日心会チラシ「楠木正成と七生報国」



人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

日心会チラシ


実はいま、日心会では、過去のねずきちブログのエントリーから、日本の心をつたえる良い話を抜出し、これをあちこちに紙で、お届けできるように準備を進めています。

ブログはある意味「私的な日記」なので、少々の字句の間違いや表記や文法の違い、あるいは年号の間違いなどは許容範囲にあるといわれていますが(すみません、ねずきちブログはホント、誤字が多い;;;)、紙媒体で、しかも「会」としてこれを発行するとなると、そうはいきません。
きちんとした編集作業が必要になります。

そこで、日心会の皆さんにお願いして、文法や字句、史実の確認等を行っていただき、きちんとした編集作業を行ったうえで、紙媒体として印刷するようにしています。

また、標題の下には要約を入れ、さらに段落ごとに小見出もつけ、改行場所なども工夫して、文章の加工をしていただいています。

やってみるとわかるのですが、この編集作業というのは、非常に繊細で時間のかかる仕事です。
しかし、こういう地道な作業がなくしては、紙にして対外的に出すことはできません。
ご協力いただいているみなさんには、この場をお借りして深く御礼申し上げたいと思います。

紙の全体のデザインは、本職のデザイナーのislandさんにお願いしました。
編集の総責は、やはりプロのやまねこさん。
そして編集に際しては、kazuママさん、うまし太郎さん、bbさん、桜文鳥さん、ke-goさん、自転車屋さん、かめぞうさん、マサキさん、ぴのさんにお願いさせていたいだいています。

以下にご紹介するのは、そうして、みんなのちからでできた最初の第一版「楠木正成と七生報国」の本文です。

文章が非常にわかりやすく仕上がっていると思います。

ちなみに楠木正成といえば、戦前は、いまでいう坂本竜馬と同じくらい人気があって、だれもが知っていた人物です。

水戸黄門が世に蘇らせた風雲児でもあります。

いまの日本人に、きっと「なにか」を感じさせてくれる物語だと思います。

~~~~~~~~~~
【題名】楠木正成と七生報国

【サブタイトル】
 死して日本精神を残した猛将

【要約】
敵をして「勇士とはこの様な者を申すべき」と言わしめた楠木正成。大義を貫き、戦死を覚悟で逍遥と戦場に赴く姿は「忠臣の鑑」「日本人の鑑」として讃えられました。吉田松陰、真木保臣、坂本龍馬など多くの志士たちが、正成の墓に参り、明治の新しい国づくりに大きく貢献したといいます。多くの先人や英霊たちが敬愛した正成の足跡を物語の中に追い、いま私たちが忘れかけている日本人の誇り、日本人の魂とは何なのかを考えてみます。

【本文】

●わずか六年間の物語

 楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した河内(かわち)の武将です。
 鎌倉幕府に抵抗し、最後まで勤王をつらぬいたことから、明治以降は「大楠公(だいなんこう」と称されました。
 しかし、正成の出自について、正確なことは何も分かっていません。日本史上、非常に有名でありながら、これほど出自が謎に包まれた人物も珍しいと言われています。

 歴史的に確かなのは、元弘元(一三三一)年の挙兵から、建武三(一三三六)年の自刃まで、わずか六年ほどの間の物語にすぎないのです。

●天皇の蜂起に応えた知謀の将

 時は鎌倉時代末期。すでに幕府の実権は、北条氏の手に握られていました。政治は混迷を極め、腐敗や横領が蔓延し、幕府の権威も失墜していました。
 民は重税に苦しみ、世の秩序も乱れに乱れていたといいます。
 これを見かねた後醍醐(ごだいご)天皇は、幕府打倒を企てますが、二回も計画が漏れて失敗してしまいます。

 元弘元(一三三一)年、二度目の失敗のあと身の危険を感じた後醍醐天皇は、準備も整わないまま急遽(きゅうきょ)、三種の神器をもって挙兵します。そして
幕府に不満をもつ諸国の武将や豪族などに蜂起(ほうき)を呼び掛けました。
 しかし、世が乱れているとはいえ、まだまだ幕府軍の力は強大です。
 世の武家や豪族たちは、世の中の乱れを憂いながらも、倒幕となると恐れをなしてしまいます。

皇居前広場に建つ楠木正成像
皇居前広場に建つ楠木正成像


 倒幕の旗印を掲げた後醍醐天皇のもとへ駆けつけた数少ない武将の中に、楠木正成がいました。
 後醍醐天皇は、正成に質問します。
「勝てる見込みはあるのか?」
 正成は答えます。
「武芸に勝る関東武士に正攻法で挑(いど)んでも勝ち目はありません。しかし、知謀(ちぼう)を尽くし策略をめぐらせば勝機は必ず生じます」
 その後、正成は居城の赤坂城で、後醍醐天皇は京都の笠置(かさぎ)山で幕府軍と戦います。

●奇策に奇策を重ねた赤坂城の戦い

 正成の兵力はわずかに五百余り。これに対し、幕府は数万の討伐(とうばつ)軍を差し向けます。
 鎧兜(よろいかぶと)に身を包んだ重武装の幕府軍に対し、正成軍の兵は、まるで野武士の集団。兜もなく、上半身が裸の者までいました。
 そのため幕府軍の兵たちは、正成軍をなめてかかり、武功をあせるあまり、我れ先にと山城の斜面を勝手に登り始めたのです。
 兵が斜面を埋めた瞬間、ドドンという音とともに、突然、城の外壁が崩れ出しました。府兵の頭上に岩や大木が地響きをあげて転がってきたのです。
 この初戦だけで、幕府側は七百名も兵を失います。

 その後も正成軍は、藁人形(わらにんぎょう)であざむく、熱湯をかける、熱した糞尿を頭からかける(まさに焼け糞をかけた)など、奇策に奇策を重ね、幕府軍を翻弄し
ました。
 一対一で戦うことを名誉とする鎌倉武士と異なり、武勲にこだわらない地侍たちは集団での奇襲や奇策で戦ったのです。
 やむなく幕府軍は、力押しをやめて、いったん兵を引き、城を包囲して持久戦に持ち込みました。

 山城にとどまる正成軍の食料は、二十日で底をつきました。そこに、京都で後醍醐天皇が捕らえられたという急報が入りました。
 正成は城に火を放ち、火災の混乱に乗じて抜け道から脱出し、行方をくらまします。
 幕府側の武将たちは、誰もが「正成は武士の伝統に従って炎の中で自刃した」と考えます。そして、「敵ながら立派な最期だった」と言い合いました。
 これが、有名な「赤坂城の戦い」です。
 このように従来の価値観で動かず、型に収まらない発想と行動力が、正成の正成たる由縁で、後世、特に江戸期に楠木正成は大人気となります。

●良将は戦わずして勝つ

 赤坂城の戦いの翌、元弘二(正慶元)年十一月、自刃したはずの楠木正成が再度、挙兵します。
 これに対し、幕府は最強とされる精鋭部隊を差し向けました。
 このとき正成側の兵力数は、幕府軍の四倍もありました。なぜか、正成軍は謎の撤退をします。
 幕府の精鋭部隊はもぬけの殻になった天王寺をなんなく占領しました。
ところが夜になると、天王寺は何万という「かがり火」に包囲され、兵士たちは緊張で一睡もできないまま朝を迎えます。
 しかし、夜が明けても正成軍に動く気配はありません。次の夜になると再び無数のかがり火が周囲を包囲しました。
「正成の大軍は、いつ攻撃してくるのか……」
四日目、精神的にまた肉体的に疲労の極致に達した幕府軍は、ついに天王寺から撤退しました。
 実は、この「かがり火」、正成が近隣の農民五千人を集めて、焚き火をしていただけだったのです。
正成軍は一人の戦死者を出すことなく勝利します。

●諸葛公を彷彿とさせる天才的戦略

 翌、正慶二(一三三三)年二月。幕府は八万騎の大征伐軍を編成し、目の上のタンコブである正成追討を図ります。
 迎え撃つ楠木正成の軍団は、わずか千人。
 正成は赤坂城の背後の山上に築いた要害、千早城に篭城します。
 幕府軍は正成の奇策を警戒するあまり、城に近づくことができません。神出鬼没の相手には、やはり二年前の赤坂城と同様、兵糧攻めが一番と、千早城を取り囲みます。
 ところが、今回は勝手が違いました。
 なまじ八万もの大軍であるがゆえに、先に兵糧の底がついたのは、包囲している幕府軍のほうだったのです。
 正成の作戦は、目の前の大軍と戦わずに、その補給部隊を近隣の農民たちと連携して叩き、敵の食糧を断つというものでした。
 いわば、千早城そのものを囮(おとり)にするという、前代未聞の作戦だったわけです。
 山中で飢餓に陥った幕府兵に対し、抜け道から城内へどんどん食糧が運び込まれていた正成軍は、三カ月たってもピンピンしていました。
 やがて幕府軍からは数百人単位で撤退する部隊が続出し、戦線は総崩れになります。

●鎌倉幕府滅亡の引き金となる

 八万の幕府軍がたった千人の正成軍に敗北した事実は、すぐに諸国へと伝わりました。

「幕府軍、恐れるに足らず」
 これまで幕府の軍事力を恐れて従っていた各地の豪族が次々と蜂起し始めます。
ついには幕府内部からも、足利尊氏(あしかがたかうじ)、新田義貞(にったよしさだ)などの源氏直系の大物豪族たちが公然と反旗を翻(ひるがえ)し始めました。
 足利尊氏は、京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落とし、新田義貞は、鎌倉に攻め入って北条高時(ほうじょうたかとき)を菩提寺である東勝寺で自害させたのです。

 千早城をはじめとした正成の奮戦は、鎌倉幕府の権威を決定的に失墜させ、諸国の武将に倒幕の機運が到来したことを知らしめました。結果、百四十年続いた鎌倉幕府は滅亡します。
 そういう意味で正成の功績は、尊氏や義貞以上と言っていいかもしれません。
 同年六月、楠木正成は、後醍醐天皇を迎えにあがり、都への凱旋(がいせん)の先陣を務めます。

 ちなみに、赤坂城、千早城の合戦の後日、正成は、敵と味方の戦没者を弔うために、供養塔(五輪塔)を建立し、高僧を招いて法要を行ないました。
 正成は敵の戦没者の供養塔に「敵」という文字を使いませんでした。代わりに「寄手(よせて・攻撃側)」という文字を使ったのです。
 そして、寄手の塚を、味方の塚よりひとまわり大きくしました。

千早赤阪村営墓地の一角に残る「寄手塚」
千早赤阪村営墓地の一角に残る「寄手塚」


 味方の勝利におぼれ、敵のことなどいっこうに顧みない戦国武将が多い中で、こうした正成の誠実な人柄は、際立っています。この供養塔は、現在も千早赤阪村営の墓地に残っています。

●味方に通じない「正成の義」

 翌、建武元(一三三四)年。後醍醐天皇は朝廷政治を復活させ、建武の新政をスタートします。
 楠木正成は土豪出身でありながら、河内、和泉の守護に任命されました。
 後醍醐天皇は、天皇主導の下で戦のない世の中を築こうという理想のもとに、恩賞の比重を公家に高く置き、武士は低くしました。
 また、早急に財政基盤を強固にする必要があるとして、庶民に対しては鎌倉幕府よりも重い年貢や労役を課しました。
 朝廷の力を回復するためとはいえ、こうした性急な改革は諸国の武将の反発を呼び、建武二(一三三五)年十一月、足利尊氏が武家政権復活をうたって鎌倉で挙兵します。
 京へ攻め上った尊氏軍を、楠木正成、新田義貞、北畠顕(きたばたけあきいえ)家ら天皇方の武将が迎え撃ち、尊氏軍は大敗を期し、九州へと敗走します。

 しかし正成は、この勝利を単純に喜ばなかったといいます。
 なぜなら、逃げていく尊氏軍に、天皇方から多くの武士が加わり、一緒に去っていったからです。
「天皇方の武士が、ここまで尊氏を慕っている……」
 新政権から人々の心が離反している現実を痛感した正成は、戦場から戻ると朝廷へ向かい、後醍醐天皇に、涙ながらに進言します。
「どうか尊氏と和睦(わぼく)して下さい」
 ところが、公家たちにはこれが通じません。
「なぜ勝利した我らが、尊氏めに和睦を求めねばごじゃらぬのか。不思議なことを申すものよ」
 正成は公家たちに嘲笑され、罵倒(ばとう)されます。

●「正成存命無益なり」

 建武三(一三三六)年四月。いったん九州に疎開したあと、多くの武士、民衆の支持を得た尊氏が大軍を率いて北上を開始します。
 後醍醐天皇は「湊川(みなとがわ・現、神戸)で新田軍と合流し尊氏を討伐せよ」と正成に命じます。
 「討伐」といっても、今や尊氏側の方が大軍勢です。正面からぶつかって、勝てるものではありません。
 楠木正成は、次のように進言します。
「私は河内に帰って兵を集め、淀の河口を塞いで敵の水軍を足留めします。帝は比叡山に移ってください。京の都に尊氏軍を誘い込んで兵糧を使い切らせ、北から新田軍、南から我が軍が敵を挟み撃ちすれば勝利できましょう」
 これに対し公家たちは「帝が都から離れると朝廷の権威が落ちる」と反対し、案を却下します。
 有事と平時の区別がつかなかったのです。

 失意の中、楠木正成は、湊川に向かって出陣します。このときすでに、天皇の求心力は無きに等しい状況でした。
 尊氏軍三万五千に対し、正成軍はたったの七百です。戦力差は何と五十倍です。正成は決戦前に遺書とも思える手紙を後醍醐天皇に書きます。

「今度の戦は、必ず我が軍が敗れるでしょう。民の心で計れば、それは明白です。
 かつて、民の心は天皇と通じていました。
 しかしこの度、私が軍を起こそうとしても、親類や一族の者すら賛成してはくれませんでした。
 いま民の心は天皇から離れています。
 ならば私は生きていても仕方ありません。今度の戦いで、真っ先に命を落とそうと思います(正成存命無益なり、最前に命を落すべし)」

 彼はこの書状を受け取った天皇が、目を開いて現実を直視するように心から祈りました。

●死ぬときの一念「七生報国」

 五月二十五日。湊川で両軍は激突します。
 海岸に陣をひいた新田軍は、海と陸から挟まれ、あっという間に総崩れとなりました。
 そのため正成に合流できなかったばかりか、足利軍に加わる兵までいる始末です。
もはや、戦力の差は歴然としています。誰の目にも、勝敗は明らかでした。
 尊氏は、何とかして正成の命を助けようと、再三降伏勧告をします。しかし、正成軍は鬼気迫る攻撃を繰り返します。
 このままでは自軍の損失も増える一方です。
 尊氏はついに一斉攻撃を命じました。
 多勢に無勢。六時間におよぶ戦いで、正成軍はわずか七十三人になってしまいます。

 最期をさとった正成は、生き残った部下とともに民家に入ります。そして弟、正季(まさすえ)に問いかけました。
「人は死ぬときの一念で転生が決まるという。お前は何を願うか」
「七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい」
 正季は答えました。
「自分も思いは同じだ。いつかこの本望を達しよう」
 そう兄弟で誓い合うと、死出の念仏を唱えて家屋に火を放ち全員が自刃しました。
 このとき誓い合った言葉としていまに伝えられているのが「七生報国(しちちょうほうこく)」です。
 正成の首は、一時、京都六条河原に晒(さら)されましたが、死を惜しんだ足利尊氏の特別の配慮で、故郷の親族へ丁重に送り届けられました。
 尊氏側の記録『梅松論(ばいしょうろん)』には、敵将である正成の死を同情的に記しています。
「誠に賢才武略の勇士とはこの様な者を申すべきと、敵も味方も惜しまぬ人ぞなかりける」

●主君に忠誠を捧げた人間の鑑(かがみ)

 尊氏没後、室町幕府は、北朝の正当性を強調するために、足利軍と戦った正成を「逆賊」として扱いました。
 正成は朝敵の汚名を着せられたのです。
 たとえ胸中で正成の人徳に共鳴していても、朝廷政治より武士による支配の優秀さを説く武家社会の中で、後醍醐天皇のために殉じた正成を礼賛することはタブー視されていました。

 その楠木正成を、再び世に出したのが水戸黄門で有名な徳川光圀(みつくに)です。
 元禄五(一六九二)年、徳川光圀は正成の忠義を称え、立派な墓碑を建立しました。それまで正成の墓は、碑石も建てられていない荒れた状態だったそうです。
 新しく建てられた墓碑には、光圀直筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字が彫られています。

兵庫県湊川神社にある楠木正成の墓碑
兵庫県湊川神社にある楠木正成の墓碑


 光圀は、「逆賊であろうと主君に忠誠を捧げた人間の鑑(かがみ)であり、全ての武士は正成の精神を見習うべし」と、正成の名誉回復に努めました。
 明治五(一八七二)年には、明治天皇の命により湊川神社が創建され、正成の忠義は、国中に響きわたりました。

●もの言わぬ英霊たちの魂

 楠木正成は、大東亜戦争を戦い抜いた日本軍の将兵に「皇国の最大の英雄」として慕われました。
 人間魚雷「回天(かいてん)」出撃の際には、正成の軍旗に記されていた文字「非理法権天」と書いたのぼりが掲げられ、その本体には楠木一族が用いていた紋所、「菊水」が描かれました。
「非理法権天」というのは、「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」という意味で、「人は天道に従って行動すべきである」という教えです。

 人を思いやり、和をもって貴しとなす日本という国の文化や伝統、そして誇り。
 たとえ相手が自分より数十倍上回っていても、勇猛果敢に戦いに臨む精神。
日本人としての誇りと精神を守るため、「七生報国」を合言葉に散華された二百四六万の英霊たち。
 私たちには、もの言わぬ英霊たちの魂に耳を傾け、英霊たちに恥じない日本の国を、後世に残していく義務があるのではないでしょうか。

 ↓クリックを↓
人気ブログランキング

楠木正成


日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
登録無料!! ご入会は、
①ハンドルネーム
②お住まいの都道府県
③メールアドレス

の3つを書いて、assist@nippon-kokoro.com にメールするだけ。
ご入会受付後、メーリングリストへの招待メールをお送りいたします。
この機会に、あなたも是非、どうぞ^^♪
日本の心をつたえる会ロゴ
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  ねずさんの学ぼう日本の最新記事が届くよ! /

あわせて読みたい

こちらもオススメ

コメント

-

No title
開創年代は不明。開山は仏僧国師約翁徳倹。開基は木下源太と伝えられる。
『摂津名所図会』に元弘3年(1333年)5月晦日に後醍醐天皇が隠岐から京へ戻る途中に入り、6月朔日、
大般若経を転読させたとある。
天正年中(1573年~1591年)兵火にあい焼失、のち再建。
史跡後醍醐天皇駐蹕之處
赤松則村(円心)父子、楠木正成と部下七千騎が出迎えた寺として知られる。
『福厳寺塔頭』 境内には塔頭二ヶ寺、起雲庵、常牧庵があったが、 明治後合併廃寺されて、
名目上に方丈〔内殿〕は起雲庵と言う事になった。
また和田岬にあった尼僧寺院、円通寺〔円通庵〕も現在は福厳寺に合併されている。

審議委員

見え透いたマネはやめろ、PPG
オイ、大概にしろよPPG。
「応援しています」って、アンタの自作自演だろ? あまりに見え透いてんだよ。あんなコメ、わざわざ送る奴いるかよ? もう子供じみたオフザケはその辺でやめろ。何よりブログ主さんに失礼だろ。好意にいつまでも甘えるな。
自分で言った以上、潔く消えろ。コソコソしたマネはもうするな、目障りだ。

このブログの愛読者より

>私はもう参加しません。さようなら。


そう言いながら、舌の根も乾かないうちに、また出てくるんだろうな…。HNを変えてね…。今度はなんて名乗るんだろう? そしてまた、真偽不明の実証の仕様のない、怪しげなコピペを貼り続けることだろうね。
ホントこの人、結局何が目的なんだか……

応援しています

PPG様応援しています。
PPG様へ
応援しています。先々、また、コメントをよろしくお願い致します。
核心をついたコメントで、私自身は、大変勉強になっています。
たぶん、PPG様のコメントに共感している人、勉強になったと感じた人は、私以外にも、大勢いると思います。

PPG

誤りを正せ!(2)
 さらに、当初からテレビと深い関係にあった興業界は、在日や解同を出演させて著名にすることで、政治的な工作を可能にすることに成功した。在日組織で養成された反日エリート(=工作員)をテレビに出演させ有名にさせた。彼らの言動により視聴者に多大な影響を与えることが可能となった。
 在日や解同らを著名にするシステムが確立された事で、政界への進出も容易となった。テレビ出演者の票獲得能力は絶大で、日本の政界は偽装帰化議員で溢れる事になった。
 それは既に自民党時代から始まっていたが、民主党政権誕生はその集大成と言ってよい。
 早い話が日本は終わっているのだ。

※在日通名特権はマスコミ工作に絶大な効力を発揮した。
※朝鮮カルト(含朝鮮系似非キリスト教団)、(朝鮮)パチンコ、(朝鮮)広告代理店とテレビの関係も無視出来ない。
※NHKの決算報告書を売国議員がするのでなく、一般の良識ある日本人がきちんと精査すべきである。特亜系コンテンツの放送権料、演歌番組を中心とした在日系芸能事務所への出演料(→裏社会)、在日系外部プロダクションへの番組制作費にいくら拠出したのか、など。また、NHKの幹部及び労組三役、NHK関連会社の経営陣の出自を調査すべきである。在日や解同がウヨウヨいるはずだ。現在は華僑も相当いるに違いない。

(以上)

PPG(最後の投稿)

誤りを正せ!(1)
 場がシラケてしまいましたので、インチキ原稿を貼っておきます。私はもう参加しません。さようなら。

 全ては英米からの「対日植民地化阻止」及び「対アジア植民地解放」から始まった。この日本国の“壮大な正義”を否定したのが英米を中心とした連合国であり、東アジア地域で妨害したのが中ソであった。日本は負けるべくして負けた。
 戦後の日本は戦勝国支配体制となった。GHQは、東京裁判、マッカーサー憲法制定、軍閥(財閥と詐称)解体、公職追放、農地法改正、航空宇宙技術開発禁止、戦艦造船禁止措置を実施した。
 特に注目すべきは日本の共産化であり、政治犯を刑務所から釈放し、日本共産党と合流させた。東大学長や教授にはマルクス・レーニン主義の大家が就任し、特に社会学、近代歴史学、法学教授に共産主義者が就いた。「日教組」なる外人部隊(国籍不明者)も組織された。「労組」から「慈善団体」までありとあらゆる生活環境に日本を敗戦のままに置く組織が形成された。これらの共産主義者には在日及び解同が多数含まれていた。それは、日本共産党と在日の戦後史を辿る事で実証済みである。
 戦勝国支配体制に言論統制は欠かせなかった。昭和28年ごろから始まったテレビ放送には特に力を入れた。テレビが一家に一台となるまで普及する頃には、放送局はアメリカが割り振った役割分担が出来上がっており、大別して「左翼志向のプロパガンダ・メディア」と「日本人の白痴化を目的とした保守系メディア」に分類され、前者はニュース、ドキュメンタリー、ディベート、フォーラムに力を入れ、捏造された歴史を垂れ流し定着させることに終始した。後者はおざなりのニュース以外は全くやらないというスタンスで「面白くなければテレビじゃない(フジテレビ)」などというスローガンを掲げ、日本人の白痴化を目指した。
 また、娯楽を中心としたテレビと興業界の結びつきは緊密となり、裏社会の介入を可能にした。裏社会と言えば、在日と解同が暗躍する世界である。テレビはその宣伝能力の高さから巨大な市場を産み出した。経済規模が巨大化したことから暴利を貪る裏社会の格好の標的にされることとなった。
 同時にテレビは、出演者を有名にし、有名になることがあらゆる面で有利になる時代が到来した。テレビ出演料はもとより、著作物や関連グッズが飛ぶように売れ、雑誌からも引っ張りだことなるなど、有名イコール億万長者と言われるほどになった。

(続く)

PPG

〉楽仙堂さん(これじゃあ立候補者は皆落ちる)
 パスワードねぇ?
 パスワードで削除も訂正も可能ねぇ?
 それが出来るくらいならやってますがな。
 携帯でそれが出来るなら苦労しませんよ。
 それより「死んだふり」しているとこへ呼び出さないでくださいな。

楽仙堂

PPGさん・パスワードです
  その場の勢いで文章を書いていると、後で冷や汗が出ることがありますので、わたしはコメントする時は必ずパスワードを入力します。
  誤字なんかこっそり直すし、もう要らないやと思えば勝手に自分で消しに来ます。
 PPGさん。感情が漏れっぱなしですよ。なんだか、見るに見かねます。(うるさくてごめんね)

椿

日本の五輪委員会は、楠木正成の爪の垢でも呑んで、見習って欲しいですね。

『勝敗など、どうでもいい、たとえ策略や姦計にあっても、日本人は黙々と文句も言わずに頑張ろう!それが日本精神だ!』等と仰っている方がおりますが、本当にそうでしょうか

そういう事を言っている限り、これからもずっと“特アや海外勢力の姦計”に嵌められ続け、今回のオリンピックのように、 「正当な評価」や「メダル」を奪われ続けることでしょう。

それでも良いというのならば、こらからも、死ぬような思いで必死に頑張ってきた、 『日本選手の血と汗と涙の結晶』を無駄にし続けることでしょう

努力する事に意義があるのであって、メダルや入賞は関係ない」のなら、最初から、世界大会や五輪など目指さずに、日本でだけ頑張っていればいいんじゃないですか?

というよりか、正当な実力を持っている者が、 むざむざ八百長試合で負けてしまっている事が、正しい事でしょうか

本当に「日本精神」・「大和魂」・「武士道」を継承しようと思うのならば、そのような八百長試合に抗議の声を上げ、特アや海外勢力達の姦計や工作を事前に察知して、叩きつぶし、

本来、入賞やメダルを勝ち得るべき『真の才能ある者達』を“擁護”し“”となって、戦ってやることが、日本精神・大和魂・武士道を貫く事ではないでしょうか

そうやって、戦ってやるのが『正義』であり、誠を貫く『大和魂』ではないのですか?

素晴らしい笑顔と技術で十分❤」なんて言ってるんだったら、 最初からオリンピックに出て、競い合う事も無いでしょう?日本で滑っていれば良いじゃないですか?

無能な日本オリンピック委員会は、『楠木正成の爪の垢』でも飲んで、見習ってほしいと思いますね。



応援しています

PPG様へ
PPG様へ
数あるブログのコメントの中でも、物事の本質を見抜いた素晴らしい内容と思い、いつも感心して読んでいました。表面だけのやさしいコメントなら、誰でもできます。
PPG様のようなコメント内容が、今の日本人に一番欠けている点だと思います。
応援しています。
今後も、コメントを継続して頂けたら大変有り難いです。
どんな内容のコメントでも、批判する方は、必ずいます。
批判のコメントは、気にせずスルーして、流して頂けたら助かります。
勉強になる内容のコメントでしたので、今後も、どうぞよろしくお願い致します。

そー

大好きな正成公の記事をありがとうございます。
楠木正成公のだいっファンです。
小学生の時、子供向けの偉人伝や歴史物をちょこちょこ読みましたが、正成公の話を読んだ時には涙が~止まりませんでした。以来、公のように生きたいと願いつつも、現実に翻弄されてます。

杜若

No title
楠木正成という方は、人の心の本質とか組織の成り立ちの要諦など、どこが重要な要かを捉えていたと言うことでしょうね。
だから、表面しか見えない人にはとらえどころがなくても間違わない。
そんな気がします。今の政治家にも近視眼的でしか物事を捕らえれない方々が多いですよね。権力におもねり、金魚のふんみたいななさけない小沢チルドレンなんて人達もいる。

楠木兄弟が七生報国を願われたなら、今この時にその生まれ変わりの方が、おられても不思議ではないはずですね。
今こそ、この世に七生のうちの一生としていてほしい。

コイワイ

昨年1月湊川神社に行きました。
たまたま、我が家の家紋が菊水で楠木正成公と同じなのだと聞かされていたので、ある機会を利用して昨年1月に湊川神社に参拝しました。
http://hatijyou.exblog.jp/10185217/
徳川光圀が楠木正成公を埋もれた歴史の中から表舞台に出したことは、恥ずかしながら、そこで初めて知りました。
嗚呼忠君楠子之墓の墓碑の裏側に碑文が書いてあります。それを書いたのは、明国から亡命してきた儒者、朱舜水です。朱舜水は漢人です。明が清に滅ぼされた時に日本に亡命してきました。出身は現在の中国浙江省余姚市(王陽明(陽明学の始祖)と同じ出身)、漢民族の国家が満州族に破れ、再興を期して日本やベトナム、台湾にも救援を求めたが願いかなわず日本に亡命したのだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E8%88%9C%E6%B0%B4
光圀は舜水を先生として迎えた。国家が滅ぶことを体験した舜水の心情は、光圀に伝わり、そこから水戸学、大日本史編纂に影響を与えたと想像するがそれほど間違ってはいないと思う。
湊川神社には光圀の銅像が昭和30年建てられた。その碑文を92才の徳富蘇峰が書いています。

人類の歴史は群集の力によりて運行せらるるも、群集の力は必らず指導者を待つて而して後動くものなり。所謂る一人にして百世の師たり、一言にして千秋の法たるもの是なり。乃ち我が徳川光圀公の如き寔に其の典型的人物と為す。公は徳川幕府の始祖家康の孫にして、家康の末子の頼房の子なり。徳川幕府威権赫々の初期に於て、我が国朝の淵源に遡り夙に尊皇の大義に徹し、水戸藩主庶政を刷新し、藩民を撫育し、老を恤み、窮を済い、農を勧め、工藝を隆にし、殖産、更生に其力を効し、更に彰考館を設け国史の編纂を創め、史才の士工お四方より招致し、人を脈して天下の秘庫を披訪し、以て史料を蒐集し、我が勅撰国史の祖たる日本書紀の根本原理を基調として、大日本史を述作す。此の如くして皇室中心の指導精神は以て我が日本全国に発育し扶植せられたり。乃ち徳川幕府の末期に際し、公の後裔入りて宗家を襲ぎ、十五第将軍となるや、大政を奉還し、恭順の忠誠を表したる、一に公の遺訓に由るものなり、公や其の先代の意に由りて巳むを得ず、其の兄を超て封を襲ぎたるを遺憾とし、其兄の子を養ふて其後を譲り、西山に退隠し汎く庶民に接し、禍機を未発に察し、獨決以て之を防止し、明末の志士朱舜水を待つに師禮を以てし、身は一穏士として、心は邦家百歳の後に及ぶ。気宇高濶、霊機活発、神儒佛諸士百家の説を取捨揀擇し、打て一丸となし、以て我が皇室中心、忠孝為本の用に供せざるはなし。乃ち公が湊川楠公墓畔に、嗚呼忠臣楠子之墓の碑を建てたるが如き、之が為めに楠公の精忠大節を中外に顕影し、天下後世をして楠公の純忠至誠の精神に景仰嚮往せしめ、世道人心を警発振作し、延て皇室中心の大義を我が日本全国に宣揚したるも、只だ此の一事を以て公を不朽たらしむるに足る。宣なるかな、後西天皇の備文兼武・絶代之名士の震言を公に賜いたりしことや。比口時局一変人心浮動に際し、有志の士相議し、楠公墓畔に公の銅像を樹て、併せて頌徳の碑を添へんことを企て、文を予に徴す、仍て不敏を顧みず、茲に其の大旨を掲げ、以て公の志趣を昭にす。蓋して公の皇室中心、忠孝為本の精神は天地を極め、萬世に亘りて其の光輝を赫灼たらしむ。固より予の区々言辞を竢たざるなり。
     火国後学蘇峰 菅原正敬 頽齢九十又二拝撰

-

No title
PPG様、日本を想う観点からは共通すると、個人的に思います。毎回、PPG様の文面も楽しみに読ませてもらっている一人です。先日書かれました故中川氏のおとうさま、田中×栄が原因と、記憶しています。

椿

楠正成のように、勇気を持って戦わなくてはね。

「子供手当に国籍要件が外されている問題」
「在日への生活保護費、年次5千億円」
「韓国から毎年漂流してくる数万個のポリタンクの問題」
「家族制度が破壊されると懸念される夫婦別姓を推進する議員がいるという問題」
「ソフトバンクモバイルが在日韓国・中国人に対して実施している特別割引の問題」
「人権救済法案、外国人地方参政権付与法案の成立を推進する議員がいるという問題」
「フィギュアスケート女子で、韓国側の不正審判工作によって、浅田真央さんが“銀”に泣いた問題」
「南京大虐殺を捏造し、南京大虐殺記念館を建てさせたのが、日本側の反日左翼によってなされた問題」
「主に沖縄基地問題を焚き付けてきたのは、沖縄県民ではなく県外から乗り込んで来た反日左翼であったという問題」

確かにPPGさんが仰るように、これ等は、日本社会の根幹を揺るがす『重大懸案事項』であると私も常に心配しています。

海外勢力による『日本解体工作』という事実に、日本人が目を瞑り続ける事は、日本人がどんな素晴らしい技術・素晴らしい精神性を持っていたとしても、『ザルに水』のような状態でしかないと思います。

まず危機感を持ち、“海外勢力工作撲滅・追放”に力を注がなくては、日本は、どんどん衰退していくばかりだと思います。

実際、外国人参政権付与反対運動で見せた日本人の勇気ある行動が、“なまくら・売国・日和見主義の代議士達”を動かし、先送りではありますが、“外国人参政権付与法案は実現しませんでした!”
これがいつもと同じように、「シナ・朝鮮と同じレベルに立って、抗議デモするなんて…」なんて事を言っていたのでは、この世界史上、稀にみる『悪法・外国人参政権付与法案』は、可決されていたことでしょう

臭いものには蓋」とか、「戦わなければならない厳しい現実」に、無関心・無視を決め込んだり、誤魔化したりすることは、決して“日本再起”の道につながるとは思えません。むしろ、どんどん“逆行し・悪化の一途”をたどるだけだと思います


PPG

私のコピペを削除しなかったブログはここだけ
 これからどうするかは検討してみます。
 これまでの私の我が儘を許容範囲内に留めてくださいましたブログ主一同様に感謝申し上げ、一旦休止したいと思います。

チャンコロ

PRGさん
だって貴殿は最初からウケ狙いで書いてるんでしょう。
だから笑ったんじゃないですか。
ククッ(笑)
違うのかなあ。
ま、そんなのどうでもいいや。
で、撤収と。

PPG

〉チャンコロ(←自分のことか)
 そんなコメントしていたら笑われますよ。よく読んでからコメントしてくださいね。

チャンコロ

RPGさん
オリンピックが極左の工作?
ククッ(笑)
いやあ素晴しい考えですなあ。
そんな工作をしているとは気が付きませんでしたわ。
大変なことになってますな。
RPG氏はJOCに抗議したら良いんじゃないですかね。
いやもう大変ですよね。
ここは楠正成の精神で行動あるのみですよ。
ご活躍期待してます。

PPG

〉雪の結晶(は何故六角形に発達するのか)
 なかなか悟りが早い方だ。
 「ねずきち」殿に八つ当たりしたのは私の甘えからだ。この点については謝罪したい。

雪の結晶

No title
>PPGさん

あなたの言い草は、ここの管理人さんに失礼ですよ。主張があったら自分でブログ開設してそこに書いてみればよいだけの話では?




PPG

現在日本で起きている問題は…
 日本人の感覚(常識)で解決しようとしても絶対解決しない。
 これだけはしっかり肝に銘じておくことだ。後悔するのは済ました顔している日本人だ。過去をいくら語ったところで何も行動しなければそれはただのボケ老人だ。

PPG

(無題)
 日本人が、ブログや掲示板によって、例えば「子供手当に国籍要件が外されている問題」「フィギュアスケート女子で、韓国側の不正審判工作(まだ疑惑の段階だが)によって、浅田真央さんが“銀”に泣いた問題」「南京大虐殺を捏造し、南京大虐殺記念館を建てさせたのが日本側の反日左翼によってなされた問題」「主に沖縄基地問題を焚き付けてきたのは、沖縄県民ではなく県外から乗り込んで来た反日左翼であったという問題」「在日への生活保護費、年次5千億円」「韓国から毎年漂流してくる数万個のポリタンクの問題」「家族制度が破壊されると懸念される夫婦別姓を推進する議員がいるという問題」「同じく、人権救済法案、外国人地方参政権付与法案など常軌を逸した法案の成立を推進する議員がいるという問題」「ソフトバンクモバイルが在日韓国・中国人に対して実施している特別割引の問題」などを知ったとき、何も感じないなら、それはそれでいいのでしょう、きっと。きっと誰かが解決してくれると思っているのでしょうから。
 淡々と告知する、論理的に論考を重ねる。それは結構な事で、感情的な発言によって説得力を欠くより懸命なやり方です。
 しかし、よく考えてみてください。現在の日本国内にはどうにも我慢ならない反日工作をしている生き物がいることは間違いありません。
(突然だが、コメントを打ち切る。バカバカしくなってきた)

PPG

核心に触れた証左(このコメントは先のエントリーの再掲載です)
 夜の書き込みだったので、気づかずに寝てしまいました。私に対する批判をどうも。
 まず、私は瀬戸、よーめんのシンパであるとか派遣員ではないことを断っておきます。意見は共通する部分はあるかもしれません。
 今回の私に対する批判ですが、戦後日本のおかしさの原因について、私の指摘が核心に触れた証左だと思っています。
 うぬぼれだと批判されても動じません。私はある信念を持ってコメントを書いたり、コピペを貼りつけています。それを皆さんに理解して頂けたらそれでいい。お邪魔虫でもやめません。敵が最も嫌がることを書き込みます。
 もっとも、ブログ主が参加を拒否されるなら話は別ですが。

▼▽▼▽

 追記します。確かにこのブログの趣旨は明確です。それと比較して私の書き込み目的はあまりにそぐわない。違和感を禁じ得ない。そういうことだと思います。
 私自身何度も迷い続けてまいりましたが、今一度考え直してみたいと思います。

-

楠公を語り回天を語るのならば、黒木少佐の話を抜かしちゃダメだよ。
そこん所が、ねずきち氏の半可通な所だな。

愛信

【八百長キムヨナの黒幕「ミョンヒ」と「平昌」利権】
【八百長キムヨナの黒幕「ミョンヒ」と「平昌」利権】

自分を見失くことなく、一歩一歩歩き続ける浅田選手へエールを
送るとともに、公正でフェアな大会に公正でフェアな大会になって
欲しい。業界に身を置く者として真実を皆さんに知って頂くために
読んで欲しいと思いました。

【中韓を知りすぎた男】より転載

【プルシェンコの署名!】
プルシェンコが正式に抗議するそうです!
みなさんで是非フィギュアスケートをあるべき姿にもどしましょう。
プルサポート署名
http://russport.3nx.ru/viewtopic.php?t=14

詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

めぇ

国を守る為ならば
>七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい<

私も同じ思いです。
非公開コメント

検索フォーム

ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年生まれ。浜松市出身。上場信販会社を経て執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。またインターネット・ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。「歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに」という理念を掲げ活動する。古事記・日本書紀・万葉集などの原文を丁寧に読み解き、誰にでも納得できる日本論を発信。

《著書》日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、その他執筆多数。

《動画》「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
15:00~19:00
定休日  木曜日

スポンサードリンク

カレンダー

08 | 2021/09 | 10
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

最新記事

*引用・転載・コメントについて

ブログ、SNS、ツイッター、動画や印刷物作成など、多数に公開するに際しては、必ず、当ブログからの転載であること、および記事のURLを付してくださいますようお願いします。
またいただきましたコメントはすべて読ませていただいていますが、個別のご回答は一切しておりません。あしからずご了承ください。

スポンサードリンク

月別アーカイブ

ねずさん(小名木善行)著書

ねずさんメルマガ

ご購読は↓コチラ↓から
ねずブロメルマガ

スポンサードリンク

コメントをくださる皆様へ

基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメント、および名無しコメントは、削除しますのであしからず。

スポンサードリンク