦砲射撃用に開発し、沖縄上陸戦で使用していますが、もしかすると鉄片入り砲弾というものが世界の戦史で使われたのは、これが初ではないかと思います。

明・朝鮮連合軍が、島津軍の火勢に攻めあぐねたところへ、義弘公は白兵戦を挑みます。

これが強い。

「チェストー」という掛け声とともに、前線から波いる明・朝鮮連合軍の将兵が、バタバタと両断され、軍勢がみるまに壊滅していく。

明軍は、あまりに島津勢が手強いと見て、兵を引き、遠くから城に矢を射かけ、城を火攻めにしようと試みます。

これには、さしもの島津軍も閉口します。
白兵戦なら、自信があるが、火薬の前には、剣術も役にたたない。
顔は焼かれるし、手も焼かれる。

歯噛みをしていると、その時、敵陣の後方で大爆発が起こります。
敵が命と頼む後方の火薬の元庫(もとぐら)に、どういうわけか、火が入ったのです。
大音声とともに、敵後方に盛大な火柱があがる。

今度は反対に、敵軍が火に焼かれて、大混乱を起こします。
そのときとばかり、義弘公は、「ソレッ!」と下知した。

城門から繰り出した軍勢は、当たるをさいわい、バッタバッタと敵を薙ぎ倒し、斬り伏せ、軍を撃ち砕きます。

そのあまりの強さ、恐ろしさ。

明・朝鮮連合軍は潰走し、その後、集結して撤退できた兵力はわずか1万ほどであったといいます。

「島津家文書」に記された記録では、島津忠恒の鹿児島方衆が10,108、島津義弘の帖佐方衆が9,520、冨隈(島津義久領)方衆が8,383、伊集院忠真の軍が6,560、北郷三久の軍が4,146、合計38,717の首級を上げたと記録されています。

首級というのは、雑兵の首はあげても評価の対象にはならないから、要するに将官クラスの首をそれだけあげたということで、これはものすごい数の大勝利です。

さらに打ち捨てた死体、数知れず、と書いてある。

この戦いにより島津義弘公は「鬼石蔓子」(おにしまづ)と恐れられ、その武名は朝鮮だけでなく、明国まで響き渡ります。

40倍の敵を相手に、戦いは、島津軍の大勝利に終わります。

しかし、不審なのは、敵の火薬壷の爆発が、なぜ起こったのか、です。

火薬庫というのは、わざわざ点火でもしない限り、容易に、爆発なんてしません。
敵が、自分で自分の火薬に、火を点けるわけもない。

薩摩藩に残された記録によると、なんとこれは狐(きつね)がやったということになっている。
三匹の狐が、やった。
赤い狐が二匹、白い狐が一匹、城の中から飛び出して、敵中に駆け入ったのを、大将の義弘公が、確かに、見届けたというのです。
それから、間もなく大爆発が起こったというのです。

ところが、それは、宣伝だったのです。
立派な、忠誠な、三人の若武者が、敵陣深く忍び入って、火薬壷に火を放ち、共に爆死した。

瀬戸口、佐竹、市来という三勇士。
なかでも、瀬戸口弥七郎は、まだ19歳の若武者であったといいます。

そんな壮烈な事蹟を、なぜ狐の仕業なとといって、宣伝したか。

それは、当時は個人の勲功よりも、軍全体の利益を重んじたからです。
「神明の加護われにあり」と考えれば、全軍の士気は百倍する。

義弘公には、それが白狐と赤狐の仕業ではなくて、白糸縅(しらいとおどし)の武者一騎、赤糸縅の武者二騎の働きであることがちゃんとわかっていた。

わかっていて、わざと、そう仰ったのです。

三勇士の霊も、個人的な勇名を後世に残すよりも、軍全体の利益のもとに、犠牲となることの方が、本望だった。

当時の武士は、実に、そのようなものだったのです。

「諸君、廟行鎮(びようこうちん)の三勇士に劣らざる泗川新塞の三勇士のことを、覚えていてください。
そして、昔の爆弾三勇士が、わが薩摩から出たことを、忘れんで下さい。
瀬戸口弥七郎の如きは、本校の付近、下荒田郷中の出身だったですぞ」(引用。獅子文六小説「海軍」)


20万の大軍に、わずか5千の兵力で立ち向かい、正々堂々まっこう勝負を挑んで、これに打ち勝ってしまう。

これが西洋や、Chinaの古典なら、おそらくは世界的に有名な陸戦物語として、世界中に知られる「鬼石蔓子(おにしまづ)の三烈士物語」となっていたことだろうと思います。

ところが、なにせ日本の武人というものは、功を誇らない。
しかし、だからといって、忘れていいというものではないです。
私たち日本人が、しっかりと語り継いでいかなければならないと思います。


それにしても、朝鮮兵と組むとろくなことはないですね。
20万の大軍でさえ、壊滅してしまう。

先日、椿さんからいただいたコメントに、「Koreanはまさに『百害あって一利なし!』」というものがありました。

たいへんよく書けていると思うので、以下転載します。

~~~~~~~~~~~~
≪Koreanはまさに『百害あって一利なし!』≫

以下の歴史的事実を見れば、いかに南北朝鮮と同盟を組んではいけないかが、“一目瞭然”です。
南北朝鮮と同盟を組んだ国は、“ことごとく敗れ去って”います。

【白村江の戦い】
唐・新羅(勝者) VS 日本・百済(敗者)
【タラス河畔の戦い】※注1
アッバース朝(勝者) VS 唐・高句麗(敗者)
【文永の役】
日本(勝者) VS 元・高麗(敗者)
【弘安の役】
日本(勝者) VS 元・高麗(敗者)
【応永の外寇】
対馬・九州探題 (勝者)VS 李朝(敗者)
【サルフの戦い】
後金(清) (勝者)VS 明・李朝(敗者)
【シャンギャンハダの戦い】
後金(清)(勝者) VS 明・李朝(敗者)
【アブダリ・フチャの戦い】
後金(清)(勝者) VS 明・李朝(敗者)
【丁卯胡乱】
後金(清) (勝者)VS 李氏朝鮮(敗者)
【丙子胡乱】
後金(清)(勝者) VS 李氏朝鮮(敗者)
【日清戦争】
大日本帝国(勝者) VS 清・東学(敗者)
【第二次世界大戦】
米英など(勝者) VS 日+台+朝鮮(敗者)
【朝鮮戦争】※注2
北朝鮮・中国(勝者) VS 米・韓等(敗者)
【ベトナム戦争】
越・中・露(勝者) VS 米・韓など(敗者)
※注1 当時、高句麗はすでに滅亡していますが、唐軍を指揮したのは高句麗出身である高仙芝である。
※注2 勝敗はついていないが、韓国は開城を北朝鮮に奪われてしまったため、事実上敗北と言えるでしょう。李承晩も停戦協定に不服として、協定に不参加。

~~~~~~~~~~~~

日本の政界のみなさん。
チョーセン人と組むと、結果、ろくなことにはなりませんぞ!w

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爆弾三勇士の歌 陸軍戸山学校合唱団


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コメント

SR400

示現神通力から
杜若さん
「示現流」の名称は観音経中の「示現神通力」の言葉からだそうです。あの「鉄砲伝来記」を書いた島津藩の学僧南甫文之、(文之和尚)が藩主から相談を受け案出したとか。書かれていた通り、誤解、誤用を避けるため、とあります。
御存知とは思いますが、文禄、慶長の役の頃は、示現流が伝来したかしないかの時期で、まだ流行には至っていません。

隆介

環境の大切さ
つくづく人というものは生まれ育つ環境によって大成したりしなかったりするものだなあと思います。

以前ねずきちさんのブログで韓国建国の英雄として紹介されていた金錫源と白善の二名は日韓併合時代に日本軍人としての精神を正当に継承できた結果あのような素晴らしい戦果をあげられたのだと思います。勿論個人の資質も有るでしょうが日本統治下で当時最強の軍事教育を受けた影響が最大の要因なのだと思います。

再生工場の野村監督やダメ会社が社長交代と共に躍進したり、荒れた中学校の再建に成功した校長先生の話や逆におかしなカルト教団の洗脳で別人格になってしまう悪いパターンなど。

人は過ごす環境によって大きく変わるものとして考えてみると朝鮮の不幸は日本統治下が短かったと考えられます。何千年と続いた奴隷国家の風土を根底から良化するにはあまりに短かった。そして日本敗戦と同時に元に戻ってしまった。急激に変わろうとしたのだからリバウンドも激しい。日本的なものを排除し元の殻に戻ろうとしている。せっかくのチャンスをふいにしてしまった哀れな民族に思えてなりません。

翻って日本はどうか、戦後日本は経済的には飛躍的発展を遂げたが旧来の日本的な価値観が崩壊しつつあるように思えて仕方ありません。外国人参政権や夫婦別姓法案など目に見える危機よりもっと本質的な人を育てる環境が危ない!そう思います。

No title
爆弾三勇士の話は、軍人だった父が寝るまえに良く話してくれた。攻めあぐねた敵陣の鉄条網に長い爆弾筒を抱えた日本の三勇士が飛び込んで柵と共に三勇士が玉と砕ける話。

当事の日本軍の貧相な武器のことを知らなかった私は「なぜ飛行機で爆弾を落とさなかったの?」と無知ながら当然の愚問を発して老境に入った父を困らせた。

私はこんな戦闘の話を聞いて育ったので、今でも当事の日本軍の武器兵器を使い、当事の米軍と戦える(勝てないが負けはしない)考案を続けている。勿論過去に戻った時点でのシミュレーションに於いての話。

しかし、少々素材形状を変えれば電子化の優劣が空戦の主導権を持つ現代の戦闘に応用できる考案もある。特許庁に登録すれば、簡単に彼の国に盗まれる確率大なので、では自衛隊に寄贈?ここは本格スパイ罪も逃亡罪もないのでダメ。

兵器の効果確認の為、旧敵国の米軍にテストをという事になるかも知れない。冗談ではなく半分本気ですよ。日本人にも執念深く大東亜戦の敗戦を悔しいと思う人がいるの忘れないで。

沖野ピノキオ

島津義弘と聞いて
また、島津義弘といえば『関ヶ原』の敵中突破が有名ですね。

関ヶ原の戦い。日本中が東軍と西軍に別れて戦った一大決戦です。

日和見や中立はゆるされません。それはどちらが勝ったとしても勝者から恨まれたり、危険視されるということです。

義弘の再三の要求にもかかわらず、兄義久は兵を送りませんでした。
兵力を温存し日和見することに決めたのです。

義弘の苦境を知って命令を無視して薩摩から駆け付けた兵が約1000名。

これではどうにもなりません。

敵からも味方からも軽く見られる始末。

しかも味方すると決めた西軍は主将石田三成の貫目が足りず、まとまりがありません。調略されていそうな人物もいます。

勝ち目は無い。

そこで義弘は島津家存続の為の賭けに出ます。

石田三成の参戦の催促を無視し、決着が着くまで動きませんでした。

やがて、西軍本隊が総崩れになり東軍の勝ちが確定した瞬間に、義弘は撤退命令を出します。

ただし進行方向は西軍中央。

ここに戦史上、空前絶後の撤退戦が始まりました。

朝鮮半島での島津軍の強さを知っていた福島正則等の西国武将達は道を開けます。
もう勝敗は決まっているのにわざわざ火中の栗を取る必要はありません。
下手に触れば命を落としかねない栗です。

義弘軍は家康本隊の間近まで迫ると、進行方向をわずかにずらし、鼻先を掠めるように通り過ぎました。

ここで見逃したとは三河武士の名折れ。

榊原康政、本多忠勝、松平忠吉等の猛将が必死の追撃を試みます。

数的にも、地勢的にも圧倒的不利。

ここで島津軍は『捨てガマリ』という戦法に出ます。
本隊から少人数が別れて敵の部隊を引き付け時間を稼ぎ、その間に本隊を逃がすという戦法です。

島津軍は雑兵であっても義弘に対する忠義心は絶大です。

『殿さぁ』を無事、国元に届ける為に鉄砲を構えて座り込み、迫りくる追撃隊の先頭にじっと標準を合わせます。

必中距離まで充分に引き付けて鉄砲を放つのです。敵は仕留められますが、自身も命を失います。

そんな兵が追撃路に延々と座り込んでいるわけです。主将の榊原康政も鉄砲を受けて大怪我をしました。(この怪我が元で二年後に他界)

主将を撃たれ、家康も追撃を諦めます。


島津の恐ろしさを知った家康は、何とか島津を潰そうとして圧力をかけたり、難癖つけたりしますが、島津ものらりくらりとかわします。

わずかな兵力であれだけのことをやって見せた島津。本国にはまだ二万の兵が健在しています。

まだ日本が定まっていない現状で、無理に島津と戦争することは他の反徳川武将に火を着けることになりかねません。

家康は諦めて島津家の本領を安堵することに決めました。

西軍の日和見武将や東軍の外様武将が次々に解体されたり減邦されたりし続ける中。

小数でも意地を見せた島津家だけが本領とプライドを守り通すことができたのです。

-

No title
NHK放送番組、ETV特集「日韓交流2000年」観ましたが、まあNHKらしく、とんでもなく偏向した番組内容でした。なんの権利があって日本の歴史捏造作品、こりもせず制作するのか正気ではないと認識すると納得します。
「インターネットと中国共産党」p223男の顔が怒りにゆがむ。「日本鬼子(リーベングイズ)」押し殺した声だった。
p357それは、信じられない光景だった。人民日報の社員が住む高級マンションの地下通路を入り口に、自動車は地下1階 (肉体労働 農村地帯からの出稼ぎ)服務員
は地下2階3階、窓、約10メートル上に地上の白い明かりが見えた。窓を開けると湿気がすごくて開閉なし。あまりのことに涙がでてきた。と書かれていました。
日本には恥「恥の文化」があります。「恥を知れ」お隣の国にいくら発してみても空しく返ってくるようです。

私は大嫌いなHNK

「鬼石蔓子(おにしまづ)の三烈士物語」
最近は私は大嫌いなHNKの竜馬のドラマのおかげとかで
歴史物がいろいろ人気なのだとか・・・ねずきちさんが今回紹介した
昔の出来事もこの流行にのって映像化とかされませんかね~

沖野ピノキオ

島津義弘と聞いて
2010/02/13の
『六十年の時を経て届いた手紙』で『最後の言葉』を紹介していただいたので、

池宮彰一郎『島津奔る』上下巻(新潮社新潮文庫)を紹介します。
歴史資料ではなく、小説ですので個人的主観やエンターテイメント的演出もありますが、島津義弘の入門書としてはまずまずとっつき易いかと思います。

泗川城の戦いは島津の得意戦法『釣り野伏り』ですね。頑強な囮部隊によって敵の本体をキルゾーンに誘いこんで殲滅する戦法です。対龍造寺、対大友、対豊富で大きい戦果を上げています。

泗川城の戦いの後、敵将と交渉して、「泗川城内の糧食を引き渡す代わりに日本軍の撤退を追撃しない。」と約定を取付けています。つまり義弘は自軍のみならず、日本軍全体を救ったと言えますね。

日本に帰った後は日本、朝鮮、明国の敵味方両方の戦没者慰霊碑を高野山に建立しています。

亮太

No title
20万人いたかは定かではないけど島津軍の10倍以上敵がいたのは確かでしょう。 
『鬼』と言う言葉は日本では強いとか良い意味ですが、中国では侮蔑の意味があるらしい。『鬼』とは呼んでいなかったのではないかと。 

舞桜

いつも ありがとう
いろいろなこと・・・・知るように
なってからは、じっとしていられませんね。
忙しくなって以前みたいにゆっくり書き込めないけど、
たまに見ます。
元気でがんばってるお姿・・・良かった。
励みになります

いつかゆっくりと、また
趣味のことでも語り合いたいですね。
でもいまは・・・、

そんな平和な日本がくるように・・・・
お互い頑張りましょう。
いつもありがとう。

緊急

緊急です。
http://blog.goo.ne.jp/mizumajyoukou
水間条項さんより、判りやすい夫婦別姓の会話を作って頂きました。

こちら、一般の方へも拡散お願いします。
これじゃ本当に、不安定な社会がやってきます。



~~~~~~転載

●《「夫婦別姓」で国滅ぶ:判りやすい華子(歯科医受付嬢)と教子(小学校教員)の会話》

華子「きのうビックリしたことがあったよ。山田さんの奥さんが李さんになっていて、子供は、別姓になる前の子供が山田君で、別姓にしてからの子供は李君なのよ。」

教子「そんなこと大したことじゃないわよ。別姓になって子供の「姓」は、夫婦のいずれかに統一されるようになっているでしょう。母親張さんの子供が鈴木君とか、佐藤さんの子供が金君とかがいて、再婚したのか別姓なのか、何がなんだかさっぱり判らないのよ。それによって気の使いかたが違うじゃない。授業以外でもうヘトヘトよ。子供たちには実際のこと判らないじゃない。イジメの原因になるのよね。両親の都合で中国の姓の生徒はかわいそうなのよ。生徒が日本の「姓」にしたいと相談に来られてもなにも出来ないでしょ。中国は別姓の国だから、日本で別姓法案が法律化になるって、中国国内ニュースで歓迎するような報道していたらしいからね!」

華子「それって福島瑞穂さんたちが、熱心にやっていた“子供の人権条約”に反するじゃない」

教子「そうなのよ、子供たちはえらい迷惑しちゃうのよ」

華子「夫婦別姓ってなにもいいことないわね。別姓になって結婚していた夫婦も別姓にした人いるでしょう。仕事上新しい姓を尊重して、李さんって呼ぶじゃない。すると古くからの患者さんが、聞いてくるのよ、山田さん離婚したのかってね。それって個人情報だから言えないでしょ。別姓なのよって言ってあげた方が本人のためと分かっていても言えないし。勝手に離婚したらしいってウワサになったり、私が言ってなくても私から聞いたなんてことだってあるじゃない。もうイヤになってしまう。」

教子「華子だから話すけど、教師辞めようかと思っているのよ!」

華子「どうして、教師になって立派な人を育てて、社会貢献するんだって燃えていたじゃない!」

教子「それがさ~、民法改正になった事でいろいろ人間不信になってしまって!」

華子「たとえば?」

教子「家庭訪問してたら、私生児(非嫡出子)だと思っていた子供の家に、真新しい表札が付いていてね、その子のお父さんがクラスメートのお父さんだったのよ。ビックリよ。当然、子供どうしは知らないのよ。婚姻していた子供の家も別姓を選択したから表札は2つで、どっちが法律的夫婦か他人には分からないじゃない。そして、民法も改正され遺産の相続が、実子と私生児(非嫡出子)の区別がなくなり、同一になってから本妻と内妻の立場の差がなくなったように見えるのよ。本妻は暗くなり子供に感染しているのが分かるのよね!」

華子「そう言えば、夫婦別姓といっしょに、離婚原因に“5年以上の継続別居”を追加されたでしょ。それで歯科衛生士の純子がルンルンなのよ。先生は養子だから暗かったけど、阿久津歯科医院はそのままで、一人息子が阿久津医院を継ぐことになっているじゃない。先生は旧姓に戻してから明るくなってね。純子のマンションに行ったら真新しい先生の表札が付いていたのよ。別居してから5年以上になっていたけど、奥さんは、先生が単身でマンションに住んでいると思っているけど、実際先生は自分のマンションでなく、純子のマンションに住んでいたことを奥さん知らないのよ。新しい法律で簡単に離婚は認められるし、純子と先生の間に2人の子供がいて、その子供たちに相続の3分の2がいくからね!」

教子「もう日本も終わりだね!辞書から不倫って言葉なくなるじゃない。」

華子「婚姻届が意味がなくなるね。事実婚とか重婚と大差なくなってしまって、家族の絆って死語になったよね。たしか、福島瑞穂さんって事実婚だったよね。福島さんの家庭の利益になるように、日本の法律が改正されたってことじゃない。冗談じゃないわよね!」

教子「こないだ、生徒のお母さんが病死して葬儀に行ってきたけど、お清めの席でもめていたのよ。」

華子「なにが!」

教子「墓よ!墓。墓ってだいたい、なになに家の墓ってなっているじゃない。それで、亡くなったお母さんが別姓にしていたので「姓」が違うので、どうしようってことなのよ!」

華子「そこまで、考えてなかったじゃない!日本の墓の、かなり問題になるってことね!」

教子「夫婦別姓を含む民法改正前の2009年10月27日に、憲政記念館で開催された“日本解体法案阻止請願受付国民集会”で司会の西川京子先生が、『なぜ、夫婦別姓が必要なのか、現在すでに戸籍(身分証・パスポート)などに旧姓を併記できるようになっているのに、夫婦別姓を求める人達の目的は他にある』って言っていたのよ!やっぱり、そうだったのかってね。」

華子「患者さんの評論家の先生が言っていたけど、夫婦別姓は社会主義思想で、家族の絆とかの伝統を壊しバラバラにして社会主義国家を建設する目的があったんだって!」

教子「そうなのよね。民主党は戸籍制度の廃止と外国人参政権付与も法律化しようとしているじゃない。鳩山首相は,“日本列島は日本人だけのものじゃない”って言っていたじゃない。日本が日本じゃなくなってしまうよね!」

華子「その目的はなに!」

教子「信じられないけど、最終目的は『皇室の廃止』だと思うよ。」

華子「家族の絆が壊れ、地域社会もおかしくなってきたし、なんか日本がバラバラになってきているしね!」

教子「いま、華子と話していることも“人権擁護法案”とか“人権侵害救済センター法案”とかが通ったら、華子も私も逮捕されると思うよ。」

華子「まさか!」

教子「まさかじゃないのよ。人権擁護なんて名称に騙されているけど、実際は“平成の治安維持法案”なのよ。裁判所の令状なしで自宅などを捜索できる怖い法律なんだよ。」

華子「国会議員はなにやっているのかな!」

教子「国会議員ってあまり勉強してないからね。頼りになった中川昭一先生がいなくなってしまったし。」

華子「だけど、それらの変な法律の目的が、皇室廃止を狙っていることを国民が知ったら怒るでしょうよ!」

教子「それがね!夫婦別姓の時もそうだけど、マスコミ特にテレビは報道しないから、国民が知らないうちに日本が壊れるってことなのよ!」

華子「それじゃ、どうしたらいいの」

教子「インターネットで、友達とか国会議員とかに危険性を発信するしかないのよ。そうそう、亀井静大臣は、それら日本解体法案に反対していたから、国民新党にバンバンFAXとかメールでお願いすることが、今、できる有効なことだと思っているのよ!」

華子「今日帰ったら早速やらなきゃね!」

教子「あまり無理しないで、淡々と継続することが大事なことだからね!頑張ってね!」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

sakuya

大保守勢力への期待??
記事に関係ないのですが
日本を守る動きが大きくなっているようです
お知らせしておきます
ニューヨーク 田母神俊雄・西村眞吾・饗庭直道パネル・ディスカッション
瀬戸氏の記事になっていました

田母神氏・西村氏と幸福実現党
夏の参院選挙を見据えた動きなのか?
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52438403.html
 この記事には驚かされました。
http://happinessletter.blog111.fc2.com/blog-category-3.html
来たる3月25日、

「ニューヨーク 田母神俊雄・西村眞吾・饗庭直道パネル・ディスカッション」の開催が決定しました!!

http://www.tamogami-world.com/

 田母神俊雄氏と言えば。最近(2月2日)に「頑張れ日本! 全国行動委員会」というチャンネル桜系の運動団体の代表に就任したばかりです。

 我々とはかなり立場を異にする人たちの集まりと私は考えているので、興味もなかったし取り立てて論評する必要もないと思ってみていました。

 調べたわけでもないので良く知りませんが、この「頑張れ日本!全国行動委員会」は日本会議などの日本の保守勢力が総結集して作ったものであると言われていました。

 その全国行動委員会の代表が幸福の科学が支持母体となった幸福実現党の広報本部長・饗庭直道氏とニューヨークでパネルディスカッションを行なうというのです。

 又、そこには同じく保守政治家として著名な西村眞吾氏も出席するということです。この取り合わせには正直驚きました。これは田母神氏や西村氏を応援する日本の保守勢力が幸福の科学と事実上提携したと考えても間違いなさそうです。



杜若

No title
ねずきち様や椿様の述べる
>先日、椿さんからいただいたコメントに、「朝鮮民族はまさに『百害あって一利なし!』」というものがありました。

というものは、単に偶然とは思えません。
多分、これを分析していけば必ず答えが出ます。‥‥あえてそれをやろうとは思いませんが(彼らのやるべきことを奪っても仕方がありません。しかしいつまでもやらないのでしょうね。だからいつまでたっても変われない、、と言っておきましょう)。

朝鮮が係われば、必ず朝鮮側が破れる。ジンクスのようで、ジンクスではないと思います。
それなりの理由があってのことです。
それほどに、劣化が激しい民族なのです。いいかげん日本人はこのことに気が付くべきでしょう。
肝心な時に、必ず逃げ腰になりまさに決壊に至る穴をあけてしまうようなところがあるからでしょう。これだけ重なればそれはよっぽどと言わざるを得ません。

杜若

No title
薩摩藩には特殊な剣法が存在します。示現流と呼ばれるものです。
その流祖とされるのが、東郷重位と呼ばれる方です。

詳しくは、東郷重位
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E9%87%8D%E4%BD%8D
でごらんください。

これから書くことも、歴史小説からの知識ですのでそのへんはご勘弁願います。知っている方も多いとは思いますがせっかくの機会ですので私の覚えている範囲で書きたいと思います。

示現流を学ぶ方からはお叱りを受けるかもしれませんが単に感想に近いものです。
この流派の特徴は、打ち込みの速さを何よりも重視するところにあります。とてもシンプルな考え方なのですが、しかしそれこそが、もっとも重要なんだと思います。
単純な打ち込みも長年の修行により、どのような技量に長けた他の流派をも微塵に下すほどのものになる。

薩摩の風土とは、昔から男っぽいものとされていますが、多分、その風土とも絶妙にマッチしたのでしょう。

剣道をされている方にはよくお解りでしょうが、剣道では自然と気合のこもった声が出ます。それはどんな性格のかたであっても共通しているように思います。
私も、普段は大声などめったに出しませんが、剣道のときは別でした。
恥ずかしいなどとは言っておれません。自然とでるものなのです。

そういったことと、薩摩の風土、そしてどこまでもシンプルに徹した、示現流という流派が生み出したのが、島津軍だったのではないかと思います。

示現流は最初は゛自顕流"と呼んでいたようですが、誤解を生む可能性があるからと、名を改めたといいます。
多分、その名の由来は、単純な剣法とは言ってもそこに仏法の悟りにも似たものを感ずる境地があってのことではと思います。
薩摩の強さは本来的なものでしょうが、その鬼に金棒となったのがこの示現流だと思います。

必死
この様な事は教えられないので「韓国教科書」を見ると必死で歴史を「新造」「ねつ造」して生徒に教えています。
日本書紀が無ければ「百済」も判らない国です。加えて大陸政権が変わるたびに日本を攻めています。
大陸政権に日本攻撃を「チクル」のは日本が羨ましいと考えていたのでしょうね?

0otama

天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
■F.A.v.ハイエク Friedrich August von Hayek
(国内政治において)
主権がどこにあるかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである。
立憲政治は制限された政治であるので、
もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこ(立憲政治)に主権の入り込む余地はありえない。・・・
無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる法(国法・伝統・慣習)がある立法機関(ある一世代のある一時期の国民の代表者にすぎない集団)の計画的な決定(法治主義による立法権)から生まれる、という誤った信念に由来する迷信である。
国法・伝統・慣習は過去の祖先から世襲した叡智の中にあるのであって、永い歴史の中のある一世代のある一時期の国民の代表者にすぎない集団が立法によってつくりだすものではないということ。つまり「法」と「法律」の相違についての無理解による。

■自衛隊法第2章第7条 総理の指揮監督権
1. 内閣総理大臣は内閣を代表して「自衛隊の最高の指揮監督権」を有する。

■大日本帝國憲法第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

PPG

甘えはいけないかも
 お邪魔虫は甘えさせないほうがいいかも。閲覧しているだけにします。

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No title
PPGさんへ
つ「人は間違う生き物」
つ「前進あるのみ!」

PPG

先のコメントについて
 先のコメントは小林秀雄氏をどう見るかに端を発していますが、彼の文藝評論家としての偉業を否定するものではありません。問題なのは戦後、彼を利用した者たちとみています。短文で説明もなく頭ごなしに書いたのは多分の誤解を招く恐れがあり、まずいコメントをしたものだと思っています。逆系譜として書いているため、水と油を系譜に連ねているのもまずい。困りましたね。どうしましょ。退場、退散、逃避行が懸命かも。

鳩山風PPG

朝令朝改でしつれい
 一見難解な単語の羅列。難解を以て権威を擬装し読む者を攪乱して憚らぬ。これポストモダンの常套手段。一つに小林某、福田某、大江某、そして山崎〇太郎の系譜在り。

pantera rosa

理ハ定準無キモノ
徂徠(荻生徂徠)は「理ハ定準無キモノ」だということをしきりに言う。理は、おおよそ事物に自然にあるものだが、この事物の条理を推度(すいたく)するのは心である。だが、人々の心は、その面の殊なるがごとく、殊なるのであるから、物の理を説いても実は各人が、自分に見えるところを見えると言い、見えないところを見えないと言っているに過ぎないのである。つまり定準がない。だから定準を得ようとして、理学者になり、窮理に赴くのだが、天下の理を究めることは誰にもできまい・・・徂徠は、懐疑派でも非合理主義者でもない。事物に自然にある理を否定するのではない。理を探る心というものを思うのである。心の適くところ、いたるところに理に出会うのはいいが、世界は理だとか、理のうちに世界があると言い出すなら、理という言葉に酔っているだけなのである・・・徂徠たちの学問に、厳密な方法がなかったということは、裏返していえば、何のことはない。今日の学問よりはるかに生活常識に即していたということなのである。小林秀雄『考えるヒント』

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No title
山本常朝が葉隠のなかで「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と書いてあります。
これは多くの人が知っていますが、彼自身は「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」とも書いてあることは余り知られていません。

日本人の特攻は人生を命を自他を含めて尊いものと理解できているからこその自己犠牲なのだと思います。

なにかの宗教のように自爆テロで敵を倒せば「天国にいける」と言うような独り善がりの矮小なものでは全くない。

ねずきち様、素晴らしいお話をありがとうございます。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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